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7/15の日記で記してあったが、「新感染症」の取り扱いは1年間で、来年1/31で期限が来る。 連日の新型コロナウィルス・ニュースが大量に流れている中でも、そのことに触れるものは見当たらない。 国会も早々と閉会して休暇に入るようだが、議題に上がったという記事を見ることはなかった。 「第3波」の拡大が収まりを見せず、英国および南アフリカでの強力な新種派生が伝えられる中では、ほぼ「現状維持」として対応するしかないのかも知れない。 しかし、どうするのかというアナウンスは、既に発せられていなければならない時期であろう。 医療崩壊を来たしつつある現行の感染陽性者取り扱いについての変更も、感染症法に基づいて行わなければならないと思われるが、GOTOキャンペーンでの感染者数拡散・拡大を進めてきた人々には打つ手が思いつかないのかと勘繰らざるを得ない。 しびれを来たしたのであろう医師会や地方自治体からの緊急事態宣言が発せられる中で、国策としての対応指針は出て来ない。 自らの失策を認めることもなく、今後の対応指針を示すこともなく、個々の判断による自助努力を呼びかけるだけで、…まるで敵前逃亡とも思われる無為無策の大本営ではないのだろうか。 大量の赤字国債発行による緊急予算措置だけを取りあえず決めて、あとは成り行き任せでの対処療法でやり過ごし、ワクチン接種の始まるであろう来春の状況を見てから…とでも考えているのだろうか。 その前に来る「新感染症」の期限は?…どう胡麻化そうというのだろうか? 感染の最大の要因はレストランでの会食であるというデータが公表され、自宅待機となった場合の家族への感染は防ぎ難いと言われている中で、医療的にも経済的にも必要となるであろうトリアージをどうおこなって行けばいいのだろうか。 自粛だけで片付けられる段階ではないだろう。 上無政策では下有対策も出来はしない。 感染拡大による集団免疫と考えれば、放置しておいても歴史的には何とかなってゆくことだろう。 死亡率は低いといっても、当事者には100%であるし、弱者が救われることもなく消えてゆく。 ワクチンでは無く自然感染の場合には、軽症者であっても後遺症ではかなり苦しむことになるらしい。 感染リスクの少ない雲の上では、例年通りの「忘年会」で年の瀬を過ごしているらしい。 当てにならない大本営には期待せず、不都合な真実は伝えないマスコミに振り回されず、自分の命は自分で守るというスタンスでこの年末年始を過ごしてゆくしかないのだろう。
2020.12.24
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正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし しゃれこうべを杖の上に乗せ、新年正月の都大路を歩いたのは、一休さん…だという。 はるか昔、たしか中学生の頃の年賀状に、この言葉を書いた記憶がある。 ちょっと変わっていたのか、アマノジャクの子供だったのか、…まあ、今もあまり変わらないのだろうが。 COVID-19で聞かれる、クリスマスも正月も自宅自粛…の声とともに、この言葉を思い出した。 人は100%死ぬ。 生まれた時からその時まで、冥土への旅を歩み続けている。 なにを原因として歩みを止めるのかは、人それぞれにドラマがあり、…まあ、痛くなければいつでもいいか。 人はしぶとく生き続け、また、あっけなく死ぬ。 まるで、それぞれの寿命のローソクがあるように、不可知の要因に左右されるかのように。 恒例の行事ができないからと言って、そんなに騒ぐこともない。 歩いてきた道を振り返り、歩いてゆく道を望み、…ちょっと一休み。
2020.12.22
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