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自然界では、平均化・均一化の方向に全てが流れる。山は崩れ、海は埋まり…、熱くても冷たくてもヌルくなり…、みんなが同じになり、差が無くなり、動きが止まるまで続く。 この平均化に逆らうのが生命活動であると記憶している。一定の形を保ち続け、一定の機能を果たし・・・外界に働きかけ変容させる。 社会生活においても、みんなと同じになることは「自然な」流れであり、当たり前のことなのだろう。みんなと違うことが異端視され差別対象とされることが多いと思うが、実はその「違う」ということに意味があるのかもしれない。そして、その「違い」を許容することが、社会としての活力を高めることになるのではなかろうか。 歴史上の人物をみても、、天才と呼ばれ画期的な成果をあげた人々は奇人変人と呼ばれ、生きている間には評価されることも無く野垂れ死んだ人の話も多い。狂人と紙一重との評価も、活力という意味では誉め言葉になるのかもしれない。 時と場合により、その活力がマイナスに作用したりプラスに作用したりするのだろうが、決して悪いことではないだろう。みんなが均一になり、活力を失った社会の方が多くの問題を抱えてしまうのではなかろうか。 必要悪という言い方で許容する社会もあるが、厳しく規制する社会もある。「いい子、悪い子、普通の子」くらいの許容幅を持って生きていける社会であって欲しいものである。
2020.05.30
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人はそれぞれに、それ以上近付いて欲しくない距離がある…という。 動物たちにも、それぞれにストレスが高まる距離がある…ようだ。 その距離以内に入って来るものには防衛行動を取ることになり、暴力的傾向のある人というのは、実はその距離が一般の人よりも大きいのだという。 おそらく、銃社会ではその距離がかなり大きいのだろうと推測される。 ソーシャル・ディスタンスで2mの距離を保つ社会生活と聞いたとき、このことを思い出した。 マスクを着けて顔の表情を見せず、身体を触れ合わせることも無く、唾の飛沫が届かない距離を保って過ごす生活…そこに何の意味があるのか、ちょっと疑問符が並んでしまいそうだ。 まぁ、しばらくは…それを良しとする生活が望まれるのだろう。 迂闊にその距離を破れば、殴られても仕方の無いような社会風潮になりそうだ。 その中でのコミュニケーションを上手におこない、誤解されないようにするには…ボディランゲージをしっかり活用して、身振り手振りを交えたパントマイムかミュージカルを演じるのが、良いのかも知れない。 早く治療薬でも行き渡って、触れ合う歓びを感じられるようになって欲しいものだ。
2020.05.29
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血流を止めた時、生死を分かつ時間はどれくらいだろう。 呼吸を止めた時、生死を分かつ時間はどれくらいだろう。 心不全や脳梗塞で、救える時間までの搬送時間が言われている。 心肺停止状態になれば、救命可能な時間は限られたものになる。 フローを止めなければ、細々とでも生きながらえることができるかもしれない。 一部に障害や壊死が生じたとしても、命は保てるかもしれない。 一時的に流れを止める必要が生じたとしても、回復するためのデッドタイムは考慮しておくべきだろう。 スピードの無い「スピード感」という言葉だけでは、緊急事態に対応出来ない。 役に立たない統計データをいくら並べても、現場の現実は見えてこない。 さあ、どうするんだい?
2020.05.02
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