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何か応募中で、結果待ちでないとストレスで耐えられないので、1年以上先の採用とのことだが、2月末の公募に出してみた。面接に呼ばれてからどうするか考えよう。本来は10月採用がいい。まあ、場合によっては退職してフリーになって4月から再度働くのも良い。それほど現在は苦しい。相変わらず、大学の書式に合わせて、ワードの枠の中に、業績を入れていく作業をして、自分のところにアンダーラインをしたり、巻号を書かねばならなく、号を調べていた。号を調べるとき、面倒なので基本的には自分のresearchmapを見ている。Googleで自分の名前を検索すると、1番目に大学の研究者紹介欄がでて、2番めがresearchmap。大学ではresearchmapと連携していると聞いているので、どちらかを更新すれば、勝手に業績も更新される。researchmapは他のデータベースからの取り込みもあるので、入力不要かつ最近はAIで調べてくれている。もう、業績リストはこれで十分じゃないか?と書きながら思った。公募の書類は、「これまでの研究の説明(価値)」「今後の教育研究の抱負」の2つでいいのでは?照会可能かどうかは知らないが、researchmapには共著者の写真まで出てしまうのだから、十分では?年齢知りたければ、1枚の簡単な履歴書でいいと思う。自分が選考委員になれたら、あとは誓約書1枚かな。これらに間違いがないことをちゃんとサインでもらい、不備があったら不採用にすることに同意していることを残す程度。科研費もデータベースで調べられる。個人的には民間の時間がなかったので、民間での仕事の内容を書く事ができることが一つは必要かもしれない。経歴などresearchmapに書けないことを説明する書類、という感じでしょうか?ーーー
2023.02.28
今年は良い書類を書いたつもりだったが、科研費は不採択だった。まあ、業績不足だから仕方ないのかもしれない。あと一番気になるのは、やはり学会と結びついていることだろう。自分は最近、学会へは参加していない。コロナ禍もあるが、その以前から研究成果が出にくい環境にあるために参加を控えてきた。また研究分野も学際領域へ進みつつあり、どこの学会で発表すればいいのか?ということもある。しかしながら、学会は名前を売る場でもある。頑張って研究しているね、面白いね、と思わせなければ。それが科研費の採択につながるかどうかは不明だが、話を聞いたことがある先生が審査してくれれば、印象は違うだろう。この数年は学会発表しないし、論文も所属学会とは違う分野の雑誌や紀要に出しているものだから、研究成果を読んでもらう機会も少ない。地道な活動がないと、この人は研究できるのか?という疑問になってしまうだろう。実際、研究できる環境が不足しているから、データが出ない。そして発表できない。そして科研費は採択されない。悪循環である。科研費だけが研究費ではないのだが、分担者としてもらっている金額を考えると、やはり自分が統括したテーマを一つは採択させたいものだ。現在の分担者での成果を出すことも一つの重要なことなのだろう。ただ、現在はテーマを中止して、新しいことを模索しているので、まだ数年は科研費の採択は難しいだろうな。期待しないで来年も新しいところに出そう。
2023.02.28
夏から公募活動を再開して、10ぐらい出してきたが結局決まらず。。。ふと2月末の公募を見つけたので出そうと思ったが、採用は令和6年。つまり、1年2ヶ月後。うーん。せめて10月にしてほしい。悪い大学ではないのだが、こんな早く対応しても、その後、気になる公募があれば、心が揺らいでしまいそう。採用する側も、出ていく側も時間割を決めやすいので、時期的には問題はないのでしょうが、1年先か。。。新設となると2年先ということもあり、昇格を条件に採用というのは知り合いでいた。結局数年先に他の大学に異動されていた。新設はすることが多くて大変だったのかも知れない。さて、まずは10月採用を目指して活動して、夏に近づいたら来年度4月採用へ気分を切り替えるしかないだろうな。企業の通年採用は毎月なっているのだが、やはり大学は講義の関係もあり、休みの関係もあり、半年単位。10月採用は少なく、4月採用がほとんど。また1年以上現在の職場で過ごすと思うと、ややストレスであるが、この数年耐えてきたのだから、気にしないで過ごしたい。途中で行き先が決まれば、気楽に過ごせるな。新しい仕事はすべてお断りして、「退職するので」と静かに生活したいものだ。半年近くのんびり過ごせるのであれば、それはそれで良い気もしてきた。やはりポジティブな面に目を向けるべきか。そう思うと2月末〆切の書類も出せばよかったかな。。。早く決まれば、1年近く、のんびり過ごせる。場合によっては異動先の大学の非常勤になって、研究室を先に準備するのも良い。ん。学生たちにギャップを与えないためにそういった日程なのかもしれない。ーーー
2023.02.26
論文執筆の効率上げたいのと、将来的には海外に移住したいのと、留学生の受け入れもしたいのもあり、英語の勉強をする習慣づくりを進めている。これまで定着できなかったので、中年でいまさらだが勉強している。なかなか定着はしない。性格の問題だろう。ただ、一つ気づいたことがある。19時以降はインプット、すなわち覚えようとすることはほとんど自分はできないことが分かった。年齢的なこともあるのだが、もともと暗記が嫌いで、歴史も、英語も駄目だったのがある。どうも夜になると集中力が低下して、考えるようなことしかできない。それで理系に進んだのだろう。さて、そうなると夜はアウトプットや整理する時間と切り替えて、明る時間だけ暗記にしようと現在進めている。本来は、夜寝る間に暗記の確認をするのが効率が良い感じがするのだが、結局、集中できず、眠くなるし、現実から逃げてネットサーフィンになるのであれば、止めてしまい、計画を作り直したり、こういったブログの原稿を書いたり、本を読んだりするほうが良い。しばらく続けてみて、英語も単に読むだけとかにして、効率よく勉強したいものだ。<追記>なかなか定着しませんでした。結局、この継続力のなさが、語学の苦手に繋がっているのでしょう。ーーー
2023.02.25
論文では図をどう並べるのか、たまに議論になる。あまり自分は議論に参加しないようにしている。今回のリバイスで、図を一つ減らすことになり、レイアウトを変更した。実は、学生時代はすごく並べ方にこだわっており、きれいに合わせるために補助線を引いたりして、合わせていた。現在はパワーポイントで自動で合わせる位置が出るので楽になった。で、最近は楽になったのに、さらに楽をしていて、「気にしない」ことにしている。写真の拡大率とかそんなことはスケールバーがあるからわかるし、多少、右や左にずれていところで、言いたいことの本質は変わらない。これは海外で発表していた時に感じたのだ。日本の先生はきれいに並べているのだが、海外の研究者は比較的大雑把、ガタガタ、ズレている。でも観るのはその中のデータであり、フレームのズレでは無い。そう感じた時に、日本人は無駄な時間をつかっているのかと思った。英語だけでもハンディなのに、無駄に図をきれいにする時間を使っていたらもっと考察や議論の時間が減る。それ以来、後輩の指導や研究室の指導では、図のズレやフォントの違いなどは気にしないようにしている。些細なことだから。気づけばそれでいいし、気づかないのであれば、見ている人も気づかないだろう。そう思うようにした。もちろん、あまりにも酷い場合は、議論に集中できないので指摘するが、些細だなーと受け流せるときは無視する。さて、現在リバイスしている論文を共著者の方に渡したら、図がズレていると指摘があった。。。よくよく見たら、その方が作った図であり、オリジナルが使いにくいフォーマットでこちらで変更するのが難しいものであった。少し呆れつつ、仕方ないのでパワーポイントに貼り付け直して、修正した。無駄な時間だなー、何も本質が変わらないのに、と思いつつ、今回のレビューアーも、自分で修正した事を自分で指摘しているし、、、あー運が悪い悪い。忘れて次に進もう。
2023.02.21
論文リバイスがほぼ終わり、査読者コメント対応を書いている。基本的に1対1で書いている。つまり頂いたコメントが長くても、指摘が3つぐらいあれば、3つに分けて、別々に丁寧に書いている。元の文章と修正した文章も書いている。で、ふと書き始めて気づいた。酷い査読者であるということに。頂いたコメントは、当然私達が書いた論文の文章をコピーして、それを指摘していると思っていた。コメントを読みながら、そんな文章ではたしかにわかりにくい、申し訳ないと思っていた。そして修正が終わりつつあるので、コメントに対して、上述の通り、投稿時の文章と修正後の文章を並べて書いている。そうしたら、指摘の3つ目ぐらいで、こちらが書いていない単語が書かれていて、「わかりにくい」となっていた。確かにその用語は変だと思っており、自分が間違えて書いたのかと思っていた。しかし、最初のファイルを見たらそんなことは書いていない。つまり、査読者が自分で修正メモを入れた内容を、さらに自分で「変だ」と思って、指摘しているのだ。全く酷い査読者にあたってしまったようだ。指摘事項も多く、文章修正案も原稿に書き入れて、非常に熱心で、素晴らしい方だとわかるのだが、自分の書いた内容を識別できない、元の原稿をしっかり見ていないという点で、能力にかなりの欠損が見られる。うーん、申し訳ないが、運が悪いと思ってしまった。原稿の文章を変更はできないので、指摘したコメントとはずれるが、修正前と後の文章を列記して返答するしかない。すでに書いたかも知れないが、やはり編集委員会は査読者をちゃんと指導しないとだめですよ!安易に能力がない人が編集委員にならないで欲しい。論文を書く能力と、指摘する能力とか、編集する能力は別である。両方持っているのが良いが、必ずしもそうではないのだ。論文数が少なくても、良い編集者はたくさんいるはずだ。そんな人を雑誌は育てていかねばいけない。
2023.02.19
多数の論文を書いていて、共著者の一人が大学の先生ではない例は初めてである。で、価値観の違いを感じる。自分より年配の方でしたので、意見を忠実に論文に入れました。ただ、査読結果の大部分はその方の意見を反映させた部分で、やや論文を書く側としては違和感があった場所でした。結局、文化が違うのでしょうね。その方の感覚の言い回しや、重要度は科学的論文では客観性が無いことや、冗長であることを指摘されています。査読結果について報告すると、もう気分は別のこところにあるのか、私が大変なのを理解したのか、「ご指摘の通り修正お願いします」「おまかせします」「リジェクトで無くてよかった」ということが書かれており、論文はともかく、ということで別の仕事についての要請があった。少し肩透かしというか、論文に対する自分の意識とのズレを2,3日ショックに思っていた。でも冷静に考えてみると、私達の世界の中で厳密に考えているだけで、少し離れた人から見れば、たいした価値は無いのかと思った。論文にはインパクトファクターという引用件数の指標があるが、考えてみれば、1回も引用されない、1以下の雑誌もある。自分もそんな雑誌にも何個か論文を書いている。そんなのを考えると、ブログで閲覧が無いものや、いいね、のないツイートと同じなのかもしれない。話題になるツイートよりも、論文の社会評価は低いような気もした。大切なのは中身であり、枝葉末節の表現ではないと、その方に言われたような気がしてきた。中身としては面白いことを報告している事実はある。それに考察をどうつけようが、表現をどうしょうが関係ないのかもしれない。すでに査読コメントの件をブログに書いているが、査読者と共著者を含めて数名で話しているだけの表現である。どれをとっても同じかもしれない。自分は責任著者として、表現のこだわりを持ちすぎているような気もしてきた。大切なのはデータである。それだけは事実。それをどう解釈するかは自由だ。一応の現時点での解釈を著者としては大切だと思っているが、他のデータが出れば、その解釈も変わるはずだ。だから、査読者の指摘に対して、イライラする事はないだろう。と思うようになてきた。まずはデータの信憑性について指摘がなければ、査読者に従って修正して、自己主張せず、論文を出すことが良いという気もした。最近は仕事を限られた人の間でしてきて、自分のカラに閉じ籠もっていたのかと、大学外からの意見を聞いて思ったのである。広く、冷静に物事を見れるようになりたい。そのためには多くの人達と話をしていかないと、偏ってしまうような気がしてきた。その意味でも、現在の職場はよくないのだろうな。。。。タイトル通り、論文なんて、読まれないブログと同じものかも、こだわらず、まずは正しいデータを発表し、解釈はどうでもよくて、査読者に従えばいいのかもしれない。下手に書けば炎上みたいなものであり、論文そのものが通らなくなる。問題は事実として観察された結果なのだ。それを公表することで、他の研究に役立つ。そう思って解釈などは気にせず、リバイスして、早く印刷されるように頑張ろうと思った。アクセプトされなければ、引用されないツイート以下だ。。
2023.02.14
論文リバイス作業がなかなか進まず。ラブレターと考えても、なかなか気分は切り替えられない。細かいことを指摘されて、それはあなたの好みでしょ!と思うと、逆に、その小さいことに自分がこだわっていることになり、嫌になったりしている。気分転換に、以前も行っていたスタンディング化してみた。モニタが2つあるので、1つを高い位置に置き、ミラーリングしてみた。疲れたら立ち上がって作業、また疲れたら座るの繰り返しで気分転換になる。特に立っているのは良い。ちょうどZoomの会議もあったので、立ったまま話をしてみた。他の参加者は気にならなかったかも知れないが、姿勢を考えると悪くなさそう。キーボード置き場が無くて、ダンボールなどを使っているので不安定であり、かつ、座ったときの置き場に困る。これだけ解消できると悪くない。スタンディングで、コーヒーカップを置けるようにしたら、これはこれでカフェなどで飲んでいる気分になり悪くない。実は民間企業でも研究環境の改善プロジェクトに関わり、スタンディングでミーティングできるコーナーを作ったことがある。その後、活用されているかどうかは知らないが、自分は意外と好きである。短くミーティングが終わるものあるが、やはり体重移動しているというのが、何か頭の整理につながる。相変わらず、リバイスにイライラするのだが、偶然見た動画で、心の修行には時間がかかると解説していて、納得であった。だんだん良くなっているが、不快に思う心をすぐには改善できない。そう今まで反応してきたからだ。できるのはこの思いを長く引きずらないことだろう。ある程度の技術を体得するには、スポーツだって時間がかかるでしょ、とその僧侶は述べていた。確かに。現在、心のトレーニング中。逃げないで対応しよう。ーーー
2023.02.11
先日、少し遠出してふわふわドームのある公園に行った。コロナ禍で中止されていた利用がほとんど解除されて、子どもたちは久しぶりに楽しそうであった。ふわふわドームは私の子供時代にはない遊具であるが、トランポリンなのだが、浮き上がっているというか、出っ張っているというか、中央に人が集まらないですむし、転んでも大丈夫なので、見ていても楽しそう。大人はほとんど入れないので、体験したことがない。大人が入れるところがあれば一度行ってみたいものだ。子どもたちは広くいろいろなところを駆け回り、他の子供の影にもなり、ほとんど見えない。目の前に小さいドームがあったので、必然的にその場所を眺めていた。すると、一人の男の子、小学校1年生ぐらいかな、がずっと頂上を占拠しているのだ。色々と気づきがあった。占拠していて、自分より弱いと見える子供に対して、すぐに横に行って、ジャンプし、振動で、下に下ろそうとするのだ。特に横に倒れた子供に対しては、足踏みをするようにドンドン上から揺らして、下に下ろす、そして自分が頂上に立つ。常に周りを見ていて、人が来ると、どうにかして排除しようとするのだ。で自分より高学年で大きい人が来ると、それができないものだから何もしない。でも、大きい人でも倒れて横になった瞬間に、足踏みをして、その人を下に落ちるようにするのだ。嫌になって逃げる人もいる。高学年の男の子たちは、その子の異常ぶりに気づいて、対抗して上を占拠して下ろそうとしていた。でもバカバカしくなって、そのうち自分たちの遊びをしだした。そう、異常な行動する人に関わっていても意味がないのだ。だから自分たちのことをちゃんとする。時間の無駄だと思ったのだろう。正しい。もう一つ面白いのは、そういった異常行動を全く感じない子もいて、その横にいても、無視なのだ。無視されるとその占拠している子は何も手出しをできないのだ。排除しよとしても、サラリとかわされてしまう。無視するのが一番効果があり、本人も何もできなく、困っている様子だった。これも正しい対処だと思って見ていた。さて、この2点の対処方法は良いなーと関心していた。その一方で、この子供にイライラした。弱い人を見ると蹴落とし、自分が勝てないと思うと、下を走り回って「楽しいぞ」みたいな雰囲気を出し、上ではなく下が楽しいように振る舞ったり、対抗することを止める。大人でもいるなーと思った。自分より弱い人に強い態度で命令するのに対して、上の人になにか言われると反論できない人。その親はどんな人なのかと探してみた。普通、ドームで遊んでいても、何回か子供は帰ってきたりする。上着を脱いだり、水を飲みに来たり。でもその子は長い間、親を探しにも行かない。さすがに喉が乾いたらしく、一度親のところに戻った。親はかなり遠くに座っていて、一応見ているようだが、関心がないようであった。注意をすべき子供の行為について関心がないのだ。実際、他の親は「あの子が邪魔をするから遊べない」と言って、他のドームに移動していった。小さいこどもを排除するものだから、小さいこどもの親は不安になるのは当たり前だ。私の子どもたちは全く関わりを持たなかったし、子どもたちの方が大きく、そんな変な子供には関心もないので、影響はなかった。関係ないのに、その子供の行為はよく分かった。それほど目立つのに、親は全く感じないのだろう。つまり、この子は自分が「変なことをしている」「相手に迷惑をかけている」ということを注意を受けず、そういった考えは一つも学ばず、「頂上を占拠して、他人を排除したことを」楽しかったという満足感を持って帰っていくのだろう。そして、友達もいなそうで、一人で来ている感じであった。このまま大人になり、先にも書いたような弱い人に強い態度に出る大人になるのかなーと思って嫌な思いであった。小学校1年生の性格はそのまま大人になるのか、と感じた。悲しいことだと思いつつ、自分の子どもたちはどうなのだろうと考えた。まあ、一応相手に配慮できるかな。ただ、片付けができないので、それはこれからも教育をして行くしかない。さて、無駄に口出しして厄介な人に対しては、無視するというのが一番良いというのも分かった。今後嫌な人がいたら、無視しよう。攻撃する意味もないことがわかるだろう。弱いのを見せてしまうとだめ。弱くてもいいのだが、相手にしないというのが、攻撃する人には効果がある気がしたのだ。困った子供であったが、色々と考えることができて面白かった。でも、やはり親が悪いと思うのだよな。。。。注意しないと。でも気づかないのだから、困ったものだ。ーーー
2023.02.10
ウクライナの戦争は悲しい出来事だ。細かく調べていないが、ロシアとウクライナで各国とも、10万人以上が犠牲になっているようだ。多くは兵士かも知れないが、市民も多く巻き込まれているようだ。両国合わせると20万人以上。日本の自治体の規模ぐらいであろう。1つの市の市民が全員いなくなる数だ。今後の経済を担うべき若い人たちが亡くなっていると思うとさらに悲しい。いろいろな背景があると思うが、やはり小さいことからしっかりと考えて進められると良い。日本の政治も、経済も混迷しているように思えるが、やはり利己的な判断だけではなく、もう少し広く判断できる人が増えてほしい気がする。そんな自分も利己的であるので、反省してより良い未来のために研究せねば。論文の1つ2つで止まっている場合ではない。それから学生も伸ばさないと。私一人の能力はたかがしれているが、学生たちが伸びていけば、未来は良くなる。ーーー「カサンドラな夫」https://py4e2hyu33f7.blog.fc2.com/
2023.02.09
正月に書いて投稿した論文がまたリバイスで戻ってきた。共著者に報告したら「リジェクトで無くてよかった」と返信があった。そのとおりだし、自分も逆の立場だったらそう返信するかと思った。でも、いつものことだが、書いている本人としては、自分の論理から他人の論理に思考を変え、文章もある意味、査読者のお好みなので嗜好性に合わせて書き直すのはなかなかストレスである。2週間の猶予があるので、どうにか修正して提出したい。少しデータが求められているので手元にあるのか確認して、出したいと思う。それはともかく、確かに「リジェクトでなくて良かった」のかもしれないが、リバイスの度合いによって疲労は違う。リジェクトは継続しないで済むので、気分転換して他のところに出すことができる。リバイスは少し先が不透明。正直これまでは比較的決まったスケジュールの中で進んできた。実は、ある程度の雑誌に投稿していたというのもある。この数年は、すでに書いている通りなのだが、データ不足でどんどん雑誌のランクを落としている。紀要にも投稿している。これらの雑誌の難点も見えてきた。・本当に投稿がないところだと、微修正で通してくれることがある。・若干投稿があるような雑誌だと、審査者の意見に左右される。雑誌を理解して、微修正で通してくれる人と、自分が査読者として頑張っていることを示したくて、たくさん指摘してきて、たくさん修正案を記入してくるタイプだ。この後者に、現在他の論文でも囚われており、編集委員会に1つだけはクレームした。それ以外は現在も我慢して対応している。後者の人に捕まると長い。この長い、というのが2回もあり、疲れている。ひどいのが1回目の査読で指摘しなかったことを2回目に指摘するのだ。これはルール違反のような気がする。しかし、冷静に考えてみると、論文が良くなるのだから仕方ない。それでも、頑張りすぎな感じがあって、1回目と同じように査読しないと、自分がしっかりできていないと思われる、という不安があるのだろう。若いのだな。年配の先生方は忙しいのもあり、雑誌の状況も理解しているので、その点、バランス良い返事をしてくる。もちろん本質的な一言をつかれると、対応に苦慮することもある。でも、それが本来ある査読だと思う。現在苦しんでいるのは、とにかくランクの低い雑誌で、若手の査読者が張り切りすぎている感じ。一番の問題は、編集委員会が機能していないことだ。そのまま、理不尽なコメントを返してくるのだ。一読もしないのだろう。良い雑誌だと編集担当者が読んで、さらにコメントを加えて、どの程度で対応して欲しいか示してくれることもある。査読者を育てるのは編集委員会なので、編集委員会のメンバーが一番大切である。ただ、以前、2件経験したことも書いておこう。1つは自分が査読した論文。本質的な修正だけを依頼したのだが、あまり修正されず、返信もなく、勝手にアクセプトにされたことがある。まあ海外の小さい雑誌だったので、私もそれほど気にしてはいないのだが、少しぐらいフィードバックしてほしかった。もう一つは自分が投稿者で、取り下げした論文。取り下げ後に、編集委員会の先生にお会いして、「完成度の低い論文を投稿してしまって」と謝罪したら、「酷い査読者だったらしいね」と状況を知っていたのにも、仲介してくれないのかと驚いた例。まあ、これはデータ不足は事実だから取り下げてあたりまえであったが、もう少し調整してくれれば、とも思った。特に取り下げるにあたって、せっかくこれまで査読いただいた先生の時間が無駄になることが心苦しかった。リジェクトではないのだ。リバイスをして欲しいと、熱いメッセージだったのだ。その熱さに負けてしまったのである。申し訳なかった。さて、査読は個人に依存しており、やはり複数で行い、その中立として編集委員会が機能しないと駄目。ランクの低い雑誌は編集委員会に極端な差があり、雑誌をよくしようとしている場合は、良い査読と良い編集者意見がある。一方、雑誌の成長をあきらめているような場合は、編集委員会は機能していなく、任期を待っている感じ。そのまま、若手のとんがった査読者のコメントが転送されてくるだけ。色々と勉強になる論文投稿だ。自分は良い投稿者、良い査読者になれるよう、勉強を続けたい。
2023.02.08
メールって、なんで送信ボタンを押すと、気になることに気づくのでしょうか?・ファイル添付したかな・CC入れ忘れていたかな・アドレス間違えていないかというのは、押した瞬間に気づくのですよね。で、最近メールサービスは進化して、送信キャンセル機能ができて便利になりました。プライベートではicloudメールに切り替えているので、先日メールを送信して、画面を見たらキャンセルできるのに気づいてキャンセルしました。内容が、転職に関する相談でしたので、間違えて職場のアドレスから送信していないか不安になったためです。幸い、個人のアドレスでしたので、問題ありませんでした。だいぶ前に、以前働いていた職場の友人とのメールで、「転職」「退職」などのキーワードは、社内のサーバーでチェックされていることがあるので、個人メールを送る、とメールをもらったことがあります。それ以来、基本的に転職などの言葉が出るときいは個人メールを使用しています。そんなことを現在の大学が確認しているとは思えないのですが、検索機能が発達している現在、可能でしょうし、下手すると私用ということで処分を受けることになると嫌だと思っています。大学の場合はどこが私用でどこが学務なのか線引が難しいこともあるのですが、できるだけ自分の中で線を引くようにしています。当然、大学の講義や研究、学生に関わることなどは、大学の業務として扱っています。その一方で、個人的なつながりによる研究シーズぐらいの段階になり、専門からややズレている場合などは、個人の時間や個人の経費でカバーするようにしています。シーズがちゃんと研究段階になれば、大学の業務として扱うことができるのですが、シーズはなかなか研究までに行かないことが多いので、できる限り個人負担にしています。現在の大学では、手土産も大学の費用で出せるので、生協などで大学グッスを買うと「校費ですか?」とすぐに聞かれる。でも、手土産は基本的にこちらの気持ちなので、全て私費にしている。企業で働いているときには、基本的には仕事上の挨拶だったりするので、その場合は企業の支払いとしていました。なかなか線を引きにくいのですが、グレーなところは私費にしています。そのことで、不正利用につながらないようにしています。しばらく前も、関西の方の大学で学生アルバイトを不正に計上して、研究室の費用として使っていたような事がありましたが、やはりそういったことも、「使いにくいから捻出する」など変な気持ちから発生していると思うので、正しい方法をとっていくことを習慣づけたいのです。メールから話がズレましたが、時間、お金、などできる限り公私混同はしないというのが大切かと思っています。それは稲森さんの本に書いていたことです。戻って、メールに送信キャンセル機能があるということは、ヒトは必ず全部を確認して送信できないというのが通常、大部分の人がすることだという認識ができたということですね。あまりにも気楽に送信できるからこそミスが起きるでしょう。これが郵便であれば、手書きでも印刷でも、実際に印刷物を見るという段階が発生するので、メールを書くのとはワンステップは入る。また封筒を用意したりする時間もあります。そんな中でミスに気づいて、印刷し直しなどをしていたのでしょう。メールは瞬時に送れるため、そういった作業上のゆとりが失われているように感じました。便利なっても、幸せになれるわけではないし、良い仕事ができるわけではないですよね。本質的なことを改善して、上手く新しい技術を活用したいと感じます。長くなりました。
2023.02.07
レンズの安いところで、欲しいフレームがあったので、メガネを作った。もう1,2年も前のことである。補助用と思って作った。で、フィッティングを2回ほどお願いしたのだが、その店では全く駄目であった。諦めて、放置していたというか、あくまでも壊れたときの眼鏡として職場に置いていた。さすがに、もったいないと思って、フィッティングについて調べると、「眼鏡作製技能士」という資格があるようだ。その前身の民間資格もある。で、身近な場所にいるのか調べてみると1店舗にしかいなかった。普段行かない、メガネ屋だったのだが、その情報を見て、相談してみた。他社で購入したものだったのだが、無料でフィッティングしてくれて、これがなかなか良好。しばらくしてまた来てください、とも言われたが行く必要がないかもしれない。次回は、眼鏡を更新するために行こうかな。数万した眼鏡が無駄にならず復活したのだ。そう考えると、その店に感謝して顧客にならねばと思ったのだ。無料のサービス。顧客の定着化。大切なことだと思う。お金を払おうと思ったのだが、そうでない場合、別の形で返すしかないのだ。ーーー
2023.02.06
以前も書いているが、風の音は苦手だ。その時の分析では、バイクに乗っていたものだから、風そのものも、バイクの転倒につながる恐怖と、ある程度のスピードになると風を切るために、やはり恐怖感があるからかと思う。職場環境の一番悪いのが、この風切り音が何故かあることだ。どこかで窓を開けているのかと思うのだが、その一方で立地の関係で風が通りやすいのか?とにかく、今日は1日うるさかった。そして疲れてしまった。夕方、急に隙間風が止まった。外は強風のまま。結局、どこかの部屋で窓を開けているのか、排気設備を稼働させているのか、原因があるようだ。いやー、静かだ。原因がわかれば、対処ができるるのだが、部屋がわからないとな。。。<追記>なにかのイベントで、学生たちと同じ教室で作業することになった。自分はあまりすることがなく、鍵閉めになってしまい、パソコンで仕事をしていた。学生たちは楽しそうに、くだらないことも話しながら作業をしていた。結局、時間ギリギリまでいたのだが、「うるさくて、すみません」と言った学生がいたが、全く気にならなかった。学生たちが楽しく話をすることは、あまりにも大声にならない限り、全く気にならない。十分二仕事ができる。でも、風の音は苦手なんだな。ーーー
2023.02.01
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