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別の研究室の教授の先生が最近、色々と配慮してくれている。分野は異なるのだが、「私はもう教授なので、外部資金の業績は不要なので、筆頭出だしてください」とも先日仰っていた。異分野融合は私の好きなところであるが、他の大学に行こうと思っている矢先に、「申請しましょう」と声を書けられると戸惑ってしまう。現在の依頼案件が終了したら、基本的に新しいことはせずに、公募を中心とした生活に移行する予定にしている。でもこうやって、支えてくれる先生がいるのだ。嬉しいような、困ったような。先日、不遇な先生の共通点を少し書いたが、こうやって声をかけてくれる先生がいるので、まあ評価されていると感じたい。一方で、もしかしたら、いいように使われて、振り回されているのだろうか?大学の行事負担も多く、いいように使われているような気もする。でも現職場から離れられるかはまだわからない以上、学生募集に力を入れるのは当たり前だと思っている。そんな姿も評価してもらっているのだろうか?ーーー
2023.06.18
相変わらず、業績リストのコピーをしている。先日提出した公募は、Excelで業績リストであった。最悪です。印刷すると文字が入り切らず、調整が必要です。PDFにしてその状態を確認して、PDFを保存して印刷することで、紙の無駄はなくしているのですが、やはり時間の無駄が大きい。Excelは本来、表計算のためのソフトであり、リストを作るものではないです。もちろん、そのリストを集計して使用するのであれば良いでしょう。業績リストはワードで十分です。いや何度も書きますがReserch Mapにすればいいのです。本当、この昔ながらのExcelと印刷はやめて欲しい。正直、途中でこの大学はダメな大学だと思って公募書類を出すのを止めようかと思ってしまう。実際にあまりよくない地方の大学でしたので、期待せずに出しました。とにかく、無駄な仕事が何であるのかを考えることをしないとダメですね。そして単純なことはAIにやらせたり、アルバイトを雇うなどして、教員はもっとクリエイティブな仕事に集中できるようにして欲しいです。公募書類の書式にも、その大学の改善意欲や文化が出ているように思うのです。この数年、学習支援を申請する学生も増えてきました。発達障害に近いものや、何らかの病気を抱える人たちです。彼らに学習機会を与えているのは良いことですが、大学教員は障害に対する専門家ではありません。その結果、十分な学習機会となっているとはいえません。何も対策をしないまま、学生を受け入れてしまうと、その学生が不幸でしかないのです。何でも教員にやらせる風潮もよくないですね。結局、経営側がちゃんと考えていないのでしょう。その意味では、公募の仕組みは一つの目安になります。JRECinから応募できる大学も少しありました。便利です。印刷しなくていいですし、郵便局にいく必要もありません。非常に助かります。形式も自由なところもありました。評価する側は、形式が自由だと大変だと思うのですが、どういった表現をするのかも一つの評価項目だと感じます。なので自由なところには積極的に出しています。6月末から7月上旬締め切りと少し離れて8月中の締め切りの公募がいくつかありました。夏までは書類作りを夜と週末にする生活になりそうです。どこか拾ってくれないなか。私は、なかなか良い教員なはずなのですけど。。。良い報告ができることを願って、書類作成を続けてまいります。ーーー
2023.06.18
だいぶ前のニュースで、歌手のYOSHIさんが事故でお亡くなりになったことを知った。知らない方でしたので、その後は追っていませんでした。バイク関連のことを調べていて、過去のニュースのリンクがあり、どういった事故だったのか気になり、調べました。右直事故だったようで、詳細は調べていませんが、視野が悪かったのか、スピードなのかわかりません。良くヒヤリとする場面です。さて、YOSHIさんはオーディションで、、、という話題もあり、聞いてみました。素晴らしい声ですね。曲もいい。非常に残念です。このような才能を持つ方が若くしてお亡くなりになったことは、心がうまく受け取れません。ーーー
2023.06.17
研究環境が悪いからではないのですが、もともと好きなので社会科学的研究もしております。依頼もあり、文章を書いているのですが、調べるほど自信がなくなってきます。元々社会科学分野のプロではないのに、研究テーマに関連した社会の変化などを調べています。現代社会の変化については調査力に自信を持ってきました。殆どの資料を入手して、目を通すことをしてきたので、間違いない、と自信がありました。これが歴史が入り、海外になると、どんどん私の専門からズレてきて無理が出てきます。一応の仮説を持って調べて、勝手に納得して、その後、もう少し基礎的なことを調べていると、そんなこと他の分野で当たり前だったことに気づくのです。そうなると1行も書けない、という状態に陥ります。現在はそんな感じです。先日、関連した図書を読んでいて、自信を持って書いている著者を見て、そうでなければいけないのかと思いました。その著者が書かれている場所や時代は私も調べて、実は訪問もしているのですが、その著者とは違う体験をしています。彼の体験も一つとして正しいのですが、その地域で現在当たり前のように書かれていました。私も数日滞在したのですが、同じ体験はしませんでした。すると彼が指摘しているのはやはりその地域の一部の姿としか言えないのです。でもその著者は、それが「日常だ」といった書き方でした。うーん、確かにその時期にその場所に行けて、それを理解できる人は限られているので、その代弁として記述するのは良いと思うのですが、断言できるのか、、、と思ってしまいました。彼にとってはその時間で体験した事実なのでしょうけど、やはり他の人にも聞いたり、他の人の報告書や書籍を読んでから自分自身の文章を書くべきだと思うのです。もちろん、論文ではなく一般書ですので、旅行記のように書いたのでしょう。それでも、「常識だ「歴史だ」という印象が強い書き方で違和感を感じました。でも、それくらいの自信を持って書くべきなのでしょうね。異論はあるとしても、その時、その場所で自分はそう判断した。というのは正しいのですから。理系でも、その時、その方法で測定したデータはその手段の限界もある中で、推定するしかありません。誰も測定していなければ、それは一つの事実として報告すべきでしょう。論文であれば、条件のある中での事実だと思うのです。一般的に書くとなるともう少し多くの条件で検討した結果の共通点として、普遍的なことを書きたいと思うのですが、それは私の偏った考え方だったのかもしれません。一般書であっても、自分としてはこう思う、で良いのでしょう。そんな本はたくさんあるし、著者の名前を明確にして、「こう述べている」と紹介すればいいですし、それがその著者の論理として個性を出すものでしょう。私も偏った情報からかもしれないが、その角度から見れば、こういった評価ができると断言して書くべきかもしれません。そうでないと読者にはわかりにい。それにしても情報を、できる限り集めて書きたいのです。ーーー
2023.06.17
うーん、と思う。私も学内ポジションは不遇であるが、他にも不遇な人を身近で見ることが増えてきた。類は友を呼ぶのか。これまで、まあそこそこの研究室に所属して研究してきたが、現在は、家庭の事情で異動したこともあり、設備も人員も恵まれていない。他の先生は、自分の城、テリトリーがあるので、荒らされたくないのか、私に積極的な支援はしてくれない。もちろん、頼めば、所有している機器を使わせてはくれる。ただそれだけだ。さて、改善を求めて公募に出したり、もちろんその前に学内の状況改善を相談したりしている。その結果なのか、似たような境遇の先生とお話する機会が増えてしまった。上述の通り、類は友を呼ぶのか、3名ほど現在、そういった不遇な人(私と違って、ずっと不遇であり、この数年の話ではない人たち)がいる。ちょうど、年上、ほぼ同世代、年下の3つに分かれ、世代も違うのだが、やや共通点がある。結局、それが、周りから評価されず、共同研究等を断られているのかと思う。(1)コミュニケーションが苦手基本的にコミュニケーションが苦手で、メールであっても、返信内容がズレており、「こちらはそういったつもりではないに」ということが多い。半分ぐらいのメールがそんな内容で、疲れる。正直、メール書くのが嫌になる。(2)やけに、丁寧な文章を書いてくるこれはこれまでのミスを指摘されてきたためなのか、大体この3人のメールは丁寧な書き方で、ある意味くどい。こちらの要望を理解していないために守りでそういった文章を書くのかもしれないが、回りくどく、探っている感じでもある。YES、NOで短く書いてくれない。(3)こちらの些細な文章に引っかかってくるこれも面倒で、何気ない大した話題でもなく、和やかにするために書いた話題、最後の一言にしつこく追求してくる傾向がある。話題を広げるとそのままずっとこだわり続ける。(4)こちらのミスを指摘するやや、上から目線ではないのだが、自分が知っていることだけなのか、些細なミスを指摘してくる。これは、一番ダメなんだろうなと思う。現時点ではそんな修正不要なのに、細かいことを指摘してくる。一番困っている同世代の先生は、嫌味ではないが、こちらの情報不足を自分で調べて、納得して、「不勉強で」みたいなことを書いてくる。質問してくれれば、説明するのに、いつ何時こちらが説明したのか、説明不足なのかわからないまま、勝手に納得して、「わかりました」などを書いてくる。まだまだ細かいことはあり、特段困っていないので整理していないが、なんとなく共通点はある。おそらく、こういったことで信頼を失い、仕事から外されているのだと思う。私は現在、似たような道に進みつつあるのだが、一応、私は信頼されていると思うので、他大学からも共同研究はあるし、学内でも支援してくれている先生もいる。そろそろ疲れるので、困った彼らとの縁を切るべきか?年上の先生は、ちょっと古い体質で、1年ほど前に関係ない論文の共著を求めてきたので、「それは時代遅れだ」とはっきりお断りしてから連絡が少なくなってきた。きっと、彼らはこういった注意を何度も受けているのだと思う。そして、その相手から切られているのだと思う。新しい相手を見つけて、受けた注意の意味がわからないものだから、文章は丁寧に書いて下の方から来るのだが、結局は何も変わっていないのだろう。私はそういった人たちの相談対象になっているのかもしれない。異常に、周囲に多すぎる。一つひとつ説明し、相手に失礼な指摘を受け仕事をするのは面倒だ。「こんなかんじで」と一言で指示できる、日本的な組織が自分は好きなのかな。ーーー
2023.06.11
子供が中学になり、部活動で忙しい。来年ぐらいには地域の活動へ変更されるのだろうか?教員不足が問題となっており、給与を上げるとかの話や、試験を前倒しにするなどのニュースを見る。議論されていると信じているが、それだけでは無理であろう。全体として見直して、本質的な仕事に集中できる環境を作るべきであろう。自分自身大学で教員をしていて、大変だと思うのは・実習の準備・レポートの採点である。実習は前もってかなりの準備が必要である。片付けは学生たちと行うとしても、試薬から使用する実験材料までを人数分揃えて、料理番組のように、時間内に終わる必要がある。あまり良い結果が出ない場合は、改善もしている。一部書籍があるので参考にしているが、かなりの部分がその大学、その個人に依存していて、表に出ていないのも事実である。大学では専門があるので、これは仕方ないことである。小中学であれば、教材開発を行っている会社もあるので、それらの会社にアウトソーシングしてキットを作ってもらい、支払えばいいのだ。予算を潤沢にして、準備を容易にすべきであろう。最近生物担当の先生に聞いたが、やはり解剖などの準備は大変なようだ。材料を集めるのも大変だし、その場での管理も大変なようだ。教員がすべきなのは、その場での教育であろう。子供たちの心を見て、語れる、受け止められるようにスキルアップしてほしい。そのためにはこういった実習の準備などの時間はなくしたほうが良い。そして試験の準備や採点も同じだ。もう塾産業がしっかり出来ているのだからこれもアウトソーシングすればいい。問題を作ってもらい、採点もしてもらえばいいのだ。場合によっては、間違えている部分の解説も貰えばいい。こういったアウトソーシングの予算を確保することが重要であろう。そして、8時から17時ぐらいの業務時間で帰れるようにすべきであろう。その一方で、長期休暇は確実に休めるようにして自由に過ごせるメリットがあればどうだろう?小中高の先生の実務を私は知らないが、大学で言えば、無理に長期休暇に来なくても成り立つ。私は実験室での研究と、その安全管理があるので無理だが、そういったことがなければ、長期海外出張も可能である。その間の給与は研究教育のために支払われている。小学生、中学生と異なり、大学の場合はSNSなどでも学生と繋がっているし、夏季集中講義や実習もあり、必ずしも長期休暇=何もない、訳ではない。小中学校ぐらいであれば、校舎の管理は警備会社、部活動は地域活動やスポーツジム、宿題管理や生活管理はネット上でのサービスの活用といった形でアウトソーシングすれば、半日出勤、さらには20日以上の休暇で問題ないような気がする。(警察官などは1日おきぐらいの勤務だと聞いたこともある。小学校の先生は毎日休めず、教壇に立つのだから、休みが多くて良い気がする)その分、時間が生まれ、自分の趣味や研究、また家族のための時間に使えるのであれば、給与ではなく、生活の豊かさを求めて就職する人が増えるだろう。何らかのメリットが必要で、現時点では残業や雑務が多いから嫌われるのだろう。その残業や雑務の内容を精査し、アウトソーシングする予算を確保し、教員の給与は変えず、休みを増やし、豊かな生活をおくれる仕事にできないだろうか?本業は教育なのである。学生達、生徒たちと接して、その良さを伸ばしていくゆとりを教員は持つべきだし、それだけの資質がある人を採用できるようにしてほしい。大学の場合は、研究業績が優先であるので、人間的に問題のある人も多い。大学イベントで表に出せる先生は少ない。困ったものである。これが小中学では困るのだ。やはり子供たちを包み込めるゆとりのある先生になって欲しい。だいぶ前に、高校を訪問して、知り合いになった先生に(私の大学の卒業生でした)、雑談で「忙しいのか」という話をしたことがある。その際に、「ブラックと言われても仕方ない」「でもね」と仰っていた。そのときにいくつかの事例を聞いて、ほとんど忘れてしまいましたが、一つ覚えているのは、夕方や夜に近隣の方と思われる人から、「お宅の生徒にどんな教育しているんだ!」といったクレームがあるようです。ただひたすら謝って聞いているそうです。電話を取らなければ、後日「なんで、いないんだ!」ともいわれるらしい。クレーマー対応だなーと聞いていた。これも相談窓口を電話番号を作って、専門の会社に対応してもらい、後日報告書としてもらうぐらいでいいのではないでしょうか?良い先生がこんなことをして心を病んでしまったら、もったいないです。何が問題か?給与なのかな? おそらく違うと思います。 問題点を良く整理して、できることを明確にして、本当に大切なことはなにか議論をして、改善していくことではないでしょうか?現場を知らない人が机上の空論をしても、何も改善しなくて、人集めをして、質の悪い教員が来て、日本の教育の質が下がるのが一番不安です。人気のない職業には、やはりそれなりの人しか応募してこないと思います。ーーー
2023.06.10
自転車通勤していると、何度もヒヤリと思う。先日も、見通しの悪いところから車が出てきた。一時停止しないで、出てくるのでぶつかりそうになる。なんでだろうと考えていてわかった事がある。その運転手は「見えない」から、「見えるところまで」移動して、安全を確保したいのだ。つまり、事故防止の主体は自分にしか無いのだろう。一方、自分は見通しの悪いところでは車の先端が出るところで一時停止して、その後、ゆっくり自分の視野が確保されるまで進む。これは「車ありますよ」という意思表示で、「私には見えないけど」、「見える人は判断してね」という、低速で移動して事故防止を自分でしつつ、交差点の見えない人に配慮している。自分からは見えないのだ、ゆっくり前に進み、相手側が止まる、クラクションを鳴らすなどの動作を期待するしない。もちろん、見えたら色々な判断ができる。見えるまでの判断が違うのだと思った。飛び出してくるのは、飛び出したいとか注意していないのではなく、「見えるところまで行く」のが当たり前だと思っているのだろう。だって、そうしなければ自分で判断出来ないから当たり前だと思っているのではないか?それにしても、見通しの悪いところで止まる意思を感じない車は本当に怖い。ーーー
2023.06.04
自分は学際領域というか、分野の変更が多くて、卒業研究室のメンバーとはあまり連絡を取らない。学会も異なるので会う機会はない。しかし、一部の学会は仕方なく、会員になっているので、会員の異動連絡がわかる。世代の違う若い後輩は、地方大学に行っていた。気になって調べたら准教授であった。素晴らしい。色々考えることがあった。ダラダラとなるが少し書いていく。(1)あきらめてはいけない後輩は直前までは、非常勤に近い状態であった。その前には期限付きの助教であった。その意味では不安定であった。あきらめずに公募に出していたのだろうし、地方大学はもしかしたら指導教官の関連するポストだったのかと思う。よく頑張った。(2)良い研究をできるのがいいあきらめてはいけない、というのに近いが、ポスドクで在籍していた10年ほど前の研究を継続しているようだ。そのポスドクの時の先生は大変優秀で、素晴らしい研究をしている。その影響が大きく、ポスドク時代に育ったのだと思う。良い研究室でポスドクになるのは重要だと感じた。(3)ポジションが人を育てる地方大学で自分の名前を付けた研究室を運営しているようだ。若いときに独立したのだ。これは今後伸びるだろう。(3a)関連して、私の指導教官を思い出した。結局、抜かすことが出来ていないのだが、実力は私のほうが上だと学生時代から思っている。しかし、私は民間に出てしまい、大学のポジションとしてはその期間が評価されず不遇だ。一方指導教官は、地方大学出身ながら、その後に師事した先生が優秀で、その先生とともに出世した。結局、その先生の小間使として色々な書類を書き続け、書類作成や学会での組織運営については非常に長けており、それで有名大学の教授になっている。まさに能力はないのだが、ポジションで育った先生だと気づいた。(3b)研究ではないが、自分で言えば、まさか海外出張で普通に過ごせるとは思っていなかった。慣れもあるだろうが、言語もダメなのだが、海外に行ってどうにか調整して戻ってくることについてはできるようになった。これも与えられて経験して成長した気がする。高齢化が進み、65定年になり、ポジションが空かないのだが、役職は譲っていい気がする。他の大学での話であるが、私の同期が学部長をしていたことある。誰もがやりたくないので、持ち回りだったようで、未経験の同期がやることになったようだ。良い経験になり、現在出世して、彼も有名大学の教授である。現在の大学も学科長は持ち回りになっており、年長の先生はもう経験しているので、少し下の世代の先生が担当している。良いことだ。民間企業ではそういった傾向があり、私も随分と色々な経験をさせてもらい、その分、会議運営などの能力は向上した。しかしながら、大学の研究となると、結局、業績不足で昇格できず、やれる範囲が狭い。業績重視は給与面に反映させて、権限は若手に移譲して育てるべきではないか?結局、ベンチャーや急成長する企業、アメリカ社会、などを考えると、若い時から経験を積んでいるというのがある。日本はちょっと老害が大きい気がする。ご意見番として一歩下がって見てほしい。細かいことまで年上の人がやる必要はないのでは?長くなった。自分も早く権限のあるポジションを目指そう。前の小さい大学ではそこに近かったが、色々あって異動してしまったのが悔やまれる。牛尾ではなく、鶏頭となるべきだな。公募も、小さい大学も見直して出していきたい。一方で、ポジションが人を作るので、無理と思われるところにも挑戦したい。呼んでくれれば、マネジメント能力や対話能力があるのは伝わるはずだ。ーーー
2023.06.02
上司運が悪いと以前書いている。そうだと思いつつも、私は生真面目で優しいのだろうな。先日、上司が部屋を片付けていたら、こんな本があっと古い本を持ってきてくれた。私が現在取り組もうとしているテーマの初期の貴重な本であった。図書館でもあまり置いていなく、現物を見たことがなかった本だ。いやー、上司駄目だとおもっていたけど、めちゃくちゃ嬉しかった。自分が進めているテーマについて、一応の理解をしているのだ。そして、根は優しいというか人のことを考えているのだろう。ただ、方向を間違えていて、時々不快なことを言うだけ。本人は相手のために思っているのだろうな。今回のようにピンポイントで分かるモノだと、こういったことがわかりやすい。良いところに目を向けるか。。1日でできることなど大したことがないので、毎日は反省ばかりである。あーもう少し結果を出したかった、あの学生にはこういったアドバイスをすればよかった、と反省ばかり。でも「できたこと」をリストするとかなりの仕事をしている。・講義をした・実験した・片付けた・学生の相談に耳を傾けた・学生にアドバイスをした・学外からの問い合わせに応じた・事務手続きをした・公募書類を少し書いた・研究計画を考えた・本の原稿を少し書いたなどなど、少しずつやっている。放置したらいつまでも達成できないし、一つのことだけをしていたら他のことが進まない。結局、細かいことを少しだけ前に進めている。この少しだけが、「今日もあまり進まなかった」と思うのだろう。でも行ってきたことの数は多い。ということで、上司の良いところにも目を向けるか。。。ーーー
2023.06.01
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