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コロナ禍で学科単位や学部単位と小規模の集まりになった。挨拶の回数が増えて、学部長、学科長からの祝辞などを聞く機会が増えた。学科長は、基本的に全体の卒業式後に卒業証書を手渡す時に簡単な挨拶をする程度であったが、コロナ禍で学長挨拶レベルの長い挨拶をするようになった。まあ慣れてないのかな、、、やや聞いていてつまらなかった。当たり前なのかもしれないが、今年度の卒業生たちは、2年生からコロナ禍になり、1年生から希望を持って色々できそうな時期に羽をもがれたような感じだ。来年度の卒業生は1年生で全てオンライン化という悲しい時期でもあった。なのでつい、先生方も大変だったことを今年の学科長は話をしてしまった。それはわかる。でも、私たちの苦労以上に学生たちが大変だったのだ。だから話す必要はないと思った。もちろん、大変だったという一言は学生のために使うだけで、口にするのは大切。教員の苦労を話してはいけない。仕事なのだから。さて、自分ならばどんな話を卒業式にするだろうと、聞きながら考えていた。やはり、自分の学生時代の話をするだろう。学部2年生かな、3年生かな春に専門の実験が始まるのだが、初回を休んだ。海外へ行く機会を得ていたからだ。春休みに、ちょっとしたきっかけで、アジアに行くことがあった。その時は面倒だなと思いつつ、言葉の通じない国を回ってきた。その後、20年ぐらいして、雑誌に寄稿する機会をいただき、その国のことを少し書いた。これがそこそこ評判良い。短い文章だったのだが、他にその分野で書く人がいなかったのだろう。そして現在、その国に関係した調査や研究をなぜか開始する機会をもらっている。。。というような話かな。少し面倒でも、挑戦してみたり、「苦労は買ってでも」と言う話をするかもしれない。その他、挫折があっても前に進めることなどかな。夢に挑戦することが大切だが、当然失敗もある。これからの失敗を乗り越える話をできると良い。Chat GPTに作らせるとどうなるのだろう?ーーー
2023.03.31
和文の論文に英文要旨があり、アクセプト後の指摘で、ズレを指摘された。うーん、日本語にするのと英語にするのではちょっと書きやすさというか、表現が難しいところあるのですよね。。。キーワードも1つだけ違う表現にしていたらそれも指摘された。。。英語の方が重要なので、英語に合わせて、不自然な日本語のキーワードにするしかないかな。しばらく考えよう。あまり、英語論文を書いたことがない方なのか、それとも私の日本語力と英語力が両方とも乏しいのか。。。投稿中も、査読者から同じような指摘があり、仕方ないので英語の要旨は日本語の直訳的にした。今後、英文校正で修正されると思う。直訳したらニュアンスが伝わらないと思うのだが、、、日本語を書いてから英語論文を書かれる方なのかな。。。ま、仕方ないですね。言いたいことが変わらなければ指摘に従います。時間が無駄なので。
2023.03.30
細々とポイントが溜まって、それを一つのポイントにまとめたら、映画を見れそうだったので、久しぶりに映画を見た。すでに、気になる映画を映画紹介のYoutubeで見ていたのを全編を通して見てみた。映画紹介はだいぶ前に著作権法違反で、逮捕されて、多額の賠償金を請求されていたように思う。おそらく、見せしめだとおもうのだが、その後はフォローしていない。かなりの金額で疑問に思った記憶がある。映画紹介では7,8分となっていたと思うが、2時間近い映画を見ていた。すると既視感が強く、良く編集されていることがわかった。作った方はかなりの能力がある。見事にストーリーの大切なことだけを切り出し、削除した内容を補足するコメントを入れいていた。結局、2時間かけてお金を出した映画が、8分ぐらいの映画紹介動画とほぼ同じであった。そう思うと、本来製作者たちがお金をかけて、色々考えて作製した映画を短くして「あらすじ」といった名目で公開してしまうことはやはり著作権法違反だと感じた。動画編集能力ばかりではなく、・ストーリーの核心を取り出す能力・補足するコメントの追加という面で素晴らしい能力をお持ちなのである。CM作製や、動画作製など別のところで才能を活用していただきたいと思った。個人ではなく、複数の目を通して作っているのかとも思う。私の文章は、私だけで書いているので、重複もあるし、無駄な部分もある。ストーリーが崩れていたり、導入と結論が全く関係ないこともある。これは他人の目を通して修正していくことで改善される。映画紹介の素晴らしい動画を作られている方は、複数の人数で編集しているのかと思う。一人であれば、本当にストーリーを抽出する面で優れている。
2023.03.29
コーヒーで有名な地域に出張していた先生から、なぜか豆をもらった。私が日々コーヒーを飲んでいるのを、これまたなぜかご存知なのか?それほどコーヒーにはこだわりはなく、とは言うものの、口に合う合わないというのはある。面倒なので安い粉コーヒーの中で口に合うものを買って飲み続けている。すでに書いたように、実はコーヒーを淹れる時間が好きで飲んでいるというのが一番だ。そして、最近は面倒でコーヒーメーカーを使用してしまっている。ただ、豆を挽く機能はない。豆をもらったので、昔々使っていたミルを持ち出して、挽いてみた。1回目は、久しぶりだなー程度でしかなかった。2回目になると、そうか、コーヒーメーカーで楽して忘れていた、コーヒーを淹れる時間を感じた。ゴリゴリと挽く時間がなんともいい。香りももちろん良い。ただ、残念ながら、コーヒーはやはり好き嫌いが少しある。頂いた豆はそれほど私の好みには合わなかった。コーヒーのお土産は難しいと、受け取って思った。せめて最高級か、フレーバーコーヒーなど特徴のあるものを少しだけが良いのだろう。さて、この豆がなくなったら、スーパーでも豆で買うかな。。。ゴリゴリとした挽く時の音や、手の感覚がなかなか良かった。<追記>豆しか購入しない日々は続いています。小さいスーパーだと選択肢がないのは残念ですが、それはそれで万人受けしやすい感じのコーヒーで助かっています。ーーー
2023.03.28
この2年苦しんでいた論文と、外部資金からのスピンアウトの論文の2つが、時間差があったが、両方ともアクセプトされた。ただ、両方ともの修正依頼がついていた。今までは、最後は「採択」ということで終わりで、その後は印刷の体裁確認や、必要に応じて英文校正をした場合などの確認が来る程度であった。今回は、2つとも、修正依頼があり、それに合わせて修正すれば、採択。というか、基本はアクセプトなのだが、少し修正してね、ということらしい。どこかのサイトに書いてあったが、論文を書くのが最終目的ではないが、論文が出なければ話にならない、その通りである。修正は必要だが、論旨が変わるわけではないので、論文がより良くなるようなコメントに従って、わかりやすい表現に修正して返信しよう。これで、年度の業績も確保できた。そしてこの職場での論文執筆できるような研究もこれで限界だと思っていたので、あとは外部依頼を受けているデータを出しつつ、新しいテーマ探索をしつつ、新しい職場を探そう。それから半年ほど滞在できる海外も探そう。やっと前向きな日々を過ごせる。論文を書くことも、2年ぐらい前のデータの整理だ。そしてそれを修正するのも、当然、過去の自分の仕事を添削しているだけ。ずっと過去を見ている。今日から未来を、といいたいが、1週間かけて修正原稿を出さねば。その後は、印刷物のチェックが4月にあるとスケジュールにあった。これはサラリと確認して、とにかく一番はやい印刷に間に合うように対応しよう。修正は、終わっていないが、、ゴールが見えて安心した。たった1週間だけ我慢すればいい。ガイダンスが始まる前に修正を提出して、入学する学生たちと同じ気分で4月からは明るく過ごせる。ふー。
2023.03.27
卒業式が毎年あり、参加するのが大学の教員としての一つの特徴だ。通常、あたりまえだが、大学の卒業式は1回。出席しないこともあるので、ゼロかもしれない。人によっては、子供の卒業式に参加して、2回以上出席することもあるかもしれない。大学教員の場合、入学式も連続して、毎年参加する。ゼミの学生たちの卒業を祝うこととなるが、コロナ禍で食事も制約があり、簡単な挨拶して終わりになってしまった。卒業式の会場ももちろん変更になってしまい、コロナ前は講堂に集まってかなりきつい状態で行っていた。その後は学科の対応となったりしていた。今年度はやっと体育館を使えるようになった。まあ、広くていいのだが、子供の小学校の入学式を思い出した。ひんやりとして、パイプ椅子に座り、なんとも手作りというか、無理があるというか。一方、講堂を使用する場合は、階段教室で、椅子も少ししっかりしており、学生たちの様子も斜め方向から見れてよかった。もちろん、壇上にはエライ人たちが一堂に集まり、緊張感もある。学生代表のみが呼ばれ、学科単位で立ち上がる姿も悪くなかった。合唱部や吹奏楽部の演奏などもあり、格式とはいわないが、少しだけ思い雰囲気があった。それが体育館では寒々しくて、パイプいすは座りにくく、視野が狭く、残念であった。来年度には、格式のある卒業式があるといい。学生の思い出にもなると思う。私の学生時代は、確か、地元の市民会館を借りて行った記憶がある。それこそ広くて、格式があり、良かったと思う。現在はそういった会場と距離がありすぎて無理なのだろうか?再検討してほいし。検討委員会にでも入れれば、提案するんだけどな。そのほうが駅に近くて、保護者の方も来やすいし、その後の会食への移動も楽だし。
2023.03.26
岡山大学で2名の教授の論文の剽窃、捏造があったとニュースを見た。二人共、教授クラスでそんな事しなくても、、と思ってしまう。異動前、退職前と考えると、業績が必要だったのだろうか?名誉欲?全く理解ができない。自分はたしかに業績少なくて、外部資金も少しだし、そこそこ苦労している。もう少し業績あれば、公募にもと思う。でも、それは実力だし、基本的に世の中に役立つ発表をするわけで、嘘をついても仕方ない。その論文を出すことで、無駄と思いつつも、ある程度は役立つという希望を持っている。名誉とか、昇格とか、そんなことは後からついてくるものでは?いつも気になるが、こういったことをアカデミアでする比率と、民間で仕事をしている人たちが日常的に行う嘘の比率とは同じなのだろうか?人の中にはそういったことをする共通の比率があるのか?それとも、私も気楽に書いてしまっているが、業績主義だから?業績重視や名誉欲は別に、アカデミアだけではない気がする。そうすると、ある程度の比率の人が捏造したりしていると思ったほうが良いかもしれない。関係ないが、学校の給食費を払わない人の割合と、通信販売で支払いしない人の割合がほとんど同じと聞いたことがある。お金を支払わないで、踏み倒せる経験をした人は同じことをするのか?これは同一人物の可能性があるので、民間とアカデミアを比較してはいけない。また話がずれるがAIによりレポートも書ける時代で、コピペチェッカーを大学で導入しようと検討しているらしい。少し遅くないか?毎回自分はレポート見本を書いているが、来年度からはAIに見本を書かせておくか、そうすれば同じものが出てきても書けなくなる。
2023.03.25
私立大学は学生集めに、結構困っている。本学は中堅なのだが、当然、小規模の大学へ行く学生が減っているために、学生が流れているだけで、偏差値低下が問題となっている。つまり中堅から落ちていく可能性がある。一応、受験者がいても、これでは、本来の大学の姿ではないだろう。学部、学科にはアドミッション・ポリシーなどがあり、入試の面接などで質問することがある。当然学生たちのそのポリシーを見て、受験しているはずである。年度末になり、来年度のイベントの議論が少しずつ始まった。一応、学科の売りになるようなことを考えてイベントをしてきたが、結局、それは自分が考えていることであり、全体のバランスでは正しくないと思っている。実際に、研究室配属の希望者を見ると、イベントの方向性に合わせた研究室への希望者が多く、イベント内容に関わっていない研究室の希望者が少ない。まあ、その先生はイベントに対する興味が無いのであろう。少ない学生を指導すればいい、ぐらいしか思っていないのだろう。昔はそれで良かったと思う。各学科、特徴をホームページに書くぐらいで、特別な基準を明示していなかった。自分自身も、なんとなく学びたいことがあるので、学科を選んだ。職場としては結局その学科に属することは無く、その後の大学院で学んだ内容の学科で働いている。そもそも、学生たちも、卒業すれば、学科と関係ない仕事をする人たちが大部分であろう。それは社会として問題があるような気もする。そのためにもいくつかのポリシーができて、どんな学生を必要としていて、卒業するとどういった知識が身についているのかを明示しているのは良いことだと思う。そして、企業と係わり、企業の人材ニーズなども聞きながら、ある程度は教育に反映させていくことも望ましい。前の大学は弱小だったので、こういったことはかなりしていて、私も企業の方とお話をしながら、教育に反映さえていた。そのことで、就職率をよくすることにも貢献したし、企業も卒業生もマッチングがよく幸せになっていると(おそらく)思っている。現在の大学はある程度の受験生がいることから、関心が低すぎる。まあ、先生方がそう思うのであればいいのだが、真面目に考えている自分が馬鹿のように思える組織は良くないな。
2023.03.24
地方大学でも、こどでもまずは異動したいと思っている。しかし、検索エンジンで大学のことを調べる関係か、嫌な話題も目につく・岡山短期大学での教員への退職勧奨・学生募集を停止する上野学園大学・広島市立大学、神戸大学のハラスメント・東大でのアカハラなどどこに行っても嫌なことがありそうでもある。現在の職場でも、学生が訴えればハラスメントになりそうなことを言っている先生はいる。「徹夜すればいい」みたいなことを言うらしい。分かっていて、その先生の研究室に行ったようなので、現状は問題になっていないが、ちょっとね、、と思う。自分自身の立場の改善がないのも、まあある意味、嫌がらせと捉える事もできる。組織上の問題で、誰もが決定権がないというのが現実であろうが、色々と差別と感じるときもある。一方で、単純に研究室内のことは、外から見えないというのもある。他の研究室がどのような頻度でゼミを行い、どんな発表形式にして、どんな質問があるのか?教員と学生の距離はどうなっているのか?必要なものはどのように発注しているのか?出張している先生は何が目的なのか? どんな予算か? 報告書は書いているのか?何一つわからないと言ってもいい。なので、私の状況など、何もわからないといえる。他人が見えない、つまり自分のしていることの基準が見えないという状況なのかもしれない。それが、ハラスメントにつながるか、と言うと、それはそれ以前の問題かと思う。普通に生活していれば分かるだろう。やはり単に、自分の検索記録の関係で目につきやすいからかな。また大学はそういったことがニュースになりやすい。企業で、過労死でもあれば、その上司のパワハラはニュースになるが、その人が転職して普通に仕事をしていれば、ニュースにもならない。大学と企業の違いを先に書いたが、個人営業か社名で生きるかも、大きく異る。私の名前を検索すれば、いろいろなところで出てきてしまう。子どもたちも最近、ChatGPTに関連して、検索能力が上がってきた。私のことを少し調べたりしているようだ。どんな経歴か、何をしているのか、全てではないが分かるようになっている。現在、特に自分は公募活動もしているのである程度情報を出すようにしている。よくよく先生を調べてみると、大学のWebサイトでも簡素な人もいる。それでいいと思うのだ。今は外に出ようとしているが、落ち着いたら、簡素な情報だけにして、静かに暮らしたいものだ。その一方で、学内であまり評価されていない自分は、学外からお声をかけられると嬉しい気もしていて、現在はできるだけ情報を公開するしかないのかと思う。インターネットの一つの良い面なのかも。学内では何もないけど、学外から問い合わせがあると嬉しい。これはネットがなければ成り立たなかっただろう。一つのモチベーションになる。話がずれてきた。大学はやや特殊な職場であることは確かだ。組織だけど、個人に依存。私立大学は民間だけど、公的な教育側面がある。ハラスメントなども教育機関であることから厳しい。
2023.03.19
葛城 浩一 先生の以下の報告があります。興味ある方は探してみてください。他にもあると思うのですが、偶然見つかったので紹介します。2つめのは、アンケートに基づくものですが、まあ、そんなかんじかなという数値がちゃんと出ています。公募とはいえ、内部で決まっている件数とか、必要論文数とか。前者には公募件数の推移もあって、4月上旬が最も多いようです。これから頑張ります!「大学教員としてのキャリアパスに立ちはだかる壁」「大学教員として就職するまでのプロセスと就職後の教育・研究活動との関連性 : ボーダーフリー大学に着目して」ーーー
2023.03.17
先日、社会科学系の先生の話を聞いていた。うーん、現時点では情報が失われた過去のことを議論していて、文献や遺跡ではないが過去のものを分析した解釈の結果を述べていることに気づいた。私も社会科学的な研究を少ししているが、メインではなく、実験的な手法とあまり変わらず、と思っていた。しかし急に、過去の情報の解釈というのは非常に難しいと分かってきた。つまり、これまで無知だった。少し勉強してみてやっとその事に気づいた。もし、江戸時代に動画があって、全て保存されていれば、どのような表現を、どのような状況で使うのか分かるだろう。道具についてもどうやって使っているのか分かるだろう。しかし、そのようなものは存在しない。庶民の生活もわからない。歴史小説やマンガにかかれている偉人の言葉だって、本当にそういったのかわからない。でもある程度信頼できる資料にそう書かれている、ということで皆が採用しているだけだ。でも本当なのだろうか?と思ってしまった。そう思うと、現在自分が行っている研究も、大したことはないのだが、文章として整理していくことによって、形に残るのだと思うようになった。自分自身も過去の先生の研究資料を整理していて、先生がお亡くなりになっていなければ、詳細が聞けたのに、分からず推測したり、他の文献から見直したりしている。このことと同じように、自分もいつ死ぬかわからない。依頼受けている実験もあり、今日、もし、交通事故にあって死んでしまえば、この数ヶ月、半年近いデータ蓄積は誰にも手の届かないものとなり、再実験をする必要がある。そんなことを考えると、紀要であれ、なんであれ、まずは論文を出すことは大切だと思った。どう考えて、どんなデータが出たのか、それがたいした内容でなくても、もう繰り返す必要はないことを示せる。知らなければ、同じ失敗を誰かがするだろう。少し戻って、論文前のデータ。現在は一人で研究することも多く、それらはできる限り論文として投稿してきた。どうにかリバイス中なので、表に出る方向に進んでる。その一方で、共同研究している内容は、整理してから報告するつもりで半年ぐらい経過してしまった。先に述べたように、今日事故にあえば、、と考えると、中間よりも、ある程度の区切りで情報を提供すべきだと思った。実験の作業の関係で、これまで同じ作業を繰り返すことを優先してサンプル数をこなすことをしてきた。しかし、急に、これは間違いだとおもった。100あるサンプルがあれば、100を待つのではなく、10ずつでも最後の結果まで出しておくことが大切のような気がした。もちろんデータとしては100が意味があるのあって、10だけでは意味がない。しかし、もし万が一のことがあれば、10はもう報告しておけば、他人は同じ10をしなくて済む。もしくは同じ実験をして正しいのか検証もできるだろう。ということで、最近、方針を変更して、細かい単位で結果を出すこととしている。それはある意味、非効率なのだが、正しい方向のような気がした。我々はデータを人に見せれるようにして初めて意味があるのだ。この数年、学会発表を控えてきた。それは論文重視という立場にいたからだ。でもやはり細切れでもいいので学会で発表し、共同研究者をみつけたり、違う材料で普遍性を研究したり、もしかしたら間違った方向であれば、他の研究者のアドバイスを受けて方向変更するなどをした方が良いと思った。これはずっと行ってきていたのだが、業績主義が進みすぎて、コロナ禍で、学会から遠ざかってしまった。反省である。タイトルには論文としたが、学会発表、その前には結果の共有をどんどんしても良い。結果の共有も学外もあれば、研究室内の小さい共有もある。皆が情報を持つことで、研究をより進める環境を作りたい。それは、一方で、自分やメンバーに事故があった時のバックアップシステムでもある。偉そうなことを書いているが、もともと指導を受けていた研究室の方針に戻るだけだ。業績主義で、方向性を失っている自分に気づいた。
2023.03.14
Researchmapのアクセスが分かるようにGoogle アナリティクスの設定をしている。あまり興味はないのだが、つい、見てしまう。アクセスは1日1回あるかないかだ。でも先程みて驚いた昨日のアクセスはロシアからになっていた。なんだろう。興味深い論文があったのか?それとも公募を出している先の先生が現在ロシアにでも出張しているのだろうか?ウクライナ周辺には渡航をしないように言われているようなので、やはり日本の方がいるというのはあまり考えれられない。論文を検索していて、偶然検索に出てきたのかもしれない。ふと調べると国内の地域も推定されている。多くは東京だが、時々知らない地名もある。インターネットだから地域は関係なく、人口密度の違いであり、何かで検索キーワードで出てしまい、ついクリックした結果なのだろう。ほとんど滞在時間が短いことから、「間違えた」と戻っているのだろう。それにしても、それなりに情報が得られて、興味深い。地方大学に書類を出せば、その大学のある都市からのアクセスが増えるのだろうか?少し先に〆切のある大学が地方なので、応募を検討しているが、応募すれば、地方からのアクセスを確認できそう。最近、地方大学への応募も少ないと聞くので、出しても良いかと思いつつある。論文のページ決定、他の公募の動向を見て、検討しよう。今年は夏までが一つの区切りなので、どうにかして行き先を確保したい。(追記)機能変更もあり、現在は確認していません。。。ーーー
2023.03.13
大学って、気楽ですよね。というメールが若い研究者から来て、そういった面もあるし、違うことも多いな、と思って長々メールを書いて、自分の主張だったので、削除して、短いメールで返信した。ふと、そういったこともあまり整理されていないので、ここで書いてみる。一応民間と大学の仕事がほぼ同じ期間になってきた。もちろん、学生時代を入れるとまだまだ大学のほうが長い。頂いたメールのポイントは次の通りだ。・大学教員は時間が自由・お金をどうにか工面して、学生と成果を出す商店主みたいなものそのとおりだと思うのだが、時間についてはちょっと疑問を感じた。さてさて、企業と大学どちらがいいのか?(1)時間(毎日の講義の制約は大きい)大学教員になって一番最初の苦しみが、毎週4回ぐらい講義をすることでだった。私は講義日を減らしたかったので、同じ日に2つぐらい講義をして、講義は2、3日にした。それ以外に実習指導もあり、いわゆる週6コマという縛りがあった。これは週に決まった時間、例えば月曜日の1,2限、火曜日の3限、水曜日の1,2限、金曜日の4限、といった時間帯に必ず仕事がある。そして講義は、自分が進めるわけで、100名の学生が50名、いや90名休んでも講義は成り立つが、私一人が休むと成り立たない。100名を別の日に補講するなり、オンデマンド配信するなり、対処しなければならない。前期、15回、後期に15回。年間30回。これを6種類。180回の講義がある。休みなくだ。それに対して企業の場合、会議は月に1回程度。職場でミーティングしても週に1回。その会議も、ミーティングも、不在でもOK。休みは当然自由、遅刻もOK。なので体調管理はそれほどしなくて、好きに暴飲暴食しても大丈夫。もちろん、マラソンするなりして疲労してもOK。カラオケして声が出なくてもOK。それに対して、大学は、先の例であれば、木曜日以外は休めない。さらに、講義の準備もあるし、講義では元気よく解説しなければならない。健康管理が求められる。教員になって、お酒をほとんど飲まなくなり、寝るのも比較的早くなった。予定も無理していれることは避けたし、ちょっとした体調不良でも病院に行くようにした。特に、声が出なくなるのが困るので、鼻炎などには注意した。講義ばかりしていた初年度の終わりに声が出なくなり、強めの薬を処方してもらいながら1ヶ月講義したこともある。ということで、時間という意味では自由なのは朝、夕方などの通勤だけ。講義の時間は変更できず、その時間には必ず、毎日教壇に立つのは辛い。これが嫌で、1日に4コマ講義する先生もいた。そうすれば確かに他の曜日は自由になる。私は講義準備に時間をかけているので無理だが、同じ講義を10年ぐらいしていれば、それも一つの案だと思う。(2)時間 長期休暇大学だけでなく、小学校を含めて教員として一番よく言われるのが、「夏休み長いですよね」ということだ。これは一つの側面として正しい。ほとんど大学にいない先生もいる。しかしながら、残念なことに、現在は出勤管理が厳しくなり、大学に来なければいけない。私は企業出身ということもあり、もともと真面目なので、就業規則を守った勤務時間には必ず大学にいる。さらに、おそらく学内でも一番大学に居る時間が長く、8時から21時はほとんど大学に居る。さて、長期休暇は上述の毎週の講義から開放され、時間が自由になる。なので、海外出張などはこの時期に行われる。学会発表などもだ。そして有給消化などもこの時期。その意味ではやはり休みが長いというのは正しいだろう。5日有給消化して、盆休みの休校も入れると、16日の連続休暇は十分可能。更に5日足せば、23日休むこともできる。悪くないですね。私は生命も扱う研究者なので、毎日様子を見ないと駄目なため、全くこの恩恵はないのですが、社会科学系で、出勤管理がされていなければ、どこに居てもOKなので、別荘を買うとか、旅行に行くとか色々できそうですね。自分はそうしないですが、これは大きなメリットです。(3)お金お金は、私の場合は、大手企業の研究所にいたので、湯水のようにといっていいほどありました。それに対して、大学はつらいです。小さい私立大学にいたときは個人の研究費は20万円ほど。正直、これは少なすぎます。もちろん、外部からお金を獲得するという時代なので、研究費を獲得することを前提とした額でしょう。結局、お金になるテーマをするということになると、これがテーマの制約につながり良くないですね。。。。とにかく大学の大変なのはお金を自分で稼いでくることです。しかも単年の民間予算だと、消耗品のみしか使えないなどの制約があります。結局長期的に考えると科研費を獲得して、設備にも投資できないとダメです。実際に民間の予算はもらってきましたが、あまりその後発展できず、小銭稼ぎになっている気がして、最近は学内業績リストのために1件出すことだけにとどめています。テーマとお金の関係は民間企業ではあまり考えていなく、必要な機器があれば前年に申請しておくと購入できることが多かったです。いい加減な社員が購入した高額機器が、各部屋に余っていたりするので、使わせてもらったりして、効率よく研究ができました。機器修繕も予算がちゃんとあったので、企業にお願いしていました。大学では予算がなくなると、全て自分で直すことになるので、大変です。私は修理が好きなので問題ないのですけど、、学生に頼まれると気分転換に嬉しく対応したりしています。旅費は大きく違います。自由にどこにいっても企業では旅費が使えました。図書館に行っても、シンポジウムに行っても、ちょっと研究者の話を聞きに行っても、全て交通費が支給されました。現在は、自分の予算の中で交通費を工面しています。1年前に分かるわけないのですよ、どこの話を聞きたいのか、どこの研究所を訪問したいとか。なので予算としては消耗品の量を多くして、国内の旅費は少なめにしている傾向が大きいです。年度末は面倒なので、自腹で出張しています。交通費に関しては民間は実費を支払ってもらっていたので、持ち出しはゼロでした。一方、大学は予算の上限もあり、持ち出しが発生しているのが現状です。もちろん、出張しなければいいのですが、やはり交流や見るということは大切なので、私は積極的に外に出ています。しかし、民間企業時代と比べると外出は10分の1以下ですね。50分の1ぐらいかもしれません。民間では気楽に外に出ていて、立ち寄ってから職場に行くことも多かったですし、帰りも立ち寄ってから家に帰ることも多かったです。図書館にもかなり行っていました。現在は気楽に図書館にも行けず、非常に不便です。(4)研究テーマ研究テーマは難しいですね。大学は完全に自由です。誰も干渉しません。干渉したら喧嘩になるので、基本的にはマナーとして「興味深いですね」と伝えるだけです。もちろん、心のなかで「そんな事して世の中の役に立つのか?」「そんなのサイエンスじゃないだろ」「論文書かなければ趣味でしょ」とか思う研究はたくさんあります。一方、企業は殆どが与えられたテーマです。与えられた開発目標の中で、自由にテーマを構築することも多いです。また、私の在籍していた企業では、イノベーションも大切という認識のもとに、毎年テーマ提案の機会がありました。採択されれば、数年そのテーマを試すことができて、成功すれば、グループのテーマまで昇格していきます。なので、自由度という意味では企業でもある程度ありました。一方、不自由だったのは進捗管理です。これは上司との方向性の違いが私の場合は多くあり、優先順位などを自分の裁量で決められず、言われたことを先に行ったりすることが多かったです。しかも、あまり結果が出ず、上司の能力が低いことも明らかで疲れました。テーマを減らさず、研究所所長にも文句言ったことがあります。「テーマを整理するのが、あなたの仕事でしょ!」と。だから私は民間の研究者としては駄目なのでしょうけど。(5)将来性上司の話に関連して、将来については企業では見えませんでした。大学では、教授になって、研究室を主幹して、学生たちが成長して、次のリーダーを育成して、と基本的な未来が見えています。一方、企業の研究者は、研究所のマネージャーになる、もしくは、研究企画などの部門に異動するというほぼ2択しかありませんでした。どちらにせよ、研究実績というよりも、調整力が問われており、間に入って調整していく仕事です。マネージャーは当然、研究者を束ねるので、10名に1名以下程度の狭い門です。更に所長になると、100人に一人以下でしょう。それだけの人望が(下からではなく)上から評価される必要があり、上の人にごまをする人が所長になります。研究で優秀な人は、場合によってはずっと研究部門ですが、なんとも孤立した一人の研究室という感じになり、寂しい状態です。知り合いで、そういった孤高の研究者になられた人も、結局、大学に転出してしまいました。一人より、人を育てて、人を動かして研究したいと思ったのでしょう。研究が好きならば、大学のほうが将来を描きやすいです。家庭を守ったり、収入を重視して、年をとったら研究現場から離れたいひとは、企業の方が働きやすいです。(6)外部との接点これはどちらも同じかもしれませんが、企業ではやはり業務との接点が多く、その仕事が終われば、「はい、さようなら」という人間関係ばかりです。大学の場合、研究でつながっている接点なので、個人の趣味の仲間のようなものです。全国どこに行っても、研究仲間はつながっていて良いものです。企業でも研究内容で繋がれば同じなのですが、企業秘密が多すぎて話ができないということが多かったです。結局、連絡する機会はほとんどなくなってしまいました。(7)パソコンなどの更新これは、お金次第。小さい大学のときは、研究費が20万で、パソコンを購入したらゼロになってしまうので、パソコンは個人で購入していました。現在は、外部資金もあり、大学の予算も潤沢なので、基本的に大学予算でパソコンを購入しています。企業は、完全に貸与でした。2つぐらいの機種からしか選べませんでした。ウイルス対策や、外部ネットワークへの制限など、様々な機能制限があり、使用しにくかったですが、3年ぐらいに1回は更新されて、最新機種に変わっていったので、助かりました。軽い機種を選んでいたので、自宅に持ち帰って仕事をしていたことも多かったです。現在ではパソコンの時代でもなくなったので、自宅と職場では分けていますし、自宅ではタブレットでどうにか仕事をしています。(8)自宅への仕事の持ち込み私が企業に在籍中は、上記の通り、パソコンさえ持ち帰れば、企業のサーバーにアクセスして仕事が可能でした。しかし、後輩や先輩など、企業に残っている人に聞くと、最近はセキュリティーがうるさくて、メールにファイルを添付できないことや、外部から企業のサーバーアクセスが厳しくなって、パソコンさえ持ち帰ることはない、とのことでした。大学はおそらく大部分がOffice365を導入してるので、Onedriveへのアクセスが可能です。契約によりけりですが、1Tぐらいは使えるはずです。その場合、自宅からもスマホからもOneDriveにアクセスできるのでいいです。学会でもポスターで説明不足だったデータとをスマホで見せて、納得してもらったことがあります。しかし、本来学生の情報も入っているので、あまりアクセスすべきではないかもしれません。成績に関する仕事は大学でしか扱わないようにしています。こんな違いかな、何か気になることがあれば、ご質問ください。大学と企業の両方の経験の比較をします。
2023.03.12
この数年 3/11に振り返りをしている。年末にも振り返りをしているので、大きな違いはないかもしれない。2011年のその日は当然、忘れられない。すでに書いているが、職場で防災訓練をした翌日ぐらいだった。自宅は停電、実家の両親の様子を見に。全員無事であった。その後は、計画停電などいろいろなことがあった。現在はもう普通の生活。LEDが普及し、少しは節電になっているのだろうか?さて、この1年。論文、報告書ばかりに振り回されてきたというのが正直な感じ。それも大部分終わった。恩師が亡くなって、月命日に思いを寄せるようにしている。12年前にも恩師と連絡はあったのかもしれないが、震災について語ったことはない。職場、家庭にも限界を感じ始めた1年で。次の1年で改善して、自分らしい生活を取り戻したいと思っている。苦しい方々を考えると恵まれているのだから、良い部分にフォーカスして、過ごせると良い。夏に先輩に久しぶりに会い、最近は別分野の先生とお話する機会があり、コロナ禍で新しい人との出会いが減ったのを考えると、良い刺激になったのがこの1年の特徴かもしれない。コロナ禍は、これまでの付き合いも減らされて、学外の交流が減り、知り合いが減った印象がある。自分の殻に閉じこもるようになっていた。それが、この1年、少しずつだが回復している。でもコロナ前の交流状態には戻っていないので、人とのコミュニケーションで何かを発見しようとする自分にはまだまだ不足だ。311もあるが、コロナ禍でお亡くなりなられた方も多い。影響の広さも大きい。コロナ禍は日付を決めることではないが、毎年振り返る機会を作るのが良いかもしれない。学校が休みになった4月なのかな。大学は2020年は通学なしの1年で学生たちが不幸だった。4月にコロナ禍を振り返るのも良いかもしれない。ーーー
2023.03.11
相変わらず、異なる書式の業績リストにコピペ作業をしている。面倒になって最近は手を抜いているせいか、色々と名前の表記や、雑誌の表記方法が統一されていなかった。それが不採用の理由とは思えないが、今年は本格的に採用されたいという気持ちが強いので、細かい修正をしている。ふと気づくと、10年ほど前の論文で共著になっていただいていた大御所の先生がお二人お亡くなりになられていることに気づいた。お一人はもうだいぶ前にお亡くなりになられたのですが、私は直接的に指導を受けていないこともあり、ずっと知らず、なにかの折にそんな文書を見つけて驚いたのを思い出します。もう一人はお世話になっていた先生で、まだお亡くなりになって1年経過していませんが、寂しい思いをしながら論文リストを見ていました。現在、共同研究されている先生とも共著の論文で、恩師の先生がいなければこういった関係はつながっていなかったのかとも考えてしまいました。人とのつながりが一番大切だと最近は強く思います。良いテーマがあり、予算と動いてくれる人がいれば、一応成果は出ていくのかもしれませんが、新しい発見や、異なる視点からのアドバイスを貰えることや、逆にアドバイスをするときにも、異分野の良い人達とつながっていることが刺激になることを思うのです。来週からマスク緩和されるからではないのですが、知り合いが私の研究室を訪問してくれる事になっています。異分野の方で、時々仕事のついでに立ち寄ってくれるのです。また新しい刺激をいただきつつ、私も何か恩返しできることがないかと少し最近の研究成果の整理を頭の中でしています。話は戻って、恩師はなくなり、自分が色々と手配する立場になっていることも感じます。人をつなぎ、良いアイデアを出せるように、勉強もして、アクティブに人に会いに行くようにしたいものです。ーーー
2023.03.10
偶然、桑田佳祐の曲を聞く機会があり、なんとなくフレーズが気になり調べてみた。東京オリンピックの開催は反対派で、かつテレビを見ないものだから全く知らなかったが、オリンピック用の曲を作っていたのですね。Youtubeで再生していたら、時代遅れの。。という曲もあり、これまたメンバーが良かった。自分も上の世代だが、自分はこんな「円熟」できるのだろうか?と考えてしまった。5人のメンバー、そして特別参加されているメンバーがなんとも格好良い。研究テーマも、職場も転々として、自分の専門がないわけだが、円熟できるのだろうか?ミュージシャン、一つのジャンルだけでなく広く創作してきた人たち。研究者としては続けてきたが、分野はややぶれながら研究しているし、現在も方向性を検討し直している。予算確保するにはある程度の流行や学閥を追う必要性がありそうなのだ。もしくは、理系の学部の新設が相次ぎ、教員の奪い合いもあると言われているので、予算豊かな大学へ異動する?桑田佳祐の曲を聞いていて、もう一つ思ったのは、世界進出はないのかということもある。日本語を大切にされたのかと思う。研究者は英語が当たり前の世界で、それに無駄に時間を使っていて、苦しんでいる自分がバカバカしくなってきた。AI翻訳の時代。日本語でもいいのかもしれない。とはいいつつ、早いコミニュケーションのために、もう遅いとは思いつつ勉強します。ーーー
2023.03.09
一息ついたので、researchmapのアクセス解析できるように、Google Analyticsの設定をしてみた。やり方は検索してみてください。少し試行錯誤して、どうにか使えるようになりました。で、この2,3日見ていて面白いですね。。。初日は2回だけアクセスされ、おーと思っていたら、結局、2日目はゼロ、3日目は1,、、ということでまあ当たり前かもしれませんが、私の研究、名前で検索する人はいないのですね。で初日なのですが、学内の他の先生から連絡があった日なんですね。軽く、私のことを調べてから連絡した可能性がありそうです。3日目は特に何もなく、かつ、1分もアクセスしていないので、偶然キーワードで引っかかって開いてしまった人かもしれません。殆どがスマホからのアクセスというのもわかるのですね。先日書きましたが、来年度の公募に書類を出すときには、必ず見るようにします。面接によばれるのと関係性があれば、少しはストレスが減るし、無駄な期待をせずにすみます。面接後も同じかもしれません。もう調べないかな、、、そう思おうと書類選考の様子はわかると思います。さすがに検索ゼロだと、出来レースとか、、そんな想像もできるかもしれません。PCでアクセス数がある程度あり、ある程度見ているようでしたら書類選考なのでしょうね。楽しみです。(追記)結局、あまり関心なく、アクセス解析していません。ーーー
2023.03.08
結局、1年は今の大学だと覚悟はできたが、やはり現状は非常に辛い。もう1年先の公募だと思うと長すぎて長すぎて。あと、もしかしたら半年後にはもっと良い公募があるのでは?などと考えてしまう。でも、急に、来年の4月の行き先が決まったら退職するか、という考えがよぎった。あらためて考えてみると、英語を勉強したい気もあるので、半年でも海外に留学すればいいのかと思った。いやいや、どこかで研究生として実験させてもらえばいいのか。私の強みのある技術があるので、それを導入するという交渉で、在籍させてもらえばいいのだ。実験して、ディスカッションして、そのために英語を勉強すれば、今よりは実践的な英語が身につくだろうし、今後、表現に悩んだときの相談相手もできるだろう。そう考えたら、少し楽しくなってきた。「希望」「夢」は大切だ。まあ現状では「妄想」かも知れない。結局、現状でも論文を読むので、関連する研究者をリストにして、評判や状況(私の技術が役に立ちそうか)を調べておくのは悪くない。国内の研究グループについては当然知っているのだが、国際的にはあまり調べたことがなかった。この機会に調べてみよう。無駄にはならない知識だ。少し、ポジティブになれた。ーーー
2023.03.07
学内の紀要とはいえ、一つ論文がアクセプトされた。ホッとした。。。以前にアクセプトは通過点にすぎず、あまり喜びとかお祝いは無いと書いているが、今回は1年近く複数の論文をリバイスする中でのアクセプトとなので、ある程度嬉しかった。これで年度内に1つは論文業績を書くことができる。業績ゼロの年度になるかと思っていた。2022年という年では業績はゼロになってしまったが、年度としては一応業績を出すことができてよかった。毎年1つは最低限書きたいと思っている。今年度はまだリバイス投稿中の論文があるので、アクセプトされれば、複数になる。そうすれば、着任後の初年度が無理だったので、平均1を達成する。進行している論文もアクセプトをされることを願おう。すでに何回か書いているが、現在の職場では投稿中の数報が限界と感じている。もちろん戦略的に考えて論文を書くことは可能だ。ただ、そういった時間を使うのは好きではないので、次の職場のために新しい研究テーマの基礎の準備を使うこととして、当たり前の技術やその分野での確認を中心にすすめていきたい。狙えば論文は一応かける。問題は、狙わずして中途半端で終わった研究を論文にすることだ。この2年ほどはそればかりで苦労してしまった。もうこういった無駄な苦労はしたくないものだ。狙って一つぐらいさすがに準備しょうかな。。。もちろんレベルは低い研究だが、技術を生かして、研究が進んでいない分野を調べれば、一応はデータが出るのだ。ただ、分野違いなので論文を書くのは苦労するだろうな。やはりそんなことよりもも、研究としてちゃんとした疑問をもって誰も知らないことを明らかににするのを目指したい。大学にいるのだから、大学らしい基礎研究をして、遠い将来役立てばよいのだ。社会実装、実用化とはずっと気にしてきた。でもやはり最近思うのは、何を言われても、ちゃんとした基礎研究をしてこそ、大学で研究する意味があると感じられるようになってきた。論文のリバイスに苦しんだ結果なのかもしれない。自分のやっていることの周辺領域をもっと明確にして、その価値をわかるように示したいと思ったのかもしれない。
2023.03.06
researchmapのことを書いたので、どう活用しているのか少し調べていたら、アクセス数解析がGoogleAnalyticsでできるようだ。自分であれば、一応、大学のWebサイト、研究室のWebサイト、researchmapの3つは最低限確認するかもしれない。最低限といえば単にGoogleでその人の名前を検索するぐらいかもしれない。当然、箸にも棒にもかからないのであれば検索しない。そんなことを考えてみると、応募後にアクセス数解析するのは先方がどれだけ関心を持ったのかわかるから良いかもしれない。応募から〆切後にアクセスがないようであれば、内部で決まっているか、そもそも、分野違いで書類選考からすぐに外れたかのどちらかだろう。アクセスが多ければ、可能性もあるし、応募すべき分野として今後の参考になる。うーん、夏までの公募でどうにかしたいと思っているので、この半年解析できるように設定してみようかな。なかなか面白そうだ。これくらいの楽しみがないとね。一方で、アクセスがほとんどなければ、落ち込んでしまうだろうな。しばらく考えてから導入してみよう。ーーー
2023.03.01
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