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最近、あまりアクセスを気にしていない。そこそこ、皆さんの興味に合っているのかと感じているぐらい、定期的なアクセスが安定している。公募関係以外も皆さん読むようになって、ありがたい。今日は、教員の老害について。自分の学科ではないのだが、少しお付き合いがある先生が2名退官される。1名はある程度わがままで迷惑な方であった。ただ、私の境遇をよく理解いただいており、「昔自分もこうだった」とお話いただき、励みになっていた。ただ、この1年は小うるさい感じがあった。ご自身が退官されるので、私を心配してくれているのは分かるのだが、私に私の考えも人生もあり、時代も、周囲の環境も違うのだ。アドバイスどおりにはできない。正直困ったなーと思いながらも、部屋も片付けきれていないその先生はどうなるのかと、気になっていた。基本的に一般的な老害に近い方だ。他の先生からは色々問題を聞く。もう一人の先生も似たように、おせっかいなのだが、ちょっと違う。口だけではないのだ。論文投稿先を探してきて、推薦してくれたり、事務の人に少し声をかけて根回ししてくれたり、する。つまり、否応なしに、実行されるという意味では「やっかいな、おせっかい」である。でも、基本的に、色々考えてくれているようで、その内容は悪くないのである。一方、口だけの先生は、自分の過去の努力を語るぐらいで、何をするわけでもない。いや、何もしないで欲しいのだ。動いてくれている先生は、私の言葉がよく分かるのだろう。変な動きはない。私が助かることばかり。もちろん、無駄なことも多い。それでも、動いてくれるのだ。彼らがなぜ動くかって、「もう自分は退職だから、迷惑かけても問題ない。言いたいことを言おう」というのが背景にある。この気持を、上手く自分のしたい方向に向けられれば、自分の代弁者になり、さらには論文については思いがけない方向で投稿することもできたので、自分ではできないこともできてしまう。やはり、相手を見てどう活用するか考えないといけないな。でも、勝手に動いて迷惑かけてくる人と縁を切る方法が無い。まあ、あと数ヶ月待てばいなくなるのでそれまでの我慢だが、先方は、もうわずかしか無いと、些細な事を連絡してきたりする。ありがたいのだが、やはり仕事が増える。私は、私の道があるのだが。。。。人の話し相手になりやすい性格なので、こういった無駄な相手時間が長いのも私の難点なのだが。。。
2023.01.30
相変わらず、公募用の書類を整理している。外部資金獲得は別紙として提出することが多いのだが、最近コピペした公募書類では、Wordの枠内に入れるものであった。すると、研究課題の欄にタイトルが並ぶ。必ずしも自分が代表になっているものだけではないので、あらためて分担となっているテーマのタイトルも読んでいた。採択されたものだけがならんでいるわけだが、共通点はわかりやすさ+ちょっとだけ冒険的な内容があることだ。学位を取った直後に、指導教官だった先生の分担に入れてもらったのだが、よくよく見ると、わかりやすいテーマで、興味をそそる。でも、そのタイトルを実現した結果は出ていなく、関連論文を発表しただけだった。同様に、学位取得後に一緒に働いていた先生(上司)の科研費も同じで、わかりやすいタイトルで、一歩先を書いていた。これもやはり、成果としては一歩先は出せていない。自分自身が書いていたものも、やはり夢がある内容であった。最近も、学内、民間と予算を頂いていて、科研費も分担でもらっている。科研費の期間が長いので、他の外部資金への申請を止めているが、やはり採択されているものは少し夢がある。そう振り返ってみると、採択されていない自分が代表となっている科研費は、夢がない。現実を書いているだけな気がした。春に来年度の結果がでるが、無理だろう。次はこの「ちょっと」夢のあるテーマを書きたい。大風呂敷は駄目だけど、夢があるのは良い感じがした。それにしても、企業の間があるので、外部資金獲得の年次を見ると穴はある。しかしだ、継続的にお金を頂いていて、特に、他の先生の研究に分担者として入れていただいているのは大きい。学外の先生にはずいぶん評価していただいているのかと思うし、お声をかけていただき、感謝の言葉しかない。ありがたいことだ。視野が狭くなって、現在のポジションに不満を持ているが、やはり感謝しながら過ごさねば。。と書類を書きながら反省した。
2023.01.28
レポートの採点を現在進めている。2月初旬が最初の単位入力期限である。その後、一応修正の期間があるが、ほとんど修正することはない。大きなケアレスミスが無い限り修正しない。単位は学生の将来にかかわることもあるので、できるだけ注意して作業している。さて、ここではそのようなことではなく、教員というか大学のセンセイが文章を書く重要性について気づきがあったので書いておく。毎年実習を行い、実習には課題を与えて、レポートを出させている。現在私の担当科目は知識を問うことよりも、実習に近いことや哲学的な講義が多い。コロナ禍でもあり、試験を止めて、レポートとしている。以前書いていると思うが、科目によりけりだが、最大は500件ぐらいのレポートを読む。マークシートの試験にすれば楽だとおもうのだが、学生の成長のために考え、書かせることを重視している。記憶して、試験後に忘れる知識よりも、これからどう勉強して社会に出るべきか、ということを考える基礎をレポートにするように心がけている。一方、実習では実習を通しての学びを中心としている。それはそうだろう。実習という場では、あまり資料を配布することはこれまでなかった。教科書に載っていることの一部をつまみ食いのように、実施して体験することであるので、資料を作ると膨大な知識背景となってしまうからだ。しかし、今年度、外部から依頼を受けた短い文章を書いていたので、参考資料として学生に渡すようにした。すると、課題へのレポートの内容が変わってきた。参考資料を渡す前は、かなり広い範囲の漠然としたレポートが多かった。つまり、あまり実習に集中できていなくても、書けるような内容ばかりであった。それが、資料を配るようになった実習から、具体的な課題を考えてレポートする学生が増えた。特に実習は変えていなく、逆に私が慣れているものだから、説明不足で学生が戸惑うこともあるぐらいであった。なので、学生に私の思想が伝わることは少ないと思っていた。しかし、資料には短いが、私の考えが示されており、稚拙な文章ながら、キーワードを工夫して書いているため、心に残ったようだ。うーん、私に思想に振り回されている感じはあるのが残念だが、課題を限定してレポートを書いているので質が向上している。口頭では何度か話している内容であったが、しっかりと文章とした資料を配布するとこれほどまでに違うのかと思う。論文を書いたりしていると苦しみしかないようなときもあるが、やはり文章はしっかり書いて、学生たちに渡すべきだと思った。もちろん、自分が書かなくても、良い教科書やWebサイトがあれば、できるだけ学生に配布した方が良いと感じた。講義もこれまではパワーポイントの共有だったり、メモをするために隙間のある要点だけの資料だった。それでは学生たちには不十分だったようだ。堅苦しいいかもしれないが、ちゃんとした教科書らしい文章を提示し、そこには適切なキーワードが含まれるべきなのだろう。すぐには改善できないかもしれないが、来年度の講義にはできるだけ文章を配布するようにしたい。今後自分が教科書を書く基礎となるような文章を書くようにしよう。基礎知識の教科書はたくさんあるのだから、考え方、哲学を語るようなそんな資料を作りたいと思った。
2023.01.26
少し前のことで、結局、書類選考を通らなかったのですが、選考委員長の先生(おそらく学科長)から書類の受領の連絡があった。一般に、受領連絡はないのが普通。連絡があっても、事務担当がいる場合である。この公募では、学科長の先生がメールをくれた。もちろん、コピー&ペーストで決まった文章を送ってきているとは思うのだが、わざわざ数十もある公募相手に出すのは大変であろう。でもその手間を惜しまず、連絡する姿は素晴らしい。公募を出す側は、書類を出してもちゃんと評価されているのか不安である。そもそも、受け取ってもらったのかもわからず、忘れた頃にお祈りメールが届くのである。そのため、自分も、基本的には投函した時点で、「忘れるようにしている」。そして次の公募を探して、そちらに気分を切り替えている。なので、受領連絡が来ると少し驚いてしまった。もう忘れようとしていたからだ。それにしても残念なら不採用であったが、こういった先生とは一緒に仕事をしたいものだ。現在の職場も採用担当の先生が手紙をくれたからこそ、今がある。自分も、もし採用に関わることがあったら、丁寧に受領連絡して、不採用には「お祈り」は書かず、期待に添えなかったことを応募件数や最終採用者の専門分野などを書いて出したいと思っている。論文数が足りなければ、そのこともちゃんと書きたいと思う。そんなことは一生で1回あるのだろうか?そんなことがあれば、このブログで書いていることも一部修正して、完全なる公募の裏側を1事例かもしれないけど詳細に書きたいものである。ーーー
2023.01.25
公募関連の話題かも知れない。任期制度は私も年齢的には、ない、大学に行きたいと思う。来年度の学科長が、私の前に採用された先生になることになった。あと1年任期制度が残っているはずだ。でも学科長は2,3年、たしか、3年は行うというルールになっていたと思う。もちろん、その先生の研究室のアクティビティがしっかりしており、定期的に論文を出しているから、「任用変更」「任期なし教員への変更」が可能だと明らかなのもあるかもしれない。しかし、結局、昇格に対しては厳しくしても、任期をしっかり守るというか、更新しないというのは日本の社会では難しいのかもしれない。当然、期限付きの予算によって採用された特任と呼ばれるポストは、その予算がなくなれば、当然雇用できないので、任期は切れる。プロジェクト予算の研究員も同様だ。ここでは正規の定員枠内で、競争化のために「任期を導入した」場合である。任期のある場合で、学科長にするということ自体が、「任期制度は形骸化していますよ」と言っている気がした。もし気になる大学があれば、全て任期制度があっても、数年で役職についている先生がいれば、「この大学の任期制度は形骸化されているかも」と思って良い気がした。今後、自分も参考にして、学科長などの略歴を見るようにしよう。ちなみに、これまで所属してきた大学では、1学科のところでは、学部長はやはり業績や実績にある先生が少し長い任期で仕事をされていました。小さい私立大学では、選挙もなく、経営者からの指名でファミリーに近い先生が長く学科長をされていました。現在の大学では、役職を皆嫌うので、内部で持ち回りという決まりを作っていて、年功序列で基本的に回そうと決まっています。なので、学科長をしているから偉いのかというと、、、そうでもないケースも多いようです。
2023.01.24
日本の生産性の議論で、やはり上の人達の問題が指摘されている。確かにそう思う。それは生産性だけの問題なのかはわからない。海外でも同じように、年配の人が発言して若い人が何もを言えないケースも多いと思う。ただ、アメリカなどでは若い人が発言する自由と権利があり、その習慣があるかもしれない。日本では、若い人が会議で話をすると目立つし、年配の先生が「昔も同じ議論があってね」といい出す始末だ。さて、学科会議で同じような状況があり、うーんと思って見ていた。現在、私は自分の関わる案件以外は、基本的に発言しないようにしている。若い人が本来議論すべきだと思うからだ。学科会議後に、若い人と同時に会議室を出たのだが、結局会話をせずに部屋まで戻った。若手教員は若手教員同士で話す。当たり前のことかもしれない。また、会議でほとんど発言しない私は彼から見れば「何もしない」問題のある教員の一人なのかもしれない。相談があれば、動くし、基本的に若い人が仕事をしやすいように裏で気をつかっているが、見えない。はっきりと「若い人に任せよう」「いいね」ということを言って応援すべきなのだろう。けれども、考えてみれば、私も若い時に、わざわざ上司に会議後に話かけることはなかった。何かお願いがあるときぐらいだ。問題と思うかは彼ら自身の判断であろう。それでも、やはり表立って若い人を守る発言をすべきかと、考えてしまった。
2023.01.23
数年前に、書いたことがちゃんと変化していて良かった。コンビニなどに売っているアンパンが4つはいったパック。トレーがゴミになって嫌で、ずっと購入していなかった。先日、セブンイレブンに寄ったら、4個入りを四角に並べて袋に入れていた。トレーが廃止されていたのだ。素晴らしい。物価、原材料価格の高騰からのコストダウンだったのかもしれないが、良くなった。ただ、袋止めシールという無駄なものもついている。これはいらないだろう。以前、アイリスオーヤマの社員は自社製品をずっと使ってフィードバックするという話を聞いたことがある。確かにあるべき姿だ。このアンパンを開発している会社は、食べないのかな。。こんな小さいあんパン、2個ぐらいすぐに食べてしまい、別に袋止めシールなど無くて折り返せる。そもそもトレー入りのときには誰も必要としていなかった。こんなシールはなくして、「環境を配慮してトレーを廃止しました」といったPRをすべきだと思う。話はずれるが、アイリスオーヤマの件は本当であれば、あるべき姿だと思う。自分が民間企業にいたとき、自社製品を使うことはなかった。それは高いからだ。自分が事業に関わっている商品でさえ、割引で買う方法がなかった。商品を愛さずに、売れるわけがない。さらに、ひどかったのは、自社買い推奨というのもあり、ときおり、「この商品を積極的にかって」という通知あった。バカバカしくて買わなかった。まずは社員に安く提供することでしょう。そのことでフィードバックを受けてより良くしていくことが本来の姿。大学も、本来は子供を入学させるぐらいであるべきですが、ほとんどの関係者の子供は他の大学に行きます。残念なことです。ーーー
2023.01.22
先日、他大学の近い分野の研究室を訪問した。知りたいというか使ってみたい装置があることを知ったので、知り合い経由でお願いしていた。年末からのお願いであったが、年明けに訪問することができた。やや分野が違うので接点のない先生であった。准教授で装置をメインに使っている先生ともお話できた。研究材料が違うのだが、見たい原理はほぼ同じで、同じ悩みを抱えていた。その装置でも100%解決することはないこともわかった。ここ数年、モヤモヤと一人だけで悩んでいたことが、ある程度正しい方向に進んでいることがわかって安心した。やはり一人では駄目だなと思いながら帰ってきた。研究室は複数の人数体制で、議論しながら磨き上げないと、良い成果に早いスピートでたどり着くことはできない。現在の自分の技術は過去の技術の再検討に近く、そろそろ限界に近づいている。もちろんその技術分野に限定すればそれなりのものである。しかし、例えば、馬から自動車に変わるような時代に、馬の技術を上げてもね。。帆船から蒸気機関に移行する時に、帆船の技術を上げてもね。。と言う感じである。もう現在では古くなりつつあるのを痛感していたので、相談できてよかった。軸足を決めるにはまだ次の技術がどれになるのか不明瞭であることもわかった。そして、企業が主体となっている勉強会もあるのも教えてもらった。しばらく考えて入るかどうか判断しよう。現在の職場環境とコロナ禍の影響で、ひとり行うことが増えたが、もう少しチームで研究できる体制を作らねばと、痛感した。紹介してくれた知り合い、対応してくれた先生に感謝の一日であった。
2023.01.21
学生にコロナ禍での社会変化やサービスの変化を書かせて、その上で、新しいサービスを提案するという課題をこの2年出している。学科をまたいだ教養科目での話である。単位を取得するのがメインであり、その専門領域に就職する人は少ないものだから、講義は聞きつつ、その領域への応用を少し想像してもらっている。アイデアを出すトレーニングの一つとして考えていますし、社会変化については就職活動でも質問されたり、レポートを書く機会があるのではと思っているからである。色々書いてくれるので面白い。その中で時々でてくるのが「巣ごもり需要」という言葉であった。もう完全な行動制限はなくなりつつあるので、関係ないかもしれないが、自分はどうだったかと考える。レポートの採点で学生には申し訳ないのだが、こういった社会変化に関しての採点は、どうしても自分の知識や経験とのギャップをどう評価するのか難しい。普通と私が思ってしまえば、評価が下がり気味だが、基本的に課題の意図を理解してしっかり書いてれば高い評価にするように気をつけている。さて、巣ごもり需要について自分の場合。結局、大学教員の生活そのものが、「巣ごもり」状態であり、特に変化がなかったのかと思った。もちろん、昼食などは、学食に行くのを止めてしまって、弁当や冷凍食品にシフトしたので、私自身の生活は変わった。でも新しいサービスを利用してるのはない(ウーバーイーツとかではない)。通勤は8割以上を自転車に変えてしまったのも一つの変化であるが、もともと自転車を使っていたので、新しく購入したわけではない。もちろん消耗品の減りは早くなり、タイヤを交換して、ワイヤー交換して、ブレーキシューも交換した。その意味では、購入率は高くなった。その他、特にない。確かに初年度は大学にいる時間が短くなったが、それは一時的なことであり、落ち着いたら「人に会わない」ので、一人で実験して、オンライン教材を作って、論文書いて、と自分のスペースに籠もっていた。そして、現在もこの籠もった生活はあまり変わらず、学生との連絡もメールやLINEになり、無理して対面では話をしない。しかし、結局、人との交流が最も大切だとわかったのがこのコロナ禍である。レポートの課題内容ではないのだが、「対面が大切」と転換している学生はほとんどいない。また別の課題でこの点は1年生の最初の出欠がわりに書かせても良いかもしれない。
2023.01.20
昨日、今年度最後と思っていた公募のお祈り手紙がとどいいていた。年明け〆切だったので、ちょうど2週間ほどであった。うーん、これも推測でしかないが、共通テストの準備もある中、書類選考して、面接の連絡をとって面接できたのだろうか?まあ仕方ない。そもそも12月末や1月に書類〆切で4月採用というのは、小回りのきく組織でないと無理だ。その意味ではなんとなく良いところかと思っていたが、残念。この半年、公募活動をしてきて色々と条件も見えてきた。何度も書いているが、公募を書類を出そうとしたり、出したりして、仕事の内容を想像してみる。そして、その地域での生活を想像してみる。現在、子供も心配だが、両親の老化が加速しているのが一番の心配だ。比較的近くにいても、現状は平日に様子を見に行くことはしていない。最悪の場合、実家から勤務しようと思って現在の職場を選んだ。しかし、この職場を去りたいと思うようになり、平日の両親の介護は諦めのも選択肢として入れるべきかと感じるようになった。そうでないと、少ない公募(マッチするものとして)なかでは、なかなか応募できるものがない。来年度の異動を目指して、先程マッチングメールの設定を変更した。週末に帰れる距離にした。もちろん日本中どこでも1日あれば戻ってこれるのだが、金曜日の夜に帰って、日曜の夜には職場に戻れる距離を考えて、設定変更した。また、勤務形態や職位なども選んで狭くしつつ、分野を指定しないという、これまでとは違う方向で設定してみた。年齢的には分野は限定されているはずなのだが、一応、新しい分野も現在勉強中なので、学内の紀要か、簡単な投稿でもいいので業績を出して挑戦したと思っている。なので、分野は指定しないで、可能性を広めてみた。最近、知り合いも同じように公募活動をしていると聞いて、大学選びも大変だなと思った。ひととのつながりで行くのが一番いいのかもしれないが、一方で、紹介を受けてしまうと辞めにくいとも言える。自分は常に公募なので、その点は気にせずに異動できる。それにしても、今回は失敗だったな。こんなことを笑い飛ばせるような、仕事のしやすい職場を探したい。ーーー
2023.01.20
博多でのストーカーによる殺人事件のニュースは心が痛い。警察がある程度どころか、すでに相談していたのにも関わらず、起きた。この「把握していた、直近では問題がなかった、死」というのは幼児虐待の構図と同じだと思ったのだ。アメリカの話としてよく聞く話なので本当かはどうか知らないが、女性がレイプされても、「命があってよかったね」と警察が言う。日本もだんだん、明確な殺傷でなければ、警察が動かない時代になったのか、それだけ犯罪の件数が増えているのだろうか?私も児童相談をして、この点をすでに感じていることは書いた。結局、重大でないと動かないのである。でも人の感情はいつ爆発するかわからない。小さいことの繰り返しで起きていくのだ。そして爆発して犯罪を犯すかどうかは、本人の制御に依存する。私はストレスがあるが、それが犯罪行動へつながらないと自分自身は思っている。常に反省することの対象は、「正義」からズレたときだ。正しい行動をしないと、結局何らかのことが自分に返ってきて反省する。嫌なこともたくさん起きる。だから嫌なことを起こさないために、できるだけ、正しいことをしようと思っている。さて、Apple WatchやiPhoneでは転倒などの衝撃により自動で緊急通報されるようになっている。だいぶ前だが、子供とバドミントンをしていて、終わったあとにiPhoneを見たら通報しようとしていた。結構無理な体勢でバドミントンをしていたのだろう。今回の博多の事件では、少なくとも被害者は倒されているようなので、その時点で自動に通報され、自動に本人の電話に着信するような仕組み、できれば着信音が鳴り、すぐに「なにかありましたか?と声がするような仕組み、さらには様子がわかるようなスピーカー機能などが必要な気がした。今回の事件ではボタンを押すと通報できる装置を持っていたらしい。でも作動させるようなゆとりや、兆候が無く、急に刺されたのだろう。一命を取り止めるために、何か新しい仕組みが必要であるように感じる。子どもたちも気楽に相談できるような仕組みが必要な気がする。子供の場合は本当に難しい。信頼関係であり、親は虐待していても、唯一の存在なので、なかなか疑問を持ちにくい。せめて保育園や幼稚園との連携や、学校などとの連携であろう。片親が比較的まともであれば、片親に通知できる仕組みは必要かもしれない。もしかしたらTVやゲームのキャラクターならば相談しやすいかもしれない。高齢者についても同じかも知れない。とにかく異常な転倒や動き(動かないも)を察知して、自動で通報する、それらを自動で追尾する、同時に呼びかけが行われる、などがあれば、ある程度の事件を減らせるのではないかと思うのだ。大手の通信会社など、子会社を作って社会貢献してくれないかな。もうこれ以上のデジタル化の技術はいらないから、こういった安全安心につながる技術、サービスを開発してほしい。その中で新しい技術ができるのは良いことだ。こんなことを考えると、自分の仕事はどんな役に立つのか、と、また考えてしまった。ーーー
2023.01.19
淡い期待を持っていた年度内の異動は、昨日ぐらいまでの連絡無しで、期待ゼロになった。そう、月曜日に感じた。何か、色々ストレスで、疲れを感じていて、メモをしながらその原因を考えていて気づいた。そうか、少なくとも1年現在の職場にいなければいけないのか。。。という事実を現実として感じたからだろう。冷静に考えても4月からの人事は1月に決まるというのはギリギリだろう。1月中旬に何も連絡がなければ、当然書類選考を通っていないと思える。(あくまでも勝手な想像であるが。。)この事実を現状は上手く受け入れられていなくストレスのようだ。何度も書いているが、一応、任期付きとはいえ、私はポストについている。そう考えると、恵まれており、ストレスを感じる必要もない。それは一つの側面だ。一方で、私も研究できる時間、大学で指導できる年数はもう数えるほどしかない。貴重な1年という気が、毎年毎年、高くなっていく。また1年、研究しにくい中で無理をするのか。困った上司の相手をあと1年するのか。などを考えるとストレスだ。これほどにストレスとは思っていなかったので、昨日は仕事が手につかず、本当に驚いた。一応、希望を持っていたのだろう。どうにかなるだろう、と。それなりに論文を書いているし、それなりに活動してきたし、それなりの大学に応募したはずだと。でも現実は、私の実力では、希望している大学の公募のトップ、もしくは書類選考に残る2,3人にも入れないということであろう。うーん。書類は悪くないと思うと、業績なのか。現在リバイス中の論文のアクセプトを待って、公募書類を出すべきかもしれない。それはともかく、何故か、他のことも色々嫌なことがあるものだから、あと1年居るのかという思いはかなりのストレスになっていることに気づいた。ポジティブに切り替えたい。公募は1年の違いで、希望の大学があったりするので、来年度からの公募に働きたい職場があることを願おう。現在無理して、無名の大学に出すよりも、半年待って、夏の公募シーズンに備えるべきであろう。とはいうものの、やはりしばらくは現実を受け入れるために時間が必要そうだ。これでリバイスが通らなかったら、かなりのストレスになりそうだ。。。ーーー
2023.01.17
自分は家に居たくないのもあるのもあり、、、というか仕事が終わらず、年末年始も大体働いていた。論文修正もあり、調査準備もあり、実験もあり、維持管理もあり、と、それなりにすることがある。で大学に来てみると、あまり人がいない。30日にも仕事をしていたが、同じフロアの9名ほどの先生には会わなかった。学生にも会わない。1/2は半日だったがやはりいなかった。3日なるとまあ数名の学生に会った。彼らはおそらく、実験生物の管理で来ていたのだろう。研究社会はブラックという印象もあるが、自分の興味で進めていることも大きい。正月のTVや動画などは、作業をしながらも確認できるだろう。そうならば、実験して、データを出して前に進みたい。個人や研究室のアクティビティを年末年始は表していると思う。自分は基準にならないが、やはり博士、修士では年末年始もだいぶ働いていた。大学生になると、親戚との新年会も面倒だし、お年玉がもらえるわけでもないので、研究していた方が良いというのもある。さて、現在の一番の違いは私立大学だからだ。そもそも、国公立は公務員として、仕事納めまでが勤務日だ。そして1/4から勤務。なので、休みは短い。一方、私立大学は12/25ごろから1/6ごろまで休みのところが多い。前後、2日ほど長いのである。もう一つは、卒業研究発表を12月としている所も多い。これは入試もあるという理由もありそうだ。しかし、入試は経験してわかるのだが、問題も早く作っていることもあり、当日は試験監督ぐらいだ。採点はマークシートになってしまっているので、機械だ。小さい私立大学にいたときには記述式だったので、採点は作問した先生方がその日のうちに採点した。3回確認して、間違いがないようにしていた。あとは判定会議だが、判定会議はボーダーをどこで切るかだけですので、上の方の成績はほとんど関係ない。合格者数をどこで決めるのか、点数差がでていれば、簡単に決まるのですが、ある程度人数がいると、ボーダーで人数差が激しくなり、それなりの意見がでます。それはともかく、1日でほとんど結果が出るのですし、前後の準備はありません。そう考えると、私立大学の入試が早いことと卒業研究発表を終わらせることには何も関係性が無いのです。しかし、私立大学では早い傾向にありました。結局、大学の先生があまり指導したくないのでしょうね。。。。そんな日程も、大学を選ぶ学生も、異動先の大学を選ぶ時にも確認する必要があると思います。私は、発表がしっかり行われているかは基準にしていましたが、日程は未確認でした。考えてみれば、発表したということさえも学科のページに書いていないのが現在の所属です。やはりある程度、人数やどんな内容だったのか代表的なテーマが書いてあるぐらいが良い大学のような気がします。大学の良さは総合的に評価すべきですけど、オープンにできない学科は統一性がないという気がします。現在の大学は中堅とは言えるのですが、やはりこういった対応ができていない学科も多く、少し将来の不安を感じます。研究成果を教育に還元してこそ、大学だと思うのです。そしてその発表内容などをみて来るような学生がいることによって、レベルが維持されると思うのです。公表しなければ、研究に関心のない学生が集まるだけです。現在は専門職大学、専門職短期大学ができましたので、教育を重視するのであれば、そういった大学に変更すべきでしょう。
2023.01.13
少し前のニュースで、査読偽装ということで、ニュースがあった。知り合いの先生を査読者として指定して、指定されたら、査読内容を自分の研究室で書き、それに返信するというのだ。論文のデータに捏造はないと言うが、公正性に欠ける話で、関与した人たちは重い処分をすべきであろう。某宇宙関連の研究では捏造があったと聞く。論文のリバイスに苦しむ話をずっと書いてきた。1年以上前から通らない論文があり、投稿先を変え、リバイスを続けている。その途中で別の論文を書いているものだから、大変な状況こともブログにしてきた。確かに査読者を選んだりできるのだが、基本的に、そもそも頭から否定する人を除いたり(研究のライバルグループ)、選ぶ場合は、引用してくれる海外の研究者を選ぶようにしている。国内で指定することは殆どない。それはともかく、1年も苦しんでいる自分から見ると、なんて安易な査読偽装だと思う。そもそもそういったことを行うという心の問題があるのだが、すでに書いてきた通り、査読コメントに対する対処方法をちゃんと教育すべきなのかもしれない。自分自身も良い結果が比較的多く、あまり査読の苦しみが無かった。一人で研究をしはじめて、やはりデータ不足の限界を指摘されると、もはや動きを取れず、苦しかった。データの必要性はわかる、でも、でも、今の立場ではできないのだ。どうしようもない苦しみを、科学の世界から突きつけられて、「そうなんですよ」と思いつつ、自分の立場を改善できない現実の苦しみの間に板挟みというか、解決できない、答えのないところに落とされた気分である。偽装している先生は、ある程度の立場で、相手もちゃんとした大学の人のような気がする。事前に読んでもらって、評価をもらったり、データを補ったり、色々できる立場にいるはずだ。それにも関わらず、しかも教授でこれ以上の出世が必要なのか? わけがわららない。交通事故のニュースではないが、かつては報道されなかった小さいことがニュースになるようになったのか、それとも捏造や偽装が増えてきたのか、、、増えていないことを願う。悪いことを考える人は少しはいるだろう。それを防止して、罰則を与える仕組みをしっかり作らねばならない。一方、捏造する人は若い人が多いのだが、追い込まれない環境づくりや、ちゃんとした査読の教育も必要かもしれない。大学の教員は、講義も素人、査読も素人なのである。方法論を学ぶことがない。ちゃんと作法を学ぶ必要があるのかもしれない。
2023.01.09
論文リバイスも、職場の環境も、家庭の環境もストレスである。これらが同時に重なると、精神的に不安定になる。以前、「ツレうつ」を読んでいて、何か書いてあったような気がして、探してみた。シリーズの「イグアナの嫁」に次のことが書かれていた。・その日あった良いことだけを書く日記、いいこと日記を書いた・寝る前にいいことだけを考えるこれを2週間くらい続けたらだんだん楽になってきた。というのである。確かに。まずは良いことを3つ書くことを心がけるようにした。その後、周囲、環境などへの感謝を探すようにした。そして、悪いことは紙に書いて保存しないようにして、その日に捨てるようにした。もとも、小学校ぐらいから日記を書く習慣があり、ずっと反省文みたいのを書いているのが現実だった。愚痴も書いていた。でも何も改善せずに、嫌な思い出を確認しているように思えた。悩みがあれば、紙に書く、というのはよく集中するための一つとして言われる。しかし、その方法には「保存しろ」とは書いていない。保存する場合、その悩みなど起きなかったということを確認するのに役立つことは、カーネギーや他の悩みの本にも書かれている。しかし、嫌なことを書くと記憶に残るので、メモ自体は保存する必要はない。私ももう残りの人生は明らかに、今まで生きてきた時間より短い。現役で働ける時間も短い。細かいことを反省して改善など考えるゆとりはない。良いこと、挑戦したいことをどんどんやっていく必要がある。その意味でも、良いこと、できたこと、感謝を記録していくことは非常に精神的に良かった。毎日書くことで、1年後には感謝も良いことも365個以上になるのだ。素晴らしい。できたことも書けば、自分の良いことも発見できるだろう。皆さんもぜひ。恩師が亡くなり、そろそろ1年ぐらいになる。お会いできず、何かメッセージもなく、喪失感があった。しかし、感謝をメモすることによって、研究分野のテーマや人間関係を残していただいていた事に強く感謝できるようになった。他にも多くの先生にお世話になっているのだが、やはり恩師の影響が大きいことにも気づいてきた。ウダウダ、ネガティブなことを考えるのではなく、できることをしなければ、この研究を進めなければ、学生を育てなければと前向きになってきた。それは愚痴を考える時間も短くなっていることでよく分かる。このままよい状態を続けていきたい。ーーー
2023.01.05
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