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「作る」と言う趣味ができなくなって久しいが「花を愛でる」という趣味は山から町に環境が変わって、目にする花も違いが出て散策するのも楽しかったりする。山の家は今時分だとドクダミが庭を占拠し始めている頃か。厄介な雑草のひとつでしかないドクダミ。抜いても抜いても毎年毎年生えてくるし、抜けば抜いたで臭いニオイをぷんぷんさせて。ドコに行っても生えていて、ドコでも邪魔扱いされていそうな感はある。日頃は見向きもしない花なのだけれど、いざ写真を撮ったら撮ったで意外に写真写りが良い花だったりする。八重のドクダミや五色ドクダミ(カメレオン)も当初見た時は珍しくて驚いたけれど、市販品だったりするので行くところに行けば見る事はできる。 五色ドクダミ【カメレオン】(相模原麻溝公園) posted by (C)くろすけcat 八重ドクダミ(元勤務先の庭) posted by (C)くろすけcat最近は、他の花の撮影をしながらドクダミの双子探しをするのがちょっとしたマイブームになっている。四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになれるとか願いが叶うとか言われたり、色柄ばかりの動物に突然変異の白(アルビノ種)が出れば縁起の良さを言ったりする。珍しいもの、滅多に見られないものに福があるとか縁起担ぎをするならばドクダミだって十分いけちゃうんじゃない♪と、思ったのが双子のドクダミ斑入りドクダミの双子なんて益々珍しいでしょ、2013年の5月に偶然みつけたのだけどね ふたご posted by (C)くろすけcat普通のドクダミならクローバー並みにそこいらじゅうで見る事ができる。この時期絶賛咲き出し中のドクダミの花・・・なかなか面白い。おまけに見つけ易いのだ、緑の葉の中にある白い総苞(花弁に見える部分)は目立つからね。でもね、いざ探してみるとドクダミの双子はなかなか見つからないのだ。ドコゾの誰かドクダミの双子見つけている人いないだろうか?ネット画像で探したらドクダミの双子撮影している方も存在した。 気長に探していればそのうち見つかるだろうと思っていた矢先の夜勤帰りの早朝、近所のアパートの敷地をちょいと覗けば!ボウボウに生えた庭の片隅に、ちょいと目をやったホンの数秒で見つけてしまった見つかるときは、こんなものだ。ふたご posted by (C)くろすけcat何かいい事あるかなぁ~
2019年05月30日

コンビニスイーツにはあまり関心は無かったものの目にしたシュークリームが、あまりにも美味しそうに見えたのは、こんがり焼き色の入ったシュー皮に粉糖がオシャレにもふりかけてあるせいだろう。思わず手を伸ばした。食べたら久しぶりにヒットしてしまった。120円(税抜)とお手頃価格なのもいけない。翌日には4個買ってたりする・・・どうやら気に入ってしまった様だ。私は気に入ったものは飽きるまで食べるのが常だったりする。 濃厚バニラカスタードのシュークリーム posted by (C)くろすけcat発売日が4月23日からとあった・・・よしよし、抜かりは無い。美味いもの、ハマってしまう様なお気に入りに出遇った時はその存在に気がつかなかった期間を惜しむ。おまけに期間限定ものや、コンビニで販売されるいつか消えてしまうかもしれないものは名残惜しさを抱いたまま販売が終わってしまう前に食せる限り食すべし本当なら、願わくばお気に入りの食べ物なんて私は出遇わない方が健康的で良い話なのだ。 何年か前にセブン限定でこのアイスが出た時にはありったけ買占めて食べまくった。このアイス夏の期間限定で2年位目にしていた。今年はあるかどうかわからない。販売を見かけてしまったらきっとまた買うのだろうなぁ・・・ さて、私は以前、某洋菓子メーカーでシュークリームを作っていた。当時、量産されるシュークリームの中じゃうちの会社が作るシュークリームが一番美味い!なんて思っていたけれど、作りたてを食べつけていたからであったからかもしれない。バニラビーンズたっぷりの濃厚カスタードクリームは絶品で皮から溢れ出る量のクリームは満足感たっぷりだった。久しぶりに食べたくなって店舗で買って食べてみれば当時に比べてだいぶクリームの味も落ちていてもうこの先買うこともないだろうと落胆したのが去年の冬。この所、シュークリームはスーパー、コンビニでしか買えないのに美味しいと思うものにはなかなか当たらなかった。やっぱり洋菓子店で買うのが一番なのかもしれないと思ってもいた。が、しかし出遇ってしまったものは仕方が無い。 濃厚バニラカスタードのシュークリーム posted by (C)くろすけcat丸金枠にエグロワイヤル使用と、ある何故か包装フイルムに金色が使ってあるだけで高級感が増す。ヨーロッパで修行して帰国したシェフとパティシエの声から生まれた。卵の風味のポイントとなる鶏の飼料に小麦粉やホエイを使い、ヨーロッパ風となるように配合。生臭みがなく、洋菓子やフランス料理などに向く卵として産まれた卵がエグロワイヤルシュー皮には発酵バターを使用。発酵バターと言うのはバターの原料となるクリームを乳酸菌によって半日以上発酵 この発酵によって、コクと特有の風味が増すのが特徴。 バター本来の甘い風味に、ヨーグルトのようなさわやかな酸味と特有の芳香がある 濃厚バニラカスタードのシュークリーム posted by (C)くろすけcat開封と共にプワぁ~と鼻孔にくすぐりをかける香しきバターの香りゴツゴツしたちょっと厚めの、ちょっと歯応え感じるほんのり塩気のある小振りのシュー皮にた~っぷり詰まったバニラビーンズ入り濃厚カスタードクリームかぶりつくなんて勿体無くて皮をちぎってクリームつけてはセコク食べる。クリームの甘さとシュー皮の塩みが相まってほんのり甘じょっぱさを感じる。コレがクセになってしまうのだろうか?直径8cm程のシュークリームは直ぐ消えて無くなる。この小ささに、1個では事足りず2個食べたくなる現象が押し寄せるのだ。全く・・・セブンイレブンも悪よのぉ
2019年05月20日

4日午前中、夫と同居する次男から連絡が入った。(只今、夫と別居中の私)「親父、入院だって。今手続き中 朝方、『動けない』って言って救急車呼んだ。 詳しく調べるから入院になった」血圧が高くなり、不整脈、めまいがして動けなくなった様でICU(集中治療室)入りして様子を見つつ検査を受けることになった。数日前から体調が優れないとか転職したいだの、自分の出生のことが知りたいなんてやたら弱気な連絡してきていた夫。単にかまってちゃんなヤツだと思っていたが、とうとう来るべき時が来てしまったか?!とも思った。 ヤマルリソウ【花言葉】家族への思い 日頃から不摂生で酒とタバコは止められない。タバコなんて私が嫌いでも、息子達が生まれても止めようとしなかった。夜勤して、帰宅したら飲酒は欠かさないし歳のせいだろう、アルコールの分解能力が低くなった様で出勤時に酒のニオイが残っていることが多くなった。妻子のことを考えてくれていないことを感じてからは私は夫に対して料理、掃除、洗濯・・・家事全般するのを止めた。お互い思う気持ちが無くなればそうなってくるものだろう。面倒くさがりな夫が自炊なんてするわけないし健康的な食生活を送っているとは思えない。会社の健康診断でどんな結果が出たかは知らないがそれを見て改善しようとか思うヤツではない。自分を大事に出来ない男が家族を大事に出来るワケもない。だからこういう場合になった時の保険にだって入ることもしなかった。(私は用心の為に安い保険には家族全員入れてはいる)家族に迷惑をかけたくなければ最低限のことはするものだろう。「死んだら灰にして海に撒いてくれ」なんて夫は簡単に言うけれど灰にするにも、海に撒くにも、あの世に行くのだって無料(タダ)じゃない。全部残された家族がやらなきゃならないのにナンの配慮も無い。カタチは家族であっても家族としての情はホントに薄いヤツだ。 タネツケバナ【花言葉】父の失策 で、救急車を呼んだ際『動けない』と言う話だったので、全く動けずにいて、救急隊の方が家から担架で運び出したのかと思ったら玄関の外で救急車が来るのを待っていたという夫。医師には悪い病気の前兆かもしれないと思われたらしくICUにまで入れて検査をしてくれていた様だが入院から退院まで5日だった。医師からの検査結果の話があるというのに「迷惑かけるだろうから来なくてもいい」と言う。入院の手続きから必要なものまで交通手段に手間のかかる次男にやって貰い、(山から病院までバス→電車→バス。次男、車無しでペーパードライバー)次男に連絡が取れなければ私のところに来るのだから妻子には十分迷惑はかけている。(家族なら迷惑なんて思わないハズだから、もうヤツとは家族ではないんだろうな)結局、自力で山の家に戻り、退院手続きは独りで済ませた夫。検査結果は夫の話によると、極度の脱水症状、ビタミン不足、貧血、過労、飲酒が重なって起きたもので悪性の病気は発見されなかったらしい。まぁ、何よりなのだろうけれど、結局不摂生による栄養不足なんじゃなかろうか。数日職場は休みを取ってから復帰したそうだが同じ事を繰り返せば、そのうち悪い病気にもなるのは目に見えている。離婚が叶うその日が来るまで夫には【摂生と節制】をして欲しいものだ。
2019年05月08日

5月2日午前、夫からメールが入る。体調が悪く、階段で嘔吐した何か食べたものに中ったのかもしれない。近所の診療所に行ったが、休診日少し元気になってきた、歳には勝てないね~仕方なく帰宅して、階段の掃除した。・・・みたいなどうも「心配してくれ」と言いたげな内容。軽くメールを返し、あえて電話は入れてやらない。 ムスカリ【花言葉】失望 しかし、午後またもや夫からのメールで憤慨した。「相談がある。この会社ほとほと嫌になった。 君の下で働けないだろうか? 歳の関係もあるだろうけど何でもする。 嫌な上司がいる」相変わらず他力本願なのにはうんざりする。女房の職場に来たがらなくたって、男だったら働き口くらい自分で探せばいいじゃない「勘弁してよ、いい歳こいて甘えてんじゃない!」いつも思う、お前はとりあえず戸籍上の夫というだけで、紙切れ1枚でつながっているだけの間柄私の親でもなければ、子供でもない、離婚したって、借金あっても慰謝料びた一文払えない奴がいつまでも世話を焼いて貰えるなんて思ったら大間違いだ。いささかぶち切れてメールを返した。 ヘンルーダ【花言葉】あなたを軽蔑する 私が今の職場に転職した一因に夫が同じ職場で働きだしたことがある。長年潰れかかった会社の社長という名前にしがみ付いていたがさすがに得るものが無くなって来た為、自分の会社の顧客だった工務店に営業で就職したものの何が気に入らなかったのか1~2ヶ月程で辞めてしまった。仕方が無いのでとりあえず私のパート先を紹介。私の夫だということもあり転職はスムーズだった。夫婦で同じ職場なら行きも帰りも世話が無い、と、安易に決めて後に後悔することになる。同僚から夫をネタにからかわれたり、注意されたり「職場では私と亭主は別ものだから、いちいち言ってこなくてい~から」そう言っても、私=夫の様な扱いをされる。 自分の行動でとやかく言われるのは良いけれど、 家庭でだって私が散々文句言ってるのに、勤め先に来てまで夫の行動ウンヌン言われるのは鬱陶しくて仕方ない。しまいには夫の存在が疎ましくなってきた。まぁ、私の転職理由はそれ以外にも色々あったが、転職した一因が夫にあることは本人に言ったつもりだった。おそらく無関心夫だから都合良く忘れているのだろう。 シモツケ【花言葉】無益 夫が本気で転職を考えているのなら大学だって卒業しているんだし、大型・自動二輪・一級船舶免許だって持ってるし、手先が器用でラジコン飛行機やら模型やら作るし、とりあえず会社経営しつつ営業までやってたんだし、手に職のない私に比べたら職域はめちゃくちゃ広いくせに面倒くさがりで安直に事を運びたがり、女房のケツばっかり追いかけることをして、男なら主体的に、先見性のある行為を少しは見せて欲しいものだ。誰が離婚を考えている夫を、定年まで世話になるつもりの職場に紹介するか。いまだに、「離婚されないだろう」と思っている様で腹が立つ。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● 会話好きの長男から見捨てられ、私とは夫婦でありながら夫扱いされず、同居人扱いだったのが別居状態になり、無口でマイペースな次男と二人暮らしで、おしゃべり夫のかまって病の発作現象だろうと推察する。・・・俗に言うヤツは「かまってちゃん男」なんじゃないかと思った。挙句にきたのが入院騒ぎだったのだ・・・
2019年05月04日

4月末頃、別居中の夫から「突然だけど急に自分の親のことが知りたい。何か知ってる?」なんてメールが届く。コイツ、還暦もとっくに過ぎた男が今更何言い出すんだと思った。 ウラシマソウ【花言葉】回想 夫は養子だ。夫が養子だということを知ることになったのは、私と結婚してから6年目だった。常識的に考えれば出生の秘密なのだから、育てた親から聞くのが当然な話だろう。なのに姑は夫よりも私に先に伝えたのである。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 事は嫁姑問題から始まる・・・長い話になる双方の親に交際を反対されて、駆落ちして、勝手に籍まで入れて自分の経営する会社の事務員だった出来の悪い田舎娘が最愛の一人息子の嫁になったって気に入られるワケがない。そもそも夫の家に入ることになったのは駆落ち先から流産しかかったお腹にいる長男を助けたいばかりの末の成り行きなのだから。結婚は家と家の結びつき。一人息子と一緒になった以上は嫁ぎ先の家風に慣れ、嫁として家や夫を支えていくのは当たり前。そんな考えの姑と、ハナからそんなことまで望みも考えもしていなかった私は厳しい姑の下で家事、子育てを続けていくのは日々針のムシロで、特に姑の言葉の暴力は、私を自己嫌悪の奈落に落とした。「あんたなんかに子供を育てる資格はない」「あんたの代わりに来る嫁はいくらでもいる」「あんたを見ていると象脚の母親を思い出す」ナドナド(もう30年以上前の話だから具体的には覚えていない。 コレに輪をかけた罵詈雑言を、私が失言、失敗する度に浴びせるのだ)挙句、耐え切れなくなって離婚覚悟で群馬の実家に帰った。「二度は許すけど三度目は無いから」脅しの様に姑に言われたが、三度(みたび)実家に帰ることになった。迎えに来た夫も頑なに離婚を決意した私に諦めの表情を見せた。日を改めて今度は、姑がどうしても聞いて欲しい話があると言ってやってきた。で、話し始めたのが夫の出生の秘密だった。 ヒマラヤユキノシタ【花言葉】秘めた感情「この事は墓場までもって行って、 けして口外すまいと決めていたことなんだけれど・・・ 実は息子は私の産んだ子供じゃないの」子供に恵まれなかった夫の両親は何かの伝手(つて)を使って、ある産婆がとり上げた赤ん坊を養子である記載が戸籍に残らないよう、養子を養親の「実子」として扱う縁組を行ったらしく夫の戸籍には養子という文字はどこにも無く故に、戸籍を見る機会があった夫もこれまで親子関係を疑うことなんて無かったそうだ。母親は若い看護婦で、父親は前途ある医師将来は結ばれる事の無い関係だったと・・・聞いた気がする。夫の生母から生まれて数日の子供を取りあげ、今、再びあなた(私)から二人の子供を取りあげることはできないと・・・聞いた気がする。親族も皆知っている話で息子にも本意ではないが話すつもり。同居が嫌ならあなた達ふたりとはもう一緒には暮らさないから、(その場凌ぎの嘘だった)子供達の為に戻ってきて欲しいと・・・聞いた気がする。(30年以上前の話。会話の詳しい内容まで覚えているワケ無い)所詮、私には血の繋がりの無い姑。夫と血の繋がりが有ろうと無かろうと関係ない話だ。ただ、自分が生んだ二人の息子には他人なのだと思った。この時ばかりは、あれだけ離婚を決意したのに血の繋がりを自ら断ち切ってはいけない、他人に我が子を任せてはいけないろくに子供の面倒も見ない夫を頼ってはいけない、そう考えて子供達の元に戻り、離婚は保留にした。しかし、話が事実であるならば痴呆症になった上に病死した舅はともかく、亡くなる前にきちんと息子に話をしなかった姑は、本当に無責任で嘘つきだと思う。私から自分が養子であることを聞いていながら姑に本当のことを聞く事もしなかった夫にも言ったことがある。自分の為だけではない、自分の息子二人の為に自分の本当のルーツを知り、伝えるべきことではないのかと。過去のことを知っている舅の親族は存命中だったし、姑の死後だっていくらでも聞くチャンスはあった。知っている限りのことで良いから早く教えて貰えば良いのに事あるごとに言ったが無関心を見せていた夫。『自分の親のことが知りたい』と、言ったのが20年近く経った今なのである。親戚付き合いも殆ど自分で絶ってきて、今になって存命している舅の兄弟姉妹がいるかどうかもわからない。それでも本当に知りたければ親戚に自ら連絡すればいい。私の胸の内ではもう親身になってやる関係は終わっている。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● そのメールが来る3~4日前からも別居中の夫からのメール連絡はあった。たいがい自分のことばかりの情けない連絡が多く、電話に出る事は極力避けるので、携帯メールになる。それでもゾンザイな扱いになる。今迄、無関心に扱われてきた長男からは「かまって欲しくなったんじゃないの?」とのご意見。同居の次男とは必要以上の会話は無いそうだし、子供よりも妻の方が大事だなんて口に出して言えるヤツだから所詮、父親にはなれない男なのは分かっていた。こんな身近な血の繋がりを大事にできなかった男が今更過去の血の繋がりを知ってどうするというのだ。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● しかし、この数日後またもしょうもないメールが届く。
2019年05月03日

当初私の腱鞘炎は、手根管症候群の痺れと強張りだけだった。今の職場に転職して5年目になる。転職前まではビーズ手芸が趣味で、丸一日やっていても飽きないくらいだったのに転職後手根管症候群で、手指の痺れと強張りが邪魔をして30分も続けてやっていられなくなった。手根管症候群は年齢的なものもあるのだろうと思っていたし、仕事による手の使い過ぎが加わって悪化したものだろう。しかし、去年でおそらく完全に閉経を迎えたが、驚いたのは手の強張りと痺れだけは残っているもののいつの間にか寝起きに起こる指の痛烈な痛みが無くなった。 「痛たたた・・・」と、いう声を上げながら目覚めることが無くなったのだ。なのに、1年程前からバネ指とドケルバン病(狭窄性腱鞘炎)が併発した。(おまけの様に去年の夏からブシャール結節発症)今年に入ってから親指から手首にかけての痛みは日増しに強くなりまた 「痛たたた・・・」と、いう声を上げながら目覚めることが増えてきた。私の職場での作業は単独仕事で日常的に5日間、手や指先に力が加わる仕事が行われている。それに加えて、1年程前からある出来事が理由で機械作業だったものを、手作業に変え行われていたそれも平然と一人の人間(私)に行わせている。ローテーションさせるでもなく、仕事を分けるでもなく、現場の人間の作業内容なんて上の社員は少しも把握していないし、現場担当の社員はできると思えば気遣いも無い。 (心の中で「誰か早く気がつけよ」と思う。「私の手が、心が頑張り過ぎて悲鳴をあげているのが分からない?! 会社の為だけに手を酷使してるんだからね!」 我慢強いつもりだけれど、堪忍袋の緒が切れちゃったらどうするの!)今後のことを考えると自分が病院に行って、たとえステロイド剤で一時病状が良くなっても作業内容を変え、 改善して貰ってからでないと、病院に行ってもまたぶり返すし、意味が無いと思った。 行動力 【花言葉】 タイム(ジャコウソウ) イチローの引退ニュースが流れた日手首が軋む音が聞こえてきた・・・腱鞘炎の痛みをこれ以上にしない為、無理して重いものを持つのは少しでも止めようと思って気遣ってもくれない同じ部所の社員に言った。「腱鞘炎になったので、もう荷物の上げ下ろしは無理です。 誰かにお願いできますか?」快く引き受けてくれた社員は、代わりに外国人男性に依頼する。(な~んだ、頼めば代わりにやれるパートがいるんじゃない 我慢してやらなきゃ良かったなぁ・・・と内心思う)新元号が明日発表されるという日の前日部所の係長に手作業から機械作業に変えて貰う様ある言葉を付け加えて再び頼む「このままだと労災になるかもしれません」認定条件が当てはまれば腱鞘炎は労災になるというのを知った上だ。(私は労働日記もつけてるし、労働基準監督署に相談しても労災扱いして貰える気は満々だった)機械作業への申請をして2週間、連絡も変わる様子も無い。改善を期待して病院にも行かないで痛いの我慢して毎日作業してるのに、全く会社ってトコロは縦のものを横にするだけのことにどんだけ時間をかけるんだろう。「今の部所で作業ができないなら他の部所にまわせばいい」なんて話が出たと聞いた。(「腱鞘炎を舐めんなよ!」と憤怒した。単純な作業ほどやり難い、動かす角度によって激痛が走る作業服に着替えるのだって、髪の毛は縛れない、ズボンの上げ下げは必死だし。ハサミは握れないし、包丁握って切れない、剥けない、現場の労働者の苦労なんて分かってない上に腱鞘炎も知らないヤツに言われたくない!!とか思った。)更に、総務課に電話して聞いてみた。「腱鞘炎になってしまったのですが 労災扱いしていただけるのでしょうか?」翌日、改めて労災担当らしき人物から電話が来る。「どういった仕事で腱鞘炎になったのか現場が見たい。 もし病院に行くなら自分も一緒について行くので 日が決まったら教えて下さい」とのこと。腹の虫が治まらなかったので、長年の鬱憤も追加して工場長に(打ち首覚悟で)便箋に7枚綴りの直訴状まで書いた。(もっと書きたかったけど字が見られたものじゃなくなってきたから7枚。 それでも1枚無理して追加した)で、労災担当の社員が来たら、工場長に渡して貰うことにした。労災担当者は私が夜の作業を始めると暫くしてやってきた。私と同じ入社年数だという若い社員だった。笑えたのは神妙な顔つきで、無災害日数を表示したゼッケンを身体の前後に着けていたことで、腹立ちながらも内心笑いが込み上げていた。私 「そんなに労災記録伸ばしたいものなんですか?」社員「そうですね、もう少しで一年なんですよ。 これまで365日無災害だったこと無いんです」私 「ふ~ん、私が記録更新止めちゃうかもしれないから どんな作業してるのか様子見に来たんだ」確かに、職場でケガやら病気は起こらない方が良いに決まっている。私だって今任されている仕事は大好きだから労災にするのも本意ではない。単にもっと無駄の無いやり易い作業にできるのに気づいてもくれない、やらせてもくれないのに腹がたっているだけだ。私 「腱鞘炎の労災認定って難しいの?」社員「立証するのは大変だと思いますよ」(『立証』なんて言葉、司法の勉強している長男の口以外から 初めて聞いた。内心「立証できるかもよ」と言いたかったけど) とりあえず言えるだけの文句を言ってやってる作業を実際やって貰ったり、工場長への手紙を渡し『労災にするつもりはないですから』と付け加えたら安心した様に帰って行った。 希望の実現【花言葉】ペンタス 我が職場に限らず食品を扱う会社は労災と回収は避けたいもの、あってはならないことだろう。そもそも機械作業から手作業になったのは回収する製品の製造を避けたいことから始まった。しかし、同じ作業を過去手作業で行われていた時、手や身体の不調を訴えて、辞めていったパートがどれだけいたかわかっているのだろうか?若い外国人の働き手が続々と入社してくる中日本人のひとりのオバサンが労災騒ぎを起こしても「辞めてくれていい、代わりはいくらでもいるから」なんて、思われているのだったらホントに労災の話にもっていこうかとも思ったけれど。そこまで酷い会社ではなかったことに安堵した。その後、手作業から機械作業にかわることに決まってやっと、病院行った後も安心して作業できる状態をつくれたから医師に診て貰うことが可能になったのだ。ビーズ手芸が出来なくなってしまった今、残ったのは花を愛で撮影する楽しみとどれだけ効率的に失敗無く自分の任された仕事ができるかが趣味となっている私である。
2019年05月02日

世間では平成から令和に改元されると賑わう本日やっと、病院に来ることができる状況になって私は夜勤の出勤を前に整形外科の待合室にいた。両手が手根管症候群をベースに右手親指がドケルバン病、中指がバネ指左手中指がブシャール結節というのは、自己診断ではある。手の病の四重苦にさらされて、右手親指においてはさすがに親指から手首への痛みの我慢が限界まで達したのでお医者の診断とやることは目に見えていたものの痛みを和らげるには薬に頼るしかないと決断した末の来院だ。運が良かったのか、掛かりつけの整形外科で手の外来がこの春から始まって専門医に診て貰えることになった。医師「いつから痛む様になったのですか?」私 「左中指は去年の夏からで、右親指は今年に入ってから、 右中指はここ2~3ヶ月で、動かす加減で痛かったりします」医師が苦笑いしながら言う。医師「今迄一度も診察受けなかったんですか?」(「もっと早く来ないとどうなっても知らない」と付け加えたいのは分かる)私 「私、痛いの我慢できちゃうし、してしまうので 今頃になってしまいました」テヘッ(「我慢は良い事じゃないぞ」と言いたいのも分かる)案の定、診察後いつも通り最初は両手のレントゲン撮影、診断、治療と続く。以前、手根管症候群でレントゲンを撮ったものがあったので比較することができて見比べた医師から医師「骨の変形がありますね、左中指はブシャールですね」私 「あぁ・・・やっぱり」医師「腱鞘炎!手の使い過ぎで間違いないですね」(痛いの我慢してまで使っているんだから使い過ぎに違いない。問診表に「使い過ぎ?」なんて書いたものだからその返事をくれたものだと思った) 双方の中指には動きの制限があるけれど痛みがそれ程でもなくなってきている、処置されたのは労災とも言える親指の腱鞘炎のみ。これまで湿布で誤魔化してはいたが最近は、何もしなくても手首から肘にかけての筋まで痛くなってる。いつも通りステロイド薬の腱鞘内注射をすることになる。(ステロイド剤なんてやたら使えない強い薬だ。痛いところが痛くなくなれば、あとは薬が効いてるうちに自分で養生するしかない) 看護師「本当なら冷やしてはダメなんですが、少し痛みが和らぐので 手首冷やしておくといいですよ」と看護師から小さな保冷剤を渡された。手首の注射ってそんなに痛いものだっけ?医師「痛いのは平気だったんですよね。注射、打ちますよ」親指の延長手首にブッツリ針が垂直に入る。医師「カタッ」思わず医師から出た言葉。私の手首はかなり硬かった様である。痛いのに強いワケじゃなく、我慢強いってのがホントのとこ。痛いものはイタイけど、出産の時を考えたら蚊に刺されたくらいじゃんとか思ったりもする。この薬がどう効いてくれるのか期待したいところだ。 紫陽花【花言葉】辛抱強さ posted by (C)くろすけcatそもそも、それまで手根管症候群の痺れとブシャール結節の痛みだけだったのにバネ指とドケルバン病が併発したのは、勤め先での機械作業だったものが、手作業に変えられたまま半年以上、一年近くも続いているのが原因だと思っている。自分が病院に行っても、このまま作業内容を変えて貰わなければたとえ薬で一時病状が良くなっても、またぶり返すに違いないと思った。今後のことを考えたって、私と同じ仕事を行う人の身体に負担がかからぬ様、どうしたって改善して貰ってからでないと、病院に行っても意味が無いと思い労災騒ぎまで起こしていた私だった。 (後半へ続く) マメグンバイナズナ【花言葉】頑張って posted by (C)くろすけcat
2019年05月01日
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