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はるかへとうちゃんより昨日、JRに乗ってある会社の工場をアルジェリアから来たお客さんと訪問してきた。その時、駅でエスカレーターを使ったんだけど、そのお客さんは右側に乗って平気なんやなあ。東京ではエスカレーターには左側に乗るよね。アルジェリアでエスカレーターにどう乗るのが普通なのか、アルジェリアにエスカレーターがあるのかないのか、とうちゃんは知らない。たとえ、アルジェリアではエスカレーターの右側に乗るのが普通だとしても、東京では違うってことは周りの人の動き方を見ていたら気づくはずやよね。目をきょろきょろさせて周囲に注意を払っているかどうか。そこが分かれ目。エスカレーターの乗り方は、その象徴やね。
2006年01月31日
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はるかへとうちゃんより土曜日にキディランドで並んでいたときに、ずるずるとカバンを引きずっている人がいた。二十歳くらいの人。以前、ガラガラ引くのはカッコワルイって書いたことがあるけれど、今回は別のことを思った。ずるずるかばんを引きずる人は、何でも他人に頼る人で、すぐに楽をしたいと考える人なんとちゃうかなあっていうこと。人間っちゅうのはつらくてもさぶくても 自分の日本の足で立たんとあかんのやで。せやのに、なんでもかんでも楽なことばかりやろうなんて考えててどうすんねん?! と勝手に思いをめぐらせてしまった。
2006年01月30日
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はるかへとうちゃんより昨日の朝はさぶかったなあ。8時過ぎからキディランドで2時間近く並んだもんなあ。で、昨日何回ありがとうって言うたかなあ?キディランドから帰るまでの間だけで、こんな場面があったなあ。●キディランドで働いている人が、開店前に並んでいる遥たちに 使い捨てカイロをくれはったよね。 その時に、遥はだまってもらってたのをとうちゃんは見逃さなかったで。 ありがとうといえないのは、言葉の問題じゃない。 感謝の気持ちがないからやで。●キディランドでたまごっちを買ったとき。 お金を払って、商品とおつりをもらったときには、ありがとうって言うよね。●そして、そして、一人で買いに行ってもいいのに、ついて行ってくれた とうちゃんに対して。 ま、後で聞いたら、ママには一人で行くって言ったのに、ママが 最近は危ないからってついて行ってもらえって言ったらしいけど。毎日、その日にありがとうって何回言ったか数えてみるのもええかもねえ。
2006年01月29日
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はるかへとうちゃんより歯の矯正、遥も自分で言うてたけれど、だいぶ歯並びが変わってきたね。「点滴岩をもうがつ」(雨だれ岩をもうがつ、とも言うみたい)岩の上に水滴が落ちている様子を思い浮かべよう。一滴一滴は大したことがないように思えても、長い間にはその岩に穴が開いてしまう、ということ。少しずつでも努力すると変わってくる、ということ。
2006年01月28日
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はるかへとうちゃんより今朝はちょっと疲れていて普段よりも1時間も遅く起きた。(寝るのが1時半とか2時で7時前に起きるのが続くとちょっとつらい。)1時間遅く起きても、会社には余裕をもって間に合うので、安心して寝ていられる。何が言いたいかわかった?そう。余裕のある予定を立てようということ。余裕を持って行動しようということ。少しも予備のない予定を立てていると、ちょっと狂うと挽回ができなるで。 挽回しようと思うとどこかにひずみが出てきて、逆に別のところで問題が起こったりするで。1週間でここまで問題集をやろうと思ったときに、1週間の最後の最後でそこまでいくような予定を立てていると、途中で急に病気になったり、急に用事ができると予定通り終わらなくなるで。早めに終わるように予定を立てていてその通りに終わったら、残りは遊びに使えるし、次の週の分をやることもできる。次の週の分を早めに始めたら、またその分余裕が出来る。
2006年01月27日
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はるかへとうちゃんよりいきなり、「人生は短い」なんて言われても、10歳の遥には実感はないよねえ。とうちゃんもそうやったもん。(って、10歳の時にそんなことを言われたことはないけど。)でも、考えてみ。1日24時間しかなくて、その1日は気がつくと終わってしまってない?もうじき、今年も1/12が終わりやで。で、今日、言いたかったのは、人生は短い。だから、いろんなことに首を突っ込んでいる暇はない、ということではなくて、人生は短い。だから、人に勧められたことはやってみよう、人に勧められた本は読んでみよう、人に勧められたところには行ってみよう、ということ。なんでかっていうと、自分でいろんな本をどんどん読んだり、いろんなところに行ったり、そんなことをし尽くせるほど、人生は長くはないから。
2006年01月26日
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はるかへとうちゃんよりパニクっているときとか問題に直面しているときに素顔が出やすいのはなんでかわかった?余裕があると出かけるときでも化粧が出来る。でも、寝てて「火事だ!」って言われたら、そんな余裕はないよね。「(ほんまは違うんだけど)こう見せよう」「こう言っておこう」と普段はそうできていても、余裕がない時にはそういうとりつくろいができなくなることが多いんやな。感情的になったり、何かの拍子にふっと出た言葉や行動にその人の素顔が出るで。逆に言うと、自分でも気づいてなかった素顔がそういった場面で出て、気づけるということもあるってこっちゃな。
2006年01月25日
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はるかへとうちゃんよりその人の素(す)が一番よくでるのってどんなときやと思う?その人の真価が問われる時っていってもええかもしれない。いろんな場面で、その人の素顔は見えてくるんだけど、パニクッっている時、大変な時に一番よく見えるで。それは二通りあるで。・Aさん自身がパニクッている時、Aさん自身が大変な目に あっている時のAさんの行動からAさんの素顔が見える。・Aさんがパニクッている時、Aさんが大変な目にあっている 時のBさんのAさんへの態度をみると、Bさんの素顔が見える。Aさんがつらい目にあっている時に、Bさん、Cさんーーーの態度をみてるとようわかんでえ。普段言っていることや普段の態度がほんまもんやったかどうか。Aさんが遥の時もあれば、Bさんが遥の時もあるで。
2006年01月24日
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はるかへとうちゃんより昨日は寝る前に宿題をやっていなかったのを思い出して何やらやり始めてたねえ。(とうちゃんが小学生の頃だったら、もう今から宿題をやるのはめんどうなので、明日先生にちょっと叱られたらいいだけだと思って、やらなかったと思う。 その分遥はえらいんだけどな。)遥はすぐに忘れてしまうので、復習のためにここにも書いておこう。宿題を忘れるのはこれが初めてじゃなくてよくあることやよね。てっきりとうちゃんは、宿題を覚えて帰ってきてそれを忘れているのかと思っていた。なんと、ちゃんと連絡帳に書いてあるんや。それならどうしたらええ?その連絡帳を見ればええだけやよね。それを寝る前に見ているから、寝る前に宿題があったことに気づく。それならどうしたらええ?連絡帳を見る時間を変えればええだけの話やよね。それを忘れないように、机の前やトイレに、「帰ったらすぐに連絡帳を見る」って書いておこう。って、言うたつもりやったんやけど、さっき、トイレに入ったら、「月曜日は何時から宿題をやる。火曜日は何時から宿題をやる。----」って書いたメモが貼ってあったで。人の話はしっかり聞こう。
2006年01月23日
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はるかへとうちゃんより「もう、五年生の漢字がでてきちゃった」って言ったよね。その時に説明したけれど、 この漢字は4年生で、この漢字は5年生で、 なんてあほな役人が 勝手に決めただけ。 気にすることはない。 今5年生の漢字はとうちゃんのころは3年生とか4年生で習っていた かもしれない。そんな、誰かが勝手に作った枠なんて気にせずに行動しよう。4年生だから、5年生だから、なんて気にしない。男の子だから、女の子だから、なんて気にしない。「○○だから」と言われていること、思っていること、を一度疑ってみよう。もちろん、例外はあるよ。たとえば、子供だからやっちゃいけない、っていうこと。お酒を飲んじゃいけないとか。そういう例外を、「じゃあ、こういうのはどうなの?」っていうのは「重箱の隅をつつく」というんやで。それから、クラスの他の人ができない、やってないことをするっていうのは、ちょっとうれしくない?うれしくないなら、うれしいと思うようになってちょうだい。
2006年01月22日
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はるかへとうちゃんより19日の日記の最後に、 何かあったときに、まずは「自分に非があった」というところから スタートしよう。って書いたよね。自分以外の人やものが原因でこうなった、って思うと楽ちんやよね。人のせい、天気のせい、目覚まし時計のせい、電車が遅れたせい。。。でも、それじゃあ、いつまで経っても遥は成長せえへんよね。・目覚まし時計が鳴らなかったので、寝坊しました。 → 寝る前にちゃんと時計を点検しなかった自分が悪い。 目覚まし時計に頼らないと起きられない自分が悪い。・電車が遅れたせいで遅刻した。 → 少々遅れても遅刻しないだけの余裕を持って出発しなかった 自分が悪い。 明日からは、もっと早く家を出よう。・遊ぼうっていう約束をしていた友だちが、他の友だちと遊びに行った。 → その友だちよりも自分と遊びたいと思わせられなかった自分が 悪い。 魅力がなかった自分が悪い。 もっと魅力ある人間になろう。・あいつ、だましやがった。 → だまされた自分が悪い。 今度からだまされないように注意しよう。こんな風に考えた方が、ええんちゃう?
2006年01月21日
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はるかへとうちゃんよりおとといの日記で緊急停止ボタン が押されて地下鉄が止まったことを話したよね。ドアにハンドバッグをはさんだままで走った時に、緊急停止ボタンを押したのは正解やろうか?ということを、その地下鉄が止まっている間に考えていた。遥はどう思う?正解はないと思うので、自分で好きなように考えてみ。挟まれている物が、ハンドバッグじゃなかったらどうやろう?こういうことが起こっているから、ボタンを押して止めた方がいい。こういうことが起こっているけれど、ボタンを押して止める必要はない。考えた上で、押さない、 とか押す、 とか 決めて行動してるならええと思うよ。それなら、もし、間違っていても、次の時に修正できるよね。押すにせよ、押さないにせよ 何も考えずにそうしているのはあかんな。で、今回の場合は、とうちゃんは、 押さない方がよかったんじゃないかなあって思った。ハンドバッグなら次の駅でドアが開いたときに取って駅員さんに渡してもよかったんじゃないかなあってね。
2006年01月20日
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はるかへとうちゃんよりライブドアのニュースは知ってるかなあ?1年ほど前、ライブドアとフジテレビがニュースになっていた頃にこんなことをとうちゃんは書いた。「よわいものいじめはかっこわるい」(05年2月20日)「正しければ なんでもええんか?」(05年2月21日)今回も、そんなことが起こっていないか、よーく見ておくとええで。もちろん、法律に反することをしていたのなら、それはいけないこと。でも、法律に違反したこととそれ以外のことをミックスしておもしろおかしく書きたてたりするのは、「かっこよく生きよう」とは反するよな。相手が弱くなると、「俺も前からおかしいと思っていた」なんて言うやつがおるけど、『おかしいと思ってたら、もっと前に言わんかい!』ってとこやね。それができないなら、「社会の木鐸(ぼくたく)」なんて偉そうなことを言うなっちゅうねん。 「社会の木鐸」の意味がわからなかったら、辞書で調べるか、 塾の先生に聞いてみ。そうそう。それから、これからのニュースや雑誌の記事で、「だまされた」とか「彼のせいで損をした」とかいうようなものもきっと出てくると思う。マスコミがはやしたてて、そのはやしたてたことに対して自分の頭で考えずにおどらされて、欲に目がくらんで行動したにもかかわらず、さも、自分は悪くなくて、自分以外の誰かが悪いというようないい方をする人がきっと出てくる。そんなかっこ悪い人間にはならないようにしよう。何かあったときに、まずは「自分に非があった」というところからスタートしよう。
2006年01月19日
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はるかへとうちゃんより「お客様のお荷物がドアに挟まっておりましたため緊急停止いたしました。ご迷惑をお掛けしております。」今朝、地下鉄でこんなアナウンスが流れた。途中の駅を出てすぐのところで5分くらい止まっていた。このアナウンスを聞くと、「なんやそのお客さん、ちゃんと荷物に気をつけとかんかいな。迷惑やなあ。」って思わない?でも、とうちゃんは知っている。「先程の駅で降りたお客様のお荷物がドアに挟まっていたのに気づかずに発車させてしまいました。 このため、緊急停止いたしました。ご迷惑をお掛けしております。」本当のところはこんな感じだったことを。とうちゃんが乗っていた車輌で起こったことだから。多分、その人は席で居眠りしていたかぼーっとしてはったんやろうなあ。ある駅で、ドアが閉まりそうになってから、あわてて飛び降りようとしはった。からだが挟まれながら脱出。しかし、荷物(ハンドバッグ)は挟まれたまま。引き抜こうとしてたところを、地下鉄は走り出してしまった。ずっとハンドバッグを持っていて引きずられるわけにもいかないので手を離した。最初に書いたようなアナウンスをした車掌さんは、そのことに気づいていなかったので、あんなアナウンスになったんだろう。気づいていたら、発車してないもんね。わざとじゃないにしても、あのアナウンスだけを聞いた人はきっと誤解するよね。そして、普段の生活の中で、「わざと」そういうような言い方をする人はたくさんいる。だまされないように気をつけよう。わざとじゃないにしても、そんな言い方をしないようにしよう。
2006年01月18日
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はるかへとうちゃんより・これまではご飯を食べるときに、だまって食べていたけれど、 自分がご飯を作るようになったら、子供達が黙って食べるていると 「おいしいかおいしくないかくらい言え」と思う気持ちがよく わかった。・自分がたばこを吸わないようになると、自分が吸っていたときには 周りの人がどんなに迷惑に思っていたかが実感できた。・自分が「当たり前」と思っていたことも、自分が立場を変えてみたら、 ぜんぜん「当たり前」じゃなくなった。去年の9月20日の日記で少し書いた中尾英司さんがmixiっていうネットの広場みたいなところで書いてはった日記にこんなことが書いてあった。そうだ!いつも自分がやっていることじゃなくて、いつも自分がやってもらっていることを、自分がやる方になって、やってみたらええねんな。そしたら、普段は見えない世界も見えてくるで。たまには、先生役をしてみるとか。たまには、洗濯をしてみるとか。たまには、会社に行ってみるとか。たまには、マンションの管理人をやってみるとか。昨日も今日も他の人が言った言葉をまとめただけやなあ。でも、それもエッセンスはなんやろうかと考えて、とうちゃんなりの理解をしてるんやで。そういうプロセスを経ると、少しは自分のものになってくる。エッセンスはなんやろう?って考えることで頭の中にも残りやすくなるしね。(と、「間違いノート」作りの宣伝。)
2006年01月17日
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はるかへとうちゃんより「絶対無理!」というけれど、おまえは神か?!12日の木曜日に下川さんの話の中で聞いた言葉。だいたいの意味しか覚えてないので、細かな表現は違うと思うけど。何かをやろうとした時に、「それは絶対無理や」っていうやつに対しては、「やりもせんで、ごちゃごちゃ言うな。やってないのに絶対無理やで!と言えるお前は神さんか?!」ってこっちゃな。この言葉を使うべき相手は、ほんまは他人じゃない。自分に対してやろうなあ。
2006年01月16日
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はるかとうちゃんより今日はええ天気やったなあ。あったかくて春かと思うほどやった。そんなに天気がよくて、外を歩いていると気持ちもいいのに、遥は学校の勉強、とうちゃんもフランス語の勉強で外に出られへんかったなあ。勉強ばっかりやってんとこんなええ天気の日には街に出よう!という選択肢もあるし、それでもやっぱり予定通り勉強しなくちゃという選択肢もあるよね。もちろん、今日みたいな日に街をぶらぶら歩くのはとっても気持ちのいいことだけど、二度と来ない大事な今日という日を使うのに、どういう風に使うのが一番いいのか? ということがどちらを選ぶのか、またはその他の過ごし方を選ぶのか?の決め手になるんやろうな。どちらを選ぶにしても、人に言われてやるんじゃなくて、また、なんとなくずるずるとやるんじゃなくて、いくつもある選択肢の中から、自分で考えて「選ぶ」ことが大切やで。昨日観た「ドラゴン桜」最終回のDVDで桜木先生が言うてたことを覚えてる?テストは正解がひとつだけど人生には正解はいくつもあるって。東大にはいるのも正解、音楽をやるのも正解ーーーーって。いろんな正解があるってことは、どれが不正解かってわかりにくいってことでもあるよね。でも、ひとつ確実な「不正解」は、自分で考えて自分で決めたんじゃない場合やと思うで。
2006年01月15日
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はるかへとうちゃんより野洲高校っていう学校がサッカーで優勝したね。とうちゃんはいっこも試合を観てなかったので、決勝戦の次の日の朝刊で記事を読んだだけ。それによると、野洲高校のサッカーはパスがうまくておもしろいらしい。どうやら、他の多くの高校のサッカーとは違うんやって。そして、野洲高校のサッカー部の監督さんはサッカーの経験者ではない。お正月の大会では勝ったけど、その前の大会では負けてたらしい。すると、周りの人や関係のない人たちは、「やっぱりサッカーをやったことのない監督はだめなんだ」とか「パスばっかり練習してるからだ」とか悪口を人が多かったらしい。そう。今朝 叱ったときの話にここでつながってくる。悪口を言われたり、文句を言われたりして、「くそ!」って思ったときに、言い返してもなんにもならない。くそ!って思ったら、悪口を言った人がぎゃふんと言うくらいの成績を残せばいい話だし、それでしか相手を黙らせることはでけへんで。
2006年01月14日
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はるかへとうちゃんより今年やりたいこと、やってみたいことはいくつか考えた?年末にこうなっていたいなあって思うこと。去年と同じ事をしてるだけじゃあ進歩がないし変わることもないよねえ。かといって、がらっと変えることもなかなかむずかしい。ほんの少しでええから、これまでできなかったことや、自分で「そら 無理やでえ」って思っていたことをやってみよう。むずかしいことでなくていいから、簡単にできることから手をつけると「お、できるやん」 「もうちょっとやってみよう」って思えるんちゃう?「ほんのちょっと」は実は、すごい変化の始まりで、きっと、「ほんのちょっと」は「ほんのちょっと」では終われへんで。と、いうようなことをとうちゃん自身が考えた。
2006年01月13日
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はるかへとうちゃんよりあきらめることはいつでもできる続けることは今しかできない今日、会社を途中で抜け出して下川さんっていう人の話を聞いてきた。とうちゃんがこないだ買うた手帳を作った人。いくつもおもろい話や参考になる話があったのでまた話すけど、配られた瞬間に、「あ、今日のネタにさせてもらお」って思ったのが、最初に書いた言葉。しんどくって、つらくって、遊びたくって、何かをやめたくなったときに、この言葉を思い出して、もうちょっとがんばろうと思おう。ちなみに、ええなあって思った言葉ややりたいって思った目標は自分で紙に書いたり、しょっちゅう目にするようにしておくとええみたいやで。途中っていうても、19時から21時半頃までやから昼間に仕事をサボって行ったわけじゃないからな。
2006年01月12日
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はるかへとうちゃんよりおいしいときはおいしいと言おう。たとえおいしくなくても、おいしくないという方が何も言わないよりもずっとええなあ。今日、会社の人たちとご飯を食べていて思ったこと。今日は、会社の人や以前同じ会社にいた人数人といっしょにご飯を食べた。とうちゃんが、ここいいですよって勧めて予約したお店。みんな久しぶりで話が弾んだということもあるんだけれど、誰も、この料理おいしいねと言ってくれなかった。 それだけでなくて、とうちゃんがそんなに勧めるほどでもないなあとさえも言う人がいなかった。ちょっと寂しかった。こういうのってもちろんご飯を食べるときだけに限ったことじゃないよね。今度からどんな時でも何かコメントをしようって思った。そういえば、齋藤孝さんの本で「コメント力」という本があったような気がする。
2006年01月11日
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はるかへとうちゃんより昨日のテストはできたかなあ?日曜日に話したように、ケアレスミスをしなかったらだいぶ点数はあがるはずやよね。今回も同じかどうかはわからないけれど、毎回ケアレスミスをしてるもんね。でも、ケアレスミスをしているのは遥だけじゃないで。他の人たちもきっといっぱいケアレスミスをしてるはず。一部の、すごくできる人とすごくできない人をのぞけば、そんなに変わらへんで。ちょっとした差。 ちょっとした注意力やちょっとした復習をやってるかどうか、の差。ケアレスミスだから、「もうちょっとでできた」とか「ほんとはできてたんや」なんて思いがちなんだけど、ケアレスミスをする人はだいたいが毎回やっぱりケアレスミスをするんやなあ。 とうちゃんがそうやったから保証する。よっぽど普段から気にしてケアレスミスをしないようにしていかないとなかなか治らへんで。逆に、だからこそ、ケアレスミスをしないようにできたら、他の人とグンと差がつくとも言えるよね。みんな、ケアレスミスをやってる。 ケアレスミスだから、「惜しかった」と思いがち。 でも、なかなかケアレスミスは減らせない。ほんのちょっとの差しかないけれど、その差を埋めることは実は簡単じゃない。今回のテストはどやったかなあ。ま、まだまだ時間はある。
2006年01月10日
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はるかへとうちゃんより昨日書いたことで、気づいたことはない?そう、間違いノート。これを書くために、「エッセンスはなにかなあ?」と考える癖がついてたら、きっとあの問題もできたはずやで。04年9月14日の日記04年10月13日の日記04年10月14日の日記05年7月11日の日記05年7月15日の日記05年7月18日の日記05年7月31日の日記1年以上前から書いていたとはわろてまうなぁ。
2006年01月09日
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はるかへとうちゃんより昨日書いた算数の問題の話をきっかけにしてまたちょっと考えた。遥が昨日できなかった問題は、分解してエッセンスを取り出すと遥が簡単にできる問題とおなじことを聞いていたんやよね。でも、遥はとうちゃんが説明するまでできなかった。ちょっと表現を変えてあったり、わざとわかりにくい文章にしてあったりすると、ほんまはそんなに難しくないのに、「日本語」でつまづいてしまうんやなあ。算数の問題をやっているんだけど、実は日本語の問題で、「あ、これはこんな風に書いてあるけれど、実はいいたいことはこういうことやなあ」ということを理解するための練習をしているのかもしれない。そういうことがわかることは、大人になってからも、いや、大人になってからの方が大切になってくるで。なにも、小学校の勉強は小学校の時だけのためやないってこっちゃな。
2006年01月08日
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はるかへとうちゃんより会社から帰ってきて質問された「つるかめ算」。うまく解けてよかった。とうちゃんが小学生の時につるかめ算っていう問題をやった記憶がないので、遥が学校や塾で習ったやりかたとは違うやりかただったけどね。なんか、面積をつかってやるというやりかた。「こういう問題は、こうやる」って機械のように同じやり方を当てはめてやるのは、簡単な問題の場合は楽ちんかもしれないけれど、なぜそうやるのかということがわかってないと、応用問題になるとできなくなるで。それに、ひとつの問題にはいくつもの解き方があるのが普通なのでいろんな解き方を考えていた方が、応用力がつくで。難しい問題になるほど、日頃 じっくりと考えているかどうかが分かれ道になってくる。お正月に、奈良の家で観たテレビ番組覚えてる?でんじろう先生に教えてもらった蓄音機を一生懸命作っていた男の子が出ていた番組。でんじろう先生は、何度でも失敗すればいいから自分で考えてみなさいというようなことをその男の子に言ったんだったよね。算数の問題を結局は解けなくても、ああでもないこうでもないと一生懸命考えることが、実は算数が得意になる近道やで。
2006年01月07日
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はるかへとうちゃんより時間を大切にしよう。そう、 「他人(ひと)の時間」を。今年の目標、今年 大切にしたいことをいろいろ考えていて、その一つとして、「もっと時間を大切にしよう」と思った。最初、この言葉が浮かんだときは。「自分の時間」を大切にしようという事だったんだけど、大切なのは「自分の時間」だけじゃなくて「他人の時間」も大切だよなあということに気が付いたで。きっと、他人の時間を大切にしていると、自分の時間も大切にするように自然となるような気がする。
2006年01月06日
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はるかへとうちゃんよりさっき(水曜日の夜)、会社の帰りにローソンで買ってきたシュークリームを食べた。しばらくお別れ。3年目の正直で、今年こそ65キロまで減量。本当はたくさん運動して汗をかいて、脂肪を筋肉に変えて体重を減らすのがいいんだけど、毎日働いていると運動してやせるってのはとってもむずかしい。だから、食べる量を減らして、甘いものは絶たなくちゃね。ということで、本格的に減量開始。よほど特別なときでない限りは甘いものは食べないことにした。でも、とうちゃんが甘いものを食べてたとしても、とうちゃんを責めたらあかんで。昔、とうちゃんが受験生だったとき、テレビを見るのをやめて勉強だ! というわけで、「テレビを見ない」と紙に書いてあちこちに貼った。でも、当然(?) しょっちゅうテレビを見てたんやなあ。でも、おじいちゃんは何もいわなかった。あのとき、おじいちゃんがとうちゃんに、小言を言ってたらとうちゃんもきっとつらかったやろうと思う。なかなかえらいやっちゃで。 あのじいちゃん。
2006年01月05日
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はるかへとうちゃんより平安神宮に初詣に行ったとき、東京に帰ってくるときの京都駅、いろんな人が働いてはったよね。もちろん、その人達はボランティアではなくて、そうすることでお金をもらっていたりお金を儲けている人やで。それでも、みんなが休んだり浮かれている時に、まじめに働いてくれてはる人たちのおかげでとうちゃんたちは楽しくすごせるし、安全に東京まで戻って来ることができるんやよね。その人達に 感謝。それだけじゃなくて、たとえ、お正月でなくても、普通の日でもそうやって働いてくれてはる人、目立たないけれどちゃんとやることをやってくれてはる人たちにも感謝しよう。
2006年01月04日
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はるかへとうちゃんより去年の末にプリンターを買って、とうとう今年の年賀状から自分で印刷をし始めたよね。裏面の写真をどうしようかとかいろいろ考えて、住所も入力して、表も裏も印刷してポストへ。で、元旦には、誰から来てるかなあってワクワクどきどきしながらうちのポストをチェック。昨日は郵便屋さんもお休みで、今日もチェック。自分が書いていない人から来ていたら、新しく書いてこちらかもだすのも、また楽しみのひとつ。住所録を入力して、また印刷して、ポストへ。と、ふと思った。住所と宛名くらいは手書きにしたらよかったなあって。もちろん、裏面にコメントは手書きで書いているけれど、来年は表の住所と宛名も手書きにしようって。プリンターがあると、裏面の写真が違うものをいくつも作れるし、自分の好きなものを作りやすいといういい面があるよね。それはすごく便利なところだと思う。住所と宛名もプリンターで印刷してくれたら楽ちんだけど、なんとなく手書きの方が気持ちがこもるかなあという気がしたんやなあ。今年最初の反省。(どうでもええことやけど、二日続けて544と書いてしまっていたことにきづいたので、今日のを547としておいた。)
2006年01月03日
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はるかへとうちゃんよりエチオピアにはタナ湖という湖があって、ナイル川の源流がある。その近くにおおきな滝もある。アジスにいるときに遥も旅行で行って、滝の前で写真を撮ったんやで。 ちっちゃかったので覚えてないやろうけど。昨日のテレビでアフリカの滝の写真を撮っている人の特集があった。その中で、その滝が出てきたんだけど、とうちゃんたちが日本に帰ってから水力発電のためのダムができて、今はその滝はちっちゃなちっちゃなものになってしまっていた。それをみた、その写真家さんは怒りを覚えたって言っていた。大自然を人間が変えてしまったって。遥はどう思う?以前、「ホワイトバンドを買ってきたで」(7月5日の日記)っていうのをここに書いたときに、とうちゃんには問題が難しすぎると書いたことがあるよね。それと同じで、とうちゃんにはそんなに簡単に、「ダムを造ったことが悪だ」なんて言い切れないんやなあ。ダムがなかった時、アジスでもよく停電があったよね。アジス以外だともっと停電は多いか、そもそもまったく電気がない生活かもしれない。そういう人たちに、滝は大事だから、君たちはこれからも電気のない生活をしなさい、なんてことはとうちゃんには言えない。(「怒りを覚えた」っていうことは、「電気のない生活をしなさい」とは言葉に出してないけれど、そういうことになるよね。 ダムを造らなくてもこうやって電気がある生活をできますよって言わない限りは。)遥が今やっている算数の問題なんて簡単なもんに思えてくるやろ。答えはひとつに決まってるんやから。
2006年01月02日
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はるかへとうちゃんより平安神宮の初詣では神さんに何を約束したんかなあ?別にとうちゃんに話す必要はないけど、手帳かどこかに書いておこう。 忘れないように。 しょっちゅう読み返せるように。さて、初詣のあとのお昼ご飯では勉強になることがいろいろあったなあ。 反面教師と言う意味で。元旦早々から、あまり気分がいい話じゃないけどね。なにやら、お客さんが帰り際にお店の人にクレームをしていたみたいやったな。事件が起こったのは二階でとうちゃん達がいたのは一階だったので詳しいことはわからないけれど、どうやら、注文したものがなかなかやってこなくて、さらに、その料理を持ってきた人が「遅くなってごめんなさい」とも言わずにドンと置いていったらしい。 それに他のお客さんの方が早く持ってこられたりもしていたみたい。途中から、お店で一番偉いと思われる人が出て行って、お客さんと話をしていたよね。そのやりとりがご飯を食べていたとうちゃんや遥にも聞こえてきたよね。とうちゃんが気になったのは、こんな言葉をそのお店の人が言っていたこと。・「誰がこのお客さんとこに(料理を)持って行ったん?」・「二階はこの人に任せていたのに、お客さん怒らせたんやって」・「すいませんねぇ。二階はこの人に管理を任せてて、ちゃんと やってる?って聞いても、はいとしか答えなかったんでーーー」・「(料理を持っていくのが)遅くなったら、”遅くなって ごめんなさい”って言うねん。そしたらお客さんも怒れ へんねんから。」1)クレームしているお客さんを前にして、犯人捜しをしても 仕方がないよね。 そもそも、犯人捜しは必要じゃなくて、 なんでそうなったのかという原因を確認して、その原因が 今後は起こらないようにするのが大切なんやよね。2)その一番偉いお店の人の言葉からは、「自分はまったく 悪くなくて、悪いのはお店で働いている人だ」という風にしか とうちゃんには理解できなかった。3)”遅くなってごめんなさい”って言えばいい、というように 聞こえたんやなあ。 お客さんに申し訳ないことをしたなあっていう心があれば、 そんな言葉は勝手に出てくると思う。 だから、その従業員の人に教えるべきことは、持っていく のが遅くなったときにそのお客さんに対して「申し訳ない ことをしたなあ」と感じる心を教えることだと思うなあ。
2006年01月01日
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