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<今年はあと337日>はるかへとうちゃんより昨日はあったかかったなあ。あったかかったのに、いつものようにコートを着て会社に行ってしまった。おとといもコートを着ていたからなんとなく昨日も着てしまった。そう。「なんとなく」「無意識に」やるのをやめるようにしよう。「天気予報はあったかいって言うてたけど、最近天気予報はよくはずれるから」とか「天気予報はあんなことを言うてるけど、昨日もさぶかったから」とか自分なりに考えてやったことなら、間違ったとしても次につながる反省もできる。「なんとなく」続けていただけなら、また次の時も「なんとなく」間違ってしまう。 ある場合には、「なんとなく」正しいこともあるだろうけど、次につながらないことでは一緒やもんな。
2007年01月31日
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<今年はあと338日>はるかへとうちゃんよりなんちゅう人やったっけ?あ、そうそう柳沢っていう厚生労働大臣があほな発言をしてたねえ。政治家ってようあんねんなあ。 問題発言。(わざとやって世論の反応を見てる部分もあるような気が する場合もけっこう多いけど。)そんな時に使われる言い訳で多いのが、・口を滑らせた。・ぱっと頭に浮かんだことを言ってしまった。・例えが悪かった。ぜーんぶ、普段そういうことを考えてなかったら絶対に出てけえへんことやよね。普段考えたことがないのに、口は滑らないし、頭に浮かばないし、例えとしても出てこない。ふっと気を抜いた時とか焦った時に本音は出てきやすいもんやで。自分の発言にも注意してみたらええかもしれへんね。自分でも気が付いてない自分の本音に気づけるかもしれへん。
2007年01月30日
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<今年はあと339日>はるかへとうちゃんより昨日の映画はどやった?二酸化炭素はなんとかせんとなあ。20年くらい前に行ったキリマンジャロがあんなになっているとは知らんかったわ。それはそうと、まさか9時に行って14時過ぎの回しかチケットを買えないとなねえ。それも、前から2列目。首が疲れたねえ。字幕を見るのも目を動かさないと全部読めないしなあ。どんなもんにでも、「ええかげん」(ちょうどええ頃合い)ってのがあるってこっちゃね。近い方がええ物があれば、遠い方がええ物もある。大きい方がええ物があれば、小さい方がええ物もある。
2007年01月29日
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<今年は後340日> はるかへとうちゃんよりタイトルでわかるように、昨日書いたことと似てるけど、昨日書いたこととは反対の話。極端な例で考えると差が大きく出るのでわかりやすいことが多い。でも、極端な例で考えることは、本当はたいした差がないのにおおきな差があるように感じてしまうこともあるで。なんとかとハサミは使いようというように、なんでも使い方には注意をしないとねえ。極端な例を出して、ごまかそうとする人も多い。テレビで議論(のまねごと?)してる人とかみててみ、いろいろと勉強になるから。
2007年01月28日
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<今年はあと341日>はるかへとうちゃんよりおばあちゃんと電話で話をしているとこんな事をちょこちょこ聞くことがあるよね。「●●でこんなことがあってん」とか「誰々さんがこんな病気になりはってなあ」でも、●●も誰々さんもまったく知らないとうちゃんや遥には何の事やらさっぱりわからんこともあるよねえ。でも、おばあちゃんは自分がよく知ってることやから相手も知ってると思って話をしてるんやろな。でも、同じようなことはとうちゃんや遥もよくやってることやと思う。 (よくやってるから、それでええんやでっていうこととちゃうで。)もう一つの例。ちょっとおかしいなあと思う行動をしている人が二人いるとしよう。一人はどこからどう見ても外人の金髪の白人。もう一人は、日本人。外人さんの場合だと、「外人さんやからなあ」って思うのに、日本人の場合やと、「日本人やのに」って思うことはない?それは、外人と日本人とは育ってきた環境・文化が違うので日本人がちょっとおかしいなあと感じることが「普通」のことの時もあるなあと思うからやよね。でも、日本も狭いようでけっこう広いで。もちろん、同じ部分は多いけど、微妙に違うことも多い。言葉もそうやよね。日本語と英語だと全然違うって最初っから思ってる。でも日本語だと「同じ日本語やから」それぞれの人が使う言葉は同じことを意味すると思い込みがち。でも、微妙に違うこともある。この「微妙に違う」ってのがくせ者なんやなあ。たまには極端なケースを思い浮かべてみると気がつきやすいで。そうそう、算数や理科の問題でも極端な例で考えるとわかりやすいことも多いで。
2007年01月27日
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<今年はあと342日>はるかへとうちゃんより昨日、ヒルズで安藤忠雄さんの話を聞いてきた。最後に聞きに来ている人からの質問コーナーがあって、そのコーナーでの最後の質問への答えの中での言葉。東京でどこでどんなものをいくらお金をかけて作ってもいいと言われたら、どこにどんなものを作りますか?というようなのが質問やった。それに対して、安藤さんはこんな趣旨のことを言いはった。・制約条件のない建物を作ることに魅力を感じることはない。 いろいろ工夫をして制約条件を越えるところが面白い。かっこええ言葉やなあ。ところで、・渋谷の文化村の地下に地下鉄と東急の駅を安藤さん設計で作ってるらしいで。・直島に去年新しくできたホテルは木造やねんて。 前に泊まったテントが あったあたりにテントをつぶして作ってるらしい。 また行こう。
2007年01月26日
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<今年はあと343日>はるかへとうちゃんより「あるある」のうそつき事件のあと、遥はどうおもった?もしかして「あるある」は他の時もウソの番組をながしてたんとちゃうかなあって思えへんかった?それで普通やと思う。そして、その思いは、「もしかしたら、このテレビ局は他の番組でもこんなことをしてるんとちゃうやろか?」、「もしかしたら、マスコミ全体がこんなことをしてるんとちゃうやとか?」って広がっていくかもしれない。(もちろん、すべての番組にうそがあったらあかんということやないで。 たとえば、お笑い番組にウソはないとかうそがあっちゃいけないということじゃないで。)まじめにいい番組を見てもらおうと思って作ってきた人たちまでが疑われてしまう。これは、一人の人の場合でも同じ。一つおかしなことをやると、それまでやってきたこと、これからやること、みんな信頼をなくすことになる。
2007年01月25日
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<今年はあと344日>はるかへとうちゃんより今日も朝ご飯の前に勉強してたなあ。毎日毎日えらい。10分とか15分くらいやと思うけど、それでも毎朝やることはすごいことやでぇ。朝は効率がええとも言うけど、実感してる?きっと塾の先生から、毎朝やった方がいいですよって言われたんやと思うけど、同じことを聞いた人たちが同じことをやっているとは限らないんやなあ。多分、毎朝やってない人のほうが多いと思う。頭でわかってても実行するのは大変やもん。その点でもすごい。朝起きて顔洗ったり何か食べたりせずにいきなり勉強してるみたいやけど、ちょっと何か飲んだり、バナナとかを少し食べてからやる方がもっと頭がさえるかもよ。脳みそ使うにはエネルギーもいるからなあ。
2007年01月24日
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<今年はあと345日>はるかへとうちゃんより「こんなんが、テストに出るんやで。これ観とき」ある番組を遥に観て欲しいなあとおもってつけていたのにまったく遥が興味を示さないので言ってしまった言葉。面白いから、興味があるから観るのであって、テストに出るから観るもんやない。面白いから、興味があるから読むのであって、テストに出るから読むもんやない。あまのじゃくのとうちゃんは、「テストに出るから」なんて言われたら、よけいに観なかったりした。 (いや、うそかも。おじいちゃんはそんなあほなこと多分言うてないから。)本末転倒。とはいえ、いや、だからこそ、そういう番組や本に興味を示さない遥をみてるとちょっとさびしい。
2007年01月23日
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<今年はあと345日>はるかへとうちゃんより「あるある」でやってた納豆ダイエットがうそやったってことがわかったなあ。事実じゃないことを事実としてテレビ番組の中で紹介するのはとんでもない話。ニュースで聞いた話だと、データを捏造したのはいろいろ取材をして準備をしていたけど思うように取材が進まず、一方で締め切りはどんどん近づいて来た。 期日までに完成しないといけないというプレッシャーに負けて担当者は捏造してしまったらしい。「あるある」は関西テレビというテレビ局が作ってるんやけど、その会社が作ってるんじゃなくて、下請けに出してる。 そして、その下請けを受けた会社は、さらに下請けに出しているということをとうちゃんは今回の報道で知った。捏造はやっちゃいけない。 絶対にやったらあかんことやけど、その下請けの下請け(孫請けっていう)の人が受けていたプレッシャーっていうのはかなり強いもんやったんやろうなあということは想像できる。こうしたニュースに接してやらないといけないのは、やった人だけを責めることじゃなくて、「自分の身に引き寄せて考えてみる」事やと思う。以前からよく言うてる、「エッセンス」を考えてみること。自分も同じようなことを起こすような状況を作っていないかなあってちょっと距離を置いて考えてみる、ちょっと見方を変えて考えてみるってことが大切やと思う。他人のこととして非難してるだけやったら、ただの井戸端会議の話題にしかなれへんもんな。
2007年01月22日
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<今年はあと346日>はるかへとうちゃんより「羮に懲りて膾を吹く」これ、読める?この意味知ってる?って聞きたいところやけど、その前の問題として、読める?「あつものにこりてなますをふく」 ウィクショナリー(Wiktionary)というネット上の辞書によると 「ある失敗に懲りて、必要以上に用心深くなることのたとえ。」と 説明してある。昨日紹介したエチオピアからのお客さんは、日本で工場を訪問したときに、重要な部分は全部その会社で作っているのかどうかということを非常に気にしてはった。幸いにも訪問した会社の場合は、ほとんどを自分の会社で作っていたのでお客さんの印象もよかった。今はいろんな分野が細分化して進んできているのですべてを自分の会社で開発したり作っていることがよいこととは限らないととうちゃんは思っているんやけどね。でも、お客さんの印象がよかったのでそのままにしておいた。そのお客さんは、別の国の商品を買って大変な目にあったことがあるらしい。そして、その時に問題になった部分がその会社が自分で作っている部分ではなくて、下請けにだしていた部分だった。それで、とても気にしていたんやね。こういう風に、自分が経験したこと、特に痛い目にあったことについてはよーく覚えている。痛い目にあったから、もう二度とそんな目にあわないようにしようというのはごく当たり前の気持ち。 そういう風に考えないのは逆に困った状態やよね。でも、それが行き過ぎると 正しい判断や対応ができなくなってしまう事もある。遥も普段の生活でこんな風に 羮に懲りて膾を吹いてることない?「羮に懲りて膾を吹く」っていうのは中国のふるーい本に出てくる話。技術とか知識は新しい物がどんどん出てくるけど、人間の気持ちや考え方なんてのは昔からそうそう変わってない。 だから故事熟語やことわざを今でも学校で習うし昔の書物を読む意味もあるんやね。
2007年01月21日
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<今年はあと346日>はるかへとうちゃんより昨日でエチオピアからのお客さんが帰りはった。1週間弱の短い日本滞在やったけど、初めての日本で非常にいい印象を持ってくれはったみたい。元々エチオピアの人は「日本人は目上の人を敬う」、「お辞儀をする」、「ティーセレモニー(茶道)がある」というような点でエチオピアに似ているということで日本に親近感を持っている人が多い。 (ちょっと誤解している点もあるけど。)・街がきれい(道路などにゴミが落ちていないという意味。)・日本人はどんな安い物にも品質を第一に求めている。 (日本の製品の品質がいいことはそのお客さんが使っている機械に ついては知っていたけれど、今回日本に初めてやってきて、その機械 だけじゃなくて、街で売っている安い物でも品質がよいことに気がついた。)と言うことが特に印象に残ったらしい。ありがたい話。 嬉しい話。そのお客さんは、エチオピアに着いたら会社の人や家族や親戚に、日本で撮った写真を見せながら、こんなところで、こんな人たちがいて、こんな風だったって説明しはるにちがいない。それを聞いた人も、日本ってええ国なんやなあって思ってくれはるよね。でも、そのお客さんが日本語の新聞が読めて、最近の不二家の話とかバラバラ殺人の話とかを知っていたらどんな風に感じて日本を離れたやろうねえ。いろんな国で「日本の製品は品質がいい」という評判を聞くし、とうちゃんを含めて日本人もそう思ってる。50年、60年前は「日本の製品は安いけど品質が悪い」と思われていた頃もあった。それをその頃の日本人が一生懸命努力して勉強して実績を作って、「品質がいい」という評判に変えていってくれはったんやなあ。昔の人に感謝せんとねえ。そして、その評判がそのままこれからも続くように今働いているとうちゃんたちはしっかりしないとあかん。そして、それを受け継ぐ遥たちも努力しないとねえ。「日本製品は品質がいい」放っておいて品質がよくなるわけがないし、何も考えずにやっていて、いい品質が維持できるわけもない。「品質がいい」という評判にあぐらをかいていると、品質を支えているものが少しずつ崩れていって、気がついたら手遅れでもう元の評判には戻せなくなっているかもしれない。 不二家のように。(不二家が「品質がいい」という評判だったかどうかは知らないけど。)なんか、駅伝みたいやなあ。
2007年01月20日
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<今年はあと347日>はるかへとうちゃんより今朝は、5時45分に家を出る予定だったので昨晩は5時20分に目覚まし時計を合わせて寝た。なんと、2時半頃と4時過ぎと5時15分に目が覚めて、結局目覚まし時計は必要なかった。寝坊よりはましやけど、眠りが浅くなってるはずやよね。目覚まし時計に任せたら目覚まし時計を信頼してぐっすり寝ないとなあ。
2007年01月19日
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<今年はあと348日>はるかへとうちゃんよりフェイルセーフっていう言葉を知ってるかなあ。フェイルっていうのは失敗という意味の英語。故障やミスをするとその結果として悪影響とか損害・被害が出るよね。それをできる限り小さいものになるように工夫をしておこうという考え方。故障やミスをなくそうとするのは当然やけど、人間のやることやからミスはあり得るという前提に立ってのもの。例えば、台所の水。蛇口をひねって水を出すのじゃなくて最近はレバーを上下にして水の量を調節するのが多いよね。上にすると出るものと、下にすると出るものとがあるよね。どっちがフェイルセーフの考え方に立ってるんかなあ?そう。レバーを上にしたら水が出る方やよね。レバーの上に物が落ちてきたら水が止まる。地震や何やらでレバーの上に物が落ちてくることは考えられるけど、レバーを下から上に押し上げるようなことはあまり考えられないもんね。こういう事を思ったのは、仕事でエチオピアの事務所の人にあることをお願いしていたのに、その後 それをやったのかやってないのか、まったく連絡がなかったから。連絡がない場合には、A)「ちゃんとお願いしたことをやってるけど連絡をしてこない」場合と、B)「お願いしたことをやっていないので連絡をしてこない」場合が考えられるよね。とうちゃんとしては、どっちを考えるべきやと思う?当然、B)やよね。B)やと思って、「どうなってんのん? ちゃんとやってる?」って聞いてみて、実はA)やっても損害はない。でも、A)やと思っていて安心していたら、実はB)やったって言う場合は大変なことになりかねないもんな。逆に言うと、お願いされた人は、「心配しないでもちゃんとやってるよ」なんて思わずに、「やったらやったでちゃんと報告しないと心配するよな」と思わないとあかんねやろうねえ。なんて言いつつ、「あいつのことやから、連絡が来なくても大丈夫。ちゃんとやってるに違いない」って思われるようにもなりたいねえ。
2007年01月18日
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<今年はあと349日>はるかへとうちゃんより遥が生まれた年の今日、1月17日に神戸で大地震があった。(震源地は淡路島の近くなので「阪神・淡路大震災」という。)昨日の朝、京都で読んだ朝日新聞には阪神淡・路大震災の特集があった。 きっと毎年この時期になると連載されるんやと思う。で、昨日うちに帰ってきて読んだ朝日新聞。東京でみんなのうちに配達されている朝日新聞にはその特集はなかった。「 一つの試合を二つのニュース番組で見た:遥へ(924)」で書いた事に似てない?12年前に日本で起こったということには違いがない。 でも、関心の持ち方、伝えたいと思うことの違いによって同じ新聞でも違ってくるんやね。遠いからこそ報道せんとあかんのとちゃうかなあとも思うけどね。とうちゃんにしても大阪出身やから阪神・淡路大震災には注目したり、身近に感じられるけど、その後にも日本では大地震が起きてるのに、阪神・淡路大震災ほどには感じないのであまり偉そうなことは言われへん。人間っちゅうのはそんなもんやからしゃあないと思う。せやから、そうなってしまう人を大声で責めてもしゃあないと思う。でも、だからって自分もそういうのでええと思って満足してしまうのと、他の多くの人がそうであってもしゃあないでえって思うのとはまた別の話。もし、とうちゃんが12年前の1月に神戸に住んでいたら。。。。遥は生まれてなかったかもしれない。ラッキーやったなあ。 あの地震で死にはった6500人くらいの人とその家族の人たち友だち、大けがをしはった人たち、肉体的なけがは大したことはないけれど精神的には大けがをしはった人たちのことを、ちょっとでええから考えてみよう。新聞やテレビでその特集をやっていたらちょっと見てみよう。(「6500人くらい」ってそんな失礼な言い方はないよなあ。 「くらい」なんていう人はいない。 一人一人大切な命なんやけど、ネットで調べてもいくつかの数字があったので、概数にしてしまった。)
2007年01月17日
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<今年は後350日>はるかへとうちゃんより日、月と京都でホテルに泊まってきた。そこで気づいたこと。ホテルの部屋やデパートのトイレットペーパーって掃除の後は三角に折ってるよね。「なんでこんなめんどくさいことやるんやろう?」って思ったことない?なんでこんな風にやってるのかかわかる?そうしてない時と比べると何が違ってるやろう?掃除をしている人に聞いたわけじゃないのでもしかしたら間違ってるかもしれないけど、とうちゃんが思うに、三角に折ってあると掃除をしたことがわかるけど、折ってないと掃除をしたのかどうかがよくわからないよね。きっと「私は掃除しましたよ」っていうことを伝えたいんやと思うで。じゃあ、どうやったらうまく伝えられるか?っていうことをいろいろ考えはったんやろうなあ。大げさじゃなくて、それとなくわかるような方法をいろいろと考えたんやろうなあ。トイレの掃除に限らず、伝える努力をせえへんかったらなかなか伝われへんよなあ。
2007年01月16日
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<今年はあと351日>はるかへとうちゃんより夜中のスポーツニュースで見た日曜日のラグビーの試合。偶然二つのチャンネルで続けて同じ試合についての報道を見た。見る人が注目する点によって同じものでもこんなに違って報道されるもんなんやってよくわかった試合やった。66対30で東芝府中が三洋電機に勝った試合。一方はトンガ出身のバツベイという選手が大活躍をして勝ったっていうことで、バツベイ選手が得点しているシーンばかりが写されていた。もう一方は、途中までは三洋電機も頑張っていたけれど、途中から東芝府中のペースになっていろんな人が得点して勝ったということで幾つかの得点シーンが写されていた。 バツベイ選手の名前はその中では一度も出てこなかった。前半、後半40分ずつの試合をたった2,3分にまとめるのだからどういうシーンを選んでつなげていくかで見た人の印象は全然違ってくるんやなあ。そのニュースを作っている人が何を伝えたいかで選ぶシーンが変わってくる。公平・公正だと思われているニュースでさえも伝える人の意図でいくらでも変えることができるってこと。どちらも真っ赤なうそをついているわけじゃない。真っ赤なうそならわかりやすくていい。真っ赤じゃないから困るんやなあ。
2007年01月15日
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<今年はあと352日>はるかへとうちゃんより昨日からドコモに変えたけど、ボタンの位置や同じボタンを押してもそれが持つ意味が微妙に違ったり、用語が違ったりで使いにくいねえ。 (ドコモのサービスより前の会社のサービスがよかったとか、その逆だということではなくて。)似てるのにほんの少し違うだけで、使い勝手がえらく違ってくる。●慣れっていうのは恐ろしいねえ。●逆に言うと慣れっていうのは便利やねえ。●ちょっとした違いが使い勝手に大きく影響するから、デザイナーの 人たちはうんうんうなって日夜考えてはるんやねえ。
2007年01月14日
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<今年はあと353日>はるかへとうちゃんより今日は今年最初の我が家でのたこ焼きとお好み焼きの会。残業が多くてこの1年半くらいで10キロもやせたって言うおにいちゃん(おじちゃん?)がうまいことお好み焼きを焼いてくれはったなあ。ちょっと理屈っぽかったけど、こういう風に焼いた方がええ。なぜならこうするとこうなるからーーーという説明をしながらやってくれたから納得できたし、頭の中に入りやすかったんちゃう?なんでも自分なりにきちんと説明できるように理由と一緒に覚えてるとわかりやすいし、忘れにくいなあ。小島さんの持ってきてくれた「セビル」っていうお菓子もおいしかったねえ。
2007年01月13日
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はるかへとうちゃんより「青空ってええなあ」って昨日のタイトルに書いたけど、そこにいてるだけで、青空ってええなあって思わせる青空はすごいなあ。三代目魚武濱田成夫の『うみとおれのおはなし』という絵本を思い出した。「海をみてて おもてんけど 海は ほんまカッコエエな だって海は 海であるということ それだけで おれらを すごいとおもわせよるやろ」いてるだけで「すごい」と思われなくてもええけど、いてるだけでなんとなく場が和むくらいにはなりたいねえ。
2007年01月12日
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はるかへとうちゃんより今朝、ふと気が付いたら地下鉄の駅上がってから会社までうつむき加減で歩いてた。あかん、あかん。と青空を見上げた。昨日は夜中の1時頃まで会社にいて、今朝は眠たくていつもの時間には起きられず。4日に会社が始まってからも毎晩けっこう遅くまで会社にいるのでちょっとお疲れモード。で、気が付いたらうつむき加減で歩いてた。つらい時こそ笑おうって昔書いた気がする。つらい時とか落ち込んでる時、大変な時につらそうな顔したり大変そうな姿を見せても自分のつらさはすこしも和らがないんだから。わろてたり、つらい中にも少しでも楽しそうなことを見つけて楽しい楽しいって声に出して言うてたらなんとなく楽しそうな気分にもなるってもんや。と、「遥への手紙」やのうて、「とうちゃん自身への手紙」になってもた。「つらい時こそ笑おう」調べたら、2004年の8月31日の日記やった。
2007年01月11日
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<今年は今日を入れてあと356日(もある)>はるかへとうちゃんより冬はマラソンとか駅伝の大会が多いなあ。100m競争とちがってマラソンや駅伝は距離が長い。 当たり前のことやけど。だから、最初のうちトップにいる人が徐々に遅れていくこともあるし、最初のうちは後ろの方にいた人が徐々に順位を上げていって優勝するというようなこともあるよね。1分に100歩の人と101歩の人いるとしよう。二人は同じ歩幅、たった一歩やけど、ながーい時間だと次第に差が大きくなってくる。まだ、今年は356日もあるんやなあ。そういえば、今日はこれを書き初めて919回目らしい。クイックの日やないか。 (え? つまらん?)
2007年01月10日
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<今年は今日を入れてあと357日(もある)>はるかへとうちゃんよりとうちゃんも経験があるんやけどな、ちゃんとやってないときほど、気持ちは焦ってしまうんやな。あれもやらなあかん、これもやらなあかんって。でも、テストの前日や当日に「あれも、これもやらなあかん」っていっぱい数え上げても使える時間はごくごく限られてるやろ。焦っていると何をやるにもうまくいかないという経験は遥もきっとしてるよね。使える時間を考えて、やらなあかんことから優先順位を考えて、他のものはスパッとあきらめてできることに集中することが大切やと思うなあ。もう一つ。毎年5月と10月にやってるBBQについても、遥は今年は受験があるから参加できないって言うてるよね。1年間の勉強期間の中で1日くらいの余裕もないんかなあ?それくらいの遊び時間を作れるくらいに他の日に勉強をしようと今から予定を立ててやったらええ話やとも思うんやけどなあ。もしかしたら、遥にとっては他の遊び方がBBQよりも優先度が高いということか。あ、それならしゃあない。でも、5ヶ月も先、10ヶ月も先の1日について、受験の年だから余裕がないと言うてるのは、なんかやることをしてないのに気持ちだけが焦ってる人のように思えてしまう。努力をしないのはあかんけど、そんなに焦ることもないで。もう1年しかないけど、まだ1年もあるんやから。去年の1年間は、あっちゅう間やったやろ。ってことは、しんどいなあって思っても、それもあっちゅう間に終わるってことやで。でも、同じ10分、同じ1時間でもすごく集中していて長く感じられたこともあったやろ。ってことは、あっちゅう間やからそんなにいろいろな事をやって上のクラスにいる人たちに追いつかれへんわっていうように思えても、そうでもないってことでもあるで。
2007年01月09日
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<今年は今日を入れて後358日>はるかへとうちゃんより「塾に行っているのはいい中学校に合格するため」やなんて寂しい言葉を聞いてしもた。その時に説明もしたけど、忘れたときに思い出しやすいようにここにも書いておこう。いろんなことに興味を持つ人間、自分で考えることのできる人間になって欲しいと思ってるだけ。塾はその手段。もちろん、塾に行くことだけがその為の手段じゃない。公立の小学校から公立の中学校に進学してもかまわないし、受験する中学校もどんなところでもええと思ってる。ただ、区立の中学校だとそういう風になる訓練をするのが難しいだろうなあと思うので中学は受験して私立に行った方がいいだろうなあと思っているだけ。どんな環境にあってもすごい人はでてくる。でも、朱に交われば赤くなるというように、周りの環境っていうのはかなり重要で、普通の人間、弱い人間はその環境に左右されるところが大きいんやなあ。ええ中学校に合格するのが塾に行く目的でなければ、目の前の塾のテストでええ点を取るのが目的でももちろんないで。これだけはよく理解しておいて欲しいし、覚えておいてほしい。昔 同じようなことを書いたよなあと思って調べてみたら、二年近く前の05年3月にこんなことを書いてた。2005-03-22(火) - 中学受験をすすめる理由:遥へ(276)去年もこんなことも書いてるで。2006-09-07(木) - テーマを忘れないように気をつけよう:遥へ(793)2006-08-06(日) - 塾で勉強すこと・受験すること は手段か目的か?:遥へ(761)
2007年01月08日
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はるかへとうちゃんより昨日 とうちゃんから言われたことをよーく思い出して、覚えておいてちょうだい。何をやっても、何をやらなかっても、 周りから何も言われへんようになったらおしまいやで。和田清かさんがメルマガで書いてはったけど、何かミスをしたときに怒られないときがほんまは一番つらいんやけど、それは、ミスをした人がそれに気づいている時の話。怒らなかった人も、ミスをした人がそのことに気づいていて反省していることがわかっているから怒らへんねんな。いちいち言わなくても次回ちゃんと直してくることがわかってるから。でも、そうじゃなくて、「もうこの人には何を言っても効果がないので注意するのもやめておこう」と思って、何も言わない人もいる。 何も言われない人もいる。いくつか書いとこう。・こないだ書いた「苦手」やと思ったら脳が「考えよう」という気を なくしてしまうっていうのと同じで、「自分が正しい」って思って しまうと、せっかくのアドバイスも入ってこなくなる。・過ぎてしまったことはいつまでも後悔してても仕方がない。 過ぎてしまったことを挽回できるのは、その後の自分の頑張りだけ。・密度x時間。 ・目の前のテストだけに目を奪われてもしかたがない。
2007年01月07日
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<今年は今日を入れてあと360日>はるかへとうちゃんより12月14日に「正解のあるテストなんて簡単」っていうのの後半で書いたことを覚えてるかなあ。芸術家の作品はそれを見た人がどう感じるかは見た人の勝手で作品を世に出してしまったらあとはやっていう考え方。ちょっと似てる話。 でも、あんまり似てないかなあ。「私はあの人にこんなことをやってあげたのにーーーー」「私はあの人のためを思ってこんなことやあんなことをしてあげているのにーーー」って言う人がよういてるよね。人に何かをしてあげたら、たまにはその人から何かをしてもらいたいなあと思うことはごく普通の気持ちやと思う。自分が相手のことをこれだけ思ってやってあげたんだから、こういう反応を相手がしてもいいんじゃないか、って思うこともごく普通の気持ちやと思う。でもな、何かをしてあげる時って、別に見返りをもらおうと思ってやるんとちゃうよね。 (この「~あげる」っていう表現はあまり好きじゃないけどね。)困ってはるからとか、こんなことをしたら喜ぶやろなあとか、自然と起こってくる気持ちから行動するんやよね。ところが、人間って自分勝手なもんで、最初はそういう気持ちでやってるのに、なぜか、「私はやってあげたのにーーー」なんて思ってくるんやよなあ。そういう風になりがちだっていうことをわかりながらも、自分はそうならないようにしたいねえ。「やってあげたのに」って誰もおまえに「やってください」なんて頼んでないないわい! ってねえ。「あの人のことを思ってやったのに」っていうても、やってもらった人は、実はありがた迷惑だと思っているかもしれないしね。自分がやりたいと思うからやるんであって、見返りを期待してやるくらいならやらなきゃええと思う。でも、実は「見返り」はある。いっちゃん大きい「見返り」 いや「ご褒美」はその人が喜んでくれはる顔やね。
2007年01月06日
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はるかへとうちゃんより今日もちょっと不調。ネタがない。ネタがない、ネタがないって思っていたら、今テレビで算数の番組をやっていた。「たけしのコマネチ大学数学科」っていう番組。(夜中の1時過ぎからやってる。)その中で図形の問題が出てた。それを横目で見ながら「ネタがない!」って考えてたんやけど、こんな問題、もしとうちゃんがやらされたらどうやろ?と思った時に、ネタが舞い降りてきたでえ。とうちゃんは算数が苦手。特に、図形はさっぱり。『もし こんな問題をやらされたら、「おれ、苦手やからなあ」って真っ先に思ってしまって、最初っからがんばって考えようとせえへんやろうなあ』これがとうちゃんが思ったこと。そう。最初に「苦手やからなあ」とか(試合に)「勝てるわけ無いよなあ」とか「あの子は(自分よりも)足が速いから」とか思ったら、その時点で勝負あった! やよね。問題を解こう、何とかして勝ってやろう・勝つ方法を見つけよう、なんていう気持ちにならへんもんな。よかった、よかった。これで今日は寝られる。(毎晩日付が変わってから書いてるからねえ。)<今年は後361日>
2007年01月05日
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はるかへとうちゃんよりおとといに続いて初詣ネタ。宇治の平等院に行ったときに、鳳凰堂で聞いた説明やなんとかという平等院の中に建てられた博物館で見た復元像で、できた当時は今とだいぶ雰囲気が違ってたことがわかったやろ。今は仏さんも色があせてしまってほとんど木の色しかみえないし、建物の柱や壁ももともとから木の色しかなかったように感じてしまうけど、最初はすごく鮮やかな色やったんやなあ。昨日テレビでやってた番組で知ったんやけど、エジプトのピラミッドやスフィンクスもきれいな色が塗ってあったらしい。でも、そんなことは(今の)写真や実物を見てもわからなくて、何かの形で教えてもらわないとわからないよね。(本を読んだり、テレビを見たり、誰かに教えてもらったり)背景を知らないと目の前のことだけで判断してしまうのはしかたがないもんな。「やっぱりお寺は落ち着くなあ。この木の感じがええよねえ。」って言うのはええねんで。今の姿を見て今の状態についての感想やから。ところが、「日本人は昔からこういう落ち着いた色が好きやったんやなあ」なんて言い出すと話がおかしくなるよね。今がそうやからってずっと前からそうなってるとは限らないっていうのが今日のエッセンスで、さらに言うと、目の前に見えてることだけが真実やと思って判断すると間違うこともあるでってことやね。
2007年01月04日
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はるかへとうちゃんより大事なのは、結果が出なくても人のせいにしないってことじゃないかな。 悪いときはつい人のせいにするけど、違うんです。自分自身に原因があるんです。僕は、ずっとそう思い続けてきました。「プレジデント」っていう雑誌の07年1月15日号に出ていた三浦知良さんの言葉。今年40歳やで。今もプロサッカーの第一線でやってはる。以前に比べたら衰えてきたと言われることもあるけれど、プロ選手になりたい人がたーくさんいてプロ選手になれない人がたーくさんいる中で、今もプロ選手として試合に出てはる。すごいなあ。同じことを言うてもちゃんと実行して実績をあげている人の言葉は重みが違うなあ。<あと363日>今日を入れて今年はあと363日。
2007年01月03日
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はるかへとうちゃんより昨日の元日はええ天気やったねえ。最初に行った金閣寺も陽の光が反射してぴかぴか光ってた。来てはる人みんなが金ぴかの金閣寺に目を奪われてしまって、庭とかその他の部分にはあまり注意を払わないんやなあ。なんかかわいそうな気がせえへん?
2007年01月02日
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はるかへとうちゃんより年末年始は休みが続いて嬉しいねえ。街もなんとなくはなやいでいるし。でも、楽しんでいる人たちがいるっていうことは、楽しませてくれている人たちもいるっていうことやよね。初詣に行くときには、電車にも乗るし、ご飯も食べるし、お寺や神社でおみくじをしたりお守りを買ったりもするよね。12月30日に行った、別所くんがやってる「らほつ」もそうやよね。30日までお店をやってて、大晦日は1年間のお店の掃除。(1年間働いてくれた食器やテーブルに感謝して去年来てくれはったお客さんにも感謝しながら掃除してんねやろうな。 えらい話が横道にそれた。)元旦は休むけど2日からもう営業開始。元旦から働いてくれてはる人たちに感謝。ま、別にお正月に限ったことやないけどね。夏休みもそうやし、普段の土日でもとうちゃんや遥が休みの時に働いてくれてはる人は大勢いてはる。<今年は今日をいれてあと365日>
2007年01月01日
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