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はるかへとうちゃんよりチュニジア、エジプトでの出来事。以前から不満を持っていた人もたくさんいたはずだけど、「どうせ無理だよなあ」って人々は思っていた。他の国の人も、あそこの国もひどい状況だけど、政府が転覆するなんてことにはならないよなあ。って思っていた。似たような事情の国は他にもある。チュニジア、エジプトで起こった。「あれ? やってみたらできるじゃん。」こういう思いが拡がってくるのを一番恐れてるんだろうなあ。雰囲気、気分っていうのはけっこう強力なパワーを持っている。こうした国を揺るがすようなことだけじゃなく、スポーツでも、受験でも。「あれ? あの先輩がメダル取っちゃったんだ。」「毎年 何十人も○○大学に合格してるしなあ」という気分があるのと、「まだ、一度もメダルを取ったことがない」「年に一人しか○○大学に合格していない」というのとでは、同じ実力を持っていたとしても結果が違ってくることは多い。
2011年01月31日
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はるかへとうちゃんよりチュニジアで大事件が起こって、それがエジプトに波及して数日前からエジプトが大変なことになっている。ってことは知ってるよね。その陰に隠れてしまっているけれど、コートジボアールでは大統領選挙の結果大統領が2人いるという訳のわからない事態が続いている。現職のバグボ大統領にワタラさんが勝ったことを選挙管理委員会が発表したんだけど、バグボさんが異議申し立てを行ったら憲法評議会ってのがバグボさんを当選者として認めたことでドロドロになってしまった。(これについては詳しくはWikipediaの「2010年コートジボワール大統領選挙」と「2010年コートジボワール危機」を読んでみて。)数日前には、ワタラ大統領がカカオの輸出を禁止。カカオの取引の利益がバグボ氏の資金源になっているというのが理由。さて、ここからが今日の本題。遥も知っているように、コートジボワールは世界最大のカカオ生産国。「でも、日本のカカオ輸入は大半がガーナからなので、日本にはそれほど影響はないんだって。」というネットでの書き込みを見た。どう思う?前半「日本のカカオ輸入は大半がガーナから」が事実だとしても、だから「日本にはそれほど影響はない」ってなるのかなあ。とうちゃんにはまったく納得がいかないんだけど。。。
2011年01月30日
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1月からうちで購読している新聞を変えたけど、新しい新聞は読んでる?自分が興味のあるところだけ読んでたらええで。大人でも隅から隅まで読んでる人なんてほとんどいなんだから。文化欄とか夕刊、それから日曜日。こなへんがなかなか面白い記事が多いで。なんでもそうやけど、最初はほんの少しでもいいので、ちょこちょこ接してるうちにだんだんと親しみが湧いて来て接する範囲も増えてくる。接するのを拒否して、「ゼロ」だといつまでもゼロのまま。
2011年01月29日
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はるかへとうちゃんより「デブでした。」でもう一つ印象に残った話。ダイエットではなく、生活改善を目標にする。ダイエットだと目標体重になったら それでおしまい、生活改善だと一生もの。って言う話。何を目標にするかで大きく違う。「大学に合格するための中学・高校の勉強」と考えると、大学受験に関係のない科目はやらないのが合理的だし、大学に合格したら、それまでだし、大学受験に必要な科目でも、合格に必要そうなレベルまでできればいいや、ってなる。それは寂しい話だねえ。
2011年01月28日
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はるかへとうちゃんよりパパイヤ鈴木さんが書いた「デブでした。」と言う本を読んだ。その中で印象に残ったこと。(ダイエット関連ではまったくないんだけど。)夢に近づくための簡単な方法。それは、「夢」という言葉を「目標」に変えること。
2011年01月27日
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はるかへとうちゃんより昨日は、これからはペンを横にくわえて漫画を読もう、お笑いを見よう、という話やった。(っけ?)遥が怒ってる時って、ほんま怖い顔してるよねえ。ママもそうだ。あ、とうちゃんもそうだ。誰でもそうだ。怒ってる顔しながら優しい言葉はかけられない。と、ここで、こないだからの話し合い関連の話題にちょっと戻る。話し合い、議論はもちろん喧嘩じゃない。反論するにも、けんか腰で言っちゃあいけない。ってことで、今度から話し合いの時にはペンを横にくわえておこう。って わけにもいかないので、話すときに作り笑いをしながら話せばええんかなあ。口角を上げて話すように気をつけるとええんちゃう?(まさか、口角知らないことはないよねえ。)
2011年01月26日
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はるかへとうちゃんよりほぼ日刊イトイ新聞での池谷祐二さんと糸井重里さんの対談の連載8回目でペンをストローのように口にくわえて漫画を読んだ場合とペンを横にくわえて漫画を読んだ場合とでその漫画への評価が異なるっていうことを池谷さんが話していた。面白いという評価が10点満点で2点も上がるんやって。なんでかというと、ペンを横にくわえた方が顔の表情が笑顔に似るから。脳は案外だまされやすいもんなんやねえ。(もう少し詳しいことは「ほぼ日」での対談を読んでちょうだい。)別にペンをくわえなくてもいい、作り笑顔でもOK。以前こんな事を書いたの、覚えてる?「笑顔で怒る?:遥へ(484)」2005年10月31日(月)「おもしろそう!と唱えてみよう:遥へ(1305)」2008年2月5日(火)
2011年01月25日
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はるかへとうちゃんよりこないだの先生との面談の反省はした?もう2日も経ったのでよく覚えてないかもしれないけど、やっておいた方がええで。反省っていっても、先生の言ったこととや態度について振り返って、もっとここを突っ込めばよかったとか、こう言ってはったけど、それはおかしかったんじゃないか、というようなことじゃない。自分の説明方法・内容や態度についての反省。まず、先生が話したことを冷静に、きちんと聞けたか。正しい反応だったか。きちんと対話できていたか。などなど。
2011年01月24日
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はるかへとうちゃんより授業でやっていないところが試験範囲になって、しかもそこから出題されるのはどう考えてもおかしい!と考えるのは、先生に教えてもらうもの、という意識があるからじゃないだろうか。こう考えてみては?勉強ってのは自分でやるもの。ただ、人間は怠け者なので一人で勉強することにするとなかなか勉強しない。宿題を出されたり、仲間(クラスメート)がいると少しは怠ける度合いが少なくなる。一人で勉強している時に壁にぶつかった時にちょっと手助けしてくれるのが先生という存在。テキストの中のこと以外についていろいろと知的刺激を与えてくれる存在(教えている科目に直接関係していなくても)。大人になったらいちいち手取り足取り教えてくれる人なんていないんだし、そもそも、大学受験にしてもいろんな大学があるので学校の先生がそれぞれの大学向けのことをやってくれるわけもできるわけもない。中学受験のために塾に何年も通っていると、何でも先生が与えてくれると思ってしまうのかもしれない。
2011年01月23日
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はるかへとうちゃんよりいつかのテストで授業でやってないところから問題が出たんやって?でも、何かの理由で授業ではそこまで進めなかったけど、先生は、「進んでないけど、ここまで範囲」って言うたんやよね。それなら、範囲外から出た訳じゃないので、なにもおかしいことはない。授業でやろうがやるまいが、「ここまで範囲」と言われたからには、そこまでが範囲で、範囲の中からならどこから出題されても文句は言えない。逆に、「うわ、どうしょ。 授業でやってない範囲から出たらやばいで。」と思って、テスト勉強ではそこを重点的にやってもおかしくない。いくつもクラスがあれば、進度に多少のずれはあるのもしかたないだろう。そもそも、進度にずれが出てくる理由としては次のようなことが考えられるよね。・授業数の問題:祝日やらであるクラスだけが授業数が少なかった。・先生の教え方の問題:同じ科目を複数の先生で教える場合。 それも、先生の教え方が下手な場合もあれば、先生が丁寧に教えるので 時間がかかる場合もあるだろう。 その先生が教えたクラスはすべて進度が遅かったのか、特定のクラス だけが遅かったのか?・生徒の問題:宿題をきちんとやってこなかったり。もちろん、先生としては進度が同じになるように努力しないといけないんだから、そこがうまく調整できなかった点はきっと反省してはるんだろう。でも、だからって、「授業でやっていないところ(でもテスト範囲ではあったところ)から出題するなんてとんでもない」ということにはなれへんで。
2011年01月22日
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はるかへとうちゃんより今日はちょっと(かなり)手抜き。ツイッターである人が書いていた言葉の紹介。人を裏切る人は、人に裏切られることを怖れ、人を見下す人は、人に見下されることを怖れ、人を嫌いやすい人は、人に嫌われることを怖れる。
2011年01月21日
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はるかへとうちゃんより先月「交渉にはまず「聞く力」:遥へ(2318)で西水美恵子さんのことを紹介した。そしたら、ご本人が遥へのメッセージをくれはったよね。その西水さんが日本に来はるのに合わせて「国を作るという仕事」の出版社の英治出版さんがイベントを開催しはる。ブック・ダイアログ「西水美恵子さんとの対話」。2月7日開催。参加できないのがすごく残念だ。でも、きっとそのうちにお目にかかれるような気がしてる。
2011年01月20日
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はるかへとうちゃんより人が何かをする時には必ず原因・理由がある。それしか選択肢がなくてそれをする、ということはほとんどの場合にないのだから、それを選択した理由があるはず。 (選択肢がない場合でも「選択肢がないからそれをした」という理由がある、とも言える。)こう考えてこちらを選んだ。こう考えてこういう態度を選んだ。こっちを選んだけど何も考えてなかったよ、って言う場合もあると言うかもしれない。その場合でも、「何も考えてなかった」という理由があると考えることができる。「○○を実現するために、△△をしました。」と言う場合。そもそも目的の「○○」がおかしい場合がある。「○○」はおかしくないんだけど、それを達成するための「△△」が間違っている場合もある。なんで○○を実現しようと思ったの?何でそれを実現するために△△をしたの?
2011年01月20日
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はるかへとうちゃんより何を準備するのか、何をメモするのか。考えてみた?準備するのは、・自分が話そうとすること。・相手の人が話してきそうなこと。・それに対する自分の答えもしくは質問。メモするのは・自分が話したこと。・相手が話したこと。自分が話そうと思うことを事前に考えて紙に書いていくと、カッとなった時でもそれを見ることで多少は落ち着いて話せるだろう。相手の人が話してきそうなことを考えておくと、予想外のことが来て焦ったり、カッとなったりすることもなくなるだろう。「あ、来た来た。予想通り。」って思える。自分が話したこと、相手が話したことをメモすることで、第三者的に眺めることができるようになって、カッとなることを少しは和らげられるだろう。
2011年01月19日
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はるかへとうちゃんより話しあいの時、議論をしている時に感情的になったらその時点で負け。・まずまとにも考えられなくなる。・どうでもいいところに注意が行きがちになる。 (少しでも反論してやろう、って思ってしまうから。)・冷静な時なら気にならない点も気になってくる。 (坊主憎けりゃーーーであり、あばたもえくぼの逆。)どうしたらええのか?一つは準備していくこと。もう一つはメモをとること。何を準備するのか、何をメモするのか。ちょっと考えてみて。とうちゃんの答えは明日に。そうそう、「負け」っていうのは話し合いの相手に負けるということではなくて、自分に負けるということ。 建設的な話ができなくなるという点で、「話し合いをする」ということ自体に負けている。
2011年01月18日
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はるかへとうちゃんより人と話すときに持っていておいた方がいいと思う不安感を紹介しておこう。・自分が言いたいことを正しく表現できていない可能性。・たとえ正しく表現できたとしても自分が言ったことを相手が 誤解している可能性。・相手の人が言いたいことをその人が正しく表現できていない 可能性。・たとえ相手の人が正しく表現できていたとしても自分が それを正しく理解していない可能性。その不安を常に意識していないといけないと思う。本当はここに書いたことをすべてクリアできているのがいいんだけど、そんなことはお互いに人間だから無理。だから、いつも こういう可能性があるんじゃないかという不安だけは持っていたい。
2011年01月17日
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はるかへとうちゃんよりネット上でけんかをしている人をよく見かける。それを見ていて感じるのは、・よりよい状態を作るために、相手の間違いや誤解を指摘したり、 自分の意見を述べるのではなくて・自分の正しさを一方的に証明(?)して「正しいのは俺だ」と 自慢したいかのような行動。・だから、表現の仕方も一方的で、優しさも感じられない。・片方がそういう姿勢で臨めばもう一方も自然とそういう姿勢に なりがち。こんなことは当然ながらネット上だけで見られることじゃない。顔も声のトーンもなく文字だけの世界だからよりいっそうわかりやすくなっているというだけの話。人と会話・対話するっていうのは一方的に文句を言うのが目的じゃない。何かについての話し合いも同じ。誤解もあるだろう。それぞれ言い分もあるだろう。それをテーブルの上に出して、どうすればよりよい結果を出せるのかを見つける場。だから、感情的になってはいけないし自分の言いたいことだけを一方的にまくし立ててもいけない。言いたいことは言うが、きちんと相手の言うことも聞く。そして、相手が正しい部分はきちんとそれを認める。大人でもなかなかできないことだけど。
2011年01月16日
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はるかへとうちゃんよりまだまだ続く、遥と先生との話。ママやとうちゃんは遥の口からしか事情を聞くことができない。(もちろん、遥の話に基づいて学校に行って先生に会うと先生からの説明も聞けるけどその段階になるまでにはかなりの時間がかかる。)以下は今回の遥の説明が間違っている、なんて言っている訳じゃあない。個別の話じゃなくて、今後の一般的な話なのでそのつもりで。たとえば、遥と友達Aさんが1時間話をしたとしよう。家に帰ってAさんとこんな話をしてたんだ、と説明をするとき、1時間話したことをそのまま話す事なんてできない。どうでもよさそうなことは端折り、重要な部分だけを話す。「重要な」と言っても、遥が重要だと考える部分。これがミソで、人間ってのは知らず知らずのうちに、自分に不利な部分は端折ってしまいがち。自分が腹が立ったことはよく覚えている。でも、その前に自分が相手のカチンと来るようなことを言っていてもそれに気づいていないことも多い。人に何かを説明するときには、自分に都合の悪いことを無意識のうちに隠していないか? 忘れていないか? と十分注意しておいた方がいい。放っておくと自然と隠してしまいがちになるんだから、やり過ぎくらいで結果的にはちょうどよくなるはず。そうすることで、自分の発言の信用力も増す。また、自分が勘違いをしていて独り合点で憤慨しているような時もきちんと説明をしていれば話を聞いた人が指摘してくれることもできる。
2011年01月15日
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はるかへとうちゃんより「文句だけは一人前だが少しもできてないじゃないか」と言われてしまう。と昨日は書いた。でも、本当はこの二つのことはまったく関係がないもの。文句、というかおかしくはないですかと問題提起することと、その科目の成績が悪いか良いかということは少しもリンクしない。いっしょくたにするのはお馬鹿さん。でも、そのお馬鹿さんが多いのが現実。とうちゃんもお馬鹿さんになってしまうことがよくある。人間ってのはそうなりやすいんだからしかたがない。そのお馬鹿さんに、「あなたはお馬鹿さんですよ」っていうと余計に話がこじれてしまう。だから、つまらぬところで揚げ足とられないようにしないといけない。そして、人間ってのはそうなりやすいからしゃあないわなあ、と思いつつも、自分についてはなるべくお馬鹿さんにならないように、次元の違うことを一緒くたにしないように気をつけないとねえ。
2011年01月14日
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はるかへとうちゃんよりライバルの存在が自分を高めてくれた。 と言うことは多くの人がいうことやよね。とうちゃんも1年ほど前にこんなことを書いた。2009年12月30日(水)ライバルには塩を送ろう:遥へ(2082)いま、遥はすごくラッキーな環境にある。ある科目にでっかいライバルがおるやろ。同じ学年ところか、相手は生徒じゃないので”ライバル”と呼ぶのはちょっとおかしいけど。こいつに負けてたまるか! と張り合いが出るという意味でともに競い合うライバルの存在に近い。相手は、そう、 ある科目の先生。とうちゃんは今回の件については断片的に聞きかじっているだけだし、さらには、当事者のうちの片方(遥)の言い分をしかも間接的に聞いているだけなので、とりあえず遥の説明が事実に近いという前提で以下を話す。まず、とうちゃんは今回の遥の行動はけっこう好きだ。(「好き」であって「正しい」ではない。「間違い」でもないけど。)おかしいんじゃないかと思ったら先生であっても指摘すればいい話。教え方、接し方などでどうしても受け入れられない先生もいるだろう。でも、そういう時ほど、そういう先生の科目ほど少なくともテストではいい点をとらないといけない。でないと、「文句だけは一人前だが少しもできてないじゃないか」と言われてしまう。やるからには、つまらぬところで揚げ足をとられないようにしないといけない。それに、こないだも書いたように、先生が嫌いだからって科目まで嫌いになったら自分が損するだけの話。2010年12月26日(日)先生の好き嫌いと科目の好き嫌い:遥へ(2243)ということで、その科目はこれまで以上にがんばることになる。その先生のおかげ。ありがたいことだ。
2011年01月13日
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はるかへとうちゃんよりホテルは24時間営業やよね。(本来そうあるべきだけど、実際には夜は閉店?と思うような所も実は多いが。)じゃあ、掃除やロビーの花の模様替えなどはいつどうやってやるんやろう? と年末に泊まったホテルのロビーで生けてあった花をみて思った。人が少なそうな夜中にやるとコストが高くなるはず。でも昼間にやるとお客さんがいっぱいいてはる。あ、そうか。昼間にやって、パフォーマンスにしてしまえば安いし、お客さんも楽しいんじゃないか、と思った。実際にはどうやってはるんやろうねえ。
2011年01月12日
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はるかへとうちゃんよりパリからアムステルダム経由でアクラに戻った。アムステルダムの空港でガーナにいる人たちへのお土産を買おうと思っていたら、パリからの飛行機が少し遅れてしまい、買い物の時間がなかった。あほやねえ。パリで買っておけばよかったのに。なぜか?パリでは一泊したので空港に行く時間は自分で決められる。でも、アムステルダムでの乗り継ぎ時間は自分では決められない。飛行機なので遅れることはあっても早く着くことはまずない。つまり、乗り継ぎ時間は予定よりも短くなることはあっても長くなることはない。リスク(不確実さ)を考えれば、パリで買っておこう、という結論になって当然。新春早々、おばかさんのとうちゃんであった。
2011年01月11日
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はるかへとうちゃんよりデパートなどが無くなるときに「寂しいですねえ」という人がいる。めったにそのデパートに行ってないのに。無くなって初めてありがたみがわかることは多い。またしばらくお別れ。前にも書いたけど、これはラッキーなことともいえる。たとえば、遥と同じクラスの子でお父さんと数ヶ月に一度しか会えない人って何人くらいいる?そんなに多くはないと思う。ほら、滅多にでけへん経験をしてるんやで。しばらく会えないなあと思うと、いろいろ考えることもあるだろうし、もうじき会えるなあと思うと、やっぱりいろいろ考えることもあるだろう。とうちゃんがいない間、しっかりしないとなあと思ったりもするだろう。とうちゃんのありがたみも少しは感じるだろう。(え?そんなことは考えたことがない? そら、さびしい。)次回、どれだけ成長してるか楽しみにしてるで。
2011年01月10日
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はるかへとうちゃんより週刊ダイヤモンドという雑誌がある。一応ビジネスマン(もちろんマンでなくウーマンも対象)向け。当然ながら、中高生が読んじゃいけないってこともない。新年早々の 週刊ダイヤモンド。英語と中国語の特集だった。英語が嫌い、不得意だから外国を相手にしないでいい会社に就職したんだ。と思っていた人も、今やそれでは会社が許さない日が来ている。電話が嫌いなので電話は使いません。パソコンは嫌いなのでパソコンは使いません。電話が使い始められた頃、パソコンが使い始められた頃、その頃はこんなことを言っていた人もいたけれど、しばらくしたら、そんなことを言っていられる状況ではなくなった。遥が大人になる頃には英語もそうなるで。少なくともある一定レベル以上の人たちにとっては。昨日書いたときには英語のことを想定していたわけじゃないけれど久しぶりに家に戻ったら新聞や雑誌がたまっていて、その中に週刊ダイヤモンドを見つけたので、グッドタイミングと思って書いておくことにした。
2011年01月09日
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はるかへとうちゃんより好き → 一生懸命やるそれはいいことだし、誰に言われなくたって好きなものはみんなが一生懸命やる。でも、嫌い → (まったく)やらないはやめた方がええで。いまはすべての土台を作る時期だから。それに、今は「●●をやりたい」と思っていても、将来「○○をやりたい」とやりたいことが変わるかもしれないから。思いもよらないところで役立つこともある。
2011年01月08日
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はるかへとうちゃんより「風が強く吹いている」っていう小説がとうちゃんがいる間に届いたよね。あれ、今日読んだ。(とうちゃんの分も含めて2冊注文していた。)よかったよ。遥も早めに読んでみたら?箱根駅伝出場を目指す大学陸上部の話。あっという間に読めるで。年末に読んでいたらなあと思う。多くの人が箱根駅伝に熱中するのもわかった。
2011年01月07日
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はるかへとうちゃんより「すぐ役立つことは すぐ役立たなくなります」中勘助さんの「銀の匙」という小説だけを教科書の代わりに使って中学の3年間の国語の授業をしていた先生がいる。以前からその先生の話はちょこちょこ雑誌などで取り上げられていた。それは、灘高校という神戸にあるすごい進学校での授業だったから。つまり、小説一つだけを中学校の国語の授業で使ってもすごく受験の成績がよかったから。その先生の授業について書いた「エチ先生と『銀の匙』のこどもたち 奇跡の教室」という本が最近出版された。その本の中でその先生が言っていた言葉がこれ。とうちゃんもそう思う。「エチ先生と『銀の匙』のこどもたち 奇跡の教室」という本は2日に買って家にあるので興味があったら読んでみて。「銀の匙」はガーナに持ってきているので、読むのが楽しみだ。
2011年01月06日
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はるかへとうちゃんよりこないだ泊まった京都のホテル、なかなかいいサービスやったねえ。ああいうところだと半日くらいはロビーにいても楽しめると思う。お客さんの流れとホテルの従業員さんの対応を見ているだけですごく楽しい。いつ、どういうタイミングで気がつきはるか。どういう態度で応対をしはるか。姿勢や手・指の動き。応対をしていない時の周囲への注意の払い方。応対を受けているときのお客さんの態度。普通に歩いている時のお客さん・従業員さんの態度・歩き方。なんぼ見てても飽けへんねえ。
2011年01月05日
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はるかへとうちゃんより昨日の続きで、元日のレストランで気づいたこと、その3。注文したのはランチの定食でご飯とデザート以外のすべてをお盆に載せて持ってきてとうちゃんたちが座っていたカウンターに置いていったのに、食事の途中で空いたお皿はとっとと持って行ったこと。ひとつのお盆に載せてセットとして持ってきているんだから途中で持って行くことはないだろう、という気持ちがとうちゃんにはあった。遥はどう感じた?一品ずつ運んでくるイタリアンやフレンチなどでは当然ながらお皿を順に下げないといけないけれど、そのタイミングってむちゃくちゃ難しい。(この点でも、あのお店の人は今ひとつに感じたなあ。)お皿を下げるタイミングをうまく取ることのできる人はすごい人。お客さんの食べているタイミングだけじゃなくて、お客さん同士の会話の様子もうまくみていないといけないからねえ。
2011年01月04日
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はるかへとうちゃんより昨日の続きで、元日のレストランで気づいたこと、その2.気づいたことの2番目は、土鍋でごはんを炊いたのにできあがりを見せずにお茶碗によそった。っていうこと。土鍋でご飯を炊くというのは、ちょっとした非日常のイベント。それなら、お鍋のふたを開けた瞬間をお客さんになんで見てもらわないんだろう?せっかくの劇場をもったいないことをしたものだと思う。しかも、とうちゃん、ママ、遥といるのに3人に同じ分量ずつ分けた。それも、土鍋にまったく残らないように。
2011年01月03日
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はるかへとうちゃんより昨日の晩ご飯を食べたレストランについて何か気がついたことある?とうちゃんが気づいたのは3つ。一つずつ3日に分けて書こう。まず、・お客さんが食べ終わって帰りはったのに、しばらく次のお客さんを 通さなかった。何組も待っているんだけどテーブルセッティングがすんでからもしばらく待たされていたよねえ。テーブルセッティングができていないならまだわかる。でも、それが完了しているのに次のお客さんを通さない理由がわからなかった。待っているお客さんはさらにストレスがたまる。 お店にとっても少しでも早く次のお客さんに入ってもらった方が回転が速くなっていいはず。なんでそうしないんだろう?さらに言えば、テーブルセッティングをなるべく早くすませる、ということも優先度を高くするべきだろうって思わない?理由がわかればそれほどストレスにもならないけれど、理由がわからずに待たされるとストレスがたまる。優先順位を素早く考えて行動を起こす必要がある。ってことやね。
2011年01月02日
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はるかへとうちゃんより新しい年が始まった。今年一年 みんなが心身ともに健康で過ごせるといいねえ。とうちゃん自身もそうだし、友達・知り合いで途上国に住んでいる人、途上国によく行く人をたくさん知っているので余計にそう思う。(治安、病気、交通事故、ストレス、食生活。。。 日本にいるときよりもいろんな面で大変だ。)そして、心身が健康ならばどんなことをやるにもエネルギーが出てやる気が起こる。単に病気にかかっていないと言うだけじゃなくて、いろんなことに取り組むときに体力も大きくものが言うからねえ。心と体の健康は何をやるにも基礎になる。さあ、これから1年間、心身ともに健康で過ごそう。
2011年01月01日
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