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はるかへとうちゃんより今日で1月も終わりやねえ。結局今月は一度も走らなかった?いろいろとできなかった事情があるだろうし、とうちゃんはその事情をまったく知らないのでそれについてとやかく言う気はない。とうちゃんは週に3回ちゃんとジムに行って走ってるで。とやかく言う気はない、と言っておきながらなんだけど、その「事情」についてはちょっと振り返ってみた方がええと思う。1日は24時間だし、1週間は7日間だし、暗くなってから走るならともかく、昼間に走ろうとするとそのチャンスは週に1回しかない。そうなると、「公園ランニング」と時間を奪い合うライバルは遥の中でいっぱいいるはず。結局は優先順位の問題。遥がどれだけ本気に、どれだけ真剣に、どれだけ切実にランニングしようと思っているかっていうこと。別にランニングしなきゃいけないってことは少しもない。遥の中でのランニングが占める優先度と、ランニングを押し出してしまった遥の「事情」をちょっと振り返ってみたら?って言うだけの話。もう今年は1/12が終わったけど、まだ11ヶ月もある。あ、そうそう。一つ忘れてた。週に1回のランニングももちろん有益やけど、毎日少しずつでも腹筋や年末に山本さんから教わったスクワットなんかをやるのもすごく効果があるはずやで。これなら、その気になれば少々忙しくても夜でもうちの中でできるで。
2010年01月31日
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はるかへとうちゃんよりもちろん、すべて大切でどれもできないと困るんだけど、日本人にとって一番大切なのはどの能力やろう?英語の本や新聞、論文、資料を読む力。英語で手紙、論文などを書く力。英語で外国の人と話す力。(聞く力も含む)どれやろうねえ。ちょっと考えてみて。
2010年01月30日
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はるかへとうちゃんより昨日のニュースで京都の四条河原町というところにある阪急百貨店がこの秋に閉店するということを知った。遥は阪急百貨店と聞いてもよく知らないだろうし、四条河原町の阪急百貨店なんてさっぱりイメージがわかないよね。 それは当然。遥は京都に住んだことないもんね。大学生の時に4年間京都に住んでいたとうちゃんにとってはちょっとさびしい。別に買い物をしに行っていたわけじゃなくて、よく待ち合わせ場所として使っていたのでなじみが深かった。目印にもなって、大きな建物で、交差点にあって、ということで遥もよく知っているものにたとえると、表参道にあったGAPみたいなもんかなあ。でも、GAPとデパートだとちょっと雰囲気が違う。GAPの位置に渋谷の東急本店があったような感じ。有楽町西武が閉店と聞いてもとうちゃんにとっては他人事だったけど、河原町阪急が閉店と聞くと他人事とは思えない。やっぱり自分中心で考えてしまうもんやねえ。自分がかかわってないとどうでもいいやって思ってしまうんやもんね。いけない、いけない。それから、河原町阪急の跡には何ができるんやろうね。きっとがらっと雰囲気が変わってしまうんやろうね。(東急本店がなくなって、他のビルができると考えてみたらいい。)でも、すぐにその変わった雰囲気・景色になれてしまって、少し前までどんな建物があったかさえ忘れてしまうんやろうなあ。これもちょっとさびしいね。遥は表参道ヒルズができる前にあそこに立っていたツタが絡まっていた建物のことを覚えてる?
2010年01月29日
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はるかへとうちゃんより ツイッター。最近テレビや新聞でもだいぶ取り上げられるようになったねえ。遥も聞いたことがあるよね。 ママが先週号の「週刊ダイヤモンド」っていう雑誌をもってるので、そこに書いてあるツイッター特集をちょっと読んでおいて。 難しい言葉もあるかもしれないけど、そういうところは気にせずに飛ばしてもいいからまあ一通り読んでみよう。たかだか40ページ程度。遥と2つしか学年が変わらない高1の人も取材されてるで。 遥が今ツイッターを始めることはあまり薦めないけど、どういうものかっていうのは知っておいた方がいいと思う。なんで世の中でツイッター、ツイッターって騒いでいるのかも多少はわかるだろうし。何より、はやり物はちょっとかじっておきたくならない?
2010年01月28日
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はるかへとうちゃんより1月ももうじき終わりっていうことを数日前に書いたけど、年末だったか年始だったかに言っていた、「今年は毎週末一人で走る」っていうのはもう実行してる?もしまだなら、 早く第一歩を踏み出さないといつまでも走れなくなるで。一旦やり始めると続けられるんだけど、最初の第一歩がなかなか踏み出せないんやよね。そして、何かの理由(テストとか風邪とか)で途切れるとこれまたずるずるとやらない日が続いて再開しづらくなる。今度の日曜日が1月の最終日。1月中に一回でも走っておけば、とりあえず1月からスタートしたということになるで。さて、12月に遥と一緒に参加したウォーキングの時に指導してくれはった山本ケイイチさんのブログで見つけた言葉を今日は紹介しよう。 昔、道場の先生に、 「基礎錬をやらなくても、すぐに応用ができてしまうやつは、後が伸びない」 とよく言われました。 それはきっと、人づき合いでも、仕事でも、どんな分野でも同じことかも知れません。ブラバンでもいるんじゃない?器用にこなしてしまう人。遥がそうじゃないなら、ラッキーだと思えばいい。最初は差があっても、「ああいう人は途中で伸びないんだ。自分は地道に練習していこう」って思いながら。遥が器用にこなせる人なら、「ここで調子に乗っちゃいけない。今できない人が基礎の練習を地道にやっているとそのうち抜かされるかもしれない。」と自分を戒めればいい。そして、山本さんがどんな分野でも同じだろうと言っているように、またとうちゃんが何度もいろんなことで書いているように、一つのことに当てはまることはたいていが他のことにも当てはまる。それに気づくかどうか、 というのもかっこよく生きていく上で大きな差になっていくで。(久しぶりにこのブログのテーマ、「かっこよく生きよう」にかけた話になった。)
2010年01月27日
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はるかへとうちゃんよりとうちゃんの献血好きの話じゃない。おばあちゃんが献血をよくしていた理由について。だいぶ前の話。とうちゃんが子どもの頃の話。昔は献血をしていると輸血を受けやすかったらしい。いつの頃か忘れたけど、同じ病人・けが人なのに献血をした人は輸血してもらいやすくて献血をしていない人は輸血してもらいにくいというのはおかしいということで、そういう差はなくなったはず。で、とうちゃんが小学生から中学生くらいの頃やったかなあ。おばあちゃん(とうちゃんのお母さん)がしょっちゅう献血に行ってた。本人は血がなかなかでない体質で一度やると1時間くらいかかるとか言うてた気がする。それでもちょこちょこやってたんやなあ。しかも、献血した日は「私ちょっとしんどいわ」なんて言いながら。なんでやと思う?ある時、おじいちゃん(とうちゃんのお父さん)から、「いつもいつも献血の度にしんどいっていうんだからもう辞めておけ」って言われた時におばあちゃんが言ったのは。「子どもが怪我したときに、輸血してもらいやすいんやから」って。そんなもんやで 親っていうのは。(実際には、その頃でも親が献血してるとこどもも輸血をしてもらい安かったのかどうかは知らない。)P.S.去年の11月に書いた「メモロ(MEMORO):遥へ(2040)」って覚えてる?それに関連した記事が今朝の朝日新聞に出てるらしいで。「ひと」欄でメモロの日本支社(?)のイタリア人の人が採り上げられているらしい。ちょっと読んでみて。
2010年01月26日
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はるかへとうちゃんよりもう1ヶ月経ったねえ。クリスマスやったもんね。日本に行ったのは。早いもので今度の日曜日でことしも1/12が過ぎる。いやいや、今日はそんな話じゃなかった。なんで1ヶ月経ったんやなあっていう話になったかというと、今日のネタが箱根駅伝の話で、えらい間があいたなあって自分で思ってしまったのがきっかけ。事前に盛り上げようとして箱根駅伝を中継するテレビ局がいろんな話題を特集する番組を年末に流してたよね。城西大学の石田選手を覚えてる?去年選手として選ばれたんやけど途中で体調を崩して棄権しはったんやなあ。でも、その時、チームメートの人たちは誰も石田選手を責めなかったよね。なんであの時チームメートは責めなかったかわかる?それは、彼が毎日毎日一生懸命練習してることをみんなが知ってたからやと思う。そして、ことしの箱根駅伝。石田選手はちゃんと舞台に戻ってきはったねえ。きっと去年のことがあったので、さらに一生懸命練習をしたんやろうね。
2010年01月25日
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はるかへとうちゃんより昨日一つ書き忘れていたことがあった。それは、毎日遥を見ているママから聞いていたこと。音程を取るのが苦手な分 遥はそれを挽回するために家でも努力をしてるっていうこと。それから、昨日の続きを少し。遥は昨日書いたことについて「アンラッキーだ」って言ってきたけよね。それについては簡単に携帯にmailしたけど、もう一度まとめておくわ。確かに、他の人よりも苦労しないといけないという点ではアンラッキーやよね。とうちゃんもそう思う。バスケやバレーはだいたいが背が高い人が有利だからそうしたスポーツをやっている人が「私ももっと背が高かったらなあ」って思うのと同じやよね。でも、そうしたことは自分で変えられるものじゃないよね。(もちろん、食事や生活を変えることで背が伸びるかもしれないし、いろいろ訓練していたら音程も取りやすくなるかもしれないけど。それはちょっと横に置いておこう。)自分で変えられないことを「○○だったらよかったのに。自分は損だ。アンラッキーだ。」って思っていても、事態は何もよくならない。そういう風に考えれば考えるほど事態がよくなるなら何時間でも何日でも考えてたらいいのだけど、そういうことは絶対にないよね。すると、どうするのが一番いいのか?3通りくらいが考えられるかなあ。・自分は不利だ だから あきらめてそれを辞めてしまう。・自分は不利だ だから だめでも仕方がないと思いながら続ける。・自分は不利だ だけど 工夫したり人一倍練習したりして続ける。もちろん、3番目がいいよね。次にものの見方・考え方としては、「自分は損だ」なんて考えながら工夫したり、努力するよりも、音程を取るのが得意じゃない。「おかげで」得意な人にはできない経験をできるってなくらいに考えた方がハッピーとちゃう?どうせ事実(音程を取りにくい)は変えられないんだから。どんなことをするにもある一定のレベルを超えようと思うと人とは違うやり方を工夫したり、人よりも練習したりしないといけない。その経験を遥はできるんやで。努力して達成するという貴重な経験もできる。それに、ブラバンの楽器以外でも何かをうまくできない人がいたらその人の気持ちもわかるはずやよね。遥自身が同じような経験をしてるんだから。これからいろんなことをするようになった時、いろんな人と接するとき、 今の経験が活きないわけがないやん。
2010年01月24日
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はるかへとうちゃんよりとうちゃんに似てしまったからか音程を取るのに苦労をしてるんやってなあ。いろいろ工夫しながらそのハンデを克服してるんやよね。この工夫するという経験と努力するという経験ははきっとブラバン以外でも役に立つで。今更音程を簡単に取れない自分を嘆いてもしかたがないもんね。それを乗り越える努力をすることと、このハンデのおかげで簡単に音程を取れる人にはできない経験ができてラッキーくらいに解釈を変えていかないとなあ。ラッキーかアンラッキーか。それはその物事に対して自分がどう解釈するか。その物事に対してどんな意味づけをするか。ラッキーなこと、アンラッキーなこと、というのがあるのじゃないからね。
2010年01月23日
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はるかへとうちゃんよりとうちゃんは最近の高校生の参考書についてはほとんど知らないけど、こないだツイッターで見かけた話がある。それは、とうちゃんが高校時代によい参考書と言われていたものが今の高校生には合わなくなっているものもあるということ。その時に例として挙がっていたのが、「古文研究法」という本。もちろんネットなんてなかった時代。どんな参考書がよいのかわからないので、「○○大学合格体験記」といった類の本を何冊か読んでそこで紹介されている参考書を本屋さんで立ち読みしては自分に合いそうなのを買ったり、なんか難しそうやけど、薦めている人が多いからやっぱりこれくらいはやらなきゃだめなんだと思って買ったりしてた。とうちゃんも「古文研究法」という本を買ったのは覚えてる。でも、どこまでやり通したのかはまったく覚えてない。きっととうちゃんのことやから途中で挫折したんじゃないかとも思う。えらい、横道に逸れた。で、なぜ今の高校生には合わないんだろう?と聞いてみた。ある人が「ちゃんと理解をして問題を解くよりも、解答を見つけるパターンを覚えて問題に正解することを最優先と考えるからじゃないか」って答えてきた。その人の説明が事実かどうかはわからない。とうちゃんが受験生の頃にもそんな人はきっといたと思う。そういう人の比率がきっと今とは違うんやろうなあ。そして、これくらいは勉強して当然という「あたりまえ」のレベルが違うのかもしれない。でも、もし遥がそんな風に考えているとしたら大問題だ!どんどんあほになるで。解答パターンだけを覚えて点数を取ったとして、何がええことあるんやろう?その人は何を学んだことになるんやろう?
2010年01月22日
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はるかへとうちゃんより地下鉄だったかJRだったかで同じ広告ばかりがかたまっている時があったよね。遥は、こんなのはあまり効果がなくてムダじゃないかって言うてたよねえ。そうかもしれない。でも、広告を出している会社は広告するためにお金を払ってるよね。ということは、効果があると思っているからそうやってるんだと思わない?もちろん、効果があると思っていてやっていても実はその会社の誤解で全く効果がないと言うこともあるかもしれない。でも、少なくとも、「効果があると思っている」からこそそんなことをするんやよね。なら、・なんでこんな広告の仕方をするんやろう? こういうやり方にどういうメリットがあるんやろう?・遥が効果がないと思うなら、もっと効果があるようにするには どうしたらええんやろう?って考えてみたら?
2010年01月21日
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はるかへとうちゃんより本屋さんにはたまに行ってる?年末年始に3件の本屋さんに行った。新宿南口の紀伊國屋と神保町の三省堂、上原の文教堂。三省堂は久しぶりやった。それぞれ売り場の作りに特徴があるなあ。いつもと違うところに行くとまた違った発見があってええで。いくつも行っているとそのうちに自分にあった本屋さんもでてくるし。そう言えば、本屋さんに行こうっていうような話を何度か書いてるねえ。たまには本屋さんに行こう!:遥へ(1020)本屋さんに行こう:遥へ(1374)本屋さん行った?:遥へ(1387)
2010年01月20日
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はるかへとうちゃんより震災関連でちょっと間が空いたけど、こないだの続き。相手の人・お客さんには「気づいてもらう」んであって、もちろん「気づかない相手が悪い」のでもなく「気づかせる」でもないで。気づいてもらうようにこっち側がいろいろ考えないとねえ。相手が悪い。相手が。。。。って言ってても事態は変わらないもんねえ。事態が変わらなくて困るのは誰か?それは、相手側じゃなくってこちらの側。ということで、とうちゃんも遥に気づいてもらうようにいい方法を考えないとなあ。
2010年01月19日
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はるかへとうちゃんよりスキーから帰ってきてまだ「神戸新聞の7日間」のドラマも見てないやろうけど、明日は代休やよね。明日 見よう。そして、その気持ちが覚めないうちに、「繋ぐ」という本も読もう。 きっと明日1日あればドラマを見て本を読むくらいできるで。で、できることは考えてみた?昨日書いたことにヒント満載やったやろ。忘れちゃいけない。伝えないといけない。その経験を未来に活かすために。それが歴史を学ぶ大きな役割。(あの震災を「歴史」と呼ぶのはちょっとためらうけれど、震災じゃなくて授業で習う「世界史」「日本史」だってそう。)そして感謝の心を忘れない。まじめに地道に働いている人たちに対して、ちゃんとごはんを食べられることに対して、生きていられることに対して。そうそう。とうちゃんの高校時代の友だちのお兄さんが書いた本もうちにある。確かリビングの本棚。 こっちは文庫やから通学途中にも読めるで。「心の傷を癒すということ――神戸……365日」とうちゃんの高校のOBでもある人で震災の時に神戸大学の医学部の先生をしてはった人。被災者の心のケアをする中心メンバーやったらしい。10年前に亡くなりはったんやけどね。これも震災つながりで読んでみたらどう?あ、最後に一つ歌の紹介。「しあわせせ運べるように」という歌。震災直後に神戸の小学校の先生が神戸の復興を願って作りはった歌なんやて。台湾やイラン、アルジェリアでも翻訳されて歌われてもいるらしい。
2010年01月18日
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はるかへとうちゃんより今日は何の日か知ってるよね。新聞やテレビでも繰り返し言っているし、櫻井君がドラマにも出てたもんね。(って、そもそも、とうちゃんがおとといここで書いたか。)ツイッターで阪神淡路大震災についてみんなが書いているところがある。そこで、ある人がこんなことを書いていた。「この十五年、あの震災で亡くなったひとが生きたかったこの日々を僕は満足に生きられただろうか…。」以前とうちゃんがここで書いたのを思い出さない?もう一度紹介しようと思って、いつかいたかなあと調べてみた。去年の1月15日やったわ。「あなたが」「願った」「生きたい」:遥へ(1375)万が一思い出さなかったとしても、このタイトルで思い出してくれていたらうれしい。そして、もう一つ。ネットで見つけた写真と動画。Great Hanshin earthquake (1995/01)「あれから15年 阪神淡路大震災 #19950117」(KandaNewsNetwork)見るのは辛いかもしれないけれど、目をそむけちゃいけない:遥へ(371)こともある。それから最後に関西電力のCMの紹介をしておこう。震災10年目と15年目に流されたもの。10年目のCM15年目のCMこないだ紹介した「繋ぐ」という本はNTTとその協力会社の人たちのドキュメントやった。関西電力の人も大阪ガスの人も、その他の人たちも自分たちも被災者なのに一生懸命働いてくれはったんやよなあ。
2010年01月17日
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はるかへとうちゃんよりお客さんが望まないことをやってるばかりで受け入れてもらえなければいくらいいこと・いいものでも意味がないっていうようなことを昨日書いた。じゃあ、お客さんに迎合すればええのかっていうとそうでもないよねえ。自分の提供するものがとてもいいんだけど、お客さんの望んでいるものとはちゃうなあ、という場合はどうしたらええんやろう?簡単な話で、お客さんに気づいてもらうようにすればええんやね。もちろん、お客さんに気づいてもらうことが簡単っていうわけじゃない。 どうしないといけないかということは簡単にわかるよねってこと。昨日の話の関連で言えば、通学の電車の中以外でも本は読めるんだけど、それ以外の時間は本を読むよりも他のことに使ってしまうんだから、・他のこと(たとえばテレビやゲーム)よりも本を読む方が おもしろいとい感じるようになる方法はないか?・でもやっぱりテレビも見たいよなあ、というのもわかるので じゃあ、その他で読書に使えそうな時間はないか。 (たとえばトイレの中とか。)・有限の一日24時間という中でこれまでは他の動作に使っている 時間から読書の時間を捻出できないものか? (たとえば睡眠時間を減らす、ゆっくりと食べている食事の 時間を少し短くする、家での行動を見直してそれぞれの行動に かかっている時間を少しずつ短くしていくとか)て名感じで、お客さん・相手の人にこんなおもろいことありますよとかこんなやり方もあるんちゃいますかっていう風に気づいてもらうことも大切なんやよねえ。
2010年01月16日
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はるかへとうちゃんより17日は阪神・淡路大震災から15年。明日16日には「神戸新聞の7日間」というドラマがあるよね。遥はその日は見られないだろうけど、きっと録画してあると思う。このドラマは震災下にあっても新聞を出し続けた人々の話だと思う。それと似たもので寸断された電話線を繋いでいったNTTの人たちについて書いた本がある。とうちゃんは出版当時に読んで泣けた。(残念なことにアジスアベバに置いてきてしまった。)ということで、その本をアマゾンで注文したのでこれも読んでみて。すでに絶版になっているのか中古だけど。さらに、さっき書いたばかりだけど、文庫でもないけどね。その本のタイトルが繋ぐ―阪神大震災、「電話」はいかにして甦ったか
2010年01月15日
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はるかへとうちゃんより遥が読んだ方がいいなあと思った本をこれまで何冊もアマゾンから送りつけてたよね。今回の一時帰国で遥が本を読むのが通学の電車の中だけで文庫かせいぜい新書でないと読まないということがわかった。それだとハードカバーの新刊書が届けられても本棚に置いたままになってもしかたがないよね。いくらよいこと・よいものでも、お客さん・相手が望むものじゃなくて使ってもらえなければ「負け」やもんね。その人の生活パターン・行動パターンから考えると使えそうもないものだと無意味やもんね。今度から文庫を送るので通学途中で読んでちょうだい。ただ、片道15分程度の電車の中だけが読書時間というのはちょっと哀しい。文庫にならない良書もあるし、ハードカバーが文庫になるまでに時間もかかるし、やっぱりたまには自分の部屋でハードカバーも読んで欲しいなあ。あと、本は本棚にあってしょっちゅう背表紙を見てるだけでも意味があるので、これからもたまにはハードカバーを送るけどまあ、それはしばらく本棚に置いておいてそのうち気が向いた時に読んでくれたらええわ。でも、いつも身近で背表紙は見えるようにしておいて。これ、重要。
2010年01月15日
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はるかへとうちゃんより学校の英語の試験とか大学受験の英語の試験で習っていない単語、高校で習う範囲以外の単語がでてくるとそれはおかしいって言う人もいる。習っている単語や熟語ばかりの文章なんて全員ができてあたりまえやよね。できないっていうのは、その生徒が勉強してないだけの話。ところで、学校を卒業して実際に英語に接する場面になったらどういう状況になるやろう?日本語の本や新聞を読んでいても同じ。知らない単語なんてなんぼでも出てくるよね。そうした知らない単語に出くわした時に、「習ってないからわかりません」と言うのか? 言えるのか?そうじゃなくて、わからない単語があっても文脈から推理して大体でもいいからなんとか意味を理解する力が大事やよね。「英語という科目」はそういう力も養成する科目だ、という見方をしてればええんちゃう?「英語と言う科目」で学ぶのは英語だけとか「数学という科目」で学ぶのは数学だけ、なんて思ってるから「英語(と言う科目)は役に立たない」とか「数学(という科目)は役に立たない」というようなことを言う人が出てくるんじゃないかととうちゃんは思う。
2010年01月14日
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はるかへとうちゃんより同じことをやっていて、その結果が変わってくるやろうか?そんなことはないよねえ何かを変えないと結果が変わるわけがない。こないだ日本に行ったときにわかったけど遥はいまだに毎朝ママに起こしてもらってるんやよねえ。目覚まし時計じゃ起きられないんやよね。でも、きっと遥はそれでいいとは思ってないよね。もし、遥が今のままでいい。高校生になっても大学生、大人になってもママに毎朝起こしてもらえばいいんだって思っているなら、ここで話は終わってしまう。でも、そうじゃないなら、ここから今日のタイトルが関わってくる。「いまの状況を抜け出したいなあ」って思ってながら遥は何か工夫してる? 工夫をしてみた?何かを変えてみないと、いつまでも同じ結果になってしまうよね。その「何か」はとうちゃんにはわからない。(正直に言うと、朝起きることは、気持ちの持ちようで、「絶対に起きないと殺される」って思ったら起きられるととうちゃんは思ってるけどね。 ま、それは横に置いておこう。)たとえば、・早く寝てみる。・寝過ぎかもしれないので、もっと早く起きるようにしてみる。・同じく、 もっと遅くまで起きてみる。・目覚まし時計を増やして10分の時差でなるようにしてみる。・カーテンを開けて寝てみる。 (豆球をつけて寝てるから開けられないなら、豆急を消して 寝られるように努力する。)・お水を沢山飲んで寝てみる。(おしっこに行きたくなって起きて しまうかも。)何が遥に合っているのかはわからないけど、こうして試行錯誤してみることは、ブラバンや勉強だけじゃなくて、生きていく上で貴重な経験になるで。 遊びでも同じ。 ゲームでもいろいろと試してみたり工夫をしてみたりするよね。あれは、知らず知らずのうちによく生きるための訓練をしてるようなものやで。同じ意味でブラバンの練習、学校の勉強、受験勉強もただぼーっとやってるだけじゃなくて、自分で工夫して、自分にあったやり方をみつけることに(も)大きな意味があるで。明日からスキーだっけ?怖がらず、でも怪我には気をつけて 楽しんできてちょうだい。
2010年01月13日
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はるかへとうちゃんよりこれまで表参道にあったGAPが3日で閉店したよね。1月3日に閉店となることは去年の12月になってから発表されたらしいけど、あのお店が閉店するかもということはもう数年前からわかってたって知ってる?06年9月の原宿新聞というwebであのビルが2010年には解体されて新しく生まれ変わるという記事が出ていた。その時の記事には、GAPは新しくできるビルに入りたいらしいと書いてあった。でも、去年原宿駅前にあたらしいGAPの店ができたとなるときっと新しくできるビルにはGAPは入らないんだろうなあという推測ができたはずやよね。つまり、表参道にあったGAPが近々閉店するんだろうなあということは秘密でも何でもなくて誰にでも簡単に予想ができたことなんやなあ。スパイは秘密の情報をどこかから得てくるのじゃない。スパイが入手する情報のほとんどは誰もが普通に得られる情報だというようなことを昔何かの本で読んだことがあるで。つまり、どれだけ関心を持って情報に接して、細切れになってる情報をどれだけうまくつなぎ合わせて考えるかってことなんやね。アンテナの差。
2010年01月12日
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はるかへとうちゃんより教わったことをメモしようっていうのじゃないで。そんなことは改めて言わなくったって当たり前の話やよね。メモするのは、こんなこと。・こんな言い方をされて嫌な気持ちになったなあ。・いんな言い方、接し方をしてもらえたらよかったのに。・自分だったらこういうやりかたをするのになあ。ブラバンではるかはまだ教わる立場だと思う。でも、もうすぐ教える立場になるんと違う?教わる立場の人の気持ち、考え方は教わる立場の間でないとなかなかわからない。だから、今のうちに、教わる立場のうちにいろいろとメモをしておいた方がええで。単に「むかつく」とか「うっとおしい」というのじゃなくてなるべく具体的に、ずっとあとで読み返してもわかるように。第三者が読んでも状況が理解できるくらいが理想やね。同じ人間でも数カ月、1年も経てば他人と同じくらいに忘れてるもんやからねえ。
2010年01月11日
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はるかへとうちゃんより「思い立ったが吉日」っていう言葉は知ってるよね。とうちゃんはこれまでこの言葉の意味を物事は思いついた時にすぐに行動に移せばいいんだ、くらいに考えていた。今更ながら意味わかった気がする。この言葉はもっと厳しいことを言っているんやなあ。辞書を調べた訳じゃないのでそれが正しいのかどうかはわからないけど、とうちゃんには十分。思い立ったが吉日っていうのは、人間って言うのは弱いものだから、思い立ったときにすぐに行動に移さないと結局やらないままに終わってしまうで。ほら、すぐやれ!最初の第一歩が踏み出せたら、後は割りと簡単なんやから。とうちゃんの今年の目標の一つは「頬をこけさせること」。ちゃんと食事も摂った上で運動で健康的に頬をこけさせること。年末に代々木公園で教えてもらったスクワットを毎晩やって週に三回はシェラトンのジムに行って、締まった体にする。遥も今年は毎週末に代々木公園を走るんやよねえ。一人でやるのは大変やで。でも、大変だからこそそれを続けられたら健康以外にも得るものも多いで。思い立ったが吉日、で今週末からスタート?
2010年01月10日
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はるかへとうちゃんより予定立ててる?ってしょっちゅう聞いてるので耳にたこができてるかもしれない。なんでかわからんけど、「いつまで」っていう期限があるとなんとかそれまでに終えようと頑張ってしまえへん?(もちろん、できないときもあるけどね。)だから、「何を」「どれだけ」「いつまでに」やるかということをなるべく具体的に考えておくとええで。「今週中にここまでやる」よりも「今週中にここまでやるので今日はここまで」そして「今日はここまでやるから、何時から何時までにここまで」とどんどん細分化しておいた方が遅れたときにも修正ができる。期間が長いと、安心してしまって最後の最後で慌てる結果になったことって多くない?とうちゃんはよくあった。それで修正した。
2010年01月09日
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はるかへとうちゃんより塾に行っている子が多くて塾に行っていない遥は大変らしいなあ。(特に英語)なんで塾に行ってる子は遥よりもできる子が多いんやろう?塾の先生の方が学校の先生よりも説明や教え方がうまいかもしれない。でも、塾に行っている人で英語ができる人と塾に行っていなくて英語ができない人の根本的な差は、学校以外での英語の勉強時間の差じゃないかと思う。今やっているのは英語でも基礎練習のようなものやよね。なんでもそうやけど基礎練習というのはどれだけ時間をかけてどれだけ繰り返して無意識にでも出てくるように自分の身につけてしまうかが勝負。 もちろん集中力・密度も関わってくる。塾に行っていると、学校の宿題以外にも塾での授業、塾の宿題をやることになるはず。簡単に分類すると:1.塾に行っていなくて学校の宿題もしない人2.塾に行っていなくて学校の宿題だけはする人3.塾に行っていなくて学校の宿題以外にも自分で勉強する人4.塾に行っていて塾でだけ勉強する人5.塾に行っていて塾の宿題もする人他に、学校でも塾でもぼーっとしてる人もいるけど、そんなのは論外なので無視。4と5は1と2よりは英語の勉強時間が長い。でも、3の人と4もしくは5の人はどちらが勉強時間が長くなるかはその人次第。遥は朝と放課後のクラブがあるからそもそも勉強に割ける時間が少ないはず。そうしたらどうすればいいのか? どうしないといけないのか?これは中学受験の前にも何度か書いた気がする。(そう。中学受験で学んだことはこんなところでも役に立つ。) 時間の捻出方法を考えることと集中力を高めることやよね。 遊びと勉強の時の気持ちの切り替えを素早くすることも大切。
2010年01月08日
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はるかへとうちゃんより野球の盗塁って知ってる?大まかに言うと、塁に出た選手がピッチャーがバッターに向けて投げたときに走り出してバッターが打ってないのに次の塁に進むこと。20年くらい前に引退した福本選手というすごい選手がいる。年間の盗塁の数で世界記録を出した人。(今は抜かれてしまってるらしいけど。)盗塁をするのは足が速いだけじゃあかんねんて。ピッチャーのクセを見抜かないといけない。何度も何度もビデオを繰り返してみたりしてピッチャー自身も気づいてないクセを見つける。なかなかクセが見つからない時にはわざと盗塁を試みてアウトになることでその時のそのピッチャーの動作から何かをつかもうとすることもあったらしい。すごい努力やね。これは休暇で日本にいたときに買った日経ビジネスちう雑誌で見かけた記事で知った。そこには書いてなかったけど、ピッチャーはピッチャーでなんで福本選手にだけは盗塁をされるんだろう?と考えて何かクセがあるんじゃないかと考えるはず。そして、自分のフォームを見直してクセを探す。くせに気がついたら、それを直さないといけない。プロやからね。一回体に染みついたクセを直すっていうのはものすごく大変に違いない。でも、やらないと試合に負けることが多くなるはず。福本選手が気づいたんだから他の選手も気づく可能性も高い。負けが多くなると、「来年はもうお前はいらない」って解雇されてしまう。 プロやからね。遥にもとうちゃんにもみんないろんなクセを持ってる。大人になればなるほど染みついたクセは落とすのがどんどん難しくなる。 そもそも、悪いクセと知っていても直そうという気持ちにもならないことも多い。だから、悪いクセは早めに直す努力を意識的にやっていかないと後々困るで。いいクセは早いうちに身につけるように努力する。悪いクセは早いうちに取り除くように努力する。
2010年01月07日
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はるかへとうちゃんより例外的に、今日の第二弾。大したことじゃないけど、重要な話。残念ながら遥は新聞をめったに読んでないみたいやけど、今年は新聞を1日10分でもいいから毎日読もう。とりあえず新年のお勧め。朝日新聞の1面左側にある特集記事。「日本前へ」(3面にも続いてる)今日の朝刊には韓国の高校のことが書いてある。韓国の中でもスーパーな高校だから自分には関係ない、なんて考えちゃおしまいやで。
2010年01月06日
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はるかへとうちゃんよりLTEとか太陽熱発電という言葉はとうちゃんも初耳やったけど、一発で覚えてしもた。覚えようと思ったわけじゃないんやけど。なんでやと思う?それは、あの記事を読んだときに「へえー!」と思ったりこれが実現したらどうなるんやろう? とワクワクしたから。衝撃が大きいと覚えようと思わなくても記憶に残ってしまうし、忘れようと思っても忘れられないよね。(これが悪く出ると、トラウマっていうことになるんやろうね。)遥はとうちゃんの反応を大げさすぎるということがあるけど、あれはほんまにすごく感心したりワクワクしたりしてるんやんで。最初のうちは意識的に大げさに反応するように気をつけててもいろんなことに興味を持ったりこれが実現したら社会がどんな風に変わるのかなあって思っていたらそのうちに自然と「へぇー」って思ってくるようになるで。
2010年01月06日
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はるかへとうちゃんより今日は仮想水だ!3日のテレビ番組「号外 1秒の世界」を覚えてる? http://www.tbs.co.jp/ichibyou10/仮想水っていうのは農作物や畜産物を作るのに必要になる水の量を、その農作物や畜産物を輸出入する際に使ったように仮に考えるという考え方。たとえば牛肉を輸入したときにはその牛肉を作るのにこれだけのお水が必要だった。 だから、日本で輸入牛肉を食べている我々はそれだけのお水を消費したことに等しい。日本では水を使ってないけれども、他の国の貴重なお水を使っているんだ、という話。ここ数日で書いた新しい単語は、太陽熱発電、 LTE、 仮想水。全部覚えてる?
2010年01月05日
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はるかへとうちゃんより今日も新しい単語の紹介。LTEはLong Term Evolutionの略。携帯電話で光ファイバーと同じくらいのスピードで通信ができる技術なんやて。 うちのインターネットの何倍も速いスピードでデータの送受信をできるようになる。今年の末あたりから世界のいろんなところでサービス開始の見込みで日本ではドコモがまずスタートの予定やって。(しかし、なんでLong Term Evolutionと呼ぶんやろうねえ。英和辞典で調べたらわかるけど、特に通信に限った単語じゃないと思うんだけど。)携帯電話でそんなに早くデータをやりとりできるようになるとどんなメリットがあるんやろうなあ。どんな新しいサービスが可能になるんやろう?どんな風に生活が変わっていくんやろう?
2010年01月04日
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はるかへとうちゃんより太陽光発電とちゃうで、太陽熱発電やで。新聞にはその日その日の出来事だけじゃなくて特集記事がある。それを読むのがとうちゃんは好きだ。特に1月1日の新聞はそういう記事が多い。(特集記事は事前に準備ができるので、ある意味年末年始の手抜きかもしれないけどね。)文化・教養とか科学技術関連の特集が多くていいねえ。さて、日本経済新聞の元日の特集記事に太陽熱発電の記事があった。パイプの中に油が入れてあって、そこに鏡で太陽光を集めて油を熱する。 その熱を使って蒸気を作りその蒸気で発電する。この方が太陽光発電よりも効率がいいらしい。昨年ドイツの企業グループがサハラ砂漠に太陽熱発電施設をいくつもつくって欧州向けの発電基地とする計画を発表してる。この記事はアルジェリアでも読んでたけど、とうちゃんはてっきり太陽光発電だと思ってた。遥の中の注目ワードとして登録しておいてちょうだい。
2010年01月03日
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はるかへとうちゃんより元日の日経の「平城遷都1300年」という特集記事の中でこんな話があった。日本で今残っている仏さんは一番古いので1500年くらい前のもの。1000年以上前に作られたのもたくさんあって、日本人はそうした仏さんを修復してきた。 新しいものを作ってしまう方がよほど簡単なのに修復して修復してきたのは日本人が過去の人たちへの業績に対する尊敬の念があるためだ。確かにそうやよね。元の物をすごく研究して大事にしないと修復ってできないもんね。でも、・修復して大事に使うのは日本だけやろうか? とうちゃんの少ない知識でもイタリアの人も昔の絵画などを修復してるし おそらくはイタリアの方が日本よりも修復をしている職人さんへの尊敬の 度合いは高いと思う。 (ま、これはイタリアは日本同様に世界トップレベルで物を大切に すると言うことなのかもしれないけど。)・物については昔の物を大切にしてるかもしれないけど、街作りについては どうやろう? 東京や大阪の街ってどんどん変わっていってるよねえ。 パリは内装は変えても いいけど外観に手を加えるのはすごく規制があるって聞いたことがあるで。 (日本人は自分の近くにある物は大切にするけど、街のような自分の物ではない ものについては大切にしないってことなかあ。)
2010年01月02日
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はるかへとうちゃんより2010年が始まった。今日は朝からずーっと外出していたので今年の目標は考えてないだろうけど、ブラバンが始まる前に考えて、紙に書いておいた方がええで。(自分宛にmailしてもええけど。)さて、こないだ代々木公園でウォーキングをした後にカフェで話をしていたときに同じテーブルに座っていた人から薦めてもらったDVDを買った。薦めてもらったらなるべく読んだり観たりするようにしようととうちゃんは思ってる。こないだのように「すごく感動した」なんて言われたら、もう観てみないことにはいられないよねえ。もちろん、とうちゃんとその人とは感じ方が違うかもしれないのでとうちゃんにはなんてことはない作品かもしれない。でも、ある人が「すごくよかった」というものはとうちゃんにもよい可能性が高い。 結果的にそうじゃなくても一度触れてみる価値はあると思うんやよねえ。普段自分が興味のない分野ならなおさら人のアドバイスには沿ってみよう、というのはこれまでにも何度も書いたこと。それに、薦めた人もきっとうれしいやん。そしたら、その人は「また何かあったら推薦してみよう」って思ってくれはるんとちゃうかなあ。これは、結果であってそう思ってもらえるからDVDを買ったわけじゃないけどね。「自分には関係ない」「自分は興味がないから」とか「これは男性向けだけから」「これは高校生向けだから」なんて考えて入り口でシャットアウトをするようなことだけはしないでもらいたいねえ。
2010年01月01日
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