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<東日本大震災から二年と314日目>はるかへとうちゃんよりまたワクワクすることがでてきたねえ。STAP細胞。こないだ「人工光合成:遥へ(2347)」で化学は世の中を変えると書いた。今回STAP細胞の作り方を発見した小保方さんは応用化学科出身。とうちゃんには詳しいことはわからない。でも、新しい技術、発見が好きだ知らないことを知るって楽しいじゃないか。「そんなこと知ってなんになるの?」って遥はたまに言うけれど単に楽しい、ワクワクするだけのはなし。遥が嵐が好きなのと大差ない。
2014年01月31日
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<東日本大震災から二年と325日目>はるかへとうちゃんよりエチオピアの治安は最近ちょっと悪くなってきているらしい。強盗も増えていて夕方からは街を歩かないようにと指導している日本の会社も出て来たらしい。とうちゃんたちが住んでいた頃はかなり安全な方で夜も歩けたので今もエチオピアは安全な国だとばかり思っていた。 なまじ昔の様子を知っていると、状況が変わっていても「自分は知っている」と思ってしまうという罠にはまってしまうよねえ。それは、何度かここでも書いている「一部しか知らないのに全部を知っていると誤解している」状態と同じとも言える。自分が知っていた時と今とは状況は変わっている可能性は十分ある、と常に頭の片隅に置いておかんとあかんね。
2014年01月30日
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<東日本大震災から二年と324日目>はるかへとうちゃんより日経のスポーツ欄には有名なスポーツ選手だった人やスポーツ関係の人が書く「スポートピア」という連載コラムがある。昨日のスポートピアは山崎武司という昨年引退したプロ野球選手が書いていた。タイトルは「練習もウソをつく」。そろそろ今年のシーズンに向けて練習を始める時期で、球団が用意する合同練習(キャンプという)の前に一人でやったりチームメート数人で準備を始める(自主トレ)。その自主トレについてこんな事を書いてはった。” 自主トレは、(略)ただ単に練習メニューをこなして「あー、たくさん汗をかいたな」で終わってしまったら、自己満足にすぎないのだ。”” 若手の自主トレを見ていると「やり方が下手かな」と感じることも多い。今の若い選手は、僕らの時代に比べても非常によく練習する。 (略)そこになかなか意図が見えてこない。長時間の練習も、何も考えていなければ、無駄に体力を消耗するだけ。「努力は裏切らない」「練習はウソをつかない」とよく言われるが、時に「練習もウソをつく」ことがあるのだ。”目的・意図を持ってやるのと、そうでないのと。天と地との差があるってことやね。
2014年01月29日
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<東日本大震災から二年と323日目>はるかへとうちゃんより「任せ方の教科書」という本の広告を新聞で見た。読んでないので、これまた広告やタイトルからの推測になってしまうけれど、部下を持つようになった人向けの本で、部下には仕事を任せようということを説く本のようだ。でも、部下を持つようになった人ではなくて、部下の立場の人が読んでもきっと役に立つ。部下の立場の人が読むと、なぜこんな風に仕事を任せられるのかが理解できる。仕事を任せられるときに確認しておくべきことも理解できる。
2014年01月28日
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<東日本大震災から二年と322日目>はるかへとうちゃんより例によって、昨日の話を逆の立場で考えてみよう。逆に考えると。。。些細なことでもいいから、「覚えてますよ」ということを伝えると相手はすごく気持ちがよくなるし、遥にいい印象を持ってくれるに違いないということにもなるよね。「覚えてますよ」ということは、それだけ「気にかけてますよ」っていうことのあらわれやからね。「覚えてますよ」の第一歩は、顔と名前を覚えること。遥は得意やったよねえ。これはすごい特技やで。とうちゃんもそうやけど、顔と名前を覚えるのが得意じゃなくて困ってる人はたーくさんいる。
2014年01月27日
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<東日本大震災から二年と321日目>はるかへとうちゃんより昨日、例に出したホテルでは、とうちゃんがお店に入った時刻ではケーキセットが提供されていない時刻だったので「またその時間になったら戻ってきます」と行って、一旦お店を出て、そのホテルのロビーで本を読みながら時間をつぶしていた。で、再びそのお店に入っていったら、さっきとうちゃんに事情を説明しはった人とおなじ人が応対してくれた。 お店の人は9人いたので偶然だったのだと思う。その人は、「お帰りなさいませ」と言ってとうちゃんを迎えた。人間って単純やねえ。そうして覚えてくれていたこと、そして、「お帰りなさいませ」ということで覚えていたことを伝えてくれたことで、嬉しい気持ちになった。
2014年01月26日
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<東日本大震災から2年と320日目>はるかへとうちゃんより帝国ホテルの翌日は別のホテルに行った。そこに着いた時もケーキセットはまだ始まっていない時刻だった。帝国ホテルでやってくれたから、もしかしてと思って聞いてみた。 ケーキセットの時間になってからケーキを頼んだらセットに してもらえますか?上司の人に相談してからの答えは、無理ですということだった。まあ、それが当然だと思う。でも、頭ではわかってるんだけど、心では帝国ホテルと比べてしまうんやよねえ。一度そうしたサービスを受けると、そこを基準として比較してしまう。サービスを提供する側からするとこんなに怖いことはないよねえ。
2014年01月25日
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<東日本大震災から二年と319日目>はるかへとうちゃんより昨日の帝国ホテルでの出来事を会社の若手にmailしたんやけど、彼らは気がついてくれたかなあ。「帝国ホテルはさすがやなあ」という感想以外に何か感じてくれているといいんだけどねえ。つまり、自分に矢印を向けて考えているかということ。自分たちはホテルやレストランで働いているわけじゃないから無関係だという風に考えずに、自分たちも誰かから督促を受ける前に仕事をしていかないとなあ、くらいはとうちゃんのmailを読んだ直後2秒くらいでもいいから、そういう気持ちを持っていて欲しいものだ。
2014年01月24日
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<東日本大震災から二年と318日目>はるかへとうちゃんより昨日、帝国ホテルの一階にあるランデブーというカフェに行った。近くで13時に待ち合わせをしていたので、ホテルのカフェでコーヒーを飲みながら本でも読んどこうと思って。10時に到着。コーヒーを飲みながら、といいつつもケーキセットを頼もうとした。すると、残念なことに、ケーキセットは11時からとお店の人の説明。やむなくコーヒーだけを注文。11時になったので「そろそろケーキを注文しようかな」と思っていたら、さっきの人がケーキのサンプルをお皿に載せて持って来てくれた。6種類くらいの中から一つを選んで注文したら、最後に「コーヒーも暖かいものに変えましょうか?」と。さすが帝国ホテル、って思った。ちなみに、ここはコーヒーはおかわり自由。 (お店の人が注ぎに来てくれはる。)長居して本を読んだりするにはすごくいい感じ。(他のホテルもおかわりが出来るとことはけっこうありそうな気もするけど。)あ、そうそう。もちろん、ケーキセットとして処理されていた。コーヒーとケーキ別々の注文ではなく。
2014年01月23日
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<東日本大震災から二年と317日目>はるかへとうちゃんより「“国家信用力の指標”中国がビザ免除国増に躍起 外交目標に掲げる」という見出しのニュースがあった。それによると、昨年7月の時点で、日本は170の国・地域にビザなしで行けるが、中国は44だったらしい。この記事には書いていないけど、アフリカの国々だともっと少ないんじゃないだろうか。 しかも、ビザを取るのにすごく手間暇がかかる。日本に生まれてよかったねえ。ところで、170の国・地域にビザなしで行けるというけど、世界の国はいくつあるんだろう?と思って、検索してみた。外務省のサイトに「世界と日本のデータを見る」というページがあった。それによると、195。そして、日本が大使館を置いている国は135。日本に大使館を置いている国は153。
2014年01月22日
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<東日本大震災から二年と316日目>はるかへとうちゃんよりこないだジョギング中に左足のふくらはぎが痛くなってジョギングもできないほどになったので近所の整形外科に行ってきた。別に特効薬があるわけじゃないのだけど、痛みの理由を説明してもらえたので気持ちもスッキリ、安心できた。お医者さんに診てもらうっていうことの大きな意味・効果の一つはこういうことやね。薬や手術ですぐに治らないかもしれない。でも、理由や対処方法がわかったのと、お医者さんに行かずに痛みの理由がわからない状態とでは大違い。極端な話、「もう手の施しようがありません。あと半年の命です。」という診断だったとしても、そこから「じゃあ、その前提でどうしていこう」ということを考えられる。
2014年01月21日
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<東日本大震災から二年と315日目>はるかへとうちゃんよりこないだカフェで本を読んでいたら、隣のテーブルで女性が二人話しているのが聞こえてきた。その中の話題の一つに美容師さんの話があった。男性か女性か、どっちがいいかという話。女子目線と男子目線が美容師さんにもあって、女性の美容師さんは「かっこいい」という髪型を目指すことが多いけど、男性の美容師さんは男子目線で「かわいい」という髪型を目指すことが多い。だから、男性の美容師さんにやってもらう方がいい、という話だった。もちろん、美容師さんも様々だろうし、お客さんの好みもそれぞれなので、常にそれがあてはまるとは限らないけど、そういう見方があるということがおもしろかった。
2014年01月20日
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<東日本大震災から二年と314日目>はるかへとうちゃんよりツイッターでこんなツイート(文章と写真)がRTされてきていた。Smog in Beijing is so awful they have to show sunlight on a big screen.中国 特に北京の空気の汚染がひどいということは遥も知っていると思う。そういう情報が事前にあると、このツイートを見た瞬間に、「やっぱり北京はひどいなあ。 もうマンガやSFの世界じゃないか。」って思ってしまう人も多くいそう。その瞬間にRTする人が出てきて、どんどん拡散する。ところが、元の記事にはこんな注釈がついていた。This post has been revised to reflect that the sunrise was not broadcast specifically for that day.しかも、その写真のスクリーンの右下には何やら文字が書いてある。写真を拡大すると「Shandon(山東)」と読めるので、山東省の広報のための写真か動画の一部じゃないかということが推測できる。思い込みってのは怖いっていうことやねえ。そして、反射的にRTすることの怖さ。(それをやると自分もデマを拡散するしていることになる。 そして、遥はもうよくわかっているように一度ネット上で広めてしまったことは消せない。)(告白すると、上に書いたことはとうちゃんが気づいたことじゃなくて、とうちゃんが尊敬する友だちがツイッターで書いてくれていたこと。)
2014年01月19日
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<東日本大震災から二年と313日目>はるかへとうちゃんより人工光合成って知ってる?植物と同じで水と二酸化炭素から酸素を作るのだとばかり思っていた。そうじゃなくて、光と二酸化炭素、水から炭水化物を作ろうとしているものだった。(そもそも、光合成自身も酸素だけじゃなくてブドウ糖も作るのだった。中高の頃は生物と言う科目は得意だったのだけどねえ。)たとえば、人工光合成でパナソニックはメタンを作ることに昨年成功したらしい。 パナソニック、人工光合成でメタン 燃料電池に すごいなあ。化学は世の中を変える。(変えてきたし。)クラレの ”ミラバケッソ(未来に化ける新素材)” やカネカの ”カガクでネガイをカナエル会社”というコピーもええねえ。
2014年01月18日
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<東日本大震災から二年と312日目>はるかへとうちゃんより新聞の広告で「心配事の9割は起こらない」と言う本を見かけた。当たり前の話やん。と思った。世の中、心配事ばかりして気が滅入っている人が多いので気持ちを和らげてあげようと言うことで、「どうせ9割は起こらないんですよ」っていう本じゃないかと言う気はする。その本には興味がないので読まないし、読んでないのにごちゃごちゃ言うのはおかしな話。ということで、その本についてではなくてその本のタイトルからの連想で考えたことを書こうと思う。心配事の9割は起こらないとしても、1割は起こるわけだ。そしてその1割が起こった時のために準備する。起こらなかった9割についての準備も無駄じゃなくて、心配していなかった時にそうしたことが起こるかもしれないし、起こった1割のケースでその準備が役立つかもしれない。ただいくら準備をやっても100%完全ということはないし、時間やその他の制約もある。そういう場合に、今の環境でできる限りのことはやったら、「心配事の9割は起こらない」と腹をくくることも必要だということはとうちゃんも同意する。できないこと、変えられない事を心配していても仕方がないから。「できない」「変えられない」と言う前提で次の準備をすればいい話。
2014年01月17日
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<東日本大震災から二年と311日目>はるかへとうちゃんより自由って厳しいねえ。「これ、明日までにやっておいて」と言われたこととか、相手がいて、その人から頻繁にプッシュが来るようなことはやらないといけないなあと思ってすぐにやる。 夕方までに終わらなかったら夜遅くまでかかってでもやる。でも、期限が決まってないことだと、実はそれが重要なことであっても、後回しにしがち。ずるずると後回し、後回しにしているうちに一週間、二週間、1ヶ月と経過してしまうこともある。気がついたときには、頼んできた人の信頼を失っている。自由って怖いねえ。そういう時は自分で自分に期限を設けた方がいい。人間って弱いから、楽をしたい生き物だから、先延ばしにしがちになる。
2014年01月16日
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<東日本大震災から二年と310日目>はるかへとうちゃんより白菜って英語でなんと言うか知ってる?Chinese Cabbage。中国キャベツ。なんで中国なのかはわからない。別に中国が原産でもないだろうに。フランス後でも全く同じで、chou chinois。chou=シュー が「キャベツ」でchinois=シノワが「中国の」。とうちゃんは英語を先に知っていたので、白菜をフランス後でchou chinoisと言うんだと知った時は、「なんだ英語そのままやん」って思った。ところが、仏和辞典だとchou chinoisを調べても出て来ないので、フランス後から入った人にはちょっとわかりづらいみたい。なんだかおもしろいねえ。そして、いろんな国の言葉を知っていると、似てたり似てなかったりでこれまたおもしろい。
2014年01月15日
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<東日本大震災から二年と309日目>はるかへとうちゃんより土曜日の22時からの番組で「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」というのがある。(NHK)SWITCHインタビュー 達人達(たち)SP「岡田准一×五嶋龍」というのが昨日のお昼にやっていた。たまたま家にいて、途中から観た。岡田さんって普段から武術をやっていて、スタントマンなしで自分で演じているらしい。スタントマンを使うと当然ながら顔は映せない。 だから、カメラの位置にも制限がつく。 自分が演じることで監督が撮りたい角度から撮れるようになるからと説明していた。また、アップで写っている時とそうではない時で手を動かすスピードも変えているらしい。 アップだと少し手の動きを遅くしないと画面では見づらくなるからだって。もしかすると、俳優さんたちはみんながやっているのかもしれないけれど、いろいろ考えて演じているんだなあと思った。
2014年01月14日
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<東日本大震災から二年と308日目>はるかへとうちゃんより昨日の続き。人と話をして驚きや発見が全くなかったら、それは自分の関心の持ち方が低かったか、自分の質問力が低くて相手の話をうまく引き出せなかったからだと考えるべきなんやろうね。
2014年01月13日
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<東日本大震災から二年と307日目>はるかへとうちゃんより與那覇潤さんという愛知県立大学日本文化学部の先生(准教授)がいてはる。友だちがツイッターでRTしてきたのを読んでガーナにいた頃からとうちゃんもフォローしている。”人間力より「変わる力」を 一教員の見た大学論”というのをネットで與那覇さんが書いているのを読んだ。以下、そこからの引用。(改行位置はとうちゃんが変えている。) 私自身が、どんな力を持った受験者に入学してほしいですかと 問われたなら、迷うことなく、「驚く力」であり「変わる力」だと 答える。 学問というレンズを使って眺めてみると、目の前の景色がこれまでと まったく違って見えることに、まずは驚いてほしい。 そうして新しい世界を知った自分を肯定して、それ以前の価値観や 思い込みを相対化して、変わっていってほしい。 たとえば「『信長の野望』以来、ずっと戦国時代が好きでして」よりは、 「先生の授業に出て、この時代をもっと知りたくなりました」と言われた方が、 教え甲斐があるという教員はきっと多いと思う。これは別に先生と学生の間だけの話じゃあない。上に引用した部分の後で與那覇さんもこんな風に書いている。 対話の愉しみは (中略) 自分と相手とのあいだに生じた変化の質に 比例する。ある人の話を聞くとき、何かに接するとき、常に好奇心を持っているようにする。そうすれば、驚きもきっとあるだろうし、その前と後とで変わっていないということもないに違いない。これが與那覇さんのツイッターアカウント。遥も入試が終わったらフォローしてみるといいで。
2014年01月12日
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<東日本大震災から二年と306日目>はるかへとうちゃんより芸能人でかっこよく歳をとっている人がいるよねえ。特に、若い頃はイマイチやったけど、だんだんかっこよくなってきた人。その人は、きっと見えないところで努力をして来たんやろうなあと思う。芸能人に限ったことではなくてスポーツ選手でもいるし、他の世界でももちろんそうした人はいてはる。そういう歳の取り方ってかっこええな。
2014年01月11日
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<東日本大震災から二年と305日目>はるかへとうちゃんより来週エチオピアに出張に行く人がいたので、昨年初出張でエチオピアに行ってきた新人くんがちょっとした講義(?)をした。「エチオピア人って名字がないんですよ。自分の名前(first name)+父親の名前 なんです。(めずらしいでしょ)」と話した。すると、その人は「あ、インドネシアに似てるな。 あそこも名字に当たるものがないんや」とあっさりと答えた。(インドネシアがエチオピア同様かどうかはとうちゃんは知らない。)エチオピアの名前の付け方を知った新人くんはすごく驚いたに違いない。だからこそ、講義の中で話をした。きっと、彼は「世界でここくらいだろう」と思っていたんだろう。それは仕方がない話。それを話したことで、世界は広くてエチオピア以外にも似たような命名法をしている国があると知った。彼はまたすごく驚いたに違いない。これで、彼はエチオピアだけがユニークなのじゃないと知った。そして、「自分がすごく珍しいと思ったものもそうじゃ無いこともある」ということも身にしみて知ったに違いない。いいことだ。
2014年01月10日
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<東日本大震災から二年と304日目>はるかへとうちゃんより昨日書いた、「感受性」で思い出した。「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」で終わる、茨木のり子さんの詩を覚えてる?遥が5年生の時にここで紹介した。もう一回読んでみて。2006年8月1日「自分の感受性くらい:遥へ(756)」
2014年01月09日
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<東日本大震災から二年と303日目>はるかへとうちゃんより田村さんの記事を読んだ反応としてどんなのがあるだろう?・ふーん。すごい人もいるもんだ。・見習いたいな。・今日からやろう。実行するひと。1ヶ月ほど前に「友音さんの一年目のノート:遥へ(2303)」で紹介した、スプラッシュで働いている友音さんの記事。それを勤務先の若手の人に紹介したら、「じーんときました。」というだけの反応だった。これはダメだと、とうちゃんは思ってしまった。感受性が鈍いんじゃないんやろか?
2014年01月08日
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<東日本大震災から二年と302日目>はるかへとうちゃんより数日ぶりで「外交から見る世界と日本」からのネタ。今日は、「心の中に悪魔の代弁人を飼いなさい」。カエサル(もしくはシーザー)という人は聞いたことあるよねえ。彼がこんな事を言っている。「多くの人は自分が見たいと欲するものしか見ない」今も昔も変わらず、人間というのは自分に都合の悪い情報を聞きたくなくて、自分の好きな情報しか見たがらないもんなんやね。それは、人間だから仕方がない話。だからこそ、「聞き心地のいい情報の摂取だけで満足しない」ように気をつけないといけない。ということで、田村さんが勧めていたのが、「心の中に悪魔の代弁人を飼いなさい」ということ。以下、田村さんの話からの引用。(ここまで書いたことも田村さんが話していたことを構成を変えて表現をちょっと変えただけやけど。) ある議論があったときに、その議論に対して難癖をつける人を「悪魔の代弁人」と いいます。もともとはカトリック教会で聖人に列される人を審査する際に、あらゆる 可能性を考慮し批判的な意見を述べる人のことが起源です。あまりに耳に心地よい ことを聞いたら「それはちょっと違うのでは?」「本当にそうなの?」と、常時、批判的な 思考を働かせてください。自分の中で、「悪魔の代弁人」を機能させるのです。こうした 批判精神を養っておくと、将来自分を強くすることにとても役立ちます。
2014年01月07日
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<東日本大震災から二年と301日目>はるかへとうちゃんより本題に入る前に。昨日、為末さんが諦めたこと、諦めなかったことと書き忘れた。為末さんは世界陸上で400mハードルの銅メダルを取った選手。中学くらいまでは100mの選手でかなりいい成績だったらしい。ところが、他の選手を見渡したとき、自分がメダルを取れるとは到底思えなかった。 一方でハードルは100mよりも自分に向いていそうでしかも競争が100mほどには激しくないように思えた。為末さんにとって大切だったのは、100mという種目にこだわることではなく、陸上の種目でメダルを取ることだった。だから、100mを断念してハードルという種目に専念することにした。さて、今日の本題。「ネイティブはそんな言い方をしません」というような感じの英語の本がちょこちょこ出版される。「英語は苦手」って思っている日本人がほとんどなので、この手の本が出版されて、かつ売れるんだろう。とうちゃんも「英語は苦手」だ。 (「英語も」苦手だ。)でも、と思う。「ネイティブはそんな言い方をしませんよ。そんな言い方はもう時代遅れでこう言った方がいいですよ。」というありがたいアドバイス(この表現がいいという英語)がそもそもちょっとおかしいのじゃない?という指摘をする人もいたりするけれど、とうちゃんにはその真偽はわからないのでここではひとまずそのアドバイスを「真」として考える。で、それでも、「でも、と思う。」のはなぜか。それは、しょせんとうちゃんは日本人で非ネイティブだから。ネイティブが話す英語を話す必要はないと思っているから。・ネイティブが話す英語表現を「いくつか」覚えることに時間を使うよりは 自分が言いたいことがその7割くらいのできでもいいのでスムーズに口から 出てくるように努力した方がいいと思う。・会話の9割がネイティブの英語じゃないのに、ごく一部分だけがネイティブが 使う表現になっていたら、それはそれでやっぱり奇妙だろう、と思う。英語はツールなので、使う人の目的によって求められるレベルも違ってくる。だから、とうちゃんの考えがすべての人に当てはまるとは限らない。でも、大多数の日本人にとっては多分当てはまると思う。
2014年01月06日
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<東日本大震災から二年と300日目>はるかへとうちゃんより 為末大さんの「諦める力」という本がある。昨日は最後まで諦めないことが大切だっていうようなことを書いたのに今日は諦める力っていうのはどうなってるんだ? と思うかもしれない。それは、どういう場面でぎりぎりまで諦めないか、どういう場面で早々と諦めるか、と言う話やね。極端な例で考えよう。プロ野球選手になりたい高校生のピッチャーがいる。 その選手は打撃はすごくいい。足も速い。 でも、投げる球のスピードは中学生並み。 で、「僕は田中投手のようになりたい。」とも思っている。その高校生にとっては、「プロ野球選手になる」ことを諦めないために、「田中投手のようになる」ことを諦めるという選択肢があるよね。田中投手のようになれるかというと、あのクラスにまで成るには努力では到底たどり着けない才能というのが必要になってくるので、「今はまだこの程度だけどこれから努力すれば可能性はある」と判断するか「自分は田中投手のようになりたいと思っているけれど、よくよく考えればどう考えても無理だ」と判断するか。 前者なら諦めずにやるべきだろうし、後者なら自分の夢を断念するのは辛いだろうし、その夢を知っている周囲の人の目も気になるかもしれないけれど、諦めて別の道でプロ野球選手に成ることを目指す方がいい、ということになる。
2014年01月05日
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<東日本大震災から二年と299日目>はるかへとうちゃんより今朝はジョギングは休憩。明日の朝、また走る。で、昨日のジョギング中に考えたことをもう一つ。「諦めちゃあいけない」ということ。走ってる時って他にやることがないから、ある思いや考えがふと浮かんが来ることがあるんやよねえ。息が切れないようなスピードで走っているので「しんどいな。もう走るのやめようかな」なんて思うことは今のジョギングではないけれど走っていたら、なぜか「最後まで諦めたらあかんのよねえ」という言葉が降ってきた。諦めたらあかん、というと連想する人がたーくさんいるのが、「スラムダンク」というマンガの中のセリフ。「あきらめたらそこで試合終了だよ」ちょっと検索してみたら、ちょっと面白いサイトがあった。”MANGAで英会話講座”というサイト。”『スラムダンク』「あきらめたらそこで試合終了だよ」を英語で言えるようになろう” 最後まで… 希望を捨てちゃいかん あきらめたら そこで試合終了だよ Don't give up... Cleave to hope till the very end. When you give up, that's when the game is over.そして、今朝は昨日、一昨日開催された箱根駅伝での東洋大学のスローガンを知った。「その一秒を削り出せ」2011年の箱根駅伝で早稲田大学に21秒差で負けた後に、作ったスローガン。100キロ以上ある中の21秒。 10人が走る中の21秒。そして、翌年は優勝。 でも、昨年はまた勝てず。今年の優勝を目指して昨年1年間はこのスローガンをもう一度心に刻んで練習してきたらしい。
2014年01月04日
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<東日本大震災から二年と298日目>はるかへとうちゃんより田村さんの中高生向けの話からのネタはあと少しあるんだけど、今日は今朝のジョギング中に思った事を書こう。(元旦に続いて今朝も6時半頃から1時間程度ジョギングしてきた。)それは、「焦らない」っていうこと。去年の10月から減量のために3ヶ月限定で入っていたジムも予定通りに12月末で退会。元旦からは近所の公園で走り始めた。速く走るためでも筋力をつけるためでもなくて減量(というかもはや体重維持)が目的なので息が切れない程度のスピードで時間をかけて走ろうと思っている。(これはジムでもやっていたこと。)そう思って走り始めるけれど、走り出すとジムで走っていたよりもなんとなく速くなっている気がする。(ジムだとスピードが出るのでそれを見ながら加減できるんだけどねえ。)「焦っちゃいけない。」とスピードをちょっと落とす。今度は、後ろからとうちゃんを抜き去る人がいる。そうすると、「抜かれてたまるか!」とは思わないけど、自然とちょっとスピードが上がってしまう。「焦っちゃいけない。」とまたスピードをちょっと落とす。とうちゃんとその人たちとは目的が違う。目的が違うのに、似たようなことをやっている人がいると気持ちがぶれてしまうことがあるよねえ。ジョギングしている横でサッカーや野球をしていても、それを見てスピードを上げることはないだろう。(「しんどいな。もうやめようかな」と思った時に、その人たちを見て「もうちょっと頑張ろう」と思うことはあるかもしれないけど。)でも、同じジョギングだと、目的が違うのに惑わされてしまうんやねえ。目的や目標、自分が大切にしていることを常に意識することが大切なんやね。
2014年01月03日
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<東日本大震災から二年と297日目>はるかへとうちゃんより今日ももちろん(?)「外交から見る世界と日本」からのネタ。今日は教養も大事、自分自身の中身も大事という話。言葉は手段なんだということは、すなわち、言葉以外の部分が言葉以上に重要だということになる。それは何かと言えば、自分自身。 その人の中身。その観点から、田村さんはこういう。 ”「基礎教養の習得も、語学と同じくらいに大事だ」と肝に銘じてください。”タクシーの運転手さんが車を運転できないといけないけれど、運転が出来るだけじゃあ不十分なのと同じで、外国語を操れないと話にならないけれど、外国語を操れるだけじゃあ不十分。これまた外交官だけに限らない。以前書いたけど、音声さんだといろんな番組に関わるんだから、いろんなことに興味を持っていたりいろんなことに知識があった方がその番組作りにより深く関われることになるはず。その他の職業に就いた場合も、完全に一人で完結できる仕事なんてないんだからいろんな分野のことを知っていて、理解している方が一緒に仕事をしている人たちと関係作りがやりやすいに違いない。歴史や政治の知識も重要で、とうちゃんはこの分野はあまり得意じゃなくてよく困っている。日本以外の国の人って、アフリカの国々の人も含めてこの分野の話が好きな人がけっこう多い。聞いていると、ちょっとええかげんな話やなあと思うこともあるんだけど、とりあえず自分の意見を持っている。そういう時に、こちらの意見を言えることは大切になってくる。
2014年01月02日
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<東日本大震災から二年と296日目>はるかへとうちゃんより2014年になった。一年の計は元旦にありってことで、年の初めにふさわしいことを新聞でもテレビでも書いたり話したりするところだろうけど、特にそんなこともせず淡々と。今日も「外交から見る世界と日本」からのネタ。田村さんの三つ目のアドバイスは、「若いうちこそチャンスと考え、特に外国語能力を高める努力をする」今日はそのまま引用しよう。 外国語を学ぶには、若ければ若いほどいいのです。 日本国内では優秀な人材であるにもかかわらず、外国語能力が低いために キャリアアップが困難な人たちを、私は個人的に何人も見てきました。 将来の選択肢を豊かにするためにも、若いうちに外国語能力を磨く努力を 惜しまないでください。こんな文章を読むと、「私はそんなに優秀じゃないし」とか「私は世界を相手に何かをしたりしないもん」なんて考える人もいるかもしれない。”すごく優秀な人「でさえ」外国語能力が低いためにーーー”と理解すべきなんだと思う。今現在遥は英語が好きじゃなくて得意科目でもないことをとうちゃんは知っている。受験直前の今は総合点を上げることを考えるべきなので、英語ばかりをやった方がいいよと言うつもりはない。 (英語を集中的にやった方が総合点が上がりそうならそうした方がいい。)でも、田村さんのアドバイスと以前書いた以下のブログのことは覚えておいて欲しいと思う。 2012年12月2日(日)「英語に苦手意識は持って欲しくない理由:遥へ(2458)」2011年4月16日(土)「英語ができても有利にならない日は近い:遥へ(2350)」2009年6月22日(月)「英語は理系にこそ必要:遥へ(1531)」
2014年01月01日
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