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今4時前ですが、あと1時間もすると外は真っ暗です。秋田市内、紅葉が鮮やかになりました。山王遊歩道や、保戸野学園通り、南大通りなど、街路樹の紅葉が綺麗なところがいくつかあります。市内から眺める太平山は、全山真っ赤に見えます。写真を撮ったら、お見せしましょう。←旅に出たくなったらポチっとよろしく別館ブログにも、ひとこと書きました。タイトルバー下にリンクがあります。
2006年10月31日
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今朝の秋田魁新報によりますと、先ごろ、男鹿市の男鹿温泉郷で、親子でナマハゲ行事を体験するツアーが実施され、子供のしつけに一役買ったということです。このツアーには、秋田市や仙台市、東京都から12家族が参加。男鹿温泉郷の「男鹿萬盛閣」に宿泊し、男鹿市一帯で大晦日に催行されるナマハゲ行事を体験したそうです。大人(親)は、予めなまはげのもてなし方を勉強。夜、夕食を終えた各家族の部屋に順番にナマハゲ2匹が乱入し、「泣く子はいねがぁ~」「悪い子はいねがぁ~」。「ちゃんと勉強しているがぁ~」「親の言う事きいてるがぁ~」子供たちは驚き泣き叫び、「なまはげさんの言うとおりにしますから」。一行は石焼料理(木桶に入った食材と汁に、熱した特殊な石を投入する)、わかめ種付け、ナマハゲ太鼓鑑賞と、男鹿の魅力も満喫。来年度も実施の検討をしているようですから、男鹿市観光協会に問い合わせてみてください。男鹿市以外の人が参加できます。秋田魁新報:なまはげ乱入、大騒ぎ 男鹿市で「子育てなまはげ宿泊ツアー」(原記事:10/30朝刊)←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月30日
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先日、かつて北海道で復活運行していた「C62ニセコ号」の写真を掲載しました。それを見ていて、ふと思いました。現在復活運行されている列車用に、旧客に似せた客車を新造できないものか…。姿格好、内装が旧客に「似ていれば」ヨシ。保安装置は最新式でなければならないし、客用ドアも今では流石に手動では危険。ドアは引き戸の自動でもヨシ。難燃性も確保しなければならない。SLが“半”定期運行されている磐越西線、秩父、真岡、大井川、山口線、そして各地出張運転している高崎のD51に梅小路のC56。このうち、旧客で走っているのは大井川だけですね。あと、高崎のD51と真岡のC11が出張する時たまに旧客のことがありますが。残りはほぼ12系。12系も一応SL現役時代の客車なのですが、近代化された姿でSLに牽引されるのはちょっと物足りなさを感じます。旧客に似せた(外板だけでも)客車があればいいな~…と思います。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月28日
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北海道日本ハムファイターズ、日本選手権優勝。新庄が泣いていた。野球人生の集大成、ラストゲームを、最終打席こそヒットとはならなかったが、日本一で締めくくれた幸せな人だと思う。札幌の街。プロ野球がやってきて3年目。かつては信じられなかった日本シリーズ開催、そして地元胴上げ。当初からプロ球団があった広島を別にすると、福岡につづく本拠地地方進出。福岡と共に街に活気が出たと言う。次は仙台の番だ。ハム優勝の日に言うのは何だが、ぜひフルスタで日本シリーズを。
2006年10月26日
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C62ニセコ号。昨日で終了したはずの、「1989夏 北海道」回顧シリーズですが、C62-3の走行写真のネガが見つかったので、紹介します。1989年8月2日午後。場所は、函館本線倶知安駅の構内外れ。下り列車(=小樽行き)であります。倶知安駅に停車中。下り発車前の模様。見物人が多数います。みなSLに夢中。JR仕様の駅名板に目をつむれば、蒸気現役末期の「SLブーム」の頃だと言われても分かりませんね。もちろん、私はその頃の事は知りません。倶知安駅を発車した列車。力行中。ん?、煙が出てない。絶気状態か?後方に見える山は、羊蹄山です。この写真は、トリミング(画像端カット)してあります。こういうアングル、「列車が走っている」という感じが出て好きです。見物の親子、あれあれ?踏切遮断棒の内側にいますね。踏切の周りは格好の見物場所。煙を上げて、一路小樽へと走り去っていきました。ついでの写真、倶知安駅前です。「雪印牛乳」「日本通運」等、レトロな建物が、味を出していますね。今も残っているのでしょうか?それとも、改築されてしまったでしょうか。楽天の動画サービス「Showtime@楽天」に、「C62ニセコ号」の番組があります。現役時代~1995年のラストランまでの動画が計9本視聴できます。【ShowTime@楽天 会員は無料】激走! 北のシロクニ「C62 3...(←こちらをクリック)「ShowTime@楽天」会員(月間会費294円)になると、見放題です。上記リンクをクリックすると、「ShowTime@楽天」のトップページに飛びます(動画ページへは直接飛べません)。入会した方(入会済みの方)はログイン後、トップページで「シロクニ」と入力し検索してください。お持ちのPCがストリーミング再生に対応できるか、確かめてからご入会下さい。「ShowTime@楽天」では、他に「みんなの鉄道」(フジテレビ制作・別途有料)など、鉄道コンテンツがいくつもあります。いまの「SLニセコ号」(C11型機関車牽引)の情報はこちら↓浪漫の旅、秋のニセコ。(JR北海道)←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月26日
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リアルタイムネタ欠品による懐かしの北海道シリーズ(?)。今日で一応最終回です。日本最大の蒸気機関車「C62」。その雄姿が民営化時に復活しました。「C62ニセコ号」であります。当時、小樽~倶知安間を特定日に1日1往復。ほぼ現役時代のままの旧型客車を5両牽いて走っていました。小樽~倶知安間には峠があるのですが、C62はこの区間を単独牽引していました。現役時代、長編成の急行「ニセコ」などを牽くときは、機関車2両連結の「重連」だったそうです。SL復活にかける雄姿の手で、保存されていた小樽鉄道記念館(いまの交通記念館)から、休止中だった手宮線を通って、再び本線上に戻ってきたのが国鉄末期。数年間運行されましたが、運転が取りやめとなり、今は苗穂工場で保管されているとのことです。現在時折運行されている「SLニセコ」号は、C11型という、ローカル線用の小さな機関車が、14系という特急用の客車(急行「はまなす」用と同じ)の塗装を変えた車両を牽き、後部にDE11型という入換・除雪用の機関車の塗装を変えた車両に後押しさせて運行されます。こちらは、JR化後に開発された普通電車。何と昨年あたりまで増備が続きました。現在、新千歳空港の連絡列車の主力ですから、乗ったことがある方も多いでしょう。隣の赤い車両は、今はなき50系51型(普通列車用客車50系の北海道Ver.)ですね。←ブログランキング 気に入っていただけたらワンクリック*** PR ***←クリックで、お手軽にお買い物。厳寒の季節はもうすぐそこ!冬の旅行に、撮影行に、軽くてあったか、ダウンジャケット。
2006年10月25日
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今日もリアルタイムネタ欠品中です。過去回顧ネタでのお手軽更新ですが、貴重な画像だと読者の方々からご指摘頂いております。さて、今日の舞台は、「宗谷本線」です。1989年7月31日と8月1日にタイムスリップいたしましょう。稚内駅にて当時、札幌と日本最北の稚内とを結んでいた急行「宗谷」。現在は新型車両による特急「スーパー宗谷」となりました。1980年代前半には、同じく札幌~稚内間を結んでいた夜行の急行「利尻」(現在の臨時特急「はなたび利尻」)の間合いで、昼間の列車ながら寝台車を連結したブルートレイン客車編成で運転されていましたが、この写真を撮影するちょうど1年前位に、一般型気動車を改造した車両に置き換えられていました。それが、この「キハ400・480」でありました。車内はリクライニングシートでしたが、改造車の宿命で、窓とシートの位置は全く合っていないのでした。名寄駅にて…と記憶していたが、電化設備があるのでおそらく旭川駅おや、ミッドナイトに続き(実際には、函館での駅撮りははこの後なんですが…)こちらも、何やら正規の編成ではない車両がくっついておりました。こちらもキハ56であります。急行料金を取る「正しい使い方」をされていました。この車両は増結自由席で確か名寄まで連結されていました。こちらにはエアコンなどはなく、扇風機回転、窓全開。蒸気時代の難所であった塩狩峠では、エンジンフル回転で唸りをあげながら、それでも低速での運転を余儀なくされておりました。稚内に到着であります。関係者が大きく写っているので、加工してあります稚内の名所、ドーム型の防波堤。戦時中まではここまで列車が乗り入れ、樺太(現在のロシア・サハリン州)へ向かう国鉄稚泊航路に連絡していたそうです。このとき保存されていた蒸気機関車は、もう解体されてしまったそうです。←旅に出たくなったらポチっとよろしく多分、明日も「1989北海道」。この頃のJR北海道目玉列車が登場します。
2006年10月24日
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リアルタイムネタは現在欠品中なので、過去撮り貯めた写真を紹介しています。時は1989年夏、北海道であります。画像容量の都合により、縮小画像でお届けします。あと9MBしか余裕がありません。函館朝市を見た後、「北斗星」を見に函館駅へ。そこに、「ミッドナイト」がやってきました。これは、当時札幌と函館の間を定期運行していた夜行の快速列車。車両は道内急行用キハ56系の改造車で、車内は1両はリクライニングシート(ドリームカー)、1両がカーペットカーの2両編成。全席指定でした。おやおや、改造車ではない正調キハ56がついていました。夏の「青春18」期間だけ、2両増結が行われておりました。こちらはボックスシートで自由席。果たして眠れるのか、少なくとも、私が急行津軽の583系で1晩を明かしたときには、さっぱり眠れませんでした。猛者はそれでも眠れるのでしょう。あと、宿が浮くだけでも…。(繁忙期の場合、そもそも座れるのか?という疑問もありますな)このミッドナイトは21世紀になって特急車両が使われるようになりましたが、程なく臨時化、そして廃止となりました。現在、函館~札幌間で有効時間帯の夜行列車は急行「はまなす」だけです。おまけ、多分函館本線の普通列車でしょう(江差線だったかもしれません)。この車両も、もうありません。こちら、寝台特急「北斗星」。当時日本最高の豪華列車として青函トンネル開業と共に登場。今も、個室が増えたくらいの往時とほとんど変わらぬ姿で上野~札幌間を運行中。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月23日
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リアルタイムネタは現在欠品中なので、過去撮り貯めた写真を紹介します。時は1989年夏、北海道であります。札幌駅での、キハ183系500番台特急型気動車。当時はまだ登場から2~3年の新鋭車両として、JR北海道の主要幹線に花形特急として君臨。現在は、エンジン換装、塗装変更、アコモ改善を受けて、登場時の姿を残す車両はないそうです。隣は、キハ58系の北海道バージョン、キハ56(26か?)。本州向けのキハ58と違い、二重窓、板張りの床、グリーン車の窓配置に特徴がありました。こちらは、既に全車廃車になっております。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月22日
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紅葉の季節になり、山間の温泉宿は賑わっていることでしょう。秋田県の最南部、湯沢市の山奥に「泥湯温泉」というこじんまりとした温泉郷があります。「奥山旅館」はじめ3軒の旅館が狭い谷合いに肩を寄せ合うように営業しています。秋田県内では乳頭温泉、湯ノ沢温泉(杣温泉)とならぶ秘湯として知られています。日帰り入浴の大露天風呂は広々、手づくり感を感じる岩風呂です(一応、男女別だが…)。また、最大規模(それでも小さい)の奥山旅館では別に露天風呂を持っています。噴気地帯「川原毛地獄」、滝壺が浴槽の「川原毛大湯滝」、深いV字谷と珍地名の「三途川」も近くです。車では皆瀬川の絶壁の谷「小安峡」、花の名山「栗駒山」。道路が狭いので、この時期は渋滞しますが、集落の最も奥に駐車場があります。路線バスもあります。一度足を運んでみてはいかがでしょうか。泥湯温泉秋田県湯沢市高松字泥湯沢・奥山旅館(公式ページ/通年営業)・小椋旅館(冬期休業)・豊明館(冬期休業)奥羽本線湯沢駅前より羽後交通バス「泥湯温泉」ゆきで1時間5分。終点下車。木地山線時刻表(羽後交通ホームページ:PDF形式)泥湯温泉では、道路、旅館敷地以外には絶対に立入禁止。火山ガスが発生しています。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月21日
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昨日、つまり10月20日の0時~24時の間には記事更新をしませんでした。体調が芳しくない上に珍しく昼から多忙で、医者に行ったり何なりしていましたので。それで、昨日のアクセス件数は38件でした。記事をUPした日、特に旅がらみのネタで書いた記事の日は80~130件位ののアクセスがあります(自動巡回、検索ロボットも含む)。更新をしないと、アクセス件数が急減する。この関係はとても正直です。
2006年10月20日
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今日は特にございません。ちょっと疲れ気味なので、ネタはなしです。明日は20日…「イオンのお客さま感謝デー」ですね。
2006年10月19日
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阿仁ゴンドラ紅葉見物の帰路、寄り道して「国民宿舎森吉山荘」へ。 阿仁ゴンドラからは車でおよそ45分の、森吉山の北麓にあります。 秋田内陸縦貫鉄道の駅と国道交差点で言えば、「阿仁前田」から東の山奥へ入ります。 ちなみに、阿仁前田駅舎は温泉を併設しております。 さて、森吉山荘がある米代川水系阿仁川支流小又川の上流部は、奥森吉・秋田県最後の秘境といわれ、古くはマタギの山師たちしか足を踏み入れることがない辺境でした。 昭和30年代に、尾去沢鉱山(鹿角)へ電力を送るため、三菱による電源開発が行われ、「森吉ダム」と「太平湖」ができました。 これを境に、細いながらも道路が整備され、人々が訪れるようになりました。太平湖には、より奥へ向かう連絡船を兼ねた遊覧船があり、ダム湖より奥の「小又峡」は、三階の滝をはじめ、奇岩峡谷が人々を魅了し続けています。 しかしまた、三階の滝より奥、あるいは太平湖へ注ぐ他の谷は、険しい峡谷だったり、激しい流れが洗うすり鉢状の谷だったりして、熟練の登山者や沢登りでさえ尻込みする、今もって「秘境」のままとなっています。 そんな小又川の谷が、まさに「秘境」へ入ろうという位置に、森吉山荘はあります。宿泊はもちろん、日帰り入浴もやっています。源泉は「杣(そま)温泉」。約700mのところにあって、そこから引湯しています。ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉。かけ流しではないようです。浴室は脱衣場、内湯、サウナ、水風呂、露天風呂。あっさりしたつくりですが、窓が大きく、紅葉がきれいな時期は良いでしょう。館内もシンプルで、娯楽の類(バーラウンジ、ゲームセンター)はありません。建て替えられてから間もないので、内外観ともきれいです。森吉山荘ついでに、こちらが源泉の杣温泉「杣温泉旅館(杣の湯)」です。秘境の一軒宿、マタギの宿として、田沢の乳頭温泉が人気爆発する前から度々テレビにも取り上げられました。最近、新しい露天風呂を作ったようですし、小さいながらも足湯がありました。10年以上も前に数度泊まったことがありますが、料理は山菜、川魚(ご主人は名釣り師)はじめ、鯉料理が出ました。あの頃、檻で小熊を飼っていましたが、その後どうなったかな?山の温泉ガイド「杣温泉」交通ガイド秋田内陸縦貫鉄道「阿仁前田」(急行停車駅)より、タクシーまたは送迎車。国道105号線「阿仁前田」より「太平湖・小又峡・森吉スキー場」方面へ入る。「森吉山ダム」建設現場を過ぎ、道なりに。←秋の紅葉、秋の秘湯
2006年10月18日
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昨日、森吉山の紅葉(黄葉)を見に行ってきました。阿仁スキー場のゴンドラが運行しているので、それを利用しました。山麓から約12分の秋の空中散歩。ゴンドラからの紅葉は昨日の記事へ最近は「花の百名山」として有名になり、夏期のゴンドラ運行が始まった事から、大勢の観光客が訪れるようになりました。ゴンドラ山頂駅近くでお弁当を広げる人々ゴンドラを降りると、山頂、または他の方向の麓へ降りる登山道が整備されています。中でも、山頂を見渡せる「石森」と、その先森吉スキー場側への経路の途中の「森吉神社」までは、晴れた日中なら比較的軽装で行けます(革靴やハイヒールでいける…ということではありません。スニーカー程度は準備してください)。山頂駅~石森の間から、森吉山頂を望む石森は小高いピークになっています。ピークと言っても、登山道(木道)からほんの十数メートル外れるだけです。ここからは、山頂をきれいに見渡せるので、パトロールの人が双眼鏡を持って立っていました。石森直下より森吉神社・避難小屋を望む石森より5分くらいで、森吉神社に到着します。森吉神社は森吉山の守り神。山開きの祈願祭もここで執り行われます。避難小屋は無人でシーズン中は常時開放。お手洗い(汲取式・紙なし)があります。この神社と小屋の裏手に、「冠岩」という奇岩があります。森吉神社の御神体です。ちょっとミステリーチックに撮ってみましたこれまでに何度も地震に見舞われたものの、江戸時代の紀行作家で地誌の大家であった菅江真澄が見た時と、形が変わっていないと言われています。成因も謎ですが(多分、火山の火道内で溶岩が固まり、その後周囲の土砂が風化等で無くなったのでしょう)、この謎めいた物体の存在が、普通は山頂に鎮座する神社が、この場所に開かれた理由かもしれません。ちょうど、石森と一の腰(森吉スキー場がある山)との鞍部になっています。国土地理院地形図閲覧サービス「1:25000 森吉山(北西)」冠岩の横から、(たぶん)阿仁銀山(阿仁合)方向を望むここから眺める景色は、まさしく「錦秋のジュータン」ほぼ同アングルを縦構図&望遠で地理屋は高いところに登りたがる…と、僕が存じ上げているある先生が言っていましたが、こうして山の上から見下ろすと、日本はなんて凸凹で、皺だらけなんだろう…と思いますね。今回の森吉散策はここまで。これより先へ進む場合、石森から山頂を目指す場合は、それなりの装備が必要です。昨日の日記でも述べましたが…この「ゴンドラで行く森吉山紀行」開催場所は、阿仁スキー場です。山名につられて森吉スキー場へ行ってしまう方がいるようです(昨日も実際にいました)が、森吉スキー場ではありません。ご注意ください。熊除け(鈴、ラジオ等)があったほうが良さそうです。今年のブナの森は凶作だったとの由気軽なピクニックのスタイルで行ける散策コースとして、石森経由森吉神社までのコースを紹介しましたが、これ以外のコース(森吉神社~一の腰~こめつが山荘 はじめ他の登山口へ出るコース)はそれなりの装備が必要です。登山道によっては沢登りの装備と技術が必要なところもあるようですので、十分な下調べと携行品、食料の準備、登山届の用意をしてください。特に、ゴンドラ終了時間までに下山しない予定の場合、山中で宿泊する予定の場合は、必ず登山届を交通機関秋田新幹線「角館」で秋田内陸縦貫鉄道に乗換、「阿仁合」下車。タクシー約20分。阿仁合駅より周遊タクシーあり、片道1人1000円(2人以上、要予約)23日まで、鷹ノ巣駅(大館能代空港、阿仁合駅)より、ゴンドラ往復、弁当、入浴込みの定期観光バスあり(要予約、予約なき場合運休)。←晴れの週末は紅葉見物
2006年10月17日
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秋田県中央部に聳え、「花の百名山」として知られるようになった複式(トロイデ&アスピーテ)火山の森吉山では、紅葉(黄葉)が見ごろを迎えています。阿仁スキー場のゴンドラが紅葉運行を行っているというので、今日行ってみました。昨年からスキーシーズン以外の営業運行を秋の週末を中心に始め、今年は冬以外の運行日がぐんと増えました。国道105号線の阿仁銀山(内陸縦貫鉄道「阿仁合」のある集落)から山道を走ること約20分、「森吉山阿仁スキー場」に到着。お昼頃に到着。駐車場は既に満杯…とまではいかず半分強程度の入りでしたが、それでも「スキーシーズンの平日よりは入っているのでは?」なるほど、スキー場(西武鉄道グループ)が平日もゴンドラを運行する気になったのもうなずけます(補助金等があるんでしょうけど)。チケットは、往復1,700円ですが、「阿仁スキー場」のホームページに割引クーポンがあり、それを持参すると100円引きです。(片道設定や市民割引、北秋田市内に宿泊した人限定割引等もあります。)。こちら、山麓駅舎内。大きく横断幕が出ていました。レストランも営業。団体さんも入っておりました。すっかり、紅葉名所になりました。チケットを買って、ゴンドラに乗り込みます。下のほうは、まだあまり色づいていません。ゴンドラは登る一方ではなくて、谷越えのため2・3度の登り下りをします。稜線を越えるたびに、緑から黄色、赤色へ、木々の色が変わっていきます。そして、全線のおよそ2/3くらいの辺りが、ちょうど見ごろ、盛りでした。ここ森吉山は、白神山地とならんでブナの森が広範囲に残っています。ブナの色づきは、鮮やかな黄色になります。北国の山の暮らしに恵みを与え続けたブナの森。猟師「マタギ」をはじめ、独特の文化を育んできました。山頂駅に到着です。所要時間は約12分。標高1,167m。ブナの森も終わって、トドマツ、クマザサが生い茂る高山帯。ここから森吉神社(森吉避難小屋)まで25分。そこまでなら軽装でも行けるので、行ってみました。(つづく)続きは明後日になるかもしれません←紅葉見物 ポチ 阿仁ゴンドラについて 今年の「森吉山紀行」ゴンドラ運行日は、10月29日(日)までです。それ以降は、スキー営業開始まで休止しています。スキー営業は12月14日~3月25日までの予定。それ以降は未定。1月13日~3月4日は「樹氷まつり」が開催(予定)詳しくはこちら阿仁ゴンドラ「森吉山紀行」2006-2007 阿仁スキー場(どちらもプリンスホテルWebサイト)ゴンドラは「阿仁スキー場」です。 「森吉スキー場」ではありません。間違う方が多数います。 両スキー場間は、車で急いでも1時間位かかります。
2006年10月16日
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明日は休みなので、紅葉見物に森吉山に出没阿仁ゴンドラで阿仁スキー場の上に上がるか、太平湖の方へ行くかは、あすの天候をみて決めます。帰ったら写真を載せますのでお楽しみに
2006年10月15日
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今日は超ローカルネタ、バスの終点シリーズ2回目です。秋田中央交通「外旭川市営住宅前」秋田駅前から出ている「旭野団地」ゆきバス(神田旭野線)の終点です。(一部の便は、組合病院前まで)文字通り、市営住宅の前にバス停があります。ここに来るバスは全便折り返し秋田駅前行きになります。組合病院前行きのバスはここには入らず、一つ前のバス停から組合病院へ向かいます。以前は、土休日に限りここを経由して土崎駅へ向かう(土崎駅から来る)便もありましたが、今はここへは入りません。私の記憶が確かなら、回転地の場所も変わりました。現在の回転地は、バス停から少し奥に入った団地の中、草生津川のほとりにあります。この辺は、中堅の住宅団地で、市営の集合住宅の他に戸建て住宅も立ち並び、「土崎のはずれ」的感じの将軍野の住宅団地とつながってしまいました。地域内をJR奥羽本線が通っていますが駅が無いので、秋田駅~旭野団地間のバスは頻繁に運行されています。列車では秋田駅から5分くらい、土崎駅から3分くらいの位置なので、旅客駅があってもよさそうですが、出来る気配はありませんね。秋田~土崎間約7~8分、運賃190円。市街地の中なのに、隣の駅まで初乗り運賃では行けない特異な区間。付近の地図…地図の中心が、およその位置。南東が秋田駅方向。←バスで行こう ポチ
2006年10月15日
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「秋田県醗酵」という社名は、聞きなれない社名かもしれません。しかし、代表商品の名を挙げると、少なくとも東北地方の方は1度は耳にしたことがあるかもしれない。「そふと新光」ほかに、「ブラックストーン」「あいぼう」「米蔵」など、米焼酎が有名な酒造会社です。現在は、全国数社の酒造メーカー・商社と合同で「オエノン」という持株会社をつくって、大手に負けない商品群、有名商品を輩出しています。合同酒精(東京/生産拠点は旭川・八戸ほか)、福徳長酒造(東京/生産拠点は山梨・福岡・鹿児島)、富久娘(東京/生産拠点は兵庫・灘)もオエノングループです。その秋田県醗酵工業(本社 秋田県湯沢市)では、清酒も製造しています。あまりにも焼酎が有名で、ほとんど宣伝されていませんが、代表銘柄は「一滴千両」。先だって、秋田市内のマックスバリュで、同社のパック酒を買いました。「秋田ふるさとの酒だより」、180ml(パックジュースの「ピクニック」なんかと同じサイズ)で何と95円。今まで見た小パック清酒で最安値でした。だから、買いました(笑)冷蔵庫で冷やして、ストローでチューっと。(小パック清酒はストロー附属、北鹿も、新政も)結構辛めのお酒でした。ちょっと水っぽいか。普通酒にしては、女性に飲ませてもOKかもしれません。同じ湯沢市の酒でも、北国の男に愛される「爛漫」とは全く違います。でも、寝酒にちょっと酔うにはいいかもしれない、そんな味とサイズと度数のお酒です。秋田県醗酵工業株式会社の製品を買う販売店名をお確かめ下さい 販売店が同じ場合は同梱してもらえますごめんなさい、写真はありません。デジカメを妹に貸したから。オエノンホールディングス…秋田県醗酵ほかグループ各社の紹介あります秋田県酒造工業組合…蔵元ガイドがあります。最近充実
2006年10月14日
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今日は情報です。秋田県の中央部に聳える、標高1454mの楯状・鐘状複式火山「森吉山」では、紅葉見物にスキー場のゴンドラが運行されています。白神にも負けないブナの森、その紅葉はとても美しく、ゴンドラの紅葉運行が始まってからはより多くの人が、森吉の紅葉を見に訪れるようになりました。森吉山「紅葉鑑賞」(PRINCE HOTELS)色鮮やかな紅葉鑑賞(北秋田市)列車・飛行機でお越しの方は、「定期観光バス」、通常のタクシーよりずっと廉価な「周遊(観光)タクシー」が便利です。バスは鷹ノ巣駅・大館能代空港より、10月23日まで運行、要予約。タクシーは秋田内陸線阿仁合駅より、10月29日まで運行、2名以上で(乗り合い可)10分前までに予約。(詳しくは、上記「色鮮やかな紅葉鑑賞」を)近隣の宿泊施設阿仁スキー場のすぐ近く(ペンション村)…ホテル フッシュ 阿仁の森 ぶなホテル打当(うっとう)温泉…打当温泉「マタギの湯」(一度山を下りて国道へ出る必要があります)太平湖・小又峡方面…妖精の森コテージラウル(一度山を下りて国道へ出る必要があります)←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月14日
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今日の朝日新聞「アサヒ・コム」によると、大手旅行会社の「JTB」が、映画「男はつらいよ」の寅さんやさくらの案内で柴又帝釈天などを巡るツアーを売り出したということです。ガイド役の寅さんやさくらには若手の俳優、タレントが扮し、地元の商店街の協力の下、観光客を案内して回るということです。観光客を都内に誘致したい旅行会社側と客数減に悩む地元商店街の知恵の結晶。成功するといいですね。寅さんの案内で葛飾・柴又歩こう JTBがツアー企画(朝日新聞)←街歩きは良いですよ… blog ranking
2006年10月13日
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今更ながら、今年のJR貨物時刻表を図書館から借りてきました買ったのではなくて、借りたと言うのがまた…でも、図書館に貨物時刻表が収蔵されているとは思いませんでした。しかも開架に。ペラペラめくってみると、プレス発表の通り貨物取扱駅から羽後牛島(羽越本線・秋田の次)が消えていました。もっとも、もう何年も取り扱い実績がない駅だったようなので、当然と言えば当然。それこそ、貨物設備はもう何年も前に無くなっていたし、2kmくらい離れたコープケミカルからの引込線は20年以上前には使われなくなっていたらしいし。本文を見ると、あれ?各地の私鉄の時刻も載っていますね。小坂製錬の時刻表もありました。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月12日
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当ブログの「別館」(別サイト)があります。当ブログが旅の話題がテーマですが、別館では、私の独り言、雑感を書き連ねております。ひっそりとやるつもりでしたが、あまりにひっそりすぎて訪問者数が全く伸びないので、ここで1度だけ晒しておきます。ちなみに、リンクは、トップページのどこかにあります。探してね
2006年10月10日
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今年もやってきました「キリン とれたてホップ一番搾り」いよいよ10月26日より数量限定発売昨年、一昨年と好評だった、岩手県遠野産のホップを限定使用したキリンビールの季節限定ビールが、今年もまもなく店頭に。今年は63万ケース、約8,000キロリットルを生産予定とのこと。昨年に引き続き、ホップを水分を含んだ生の状態で凍結させ、破砕して仕込みに使用した、キリンビールの自信作。ホップの華やかな香りと、まろやかさが自慢の一番絞り製法。北の大地の恵みで秋の夜長に一杯350ml缶、500ml缶、中瓶が全国発売。7L樽詰とギフトセットが東北限定発売です10/26出荷開始 とれたてホップ一番搾り500ml×20本...(中びん)10/26出荷開始 とれたてホップ一番搾り350ml×24缶10/26出荷開始 とれたてホップ一番搾り500ml×24缶上3種は全国発売下の2種は東北限定発売10/26出荷開始 とれたてホップ一番搾り350ml×12缶...(ギフトセット)10/26出荷開始 とれたてホップ一番搾り350ml×10缶...(ギフトセット)※いずれも、のしの指定が出来ます販売店は、地元岩手の銘品ぞろい、盛岡市神明町の「森商店・森の酒食館」7L樽生だけは、ぜひ東北にいらして、地元のおいしい食材と一緒に堪能してください。牛タン、しょっつる、芋煮(イモノコ汁)、じゃっぱ汁、いぶりがっこ…キリンビール ホームページキリンビール仙台工場JR仙石線多賀城駅よりシャトルバス運行!←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月10日
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さて、再び列車で、石越へ戻ります。流石の混雑で、帰りの列車は2両編成でした。写真は折り返す前、細倉マ駅に到着するところ。先頭車(石越行きでは後部車)は、宮城県で放送されているさとう宗幸さんの生ワイド番組とのコラボ車両「OH!バンデス号」帰りもご覧の混雑。しかし2両でしたから、およそ2/3の人は座れました。帰りの列車には車掌が乗務していました。ドア開閉の連絡(ブザー)と、2両目の乗客の運賃収受を行っていました。沢辺駅付近ではまだまだイベントが続いていましたが、他のイベント会場は終了し、閑散としていました。石越駅へ戻ってまいりました。既に薄暗くなっておりました。列車は、すぐに折り返していきましたが、乗客は少なめでした。駅前には、今の列車で到着した人が大勢、写真を撮ったりしていましたが、接続のJRに乗り換えた人は少数。皆さん、クルマを利用してやってきたようです。「くりでん」シリーズはこれで終わりです。今秋、今冬はぜひ「くりでん」へ。お付き合い頂き、ありがとうございました。 アクセス 列車の方…JR東北本線「石越」駅が接続駅・東北新幹線「仙台」より下り普通列車「一ノ関」ゆきで、約1時間20分 時間帯によっては小牛田乗換の場合あり・東北新幹線「一ノ関」より上り普通列車で、約20分。JR東北新幹線「くりこま高原」より「宮交栗原バス・石越駅前ゆき」で約20分 時刻要確認車の方…東北自動車道「若柳金成」→沢辺の金成総合支所駐車場へ←blogランキング「地域情報(東北)」参加中
2006年10月09日
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くりはら田園鉄道はもともと鉱山鉄道だったわけで、細倉マインパーク駅前広場には、電化路線時代の機関車と貨車が保存されています。貨車は傷み(塗装の剥げ)が激しいですが、機関車は最近お色直ししたらしく、比較的美観を保っています。鉱山最盛期には、この機関車が国鉄の石越まで貨車を引っ張って行っていたわけです。こちらが、駅から歩いて5分くらいの細倉鉱山です。現在、採掘はしていませんが、鉱山の技術を生かした職場として操業中です。(ここのところは、小坂鉱山と同じですね)近くには鉱山資料館があるそうです。こちらが、現駅名の由来になった「細倉マインパーク」駅から坂道を登ること10分。鉱山の廃坑道を観光施設として(料金を取って)開放しています。この日は、くりでんイベントがここでもあって、前回紹介した列車の混雑だったのですが、平日はどうやら淋しい状況のようです。ひとつ、車両を紹介しましょう。往路の列車内から撮影した、緩急車(車掌室つき貨車、貨物室つき車掌車…どっち?)です。廃車体に見えますが、どうやら未だ現役のようです。めったに稼動することはないようですが。よく見ますと、なんと「車票」(荷札)が入っています。この日、若柳駅ではイベントの一環で、この古典貨車をはじめ、電化時代の電車などが展示されていたようです。でも、電車は非電化後約13年使用されていないので、塗装があせて、非常に痛々しい。鉱山電車の繁栄を伝える立派な電車だけに、どこかで保存できないものでしょうか。奥に見えるツートンカラーの車両は、ディーゼル運転開始時に車両製造の経費を抑えるために、愛知県の名古屋鉄道(名鉄)からやってきたディーゼルカーです。然し不運にも、出番はあまりないようです。今回は車両紹介が主でした。次回が最終回。帰路、「マインパーク前」~「石越」へ戻りました。←ブログランキング参加サイトです
2006年10月08日
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引き続き、「くりでん」乗車記です。石越駅の模様は、昨日の日記をどうぞ。(今回は、携帯向け画像は設定いたしません)さて、石越駅に列車が入線してきたところまで、前回ご紹介しました。この列車は、所定14時05分到着予定でしたが、遅れに遅れ、折返し発車時刻の20分になってやっと到着しました。駅の施設の写真を撮っているうちに、いつの間にか、大勢の行列が出来ていました。もちろん、皆「くりでん」に乗る人たちです。実はこの日、「くりでん」沿線では「ふるさとくりはら再発見」という「くりでん」応援イベントが開かれていたのでした。現地に行くまで知らなかった…それで、閑散ローカル線にこれだけの乗客が押しかけて来ていたのでした。列車は、やっと全員を乗せ、満員で石越駅を発車。終点の「細倉マインパーク前」まで各駅に停車していきます。イベントが開かれていた「若柳」「沢辺」「栗駒」ではかなりの乗下車がありましたが、それ以外の駅での乗下車はほぼ皆無。ローカル線の厳しい現実です。写真は多分「栗駒」を過ぎた後だと思います。画像データに撮影時刻が付いていますが、列車自体がかなり遅れて走っていたので時刻表との照らし合わせができません。田園地帯を抜け、この後山間部へ入ります。1ヶ所だけトンネルがあり、それを抜けると急カーブの連続で細倉へ。旧「細倉」駅横を通って終点の「細倉マインパーク前」に着きました。所要時間およそ50分(途中駅で乗降に手間取り)。ここは、かつて鉱山がありましたが(今も関連職場が操業中)、現在は廃坑を利用した観光施設がウリになっております。そこでもイベントがあり、その帰り客で「細倉マインパーク前」駅は石越駅を遥かに凌ぐ大行列。それでも何とか全員を乗せて折り返していきました。ここが終点です。車止めの先、細倉鉱山まで線路が続いていたそうですが、現在は築堤・切り欠きの跡が何とか分かるのみです。次回は、「細倉マインパーク前駅」その2、「マインパーク」と、「くりでん」の古典貨車を紹介します。←お気に召されたらポチっ環境 宮城県栗原市金成天恵水田ひとめぼれエポック カードガチャ カードで駅めぐり 全45種セット栗駒温泉 ハイルザーム栗駒
2006年10月07日
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1日(日)、宮城のローカル私鉄「くりはら田園鉄道」に乗ってきました。この鉄道は、JR東北本線の石越から西の方に向かって延びる25.7kmの路線。かつては「栗原電鉄」と言って、終点にあった細倉鉱山の産出物や鉱山関連の物資、沿線の農産物、鉱山従業員や住民を輸送する産業鉄道でした。鉱産物という重量物を輸送するために全線が電化され、最盛期には大量の貨物が国鉄に継走されて出荷されて行きましたが、鉱山の閉山とともに急速に衰退し、平成5年に自治体が出資し、ディーゼルカーを使用する第三セクター「くりはら田園鉄道」となりました。それでも状況は好転せず、来年(2007年)3月に列車の運行を取りやめ、バスに転換することが決まっています。「くりでん」の始発駅である石越駅は、JR石越駅前にあります。小柄な駅舎ながら、事務室や出札口跡、売店とおぼしき跡があり、入口と出口が分かれているなど、古い地方私鉄ターミナルの面影を存分に残しています。レトロ調…いや、レトロそのまま。ペンキ手書きの掲示物が哀愁。なお、現在は無人駅です(JR駅は日中のみ社員配置)。いかにも「社線」の雰囲気。JRが国鉄だった頃、私鉄線のことを「社線」と呼ぶ慣わしがありました。いまでも、乗換案内で「社線乗場から~」という車掌が時折います。「こまち」の車内放送でも、角館の乗換案内で聴いたことがある…東北でこのような感じの「社線の駅舎」が残っているのは、ここと津軽鉄道、弘南鉄道、福島交通、小坂製錬鉄道(旧同和鉱業・現在は貨物のみ)…くらいしか思いつきません(というより、残っている「社線」)。昔は、山形交通、庄内交通、羽後交通、秋田中央交通、仙北鉄道…等々あったでしょう。旧国鉄の三セク線の駅舎はもうすこし大きい。列車が入線してきました。構内は1本、かつては国鉄につながる授受線や側線があったように聞いていますが、今はありません。ホームは2両編成がやっと止まれる長さのみ。列車はだいぶ遅れてやってきました。1両編成(1両で「編成」と言うのかどうかは別にして)に数人の乗客と空気を載せてトコトコ…というイメージでやってきたワタクシ。イメージというのは、ごく偶に「覆される」こともあるもので。その理由は次回以降。←旅に出たくなったらポチっとよろしく次回は、1両列車の「くりでん」で、細倉鉱山を目指します。
2006年10月06日
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30日・1日と仙台へ宴会に行きました。時間があったので、ちょっとマイナーな観光地ですが「晩翠草堂」へ行きました。パンフレットによりますと…詩人 土井晩翠(どいばんすい※)は、1871年(明治4年)に、いまの仙台市青葉区木町通(当時は北鍛冶町)に生まれ、幼い頃から漢学を学ぶとともに英語も学び、23歳で東京帝大へ。在学中から多くの作品を発表し、島崎藤村とともに一時代を築いた人物。滝廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られる。1901年仙台に戻って仙台二高の教授となり、海外留学時を除き生涯を仙台で過ごした…配布パンフレットの内容を参考※本来の苗字は「つちい」だが、後に「どい」と改名晩翠は、戦災で居宅も蔵書も失い、失意の底へ。市民有志が旧居跡に建てたのが、いまの晩翠草堂です。晩翠はここで、亡くなるまでの数年間を過ごしました。内部は見学可能で、資料や、彼が愛用したベッドなどの日用品が展示されています。晩翠草堂仙台市青葉区大町1-2-2開館時間 9時~17時 月曜と年末年始休館入館料 無料JR仙台駅から徒歩15分程度JR仙台駅西口バスプールより観光シティループバス「るーぷる仙台」で、「晩翠草堂前」下車JR仙台駅西口より、路線バスで「晩翠草堂前」下車系統が複雑なので、下記HPでご確認下さい仙台市交通局←秋は文学の旅
2006年10月05日
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深夜ですが頭が冴えているので更新します。~今回は、携帯向け画像は設定しません。携帯の方ごめんなさい~さて、新潟大和で「へぎそば」を美味しく頂き、大和の前のバス停から路線バスに乗り込みました。新潟駅に到着です。これで、新潟めぐりは御仕舞いです。この後、お恥ずかしながら、「新潟駅忘れ物センター」へ…「そば」を食べたばかりですが、旅に出たら「駅弁」とばかり、弁当を買い込みました。新潟駅万代口には、改札の前、ニューデイズの隣に駅弁コーナーがあります。駅弁コーナーではSuicaは使えません。隣のNEWDAYSはOK買い込みましたるは、「万代押寿司」。酢飯の上に、昆布と蒸し海老&紅鮭&小鯛がのった押寿しであります。売価920円。味は良いですが、ちょっと酢がきつい。土産に良い品です。さて、帰りの列車は「いなほ7号」。新潟から青森まで、遠路6時間13分かけて走破する列車で、上りの「8号」とともに今の所、日本で最も長距離を走る昼間の特急列車となっております。KING OF 昼行特急であります距離はキングなんですが…新潟発車時の客入りはまあまあ、さらりと座席が埋まる程度(自由席)。新発田・中条・坂町・村上…と降りる一方で、酒田に着く頃には空席が目立ち、時間にして中間の羽後本荘ではもうガラガラ。車内販売も、秋田で終わりです。さて、新潟→秋田では「笹川流れ」という景勝地を通ります。ちょうど、村上を過ぎたあたりから、あつみ温泉を過ぎた辺りまで。行きの時の記事でも紹介しましたが、帰りは見事な晴天でしたよ粟島がくっきり見えました。飛島と間違えそうですが、飛島はもっと平べったく、列車からは見えにくい。それに、飛島が見えるのは酒田より北です。画面右手に見える岩もいい感じ画面下に見えるのは窓枠です(笑)つまり、こんなに間近に日本海を望めるんです。五能線にも負けない羽越本線この写真の方が、列車から見えるんだってのが分かるかな?本当に海岸縁を走っています。ちょうど、夕陽の時間いい時間に乗り合わせました。上り(新潟へ向かう)よりも、下り(新潟発)の方が、幾分景色はよろしい。基本的に単線ですが、一部複線で、上りはトンネルになっているところがあります。ちなみに、この「笹川流れ」を含む新潟~酒田間には、JRが力を入れている「着地営業」で、リゾート列車「臨時快速・きらきらうえつ」が不定期に走っています。「いなほ」の同型車を改造した車両ですが、とても立派で可愛い電車です。コンセプトとしては、「リゾートしらかみ」と同じ、乗ることを楽しみ、風景を楽しむ列車。詳しくはJR新潟支社のHPへ。東日本旅客鉄道株式会社 新潟支社これで、新潟シリーズはおしまいです。2週間近くお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。当「旅の綴りかた」最長のシリーズになりました。後日、別途インデックスを作りトップページに掲載します。9月30日~10月1日と宮城県へ行きました。次回からは、その様子を少しUPします。メインは、「くりでん」。おたのしみに。←どうか、ワンクリックお願いします
2006年10月04日
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「へぎそば」は新潟県、特に十日町地域を代表する名物料理。つなぎに「ふのり」(海藻)が使われているところが、他のそばと違うところです。盛り付ける器の名をとって「へぎそば」と呼ばれるそうです。しかし、誰が考案したものか、いつごろから食べられているのかは、良く分かっていないそうです。写真は2人前を同じ器に盛り付けてもらいました。盛り付けの美しさも「へぎそば」の特長で、1~2口で食べれる量に小分けされて盛り付けられています。我々が行ったお店では、薬味は葱と山葵で、自分で摩り下ろしていただきます。お店によっては、「辛子」のところもあるようです。食感は、確かに「ふのり」のヌメリが、何となくありました。しかし生臭いことはなく、おいしく頂きました。「越後長岡小嶋屋 新潟大和店」(古町通・百貨店「新潟大和」7階)名物「へぎそば」をおいしく頂き、大和の銘店売場で土産品を買い込み、路線バスで新潟駅に戻りました。次回で、新潟シリーズ最終回。新潟駅の駅弁と、特急いなほと夕陽の笹川流れ。皇室献上 小嶋屋 ふのり入り へぎそば5人前
2006年10月04日
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新潟めぐりシリーズも、今回を入れてあと3回で完結の予定です。今日、明日とお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。前回の「みなとぴあ」で同行の一行と別れ、再び循環バスに乗って白山神社へやってまいりました。白山神社は平安時代中期の創建とされ、1492年~1500年の間か江戸初期の1644年頃に現在地に遷されたとされています。本殿は、1648年の建立とされています。「一ノ宮」ではありませんが、新潟総鎮守として厚い信仰を集め、弥彦神社(越後国一ノ宮)、新潟県護国神社とともに、新潟県を代表する神社とされています。立派な楼門です。この日も、境内には多くの参拝客の姿があり、拝殿(一番上の写真)では、企業の方かご家族かが祈祷を受けられていました。参道はちょうど、古町通の突き当たりから始まるようになっています。白山神社の北側には新潟市役所がありますが、ここに市役所が出来るまでは県庁がありました。さらに、白山神社と市役所の間の交差点は緑地が整備された広い交差点ですが、ここには1992年まで新潟交通の「白山前」駅がありました。現在は路線バス専業の新潟交通ですが、かつては白山前(旧・県庁前)~JR弥彦線の燕まで電車を運行していました。特に白山前から次の東関屋までの間は路面を大型電車が走る区間となっていて、非常に珍しい運行形態でしたし、白山前駅は交差点のど真ん中に2階建ての駅舎が立っていました。廃止前に乗った事があるので、又の機会に写真をUPしたいと思います。←ブログランキング参加中次は、「へぎそば」。すぐUPします。
2006年10月04日
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新潟市歴史博物館。新潟市発展の歴史を、「水(Water)」との関連を用いて紹介している専門博物館。テーマは「郷土の水と人々のあゆみ」それは、新潟市の発展が、信濃川の水運や洪水の歴史、阿賀野川の流路変化と密接に関わっているからです。「水がつくる」「水がむすぶ」「水にいどむ」「水とともに生きる」を4大サブテーマに…・新潟砂丘と後背低湿地での暮らし・低湿地で暮らす技術、収穫・水運(海・川)がもたらした他所との交流、信仰等々、新潟に暮らす人々が水とともに生き、水に対峙し、克服して豊かな暮らしを得た過程をリアルにかつ分かりやすく紹介しています。展示物:ハザ架け(稲を乾燥)「みなとぴあ」敷地内には、9月24日の記事で紹介した「旧第四銀行住吉町支店」の他、明治初期開港5港の税関の中で唯一建物が現存し、1966年まで使用されていた「旧新潟税関庁舎」(国重文指定)があります。「みなとぴあ」内で唯一、復元でも移築でもない建物旧新潟税関庁舎さらに、新潟は堀の町でもあったことから、戦後まで街中に存在した「西堀」(いまの西堀通)をイメージした堀が復元されている他、荷上場、石庫(保税倉庫)が復元されています。博物館本館の建物は、旧新潟市役所をイメージしているそうであります。みなとぴあ博物館本館の常設展示大人300円、中・高校生200円、小学生100円。旧第四銀行、旧税関は無料。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月03日
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越後線で新潟駅に到着。新潟駅前から、新潟観光循環バスに乗車して、「みなとぴあ」へ。専用の小型車両で、「犬夜叉号」「ドカベン号」。何れも、新潟出身の漫画家の作品キャラクターをデザインした小型ノンステップバスで、新潟市と新潟交通が共同で運行しています。運賃は1乗車180円、乗り降り自由の1日券は500円。ただし、新潟交通の100円区間は観光循環バスも100円万代シティ・朱鷺メッセ・みなとぴあ・新潟市美術館・マリンピア日本海・日本海タワー・白山公園等をめぐります最寄り停留所名はご確認下さい新潟市観光循環バス(運行経路・時刻等:新潟市)新潟交通←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月03日
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新潟シリーズ再開します。さて、宿を出た我々一行は、最終目的地である「新潟市歴史博物館」に向けて移動を開始しました。宿から、最寄り駅の「岩室」駅まで、送迎バスで約10分。小さな無人(簡易委託)駅に到着。古い時代の観光地の駅前の雰囲気を残しているが、侘しい駅前です。歓迎広告塔が、かつて大勢の温泉客が降り立ったことを物語っています。JRが新たに設定した「新潟近郊区間」内。2駅西の「吉田」駅まで「Suica」が使えます。←旅に出たくなったらポチっとよろしく
2006年10月02日
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