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元阪急(現オリックス)で活躍したダリル・スペンサー氏が2日、死去したと米国・カンザス州のメディア、ウィチタ・イーグル電子版が伝えた。88歳だった。
見だしは「ウィチタの伝説の野球人、ダリル・スペンサー氏が死去」となっており、地元の英雄の死去を大きく伝えた。
スペンサー氏は内野手として大リーグのジャイアンツ、カージナルス、ドジャース、レッズを経て1964年に阪急に入団。長池徳士とともにチームの主砲として活躍し、65年には南海・野村克也捕手と三冠王争いも繰り広げた。
来日4年目の67年には阪急のパ・リーグ初制覇に貢献。また、時にはスパイクの歯を上向きにスライディングを試みるなど、闘争心を表に出すプレーが大リーガーの真骨頂とも報じられていた。
米国へ帰国後は2004年に故郷カンザス州のスポーツ殿堂入りも果たしたという。【デイリースポーツから引用】
さて、強打者だったスペンサー氏は、昭和40年にパ・リーグでホームランと打点の部門で南海ホークスの野村選手と争っていましたが、最終的にはスペンサー氏が怪我をしてしまって(足を骨折)、いずれも野村選手がホームラン王と打点王となりました。ちなみにその年、野村選手は首位打者も獲得したので三冠王になっています。
その昭和40年のスペンサー氏のエピソードとしては、度重なる敬遠攻めにキレてバットを逆さまに持って打席に立つ(すなわち、太い方を持ってグリップエンドを上にする)ということをしたそうです。
この年のスペンサー氏は、打撃好調だったことから「外国人にタイトルを取らせるな」という暗黙のルールのようなものがあったようで、野村選手の話では、当時の南海の蔭山ヘッドコーチから「三冠王なんてそうそう滅多に取れるものじゃない。責任は全て俺がとるから、スペンサーは全部歩かせろ。」という指示があったそうで、最近のタイトル争いをしている時の敬遠攻めはそこから始まった、なんていうことをコメントしていました。
そんなスペンサー氏でしたが、「投手の癖を読む」ことに関しては特に優れていて、のちに「スペンサーメモ」とよばれるものを克明につけていたとか。例えば、この投手は右手の腱が出たら変化球とか、出なかったら直球といったものでしょうかねぇ。腱が出たり出なかったりということが見えるということは、かなり目が良くないといけないのでしょうけど・・・。
投手の癖を見つけてメモをつけていくことが、チームメイトの福本選手や高井選手などにも伝わったことから、阪急は強かったんですよね。今では、どのチームにもスコアラーがいるからここまでのことをしているかどうかわかりませんけど、昔はあの手この手で工夫していたんですね。
スペンサー氏のご冥福をお祈りします。
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