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通勤で聞くラジオの番組で「ラジオビタミン」が始まりました。「元気を分けたり、元気をもらったり、あなたの心のビタミンになりたい」というフレーズで始まります。今日は所用で出かけたので、午前中のいつもと違う時間帯のそれを聞きました。海洋冒険家の白石康次郎さんの話です。いろいろな話の中で今も心に残っているのは「子供たちに話をすることがあり、夢は何ですか?と問いかけると、必ずと言っていいくらい、職業の名を(パン屋さんとか消防士とか)あげる。いや夢ってそういうものではないでしょう、そうではなくて、自分の本当にやりたいことは何なのかな?と問い直すと、考えてしまう」←ダッタカナ正確ではないかもです。といったお話。子供たちに、本当にやりたいことは何なのか、考える時間はあるのだろうか?とつい考えてしまいました。私自身、子供の頃から、やりたいことは何なのか、考えても考えても答が見つからなかったような感じがしています。強いて言えば、重労働に明け暮れる母を早く大人になって助けたい、というぐらいで・・(実際には何の助けもできてない情けない子供ですが)自分の本当にやりたいことをやらないで、ただただ、年を重ねるだけでいいのか?なんてまた自問自答が始まりそうです。(いや、この社会を人が人間らしく生きられる社会に変えたい、という思いはずっとあったような気がしてきました。これが私の夢、なのかもしれません。)子供たちが、自分の夢を持てるようなそんな状況ではないのでは?という疑問を書きたかったのに、違うほうにいってしまいました・・・全国一斉学力テストなんか、やってる場合じゃない、と思うのですが。。。
2008年04月23日
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各地で花が被害にあっています。そのことで、昼休みにネットで読む産経新聞のコラムに―花は昔から「神と人」あるいは「人と人」との「なかだち」の役目をしてきた。 その「なかだち」を断ち切るような話。「なかだち」が失われている時代を反映している―という言葉があり、少しびっくり。なぜと言って、「なかだち」を否定しているのは自分たちではないか?と思ったから。。市場主義や競争をもてはやし、子供たちや働く人々の「なかだち」を断ち切ることを奨励しているのは今の政府のやっていることではないの?その政府の姿勢を批判しない新聞ですよね・・・個々人がずたずたにされて、「なかだち」を奪われて、連帯するということを忘れさせられて、ただただ、国家にさえ忠実に、逆らわないでいてくれればそれでいい、ただただ、黙っていい子で働いてくれればそれでいい、そんな、人間としての感情を半ば押し殺すような、そういう社会を作っておいて、「花を荒らすような情けない心はけしからん」とその行為だけを責めるのはどうなのか?と思ったのです。大勢の人が大切に育てた花を傷つける、という行為は確かに責められるべき。だけど。その行為をしてしまう心は“悲鳴を発している”ように思えてなりません。誰かに救いを求めているような気がするのです。「なかだち」が欲しいと叫んでいるような気が・・・「なかだち」は社会で作るもの。産経新聞さんは今の競争社会をそのままにしても人間同士の「なかだち」は可能だとお考えかもしれませんが、そうではないように思います。生きることが競争にされてしまっている現状では、《助け合い》より、《足の引っ張り合い》を促す方に社会が動いているように思えます。
2008年04月21日
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