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ミャンマー(ビルマ)には,昨年5月のサイクロン被災後に外国人立ち入り制限区域が増えた。被害があまりにも大きく広範囲にわたり,政府の支援がなかなか行き届いていない(する気もない??)ので,外国人には見せられないのだろう… ヤンゴンを流れるヤンゴン川対岸の小さな町ダラーへは,以前はふつうに渡れたが,被災後は政府のパーミット(許可証)が要るようになった。('09年1月現在)ダラーから先には,焼き物の町トゥンテーなどがあるのだ。 1月には,ヤンゴンから車と小舟を乗り継いでいく外れの村ユワテジ村への支援の様子をUPした。1/8の日記~11回に渡りUP。 ダラーへは,8月に行こうと思ったが,パーミットがなく断念。今回は,Parkview Touarsさんにお願いしてパーミットを代理取得してもらい,渡ることができた。 ヤンゴン到着時に,Parkview Touarsの社員とmasaさんたちご一行が出迎えてくれた。そのときにパーミット(許可証)などを受け取った。 手書きである。申請時に日帰りにしたので,「泊まることならず」との文言が添えてあった。もう1枚,エーヤワディー管区のパテインへは,複数の日数で申請したので,そちらのパーミットには,当然その文言はなかった。 ※ ビルマ語で読めないが,どこに個人情報があるのかわかりにくいので,ぼかしてあります。 パンソダン通りの南の突き当たりにある船着場だ。ヤンゴン川が流れている。(この画像は'08年8月) 乗り場の建物だ。(これも,'08年8月) 人々が続々と出てくる。まず左へ行く。係員が言ってくる。(ここからは,'09年1月の画像) 待合室の向こうの右側の部屋が,外国人専用?らしい。左側の窓口は,地元人用のようだ。中の様子はさすがに撮影できない。 係員にパーミットと料金$1を渡し,チケットを発行してもらう。パーミットとチケットは引き替えだ。英語表記だ。14:00となっている。本当は朝から行きたかったが,腹の調子がイマイチで,遅くなってしまった。 裏側。これも,英語表記。この国では,外国人料金が発生し,手続きが面倒なことも多い。おそらく,パーミットの要らない時もこの手続きが必要だったように思う。 窓口から乗り場方向を撮る。待合室は広い。 チケットを乗り場の係員に見せ,桟橋を歩く。 桟橋を進むと,フェリーが見えてきた。 フェリーは,結構大きい。2階もある。 こんなフェリーが行き来しているのだ。('08年8月の画像) この先の対岸の町,ダラーは,また次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/28
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また忙しくて,更新が開いてしまった。疲労していることの方が大きい原因かも知れないが…もっと気になっているのは,「フェアトレード通販専門店 地球まる(ちきゅまる)」さんのサイトに連載している記事が大幅に遅れていることだ。予定が延び延びになってしまっている… 今日は,これから所用で出かけるので,更新は明日になるかも知れない。 今回は,久しぶりにミャンマー編に戻って,ヤンゴンのヤンゴン川対岸のダラーへ行ったときのことをUPする。 前回の日記のコメントの返事も,更新のときに書きます。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/28
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東南アジアの国々は,それぞれに違いはあるものの,どこへ行っても似たような雰囲気を感じることがあるが,南アジアの方へ行くと,ちょっと違ってくる。文化圏が違うせいであろう。それは,街の雰囲気,人々…いろいろある。 トラックやバスを見ても,明らかに違う。今日は,バングラデシュのトラックと車を中心にUPする。すでにUP済みの画像も多い。主にダッカ,チッタゴン,コックスバザールの3都市だ。 南アジアへは,'03年12月~1月にスリランカ,'04年8月にバングラデシュへ行っている。 首都ダッカ市街地だ。リキシャだらけだ。 リキシャには,それぞれの好みで派手な絵が描かれている。リキシャ・アートとして注目されることもあるのだとか。 それは,リキシャほどではないが,トラックにも描かれている。 東南アジアでは,こんな感じのトラックは見ない。 後ろのペイントだ。 これも,きれいだ。 どこかにペイントがされている。トラックは,インドのTATA社製が多いと思う。 パンク修理中。荷物多すぎ! 東南部のチッタゴン郊外にあるフォイズ湖で工事中のトラック。(フォイズ湖は,'06年8/3の日記でUP。) 同じく工事中のトラック。現在,湖一帯はテーマパークなどが造られ開発されている模様。もしかして,このときから開発工事が続いているのか??ただし,最新情報は全くわからない… 黒煙を吐いている。荷物は,米のように見えるのでかなり重たいだろうが,荷物がなくてもも整備状態は悪いだろう。 これは,どういう積み方だ?? 日本製(日野)のふつうのトラックもある。 ここからは,トラック以外の車。 チッタゴンの街角で。「いい車だろ!一緒に撮ってくれ!!」 軍の車のようだが,休憩しているのか,サボって遊んでいるのか?? チッタゴンで,ホテルのボーイが街角で拾ったタクシー。CNG(天然ガス)仕様だった。バンパーは,当てるもの。 ボーイは,私を案内するために休暇をとりオーナーには内緒でガイドをした。日給よりも,私をガイドしている方が遙かに収入はあるだろう。9時間で2,700タカ(約¥4,000→当時のレートだと¥5,000ぐらい)なので,給料が月何千円(最低で月1.000タカ弱)のこの国では,かなりの収入になる。休みを取ってでも,ガイドを優先させるのは当たり前である。 この国には,ツーリスト産業がまだまだ未発達だ。よって,相場がわからない(ない??)ので値切るのも難しかった。(1時間350タカを300タカにまでは値切ったが…) なんて言ってよいのか…(ダッカで) ダッカ市街地だ。これは,大通りの真ん中だ。バス,自動車,ベビータクシー,通行人などでゴチャゴチャだ。私も通行人だが… こちらは,チッタゴン市街地。GECモールの交差点。ここも,いろんな車両が混在している。 ベビー・タクシー(オート・リキシャ)だ。インド製のシャーシとエンジンをもとにバングラで手作りで組み立てる。定員2,3人。2サイクルエンジンで,煙をもうもうと立てて走る。以前は大気汚染がひどかったため,ダッカとチッタゴン市内では走行禁止になっている。 代わって,CNG仕様が走っている。こちらは,4サイクルで天然ガスだ。バングラやミャンマーで,CNG仕様が多いというのもおもしろい。 テンプー。ベビー・タクシーの大型版のようだ。定員,前2人,後ろ10人だ。定員オーバーは当たり前だが… ボコボコのバスばかりが走っている。バスについては,'06年11/16の日記でUPしている。 いろいろUPしたが,同じ南アジアでも,バングラデシュとスリランカでは感じが違った。おそらくインドへ行けばまた違ったことを感じると思うが,インドへ行く予定は今のところない… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/22
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今日は,東ティモール編。行ったのは'03年8月なので,もう5年ぐらい前だ。この国のデジカメ画像は,ほとんど終わりだ。VTRからキャプチャ画像を掘り起こせば,何時間も撮影しているので,まだまだ多く出てくるが,ここ数年は忙しくてそんなヒマがない… 1番早いのは,また行くことだが,たいへん気になりながらも,最近はミャンマー・ラオス・カンボジアにこだわりを持っている。次は,いつになるやら… '02年5月に独立前後から暴動や焼き討ちがあり,首都ディリには,その痕跡があちこちに色濃く残っていた。ほとんどの人は,私が撮影しながら歩いていると,「撮ってくれ!」と笑顔が多かったが,この建物を撮っていると奥から怒鳴り声がした。「撮るな!向こうへ行け!」のようだった。多くの人々が仕事がない状態なのだ。学校も長期休校中だった。 首都ディリから車をチャーターして西方面と東方面へ1日ずつ行った。'06年11/19の日記で紹介しているが,今日は西方面を少しだけ詳しくUPし直す。 この頃は,まだあまりデジカメで多く撮っていなかったので,行きしの画像がない…VTRは回していたので,もしキャプチャする機会があれば,いずれUPする。 ディリから2時間弱で,インドネシアの西ティモールとの国境付近に着いた。地方で民兵の暴動などが起きて治安が不安定だったので,どうしようかと思ったのだが行ってみた。事件に遭ってしまえば,命の保証はないのだが… 国境より南のマリアナまで行きたかったのだが,どうしても行ってくれなかった。それだけ危ないのか?と思った。ここには,数件の簡素な店が並び,マリアナ行きのミクロレット(ミニバス)は出ているのだが,人は少なかった。 この橋を渡り道を進めば,西ティモールだ。ティモール島の東半分が東ティモール,西半分がインドネシアの西ティモールになる。西ティモールのほんの一部に東ティモールの飛び地がある。 橋を渡ると,右の監視小屋のようなところから警官か係官に「ここからは行けないよ!」と言われた。地元人は,ふつうに行き来しているようだった。向こうにはゲートがある。横の薮から国境越えをできそうにも見えた。 帰り道は,何枚か撮った。ただし,VTRのデジカメ機能なので,画素数は粗い。そこら中で電柱が倒れていた。 地方でも,焼き討ちに遭った家が多かったが,こんな民家も多い。 過積載トラック。後ろを走るのは冷や冷やものだ… 塩田があった。ドライバーが,確かそう言っていた。 東方面編も画像は少ないが,いずれまた… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/19
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一昨日は我が家のショート編だったが,その前はやや重いテーマになった。さらにまた寒くなったので,今日は温泉の画像でゆっくり…台湾の台北郊外の新北投温泉だ。('06年GW)すでに2回UP('06年11/13の日記ほか)しているが,画像大幅増強版で,みたび登場だ。 有料だが楽天の画像容量が増えているので,これからも画像の量・大きさUPのリニューアルのさらにリニューアル版を時々更新していく予定だ。 台湾には,温泉が沸いているところは,たくさんある。しかし,もともと他人の前で裸になることを良しとしない文化があり,過去には日本のような温泉はほとんどなかった。 そんな文化の国だが,日本統治時代に日本人によって開発された温泉地が各地にある。 MRT淡水線で北方向の北投駅まで行く。そこで,新北投支線に乗り換えだ。 シートは。プラスチック製。車両によって,シートの並び方が違う。シートが1列や,シート無しの車両もあるようだ。 台北車站からは,合計40分ぐらいで着く。台北市内から気軽に行ける温泉である。 駅を降りて前方の様子。もっと田舎だと思ったが…さらに,駅の方を振り返ると… 結構な街だ…もっと鄙びた感じを予想してたけど。吉野家,マクド,ファミマなどがある。 山の方へ歩く。「梅庭」?? 川にも温泉の湯が流れている。 しばらく奥に歩くと,地獄谷(地熱谷)がある。湯は緑,グツグツと沸いている。 別角度から。 何か祀ってあった。 台湾の人々が,あちこちに結構いた。 京都??前の車には,「京都●温泉旅館」と… 高い塀と塗り固められた瓦…沖縄の家屋と似ている。そういえば,日本の西表島や石垣島は,すぐ近くだ。 山の方へ行くと,のんびりした風情になる。 坂道だらけだ。下水管?が剥き出しになっている。 道路の真ん中に電柱!? 石碑があった。 昭和十年十月…??日本統治下の名残か? 川の流れは,場所によって違う。水は,白濁している。 崖にマンションもある。 「親水公園露天温泉浴池」。安く入れる男女混浴の露天風呂。水着は必ず着用のようだ。私は,表だけで入らなかった。何か日本のようだ。日本の温泉マークが見える。 「瀧乃湯」。ここにも温泉マークが!ここは,昔の日本の銭湯と同じような雰囲気とのこと。 当然,水着などいらない。 駅周辺は賑やかだが,ちょっと山の方に入ると,静かでのんびりとした田舎の温泉町の風情だ。 最近は,人々の意識も変わってきていて,日本風の温泉が増えてきている。ただし,入るときは,水着が必要である。 私は,特に温泉ファンということはないので,このときは入らなかったが,'97年には,南部の四重渓温泉で泊まって温泉に入ったことがある。 ぜひ,1度行かれては? 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/17
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昨日もそうだったが,今日は本当に暖かかった。庭の梅の花が咲いている。いつもより早いのか??と思い,過去の画像を調べると,例年同じ頃に咲いているようだった。 梅は,表の線路向こうの畑にもあるのだが,ちょっと離れていてふだんは見ない。いつも近くで見られるのは庭の梅だけなのだ。 今日は暖かいので,ミツバチが多数飛んできた。そう言えば,ミツバチの巣って見たことない…アシナガバチは,そこら中に巣を作るので,すぐにわかるのだが。 春になると,クマバチが藤の木に飛んでくる。ちょっと怖い。さらに,最近はスズメバチが来るようになった。去年の夏なんか,アシナガバチの巣を襲い,幼虫を食べていた! クマバチやスズメバチなんて,以前はほとんど見なかったが,近くの山がどんどん砂利採取や開発などで崩され,住処を追われているのだろう。クマバチやアシナガバチは,下手したら人間の命にも関わるので,たいへんだ。 アブか何かわからんムシたちも飛び回っていた。このまま春になるのか??と思いきや,また明日からは寒くなるようだ。ムシは,また引っ込むだろうが,咲いた花たちはどう思うのであろうか?? 我が家編は,以前からたまにUPしている。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/15
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前回のカンボジアの話の関係で…カンボジア各地では,いまだに地雷が数多く埋まっていることは,みなさんご存じだろう。 観光客が多く行くところは撤去完了のところが増えてきたが,まだまだ途方もないぐらいの地雷が埋まっている。 地雷と同じく不発弾も恐怖となり得る。これは,カンボジアだけでなくラオスでも同じなのだ。 今日は,画像が中心だ。既に今までにUPした画像がほとんどだ。詳しい内容は,過去にUPし日記にリンクから行っていただきたい。 地雷や不発弾の問題は,これからもずっと課題になっていくものだ。同じものを何回UPしても多すぎるとことはないだろう。 カンボジアで,地雷があり未撤去のところには「DANGER MINIES」の札がある。これは,うちわにされてしまっていた。北部のバッタンバンだ。('07年4/9の日記)ほか 子どもたちに案内されて入った薮の中に…「おいおい!!」いきなりの恐怖,焦った… '00年12月。シェムリアップより北東へ約50kmのクバール・スピアン。駐車場から約40分ほど山を登る。その頃のガイドブックには載ってなかった(見落としただけ??)ので,知らぬが仏だったが,山道からそれると地雷があるらしい!最新版でも書いてあるので,当時はもっとあっただろう。全く知らずに,あちこちにそれながら登ったのだ! さらにバイクタクシーで行った。これも,結構危ないらしい…('06年7/28の日記) シェムリアップには,「地雷博物館」がある。前回,行かなかったので,いつの日にかぜひ行ってみたい。 ところ変わって,ラオス… ラオスには,インドシナ・ベトナム戦争当時に300万トンという莫大な数の爆弾が落とされた。それが,現在,多数の不発弾として残っている。カンボジアの地雷は有名だが,ラオスの不発弾の問題は,意外と知られていない。年間100人ぐらいの死傷者が今でもあるのだ。 北部のジャール平原には,多数のクラスター爆弾が落とされた。その跡は,しっかりと残っている。クラスター爆弾が実戦投下されたのは,じつはラオスが世界で最初である。('07年5/25の日記) ジャール平原には,カンボジアの「地雷危険」と同じような看板がある。('07年6/6の日記) 上空から見るとクレーターのようで小さき見えるが,実際はこんなに大きい。 これが,地中に埋まっていて,踏むと爆発する。地雷と同じだ。爆撃機から投下された薬莢の中には野球のボールぐらいの小爆弾が詰まっている。さらに小爆弾の中にはパチンコ玉ぐらいの鉄球が無数に入っている。これが地上で爆発して飛び散るのだ。 あちこちに薬莢が置いてある。ボール爆弾と言われ,通称「ボンビー」だ。 大きさはいろいろあるが,私が泊まったゲストハウスに置かれていたもの。私は約170cmだ。 爆弾は,ほかにもいろいろなものがある。 不発弾は,あちこちの家にふつうに置かれている。 上に乗って遊ぶ無邪気な子どもは,その昔の悲劇を知らない… 小爆弾は,ちゃんと再利用されている。灰皿だ。 ボール爆弾の薬莢は,家の塀になっている。 ネギが植えてある。 家(倉庫)の柱になっている。 泊まったゲストハウス(KongKeoゲストハウス)の門柱やプランターとして使われている。 食堂兼ロビーの囲炉裏になっている。 ラオスでは,人々が逞しく,爆弾の薬莢などを使って生活をしたり,鉄屑を売って生計を立てている。 また,ボール爆弾の悲劇を多くの人々に知ってもらい,少しでも多くの不発弾を撤去しようとがんばっている団体がある。 一見のんびりしたように見える国でも,過去の遺物によって何の罪もない人が悲劇に遭っている。地雷は,カンボジアだけでなく,アフガン,アンゴラ,イラク,ベトナムなど世界79カ国に埋まっている。不発弾も,世界各国に埋まっている。 ほとんどが手作業で行われている。テロや戦争などを含めると,真の平和は,いつ来るのだろう… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/14
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一昨日,TVの2時間番組でカンボジアのことをやっていた。カンボジアと言えば,地雷で有名だ。また,残虐なポル・ポト政権でも有名である。 首都プノンペンには,もとポル・ポト政権の刑務所であったトゥール・スレン大量虐殺博物館がある。行かれた方も多いと思う。 じつは,以前にトゥール・スレン虐殺博物館をUPしたのだが,残虐な画像をUPするのはどうかと思い,控えめにした。しかし,現実に起こった悲劇なのだ。2度とくり返してはいけないという意味を込めて,そのままを伝えることが大事かと思い,今日は少々残虐な画像も入れて,'06年9/16の日記の増強版として紹介する。 骸骨や死体の画像があるので,こういうのが苦手な方は見ない方がいいかも知れない。 訪れたのは,'06年8月なので,2年半ぐらい前になる。ここには,'00年12月にも来館している。2回も訪れる必要があるわけではなかったのだが,また来てしまった。 以前もそうだったが,今回もセントラルマーケット付近から約40分かけて歩いてきた。前は,乾季なのに帰りに突然大雨が降ったが,今回は雨季だが雨に遭わなかった。おかしなものだ。 ここは,ポル・ポト政権時代に,政府に反対する人々を「反革命分子」として,ことごとく捕らえ,残忍な拷問をくり返したあげく処刑していったS21刑務所である。少しでも疑わしい者は全て収容され,家族も子どもを含めて全て収容され拷問・処刑され,カンボジアの人々には,たいへん恐れられていた。 訪れる観光客は多い。 もとは,高校の校舎らしい。約2万人の収容者のうち,生還したのはなんとたったの8人だ!当時の残忍な行為を伝えるために,博物館として整備され,公開されている。当時の独房,雑居房や,尋問室のベッドなどが,そのまま残されている。 入って左側の建物A棟は尋問室だ。部屋に残されたベッド。もちろん,手足の自由はない。部屋は,いくつもある。 実際の写真も飾ってある。遺体だろう。 この状態で尋問されるのだ。この刑務所は,クメール・ルージュが撤退したあとに初めて発見されたが,これらの写真は,残されていた遺体と思われる。 B棟には,収容された人々の膨大な量の写真などが展示してある。処刑は,ここから約12kmのキリング・フィールドでされたが,左側の写真の多くは息も絶え絶えか,拷問のときに既に息絶えているようにも見える。 これは,子どもたちの写真。家族もろとも捕らえられたので,この子たちは収容された家族なのかと思っていたが,番号札を下げていないので少年看守ということらしいが,どうなんだろう? 人々が着ていた服。 掘り出された遺骨。最初は,ここで処刑し裏手に埋められていたが,処刑場は,のちにキリング・フィールドに移された。セットとも言うべきキリング・フィールドへは,なぜかまだ行っていない。次回行った時はぜひ訪れたい。キリング・フィールドには,9000体近い遺骨が安置されている C棟には,金網が張り巡らされている。 独房だ。レンガの壁が倒れないように鉄鋼で支えてある。 これが,工事前の'00年の画像だ。ほぼ同じ場所だ。意識したわけでないが,同じ人間が撮ると,6年開いても同じところを撮るようだ。 部屋は,本当に狭い。排泄は,房内の箱でしていたらしい。 こちらは,木製である。どちらにしても,かなり狭い。畳1畳分ぐらいあるかないかだろうか。 拷問の道具だ。拷問の様子が描かれた絵も飾ってある。 水を使った拷問の道具が多く残されているが,電気ショックを使った拷問も多くされた。 拷問の様子を描いた絵。右の柱も,敷地内に残されている。 雑居房だ。 こんな感じで収容されていたらしい。これも,ひどい。 左は,処刑された人々の遺骨である。以前は,骸骨を使ってカンボジアのどくろ地図がつくってあったが,物議を醸し,現在は棚に置かれてまつられている。右は,そのときの写真をパネルにして飾ってある。 拡大した。これが,以前は実際に飾ってあった。 これは,'00年に実際に見て撮った,どくろ地図だ。触れる状態にあったと思う。 左の棚の拡大だ。 ポル・ポト軍によって,プノンペンの住民は全て農村部に移住させられ,一時はゴーストタウンと化してしまった。1979年にベトナム軍によって,プノンペンが解放されるまでは,秘密主義により,この収容所の存在が国外には全く知られていなかった。発見後すぐに,ベトナムによって全世界に公開されている。最初は政治宣伝用だったようだが,その後すぐに虐殺博物館として公開されている。現在も公開時とほぼ同じままで展示されている。 この博物館や,ポル・ポト派の残虐行為については,詳しく書かれたサイトが多いので,もっと知りたい方は探されたら,すぐに出てくると思う。 遠い昔のことではない。まだ30年ほど前のことだ。当時はプノンペン陥落などの様子がニュースなどでよく報道されていた。その頃小学生~中学生だった私は,たいへん恐ろしい町だと思っていた。いまだに,そのときのイメージは残っている。 こういうのが苦手な人には,この博物館は,かなりきついかも知れない。しかし,現実に行われた残忍な行為の事実は消えない。 前回UPした時は,控えめだったが,やはり多くの人々に“歴史の事実”を知ってもらう方が大事だと思った。 実際に行くと,画像で見るよりも遥かにインパクトが強い。機会があれば,ぜひ行ってほしい。 なお,'07年11/18の日記では,ポル・ポト派が最後まで抵抗したバッタンバンでの痕跡もUPしている。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/11
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ラオスの首都ヴィエンチャン。世界で最も小さな首都の1つである。中心部は車通りが多いが,大きな建物は,ほとんどない。 '02年12月末,昨日の日記に書いた前日にレンタサイクルで走った。今の姿とは,若干変わっているだろう。 タラートサオの横を抜け,パトゥーサイ方向へ走った。 パトゥーサイだ。戦没者慰霊塔である。1960年から工事が始まったが,今現在も未完成のままのようである。上には上れる。上からは,ヴィエンチャンが見渡せて気持ちがいい。このときは上らなかった。パリの凱旋門に似せて造られている。 以前,'08年11/2の日記でUPしたのは,'00年8月の初ラオスの時の画像だ。 有名なタートルアンが見えてきた。 ここでは,毎年「タートルアン祭り」が行われ,全国各地から人々が訪れる。 日が当たれば,黄金に輝く。 中の仏像。 回廊には,いろいろ並んでいる。 1828年にシャム(現在のタイ)の侵攻により壊れた時のものか?? 少し郊外に出ると,こんな感じだ。昨日の日記では,中心部から南方向へ行ったが,これは北方向だ。 この画像だけを見ていると,どっかの田舎町に行ったとしか思えない… 幹線道路は,ちゃんと舗装されている。 革命記念塔 国会議事堂。今は,確か新しいのが出来てたかな?? 休憩。なに?ビールは?って??いつも飲んでいるとは限らない…(^_^;) バイクほどでないにしろ,自転車で走ると行動範囲は広がる。しかし,バイク同様,人々の生活に触れるとは言い難い。やはり,徒歩が1番だ! 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/08
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ラオスの首都ヴィエンチャン。世界で最も小さな首都の1つである。中心部は車通りが多いが,大きな建物も少ない。 '02年12月年末,レンタバイクを借りて郊外へと走った。 これでも,まだ町なかだ。右側通行なので,右左折で勝手が違い戸惑うことも… 30分も走ると… 適当に走る。地図などないのだ。国境をめざしているのだが,標識がほとんどないので本当に着くのか不安になる… 1時間ほど走る。道はあちこちを行くが,横をメコン川が流れているところに出ると,まあなんとか着くような気がする。 とは言うものの,道は細くなったり曲がったりで川から離れていく。バスなどが走っている様子もない。間違えたのか?? …と舗装された通りに出て,まもなく国境を渡る友好橋らしき橋が。ここまで1時間半。どうも,バスが走っている道と違う道を走ってきたようだ。 メコン川対岸に,タイのノンカーイの町が見える。ノンカーイについては,'08年7/27の日記などで,何回か紹介している。 橋を通り過ぎ,都合2時間ぐらいで,ブッダパークに着いた。ブッダパークについては,'06年11/12の日記で紹介している。 未公開の画像を。 以前もUPしたが,門の前で。バイクは,110CCか125CCだ。 ブッダパークでゆっくりした後は,今度は国境をめざす。 20分ぐらいで,イミグレへ到着。 イミグレの建物。横には店などもある。この地点は,タイ~ラオスへ陸路で入出国する人の多くが通るポイントだ。 人が多くいる。 このゲートを超えれば,出国になる。私は,このポイントからは入出国したことがない。天の邪鬼な私は,この後'07年に,この近くの小さな町パークサン~ブンカン(タイ)を小舟で越境している。'07年8/23の日記と8/25の日記でUPしている。 再び,ヴィエンチャンへと戻る。舗装道路を行こうかと思ったが,逆に迷うといけないので,同じ道を戻った。 途中は,田畑や池などがあり,のんびりとした雰囲気だ。 家も様々で… こんな道が続く。無事に,町へ戻れた。 バイクで走ると,徒歩に比べて行動範囲が格段に広がる。しかし,その辺の人々に触れて歩くことはできない。撮影は,当然止まってしている。遠方に明確な目標がある時は乗ることもあるが,日常はほとんどが徒歩だ。 前日には,自転車でタートルアンへも行っている。そのときの画像は少ないが,また次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/07
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サイクロン支援のユワテジ村から,チャウタンの町に戻り,寺院に寄って僧侶を下ろし,さらに途中のキリスト教会に寄ってから,ヤンゴンへ戻る。ややくどい説明だが,このテーマの最終回だ。 今日は,ヤンゴンまで。何の計算もせずにUPしていたので残り画像が少なくなった。よって,今日はやや少なめだ。そして,やや強引な画像選択だ…(^^;) タニンの町外れのチャイッコウッ・パゴダまで戻ってきた。このパゴダは,ガイドブックに少し載っている。 あちこちに集落がある。 チャイッコウッ・パゴダでは,もうすぐお祭りがあるとのことで,屋台の屋根の準備が大量にされていた。 おっと,京都市バスだ。京都市バスは,あちこちを走っている。私は京都市民ではないが,南部の人間なので,京都市バスを見ると,やはりうれしい。 ヤンゴン~タニン~チャウタンは,ヤンゴン市バスが走っている。 ヤンゴンに渡るバゴー川の鉄橋は,鉄道も走っている。ヤンゴンからのローカル線があるのだ。鉄道が走っていることは,Vol.1でも紹介している。 橋上だ。あちこちに監視小屋のようなものがあり,警官らしき人がいる。うっかり撮るとマズい… 日がかなり落ちた。 この後ヤンゴンに入り,出発地点に戻った頃は,もう真っ暗になっていた。「お疲れ様!」で解散だった。 この小さな村には全く何もないので,行く人はまずいないだろうし,そんなコースもないだろう。もし観光客としてユワテジ村まで行こうとするならば,旅行社に頼みに行き,行程の予約をし,政府の許可証を代理取得してもらい(ひょっとしたら,NPOなどの支援以外は許可も下りないかも知れない…),さらに日本語が話せるガイドまでつくと,かなりの料金になると思う。そこを,客としてではなくゲストということで同行させてもらった。 日程が合ったとはいえ,ふつうではなかなかできない体験をさせてもらった,masaさん及びビルマ人の青年たち,Myanmar Parkview Touarsの正田さん及び社員有志の方々,寺院の僧侶,温かく迎えてくれた村の人々に多大なる感謝の気持ちでいっぱいだ! あと少し,画像を載せておく。 チャウタンの寺院から船着き場へ行く途中の店。 これも,同じくチャウタンで,行きしの様子だ。 以前も書いたが,ユワテジ村の中学校の再建支援をし,黒板も設置したが,チョークはあるが黒板消しはないのだ。ぞうきんなどで消している状態だ。荷物が確実に届く保証はないのだが,黒板消しなどをいくつか贈ろうかと考えている。 学校には,新築の校舎の外壁補強工事など,まだまだお金がかかる。私は大金を寄付するほどの余裕は全くない。しかし,小さなものや少額の寄付ぐらいならできる。 今回は,いろいろと考えさせられ,いい勉強になった。私は,今の仕事はたいへん大事だし好きだが,この先このまま終わりたくないという思いがある(結果として,このままかも知れないが…)。人生でまだまだ大きな変化を求めている。何か参考の1つになったような気がする。 この項,終わり。 3期連続してミャンマーへ行っているので,今後もどうしてもミャンマー編が多くなるが,次回からは,通常通りに各国編も混ぜながらUPしていく。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/04
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サイクロン支援のユワテジ村から,チャウタンの町に戻った。このチャウタンを訪れる観光客はいるが,あまり多くないと思う。寺院に寄って僧侶を下ろし,ヤンゴンに真っ直ぐ戻ると思ったのだが,途中にあるキリスト教会に入った。「なんやろ??」 田舎だが,表は立派な建物だ。 聞くと,正田さんは,この教会の支援もしているという。ここには,親のいない子などが多数いるのだ。個人的な支援もしておられるようだ。 子どもたちが,木を切っていた。この辺りも,サイクロンの被害に遭っているのだ。 切って積み上げられた木。被害から8ヶ月経っても,木々はまだまだたくさん残されている。倒木の用途は,いろいろあるのだが,まだこれだけあるのだ。 外にも,こんなモニュメント?がある。 奥に進む。サイクロンで,奥の建物が全て倒壊したそうだ。 これは,男子の寮。がれきの中から,使えそうなものを使って建ててある。 こちらは,女子寮。壁の板(というより棒だ)の長さがまちまちで,向こうはトタンだ。 がれきの山の残りだろう。おそらく,使えそうなものは,この中からまだ使われるのではないか。 風雨に耐えられるように,今度はレンガとコンクリート製の建物が造られている。ここも援助されているのだろう。 こんなものもあった。夜は,イルミネーションが点くようになっているようだが,電気は来るのだろうか? 横にあるのは,民家か関係者の家か?手前のがれきの中には,まだ使える鉄筋があるのか,鉄筋のカッターが置いてある。 裏には池がある。夕方が近づき,向こうの民家からは煮炊きの煙が上がる。 この池の向こう岸から何かが飛んできた。「んん??」 数羽のニワトリだった。ニワトリも飛ぶことは知っているが,結構飛んだと思う! このレンガは,新しいものだ。夕方が近づいて,少し暗くなってきた。 正田さんやmasaさんは,一生懸命に支援されている。しかし,個人の支援では限界がある。援助を受けていないところの方が圧倒的に多いだろう。前にも書いたが,エーヤワディー管区には,各国のNPOや団体,政府の援助が入っているが,ヤンゴン管区の田舎は全く援助されていない。表向きではなく,本当の意味の復興までは,まだまだ時間がかかるように思えた。 ヤンゴンまでの帰り道の様子などを,少しだが次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/02/01
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