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サイクロン支援のユワテジ村から,チャウタンの町に戻った。このチャウタンを訪れる観光客はいるが,あまり多くないと思う。 チャウタンの船着き場から,少し歩いた。乗ってきた車は,別の場所に置いてあるらしい。 川沿いには,家が多い。 角を曲がる。日本人らしき人と認識すると,みんな注目してくる。VTRなどを持っていると余計に注目される。 ジュース?かき氷?? 串焼き 何を食べているのだろう? 確か,中でDVDかVCDを売っていると… 散髪屋 上の店は,この一角に並んでいる。 向こう側は,チャウタン川。 クレープのようなものを焼いている。Parkview Touarsの社員さんにおごってもらった。 中味は2種類あり,甘い具(何やったかな??ど忘れしてしまった…)が入っていた。おやつのようなものだ。油で,持った手がベタベタになるが…(^_^;) 車が止めてあるところだ。ここから,寺院に戻り僧侶を下ろしてヤンゴンに向かうのだが,真っ直ぐヤンゴンに戻ったのではなかったのだ。 続きは,明日に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/31
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ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(海に近いので,天候や潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという(存在さえ知らない人が多い)。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。外国人が行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない村だった。そこへ,初めて入村したのが正田さん。さらに希少な日本人(外国人)訪問者になったのがmasaさんと私だ。まあ,私は一介の同行者なのだが… …と言う,ユワテジ村を去る。 船着き場に,舟が横付けされる。 舟が出る。みんなとお別れだ。 川から見たユワテジ村。 川の両岸のあちこちに集落が点在する。舟でしか行けない村が多いようだ。全く援助無く,細々と再建している村がほとんどだと思う。ユワテジ村は,幸せな方なのだろうか。 チャウタンの町に入ってきた。途中で驚いたのが,川の流れが逆に変わっていたことだ。下流から上流に流れている。海に近いので,潮の関係で逆流していた。そのため,乾季でも水位がかなり変わっているようだ。 チャウタンは,この辺りでは1番大きい町(村)になるだろう。川沿いの家は,こんな感じだ。 拡大。家から釣りができそうだ。洗濯は川の上,トイレもそのままか? 船着き場が近づいてきた。 しかし,どこもゴミが多いな… 上陸した。舟を待つ人々。あちこちの集落に帰る人だろう。 船着き場前だ。電線が走り,パラボラアンテナもあるが,送電は晩ぐらいしかないだろう。おそらく停電は日常茶飯事だと思われる。ヤンゴンでさえ,十分に電気が来ていない。 船着き場前の通りの右側。 通りの左側。こちらに歩いて行った。 すぐに右折。 チャウタンに戻って,はい終わり…ではなかった。まだ援助は終わっていなかったのである。 私は縁あって知り合いになり,タイミングよく支援活動にまで同行させてもらった。日本人に加えて,日本語が話せるスタッフも複数いたのだ。この人たちは,ふだんは日本語ガイドとして仕事をしている。しかし,'07年9月の僧侶のデモや長井さん射殺,'08年5月のサイクロン被害によって,外国人,特に日本人観光客は激減している。仕事が,かなり減っているという。残念なことだ。軍政は考慮しなければならないが,ふつうに観光できる。もっと来て欲しいとの切実な願いがある。 みなさん,ミャンマーは,ちゃんと旅できますよ!どんどん来てくださ!! 今回,旅行社の客としてならば,かなりの費用も要っただろう。客と同行者では,位置づけがかなり違う。人との出会いは大切なものだと,あらためて思った。関係者のみなさんには,本当に感謝だ!! 続きは,次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/30
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ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(海に近いので,天候や潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという(存在さえ知らない人が多い)。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。外国人が行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない村だった。そこへ,初めて入村したのが正田さん。さらに希少な日本人(外国人)訪問者になったのがmasaさんと私だ。まあ,私は一介の同行者なのだが… 支援の授与式が終わって,港へ戻る。 途中の民家。 サイクロンで壊滅状態になったわけだ。簡単に飛んでしまっただろう… この村出身の僧侶は,心から尊敬されている。被災の援助もしているので,なおさらだ。村人は,手を合わせたり跪いたり。 この池も,溢れたのだろうか? 民家もいろいろだ。 多くの人が手を合わす。 村長もお見送りで進む。 やはり,手を合わされる。 家々から人々が出てくる。 雑貨屋?みんなが駆け寄ってくるわけではない…(^_^;) 散髪屋。まだ屋根があるだけマシだ。他国では,青空散髪屋を多く見ている。 港近く。米俵?が積まれている。ここでも,手を… 米は,みんな思い切り食べるし。 係留されている。右はチャーター船。左は来た時に到着した船だが,村専用の船なのか?? 僧侶を,お見送りの村民と関係者が囲んで船の接岸を待つ。 人々の感謝の笑顔の中,ユワテジ村を去ることになる。この続きは,まだまだある。次回に続く… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/26
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ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(海に近いので,天候や潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという(存在さえ知らない人が多い)。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。外国人が行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない村だった。そこへ,正田さんが初めて入村したのだ。 中学校の支援の式典の続きだ。 校舎の一角に,何やら並べられている。 歓迎のおもてなしのようだ。手前右は瓜の揚げたもの。結構食べられる。左はスイカ。向こう右はエビのかき揚げ。これはおいしい!左はラペッ。(茶葉を発酵させたもの)そして,椰子の実ジュースだ。お茶もある。 僧侶より,歓迎の言葉が述べられる。 右側でVTR撮影しているのは,私だ。~masaさんのサイトから引用~ 談笑が続く。昼前に寺院で食事をしてきた一行は,そんなに多くを食べられなかった。しかし,ビルマ人はよく食べる!食事の時のご飯は,何杯もお代わりするし,おやつもたくさん食べる。しかしメタボな人は,あまりいない。 後ろの黒板に文字が書かれている。黒板は,日本の昔の木製でも今の金属製でもなく,コンクリートの上に塗装されている。 英語・日本語・ビルマ語の3カ国語だ。友好の証かな? 聞くと,黄色のチョークを主に使うと言う。他に,色は白・赤・紫など数色あった。しかし,日本での主流は白で,黄や赤は主に大事なことを書く時に使うと説明した。色チョークは,白よりも値段が高い。それなら白を中心に使う方が見やすく経済的だということで,みんな納得した。現場の者が言うほど強いものはない。 そう言えば,黒板消しが見当たらない。聞くと,1つもないそうだ。ぞうきんで消しているとのこと。寄付を募っているそうだ。この国は,手紙がまず届かない。途中で切手が破り取られて捨てられることが多い。荷物も,どれだけ届くかわからない。旅行者が直接持参するか,masaさんなどの日本の口座に振り込む方法しかない。 さて,隣のきれいな新築の校舎だが,使われていないという。なんで?? それには訳があった。壁は一見きれいに見えるが,石膏ボード1枚しかない。これでは,簡単に破れてしまう。泥棒なども入りやすく,貴重品も置けない。 日本では,内側の壁や天井によく使われるが,当たるとすぐにヘコんだり穴が開く。以前,内装の仕事をしていたが,石膏ボードに困ることが多かった。天井から吊すアコーディオンカーテンやブラインド,病院などのカーブレール,壁のフックなどを取り付ける時に,筋が通っているところやボード用のビスの落下傘などを入れる必要があったからだ。 さらに,雨季には鉄骨の柱の足下に水が浸水し,錆びてしまって倒壊の恐れ有りとのこと…そんな校舎に子どもを入れられないとのことだった。 教室は完全に仕切られているが,やはり石膏ボード1枚だ。子どもは万国共通で元気だ。走ったりしてぶつかったら,いとも簡単に穴が開くだろう。 この外壁改修に100万円はかかるそうだ。その他,様々な改修にまだまだお金が要るらしい。被災者児童教育支援(年に2回,写真付きの手紙が送られるとのこと)も行われている。ただ,お金が足りず,現在募金を募集中とのこと。私は,日本ではお金に苦労しているが,募金先はわかるので少しは募金してみようかと思っている。 校舎の間の向こうには,民家が見える。TVアンテナがあるが,村の自家発電の電力は夜間の数時間しか来ない。 時間が過ぎ,再びチャウタンの町に戻ることになる。 この支援活動,これで終わったわけではない。まだまだ次回以降に続く… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/25
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ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと,1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。外国人が行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない村だった。そこへ,正田さんが初めて入村したのだ。 以上のフレーズは,初めて見られた方のために,この項では前回以降いつも書いておく。 昨年5月のサイクロン被害が甚大だったエーヤワディー管区は,国際的な支援団体や政府,民間の多くのボランティアの支援がなされているが,同じく大きな被害を被ったヤンゴン管区では旧首都ヤンゴン以外は全く手つかずで,この村も何の支援もなされていなかった。 ユワテジ村の中学校に着いた。 学校の入り口の看板だ。何とか中学校と書いてある。 校舎は2つある。左側の校舎の半分の壁が崩れ落ち,右側の校舎が倒壊した。 左側の校舎に入った。 寄付され新調した黒板を見る僧侶たち。 隣の教室とは,衝立1枚しかない。 上から見ると,みんな丸見えだ。 寄付された机と長いす。壁の色が変わっているのは,右側がサイクロンで飛ばされてしまい寄付金により新調されたのだ。 何やら,先生たちが作業中だ。 準備を待つ人々。 何が書いてあるのだろう?授業のスケジュール?? 日本から贈られた古着の贈呈式の準備中。古着支援は,国際親善協会の他に,にょっき,築地本願寺,(株)東海ヴェンダーといったところからされている。 古着の贈呈式の記念写真撮影。村長などが受け取った。このあと,masaさんに誘われて私までが,「いいのかな??」と言いつつ一緒に並んだ。私が写っている画像があるのかな?masaさん! こちらは,ミャンマー教育支援機構による寄付の贈呈式。ほかに東京町田サルビアロータリークラブ,てんこうオーナー友の会,Myanmar Parkview Tours有志の支援によるものだ。 黒板7基・机・いす(三人用)他,全面倒壊のため校舎新設,飲料水ろ過装置などが贈られた。 撮影しているのは,全てMyanmar Parkview Tours関係のビルマ人で,村の人々はデジカメなど持っていない。 被災者児童教育支援を受けている生徒に記念品が渡される。この村には小学校・中学校はあるが高校がなく,舟に乗ってチャウタンの町まで通う必要があるが,船代が出せずに断念する子が多いという。 「ユワテジ村,ウーソーラィ村長から感謝のご挨拶」(古着支援に関して) この度は海を越えての貴重な衣類の支援を賜り厚く御礼を 申し上げます。村民に公平に分配したく思います。村民を代表して御礼を申し上げます。 優秀なアジアの盟主 日本の皆様の更なる経済の発展、御健勝心よりお祈り申し上げます。 機会がありましたら是非村にお越しください。村民を上げて歓迎申し上げます。 (masaさんのサイトより引用) 支援が行き届いていない村は,このほかにも多数あると思う。8ヶ月経った今でも,まだまだ復興していない。それだけ傷跡が大きかったのだ。 式典だけで終わってはいない。まだあったのだ。 次回に続く… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/24
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ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと,1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない未知の村だ。 昨年5月のサイクロン襲来で,村は壊滅状態になったのだ。その後,正田さんが外国人として初めて足跡を残した。チャウタンの僧侶(この村出身)とともに,この村の再興の支援に乗り出しておられる。さらに国際支援があったかどうかは知らない。 上陸した。米の袋が山積みだ。歓迎の出迎えを受ける。正田さんすごい存在のようだ。もう数回は行かれているという。僧侶とともに偉大なる人になるのだろう。 ご一行は進む。 倒木とパラボラアンテナという不思議なコラボレーション。 この村が,ネット上で不特定多数の人々に公開されるのは,ひょっとして世界初かも知れない!masaさんがmixiで公開されているが,友人までだ。 電気は,村の自家発電で,1日の数時間しか来ない。 倒木の木材を加工している。手作業のようだ。 倒木と倒壊しそうな家… さらに進む。 あちこちに米袋。そう言えば,ビルマ人は,おかずに対して,ご飯をかなりたくさん食べる。 駄菓子屋兼雑貨屋も,ちゃんとある。 ちょっと開けてきた。 ちょっとどころか,広大だった! この村は,公共の電気,水道,ガスなど一切ない。とは言うものの,ヤンゴンでも似たような状況のようだ。 これでも,ちゃんとした道だ。 民家。サイクロンの時は,みんな吹き飛ばされたようだ。 家は,たいてい自分と仲間などで造るようだ。ニッパヤシと竹が中心だ。 通りをしばらく歩く。 支援している学校が見えてきた。 学校では,小さいながら授与の記念式典などが行われた。 続きは,次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/22
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ヤンゴンから車でタニンを経てチャウタンへ,さらにチャウタン川の船着き場から舟に乗って,支援をするユワテジ村へ向かった。ユワテジ村の人々がチャウタンに行くことは多くても,チャウタンの人がユワテジ村へ行くことはまずないと言う。ユワテジ村の存在さえ知らない人がほとんどらしい。そんな村のようだ。この村は,陸路では運河を何回も渡る必要があり道もなく,船でしか行けない。 チャウタン川上からの続きだ。 小さな集落が,あちこちに点在している。おっと,舵を切って,ある集落の岸に向かって進んでいく。もう着いたのか?? 舟は反転して接岸にかかる。しかし,高い崖のようだ。 着いたのではなかった。チャウタンの寺院から同乗してきて村まで行くと思われたビルマ人が,ここで降りたのだ。しかし,これが桟橋… すぐに再出発だ。おっと,さきほど崖の上にいた少年が持っていたサッカーボールが落ちている… ボールは川まで落ちずにすんだようだ。乾季は崖になっているが,雨季は崖のかなり上まで水が来ていると思われる。でも,なんとなく土が湿っている感じがするので,潮の満ち引きで水位が変わっているような気もした。 川のすぐ横に家。サイクロンの時は,この辺りの家々も飛ばされたり流されたりしたのではないか?? 舟は,さらに進む。天候もよく,順調だ。 舟に乗ること約1時間。今度は,着いたようである。 このチャウタン川,ヤンゴン川の支流のようだが,海に近いこともあり潮の満ち引きや天候などに大きく左右され,2時間以上もかかる時があるようだ。帰りは,川の流れが下流から上流にと逆になっていたので驚いた!塩分が多いので,川沿いは米が作れないらしい。 ユワテジ村の船着き場が見えてきた。 先に別の船が到着したようである。 不思議そうな顔をして,こちらを見ている人が多い。 ここの桟橋の先には屋根がある! 屋根には看板があるが,風化して読みにくくなっている。 振り返って,川の方を見る。 狭い船着き場は,私たちの舟,先に来ていた船の客,出迎えの人々でごった返した。 さあ,ユワテジ村だ。この村の画像が公開されることは,おそらく今までになかったと思う。(ネット上では,masaさんが世界で初めてか??) 次回に続く… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/21
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ヤンゴンからバゴー川の鉄橋を渡り,タニンを経てチャウタンの町に入った。約1時間。バスだと1時間半以上かかる。町と言っても村に近い。この町にある寺院に立ち寄ったところまで昨日に書いた。 サイクロン被災地のユワテジ村へ支援に行ったときの話だ。今日は,この町の横を流れるヤンゴン川支流のチャウタン川を舟で遡るところからだ。 じつは,この町には昨年8月にも来ている。ここには中州に水中寺院のイェレー・パゴダ(未UP)があるのだ。これは,8月の画像だ。ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ('08年12/14~4回シリーズで紹介)で知り合った僧侶のガンピーア君('08年8/26の日記で紹介)と一緒に訪れていたのだ。masaさんと初めて会った2日前のことだ。 イェレー・パゴダに渡る舟は,ビルマ人と外国人では別の舟に乗らなければならない。料金も当然外国人価格(4000K=約360円)で高い! 寺院から僧侶を乗せ(僧侶は助手席に乗り,私は荷台に移った。)車でさらに少し行くと,チャウタン川の船着き場があった。イェレー・パゴダよりも上流にある。なんで船着き場に来たかと言うと,この辺りは広大なデルタ地帯が広がっている。そのため,陸路で行こうと思えば何度も運河を渡る必要があり,道もないので行けない。舟で行くしかないのだ! 後でわかったが,8月に行った時に,イェレー・パゴダから,この船着き場を写していた。(真ん中の奥あたり)お参りに来た大勢の人々が座っている。雨季で,どんよりと曇っている。これも,8月の画像。 船着き場横の家は,増水に備えて高床式になっている。 手漕ぎ式,モーターありなど様々な舟がある。ここまで来る外国人はいるが,この先の上流に進む外国人は皆無に等しいだろう。なにもないので行く用事がないのと,政府の許可がない限り行くことができないからだ。わざわざ政府に許可をもらってまで行く人などいないと思う。 この舟に乗った。料金は当然要るが,私はゲストだったので払わなくてよかったようだ。この先の画像は,ひょっとしたら世界初公開?かも知れない。(ユワテジ村の画像は,ミクシィの友人の間だけだが,masaさんが世界初公開?している。) 支援に行くメンバーだ。Myanmar Parkview Toursの正田さんと社員たち,masaさんと青年たちだ。日本人は私を含め3人で,あとはビルマ人だ。 さらに,いつの間にか寺院から村へ帰る人たちも同乗してきた。どこへ行っても,同じ方向へ行く見知らぬ人が知らぬ間にふつうに同乗してくる。日本では考えられないことだ… モーター付きの舟を操る。 エンジンは,YAMAHAなどの信頼性の高い日本製ではないようだ。ベトナム製?中国製??ミャンマー製??? 途中に,ポツポツと家がある。 いくつもの小さな集落がある。岸は粘土のようにベチャベチャになっている。 漁をしている。 舟は進む。 桟橋をつけないと,舟が接岸できない。 精米工場が,いくつかあった。熱帯は,二期作がふつうだ。 岸の形は様々で,舟が直接接岸できる集落もある。 この船はなんだろう?水面ギリギリの構造になっているが… いろいろな船舶が通った。 漁をする人,通りがかる船,途中の集落など,見ていて飽きなかった。続きは,次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/19
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ミャンマー(ビルマ)をサイクロンが襲ってから8ヶ月が経つ。表向きは復興しているように見えるが,実際はまだまだ大きな傷跡が残っているようだ。 ヤンゴンに着き,まずmasaさんの家へ行った。この日は,1日masaさんご一行と過ごした。なかなか楽しかった。ビルマ人の兄ちゃんたちとともに,ふつうに街を歩いたり環状線に乗ったりで,なんともローカルな感じでよかった。観光地を巡っているよりも,現地の息を感じながら歩いている方が,ずっといい。 一緒に列車に乗った時のことは,1/10の日記でUPしている。このときの模様の一部はまた後日UPする。 話していると,翌日にMyanmar Parkview Toursの正田さん(じつは,由緒あるお方なのだ)の社員とともにヤンゴンから何時間も向こうの被災した村へ,支援活動に行くという。日本から集めた古着を贈ることと,倒壊した学校の再建及び寄付の式典があるとのことだった。私もどうか?と言われ,急遽参加することになった。 この村は外国人が入村できないので,これも急遽政府の許可をもらうことになった。前日で大丈夫か?と思ったが,無事に許可が下りた。さすが正田さんだ。 このときのもようを,数回に分けてUPしていく。 翌朝,ホテルから集合場所までタクシーで行ったが,運転手がちょっと迷ったので焦った。携帯が使えないので,行けなかったらどうしようもないのだ…ちょっと遅れてしまったが無事に集合場所に着き,9時過ぎに出発した。 あのアウンサンスーチーさんの自宅前を通った。周辺は警官が多数いて,警戒していた。バリケードのような物も置いてある。さすがに撮影はしなかった。隙を見てできないことはなかったが,1人で行動しているならともかく,もし見つかって同乗のみんなに迷惑がかかってしまうといけないので,撮らなかった。 バゴー川の鉄橋を渡ると,タニンという町に入る。ここは鉄道も通っていて,JR車両が走っていた。 タニン~チャウタンには,所々に集落がある。 少し進むと,チャイッコウッ・パゴダがある。UPの写真は,帰りに撮ったので,また後日。 チャウタンの町の入り口に来た。この辺りは,以前は政府の有力者の出身地で発展しかけたが失脚してダメだという… ヤンゴンから1時間。(道路状況によったら,かなりかかるようだ。)チャウタンの町に着き,ある寺院に入った。 乗っていた車。私はゲストということで,助手席に乗せてもらった。(ありがとうございました!)数名は,荷台だ。 ここの僧侶の出身の村がサイクロンで壊滅状態になったらしい。学校も倒壊し,その再建などのために,正田さんと一緒に活動をしている。 お菓子だ。右側は羊羹のようなウイロのような。左のラペッは,どうも苦手だ… 村出身の里親になっている子への支援の贈呈の様子。向こう側の人たちは,僧侶の試験の採点中とか。 その少年たちに,古着もあげることになった。 ここで,昼食をいただくことになった。 食事だ。エビや鯉(鮒だったかな?)などがある。ご飯は,たくさんある。ビルマ人は,ご飯はたくさん食べるのだ。これらは,全て托鉢によるものなのだろうか? 若い僧侶。なにやら遊んでいた。 こんなイスがあった。座り心地は,イマイチ… この寺院で,ゆっくりと休んだ。僧侶が同行するので,準備をしているのを待っていたが,時間はのんびりと過ぎていった。日本では考えられないぐらいゆっくりだが,私にはちょうどいい。 この後,港へ行き小舟に乗ることになる。続きは,また次回に… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/18
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今日もショート編。昨日のmasaさん同様,ミャンマー(ビルマ)で,世話になったParkview Toursの正田さんの手作り石鹸の宣伝??だ。 現地より12/28の日記で少しUPしたが,昨年5月のサイクロンで壊滅的な被害を受けた外国人はおろかビルマ人もほとんど行かない村でのボランティア活動に同行させてもらった。 被害を受けた学校や施設の再建や里親…様々なボランティア活動をしておられる。ちなみに,masaさんは古着支援活動(NPO国際親善協会)をされている。 このときの模様は,明日から順次UPの予定だ。 さて,正田さんは,全てミャンマー産の天然素材を使った手作りの石鹸を作っておられる。環境に肌に優しい石鹸と言うことで,いずれ空港やホテルの売店などで販売する予定とのこと。 リュックに入れていたので,多少角がヘコんでいるが,手作りなので味がある。作って乾燥させるのに4週間かかり,上手くできあがらない時もあると言うことで,かなり苦労しておられるようだ。だから,量産はできない貴重品だ。だから,1個につき$3だ。 本当は,いくつかを買おうと思っていたのだが,買う機会を逃してしまった…よって,1個しかないので,もったいなくて今のところ未使用だ… お肌しっとり,スベスベになるとのこと。特に女性にお薦めだ!あっ,私自身が使ってレポートすればいいのか!?(^_^;)近いうちに使うので,また追加レポートする。 大きさがわかりにくいと言うことで,画像を追加した。ふつうの石鹸と同じぐらいだが,直方体になっている分,やや量は多いか? ミャンマーへお越しの際は,ぜひ!! 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/16
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風邪と腰痛で体調が悪いので,今日もショート編だ。早い時間に寝ると,寝つけなくて夜中に起きてしまって,再び寝られなくなってしまう…正確に言うと,風邪のあとの腰痛なので,腰以外は一応元気である。 今回,ミャンマー(ビルマ)の旧首都ヤンゴン在住のmasaさんの要望で,日本の食糧を運んだ。日本食大好きな方なのだ。ミャンマーでも手に入るが,新鮮なものはあまりないらしい。乾き物ではなく,生ものが欲しいということで,初めて食料輸送?に挑んだ。(大げさか??)masaさんには,いろいろとお世話になるので快く引き受けた。 渡航前日に,近くのスーパーに行った。魚系がお好きなので,いろいろ探す。アジの開きの干物,鱈の甘煮,ニシン甘煮,秋刀魚蒲焼き,煮ダコ,たらこ,千枚漬け…1万円分と言われたが,どれぐらいになるのか見当もつかなかった。買ってみると意外と量は少ない。 家に帰ってすぐに冷凍する。トレイに入っているものは出してラップでくるんだ。大きい保冷バッグに入れようと思ったが,融通が利かないことに気づき,小さな保冷バッグをいくつも買った。この時期に保冷バッグなどあるのか?と心配だったが,ふつうの店にはやはり無かった…でも,百均(ダイソー)にはたくさん売っていた。感謝感謝!! 旅の準備は,いつも前日の深夜になってしまう。部屋の片づけなどもしていかなければならないので,余計に時間がかかるのだ。いつものことながら,また徹夜になってしまった。荷物は詰めたが,食料品は出る前に入れることにした。少ないと思ったが,バックパックに入れるとかなりのかさになってしまう… それぞれをジップロックに入れ,保冷バッグに入れた。関空~バンコク(タイ)で1泊~ヤンゴン(ミャンマー)なので,2日かけて運ぶことになる。保冷状況がたいへん心配だった。生ものだけに,温度が上がると即傷んでしまう… 家を出たのが朝6時。バンコクのホテル到着が午後4時。バックパックを開け,保冷バッグを開けてみる。「お~!」冷たい!!保冷剤もまだ凍っている。百均とは言え,すごい保温力だ! すぐにホテルの冷蔵庫に入れる。入っていたものは,全部出して入れ替えた。冷蔵庫は小型なので,保冷剤しか冷凍できない。でも,翌日は朝の便なので問題ないだろうと思った。翌朝,6時チェックアウトの前に大急ぎで詰め直した。 そして,ヤンゴン到着。10時頃,めでたくmasaさんに引き渡すことができた。後日,おいしかったと言ってもらい,よかった!!(^O^)渡した時は,停電中だった(^_^;)いつも,そうらしい。 行きしの関空で,チェックインの時にバックパックの重さを見ると,27.3kgもあった。これを2日担いだのだ。帰りは,土産物一切無しで,タイでナンプラーやソイソースなどを何本か買って帰って17.5kgぐらいだったことを思うと,かなりの重量だったことがわかるだろう。 それでも,なにか一仕事を終えたようで,気持ちよかった。masaさん,次回行く機会があれば,また運びます!!(^O^)ヤンゴンでは,いろいろとお世話になり感謝しております!! また,正田さんの石鹸も宣伝します! 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/15
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話が飛ぶが,今回の旅の帰りの飛行機でのこと。バンコクで,フライト時間を過ぎても動かない。まあ,多少の遅れはめずらしいことではないけどな…などと思っていた。 …と,ふと通路の前の視界が遮られた。「なんや??」よく見ると異常に長いズボン。「んん?」見上げると天井に顔!「えっ!?」 そうなのだ。軽く2m以上はあるかと思われる超巨大な人だったのだ。テレビなどではよく見かけるが,実際に目の前で見たのは初めてだ。ビックリした。 その人は,杖をつきながら人の肩を持ちながらゆっくりと歩いていた。おそらく,搭乗に時間がかかったのだろう。さすがに,誰もが注目していた。 飛行機は,経由地のマニラで止まった。乗客は,全員一旦空港に出る。機内清掃などがあるためだ。巨人さんも降りてくると思ったが,来ない。特例で,そのまま乗っているのかと思ったが,しばらくして数人いた空港職員がざわめき始めた。「あっ,やっぱり降りてきたんやな。」何人かがデジカメを持っている。そして,うれしそうな顔をしながら撮影を始めた。「おいおい…」 マニラで降りるらしく,通路の方を歩いている。マニラから乗る乗客から驚きの声が出始めた。なんとも異様な雰囲気になった。何人かがデジカメで撮影をしていた。 ガラスの向こうの人だ。前を歩く(左側)人が175cmぐらいなので,背の高さがわかるだろう。下を向いていても,この差だ。前の人のところに撮影している私の姿が映っている…) 右側に写っている笑顔の女性職員は撮影はしていなかった。 こういう大きな人は,めったに見られるものではないので,私も含めて驚くのも無理もない。ただ,ちょっと複雑な気持ちになったのは,空港の職員たち。事前に連絡があったので急いでデジカメを準備していたのか,もともと有名人などを撮るために常時持っているのかはわからないが,大勢の乗客の前で見せ物のように競って撮影していたことだ。 確かに,めずらしいので思わず…だろうが,当の本人にしてみれば,おそらくどこへ行っても奇異の目で見られていることだろう。足が悪いらしく,杖をついて歩くのもおぼつかない。そんな人を正面からバチバチ撮るのは,いかがなもんだろう??と思ってしまった。 かく言う私もご覧のように撮影したが,遠くからそっと撮った。それがいいか悪いかは別にして,思わず考えてしまった。 今日は体調がイマイチなので,ショート編で… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/14
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ミャンマー(ビルマ)には,日本の中古車両が多く走っている。車,トラック,バス,列車,トラクター,重機…日本で引退したものが多数譲渡されて,第2の人生(車生?)を元気に働いているのである。日本語がそのまま書いたままのものが多い。日本語が書いてある方が,逆に信頼性があっていいという。最近のバスは,ミャンマーの企業の広告塗装がされてくるようになっている。バスは,ほとんどが日本製で,あと少しが韓国製という感じだ。 日本語が残っている中古バスは,1/12の日記や'07年3/27の日記などでUPしている。 今日は,日本の「お絵かきバス」が登場だ。 夕方なのだが,フラッシュを焚いていないので,少しぼやけた画像が多い。市庁舎前なので警官を警戒して焚かなかったのだ。どんないちゃもんをつけられるか知れないので…輪郭補正などで修正はしている。 1/1の夕方,ヤンゴン横のヤンゴン川対岸のダラから戻ってきて,スーレーパゴダ東側に来た。ここは,多くのヤンゴン市バスが止まるところである。夕方で,少し薄暗くなってきていた。道と道の間の歩道の木の下で休んでいた。 ふと後ろを見ると,「お絵かきバス」?なんやそれ?? 前へ回ってみる。ビルマ語ばかりに替えられており,どこのバスかわからない。 さきほど調べてわかったが,名古屋市交通局の市バスだとわかった。何台もが,お絵かきバスになって名古屋市内を走っているようだ。 もし,描いた心当たりのある方,または知り合いの方,特に名古屋の方々は探してみてください! ミャンマーは,右側通行である。よって,こちら側のドアは使われない。反対側に,あとから壁を削ってドアが付けられているのだ。右側通行の国に走っている車やバスのほとんどが右ハンドルという妙なことになっているのだ。 グルッと回って撮ることにした。ピンぼけ以外は全て載せることにした。 右側の真ん中は,壁が取り払われてドアが付けてある。ここに描いた子どもの絵は消えてしまっている…残念! 保育園・幼稚園~小学校低学年ぐらいの子の絵だと思う。 よく見ると,H19.11.17の文字が…と言うことは,描いて1年ほどで廃車になったということか?廃車前のバスが,お絵かきバスになるのか?どっちにしても,最近ミャンマーに来たのだろうな。 同じ絵が何回か出てくるかも知れない。 どういうコンセプトかは知らないが,おもしろい取組だと思う。あちこちに同じ日付があることを考えると,何かのイベントで書かれたものなのだろう。 だんだんと日が落ちてきて撮りにくくなってきた。かと言って,フラッシュは焚きにくい。大丈夫かも知れないが,警戒した。 左側のドアは,後部でも開かない。 ドアのところにイスが置いてあるのが,わかるだろうか? このバスは,ドアが3カ所あったようだ。 ほとんどが小さいお子様なので,保護者の方々いかがでしょうか?? 「入口」の右側のマークは,CNGのマークだ。バスやタクシーなどは,どんな古い車でも,ほとんどがCNG(天然ガス)化されている。なぜか日本よりも進んでいる。 F437は車番である。三菱ふそう製のFだ。 バスは,しばらく運転手が席を離れて止まっていたが,客がだんだん増えてきた。私を不思議そうな顔で見る人が多かった。そらそうだろう,謎の日本人がバスの周りを何周もして撮影しながらニヤニヤしているのだから…(^_^;) 運転手が戻ってきて,エンジンがかかった。まもなく発車していった。 このバスに描いた子どもたち及び保護者の方々は,ずっと名古屋市内を走っていると思っているのかどうなのかはわからない。しかし,現在は遠くミャンマーのヤンゴン市内を走り回っている。ミャンマーの人々が日本の子どもたちの絵を見ることは,めったにないだろう。そう思えば,毎日が絵画展だ。妙なところで国際交流になっているようだ。 おもしろいものを見つけた!!おそらく,ここミャンマーでは,故障しても何回も修理され末永く走り続けると思う。ヤンゴンを訪れた際には,探してみてください! なお,このバスの現役時代の画像を,「名古屋市交通局の館」さんのサイトの写真展示室で見つけた。→F437(クリック) 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/12
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ヤンゴンより西へ約200km近く行くと,エーヤワディー管区のパテインに着く。バスで6時間以上かかった。 エーヤワディー管区(正確には,町によって違いがあったと思う。)は,昨年5月のサイクロン被災以降,外国人立入禁止区域になっていて,8月には行けなかった。10月頃に行けるようになったようだ。ただし,許可が要る。 今回は,すでに今までの日記で書いているとおり,ミャンマー政府に入域許可証をもらって行くことになった。許可証は,現地在住の日本人正田さん経営のParkview Toursさんに代行取得してもらった。 何時間も歩き回ったが,所詮は徒歩なので,遠く郊外にまでは出ていない。さらに,被災から7ヶ月が経っている。ましてや,ここへ来るのは9年ぶりだ。よって,本当にどれぐらいの被害であったのかは,私にはわからない。 どちらにしても,様々な被害はあったはずだ。しかし,町を歩いていると多くの人々が笑顔で声をかけてきた。多くの人々の温かい心に触れられた町であった。 ストランド通りだ。右へ曲がると,マハバンドゥーラ通り。大きな通りだ。 ストランド通りは,町の西側を流れるパテイン川に沿うように走っている。 北にどんどん歩いていった。だんだん商店や家が減ってくる。 妙に広い空き地があった。そこに,何かが建っている。ここには,もとは何かがあったような気もするが,わからない… どうも寺院のようだが,即席のような…もともとあったのが壊れてしまったのだろうか??よくわからない。 張りぼてだが,柱の絵などはきれいに印刷されている。 と,そこにいたおじさんが手招きをした。「お祈りをしたら?」と言っているようだった。 お供え物が多くしてある。先に,祈り方の見本をしてくれた。私も同じように祈った。(祈り方は,知っているが,初めてのような顔をしておいた。)寺院の名前を聞くと,「ニジョラ(ジャリビュエ)ブッダ」と言っていた。 撮影をしていると,おじさんが「わしらも撮ってくれ!」と言ってきた。OKすると,おじさんは近くにいた人にも声をかける。数人が,うれしそうに集まってきた。ただし,笑顔の人々も,写真慣れしていないのか,撮影の時は妙に緊張したようなすましたような顔に… 「やっぱり,ブッダと一緒に撮らないと!」と言い出し,残った人々でもう1枚撮影。 挨拶をして寺院を出た。横から撮影。同じような寺院を,翌日にも別な場所で見た。 横には,小型の観覧車が。動力は人力だろうな。大型の人力観覧車は,以前にバゴーで見たことがあり驚いたことがある。('07年2/16の日記等でUP←ぜひ,見てください!) その横にある家。これらは,全て寺院と同じ敷地内である。 家の前で煮炊き。 敷地を去ろうとすると,先ほどのおじさんが,「この子たちも,撮ってやってくれ!」ということで撮影。 おじさんのセリフは,寺院の名前以外は全て私がニュアンスで考えたものだ。何せ,全てビルマ語だったので…(^^;) おそらく甚大な被害に遭った人も多いと思うが,この明るさにホッとしたような感覚になった。人々の笑顔は,これから徐々にUPしていく。身構えて撮ると,カメラ慣れしていないビルマ人は顔が引きつってしまうので,笑顔の瞬間をさっと撮るのがコツだ。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/11
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ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンには,環状線(ミョバッヤター)が走っている。市内を約3時間かけて1周する。右回り・左回りがある。1周せずに,途中で止まるものもある。8/31の日記から6回シリーズでUPしているので,先に見てもらうと話が早い。 撮影は,当局に目をつけられないように気を遣いながらである。 今回は,乗るつもりではなかったのだが,ヤンゴン在住のmasaさんたちとともに再び乗ることになった。撮影は,私が勝手にしている。長距離路線とはまた違って生活路線なので,ふつうのくらしが垣間見られる。観光客や外国人が乗ることは,ほとんどない。今回は,見るためと言うよりも,ふつうに移動に使ったという感じだ。 今回は,ヤンゴン中央駅からではなく,途中の駅から乗った。外国人は$1。しかし,外国人用の売り場はヤンゴン中央駅にしかない。ビルマ人の兄ちゃんが,ビルマ人価格で買ってくれた。10チャット(約0.9円=90銭)。もし車掌などが来れば,$1を払わなければならない。来なければ…??(^O^;) 壁がそのままベンチになっている感じだ。位置は,結構高い。 反対側ホームに移った。人が増え,荷物もいろいろある。 駅の裏は,通称トイレだそうである。確かに,何人かが小用をしていた。て言うか,ゴミ捨て場と化している。 昼間は,比較的空いている。この時は,数駅で降りた。 夕方に再び乗ったが,撮影にフラッシュは厳禁。いつ当局関係者に取り囲まれるかわからない。実際にmasaさんたちは,取り囲まれてたいへんなことになったことがあるということだ。 よって,フラッシュ無しの高感度撮影モードだが,じっくり構えることができないので,ピントが合わずにぼけることが多い。以降の画像は,ピンぼけばかりだ… おっと,もとJR車輌だ!電車はないので,ディーゼルカーだ。日本から,JR,名鉄を始め,複数の電鉄会社から多数の車輌が譲渡されている。日本の車輌はミャンマーの規格よりも背が高いので,低屋根化改造されてから運用される。となると,冷暖房機器は当然外されてしまう。 あいだの車輌はミャンマー製(一部は韓国製もある)。先頭と最後尾が日本製車輌になっている。 最後尾だ。日本製車輌は,きれいに見える。 おっと,これは比較的新しそうだ。鉄道には詳しくないので,なんと言う車輌かはわからないが,JRか名鉄製であると思う。 この列車に乗った。本当の人々の生活を感じるなら,夕方の方がいいという。 以前の日記でも書いたが,ドアなど当然ない。 以前の日記で,蛍光灯は壊れている…と書いたが,どの車輌も片方だけながらちゃんと点いていた! 薄暗い上に,列車はかなり揺れる。横揺れ+ミャンマー特有の縦揺れだ。さらにフラッシュを焚けないので,ピントが合わない… 床に座り込んでいる人も多い。別にめずらしいことではない。東南アジア諸国では,よく見られる光景だ。特に,何とも思わない。 ここ10年ほどで,日本でも床に座り込む若者が増えたが,東南アジアでは昔からだ。つまり,“先進国日本”は,退化しているということか??日本で,陳澤民さん提唱の“ジベタリアン”を見るにつけ,本当に情けなくなる… とある駅で止まった。電気が一斉に消える。真っ暗だ。「ここは?」,「この列車は,ここが終点。」ここで折り返すようだ。 真っ暗な中,私たちは別の車輌に移動した。しかし,真っ暗なまま…「本当に動くん??電気は?」,「点くと思うけど…」 先頭の機関車が横の線を通って,最後尾へ移動した。そして,最後尾車輌に連結。つまり,最後尾が先頭になるわけだ。 横を見ると,駅裏に食堂らしきものがあった。しかし,このあと停電で列車の周りまで真っ暗に… ガタン!…ショックがあった。機関車が連結されたらしい。しばらくすると,蛍光灯が点灯した。折り返し発車した。途中の駅で降り,夕食となった。※ ヤンゴン環状線は,撮影禁止です。(駅も基本的に撮影禁止です)撮影する時は,事前に「撮影許可証」を発給してもらう必要があります。代理取得してくれる旅行会社があるようです。ただし,全て自由とはいかないようですが。 私は許可なく勝手に撮っていたので,危険なことです。場合によっては,軍や警察にカメラの取り上げや抵抗すれば最悪拘束されることもあります。コンデジなら少々大目に見てくれることもあるようですが,許可証無しの撮影はお薦めしません。一般市民も,お金めあてに密告することがあるようですので,要注意。 日本に帰ると,やはり多忙になり,更新が滞ってしまう… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/10
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昨日,ミャンマー・タイから帰国したが,しばらくはミャンマー(ビルマ)編が続くことになる。今日は,さすがに眠たい… みなさんは,電気のありがたさについて考えたことがありますか?? 日本では,24時間通電しているのがふつうで当たり前だが,ミャンマーでは違う。地方へ行けば,夕方~朝方までしか通電していないことが多い。その時間でも停電が日常的にある。電気が来ていないところも多くある。 旧首都ヤンゴンという大都市でも,乾季は水力発電の量が激減して,停電が日常的になる。その少ない電力を外貨獲得のためにタイに売っているので,さらに一般に流れてくる電力が少なくなると聞いた。なんと言うことだ…ヤンゴンでも,夕方~朝方までしか通電しない地区が多いらしい。 しかし,街なかを歩いていると灯りがふつうに点いている。中級以上のホテルでは,自家発電装置があるので停電はほとんどない。何も考えなければ,24時間通電しているように見えるのだが… いずれ特集の中で紹介するが,「フライド・チキン・トーキョー」だ。前にオレンジ色の鉄の箱がある。このような箱が,街のあちこちにある。 これは,夜の19th通り。(10/14の日記ほかでUP)ここにもある。 これは,売られるために置いてある。これらは,全て発電機である。日本製も多い。ディーゼルかガソリンか灯油の何らかで動くはずだ。動き出すと,結構うるさい。街中のあちこちでうなり声を上げている。一家に1台ではなく,何区画かに1台のはずだ。 あの大ニュースになった記者の長井さん射殺現場(1/6の日記でUP)の近くにもあるのだ。ここは,まさに長井さんが撃たれて倒れたいた所である。今回も撮影した。秘密警察にチェックされていたかも知れないな…(^^;)手前は,通常の電気の機器か? ちなみに,今回何人かから話を聞いたが,長井さんは,やはりあまりにも近くにいすぎたようだ。各国の戦場を駆け巡った百戦錬磨の記者でも,初めてのミャンマーでは勝手が違ったようだ。日本では放送コードでNGなので流れていないが,傷口が丸見えのかなり生々しい撃たれた直後のUPの映像がタイなどでは流れていたという。 家庭用の小型の発電機もある。これは,日本の屋台などでも見かけると思う。 日本では,電気のありがたみなど考える人はほとんどいないだろう。しかし,ミャンマーの電力事情は劣悪である。今回,再訪したパテインでも9年前に泊まったホテルでは,夜に停電した時は,すぐにローソクを持ってきてくれた。 では,ミャンマーだけが?と思われるかも知れないが,ラオスでも地方へ行けば夕方~朝方にまでしか通電しない地域は多い。私は,いつも小型の懐中電灯を持って行っている。いつ停電しても対処できるようにすることと,夜道では日本のような街灯が整備されていずに真っ暗なことが多いからだ。 電気が来ないと,本当に何もできないとさえ思ってしまう。冷房やTVも意味がない。暑くても扇風機も回せない。冷蔵庫はただの箱だ。それでも,現地の人々は創意工夫をして生きている。 改めて,電気のありがたさを感じるのである。日本にいては,決して感じることができないことだ。かく言う私でも,現地で暮らす人々の想いまではわかるまい… 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/06
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我が家に着いた。明日は仕事。さあ現実に戻るんだ! みなさん、見守っていただき、ありがとうございました!コメントをくださったみなさま、本当にありがとうございました。旅先で何かとお世話になった方々にも、たいへん感謝しております。 これから徐々にUPしていきます。今後とも、よろしくお願い申し上げます! 画像は、苦楽を共にしているバックパック。小さい方は何代も変わっているが、大きい方はもう10年ぐらいになる。
2009/01/05
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関空に着いた。まあ、そんな報告をしなくてもいいのだが、今回は、このあと家に着くまで書くことにした。 今は、特急はるかで京都へ向かっている。家までは、まだまだ時間がかかる。
2009/01/05
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フィリピンのマニラにあるニノイアキノ空港だ。マニラ経由である。1時間ほど止まる。 すごい巨人さんが乗っていて、びっくりした!!機内の通路の天井に頭がつくような感じだった。
2009/01/05
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12日なんて早いもので、もう帰国の日だ。今、タイのスワンナプーム空港にいる。タイ時間の9時5分発(日本時間11時5分)。搭乗まで、まだ時間がある。 空港には、日本食のレストランなど、いろいろある。
2009/01/05
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今回のミャンマー・タイも最後の夜となった。携帯からのUPだ。派手な店は避け、質素な食堂にいる。それでも外国人対応仕様だ。久しぶりのカオパット(タイの炒飯)と空芯菜だ。私は、カオパットとクィティアオはタイの基本と勝手に思っている。 明日の朝は早い。4時起きだ。朝は幼稚園の頃から大の苦手なのだ。 アジアへのいろいろな想いを抱きながら、また現実へ戻る。 日本は速いな。はぁ…
2009/01/04
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以前、スマトラ沖大地震をはじめ4、5回ぐらい続けて私が旅に行くたびに、アジアか周辺国で大地震が起こるということがあり、「アジアに地震を呼ぶ男」と言うありがたくない命名をされてしまったことがあった。 ここしばらくはなかったので安心していたが、またインドネシアのニューギニア島で地震があった。メールで知った。 なんということだ…被害に遭った人々も心配だが、私って… 明日は朝5時にチェックアウトで空港へ行く。今日が今回の旅でゆっくりできる最後の日だ。
2009/01/04
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ホテルのPCは使用中。仕方ない、晩ご飯でも載せとこう。
2009/01/03
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タイのパタヤーだ。今日は、昼過ぎまで雲が多くてやや涼しい。 ネット屋からUPしようと思ったが、速度に問題はないものの、マシンが古くてUSBポートがグラグラ…フラッシュメモリに反応しない!!(*_*)これでは、画像を読めない。店は満員。全て観光客の西洋人ばかりだ。台を代えることもできない。 今日はあきらめるか、ホテルに帰ってからダイヤルアップの超遅遅モードでUPするかだ。ホテルのどこかにネットができるPCが置いてあると思うが、確認していない。 まあ、ネットを中心に生活しているわけでないので、明日でもいいのだ。明後日の早朝にはチェックアウトなので、PCからは今日・明日が最後になる。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/03
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タイのパタヤーに来た。ここは、旅の最後にゆっくりとする場所に決めている。(街自体は、騒然としているが…) 当然だが、ミャンマー(ビルマ)の最大都市ヤンゴンと比べても雰囲気が全く違う。 ネットのアクセス速度は格段に違う。表示は、同じ100Mbpsなのだが…(^^;) 今日の画像は、昨日・一昨日のミャンマーのものだ。 西部のエーヤワディー管区のパテイン。中心部のマーケットよりやや南の小川を越えると、またマーケットがある。シュエモートー・パゴダ(だったかな…)が、後ろに見える。 そのマーケットの近くの通り。 書いてなかったったが、ヤンゴンからパテインまでは、4、5時間ということだが、実際には行き帰りともに6時間以上かかった。これは、帰りに撮ったものだが、道路がたいへんな状態になっている所が大半であった。あちこちで道路工事をしていた。徐行の連続だった。これは、サイクロンの影響か、もとから悪いのかはわからない… 中心部の道路は舗装されているが、ちょっと外れると、こんな道がほとんどだ。石がゴツゴツだ。サンダルで歩いていると、足をとられることも多い。 列車が走っているのかわからないパテイン駅の横は、マーケットになっていた。あちこちから、「撮ってくれ!」と声がかかった。自分を撮ってほしがる人も多いが、横にいる人を撮ってほしがり、カメラを向けると指名された本人は逃げる…というパターンも結構あった。 ところ変わって、ヤンゴンを流れるヤンゴン川の対岸にあるダラという町へ行った。フェリーで渡るのだ。 サイクロン後は、外国人は政府の許可証(パーミット)が要る。パテインへ行くときは、バスのチケットを買うときだけ見せればよかったが、今回は外国人用のチケット売り場の職員に渡すようになっている。何枚かが束になっていた。 前回は、許可証なかったので渡れなかったのだ。短時間でいいので、見ておきたかったのだ。 フェリーは、人々でいっぱいだった。2階建てで、2階のほうがやや少なかった。売店があり、売り子も乗っている。対岸に渡るだけなので、乗っている時間は、わずか10分ほどだ。外国人価格は、片道$1だ。 船着場の前は、ピックアップやらバスやら人々が大勢いて賑やかだ。船着場からバスなどが走るまっすぐの方向へ行けば大通りで人も多いが、川沿いを歩いてみた。向こうにはヤンゴンの街並みが見える。 船着場付近はともかく、川ひとつ隔てただけで世界が変わったような感じだ。本当にのんびりとした雰囲気が漂っていた。同じ造船所でも、ヤンゴンは大型のパドックのようなところがあるが、こちらは岸に打ち上げて手作業に近かった。 折れた大木には神様を祀っていた跡があった。この住居は、もとからなのか再建したのかは不明だ。横の建物はたぶん壊れなかっただろう。 通りや家のところどころに、まだ折れた木々が置いてあった。何か、パテイン方面よりも、ダラのほうが跡がよく見えたような気がした。 パテインもダラも、政府の許可証(パーミット)がなければ入れないが、現地の旅行社に頼むと代理取得してもらえる。もちろん、それなりの料金は要るが、ビザが発給されて入緬できる人は、即日は無理だがすぐに取れると思う。ただし、許可が出ていても急に不許可になることもある。実際、2日ほど前にネーピードー付近(ピンマナかな?)の許可が取り消されて困っているという話を聞いた。 私は、サミットビュー・ツアーズさんで頼んだ。サネイ・トラベルさん(以前、別件でお世話になった。)でもいいと思う。 ちなみに、年末にUPしたチャウタン向こうの村も政府の許可なしでは入れない。急遽申請してもらったのだ。政府の許可が要って、さらに行くのが不便な小さな村に、わざわざ外国人が行かないわけだ。 簡単にダイジェストで紹介したが、たくさん撮ってきた。帰国後に徐々にUPしていく。パタヤー滞在中も、またUPすると思う。 1位などは狙ってません。でも,上位に近いと目につきやすいので,少しでも多くの人々に訪問していただけると思っています! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! よろしくです!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。クリックで,本サイトへ!本サイト
2009/01/02
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ミャンマーからタイに来た。旅の最後は、いつものところだ。今回は、なんやかんやと、結構忙しかった。 ここでは、ゆっくりとする。常宿が取れなかったので、ちょっと高めのホテルだ。 あとで、ネット屋を探して更新の予定だ。
2009/01/02
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