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ベトナムのホイアン,いい町だ。昨日も,町の様子を紹介した。今日は,人々を少し紹介する。 観光地であるが,他の町と同様のふつうの人々のくらしもちゃんとある。 ちょっと横にそれれば,このように地元人だらけのマーケットや通りがある。この辺りは,花や野菜を売っていた。ごくふつうの風景だ。好奇心旺盛な欧米人が少し歩いていた。話しかけたりもしている。しかし,日本人らしき人は見なかった。 街角では,ちゃんと物売りもいる。これは,焼き鳥のようなもの。そこら辺にたくさんいる。愛想よく声をかけてくる人と,知らん顔の人もいる。 店番の男の子だ。大人と一緒に店にいる子も多く見かけた。手伝っている子もいれば,ただそこにいるだけの子もいる。生活の一部なのだろう。もちろん,学校に通っている子も多い。夕方になると,下校の子どもたちを多く見た。 店にいたおばあちゃん。歩いていると声をかけてきた。夜で道は真っ暗なのにちゃんと人を見ている。さすが観光地だ。ビールやお菓子を買った。しかし,英語が話せない…片言のベトナム語でやりとりだ。店頭のカンやペットボトルはホコリだらけだ。しかし,これは見本で売り物は別のとこから出してくる。ただし冷えていない。それでも汚れているので,拭いている。お菓子は,上に吊ってある袋から出す。 途中からは,家の人も出てきて片言の英語で話した。 ふつうの家だ。夜,家の前でくつろいでいるところだ。「撮っていいですか?」と確認をすると,愛想よく応じてくれた。撮られ慣れているのかも知れない。まあ,どこの家も愛想がいいとは限らないが。 このほか,路上の食堂や小さな作業所,工場など,いろいろ撮影した。またの機会に紹介する。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/31
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ベトナムに5つある世界遺産の1つ,ホイアンの町。現地からは1/3の日記で現地から書いた。1/15の日記では,来遠橋(日本橋)を紹介した。他の日でも紹介している。 以前も書いたが,その昔,朱印船貿易が盛んだった頃に日本人町があったのだ。 世界遺産だけあって,観光客がたいへん多い。欧米人はもちろん,日本人も多かった。さらに,韓国,台湾,中国の人も多くいる。タイ人の青年もいた。 鎖国後は華僑が取って代わったので,純和風ではない。しかし,どこか懐かしい日本の雰囲気がする。建物の多くは,土産物屋やカフェ,レストランになっている。 こういった家が続いている。道には,多くの観光客だけでなく,地元の人々も多く通っている。徒歩だけでなく,バイクや自転車も多い。マーケットもあるし,自転車屋などもある。外国人と地元のふつうの生活が混在しているのだ。 これは,中国風だが,そこにベトナム,日本の様式も入っている。長い年月の間に融合していったのか。 これは,華僑の人たちの集会所である。ここは,広東系の会館である。福建,潮州系の会館もある。チケット係がいたが,横を素通りできた…チェックのきちんとしているところといい加減なところがあった。 華僑なので,漢字が書いてあるが,ベトナムの古い建物には漢字が書いてある。その昔,漢字が使われていた時代があったのだ。あちこちで漢字を見かける。 夜は夜で違った雰囲気でいい。夜も町歩きをするとおもしろいと思う。 以前も書いたが,欧米人は小さな通りや路地裏まで入っている。私も入っている。入りすぎは,どうかと思うが,大きな通りばかり歩いている日本人は,どうなのか?? ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/29
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昨日に引き続き,ベトナムのダナンだ。ソンハン橋を渡って対岸へ行った。こっちにも街が広がっている。バイクや車なども多く走っている。地図には出ていないが,こちらもダナン市になるのだろうか? 橋を渡って,まず対岸の川沿いを歩いてみた。VTRを回して遊歩道から川の様子を撮影していた。すると,前方から声がする。見ると,かなり向こうから制服を着た女の子たちが手を振っている。 この3人は,キャアキャア言いながら写っていた。全部で5人いたが,あとの2人はあまり写りたがらなかった。そのうち,私からデジカメやVTRを取り上げて??勝手に撮影を始めた。 なぜか2ショット。横に来て勝手に撮影だ(^_^;)写真をもらえるわけでもないのだが…(それを言ったら,撮っている写真は全部そうなるが) 今度は,少年たちだ。サッカーをしていた。やはり,VTRに気づくと走ってきた。同じく遠くから手を振っていたが,集まってきた。いろんなポーズをとって喜んでいる。 男が2人座っている。そこへ女の子が来た。男「この子を撮ってくれ!」,女の子「恥ずかしいわ…」,男「前を向き!」,女の子「イヤやわ~」,男「なに恥ずかしがってんねん」,女の子「そんなこと言うても~」,横の女性「撮ってもろたらええのに」(勝手に訳しました)…みんな笑顔で大騒ぎだった。 何もないところに3人がイスを置いて座っていた。屋台があるわけでもない。何をしているんだろう??これも,向こうから「撮ってくれ!」だった。 晩になり,橋を戻った。晩の8時過ぎだ。若者が大勢でワイワイやっていた。私が通りかかると,1人が気づき手を振ってきた。カメラを向ける。みんな楽しそうだ。あちこちで,固まってしゃべっている姿が見られた。 VTRを回しながら夜の様子を実況して歩く。その声に気づき,声をかけてきた。そこで,デジカメで1枚。「なんや,用意がいいやん!」てな感じのことを言って笑っていた。 2日続いてほとんど人ばかりだったが,また街の様子も,そのうちUPしようと思う。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/28
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ベトナム中部の町ダナン。今回行ったときは,毎日曇りで雨も降った。そして,寒かった。町の東側をハン川が流れている。町は大きく,中心部から西へ5,6kmほどあるバスターミナルへ行ってもまだまだ続いていた。ハン川対岸も,町が広がっていた。 そのハン川には遊歩道がある。いろいろな人がいた。多く目についたのは,ウォーキングをしている人たちだ。日本でも,よく年配の方を中心に見かけるが,この国でも同じようだ。昼夜問わず,ウォーキングをしている人が多かった。 石製のベンチが適当な間隔であり,座ってくつろいでいる。なんとも平和な雰囲気だ。 釣りをしている人も多い。このように,バイクに釣り竿をつけている。この人だけかと思って撮ったが,歩いていると,同じようにしている人を何人も見た。 この川では,釣りどころか,漁をする舟がたくさんあるのだ。 いきなりギャラリーがある。ここには,小学生の絵画やカメラマンが撮った写真が多く並んでいる。ビニールを掛けているのは,ホコリよけというよりも雨よけだろう。 絵画は,日本の教育美術展のように選ばれた子の絵なのだろうか?下には,学校名や氏名も書かれていた。 写真は,建物や人間などいろいろあった。その周りには,多数のカメラマンがいて,通行人に声をかけていた。その絵の横で撮影をしているようだ。このカメラマンたちの作品なのだろうか? ふと見ると,この国(と言うより,アジア各国)では,あまり見慣れない服装の子がいる。目立つのだ。「なんやろう?」と思い,横を見ると,VTRやラジカセがある。大人が数名いた。女の子は,ラジカセから流れる音楽に合わせて橋の欄干でゆっくりと踊っている。どうやら,何かのプロモーションVか音楽VCDの撮影のようだ。 この画像は,2人でカメラに向かってしゃべったり,ポーズをとったりしているところだ。横では,私だけでなく,欧米人の旅行者のおばさんたちも撮影していたが,スタッフからのクレームはなかった。撮影が終了すると,車でさっと引き上げていった。 歩いていると,何やら集団が動いている…おっと,これは!アジアで流行り?の街角での野外ダンス教室か!?(11/28の日記参照)みんなでリズムを取りながら同じ動きをしている。しかし,見ているとテンポはゆっくりで,今までに各国で見てきたダンスとはかなり違った。 南部・中部は,愛想のよい人が多い。撮影して歩いていると,笑ってきたり手を振ってくる。 ハン川沿いでは,夜も撮影した。また,対岸でも撮影している。また,明日UPする。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/27
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ハノイの東側にはホン河が流れている。旧市街の北にロンビエン橋という橋が架かっている。1/5の日記では,現地から書いた。 橋は,市街地から始まっている。しばらくは,街を眺められる。この橋は,1902年完成なので,もう100年以上になる。約1700mもある。設計は,フランス人らしい。 ベトナム戦争時のアメリカの爆撃にも耐えてきた。今は,かなり老朽化しているらしい。 この橋は,真ん中が鉄道,両端が歩道(人,バイク,自転車)になっている。そこを対岸まで歩いた。バイクや自転車がひっきりなしに通る。歩行者は,ほとんどいなかった。 河に近づくにつれ,風が強くなってきた。しかも寒い。吹きさらし状態だ。ただでさえ寒いハノイなのだ。 驚いたことに,その寒い橋上で商売をしている。それも,何カ所かで。画像には写っていないが,ちゃんと客も来ていた。この橋は,人通りが多くて商売が成立するのだろう。そういえば,市街地から橋に上がるところには売り子が多数いた。 ホン河を見ると,中州より市街地側に水上住宅があった。ベトナムは水上住宅が多いが,ここで見るとは思わなかった。河川敷は,畑になっていて作物が植えてあった。 列車が通った。これは通過後の後ろだが…歩いている間に3回通った。ロンビエン駅には,かなり長時間停車していた。橋上に枕木が置かれており,作業員が修復していた。線路も数人が補修していた。 撮影などしながら歩き,ようやく対岸に着いた。約40分かかった。対岸の様子は街とは少し違った。なんとなくのんびりした感じだ。歩いているだけで,みんながこっちを見てくる。 橋のふもとの堤防のような所にたくさんの人がいる。商売をしている人も多いが,ただ座っているだけの人も多くいた。何をしているのだろう??堤防上には,屋台もあった。 しかし,この橋は長い。さらに吹きさらしで寒かった。そこを,もう1度歩いて帰ったのだ。バイクや自転車はかなり多いが,やはり歩いている人は数名しかいなかった。帰りは,反対側を歩いた。終着は,ロンビエン駅だった。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/25
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東南アジア各国で見られる過積載。あちこちを紹介してきた。ベトナムでも探したが,意外とない…と言うか,今までのが強烈すぎたからか?? ベトナムは,圧倒的にバイクや自転車が多い。今日は,バイクのちょっと過積載だ。 ホーチミンで。これは,壺だ。一歩間違えたら粉々だ。結構,重量もあると思う。 ハノイで。積み込み中だ。このあと,まだまだ積んでいたが,発進するときはフラフラして周りから支えられていた。と言うことは,信号で止まったら倒れないのか??人事ながら心配になった。 前後を荷物に挟まれている。直立不動状態だ。しかし,これも後ろの人が支えている。この状態で,トロトロ走っていたが,ずっとこのまま行くのだろうか?? ハノイのロンビエン橋上の反対車線(間は線路)を走るバイク。家具を積んでいる。家具を運んでいるバイクもたくさん見た。鏡台を運んでいるのも見た。 これは自転車だ。荷物は軽そうだが,すごい量だ。この前に,同じのがもう1台あった。押して歩いていたが… 驚くほどのは発見できなかったが,この国ではバイクや自転車が主力だ。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/23
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今日は,ベトナムでよく声がかかる乗り物,シクロとセオムだ。さらに,車のタクシーも声がかかる。ベトナムへ行った人は,誰でも経験があるだろう。 シクロは,前二輪,後ろ一輪の三輪自転車だ。人力車のような感じだ。客は前に乗る。セオムはバイクタクシーのことだ。バイタクは,周辺国でもよく見かける。 まあ,これは有名なので,今さら書くこともないかも知れないのだが,いろいろな方が見ておられるので書くことにした。 画像は,ホーチミンで。手前がシクロで向こうがセオム。交差点や,その辺の道ばたに止まっていたり,走っていたりする。しかし,残念なことにシクロは様々なトラブルが多くて,あまり乗らない方がいいらしい。 また,その声かけがまたしつこい。しばらく追いかけて来る者もいる。どこの町へ行っても。必ずと言っていいほど声がかかる。前にも書いたが,「オ~イ!」「Where do you go?」,「コンニチハ!」,「ニホンジン?」,「May I help you?」,「モトバ~イ!」,「ドコイキマスカ?」等々… 日本語で声を掛けてきたときは徹底無視。顔も見ないで無視したり,「NO!」,「ホン!」と手を振る。最近は,韓国の人も多いのか,「アンニョンハセヨ!」とも来る。そのときは,わざと見る。別に乗るわけではないのだが,日本人と見られるとなめられたらいけないので,他の国の人のふりをする。さらに私は,いきなり「ニーハオ!」と叫ぶ。そして,「コリア タイワン!」とか,各国ごちゃ混ぜでしゃべり,相手を攪乱して去っていくのだ。うんざりしているだけでは損だ,こっちも楽しまなければ!目には目を??だ。 日本人と,すぐにわかられることが多かったが,「コリア?」,「チャイニーズ?」,「タイワン?」と言われることも結構あった。 8年前に行ったときに比べ,シクロはかなり減った。しつこさも,以前より少なくなっている。その代わり,セオム(バイタク)が増えた。まあ,街中バイクだらけなのだが…車よりも,遥かに多い。街は,大量のバイクが縦横無尽に走っている。車は,じつに走りにくそうだ。 そのバイクだらけの道路にシクロが走っている。ホーチミンやハノイには,シクロの乗り入れ禁止区域があるようだ。 さらに,屋台をくっつけたバイクや自転車も,ふつうに走っているのだ。交通規則なんて,あってないようなもんだ。というものの,警官が取り締まりをしている姿も見かけた。よくわからない世界だ… これは,ダナンの対岸で見た。シクロは,その形を利用して,物が運びやすい。こんな利用もされている。各地でいろいろな物を運んでいる姿を見た。 今回,セオムは何回か乗ったが,シクロは乗らなかった。セオムは,まあそれなりだが要交渉。シクロは,トラブルも多いので,利用される場合は,心して交渉した方がよいだろう。乗車前に交渉成立しても,降車の時に理不尽な請求がある。 でも,ちゃんとしたシクロマンもいると思う。見極めは,極めて難しいが… ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/21
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夏のカンボジアと同じく,しばらくはベトナムが中心となる。そのうち,またいろいろと混ぜていきたいと思う。 なんやかんやで毎日忙しくて,自分のブログだけで精一杯の状態だ…他のブログにも,たくさんコメントしたいのだが,見ているだけのことが多い。特に新年になってからは,訪問もできてないサイトもある。しばらくは,ボチボチと… 今日は,このあとしばらくしてからUPします。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/21
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うなぎの寝床…京の町屋(京都)でよく言われる。いわゆる,間口が狭いが奥行きは広いという建物だ。 昔,日本人町のあったホイアンは,そんな造りの家々が多いが,他の都市でも多く見かけた。1/13の日記で紹介したブンタウの新しい建物でも,そうだった。 これは,ホーチミンで。最初の頃で,まだあまり意識していなかったので,正面から撮っていない。だが,短い間隔で違う建物が並んでいるのがわかるだろうか? 同じくホーチミンのどっかの裏通りで。奥行きはあまりないが,間隔は狭い。隣同士が完全にくっついている。解体されている建物の跡が右の建物の壁に残っている。 こちらは,ハノイ。きれいに並んでいる。これもくっついている。写っているだけでも7軒ほどある。 ハノイ,ロンビエン橋から見た。横の壁は,ほとんど何もない。壁のみだ。窓をつけたら…と思うのだが,おそらく隣に同じような建物ができたときにくっつけるために,こうしてあるのだろうと思った。あちこちで,同じように横側は壁のみの建物を多く見た。 これは,ホイアンだ。これも,何軒も並んでいる。京の町家と同じく,奥には庭があったりする。ホイアンの町屋は,今後紹介していく。 全てが,そうだと言うことではないが,かなり多く見かけたので気になった。何か法則でもあるのだろうか?? ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/20
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アジアには,様々な屋台がある。しかし,文字が読めずに迷うことも多い。そんな中,台湾やタイでもよく見られる,作り置きのおかずがボールやバットに並べられた屋台や食堂が多い。一目で,メニューがわかる。 ここベトナムでも,あちこちにある。コム ビン ザンと言う。「COM」という看板が掲げられていることが多い。12/26の日記でも現地から紹介している。 ケースには,作り置きのおかずが並んでいる。机の上にボールが並べられていることもある。言葉がわからなくても,指さしでOKだ。これは,いい。おいしそうなものが多く,迷ってしまう。値段は,書かれていない。そのまま出されるものと,調理し直すものとがある。 卵,豚の角煮風,牛肉とピーマンの炒め物にご飯とスープだ。これは,おいしかった!!もっと頼んだらよかった。これで,45000ドン(約360円)だ。控えめの注文だったので,このあとフォーの店に入った。 店の様子は,いろいろだ。もっと質素な店も多くある。 これも,コム ビン ザンだが,前にある屋台の,あの牛のロゴは!!アジアさんの本で書かれたものだ! コム ビン ザンは,どこにでもあるわけではない。ホーチミンの大通り沿いでは,あまりなかった。少し中に入った通りには多くある。 それにしても,ベトナムの飯はうまい!ハズレは,ほとんどなかった!! ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/18
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ベトナム,ハノイにある軍事博物館。ベトナム戦争だけでなく,他の戦争の展示もある。平和のための活動の展示もある。ここは,ホーチミンにある戦争証跡博物館(7/31の日記で紹介)よりも規模が大きい。戦争証跡博物館は,今年も8年ぶりにいったので,後日UPする。 旧市街より歩いていったが,行くまでにはもちろん「シクロ!」,「モトバ~イ!」,「オ~イ!」攻撃をぬってだ。入り口前には,数台のバイクが…「モトバ~イ?」,「Where do you go?」…「ここに入るんや!!見たらわかるやろ!」。 入り口から入ると,敷地には,戦闘機や戦車などが並んでいる。これは,旧ソ連製のミグ21だ。ミサイルや爆弾?もついている。しかし,タイヤがパンクしていたが… これは,館内に展示してあるが,1975年4月31日にサイゴンが陥落したときに,最初に大統領官邸に突入した戦車らしい。 中庭には,こんなモニュメント?もある。撃ち落とされた米軍の戦闘機の残骸で造られている。すごい状態だ。 敷地内には,旧ハノイ城跡で国旗掲揚塔がある。ここは,途中までは登ることができる。 上から中庭を見たところだ。先ほどの残骸のモニュメントがある。 建物は何棟もあり,銃や武器などの実物,写真などいろいろな物が展示してある。ゆっくり見て回ると,結構時間がかかる。日本関係のものもある。 中には,カフェもあった。さらに,売店や旅行代理店?などもあった。売店でビールを買って飲んだ。(ここでもって??) ベトナムと戦争は,切っても切り離せないものであると痛感した。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/17
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ベトナム中部の都市ダナン。天候は悪く肌寒かった。雨も結構降った。 乾季で暑いが天候の悪かった南部,雨が降り肌寒い中部,かなり寒い北部…どこも雨が多かったが,気温は全然違った。日本と同じで,南北に長いと気候は違うものだ。 今日は,ダナンの食堂での詳細画像編だ。12/31の日記と,2回目の12/31の日記(実際は,1/1の日記)で現地から直接書いている。事前に読んでください。 通りがかりの食堂だ。全くの地元人用だ。英語は全く通じない。前にも書いたが,「旅の指さし会話帳」の威力はすごい。瞬く間に,みんな集まってきた。 しかし,こんな小さな店にチアビア(言い方は違うと思うが)が宣伝に来るとは思わなかった。地元では,それなりの店なのか?? 店員は,4名ぐらいだが,それ以上にチアビアが数名いた。店にいる客は,近所の人ばかりだった。常連のようだ。ワイワイやっている客,テレビを見ている客…いろいろだ。 ちゃんと2社のが並んで置いてある。冷えてはいない。氷を入れるのだ。氷は,ドリンキングウォーターなどでは作られてはいないと思う。その辺の水だろう。慣れてない人が飲んだら腹痛を起こすことがあるだろう。 現地からの画像は,携帯で撮ったのでピンぼけしていたが,これは鶏だ。メニューがなく,よくわからなかったんで,おまかせで頼んだのだ。周りの人が食べているものを見ると,いろいろなメニューがあるようだった。 これは,現地からUPした画像の別バージョン,私が入っているやつだ。店以外の宣伝の女の子は他にもまだ数名いた。みんな賑やかにあれこれ話しかけてくるので,なかなか食べる間もなかった。「話ばっかりせんと,食べさしたげえな!」てな感じでお互いに言っているのだが,やはりなんやかんやと話てくる。しかし,ちゃんとビールは次々と勧めてきた。さすがに“営業”はうまい! しかし,地元人とふれ合うのが好きとはいえ,あまりの攻勢に,かなり疲れた!店には,6時半頃までに入ったが,あれこれしているうちに10時になっていた。 ところで,そのときの日記で,ベトナム航空の営業所の閉店時間が予定より早くてアバウトだと書いた。しかし,あとで気がついた。土曜日は,もともと閉店時間が早いのだ。全く気がつかなかった。アバウトなのは,私の方だった… ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/16
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昨日に続き,ベトナムのホイアン。昨日は,「わあ過積載!舟偏」にでもすればよかったか?? 現地より1/3の日記で書き込んだが,16~17世紀頃に日本人町があり,多くの人々が住んでいたのだ。(日本人町と言えば,以前タイのアユタヤにあった日本人町跡で山田長政の墓へ行ったことがある。) 町並み(今後UPしていく)は,懐かしい日本的な雰囲気もあるが,後に移り住んだ華僑の手によるものだ。 今は郊外にある墓と,この来遠橋(日本橋)のみが面影を残すのみらしい。1593年に架けられたこの橋,見学者がひっきりなしに来ていた。たいていの人が橋をバックに撮影している。 橋の中である。まるで建物の中にいるようである。やはり,中でも記念撮影をしている人が多かった。 中には,寺まであるのだ。中へも入ることができる。ホイアンの旧市街はチケット制で,街なかの見所は全てチケットが必要である。この橋もその1つなのだが,係員はいない。フリーだ。考えたら,この橋を渡らないと,向こう側へは行けない。 漢字が書いてある。日本語か中国語かはわからない。しかし,昔のベトナム語かも知れない。その昔,ベトナムでは漢字が使われていたのだ。日本語が中国語から変化したのと似ている。韓国もにも漢字がある。しかし,ベトナムでは文字が複雑だったことで,フランス植民地時代の政策で今の言語に変わっていったようだ。いいような悪いような… 古い建物には,たいてい漢字が書かれている。今のベトナム人は漢字が読めない。日本人や中国人の方が読めるのだ。 小さいが,ちゃんとお参りができるようになっている。しかし,商魂たくましく,この中では本や絵はがきなどが売られていた。入ると,さっそく日本語の本を紹介してくる。どこでも商売している。ゆっくりとさせてくれ! 今は,観光客だらけで,土産物屋だらけだが,来る価値は十分にあると思う。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/15
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ベトナムのホイアン。その昔,日本人町があったという。1/3の日記でも,ホイアン後のダナンから書き込んだ。ダナンからは,路線バスで1時間ほどだ。 夜,街を歩いていた。昼と違って,提灯などに灯が点ると,またいい雰囲気だ。 街の1番川沿いを歩いていた。左は川で船が係留してある。 「あれ?」道路に水が溢れている。街の南側はトゥボン川が流れているが,すぐ近くは海なので満潮なのか??昼間は,問題なかった。それにしても,溢れるとは… しばらく歩いた。「これは…」ますます水が増えて,道路中に水がある。バイクは平気で通っている。地元の人もふつうに歩いている。サンダルなので問題ない。しかし,私は,このときは靴だった。仕方なく,引き返し,中の通りを通って歩いた。みんな平気ということは,満潮の時は,いつもこんなんなのだろう。 アンホイ島へ渡る橋の手前に来た。ここには船着き場がある。見ると,大量の人だ。船がやってきた。一気に人が群がる。人だけではない。自転車やバイクが次々と乗せられる。これは,すごい!もう,無理矢理だ。満載状態の船が出航する。しかし,こんな状態で落ちないのか?? 出航後に,よく見ると,ちゃんと次の船が待っていた。さらに,その後ろにもいるようだ。やはり,同じように着岸しないうちに,次々と人が飛び乗り,自転車やバイクも乗っていった。 さらに,3隻目。船の型は全て違った。でも,乗る物は同じだ。トゥボン川の中州には,そんなにたくさんの島があるのだろうか?船も次々に来るが,人も多かった。川なので波はないが,天候によっては揺れたらえらいことになりそうだ。 多くの欧米人が,めずらしそうにシャッターをきっていた。慣れているだろうが,場所の取り合い?で,現地の人も戦いだ!ホイアンで,こんな光景を見るとは思ってもいなかった。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/14
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ベトナムのブンタウ。ホーチミンから水中翼船で1時間半。ここも8年ぶりだ。12/29の日記で現地からも書いた。 ホーチミンも変わったが,ここはもっと変わった!ブンタウは,港があるフロントビーチと反対側のバックビーチなどがある。フロントビーチは,以前も賑やかだった。それに対して,バックビーチは,のんびりとした田舎の感じだった。 泊まったのは,バックビーチだ。前回はホテルまで歩いたが,さすがに距離が長く疲れたので,今回はタクシーにした。 こんな大きくてきれいな建物はなかった。道路も中央分離帯などなかったと思う。大きいホテルやミニホテルも何軒かできている。 8年前の様子は,本サイトにも少し載せている。 以前は,ほとんど何もなかったが,今は大きなビーチ施設が3つもできている。行ったときは,まばらだったが,多くの人で賑わうらしい。 私は,大きな施設のない,外れで人も少ないところで休んでいた。ただし,どこに行ってもパラソル(ボロいが…)とイス(寝るためのチェア)を勧めてくる人はいる。 便利になっていいのだが,やはり昔ののんびりとした雰囲気の方がよかった。物売りのしつこさは,同じだが… その物売りたちだ。そこら中で溜まっている。食べるものからTシャツ,布地まで,いろいろだ。次から次へとやって来る。 以前もUPしたが,ビーチでビールだ。左端の入れ物は,氷入れだ。ビンは冷えていないので,氷を入れるのだ。これは,ふつうの食堂でも同じである。ただし,この氷はふつうの水を凍らしただけだと思う。慣れてない人が飲むと腹を壊すかも知れない。私は,毎日飲んでも大丈夫だが… ちなみに,TIGERビールはシンガポールの会社だが,ベトナムでも多く売られていた。地元の人は「ティガー・ビア」と言っていた。 以前も載せたカニだ。2匹で1kg=60000ドン(約480円)。これが高いのか安いのかは,わからない。おじさんは,殻を割る道具をちゃんと持っていて,1つ1つ割ってくれた。 ここで,カニを茹でている。この近くには,たらいをいけすとしたところに,カニやエビなどがたくさん入っていた。車のバッテリーを電源にちゃんとエアも送り込んでいる。 このおじさん,カニの前に,大きめのエビを2尾サービスしてくれた。 今回のベトナムで,1日中晴れた日は,唯一ここブンタウの1日(12/28)だけだった。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/13
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ベトナム,ハノイの人々が,なかなか一見さんには見せてくれない笑顔。今回は,ほとんど旧市街しか歩いていない。アジア特有の混沌とした味のある街だった。笑顔に挑戦に2回目だが,今日は,笑顔の前後編だ!つまり,撮影の前か後に笑顔があったのだ。言い換えれば,ベストショットではないのだが… 旧市街のハンザ市場。ここには,有名なバッチャン焼きも売っている。1階には,バッチャン焼きの店が並んでいるが,英語どころか「兄さ~ん!」とか日本語で声を掛けてくる姉さん方が多数いた。説明を日本語で始める人もいてビックリだ。そんなに日本人が来るのか? その2階にあった店のおっちゃん。「Tシャツは,どうだい?」,「今日は,撮影だけですよ~!」,「じゃあ,撮ってもいいよ!」ちゃんと,決めのポーズだ。この市場は英語が通じる!しかし,食料品売り場ではダメだ。要するに,旅行者が関わることが多い業種は,必然的に覚えていくのだろう。 1階の肉屋だ。英語はダメだ。外国人は,在住でもしてない限り,市場で肉などほとんど買わないだろう。店の人も,英語をしゃべる必要がない。 旧市街,ドンスアン市場周辺の裏手の店だ。この通りには,様々な食料品が売っていた。この人は,歩いていると,声を掛けてきた。通り過ぎても何か言っていたが,ベトナム語で全くわからなかった。 ロンビエン駅近くの線路沿い北側の通りを歩いた。左の壁の上は線路だ。真ん中の黒っぽい服のおじさん。恐い顔に見えるが,別に怒っていない。笑って何かを言っていた。笑顔の後なのだ。周りの人間に笑顔はない。「何事や??」という怪訝な顔でこちらを見ていた。 その近くにいた人だ。今度は,笑顔の前だ。この直後に,カゴの中を指さしながらベトナム語で話してきた。笑顔だった。言葉はわからないが,間違いなく「カニ食べへん??」だろう。 他に,通りすがりの人,ハノイ駅や市場などでも多少の笑顔に出会えた。収穫が多かったのかは,わからない。どうなんだろう?? ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/10
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ベトナムのホーチミンとハノイ。よく知られていることだが,同じベトナムでも,かなり人々の気質に違いがある。互いに,いろいろと思うことがあるようだ。ちょっと意味は違うが,関西の人間が東京の人間に対抗心を持ったり,東京の言葉にアレルギーを持つ感じだろうか?? ハノイの人々は,なかなか取っつきにくい。無愛想である。よそ者には,身構えているらしい。街を歩いて撮影していても,フレンドリーではない。「撮るな!」と怒られることもある。店でも無愛想だ。友好的??なのは,シクロ,バイタク,タクシーの人たちだけだ。しかし,慣れれば本当は親切な人々なのだ。ハノイ人同士は,笑顔で騒いでいる。 →我が師匠?アジア光俊さん著「はい!はい!ハノイ」〈光文社 知恵の森文庫〉には,このことの他いろいろと,おもしろく載っている。これは,贔屓抜きですばらしい!ハノイへ行く方は,ぜひ!(アジアさ~ん,宣伝しときましたよ!〉 その中でも,果敢に??笑顔を探しに回った。さて,一見(いちげん)さんの私に,どれぐらいの笑顔が返ってくるのか??順不同で,2日にわたって紹介する。 天秤棒のおばさん。あちこちを歩いている。この人たちは,結構愛想よく声を掛けてくる。何十回と声を掛けられた。同じ天秤棒でも,いろいろなものを運んでいるが,声を掛けてくるのは,ほとんどが柑橘系の物売りだった。天秤棒おばさんは,ちょっと例外か?? ロンビエン橋を歩いているときに,前から来た少年。「写真撮って!」だ。「お~来た来た!!」ちゃんと挨拶してくれた。 街角で,遊んでいる人。これは,何というやつだろう?碁,将棋,オセロ,チェスの類だと思うが。いきなり撮ったが,笑顔だった。人が大勢歩いている路上で,ふつうにしている光景は,あちこちで見られた。 食堂街の,ある店で。ここには,多くの店が並んでいるが,この店の客引は強引だった。バイクで通りかかった人を抱え込んで店に誘導している!ただし,ここに写っている人は,みんな同じ店の者ではない。たまたま,私が写したときにいたのだ。英語は通じない。 右の姉ちゃんは,上の画像でも写っているが,周りの兄ちゃんたちが「一人で写したげて!」(たぶん)と言っても,ずっと逃げ回っていた。ところが,左の兄ちゃんを写そうとすると,いきなり写真に入ってきた。この兄ちゃんが好きなのか?または,すでにつき合っているのか??コロッと態度が変わった。 続編は,明日に! ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/09
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1/4・5に現地から書き込んだハノイの夜だ。2度書きすると,内容がダブることもあるが,ご容赦を… 本当は,安ビアホイがよかったのだが,ハノイ初日で,あいにくホテル近くには見つからなかった…(あったのかも知れないが…) じつは,ハノイのホテルに入って早々にアクシデントがあった。(このホテル,ネット上にあちこち出ている概要とは全然違う小さなホテルなのだが…)フロントの姉さんは,全く愛想がなかった。部屋に入り,洗濯を済ませて一旦座った。どこを歩こうかガイドブックの地図を見ていた。…と,“ガシャ!”と変な音。「なんや??」部屋中を見るが,わからない。次の瞬間“ガッシャーン バリーン!!”,「はあ??」…と床を見ると,赤い分厚いガラスが割れて散っている。「なんのガラスや??」よく見ると,ベッドサイドに小さな照明スタンドがあり,その傘のようだった。「え~!?」 何もしていないのに,いきなり割れたのだ!「えらいこっちゃ!」しかし,何もしていない…困った。事情をちゃんと言おう。しかし信じてもらえるか… 外へ出しなに,その破片を集めてフロントへ持っていった。事情を説明する。しかし,「あなたが壊した!」の一点張り。いくら,「触ってない!」,「勝手に」と言っても聞いてくれない。「新しいのに壊れるわけがない!」,「私が上司に怒られる。」,「弁償!」と言う。 確かに,部屋には私1人。誰も証明してくれようがない…嘘をついていると思われても仕方がない。まだ,来たとこなのだ。どんな人間なのかもわかっていない。しばらく粘ったが,これ以上無理と判断し,「私は,何もやっていない。でも,私が部屋にいるときに壊れたのだから弁償する。」と言った。請求は,$10だった。安物には見えなかったが,これが適正なのかはわからない(高いんじゃないか??)。痛い出費だ! いきなり,ハノイの洗礼だ!いい気分で出られるはずがない。しかし,その姉さんは怒っていた(あとで思ったが,怒っていたというより,毅然としていたということかも知れない)が,周りのスタッフは,なにも怒っていない。「あ~あ」という感じだった。出るときに,もう1人のお姉さんは笑って「行ってらっしゃい」,近くにいた兄ちゃんは「バイクに乗るか?」とふつうに話してきた。 …と言うことで,晩は騒ぎたかったのだ。長い前置きだった。 さて,安ビアホイもいいのだが,上記のこともあり,地元ベタベタよりも,まずは入りやすい店に…という考えも少しあった。アジア光俊さんの言う,“ちゃんとした店”だった。(^_^;)でも,地元人も結構来ていた。 店員の表情は,ふつう。笑顔はない。まず注文は,当然ビール。そして,何を食べようかとメニューを見る。そこで,「食べる指さし会話帳」の登場だ。最初に注文を取りに来た姉ちゃんは,本を見てあれこれ言ってきた。横から兄ちゃんが来た。興味深そうに本を見て,あれこれ説明をしてくれた。 注文が終わっても,2人は「本を見ていい?」と言って真剣に読んでいる。さらに横から姉ちゃんが来て,これまた読み出した。そのうち,店員が集まりだした。本を見ながら,私にあれこれ話しかけてくる。 ビールが来た。デジカメで撮影する。みんなのぞき込んでくる。ついでに,みんなにカメラを向ける。みんな喜んで写ってくれた。さあ,こうなったらいつものペースだ!ビールも会話も進む。大騒ぎだ!?私のVTRやデジカメを持って,勝手に撮影したりしている。 この国では,飲酒・喫煙の明確な法律がないそうだが,私の横の姉ちゃんは17歳だ。ここで働いている。1日の給料は20000ドンだそうだ。日本円で約160円…労働時間は,朝8時~夜10時か夜12時までだそうだ。「もっと欲しい」と言っていた。店員は10代後半~20代前半が多かった。 ビアホイのオーナーだ。遅い時間にやってきて,あれこれ指示を出している。自身もここで食事をしていた。そのうち,私のとこに来た。いろいろ話しかけてくる。ホーチミン出身らしい。周りの人とは雰囲気が明らかに違って落ち着いていた。さすがにオーナーともなると違うのか。「ここは,自分の店だ!」と誇らしげに話していた。この画像は1日目だが,2日目はジャケットを着ていて,革靴だ。 2日目にVTRを見て,値段を聞いてきた。驚いたことに,そのほとんど同額の値段で「売ってくれ!」ときた。「うへ~!」どうも本気のようだ。じゃあ,売って新しいのに買い替えようかな?と一瞬思ったが,充電器や付属品はホテルに置いたままだ。あれこれ考えたが,結局断った。まだ最終日が残っていて,売ってしまうと撮影ができなくなる。でも,悪い話ではなかったのだが… これは,生き血を固めたものだ。オーナーのおごりだ。「ティエッカインか?」と聞く,「いや,少し違う。」と言う。ティエッカインは,アヒルの血だが,これはヤギだと言う。私が食べる様子をじっと見ている。「うまい!」と言うと,うれしそうに握手をしてきた。外国人が嫌がることを知っているのか?私は,以前にラオスで食べたことがあるので味は知っていた。十分に食べられる。 横にあるのは,ハノイウォッカ。29.5%なので濃くはない。何杯か飲んだ。もっと欲しかったが,さすがにおごってもらって,「もっと」とは言えなかった… 1日目は10時,2日目は11時になっていた。充実した夜だった。 蛇足だが,最終日は深夜便に乗るためにホテルに荷物を置き,夜の街を歩いていた。ある小さな通りで声がかかった。「どうせまた,なんかの誘いやろ。」と無視。しかし,もう1度声がかかり,肩をつかまれる。「はあ??」振り返ると,あのオーナーだった!「家はこの辺や!」最後まで腐れ縁?があった。「まだ,いたんか?店に来たら?」,「もうすぐ帰国やし。」で,握手で別れた。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/08
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8年ぶりのベトナムは,進化していた。場所にもよるだろうが,変な物売りは少なくなり,シクロも減った。以前のしつこい「お~い!」,「シクロ!」の声は激減していた。それ以上に「モトバ~イ!!」の声が増えた。カンボジアのように指を1本上げているのもいる。「Can I help you?」,「ドコニイキマスカ?」,「コンニチハ!」,「ニホンジンデスカ?」,「1ジカン1ドル!」とまあうるさいこと。でも,以前は,結構しつこくついてきたが,今回はあっさりと引き下がるので,やや拍子抜けだ…「ジャパニーズ?」も多かったが,「コリア?」,「チャイナ?」,「タイワン?」とよく言われた…「コンニチハ」で,無視をすると,「アンニョンハセヨ」だと。「ニーハオ」は,なかった… 街も,きれいになっていた。(ホーチミンとブンタウは2回目なのだ)これも,時代の流れか?細かいことは,後に書いていく。昨日~今日は疲れた! 昨日のハノイ・ノイバイ空港。今までいろんな空港に行ったが,あれほど仕事の遅い空港は初めてだった。たまたま,周りにあちこちのアジアの国に住んでいたことがあるという人が複数いて,話しているのを聞いていると,「こんな遅い空港,初めて。」,「国際空港としては…」。おまけに,出発の待合室のイスの少ないこと。1時間以上並んだあげく,やっとチェックインしても座ることもできない…これは困った。 ただ,同じような時間に,VNとJALのコードシェア便が,関西行きと成田行きの2つ重なっていたこともあり,一気に人が集まったこともあるかも知れない。でも,JALのカウンターにも最初は同じぐらい人がいたけど…1人に,なんで5分も10分もかかるんやろ?? そして着陸の遅れ(関西便)やタイヤのパンク(成田便)とか言ってたけど,乗ってみると機体はJALだった。てっきりVNなので手際が悪いと思っていたけど… さらに,日本上空での嵐。離陸直後に,低気圧を配慮して,着陸1時間前の朝食を離陸直後に変更になっていた。これは正解だ。あの長時間の揺れは初めてだった。 着陸後も建物まで揺れまくっていた。「なんと,陸地まで揺れているんや!どうやって帰るんや??」………「あれ??」まだ機内だった。夢を見ていたのだ。降りたら,もちろん建物が揺れているわけがない。 以前に,中国から台風の嵐の中を離陸したことがあったが,そのときも大揺れだったが,時間的には半分ぐらいだった。 ダメ押しに,鉄道の不通だ。関空への連絡橋が通れないのだ。輪を掛けて,駅員が「奈良線は,信号機の事故で京都から不通です。機械の故障何で時間がかかるでしょう。」…おいおい!無事に帰ったのに,日本の方がたいへんやん!!関空から対岸のりんくうタウンへ代行バスに乗った。降りて歩く。また道が長い。寒い!駅舎に入る。ホームへ出た。「わ~!!」嵐だ。しかも強烈な寒さ!同じ強風でも台風は夏だ。 列車は,次の駅の日根野までだけだ。「このあと,どうなってんねん??」大阪は,全くわからない。到着後に表示板を見る。“特急はるか京都行き”とあった。日根野が始発になっていた。「助かった!」 京都駅へ着くと,奈良線も復旧していた。これも助かった! 最後に,自分の駅に着いた。雪だ!ひどい状態の中,10分ほど家まで歩いて帰った。 深夜便で,ほとんど寝ていない。さらに,最終日は街を歩き回った。今から寝る。みなさんからのありがたいコメントのお返事は,あとからにします。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/07
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帰りは、日本に近づいてから低気圧で長時間大揺れ!初めて乗った人は生きた心地がしなかっただろう。やっと関空に着いた。一安心。 しかし、その強風で空港からの列車が運休…連絡橋が通れないのだ。車は通行できるので、代行バスで陸地のりんくうタウンまで。駅で降りた。なんやこれ!台風並の強風や!!しかも冬やし寒い。この先乗り継がんなんが、大阪のことはさっぱりわからんw(゜o゜)w困った! さらに、京都から奈良線に乗り継ぐのだが、奈良線も信号機の故障で京都からは不通!?どうすんねん??奈良回りで行かれたら?と言われたが、そうなると大阪のどっかを通らんなん。余計にわからん。 泣き面に蜂とは、このことだ。帰国後に、こうなるとはまさに予想外だ!!
2007/01/07
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ハノイのノイバイ空港のチェックインカウンター前に、長蛇の列…なかなか進まず1時間以上も並んだ(*_*)見ると、一人当たりの手続きの時間の長いこと!私の前の2人なんて、10分もかかってた。そら長なるわ!!なんちゃう手際の悪さ。隣の共同運航便のJALの速さ(これが普通だが)と対照的だった。 自分の番が来た。なんと1分ほど!どうなってんねん!!23時40分発だが、ボーディングが23時50分…あれ??どう見ても、私の後ろには、まだ多数の人がいて間に合わないからか? 今、日本語で案内が…「関西大阪行きは到着が遅れまして、ただ今清掃しますので、お待たせいたします。申し訳ございません。」??ほんまか??? どないやねん!!??? あっ!また日本語の放送だ。「東京成田行きは、タイヤのパンク修理のため50分遅れます。」?? ほんまかい!!
2007/01/06
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2007/01/06
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ハノイ2日目の夜。再び昨日の中級?ビアホイへ。みんな笑顔で迎えてくれた。ハノイで無条件に笑顔で迎えてくれるのは、ここだけだ! 今日は、ずっと街を歩き回った。広いし、みんな同じに見えるし、気がついたら同じ通りを歩いてるし、どこ歩いてるんかわからなくなるし… 人々は、やはりみんな冷たかった…確かに友好的??なんは「モトバ~イ?」か「シクロ!」だけだ。マーケットのあばさんなんて「撮るな!!」だ…でも、たまに話し掛けてきたり手を振ってくる人もいた。 それで晩だが、みんな超フレンドリーだ!親しくなると濃い…というのがわかった。このビアホイは、外国人も来るまあまあの店だ。地元人も来ているが、庶民的ではない。 昨日も話したが、そこのオーナーが、今日は少しおごってくれた。さすがに貫禄があるわ。歳は私より2つ下やけど…うちの前社長(誰がわかるねん!)+俳優の宇梶剛士÷2といったとろだ。 最後はウォッカをもらった。11時まで飲んだ。やはり楽しく過ごせた!まるで、この店に来るためだけにハノイに来たみたいだ。 ところで、例のメモリースティック…店になかった!!あ~あ…念のため、もう度1度リュックの中を見る。ちゃんとあるがな…チャンチャン!
2007/01/05
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今日も寒い!曇りっぱなしだ…しかも、昨日まで飲み過ぎたか?気候の関係か?朝からお腹の調子がイマイチ…これは、まずい。今までの経験から言うと、晩までに飲食をすると悪化する…w(゜o゜)w せっかく最後やけど、ここは辛いがガマンしなければならない。食べないと、なんとか回復するのだ!アジア光俊さんの本に書かれてたハノイのものを食べたかったが、今日はダメだ…残念。 さらに今晩は、飲まなければならない??のだ!〓それに照準を合わせて胃のコンディションを上げないと!全く意味不明な調整だ… 明日は最終日。深夜便なので、時間に余裕がある。明日のご飯は、腹次第だ! 画像は、100年以上前に造られたロンビエン橋で全長1700mだ。真ん中は線路だ。ホン河を渡っている。吹きさらしの中、往復した。疲れた… 今から食事だ。
2007/01/05
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やはり寒いハノイだ!南部と気質が全く違うという北部の人々。慣れるまでは警戒をするという…ホテルの従業員は無愛想だ。街を歩いていても身内同士はともかく、外国人に対する視線が、気のせいかそんな気がした。 しかし、物売りと違う若い女の子が、こっちを見て、ちいさく「ありがとう」とかつぶやく。こっちが見ると笑って横を向く。または、遠くから見ていたり…ということはあった。 さて、昨日の晩はやや上等の?ビアホイにいたわけだが、ダナンのときと同じく「旅の指差し会話帳」の威力はすごいと思った。(別に社の回しもんではありません) 入って早々に店員の女の子が集まってきた。しばらくは本を借りてじっと見ていた。そのうち、本を見ながらあれこれ話し掛けてくる。ベトナム語の発音を教えてくれたりもした。さらに、兄ちゃんたちもやって来た。みんなで大騒ぎだ! あれこれやってるあいだに4時間も経っていた!「明日も来て!」と言われた。本当は、次は安いとこに行くつもりなんやけど… ホテルへ帰った。10時を回っていた。あっ!メモリースティックデュオが1つない…日本で撮った画像を見せるのに出したときに、落としたらしい。こりゃまた今晩行かんなんわ!!
2007/01/05
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ハノイは寒い!!先ほどは晩秋と書いたが、冬だ…ほんまに寒い!(*_*)今までで1番と言ってもいいだろう。寒いのが大嫌いなわたしです… しかし、震えながら今いるのは、まだ街がわからないので、高めの??ビアホイだ(^_^;)
2007/01/04
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ハノイは、曇ってて寒い!!w(゜o゜)w涼しいとは思ってたが、これは…晩秋の気候だ。
2007/01/04
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ベトナム10日目だ。ホイアンでは,携帯からはパケット通信がアウト。ネット屋もあるものの,そこまでしてつなぐ気になれず,解放??されていた! ホイアンは,その昔,朱印船貿易が盛んだった頃に日本人町があったのだ。多くの日本の商人などが住んでいたのだ。しかし,鎖国後は次第に華僑の町へとなっていき,今や来遠教(日本橋)のみが面影を残すそうだ。郊外へ行けば,2つほど日本人の墓があるという。今は,日本と中国の文化が融合した建物が多く残っている。 以前から,1度行ってみたかった町なのだ。そして,実際に行って思ったこと…すばらしい町並みで,思った通りだったが,あまりにも観光地化されすぎていて古い家々も土産物屋や店,レストランなどになっていたり,観光客のあまりの多さに驚いた。日本人も多く見かけた。もっと,のんびりと過ごせるかと思っていたのだが,ビックリした。まあ,観光するには便利な町だと思う。三重のお伊勢さんみたいかな? 何とも懐かしい感じのする家々が続いている。中国系の匂いの強い建物が多いが,純和風はない。しかし,日本の香りのする建物は多かった。 有名な来遠橋(日本橋)だ。ホイアンと言えば,この橋が必ず紹介される。これを実際に見たかった!!私は,何も有名なものが嫌いなわけでない。いいものは,いいのだ。1593年に日本人によって架けられたそうだ。橋の中には,寺院もあるのだ。英語のガイドたちの声を聞いていると,「ジャパニーズブリッジ」とか言っていた。この橋については,帰国後に,またUPするつもりだ。 ホイアン三大名物の1つ,カオ・ラウだ。ここが,本場なのだ。米麺で,うどんみたいな感じだ。汁は少なめだが濃いめだ。食べてみた。「うまい!」あちこちでいろいろな麺類を食べてきたが,これはいいわ!こんな味は食べたことがない。例えようがない。同じ日に,違う店でもう1度食べた。やはり,うまかった! 量は,そんなに多くない。間食に食べる感じだ。7000ドン(約56円)だった! 夜になっても灯り点いて,昼間とはまた違った中国風の幻想的な雰囲気になる。多くの人が来るわけやな…ここは,来て損はないと思った。 あいにく,雨季で天気が悪かったが,何回もぐるぐると回った。古い町並みの中に,生活臭のするマーケット,通学する子どもたち,普通の生活…いろいろなものが混在している。よく見ていると,細い路地裏まで入っていっているのは,欧米人に多かった。日本人を含むアジア人は,大通りばかり見ているような気がした…この違いは,なに?? 明日は,空路でハノイ入りする。今回の旅の最後の地だ。ホーチミンの人々と全く違う気質というものを,じっくりと見てきたい。 ↓ブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2007/01/03
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ホイアンでは、携帯のパケット通信が不可能だった…PCもしてなかった。 今、ダナンヘ向かうバスの中である。
2007/01/03
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