2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全7件 (7件中 1-7件目)
1
昨日、初めて「バニラブログ」を2004.8.24 UP 分から読み通した。感無量ではなく、ようやるわ、と言う感じ。何ごとも、3日坊主であった僕がなぜ?何故、名瀬、萎是、名ゼ................?バニラ。すべて、バニラである。そして、ほんの少しだけ、僕の踏んばり。なつかしい日記。吹き出す日記。かなしい日記。コメントを読む。「こんな人から、コメントもらってるんや........」なにげなく、懐かしさのあまりクリックする。「閉鎖」次から次にクリックしてみた。閉鎖、閉鎖、閉鎖、閉鎖・・・・・・・・2年足らずの間に、である。ブログはまるで、わき上がっては消えていく泡のようだ。一期一会。かく言う「バニラブログ」も例外ではない。僕は感じる。あやうさを。ので、僕自身を奮い立たせよう。「せ~んろは続くぅ~~よぅ~、どぉ~こまっでっもぉ~~~♪ の~ぉこえやまこぉ~え~~たぁ~にこえてぇ~~~♪ はぁ~るかな町ま~でぇ~ぼ~くたちのぉ~♪ たぁ~のしい旅のぉ~ゆめぇ~つぅ~ないでるぅ~~~~♪♪♪ 」と。
2006年03月31日

バニラは座れ!待て!伏せ!が、出きれば上等である。が、お手おかわり、来い!も出来れば、ゆーことなし。で、先日恒例の早朝散歩に出かけた。真っ暗で広大なグランドを曝走。木切れをくわえて挑発するバニラを追い回したり暗闇に隠れて、焦るバニラを笑ったり毎回楽しく散歩している。で、「犬語の話し方」と言う本を読んでどうでも「えーじゃないの」飼い主から約半歩前進したのだ。早朝のグランドで、ぜーぜー言いながらもふと思った。狼の習性には、ボスの声やボディーランゲージ、などによって、意思を疎通する。バニラを呼び戻して、バニラがそばに来るボス狼が座ると、他の狼も座るはずだ、と思って「バニラ来い!」と叫んだ。乾いた足音をたてて、側に来た。おもむろに、僕は腰を下ろした。「座った!!」いやいや、偶然かもしれない。遊びながら、何度か挑戦。呼び戻して、そのまま僕が立っているとバニラは座らない。呼び戻して、僕が座ると、バニラも座る。もう、褒めまくり撫でまくりだ。カラスの鳴き声に追われるようにして、グランドを後にした。空が明るくなっていた。帰り道、ふとビルのガラスに映った僕とバニラ。うっ!でか!!バニラが。僕の目からしかバニラを見たことがなかったので、バニラのでかさに驚いたのだ。162センチ&50kgの僕。バニラは30kg。うーん。道行く人たちが「わっ、大きいわんちゃん」と言うのがやっと分かった。で、せっかく遠回りして帰るのだから、と「つけ!」の練習をした。いままでも、何度かやってきたが言う事を聞かなかった。(僕に性根がなかったから)しかたがないので、散歩中はリードを張らない程度で良しとしていた。僕と散歩中は、余程の事がない限り引かない。1)余程の事とは、食べ物を見つけたとき2)どうしても、確かめたい匂いがあるとき3)散歩中、家族の姿を見つけたとき。(手の付けようがないほど狂気乱舞)帰り道、10数回練習した。家に着く頃、出来た。うそみたいだ。ぴったりではないが、僕の側につき体半分以上は前に出ない。ただし、条件がある。グランドも帰り道も、バニラを刺激するものがない。(早朝の為)これからも、遊びがてら色々なことに挑戦するのだっ! えいえいおーっ!!僕はどうしても、バニラの瞳にある感情や言葉を知りたいのだ。しばらくの間、本にのめり込む、と思う。(ほかに、やることないんかい!)バニラ、2才半。悪行はこの頃と変わっていません。 ↓
2006年03月29日
「犬語の話し方」(スタンレー・コレン著)文春文庫「最後にひとこと」より犬がたてる声にかんして、この本の中で書かなかったものがひとつある。はぶいたのはそれが自動的な音であり、進化や自然の働きで作り上げられた意思の伝達手段ではないからだ。それは、私にとってはだいじな犬が息をする音である。夜、ベッドで横になると、我が家の老犬ウィズは私の脇で、オーディンは、(ちなみにフラットコーテッド)私のベットのかたわらに置かれたシーダーのおがくず入りクッションの上で寝ている。寝室の隅では、まだトイレのしつけが完全にできていない子犬のダンサーが、檻の中で眠っている。静かな闇に中で、寝息だけが聞こえてくる。大きな黒い犬の、低くてゆっくりした寝息。オレンジ色の子犬の短い息の音、そしてときおり聞こえる白い老犬のグスグスといういびきの音。それらの安らかな音を聞きながら、私は原始の人々が、洞窟や粗末な小屋で、獣の毛皮の上や藁の寝床に横になる姿を思い浮かべる。それは敵の多い危険な世界だった。武器はもろく、食糧は乏しく、夜のあいだは、恐ろしいものたちが徘徊した。そんな太古の時代でも、人びとが眠るときは、そのかたわらに犬たちがいた。犬たちの寝息は昔も変わらず、その音には意味があった。それは自然の言語であっただけでなく、安らぎと心地よさの響きであり、犬が人間との永遠の絆を告げる音だった。「わたしはここにいますよ」と犬の寝息は伝えた。「一緒にこの世界を切り抜けていきましょう。 獣やよそ者が不意にあなたに襲いかかる事はありません。 わたしがここで、あなたの目となり耳となります。 心配ご無用。 わたしがそばにいてあなたを温め、 必要とあらばあなたを守ります。 明日は一緒に狩りをし、家畜の番をしましょう。 一緒に太陽の光を浴び、世界を探検しましょう。 一緒に笑いましょう。 わたしたちはどちらももう子供ではないけれど、 一緒に遊びましょう。 運に恵まれず、あなたが嘆くときは、わたしがなぐさめましょう。 あなたはもうひとりではありません。 約束します。 あなたの犬として わたしはそう約束します。 夜は毎晩、この息の音で その約束をあなたに伝えます」私は我が家の犬たちの安らかな寝息に、そんな言葉を聞きとる。そして祖先たちと同じように、その言葉を理解し心がなぐさめられる。犬たちにはかぎられた言葉でそれだけしか伝えられないとしてもそれで充分ではなかろうか。 読了して感じた事を書き留める。犬はどれほど人の「言葉」や「動作」に注意を払っていることか。犬にとって人は自分の生存の選択権を持っている生き物だからだ。だから犬は人の一挙手一投足を、命に代えてまで理解しようとしている。それがあの、特徴的な上目遣いをさせるのだろうと思う。犬に対して人はどうか?残念ながら僕はバニラにさほど注意を払っていない。力むつもりはない。少しだけ、注意深く付き合うことにした。犬が人の言葉を理解するように僕は、バニラの犬語を理解出来るよう努力しよう。短い命を幸せにすごせるよう、バニラに話しかけよう。バニラが何を言っているのか分かる日が来るまで。バニラと共に生きた日々を悔やまない為にも。
2006年03月21日

「犬語の話し方」(スタンレー・コレン著)文春文庫と、言う本を読んでいる。感想は書かないが、ワンコ飼いの皆さんに一読をお勧めする。ワンコがより愛おしくなるはずだ、必ず、おそらく。僕の場合、もう十二分「バニラ」が愛おしいのでそこそこな気持ちで読み進めているのだ。で、本題に入る。「犬語の話し方」の中に、その昔、「犬力式ミシン」で、特許をとられた事が記述されていた。・・・・ほ、ほ、ほんまかいな。また、何世紀ものあいだ、大きな屋敷では犬達の居場所はキッチンと決まっていたらしい。その当時、肉はたいていかまどに水平に渡された串(スピット)で焼かれていた。この串は肉がむらなく焼けるよう、たえず回転(ターン)させる必要があったのだ。肉の串を回転させる単調な仕事を任されたのが、体重の重い、胴長で短足の、その名も「ターンスピット」と言う、犬種だったらしい。「ターンスピット」は、ハムスターやラットの檻でよく見かける宙吊りになった輪の大型版のような、踏み車の上に乗せられた。犬が一歩踏み出す度に車が回転し、その力で真ん中に刺してある串が回るという仕組みである。屋敷では何頭もの「ターンスピット」が飼われ、交代で一日何時間も踏み車の上を歩かされていたのだ。また、バターをかき回したり、穀物を挽いたり、井戸から、水をくみ出したり.........結構こき使われていたんですね。本当にご苦労さまでした。で、寒いある日、飼い主に教会に連れて行かれる飼い主の足を暖める暖房機がわりに。大聖堂で司祭が礼拝を執り行っていた。司祭は熱をこめて、聖書の一節を読み上げていた。「....そのときエゼキエルは、回る車を見た」とその時足下にうずくまっていた犬たちは自分に関係のある言葉を聞き逃すまいと耳をそばだてていた。「ターンスピット」にとっておぞましい仕事を意味する「車」という言葉を聞いたとたん一斉に、教会から逃げ出したのだ。第3章「犬は人の言葉を理解する」のつかみの部分だ。ちなみに、目次をあげておく。一章「犬と話が出来る人、出来ない人」二章「進化と犬の言葉」三章「犬は人の言葉を理解する」四章「犬はどこまで言葉を聞きわけるか」五章「おしゃべりな犬、無口な犬」六章「犬の声が語るもの」七章「犬は言葉を学びとる」八章「顔の表情が語るもの」九章「耳の表情が語るもの」十章「目の表情が語るもの」十一章「尻尾の表情が語るもの」十二章「体の表情が語るもの」十三章「ものを指し示す能力」十四章「性的な行動が語るもの」十五章「手話とキーボード」十六章「匂いが語るもの」十七章「犬語と猫語のちがい」十八章「犬語にも方言がある」十九章「犬の言葉は言語と言えるだろうか」二十章「犬と話をする方法」付録1)図解による犬のさまざまな表情 2)犬語小辞典ハウツー本にあらず。次回は、著者の「最後のひとこと」を記す。うならされる文章だ。乞うご期待!!バニラ、21世紀に産まれてよかったね! ↓
2006年03月20日

早朝、遊び仲間の黒ラブくんと(7か月)グランドを駆けまわった。どろんこになったので、1か月ぶりにシャンプーする。大型犬を多頭飼いしている、飼い主さんを想像すると挫けては、いられないのだ。尻尾の先から、鼻面まで完璧に洗った。そして、プロジェクトを成功させたごとく、達成感に酔いしれる。(なさけない事実ではあります)で、40分かけてドライヤーをかけた。僕もバニラも疲れ果て、バニラはソファーでぐったり。僕はテーブルにつき、しばし呆然としていた。ふと、バニラを見ると、開け放たれた窓から、カーテンを揺らす春風を、鼻面で追うようにして目を細めていた。「カメラ、カメラ」と慌ててデジカメを構えた。とにかく、バニラはガサゴソ動き回るのでいつも、シャッターチャンスを逃してしまう。一息ついて、バニラと外で日なたぼっこをした。全身に春風を浴びて。出窓からやってくる春風を、鼻で追う。 ↓ 春の眼差し。 ↓ 「きもちええわぁ、おとーしゃん♪」 ↓
2006年03月16日
バウワウ バウワウッ.........バウワウ バウワウッ!!きゅいーん きゅいーん......目が覚めた。午前2時。う、ううっ.......(情けなくて、慟哭)バリケンの扉を開けると、弾けるように飛び出て来た。「おまえなぁ.........」とつぶやきつつ、服を着る。階段の降り口で、バニラはお待ちかね。外は生暖かく、一面霞んでいる。深海のような深夜の町を散歩する。カラオケ店の前には、自転車が沢山止められしわがれた歌声が聞える。腰と尻尾をふりふり、バニラは軽快に歩く。やれやれ.........かしゃこんかしゃこんとバニラが階段を駆け上る。居間にうわ布団を持ち込み、横になる。ソファーで駄眠を貪るバニラが、ごそごそやって来て僕の足を枕にして、眠り込む。寝着かれないまま、ふとバニラの5年先を考えた。バニラ、7歳半である。バニラは散歩以外は、2階の居間で過ごしている。ここには、四六時中誰かがいる。そして、みんなバニラにかまったり、なでなでしたりいつも、賑やかだ。バニラが欠ける事など、想像すら出きないほど家族に馴染んでいる。しかし、いずれ年を重ね、足腰が弱る。階段の昇降が無理に成る事は、確実にやってくる。いつか、バニラの生活の中心は1階になるだろう。風呂に入る時や外出時以外、人気はない。「たらーっ...........」(慟哭の汗です)3人の子供達は、自分の意志と力で、生きて行けるまでに成長した。わんこやにゃんこは、そうはいかんもんなぁ。犬や猫を飼ったばかりに、激しく苦悩する「かあいそうな」僕。
2006年03月11日
「渡り蟹のトマトクリームパスタ」の好評によりなんとなく、料理にはまる日々が続く。料理系のブログなんて、見たことがなかったが、大盛況だ。出来るだけ、有りものを使って、手早くおいしく調理する、主婦の技には驚かされる。おかげで、3日連続夕食担当副大臣に任命された。なにがそうさせるのか?1)自分自身がおいしく食べたいから。2)家族がよろこんでくれるから。この二点が、料理を持続させる要因だ。シンプルだが、面倒い調理や段取りが苦にならずむしろ、料理することが心地よくなる。心地よく作れると、おいしく出来上がる。おいしく出来上がると、みんなが喜ぶ。それが励みになって、次の料理に挑戦する。もうスパイラル状態の日々を過ごしている。お勉強も、上記みたいな流れになるか?否である。食べる=本能勉学=本能ではないそこには、越え難いラインが敷かれているからだ。で、家族も含め他者に、自分の存在や行為を認められたり喜ばれると、うれしく幸せな気分にさせられる。バニラはどうか?僕に対して、なにもしてくれない。人にたいして、良くない事を何度も繰り返す。かって、寛ぎの居間は、今やぐちゃぐちゃ。おまけに、寛ぎの象徴でもあるソファーはバニラの私物化と化す。であるにもかかわらず、うれしく幸せな気分にさせられる。ワンコは存在しているだけで、人を寛容にする。バニラを見る僕の眼差しは、いつも微笑んでいる。さあ、おいしいもん作るぞぅ~!と、気合いを入れてみる。トップッページが大変な事になりにけり。従来のページを消してしまった。(泣)閑にまかせて、しっくり馴染むデザインに作り上げます。グスン!!
2006年03月01日
全7件 (7件中 1-7件目)
1