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愛知県芸術劇場コンサートホール 18:45〜 3階左横 ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」op.92 B.169 スメタナ:連作交響詩「我が祖国」(全曲) セントラル愛知交響楽団 指揮:レオシュ・スワロフスキー 7月のこの週は仕事で西の方に行っていまして、そのまま真っ直ぐ帰ってくるのも芸が無いなと思って寄り道しいしい帰って来たのでした。この翌日にはもうアップした通り浜松に寄り道してアレクサンダー・ガジェヴを聞いたわけです。その前日に名古屋に寄ってこれを聞いたというわけ。 名古屋はオケも複数あって、ホールも幾つかあるのですが、意外にコンサートはあるようで少ない。この辺は関西もそうなんですが、やはり東京一局集中が激しくなっているというのはあるのだと思うのだけれども.... セントラル愛知交響楽団。どういう位置付けなのか。ちょっとなんともですが、まぁ、ともかく。 指揮のスワロフスキーは名誉音楽監督なんだそうで、チェコの人。まぁ、お国ものプロというわけで。 前半にまずドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、続いて「我が祖国」の前3曲を演奏して前半、残り3曲が後半という形。 で、お客の入りなんですが、これが...... 3階正面はほぼガラガラ。かなり空いてます。全体でも4割くらいの入りではないかと。クラシックのコンサートなんてそんなものか、というと、流石に金曜の夜ならもうちょっと入るのではないかと思うのだけれど。前述の通り、そうかと言って、そんなにコンサートがいつもあるわけでもないのだけれど、正直これしか入ってないのがちょっとびっくり。 演奏はと言うと、まぁ、確かに、それほどいいオーケストラというわけではないのでしょう。 聞いてた場所が悪いのはあるのですが、それにしても、確かに、バランスが良くない。金管が無駄に鳴ってしまう。その一方で木管が聞こえてこない。そしてやたらと張り切って聞こえてくる打楽器。3階の舞台横という感じの場所だから、それで溶け合わないというのはあるかも知れないけれど、それにしても、ちょっとねぇ..... モルダウの主旋律、木管の頑張りどころですが、聞こえて来ないのです。 弦は全般にヴァイオリンが弱い。 確かに、これは、あまりいい聞こえ方ではないとは思います。ただ、確かにいい響きとは言えないかも知れないけれど、それほど悪くもないと実は思ってます。少なくとも弦は力み返るようなことはない。だから、弱く感じてしまうのかも知れないし、それはそれで問題だとしても、金切り声を聞かされることもない。だから、決して悪い気はしないんですよ。だのにこの入り....... 失礼な言い方かも知れないですが、確かに東フィルやN響のコンサートとどっちに行く?と言われたら、セントラル愛知は選ばないと思いますよ。でも、中京地区で、他に幾つオケがあるんだと。いいものしか聞きたくないというのかも知れないけれど、ちょっと冷淡な客の入りだよなぁ、と思ったのは事実であります。
2024年09月28日
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新国立劇場 14:00〜 4階右手 トスカ:ジョイス・エル=コーリー カヴァラドッシ:テオドール・イリンカイ スカルピア:青山 貴 アンジェロッティ:妻屋秀和 スポレッタ:糸賀修平 シャルローネ:大塚博章 堂守:志村文彦 看守:龍 進一郎 羊飼い:前川依子 新国立劇場合唱団 TOKYO FM少年合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:マウリツィオ・ベニーニ 演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ もう10月になろうというのにまだ7月が残っている......結構残ってるんですけどね...... トスカ。正直、行こうかどうしようか考えていたところではあります。この演出は2000年が最初で、今回で9回目だとか。まぁ、それほど悪くない演出ではあると思います。奇を衒わず、見慣れた演出。でも、見れば見たで飽きはしない。ただ、そもそも、トスカってそんなに好きじゃないんだよね.......で、じゃぁ歌手は、というと、まぁそこまでの人は出て来ないし。そう言っちゃなんですが、この演出ですら、過去にはクピードだのラ・スコーラだの、はたまたホアン・ポンスとかセルゲイ・レイフェルクスとかが歌ってましたからね、当初は。正直、まぁ、見ても見なくても、という感じ。ただまぁ、それかあらぬか、安い席でそこそこのところが買えてしまったので。 で、行って来ました。 そうねぇ......... スカルピアは代役なので、まぁ、しょうがない。しょうがないけど、はっきり言って、このオペラはスカルピアが怖いと面白くなるんですけれど、まぁ、そこはしょうがない。 オケは大きな音出してましたが、それに負けじとでかい声を頑張って出すトスカとカヴァラドッシ。でかいです。声。ぶらぼおおおおおおも盛んに出てました。でもねぇ.........力技なのよね。だから、はっきり言って、美しくないのです。それは1幕から最後まで、基本、変わらず。オペラというのは大声張り上げ大会じゃないんです。歌を歌ってなんぼなんです。で、少なくともこのトスカというのは、歌がある程度綺麗に聞こえなければいけないという考え方の下作られたオペラの筈なのです。だから、歌は、綺麗に歌って欲しいのですよ....... カヴァラドッシは第2幕でVittoria!という、ここはそうは言っても大音声が勝負なのですが、しかし、ここで外道を極めんとして果たせず.......トスカも、ドラマティックに歌ってはいるのかも知れないけれど、美しくない。スカルピアは、まぁ、しょうがないけど、でも、怖くないんだよね..... この日一番美しいと感じた瞬間は、恐らく、3幕冒頭の前奏での弦の合奏。これは綺麗だった。確かに綺麗に響くところではあるんだけれど、でも......それって、刺身のツマの大根の話をしている気が......いや、美味しいに越したことはないんですけどね......... 客の入りはそこそこで、まぁいいんですけど、半ズボンの客がちらほら。まぁね、7月だからね、暑かったからいいんだけど、でも、やっぱり美しくないからおやめなさいって。どちらかというと、日本でいくら暑くても半ズボンはみっともないと思うのですよ。汚い脛出して電車乗るんじゃないって。別に家の中とか近所でとか、はたまた海だのでならいいけどさ。まぁ、流石にそうも言ってられないって天気ではあるのですけれども。これは別にオペラとか音楽とか関係なくなんですけれどもね。
2024年09月27日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 2階正面 ストラヴィンスキー:弦楽のための協奏曲 ニ調 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調K,219 「トルコ風」 <独奏アンコール> バッハ:無伴奏パルティータ 第1番 〜 クーラント チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調op.13「冬の日の幻想」 ヴァイオリン:中野りな 東京交響楽団 指揮:アンドレアス・オッテンザマー いわゆるシルバーウィークと言うんでしょうか。3連休2連発の最初に聞いたのがこれであります。 安いチケットが出て来ていたので聞きに行ってみようか、ということで買ったのですが、まぁ、正直、禁断症状が出始めてたのはありますね。国内で言えばフェスタ・サマーミューザ以来1ヶ月以上ぶり。いや、盆休みに旅行に行って聞いたのだけれど、そこから数えてもそろそろ4週間といったところ。流石にね。そろそろね..... で、この3連休で聞いて回るわけですが、ね。 東響は6月以来。結構聞いてるな。前回はスダーンがベートーヴェンを振っていたのでした。で、今回はストラヴィンスキーにモーツァルトにチャイコフスキー。ふむ。 前半はストラヴィンスキーとモーツァルト。面白いのはこの2曲が殆ど同規模の編成だったこと。確かにストラヴィンスキーのは新古典主義的な作品なので、管さえ加えれば同じくらいのオケで、と言うことなんでしょうけれど、実際に目の当たりにすると、なかなか面白い。 このへんの曲は、まぁ、いいんですよね。よく弾けてるし。ヴァイオリン独奏も、多分聞いたの初めてなんじゃないかと思いますが、まぁ、いい演奏でしたですよ。 で、後半はチャイコフスキーの1番。冬の日の幻想ってタイトルがついてる曲ですが..... まぁ、聞くのはかなり久しぶり、多分生で聞くのは初めてなんじゃないかと思うのだけど.....あれよね。下品よね。この曲...... えーとね。品がないっていうのとは、少し違う気はするんですよ。ただ、なんというか........下品。民謡風のメロディーが沢山出てくるのは、まぁ、チャイコフスキーあるあるなんだけれど、後年の作品と違って、素材を次から次へとぶち込む感じなんですよね。洗練というものがない。肉沢山あるのがいいんでしょ!とか言いながら、バラ肉フライパンで炒めて油ギトギトなのも構わずに丼飯にこれでもかとぶち込んだ肉丼みたいな。いや、これ、味、付いてる?え、塩振ってるからOK?これが素材の味を生かすってこと?そりゃ違うぞ?みたいなね。で、最後に取って付けたように大盛り上がり爆音系フィナーレ。あーはいはい。 なんだろうな。演奏もまた、まぁ、一般論的には悪くはないんだけれど..... 第2楽章のホルンは聞きものでした。そういういい瞬間は確かにあるんですよ。でも、他はもう金管がブカブカ鳴らしまくるし、それに追い付こうとして弦も軋むし。要は美しくないんですよね。それで、確かに弦が力みかえったりするんだけれど、それ以上に管とのバランスが悪くて気になる。いつもは弦が金属的な力みかえった音を出すのが我慢ならないのだけれど、どうも、そもそも弦が力量不足ではないの?という、ね。その後色々聞いての日本大毛一般論としての結論は、まぁ、なんともなんですが、でも、やっぱり弦の力量は気になるのですよ。 それと、やっぱりこの曲自体ですよね........盛り上がりゃなんでもいいのかね、という。正直口直ししたいな、という気分であったのは事実。「それほど悪くはない演奏」だっただけにね。
2024年09月26日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ヴェルディ:歌劇「アッティラ」 アッティラ:イルダール・アブドラザコフ エツィオ:フランチェスコ・ランドルフィ オダベッラ:アンナ・ピロッツィ フォレスト:フランチェスコ・メーリ ウルディーノ:大槻孝志 レオーネ:水島正樹 東京オペラシンガーズ 東京春祭オーケストラ 指揮:リッカルド・ムーティ 最初に言っちゃうんですけどね。 今回、書くにあたって、ちょっとムーティのウィキとか見たんですけどね。なんというかこうウルトラバイアス掛かってんな、と。日本人ってそんなにムーティ偏愛してるのかね。 で。 元々ムーティはいつの頃からか東京春祭によく出ているようで、今回はその一環で、イタリア・オペラ・アカデミーというもの。要はムーティが歌手を引き連れて、日本人演奏家を育てるみたいなプロジェクト。正直言うと、結構チケット代高いので、敬遠してたんですよね。今回は丁度禁断症状が出たくらいのところに、そこそこのお値段のチケットが残っていたので、つい。 つい?そう、ついつい。 流石にムーティ、かなり気の入った演奏であったと思います。この前の日同じオーチャードで、東フィルの定演でチョン・ミュンフンの振るマクベスを聞いていた訳ですが、マクベスもかなり良かったけれど、確かにこのアッティラは更に良かった。身も蓋もないことを言うなら、これはなかなか聞けないレベル。正直、このレベルを新国立劇場で期待するのはちょっと難しい。まぁ、年8演目で1, 2演目くらいはこれに続くくらいのレベルまで行くこともあるかも知れないけれど、期待するのは酷かな、と。そういうレベルではあったと思います。 実際、オケは、かなり良く出来ていたと思います。これは東フィルと同じくらい。人によってはそれ以上と言うでしょう。実際大きな音は出してはいましたし。合唱も、決していいとは言えない東京オペラシンガーズですが、ムーティがよっぽど叩きまくったんでしょう。相当統制は取れていました。一応ちゃんとイタリア語っぽく聞こえるし。歌唱陣は、メーリが頭一つ抜けた感じで、他は頑張ってはいましたが、まぁ、ソロや重唱くらいだといいとしても、オケの全奏に乗ると正直メーリ以外は馬群に沈むと言ったところ。そういうところでははっきり言って手綱を緩めないのがムーティ。 そう。ムーティは、馬群に沈めるんですよ。これを聞きながら思い出したのですけどね。私、ムーティ、嫌いだったんですよ。そういえば。 さっき書いた通り、ウィキペディアはかなりバイアス掛かってますが、英語版を読むとこれもそこそこあれな感じで、まぁ両方読むとバランス取れるんですかね。で、その辺読んでると、あたかもムーティが20年近くスカラ座でブイブイ言わせてたみたいな書き方になってるんですが、正直言うと、むしろムーティは1990年代半ばまではオペラとしては残念な指揮者と言って良かったのではないかと。その頃はアバドがベルリン・フィルでカラヤンの後で苦闘していて、その間ムーティがやってたのは事実ですが..... その時代というのは、正直言うと、歌手が不作になっていく時代だったんですよね。まぁ、今から見るとそんなこと全然ないと言いたくなりそうですが、まぁ、その前の時代から見ると確かにそういう感じ。で、その頃、2000年より前だったと思いますが、ムーティがスカラ座を振って入れた椿姫の録音が物議を醸したのです。何が問題だったか?平たく言うと、ヴィオレッタのアリア、1幕の花から花へですね、これ、最後に華々しく高らかに高音で歌い上げるのですが、これを「原典にはそう書いてない」とかいって、全く上げさせなかったのですね。これ、スカラ座で椿姫をやろうとすると、「カラスじゃない」「テバルディじゃない」とか言われて紛糾するので半ばタブーになってたのを強行するため、ってことになってるんですが、正直、ムーティってそのずっと前からそもそもいわゆるオペラ的な歌に冷淡、むしろ敵対的ですらあったのですよね。実際、ムーティのオペラは、言ってみれば歌も音楽の一要素としてフラットに捉える、まるで交響曲のようにオペラを捉える、というような言われ方もしましたし、実際そんな風に聞こえていたのも事実。 で、私はそういうムーティのオペラは、まぁはっきり言って嫌いだったんですよね。だから、あまり聞いてなかったのだけど。ただ、この数年はザルツブルクでウィーン・フィルを振るのにぶつかることが多くて、で、そういうところでムーティは、ブルックナーやったり、ヴェルディの詩篇とかシューベルトのミサとか振ってたりするのですが、そういうのだと、確かに「個」の「歌」が正面に出るわけではないので、いいんですよ。むしろ統制の取れた、まぁ、そう言っちゃなんですが、ちょっと全体主義的な統一感というのはあるので、確かにいい。だから、正直、ムーティ嫌いだったの忘れてたんですけどね。一方で、日本では殆ど聞いてないし。 でも、久々にオペラ聞いて、思い出しました。歌手が馬群に沈んでも「沈む方が悪い」と言わんばかりに関せず。で、お客の方は、全体主義的統一感に酔いまくる。なにしろそうやるとオケは迫力が出ますからね。さっきも書いたけど、そういう意味ではなかなか聞けないいい演奏ではあるし。でも、私は、こういうのがいい演奏だと思ってオペラ聞いてるわけではないんだよなぁ。 昔から、ムーティはオペラやらなきゃいいのに、と思ってました。基本的に歌の人じゃないよね、と。交響曲やってりゃいいのに、と。そうね。ウィーン・フィルに何度登壇しても、ウィーンの国立歌劇場で振ってるという話はあまり聞いた記憶がないのだけど、まぁ、皆無ではないのだろうにしても、振らせないのかな。本人は俺が振らないんだ、って言いそうだけど。 皮肉なのは、20年経ってみたら、結局、歌手の時代、歌の時代では、もうないのでしょうね。この日の歌唱陣を見てもなるほどなと思うし、同時に、オペラの演奏は歌手の問題も相俟って、結局、歌手以外の要素に期待されることが多くなってしまった。それは、この日の歌唱陣が、best of bestではないにせよ、それなりのレベルを揃えて尚、というところから見ても認めざるを得ないでしょう。もうちょっと、無茶にしても馬群に沈むものかというところがあって欲しいと思うのだけれども...... ムーティが時代を先取りしたのか、それとも偶々なのか、ま、私はどちらかというとムーティに関係なくそういう時代になってしまったのだと思いますけれどもね。あいつは、ちょっと棒振るの上手いかもしれないけれど、それほどの大物じゃないよ。きっと。 真面目にいうと、これは人間的にあんまり好きじゃないんだけど、たとえばバレンボイムなんかの方が音楽家として、という以上にいわばプロデューサーとして優秀なんじゃないかしら、という気はします。上の世代だと、やっぱりアバドだと思うんですけれどもね。彼がもう10年、いや5年でも、もうちょっと元気にやれてたら、もう少し世の中の評価は違ってたんじゃないかと思うんですけどね。まぁ、日本人は、アバド嫌いで、ムーティ好きだからななぁ。全体主義が好きなのかしらね、やっぱり。
2024年09月24日
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サントリーホール 14:00〜 2階右方 J. ハイドン:交響曲第6番 ニ長調 Hob.I:6 「朝」 ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107 (ノヴァーク版) 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:佐渡裕 これは突然ではなくて、実は前から買ってあったチケット。伝手で安く入手出来るということで、聞きに行ったのでした。いつも安いとこなんですけど、今回は安くてもそんなもんということで、横や裏ではない席。 新日フィルは昔は定期会員やってたのですが、アルミンク不在後の凋落著しく、うちから錦糸町はそこそこ遠いのもあって、定期はやめてしまって、とはいえ時々聞いてはいます。申し訳ないけれど、定期で買ってる東フィルやN響ほどじゃないにしても、在京オケの中ではまだしも....と思っているので。アルミンク時代以来の腐れ縁って言った方がいいかもですかね。 思いの外お客が多い。満席ではないですが。最近の新日はあまり埋まってない印象がある中、健闘してる方でしょう。まぁ、連休中日とはいえ日曜日=休日だし、例によってブルックナーだし(だから(?)お客はおっさんが多い<オマエモナー)、指揮は佐渡裕だし、で、入ったのでしょう。 本題のブルックナーから言うと、まぁ、いい演奏の部類だったと思います。ホールも聞いてる位置もまた違うので一概には言えませんが、面白みで言えばN響の8番よりは面白かったと言えるかも知れないです。こっちのだったら、まぁ、ぶらぼおおおが掛かっても流れとしてはおかしくない。 ただ、ですね。例の、日本のオケは重心が高い話。今回の新日はかなり健闘してました。いつもと違っていい席で、しかもサントリーだから、と言うのはあるかも知れません。ただ、確かに、よくある力み返った演奏はあまり出ていなかった。その点だけでも新日としてはいい出来だと思うし、佐渡裕も良かったのでしょう。ただ....... これ、ブルックナーだから、そういう問題に見えてしまうのかも知れないですが、どうも、弦が弱い。というか、管が、特に金管がアホほど鳴らすんですね。で、そうすると、弦が、特にヴァイオリンやヴィオラが負けてしまう。埋もれちゃうんですね。支え切れなくなっちゃう。 この日の編成は、どうやら16-14-12-10-8だった模様。ブルックナーだろうがなんだろうが、サントリーでこの編成で乗るのなら、不足は無い筈なんですね。でも、金管がアホほど鳴らすので、隠れちゃう。低弦は、それでもまだ頑張ってるんですよ。だから、低弦が足りないのではなく、中高音域が足りないのかと。まぁ、確かに、ここいらはオーケストラの要ですから、そもそもここが弱くてはしょうがないんですが.... どうなのかなぁ。元々こういうものなんだろうか。それとも私の聞き方がおかしいのか。低弦が強過ぎるの?それともやっぱり金管がバカなの?それとも、やっぱり中高域の弦が弱いの?指揮者はどう思ってるんだろう?こういうものなのか、仕方ないからこうなのか、どうなんだろう。よく分からない..... 分からないけれど、ヴァイオリンがまるで金管にやられちゃってたのは事実だと思います。 それで、ちょっと思うところはあるんですけれどもね。 この曲書いてる時にブルックナーはワーグナーの訃報に接したんだそうです。つまり1883年。で、ワーグナー・チューバがこの曲には使われる訳なのですが、今日の演奏でもワーグナー・チューバが4本入ってました。どうでもいいけどこれってトリフォニーホールに飾ってあるやつなのかしら?いや、あれはアイーダ・トランペットだっけ?いや、ワーグナー・チューバもあったような....いやそれは余談でね。 このワーグナー・チューバの響きが、4本もいる割にはモデレートなんですね。上述した金管がアホほど鳴らす、の中では、むしろトランペットやホルンやトロンボーンがうるさかった訳ですが。 ちょっと我々は勘違いしてるんじゃないかな、と、思うんですね。確かに、慣習的に、こういう演奏の仕方になるのかも知れないんですが。ただ、バイロイトでワーグナーが目指した音は、実は結構繊細なものなんじゃないか、と思う時、もう一つ気付くことがあって。つまり、我々の耳は、もう、ストラヴィンスキーを知ってるんですよね。春の祭典なんかの管の咆哮。あれをもう知ってしまっている。いや、春の祭典の責任じゃないんですけど、ただ、あれを知ってしまっているから、ついつい激しい演奏をイメージしてしまうけれども、ひょっとするとワーグナーやブルックナーが考えていたものとはちょっと違う可能性はあるんじゃなかろうか。ブルックナーは基本ウィーン・フィルに当て書きしていたという説はありますが、それの真偽はともかく、実はもっと綺麗な響きを目指していたんじゃなかろうか、ひょっとすると今ほど暴力的な音楽のつもりではなかったのではないかな、とも思うんですよね。 生誕200年だってことで、なんやかやとブルックナーを聞かされている訳ですが、なんかこう爆音万歳ブルックナー、っていうのとは違うのかもな、とね。ま、分かりませんけど。 前半をすっ飛ばしました。ハイドン。爽やかな目覚め、ってな感じでよございました。 佐渡裕曰く「ウィーン・ライン」という考え方だそうで、つまりはウィーンで活躍した作曲家達を中心に据えて、というポリシーなのだそうですが、まぁ、ともあれ、いいんじゃないでしょうか。 面白くはありましたよ。悪くないとも思うし。
2024年09月23日
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オーチャードホール 15:00〜 (9/15) 3階正面 東京オペラシティコンサートホール 19:00〜. (9/19) 2階右側 ヴェルディ:歌劇「マクベス」 マクベス:セバスティアン・カターナ マクベス夫人:ヴィットリア・イェオ バンクォー:アルベルト・ベーゼンドルファー マクダフ:ステファノ・セッコ マルコム:小原啓楼 侍女:但馬由香 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミュンフン こないだの連休は日月とマクベス、アッティラと聞くことになりまして、まぁ、禁断症状は恐ろしい.... それでどうだったか?まずは東フィルから。言ってしまえば、ついつい行けるかどうかわからない木曜日の公演も追加で買ってしまう程度には興味深かったです。ふむ。我ながら引っ掛かる言い方.... マクベスはヴェルディの初期のオペラとしては比較的よく上演される方だと思います。まずは原作がシェークスピアなので、なにしろ知名度の点でも内容的にもアドバンテージがある。実のところ、オペラの台本としてはそれほど素晴らしいとは言えないとは思うんですけどね。ちょっとつぎはぎ感は否めない。それでもあらすじとしての話は知られているというのは強い。加えて、なかなかに聞かせるアリアもある。マクベス夫人の1幕と4幕のアリアはよく知られているし、マクダフのもなかなか。外題役がアリアよりも重唱と演技で魅せる役なのも奥行きを出している。 国内でも藤原が以前出したことがあった筈。新国はどうだったろう?やったことある気がするのだけれど。海外でも去年ザルツブルクで見たし、そんなに一生懸命追っ掛けてなくても機会はあると思います。 今回は東フィルの定期。最近恒例になってきたチョン・ミュンフンの演奏会型式オペラシリーズ。くどいようだが個人的にはバッティストーニでも聞きたいんですけれどね。定期演奏会で二人に1シーズンでオペラやらせるのは無理なんでしょうけれど.....カルミナ・ブラーナもいいんだけどさ...... この間、この前日に聞いたN響の話で、日本のオケは軽い、重心が高いよ、というような話をしたのですが、じゃぁこれはどうだったか。かなり良かったと思います。これ、何がどう効いてるのか、難しいですね。東フィルがいい、ということなのか。NHKホールの傍の方とオーチャードホールの正面との場所の差なのか。ホール自体の差もあるのか。ファビオ・ルイージとチョン・ミュンフンの差....はあるような気はしないというかむしろ逆でも驚かないけれど........ただ、そもそもヴェルディの音楽が、ブルックナーなんかに比べれば、与し易いというか仮に重心が軽くても気にならない、目立たない音楽だということはあるやもしれず。まぁ、その程度でオケとしての重心の高さは誤魔化し効かない気はしますが。ただ、マクベスでコントラバスが確か6本、5本だったかも知れないけれど、これは相対的には厚いと思います。 それと、かなりチョン・ミュンフンが練ってきたろうなというのは感じます。少なくとも今回の合唱は何を歌ってるのかは分かる程度にはちゃんと発声していた。オケも、ある程度大き目の編成であったにせよ、力みかえる事もなく、確りした演奏で通せたのは、やはり練れていたのだろうと思います。この辺は最近のチョン・ミュンフンの回は概ねこうなってますね。あと、この時期のヴェルディの曲としては、粘りのある響きであったなと。これ、前に書いた「重心が高い」というのとも関連すると思いますが、そんなに響きで勝負するような曲ではないにせよ、よく響かせてすっぽ抜けない演奏だったなと。これはかなり意外ではありました。そういう意味ではやはりオーチャードの方が響きは良かったなと思います。オペラシティは、容積はあるにせよ、拡がりというのにどうしても欠く部分はありますのでね。 歌唱陣ですが、まぁ.....悪くはなかったと思います。マクベス夫人の1幕のアリアは、これは出るなりの長大なものなので苦しいのが当たり前として、その後は皆そこそこ頑張りながら、最後まで目立って失速する事もなく歌い切ってました。オペラシティの方は途中からだったので分からない部分はありますが、これもやっぱりオーチャードの方が容赦は無いにせよホールとしてはいいんじゃないかなぁ。 ただ、これはもう仕方ないのだけれども、歌唱陣は総じて悪くないけれど、やはり圧倒的というわけにはいかない。マクベス夫人、マクダフ、マクベス、このへんは力のある人が歌うと面白いのだけれど、聞いていて圧倒される、という感じではなかった。まぁ、今時難しいのでね、仕方ないんだけれども。 合唱は最近聞いた中ではいい方だったのではないかと。何歌ってるか一応分かりましたのでね。 評価としては、オケが良かったな、ということになるのでしょうか。敢えて申さば。それと、そこまで練った指揮者と。実のところオーチャードで翌日聞いたアッティラがあったので、そこで当初の印象から変わってる部分はなくもないのですが、ね。
2024年09月21日
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NHKホール 18:00〜 3階右側 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 (初稿) NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ 盆休みに欧州行ってから、なんだかんだで1ヶ月近く聞きに行ってませんでした。その反動で今週末は通いまくりとなっております。今日も久々にダブルヘッダーなど。なのですが、その2本目から。 元々は1本目の東響を買ってから、夜も空いてるな、と思って調べたら、N響のシーズン開幕だったので、じゃぁと思って買って見たのでした。直前だったので端の方の席。ブルックナーの8番ねぇ....この間生誕200年とかって日本のオケもはしゃいでたみたいだけどな、と思って行ってみたら、生誕200年記念なんだとか。あ、まだはしゃいでるのね.... 結論から言ってしまうと、まぁ、いいんじゃないでしょうか。いい演奏だったと言っていいんだと思います。ただ、なぁ........... なんというか、日本のオケって......軽いんですよね。いや、N響に限らず、この前に聞いた東響も、多分明日以降聞くのも。軽いっていうか、重心が高いというか、地に足が付いてないというか、そういう音。あるいは、日本のオケが、じゃなくて、日本で聞くと、なのかも知れないけれど。 この夏はザルツブルクでネルソンスがウィーン・フィルでマーラーの9番を振ったのと、指揮者コンクールで勝った韓国だかの若手指揮者がORFでチャイコフスキーの悲愴とか振ったのを聞きました。あとバイロイトも。他にもあるにはあるけど。で、思うんですけど、皆、音が重いんですよ。重いというか、重心が低い、地に足が付いてる感じ。土の匂いがする、みたいなことまで言うとちょっと違う気はするけれど、でもそんなことを言いたくなるような。本当にね、祝祭劇場とかのホールの舞台の上で演奏しているのだけれど、なんかこう野っ原の地面の上で演奏してる、みたいな、安定感みたいなものがあるんですよね。 今日のN響を聞いていて思うのは、不足も勿論あるけれど、確かにいい演奏ではある。で、なにしろNHKホールだし、こっちも相当悪い席で聞いているというのもある。あるけれど、でも、なんか安定感がないんですよ。音程とかがふらついてるとかそういうことではないです。音、響きが、なんかこう......上滑りしてる、とまでは言わないけれど、ふわふわしてるというか、そんな感じ。うん。重心が高いんです。根無草、って言いたくなるような。 いや、そんな酷いわけではなかったんですよ。本当に。それなりにいい演奏だと思う。勿論、細かいところはいろいろ言おうと思えば言えますけどね。例えば、皆入り方が不用意な気がするとか。最終楽章の弦とか、第2・3楽章の管の入りとか、なんかこう不用意に入っちゃう感じはあったりする。あと、確かに弦は弱かったと思う。ただ、そういうことではないような気はするんですよね。あるいはそうしたことの積み重ねなのかも知れないけれど... これ、今日に限らず、そういえばそうだな、という感じなんですよね。前からなんか物足りないなぁ、と思っていたのだけれど、改めて向こうで聞いての日本、というところで、あ、と思ってしまった。 普通に聞いてればいい演奏なのだとは思います。ただ、今日は気付いてしまったのでね。 ただ、悪くない演奏だとは思うけれど.........お客は騒いでたけれど、あれは、感動的な演奏になる筈だから感動しようと思って感動してる感が強かったような.........それこそ演奏が鳴り終わるや否や拍手が始まり、それを止めようとしたり......で、一定時間経って拍手喝采ぶらぼおおおの嵐......これ、予定調和ですよね.......... ブルックナー生誕200年を寿ぐN響のブル8!みたいな思い出になるんですかね、皆様。でも、さぁ。N響としていい演奏の部類だとは思うけれど、個人的に冷めてるのを別にしても、そこまで凄い演奏なのかしらね、これ。むしろ冷静な演奏ではあったと思うんですよ。それって、凄いというのとはちょっと違うような。正直ぶらぼおおおをかなり虚しく聞いてました。恐らくそういうのとはかなり違う種類の演奏だったと思うのだけど。ま、ぶらぼおおお掛けてたような人達は私なんぞよりよっぽどブルックナーのこともこの曲のこともよくご存知なのだと思うので(嫌味でなくね)、私のようにすんとした感想しか持たない方がちょっとズレてるんでしょうけれども。
2024年09月14日
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浜松アクトシティー 中ホール 16:00〜 2階右側 リスト: 「詩的で宗教的な調べ」S.173から 葬送曲 ショパン:マズルカ 嬰へ短調 op.6-1 / ハ長調 op.24-2 / 嬰ハ短調 op.50-3 / イ短調 op.68-2 / ハ長調 op.56-2 / 嬰ハ短調 op.63-3 ポロネーズ第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 24の前奏曲 op.28 〜 第23番 へ長調 / 第22番 ト短調 / 第18番 へ短調 第13番 嬰へ長調 / 第10番 嬰ハ短調 / 第2番 イ短調 スクリャービン: ピアノ・ソナタ第9番「黒ミサ」 ベートーヴェン: エロイカの主題による変奏曲とフーガ op.35 <アンコール> スクリャービン:練習曲 op.42-6 / op.42-5 / op.8-12 「悲愴」 ピアノ:アレクサンダー・ガジェヴ この週の後半は仕事があって西の方へ。で、そのまま週末をうろうろしながら東の方へ向かっていたのでした。土曜日は浜松でこれを聞いて帰ったのでした。だから、これを目当てに遠征したというよりは、帰り道道草して聞けるものを探したらこれがあったというわけ。 経緯はそれとして、これを選んだのは、一つは浜松という立地で、楽器博物館も行けるなと思ったのと、勿論演奏者。ガジェヴはこの前の週にN響で聞いていて、まぁ悪くないなと思ったので。一応浜松国際で勝ってのこの演奏会なので、言ってみれば凱旋コンサートですしね。 開始前に、何やらこう能書きが。簡単に言うと、コンサートを落ち着いた環境で集中して聞いて欲しいということで、1分間の瞑想を求められまして.......で、一曲目のリストの葬送曲というわけ。うん。まぁ、わからないわけではないけれど、ね....... この間も書いたのだけれど、2021年のショパンコンクールに出てたくらいだから、まだ若いんですよね。演目も、スクリャービンが結構入っていたりしますし。演奏も、ちょっとエキセントリックな感じではあります。まぁ、簡単に言ってしまうと、ちょっと厨二病入ってる感じ(苦笑) まぁ、わかりますよ。年齢的にもね。それも芸の肥やしって奴でしょうかね。 実は、この間欧州に行ってきた時、飛行機の機内でショパンコンクールのドキュメンタリーを映画にしたものがありまして。この2021年のものなのですが。因みに反田クンだの愛実ちゃんだのの日本人は密着取材されてません。で、これ見て、ガジェヴに関してはなんとなく納得した感じはあります。ちょっとパリピ入った感じも含めて、こう、一杯一杯で乗り切って2位を掴んだというような。いや、皆ある意味ギリギリなんですよね、そういう場に置いてみれば。それから2, 3年経ったわけですが、言うたらまぁまだ若い若い。そして、一般のフィーバー振りとは裏腹に、ピアニストは歳取ってからが長い。息が長いとも言えるわけですが。 見方を変えれば、ピアニストのリサイタルの楽しみは、まぁ、これは歌手もなのだけれど、その時その時のその人の有り様をも見る、聞く、というところにもあると思います。ポゴレリッチなんかの変わりよう、ある意味変わってないとも言えますが、ああいうのは極端としても、今何を弾くのか、というのも見るべきところではあります。 この日のガジェヴのプログラムは、前半はリストからショパンのマズルカ、英雄ポロネーズ。後半は同じくショパンの前奏曲からスクリャービン、最後にベートーヴェンのエロイカ変奏曲。ショパンコンクールの人、という割には、面白いプログラムだと思います。いや、らしいと言えばらしいのですけれど。でも、ショパンを売りにする人だとしたら、マズルカと前奏曲、っていうのは、渋いというか「らしくない」気がします。勿論、英雄ポロネーズがありますからね。華やかではあるけれど、実際聞いていての感じでは、むしろマズルカと前奏曲の印象が強かった。それにスクリャービンという選択。でも、聞いたところで言うと、むしろ、エロイカ変奏曲が面白かったかなと。一言で言うと確かに全般にエキセントリックな感じの演奏ではあったけれど、それを受け止めてあまりあるプログラムだったと思います。そういう意味ではバランスのいいプログラムであったのかな。 まぁ、これからに期待、というところだと思います。ただ、達者な演奏をする人ではあるので、実際これも面白くはあったし、これからが楽しみと言っていいのでしょうね。 浜松の楽器博物館。実は入ったのは初めてでしたが、なかなか充実していて面白かった。ヤマハとカワイの街なので、鍵盤楽器がやはり頭抜けて充実していましたが、他も含めて結構見応えがありました。ガムランのセットがあって壮観だったのだけれど、あれも地域によって違うのですね。こういうの丁寧に調べ始めると多分沼なんだろうなぁ....
2024年09月01日
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