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子どもたちと接する中で、どういう風に学ぶことで頭が鍛えられていくのか、そういう部分を今年は特に意識しています。 勉強時間を沢山捻出して、丁寧に学んでいるつもりでも、ある一定のラインから上に上がることが難しいことが、子どもたちには往々にしてある。 そういう子に足りない一つの要素として、「学ぶことを、考える」があると考えています。 自分の脳みそを鍛えながら学習を進めないことには、年齢の積み上げと同じスピードで、学習用量を広げることができません。 だからこそ、まず学びの態勢を、その段階で、一番いい状態に置いておくことが、大事になります。 とはいえ何をすればその状態になっていくのか、そこが問題なのです。 学習の最高形は、小学校低学年の時のような、一生懸命に学校の授業を聞いて、先生の言うことに一々興味を示して、食らいついてみる。 低学年の時期の学校のテストは、大抵みな結果が良かった記憶があるのではないでしょうか。根本はここにあります。 そして年齢を上げていくに従って、よく言われる「要領」を良くしていきます。 ここでいう「要領」は、センス的な意味の要領ではなく、「器量」というイメージです。 ここから先の手法は、環境によって(塾にも色々な形態・考え方があります。)異なってきますので、書きませんが、かなりざっくりといえば、・時間に対する効果の把握・INPUT時のもののとらえ方・OUTPUT時の全体把握といったものがあります。 生徒たちには自然に伝えているようなもので、上のような子どもには難しい言い方はしていません。 「学ぶことを、考える」 簡単そうで簡単ではない、時間をかけるだけで身につくのではなく、時間をかける中で身につけようとする考え方です。 時間講師たちにも、こういうものの考え方を納得させ、自分の思考の一部になるよう、落とし込んでいきます。 では、また書く機会があれば! ここに
2012.04.27
気づけば3/10から更新がストップ。毎日足を運んでくださっている方には申し訳ない限りです。 この3・4月、色々な人が色々な形で色々な方向に歩みを始めた。 まずは第4期卒塾生たちの高校生活のスタート。卒塾後も勉強に遊びに、4期生が顔を出さない日はないくらい。特に最寄りの高校に通う生徒は、毎日のように自学をしにやってくる。 小さいことからでも、中学校時代とは違う動きを起こすことが、高校生としての意識を生み出し、行動へと変えていく。 卒塾式に見た沢山の涙(講師12人は全員涙する)は、寂しさというよりは自覚を促され、心にそれを留めておこうとするための反射的行動。 はたまた塾仲間の皆さんの中でも動きを起こされる方がいらっしゃった。新教室の開校(おおっ明日誕生日じゃなかったっけ???)、新しい環境への移行。 こういう方々を見ていると、自分の思考や行動が小さく見えてくる。でも傍から見たら小さなことでも、自分の中で悩んで決めた動きは、必ず価値を見出す。 プラスの価値でもマイナスの価値でも見えることが何より大事。 どうしても保守に回りやすい自分の性格を、良い部分とそうでない部分に場合分けして、それらを価値に変えていく。 ウィルは塾長を筆頭として、正職員3名と24名の時間講師で構成される組織。2011年は、この組織という概念・観点に色々な感覚を持った。次はここ「感覚」を「感触」「ウィルの定義」に変えていかねばならない。 変えるためには、それにベクトルを完全にそろえた歩み方をせねばいけない。そして、それを昇華させ、次元の違う新たな誘因物質を作り出さねばいけない。 毎日の業務だけをしているんだったら、外から見たときにほかの塾とさして変わりのない場所になってしまう。当然他所とうちは違うんだけど、うちに来た時に、人の動きや言葉に「確かに違う、そして価値がある」と切に感じてもらう必要がある。 そのためには、もっといろんなリンクする事項を感じ取りながら、日々行動することが必須になる。 難しいんすけどね(苦笑) でも、僕のこのモチベーションの一つの要因になることがあって、そこに助けられているところも大きいかな。まあそのことについては後日にでも書きます。時間講師の話です。 では今日はひとまず失礼します!
2012.04.13
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