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今日は、あるヨガ団体の勉強会だった。ここに行くのは、勉強はとてもいいけど、来る人たちの「飢え」を感じてしんどいなぁと感じるようになっていた。自己アピールばっかりの人や嫉妬にやられている人対抗意識の人誰だってあるけど、それはねぇ、自分でよく感じて、観て自分で解放していくのがヨガってもんだからそういう人たちを観るのがつらかったのだ。そして、今日も勉強会だったわけだけれど、またかなぁ、またそういうの観るのかなぁと思うと、結構行くのが嫌でブルーになるようになっていた数年・・・・・・・・・でも、勉強自体はしたいしよっしゃー と思って(いいや・・・それほど強気にはなれてなかったかな)行ってきた。作り笑いの、強いふりした人がいたそれが、痛かった・・・・・もう一人は、以前からわけわからんことを言って近づいてくる人的がはずれているのでどー答えたらえーんやと思う。ウザ・・・・と思いながらもそれをよく自分で客観的にわかっているので、これが受け容れられてしまう私・・・しかも、ウザいのに困っているようだったことには、真剣にアドバイスしてしまう私・・・・・・仕事はどうなのかヨガはどんなところで教えているのかどれくらいやっているのか等々、ガンガン聞いてくるこの人、そんなに深い知り合いじゃないのになぁ結婚したのかいつしたのかとかいつの話やねん私の爪が、つけ爪なのかどうなのかそれはどうしているのかとか休憩時間の度に、聞きに来られた「綺麗な爪ね~、家事してないんじゃないの~?」てめー、お前がシワシワの顔で手もシワシワで爪もゴワゴワだからって言ってもそれが家事をしている証拠だとでもアピールすんなよ!?ジェルネイルしてるからこそ、わたしゃ、ガンガン自由に作業できるんだよー
April 6, 2011
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うぉ~!!!!うれし~!!!ずっと気になっていた人がいる。何年か前に、ブログ仲間でお友達になってくださったmikijaん。mikijaんのブログはとても人気でめちゃめちゃ面白かった。関西人の私も笑える憩いの場だったし、すごい目線が楽しくて、可笑しくて。ネットの世界はいろいろありますゆえmikijaんは、スパッと沈黙することにしたのでした。私は、淋しくなったけど、ずっと覚えていたしほんとうに、普段の中でmikijaん元気かなぁと 思い出す事が多かった。その気持ちが高まって、このブログにもきっと時々見てくれていないかなぁーなんて思って、mikijaんに、呼びかけた事もあった。そんなmikijaんが、またこの世界で再会できた!!!すごい嬉しい!!!めっさ嬉しい!!!私が小学生の時に好きだった男の子が高校になったら、PKというニックネームになっていた事を聞いて微妙だった話も覚えていてくれた。このPKとは実は・・・・・実は・・・パンツの食い込み の略だったのです・・・・・・スキだった子が、パンツの食い込み をPKと称されて呼ばれるようになっていようとは・・・・・・・という話だったのですが今のブログは、コメントとかできるのかどうかわからなかったから、とりあえず、ここで嬉しかった事お礼を書き込みました~
April 4, 2011
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また1つのチャレンジをしてみなさんのおかげさまをもってうまくいきました。1つ、チャレンジしていくとそのような雰囲気、波長に移行していく。そうすると、そこにのらない人はその場にはいにくくなる。また、こうして人が増え、チャレンジするとそれなりにまた人が減る。そしてまた、その波長に合う人はまた集ってこられる。そういう事なのだけれど、そんな事のたびたびに来る人、さる人と接すると来る人というのは、人間嬉しいけれどさる人が出てくるとわかってはいても、ハッピーではいにくくなったりする。自分をちょっとふりかえったり、自己嫌悪になったりもしつつ、でも、やむをえないのだと知りつつ。また、落ち着いて次になじんでいくのに少し時間もかかるけれど耐えよう。ふぅ~
October 13, 2010
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昨日、久しぶりに書き込んで毒づく場があった方がバランスとれるわぁなんて事を言ってた矢先に、びっくりする出来事があった。本当に青天の霹靂って感じだった。私は、ヨガの指導もしていて、ヨガの協会のいくつかにも所属しているが生徒さんの一人が協会に直接、ある事についてのクレームをメールで送ったらしい。私とのコミュニケーションはうまくいっていて教室の日も、ごきげんさんだったのですが、その日に、協会に対してのクレームを直接メールしたらしい。その内容については、協会に落ち度はないのだけれど、謝罪、訂正、文書での回答を頂きたいみたいにエスカレートしていっていたらしく・・・・・びっくりしてしまった・・・・・・なぜ??????というのがわからない。その人の言われている気持ちは、充分に理解できます。多分、ものすごく理解しています。しかし、その行動にまで出るという事についてが理解できない。私に聞いてみてくれて良いことで、何かあれば、私に言うべきこと。質問にしても何にしても、直接人の目をみてできにくいという事はあるかもしれないが、そこまでの気持ちがあるなら、言うほうも、それなりの覚悟で人と対するべきではないかと思う私にとっては、見えない向こうに対して正義を主張することにもそれについてはどうも解せないところがあり、私の中でスッキリはしていない。なんでやねん・・・・・・自分が正しいと思っている事は 正義なのだ。それを主張する事は、とても正義に思えるものだ。でも、こころのヨガ的に言うと反応している事柄には、自分なりの反応の原因がある・・・・・・それについては観ないまま外に向けて原因をつきとめようとする感じが既に私には違和感はなはだしいので、ちゃうやん・・・・もっともな事でもそれだけやないやん・・・・という部分が観えてしまい、それが観えていても、観えていないがごとく対応しなければならないことに、個人的には、すごーく便秘な感じがしている・・・・・・・・・なんでやねん!!!
July 15, 2010
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久しぶりだなぁ・・・このブログの使い方も、慣れなくなっているくらい久しぶりだ。別の公式HPやブログを普段は運営しているので、この秘密のお部屋に最近書き込む事が少なかった。セラピーと指導の仕事がメインとなって、その重さも随分と重い責任、重いポジションを頂くと自分はチャレンジが続き、成長していく。その反面、時々、毒づきたくなるこの秘密のお部屋はそんなために確保したもののあまり毒づいたり、ガンガン独り言を言ったりしてこなかったので、活用したら、バランスも良くていつもハッピーかも。どうして毒づきたくなるのかと言えば、自分のわかっている事を、そのまま出せるならなんてことないけれど、「なんでやねん!!!」と私は個人的には思うぞって事はしばしばあるし、特に最近、甘えた人が多いからなのかもしれない。私も甘えた人間だと思う。でも、それが全てではない。かなり、チャレンジしたり、受け容れたり、自分を引かせたり、人を優先させたり、自己責任、そして、努力も日々惜しまない。セラピーをする、指導をするとなると、甘えていては成らない。だからこそ、どこかで甘えていたりもするけれど、思わずオッサンになって「甘いんじゃー!!」と内心 グーでなぐったろか くらいの人の話を聞くとエネルギーが変化していくようで、こっちまでダルくなったり、悲しくなったりしそうな時がしばしばになってきた。きっと、そんな人が増えているのかそんな人たちがどこでも救われなくなって(まぁ、そんな人に隣の誰かが手を差し伸べ続けるほど世の中のこころの余裕がなくなったんだろうなぁ・・・)そして、私のようなところに来られるのかもしれません。そんな人にこそ、手を差し伸べられないだろうかそれが私の思いが・しかしそれを続けるのは、そこで起こるモヤモヤなんでやねん周り見えてへんだけやんええかげんにせぇなんて思いも確かにあるので、それにひっかかっていたら、次の仕事がしにくいし、自分がダメになるわけですからね、痛快、明快に迷惑かからないところで毒づいて「よしよし、吐き出したかい?」って事で、次回にはまたハッピーに接した方がうんと健康的なのだ。最近の なんでやねんをまた書いてみよう。このブログのタイトル「なんでやねん!」に変えてやろうかしら
July 14, 2010
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二足のわらじでがんばってきた仕事。今月末で終了。セラピーひとつで行くことにした。普通仕事も、そんなペースも、大好きな私にとっては自分が変化にどのようになじむのかが、少し心配。今日は、本当に本当に久しぶりに 一日なにも予定のない休日。こんな休日、一人で過ごせる休日はどれくらい久しぶりだったかと、今日あらためて思った。私からするとマックスの日々だったので(と周りはわかっていたらしい)数ヶ月は、ペースを自分のリズムに戻すことに専念することと周りからアドヴァイスされている。数ヶ月は、新しい仕事を入れないで、教室やセラピーの今までのものはやって、新しい仕事は入れないことって。そして、チャージしたらその時に新しく観えた、クリアな視界に入ってきた事をやりはじめたらと。さて、予行練習のような今日の一日の休日さえ、少し、居心地良いような、悪いようななので、自分で可笑しくなりました。これからは、叶姉妹のように(???)一日に何度もブログを更新したりもしてみようかな。
May 20, 2009
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ずっと二足のわらじでやってきた。バランス感覚を持ち続けるために。もう崩れない。そして、もう今まで保ってきたバランスでなくても、良い感じこれからは、いろんな事で、人様のお役にたてるように企画していこうと思う。そして、実は私が一番、みなさんに助けて頂いている。
May 7, 2009
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いろんな人をはげまして暮らしている。はげますのが私の使命だと思うくらい、はげます事に昔から長じていたように思う。父も母もそうだ。むやみやたらに励まされたとき、元気になるどころかヘコむ事があるのを経験する人も多いかもしれない。それは、その人を励ましたことにはならないのだと思う。時には一緒に泣くだけが一番の励ましになることもあるし、相手が泣いていても、笑いとばすのが一番のはげましの事もあるし、時には、「いい加減にしなさいよ!」と一喝することかもしれないし、時には、良い部分をほめることかもしれないし、時には、ほんとうにマイナスな部分を指摘することなのかもしれない。ただ、なくてはならないことは、優位なこころの状態ではできぬことであり、その存在に対しての愛がないとできぬことだという事かもしれない。私は、それにかなわぬときには、わざわざ何かをすることはない。なかには、はげまされるために、ほめられるために働きかけてくる人もいる。適おう、適おうとばかりする人がいる。例えば、ヨーガの教室でも、自分を感じ取らずに、どうしたら合格点がとれるのかばかりに気をとられている人もいる。ヨーガにとって、それは一番合格点に遠い状態。何かの時に、自分をよく感じてね と言うと瞬間的に、「こう?」「それともこう?」と反応的に瞬間的にすごいスピードで状態を変えていかれる人。自分を感じられていないわけだ・・・・・・適おうとされているわけだ・・・・・・何にだと言うのだろう?ヨーガは、真の自己に向う方向のものだが、外の何ものかに外の何かの状態かに向おうと必死なのだ。誰かにOK出されなければ自分の存在が危ぶまれるような誤解が我々のこころには存在するからだ。かといって、私さえよければいいのよ的な自己中心とも違うわけで。時々、あまりに自分を無視して適おうとされている時に「ちょっと違う方向ではないですか?」というような意味のお声がけをするとする。「こうですよね?」 わかっていますよと言いたげなのだ。わかっていないから方向性を指摘されていても、自分はそれをわかっていると主張する。そうではなくて と言うと、「そうですよね?」と即座に答える。さきほどと反対の事を、瞬時に わかっていると答える。体の状態の事など言っていないのに、体をあちこち動かして、こうですか?ああですか?と瞬時にどんどん変える。体の事ではありませんと言うと、そうですよね? と、それもわかっていると言ってしまい、呼吸は乱れ、自分を失くす。「私、できてますか?」とよく聞く。何に対してだろう?だからこそ、多分・・・・・・・・・できていないんだと思う・・・・・・・・いつまでたっても励ませない・・・・・・・・・励ませないのは、適おうとしすぎているからなのだ。そういう人の要求は、ほめられること。適おうとしすぎる こころと行為をやめてみることを、その方向に励まそうとしているから、要求に応えること自体が反対に向かせる事になったりする。ときどき、私もチラリと反応してしまう。何度言っても、いくらたっても、適おうとしている。自分の今を感じ取ってほしいけれど、なかなか難しいのだ。わからない と発見できれば、それはもう わかったの扉・・・・・わからないという事を全く受け入れられない こころは、わかる という事だけを わかった事だと思いこんで、それゆえに、適おう適おうとして、どこまでも適わない。時々、うんざりする。自分の中の、同様の こころを投影するのだ。素直が一番なのだ。
January 30, 2009
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自分の公式のブログや、ホームページを検索すると、ここも出るようになってきた。ここは、結構プライベートで、セラピストや先生やっていると、自分の未熟さや、人間のバランスとして、ぶっちゃけたい事や、なぜー?みたいな事も起こること、そんな事を書くこともできる場としてあるので、秘密にしておくことにしたなので、ニックネームを変更しておいた。
December 23, 2008
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今年も、アバヤの各ヨーガクラスでクリスマス会をする。それぞれのクラスで自主的に幹事を申し出て下さったりしていて、嬉しい。今年は、去年よりプラスもう一つクリスマス会ができることとなった。各クラスの交流クリスマス会。各クラスの中でも、勉強熱心な方や、勉強会に参加されたり、積極的にヨーガに関られる方々が、年末には一緒にクリスマス会で、また会いたいとおっしゃってくださって、アバヤんズ組なんて言っている人もいれば、アバヤ組と言っている人もいれば、私の学園名で呼んでくださる方もいらっしゃいますが、とても楽しみしてくださっていて、アバヤは、みなさんの熱気に ついていってます一般的なヨーガ・クラスを運営していくことって大事です。でも、アバヤは本当は、ディープです。お昼の休みに、半分の時間を瞑想にあてたりできるとき、あぁぁぁぁぁ、しあわせだと思えたりする。聖典や哲学の勉強をしていると、ホッとしたりする。もちろん、勉強だけというのはヨーガではないので、頭の中でというわけではなく、智慧となるための勉強だけれど。アバヤは公式のブログもあるけれど、そこでは、あまりディープな話題はさけている。ディープ クラス実現に向けて、計画している。それは、私にとってもエネルギーの湧き出す事になるだろう。超少人数で と考えている。来年になったら、よき時期にスタートしよう。
December 5, 2008
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ヨーガに来ている生徒さん、以前はとっても大変だった。パニック発作やウツで、家から出られなくなっていた人。その人のお姉さんが、以前の私のヨガの生徒さんだったため、先生ならと思ってくださったらしく、うちに来てくれた。どんどん自分を取り戻すスピードは、私が驚いた。ヨーガとヨーガカウンセリングとフラワーレメディでこころのヨーガで徹底セラピー・ヨーガ。こんなにめざましく良くなっていく・・・確かに、自信はあったけれど、そうして事実として、目に見えてよくなられると、嬉しく、更に私の勇気が出たものだった。良くなってくると、こころにも余裕が出てくる。その生徒さんが言い始めたのは、「先生、姉の方が心配です・・・」自分のために一所懸命助けてくれたおねえさんだったけれど、今は、自分の事は余裕が出てきた。ほんとうに大変なのは姉なんじゃないかお話を聞いて、確かに、うちに来ている生徒さんは私が注視したりカウンセリングをしたりを続けてさしあげられるけれど、お姉さんに手をさしのべられる人が誰もいなかった。彼女は、誰にも言わずにふんばっていたからだった・・・生徒さんは、先生のところにつなぎたい・・・・・とよく言うようになった。いつでもどうぞとおねえちゃんに伝えてね。でもね・・・おねえちゃんがよし!と思わないと、きっと来れないのよ?そういうものなの・・・・・・私たちは、思っていようね。私のところでなくてもいい、きっとおねえちゃんが、楽になっていくことを。そして、もしも私のところに来るようになったら、いいなっていつでも、二人で手を広げて待っていようね。どんなにこころが悲鳴をあげているのか・・・私には理解できたけれど、乗り出していけるわけもなく、私は信じ続けた。彼女のこころの奥で、彼女自身の真理が彼女を導くことを。でも、いつも妹は、お姉ちゃんと接して、時々私にお話してくれて気にかけていた。昨日、妹のレメディカウンセリングをする事になっていた。私はふと言った。「家に来る?」まだ、片付いてもいない家に?なのだけれど、私はそう言った。しかし、それが功を奏した。姉はその日の朝、号泣しながら妹の家を訪ねたそうだ。こんなおねえちゃん、よほどの事だと思ったそうだ。身体の不調もあって、勇気をふりしぼらないと休めない会社を休んで病院に行ったそうだ。ヨーガに行くから、病院から帰ったら家にいてねと言って出てきた彼女は、今からカウンセリングしてもらうから、もう少し待っていてねと電話をしたそうだ。その時には、うなづいただけの姉だった。先生の家に行くことになったから、少し遅くなるから待っててねと電話をしなおすと「私も行きたい!先生とこに私も行きたい!行ってはダメ?」と自分から言ったそうだ。妹は即座に答えた。「いいよ!おいでよ! 先生は絶対においでって行ってくれるはずだから!」そして、私に話してくれた。でかした!とうとうとりあえず自分から話そうと思えたのかな?と二人で喜んだ。自分を見つめる訓練をしている妹のカウンセリングは、少しの時間で終った。そして、姉の話を聞こうとした。何も出てこなかった。「話してみる?」 「・・・・・」「いいんだよ、話しても、話さなくても」「一つだけ言ってあげたいことがあるの・・・・・・人の人生を背負ってはいけないの。人間はサポートしあうけれど、背負うというこころはいけないの」その途端、彼女は無言で号泣しはじめた。声を出さずに泣く・・・・・・私もそうだった・・・・・その理由も気持ちもわかる。そして、とりあえず、話し始め、ひととおり話はじめた。一つの結果しか自分に与えてこなかった彼女に、選択肢はあるという事を伝えた。努力にも、自分をないがしろにする努力と、自分を活かす努力があることも伝えた。彼女の顔は、少し輝き始めていた。今日は、これで充分だ・・・・・何もいらない・・・・・。私は、料金をとらずに、今日はお帰り♪と帰した。私はセラピスト料金は発生する。でもその前に、一度、人として彼女と誠意で接しようとしたのだと思う。彼女が、どうつながってくるのかはわからないし、直接つながらないのかもしれない。でも、扉の鍵は開いた。彼女と私の間に、いつでも入れる扉ができたこと、それが何より大きい一歩になった。
October 28, 2008
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先日、久しぶりにヘコんだ。プチヘコミはそれなりにあるけれど、ちょっと一日と半分、ヘコみ続けた。こころのヨーガをやっているゆえ、みつめていったけれど、一体、自分のこころは何にひっかかっていのか、ハッキリわからないまま、時間を過ごしていった。せっかくの時間が、無意味に過ぎていくようで、それも嫌だし、かといって、切り替えることもできなくて、久しぶりに、ちょっと苦しかった。物事を重くうけとめすぎたのかもしれない。たった一つの事で、大事になるわけではないのに。あらためればよいことなのに、これで何もかも終わりのような反応をしたのかもしれない。昔と変わったところは、こころの反応に、表面まで影響されなくなっている事だ。やらなければならない事はやる。こころの反応は、それはそれで切り離して見詰め続ける。それができるのはヨーガのたまものだとも思う。もう少し、観てみよう。まだ、少し、釈然としていないから。
October 13, 2008
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引越しをした。忙しい私は、引越しに集中する時間がなかった。二ヶ月間重複させて、少しずつ移動させた。いならないものは捨てて移りたかったけれど、そんな時間はなかったので、とりあえず、「いらない」と目に付いたものは捨てたけれど、それ以外は、とりあえず移動させた。資料や本などなどで、こんなに自分の荷物が増えているとは思わなかった。ヨーガ、アーユルヴェーダ、各種セラピー、カウンセリング、バッチフラワー、ホリスティックな療法、心理等々の資料や本が増えて、運んでみると、こんな量がどうやって片付けてあったんだろうと思えた昨日は休みだったので、昨日のうちに殆どのめどをつけようと思っていた。でも、仕事、ヨーガ、セラピー、カウンセリング等の時間があいたら引越し仕事や用事をしていたので、あまり自分を休められていない状態できている私は、午前中に片付けてしまおうという計画を、その日になるとすぐに「それは無理・・・」と計画変更した。午後まで休んでからだと計画を練り直して、夕方からとりかかった。今までお世話になった部屋に、感謝しながら様々思い起こしながら、ベランダや窓や床も拭いた。そこまでしなくて良いのかもしれないけれど、それは私の気持ちだった。ある意味、大きな 人生の転換をいくつもここでしてきたので、しみじみする。なーんにもなくなった所で寝てみた。今まで見慣れていた天井が目に入る。嬉しいさをかみしめながら観た天井の景色涙で歪みながら観た天井の景色考えて考えて葛藤して観た天井の景色熱を出しながら観た天井の景色休息に観た天井の景色ムカムカしながら観た天井の景色なんでもない天井のライトの文字も、そんな景色の一つだったなぁとなんとなく思った。今はまだ、この景色の方が馴染んでいて落ち着くのかもしれないなぁと思いつつも、こころの反応を聴きとっていた。そこには不自由さもあった事をハッキリと客観的に見つけだした。様々な事に「これでいいんだ」「これでいいんだ」と良い意味ではない部分で、自分の本当の声を聴かないようにしていた感触、ジリジリとしたような焦燥感、これがそうではないんだという自分の本当の思いとの違和感そんなものも確かにあったんだという事をハッキリと感じ取った。だから、良いんだなだから、もう引越しなんだから、だからこそ良かったんだなぁ妙に腑に落ちて、妙に納得して、月末まで借りてはいるけれど、とりあえず、場に対しての感謝の意を、ヨーガ的礼拝によってして部屋を後にした。少し淋しさを感じながら準備もしてきたけれど、清々しさに変わってきていた。そのあと、人生の区切りの品物を買いに行った。
September 21, 2008
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久しぶりのアップ。その間、3年ほど勉強していた事を終えて、ヨーガやセラピーの事を、ちょっと力を入れておりました。生徒さんやクライアント様も、積極的になってくださったりしていて、私も、更にがんばろうとしていたところ。そんな中に、自分の引越しなんかも入ってきて、部屋探し(実際には二度しか行っていない)いつ引っ越すのかの計画を練りつつ、仕事は忙しいはだった。引越しに避ける時間がなかなかとれないので、二ヶ月も重複させて少しずつやっていた。とは言っても、用事や仕事で時間がとれないわけなので、それ以外は引越しなどにかかっていたので、休むという事がなくて、少し今月に入ってからは、さすがに疲れてるよな?と思った。それにもまた慣れてきて、自分ケアに力も入れて乗り切ろうとしているところ。新しいところを整えたら、隠れ家サロンと隠れ家ヨーガをはじめる。
September 19, 2008
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最近、また、虫がさわいでいるまた、いつも反応していた「おばさん」に反応している。なぜ、数値を入力するだけで何時間もかかるんだ!?なぜ、残業を1時間半もしなければいけないん゛た!?なぜ、そんなんで仕事やっているように ふるまうんだ!?やれてないから、できてないから・・・・・・・お願いだから、スキルアップしようよぉ・・・・・・・25年前にタイムスリップしたような彼女の周りの空間・・・・・あーた、考えられますか?管理を ノートに手書きしかも、いちいち、線を引いて・・・・・ファイルのタイトルは、紙を切って、手書きをセロテープで貼るそんな仕事、今頃見たことあるか???見るか?????周りが目に入らない人にとっては、自分が何かおかしい?とは気がつがないもののようで、全く、聞き入れないで、私なら、10分で終ることを彼女なら、多分、10日かかる。なぜなら、彼女は、エクセルの機能がわからないからである・・・・・しかも、手書きだからである・・・・・・・いいのか? いいのか?わからないとは、すごいことなんだ。彼女は、自分はできると思っている。きっと、彼女のずっと過去より、随分アップしているからに違いない。どんなだったんだろうと思える。あらゆる事に、そんな彼女は、上から目線で物を言うのですよ、だから。口では、私なんてといいながら、ウソですよ、ウソ。あなどらないでくださいー、私はサイコセラピーのできる、ヨーガ・セラピスト交流分析もできるどんなこころの内かは、日常からも わかりますもん・・・・・私だけ? 私だけがこんなに反応しているのか? と思っていたら、先日、あるおじさんが言ってきた。なぜ、彼女は、仕事に工夫や融通がきかないの? と。日ごろから、うっぷんがたまっていたらしい。そして、あんなに人の言うことを聞かない人は珍しいねなんていうかなぁ?何も、こちらの言葉もなにも、吸い込まれない感覚?それって、人と人との交流って感じしないね?そんな話を聞きながら、なぜか私のこころは、癒されてしまった。なんと浅はかなことだろう。自分の思いを、他の人の口から聞くというのは、時には、風穴が開く・・・・・・・・・・・・セラピストも人間。セラピーの現場では、起こらぬ反応が、全く個人的な場面では起こる。そんな反応あってこそ、自分を知ることになる。自分の利点も弱点も。そして、また、それをよく悟って、また進みセラピー力が深くなる。私の場合は、殆ど、このたった一人の人間によって、様々な反応を都度都度に引き起こしては、自分を観ている。その都度解放しても、またあらたに起こる。多分、私は彼女のようには決してなりたくないと思うからだろう。彼女のようにだけはなりたくないし、彼女のような生き方からは一番遠い生き方をめざしているからだろう。そんな「生き方」が、「考え方」が、ある事は、全く構わない。あって良いとおもう。こころから。彼女の存在自体にも、何も否定的な事を思うものではない。ただ、私と同じ場になぜいるのか?というところなのではないだろうか?なぜ、その生き方や考え方の人が、私と同じ環境にいるのかが理解できないでいるのだろう。この仕事、この場に、そぐうようにできていないのに、それにそぐおうともしない、努力もしない、スキルアップもしない状態でしかも、ズルい事をしては数百円を設けようと残業する・・・・・・そんな事までしなければいけないのなら、スキルアップして、他の仕事につくとか、他にも仕事をするとか、何か、創造的な生き方や考え方すればいいじゃないかーと思うのに、なぜ、そこにいるのか? と、私のこころは反応しているらしい。私のこころは、そこのところをどうも納得しきらないでい続けているようだ。バッチフラワーレメディでは、最近の反応には、また、ヴァインを飲み始めている。ヴァインにビーチにホリーにインパチエンスものすごい反応だろー 可笑しい♪世界中のたった一人にだけね。だからこそ、ポイントの高い存在の彼女。あぁ、もっともっと自分を知って、そんなポイントの高い彼女を鏡に、気付いてしまって、私のこころの中で、彼女と友好的になれるといいのになぁ。尊敬できるところもあるんだ。私にならきっとできない事をやりのけたことがあるんだ、彼女。一度だけ。そんな事、そうそう起きることではないから、二度とないかもしれないけれど、私なら、できなかった事を彼女はやりのけた。尊敬したよぉ。そんなところ、もっと見えたらなぁ、こんな弱点はあるけど、この人、いーんだよねーって思えるんだけどなぁ。私が価値を置いていない点について、彼女はとてもよく出来る人なんだな。きっと。
July 20, 2008
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リコネクティブ・ヒーリングも3回受けてみた。1度で感触をつかもうと思っていたけれど、その日に反応が出たので、次の日にも受けてみて、それなら、3回は受けたほうが良いと言われていたのだから、もう一回は受けてみようと3回受けた。結果は、自分のプログラムが進む というような事を聞いていて、内心「ほんまかいな」 と思っていたが、受けていく間にも、変化が起っていた。冷静に考えると、すでに自ら種をまき、水をやりとしていたことが、芽が出てきているのかもしれないけれど、そんな時期に受けたことも、何かの縁かもしれない。そして、いよいよ、今日明日で、リコネクティブを受ける。これで様子を観て、自分の中で確かに信頼できて使えるようなら、私のところに来て下さる方に還元すべく、自分から伝えられるようにしていこうかと考えている。私の中で、すでに発見している事ばかりかもしれないので、逆に安心で、つかめているものかもしれない。さぁて、今日明日やってみて、また、何が起るかお楽しみです。
May 2, 2008
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最近、いい感じで、自分のこころの歪みの部分が出てきてくれる。こころの歪み??? そんなのあってはいけないと思っている人は、捉え方を変えてみてください。それは、誰にでもあることで、観ないようにして生きていったりして、少し自分では原因のわからない行動、言動になっていたり、原因のわからない不安になっていたり、自分の素直なしあわせへの壁になっていたりするものです。かといって、絶対にみつけだして徹底的にたたくような気持ちは持たないことなのです。例えばヨーガでは、このようなところを自力で自主的に、観る練習などもできます。人に見せられたり、ちょうど受け容れられる時期でもないのに、無理やり引き出されたりするもものでないので、ヨーガの方法は、痛快なくらい、解放に向っていったりします。自分の内側に、全て整っている という事をヨーガは知っているからです。ただ、全て整っているからと、統制されていない状態で、好き勝手にすると手や足や目や耳や全てがバラバラに動いて、バラバラに好き勝手に別のものを欲して四方八方に意識を散乱させているようなものなのです。ヨーガの智慧は、それらを一つに総ていく方法を持っています。強制でも抑圧でもない方法で、気持ちよく、総ていくのです。いいなりでもなければ、依存でもありません。境界性人格障害の方のブログを覗かせていただいていたら、その人の観た夢の内容が書かれていた。私は、夢判断も14.5年やっているのですが、膨大な恐怖心が自覚されないまま、蓄積されているのがわかりました。意識化していけば、その恐怖心は、解放されていきます。言語化することなどはよく言われますが、言語化するにも、それを意識化しないことにはできないのです。この意識化の作業がとてもヨーガは得意なのでした。気づきにくいことは、私たちのこころにはありますが、意識化する事に慣れていると、きっかけがあれば、随分スルスルできるようになります。この方の夢の恐怖を読んでいて、私は、自らの恐怖を意識化することができました。先日に引続き、やはり、幼少の頃のものでした。しつけの厳しかった母が、よく、私をたたいて 叱ったことでした。未だに思うのですが、そこまで力強く叩かなくても良いものなのでは?と。かなり、痛かったし、かなり苦しかったし、一番苦しかったのは、叩かれることよりも叩かれるのではないか という恐怖と緊張だったのだろうとその方の恐怖を客観的に感じながら、私は自分の中の緊張と恐怖を思いました。私は去年、インドのヒマラヤ修行に行きましたが、ここ7年くらい、7年前までの度重なる人生の苦しい局面により、ストレスが蓄積しすぎた結果、パニック発作になりました。その後は、実際にパニック発作になる回数は数えるほどしかなかったのに、なったらどうしようという緊張や恐怖があった事がわかります。そのゆえに、それまでは何でもなかった事が怖くなっていきました。何度も行っていたインドにもいけなくなっていたのは、飛行機が、閉鎖空間に思えるようになっていたからでした。飛行機に乗っていけるのか、移動の車は大丈夫かと思い巡らすだけで、私は手に汗をにぎり、緊張にひどくかられていました。行く半年前から、数ヶ月前までは、緊張がひどくなっていたように思います。そして、原因のわからない身体の緊張感が常に起るという事実に私は気づいたのでした。その時には、漢方で対応しつつ、インドに行きましたが、その後、いっさい必要なくなりました。原因のわからない緊張が起ることには気づきましたが、その緊張は何から来るのかはわかりませんでした。もしかしたら、しつけの厳しさは、子供には、よく伝わらなかったのかもしれません。母の必死の愛は、子供のこころには、とても怖くて、理解しきれないものだったのかもしれません。そういえば、私がよく観ることのある夢は、以前から、必死に母を叩こうとしていたり、言葉にならない言葉を母に言おうとしていたり、出てくることすらない母に対する悪口をなんとか、母にあびせようともがいているような夢でした。意識化の質が変化してくるにつれ、その夢を客観的に感じられるようになっていったのは、言うまでもありません。それまでは、ただの怖い夢 で片付けていたものが、よく、これは、自分のこころの様であると意識化できるようになっていったものでした。私は、私の子供の頃の解放されない こころに言おう。「大丈夫。私が守るよ。」「もうおかあさんも年をとったよ。あなたを痛めつけるだけの力はないよ。安心しなさい。だからこそ、今、思いなさい。そんな母をいつまでも責めるのは賢くないよ。」「それでも構わないよ。解放しつづけなさい。きっと気付くはず。おかあさんは、あなたが心配でかわいくて、ならなかったのよ」父と母の口癖だったのは、強く生きなさい。私たちはいつまでも生きていてやれない。いずれあなたは一人になる。そう思って、私たちがいる間に、強くなりなさい。そんな言葉だった。でも、小さい私には、この上ない怖い言葉だった。いつも、自分を守る二人がいなくなる想定をして生きていなければならなかったのだから。でも、私は知らなかった。途中まで。母は、本当に私を心底はかわいくないのかもしれないそんな事を思ってもいたかもしれない。ある日母は、話してくれた。ずいぶん大人になってからのことだったけれど。「私って、ぶさいくな子供だったよね?」「そんなことない!」「そうじゃなくて、客観的に、あんまり顔立ちのかわいくない、まぁ、はっきり言って、ぶさいくな子供だったよね?」「そんなことない!かわいかった!」「いやいや、そういう親の欲目とか、親としてとかでなくて、一般的によ、客観的に」「一般的にも、客観的にも、めちゃくちゃかわいかった!目鼻立ちとかがどうとかでなくて、子供らしい、かわいい顔をしていた!もぅ、いぃぃぃぃぃぃってなるくらい、かわいくて仕方がなかった!」「何言ってるの?バカね・・・」そういいながら、私は席をたった。誰もいないところにいって、ひたすら泣いた。嬉しかった。あぁ、そんなにかわいいと思っていてくれたんだ・・・・・・こころの中で、何かが解放された一こまだった。
April 19, 2008
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リコネクティブ・ヒーリングを受けて、二日目昨日も、出た出た。ないふりをしていた感情、解放しきれていない感情。ここで抑えるだけにしてしまうと、また、出てくるチャンスをなくし、解放のチャンスはまた遠のく。ひどい目にあったなぁ という時の感情だった。ひどい目に合ったと思う時には、しっかり、何が起こっているのか観れるくらいには強くなっておこう!普段に訓練しないと、イザというときには、放心するぞ!ひどい目に合ったと思う時には、しっかり、それを自分はどう思うのか、ちゃんと感じられるくらいには強くなっておこう!普段にこそ訓練しないと、イザと言うときには、いったい、どうしたいのかさえもわからないぞ!ひどい目に合ったと思う時には、しっかり、言うべき事があると思うなら、相手にそれを伝えられるくらいには強くなっておこう!普段から訓練しないと、黙っている事で、イエスだとおもわれるぞ!そうでないと、「あの時、本当はこんな事になってたんだぁぁぁあの時、本当は、こう感じていたんだぁぁぁあの時、本当は、こんな風に相手に言いたかったぞー!」と、何年も何十年もたってから、出てきたりするぞー。こころはただ抑制すると、私たちが弱った時をねらって、必ず出してくる。それに時間は関係ない。いくらでも待つ。何年でも、何十年でも、何百年でも。さぁさぁ、鬼のいぬまに命の洗濯!何も起きていない間に、ヨーカ゜、ヨーガ!
April 18, 2008
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最近、書き込みやトラックバックは、「性欲」がらみが多いですね。エネルギーというのは、ただのエネルギーなわけですが、それをどのように使うか、その割合などで人のマインドの質 として確認できます。例えば、自分にある エネルギーの殆どを、「食べたい」という欲に向けている人なら、それをしてはならないという抑制にもまたエネルギーを使い、マインドの中心がここにきます。食べたいという欲と、それを抑制するのに、いつもいつも、毎日毎日、マインドの殆どを使っているわけです。このように、こころというエネルギーは、客観的に観る事ができるようになります。ヨーガによって。観る事ができたら、はたち気付くのです。私ったら、なんて事にエネルギーの殆どを使っていたの???そうすると、どのような方向付けをしてエネルギーを使うのがよりよいのか、また、エネルギーをなるべく消耗させないで有効に生きていくにはどうすればよいのかが、徐々にわかるようになってくる。ヨーガは、それを自らの内から起こす智慧でもあるのでした。
April 17, 2008
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めずらしく、一日に二度目のアップ。それには、理由がある。リコネクションを受けて、マイナスの感情が姿を見せてくれた。でも、新しい一日を始めると、日常の感情ではないので、逃げていくのです。そこをあえて捉えようとしたのです。逃げていられるか! です。昨日のヒーラーの方が、今日もいるとの事をうかがっていたので、朝、薬屋さんに行った。「先生は?」「まだなんですよ」なぜだか「連絡しますよ!」とすぐに電話をしてくださった。昨日起こった事を赤裸々に話す。私は、こころを鍛えるヨーガをしているので、うろたえるこころに、うろたえはしない。なるべく出てくるように、感情を口に出すようにして、どんどん出して行ったら、こんなのが出てきたのですよ。だから、もう一度二回目を受けてみようと思うと言うと、もう少し昨日の方が居たとしたら、起こらなかったのですが、なぜだか、早朝に用事ができて帰られたと。そこで、実は、薬屋の先生もできるので、じゃー、先生やってくださいと言った。多分、先生は、それができるようになったばかりだったと思うのだけれど、どうしてだか、私は、昨日の実感が(良い意味での分の)本物であるか確かめるためにも、続けて受けてみたいと思ったのでした。結果は、逆に素晴らしかった。先入観、知識が、このヒーリングに対してないので、そのまま自然に受け容れられていたこともあるけれど、脳の周波数が下がるので、眠ってしまうといわれていたのに、昨日は、眠れなかった。周波数は、ヨーガのプラーナーヤーマでも下げられるし、瞑想状態に近づけばできる。(瞑想って、世間でいっぱい言っているけれど、そ・それは瞑想という状態ではないよというものは多いです)むしろ、その方が周波数は下がったりして、その状態のまま日常生活を送れば、なかなか良い。それなので、特に、周波数が下がる感覚が大きくはなかったのかもしれないのです。でも、終ったあとに訪れた、解放感のようなものはちょっと、今までこのような人様に手助けしてもらって得るものの中にはないものだったように思う。が、しかし、今日は、違った。どんなセラピーでも、観察してしまったりすることと、気を使うので眠ったりは殆どできないわたしだけれど、ヒーリング中に、かすかに自分の「いびき」でハッと目がさめた瞬間があった。うそ・・・・・私、こんなに眠る?そして、また眠りに入っていった。ハッと目が覚めた瞬間に、一瞬、見たことのない景色が見えた。ストゥーパのようなものが、マンダラ的に並んでいる建築物?があって、空がやたら青い場所。砂地というか、岩肌のようなところの多い、盆地のような・・・・チベットやヒマラヤのような感じだった。居たところなのかなぁ・・・・・やっぱり・・・・だから、昨日ヒーラーの方に言ったみたいに、私には行に執着がある・・・・という感覚があるのかなぁ。そして、また眠りに入る。次にふと目が覚めたときには、身体が上に上に行くような感覚。グラウンディングをなくしたような感覚のものではない。その筋の人の表現を借りると、宇宙のグリッドと結合していくからだと。あなた、やっぱりすごく感じられるのねと言われながら、それがそうなのかどうなのか、知識も先入観もないので、わからない。ただ、今までに経験のない心地になるのは確か。なんで出あってしまったのかは、不明・・・・・・何でなのかも不明・・・・でも、確かに私に起こったこと。そして、せっかくなので、ここまでやっとくと良いというものはやっとくことにした。時間はあいてもいいらしいので、ちょっと二回受けたことで起こる、なにかを味わってから、次にいこうと思っている。
April 16, 2008
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私は、ヨーガ教師、セラピストをしているが、常に進化を考えています。良いものは取り入れる、それよりも良いものがあれば、こだわらずに置き換えるなどもします。なるべく柔軟に考える。柔軟になりすぎると、芯がなくなり自分の柱をなくすので、そういう事はしない。自分の信念はあるし、自分なりの基準もある、感覚的なものもある。それでも、いろいろ、やってみること、実験してみること、勉強を続ける事で、研究な毎日。昨日は、以前から交流のある薬局の先生から、「今、ヒーラーの人がきているから、受けてみない?」と言われた。いつもは、お断りしている。良いものは良いが、必要ないものは必要ないし、時期でないものは時期でないからです。私自身も実はヒーラーだけれど、公に出していないし、自然に起こる事以外はやめている。今、特に揺れているという事もないけれど、流れをもう少し強くしたいという思いはあった。もう一つは、私は私を癒せないところがある。これは、私の気づいていることで。ですから、人様のお世話になる事が多々あります。「やってみようかな」 と思った。例えば、自分を元気づけるのに、鏡に向って自分で微笑むのと、人から微笑みかけられるのと、どちらが癒されるか?後者である事は多い。ヨーガは、深い意味では自分を癒し、自らでしか癒せないといて決定打を知っている。私の言っているのは依存的な意味ではない。リコネクティブ・ヒーリング受けている間にも、解放は起こっていた。身体感覚はヨーガもアーユルヴェーダもやっているからというより、昔から、敏感にわかるけれど、サイコセラピストであるところが大きいので、やはり、こころの変化を何事でもよく感じ取るので、そこから起こってきた事がなかなか面白かった。良い状態を少し保持して帰宅してから、ほんの少しのきっかけをスタートとして、こころが、その反対をどんどんあらわそうとした。良くなる=それなりの反対も同様に反応する何も、その日に何もなかったし、そんな思いを出してくる理由もなかったけれど、子供の頃に蓄積して解放されないままの思いが湧いてきた。私には、素直にしあわせな方向にいけない部分がずっとあった。あらゆる方法で、ここまできているけれど、根が、種が、まだ焼ききれていない。思いが湧くままにしておこうとした。口に出せるなら、出そうとして、ずっと客観的に見つめながら、なるべく出てくるようにしてみた。「私は、不幸でいてやるんだ。そうしたらお父さんとお母さんが不幸でいるから」「お父さんとお母さんが困って、どうしてなんだろうと、なぜなんだろうと振り返って、私にいつも制約をして、コントロールしていた事に気付いてほしい。それまでは許せない」というような子供の思いが湧いてきた。何を勘違いしているのだろう。大人の私のマインドでは充分にわかるのです。父と母の人格は良く、私をコントロールなどしたくはないはずだし、思いやりと心配でしてきていた事なのに、子供の私は、私はいつも父と母の言いなりで、自分の主張は抑えられると思っていたのかもしれません・・・・・・それだったら、そう言えば良かったじゃないの?と私は自分の中の子供に言いたい。言わなくて、わかってくれないって、ズルいよ?お父さんやお母さんだって、なかなかわからないよ?いくらやさしそうにしてくれていても、気持ちが優しくなかったら、どう思う?一所懸命、いつもあなたの事を思っていたお父さんとお母さんだったから、守ろうとしてそうだったんじゃないの?と言ってあげるが、さぁて、子供は納得するかなぁ?もう一度、父と母のような事を私がするわけにはいかないから、納得するまで、観ようと思う。リコネクション・ヒーリングできっかけとなったのなら と今日、もう一度受けてみようと思っている。逃さないぞ
April 16, 2008
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またまた、ご無沙汰していた。ご無沙汰している間に、知ってる人が楽天ブログの場からいなくなっていた。そういう事って時々ある・・・・・・・でも、その人のプライベートを知っているわけでもなく、連絡もつかない。淋しいネ。ご無沙汰していたのは、勉強が忙しかったから。別にもっている公式のブログは、定期的に更新していたけれど。長かった勉強も卒業した。ヨーガの勉強なのですが、なかなか手ごわかった。最終的には、卒業論文が結構な量で。普段も論文で、数年間は、いつも頭にあったのだなぁと、終ってみてわかりました。はぁぁぁぁぁ、解放感。でも、またこれから、またはじまりはじまりです。ラージャ・ヨーガの行も研鑽していこう。ヨーガは、一生もの楽しいものヨ
April 15, 2008
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今日は、まいった。データを削除してしまった。そのデータで、クライアントが請求作業するので、何十万か、何百万か、請求できないことになるのか?!それとも、請求先に、事情を一件一件説明して、半年の平均値を請求するなんて話をするとか?!んな事できるわけないな・・・・やっちまった・・・・なぜ?なぜこんなあり得ない単純ミスだろうことをしてしまうんだ?ありえないありえないデータがなくなっていて、ありえないデータにすりかわっていた。でも、こころのどこかで絶望感がなかった。何かわからないけれど、リカバリーできるという気がしていた。どうしたら? それはわからないのに。PCに詳しい人にすぐに電話した。データを復活させたい!消したんなら、無理だ・・・ファイルをゴミ箱に入れたんじゃなくて、ファイルの中から消したデータなら・・・無理だ・・・無理なんだー・・・それでも、まだ絶望感はなかった。いつでも謝れる覚悟はしていた。もう、先に、もしかしたらこんな事になるから、謝りに行く準備の段取りもつけようかと思いつつ(良い時には段取りのいい私、悪い時には気が短いので)いいや、本当に無理かどうか 考えられる事は全てやってからにしようってのが、いつもの私より、いい感じだった。また友人から電話がかかってきた。お昼休みだったので、今からネットカフェに行くから待ってろと。そこから復活ファイルをダウンロードしてくれて送ってくれた。おぉ!数字だけはよみがえったぞー!もう、あるのとないのとでは天と地の違い。もう、いい。手入力で復活させてもいいよ!ありがとー!と。でもなぁ、データさえあれば、ものの30分でできることが、手入力にすることで、下手したら、5日くらいはかかるかもしれない。いいや、そこを何とかして、3日だ。しかし、他の事もしながらだから、3日はかかる。それでも幸運だ。数時間後、また友人から電話があった。もう一度、やってみろと。PC得意な人にありがちなのだけれど、何を言っているのかわからない。主語がはぶかれていて、何と何をどうするのか わからなくなってくる。しまいに、教えてもらっている立場なのに、私がイライラしてくる。「何言うてるかわからへん!!」「はぁ?主語がない!!」昔、一緒に仕事していた人なので、仕事バトルはお互いなれている。内心、はぁ?教えてもらってるくせに!と思っているだろう事はわかっていたが、「こいつ、本当に困っているわけなのだろうから」と、抑えてくれたのもわかった。結果的に、ありえないと思ったファイルを復活させられた。ただ、ゴミ箱に捨てて、それから削除したなんてものじゃなかったのに。すごい・・・・おかげで スキルアップまでできた。感謝している。ありがとう!友人!mikiじゃん観ていたらよかったら連絡くださいねー クリック
January 22, 2008
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以前、ここで仲良くしていただいていた、mikiじゃんへいつの間にかいなくなってしまったけど、どうしているのかなぁと、思っています。何度も、こんな風に呼びかけてみようと思っていたけれど・・・mikiじゃん、良かったら、ここのメールから連絡ください。mikiじゃんと認識するために、mikiじゃんの趣味を書いてください♪アバやん覚えていますから。「来年やってみたいね」と言っていたことでもいいです。なにかmikiじゃんとわかること書いてもらえたら嬉しいです。よろしく!
January 18, 2008
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昨日のヨーガ・クラスは、行く前に「素」だった。じゃー、いつもは作ってるのか? というと、う・・・んそうじゃない。アバやんは、かなりナチュラルで天然なのと、作るって「先生」じゃないと思っているから。私の欠点や不健康なところこそ、ちゃーんと見てみてそして、そんな欠点や不調のある人間が、このようにやっているんだよ、ヘコんだり、苦しかったりが多いこんな人間だから、こんな風にやっているんだよこれをみせるのが「先生」だと思っているからでした。でもねぇ、やっぱり、人様に対するのは、すんごい「素」は違ったりはするけど昨日は、さぁて今日もみんなでヨーガ、さてさて、今日はどんな感じでやってさしあげればいいかなぁなんて、いつもの感覚で行ったら、体験の方が3名もいらっしゃって、内心「え?まじで? モードが素ぅやで、これ」と思った。が、「それでいいじゃないか。それでこそ、ここがこの方々に合うか合わないか、感じとってもらえるはず。」と気張らずにいられた。アバやんところには、アバやんがサイコセラピストだからか、精神的な面を求めてこられる方、精神的にアンバランスでお困りの方も多く縁がつながる。昨日も、そんな方がお一人いらっしゃって下さった。あぁ・・・この方にとっては、本当に大変で、自分はどうなっているんだろうととても気に病んでいらっしゃるのね・・・そんな事ないよ!あなただけじゃなくて、結構 沢山の人が同じ事うったえてこられるしね、私だって、そう。時々、「もー、ずぅーーーーーっと人に会わず、外で出ず引きこもっていたーーーい!」って日もある。その事は話した。 自律神経のアンバランスが更年期には起きる人が沢山いらっしゃいます。「職場で迷惑をかけているんです・・・」と悲しそうなお顔をされた。「迷惑かけていいじゃないですか?お互い様じゃないですか?誰もがいずれ通る道じゃないですか。私もそう思うのが不得意で練習するのですが、気にし過ぎないでもきっと大丈夫だと、私には思えますよ!」悲しそうな目の奥に、かすかに安堵の光が見えた。どうぞ、あなたに合うと思われるなら、ここにきてくださいと思った。ここに来てくださってさえいれば、私を通して、癒しが訪れるように導かれると思います。特にこころのヨーガについてなら、なおさら と。後のお二人は、ヨーガ・クラスが終った時に、自分の姿勢が勝手に変化している事に、驚かれて、目が輝いていた。いくつになっても、女性は女性、大切な事。先のお一人は、ご入会の手続きをしてくださっていたようでした。あとのお二人はどうかなぁ。やっぱり、人間入会くださると嬉しいし、 ご都合で来れなくなられる場合は悲しい。そして、ヘコむ。あぁ、何か私がこの方に適切な事をもっとできたのではないかなぁ・・・あぁ、私って未熟なんだ・・・あぁ、私って私って・・・ダメなのかーー? なんて反応することもある。アホです。でも、人間だぁぁぁ。可笑しくていーじゃなーい。
January 16, 2008
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昨日のヨーガクラスは、自分でも最近、ここに行くのが気に入っている。どのクラスも自分にとって素晴らしいのですが、環境的にも自分が癒されるという感覚も、そのクラスのある日には沢山プラスあるからなのでした。帰りにお気に入りのお店に寄った。生徒さんの一人も、よくいらっしゃるとのお話をうかがっていた。店でウロウロしているある時、とてもその人を近く感じた。メールしてみようかな。用事は? と自問自答。 わからんけど・・・・それから数分後、その人はそこで会いました。いらっしゃったのです、私が行った時には既に。だから、存在を直覚的に感じた。その方も、最近、レメディにはまられていて、私もハマっているわけで、一緒に、ほんとうに深いし、ほんとうにすごいねぇとお話していたのです。共有できるってしあわせです。そして、お別れした後、私はまた自分訓練をしていた。さぁて、どうしたい?ほんとうに思うことは?というのを素直に出してくる訓練。これは、やりたい、欲しい 等でも、欲にまかせるというものではありません。だから、なかなか素直に出てこなくてム難しいです、私のような性格には。でも、彼女との触れ合いは、多分、彼女がわからないとおっしゃっていた「愛」なのです。ふれあい自体が、情ではなくて、愛。そうだったからなのだと思う。その後、自然に過ごしながら帰路についていった。帰りながらが、だいぶん楽しめるわけなのですが、昼食をとろうとしていて、いつもそのお店が好みなのに、どうもその日は、行動にすんなり移れない・・・だから、好みだという事と、決めていたけれど、その当たり前を崩して、買い物だけをして、出ていった。どこに行きたいの?どうしたい?その日は、面白い反応をした。なぜか、「気後れ」というような反応をしはじめた。もともと、私は消極的な性質がある。それが、ずーっと仕事上、別の性質上、あまり表に出てこなくて、男前で、できるやつ 的な感じが表には出る。だからこそ、本質にある消極性は、出てこさせてあげていいのだけれど、近年は、外では出なくなっていた。ところが、最近になって時々顔を出すようになってきて、とまどうけれど、これ、いいんじゃないか?と思っているところだった。気後れってかぁ。別にお一人さまも楽しめる私だし、好みそうな店では、一人で昼食なんて逆にウキウキしたり、リラーックスしたりするのだけれど、その日は、別の反応をポイントポイントでしていたので、「いいよ、別に行かなくても。ここならってところがあったら、行ってみようよ」子供に語りかけるように、私は私に言って。そうこうしている間に駅に着いてしまった。駅のカフェで、お茶をすることにした。サンドイッチならいいな と思っていたけれど、びっくりするくらい品切れで、なかった。クロワッサンとケーキとコーヒー。あま~い!ちぇー、なんか思っていた昼食できなかったなぁーと思ったけれど、それは、夜ごはんをとっても美味しく、楽しく食べることのできる序章でもあったようで、なんでも、悪くないもんだ。カフェで、さっきのお気に入りの店でピーンときて買った本を開いた。ピーンとくる言葉が、スルーっと胸に腹に入っていった。そして、やりたくない事をやるって、しんどいわそんな当たり前の事が、こころから出てきた。これ、当たり前なのに、なかなか実行はできないこと。でも、やりたい事だけをやるっていうのも難しいよ?間違ってるかもしれないし、欲に任せていたらえらいことになるだけよ?でも、あんたよく、使命感や責任感で、「ねばならない」とほんと、強く実行するでしょ?できるには偉いよ、ほんと、確かに偉い。でもね、ねばならないって思うって事は、その時には、やりたい って事にはなってないって事やん?滅私で仕事するのは、確かに必要だし偉いよ。でも、あんまり ねばならないって使命感だけで、自分の気持ちを無視するのはどうかな?もうちょっと、嫌だと思う行動なんかも、観て、わかって、その上でよしやるかっていう風にしてもいいし、どうでもいやなら、その時は、やらなくていい事だってあるかもしれないんやで?ねばならないって感覚の時には、その時には、少なくとも やりたい ではないし、やった方がいい事だったとしても、少なくとも、 その時には、まだやらなくていいときな時だってあるかもしれないやで?そんな捉え方が、スルスルーって出てきた。あ!この感覚新しい!おぉーーーーー、目からウロコウロコ~プチ悟りプチ悟りそして、いつもなら、もう帰るべき時間、もう、こんな風に過ごした方がなんて思いも出るけれど、なんとも楽しんで、本を読み、何とも楽しんで、ゲームもしてみたりしながら、カフェで過ごしていて、あ!この感覚も新しい!私にとっては、この楽しい感覚、新しい!そんな素敵な日になった。
January 14, 2008
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スター・ウォーズは、日本文化モデル衣装や刀もモチーフにされ、禅もモチーフにされている。正義の戦士たちは、瞑想してフォースに焦点を合わせていた。「フォース」とは何かヨーガでいう、おおいなるもの そのものだ。 スター・ウォーズの中では あいさつとして「フォースとともにあれ」 と言っていた。 「おおいなるものと ともに」 とあいさつするなんてまさに、ヨーカ゜。 マスター・ヨーダはヨーカ゜でいうところの、「グル」にあたる。導師。そして、ある戦士が主人公を育てる段になった時に、一人が一人を育てるというようなシステムになっていたのも思い出す。本来、ヨーガにおいても深い意味では、このようなものなのです。一人が、自分の後継となる一人を育てる。育て終われば、時に別の一人を弟子とする。しかし、大勢の弟子がまた、マスター・ヨーダのようにあったりもする。その中において、自分の後継となる一人 というのは、それにあたる。ヨーダの教えは、まさにヨーガであり、禅でもある。いいや、仏教とヒンドゥー(ヒンドゥー教とヒンドゥーは厳密には別)は発想として違うとか、日本人とインド人は、思想的に決定的に違うのだなどと、宗教性(真の宗教性)と宗教学とがまざって、理屈で分析する学者は多い。それはそれで 一つの学問なので分析するのは是。でも、本来の宗教性とは、違う という事もしかり。おおいなるもの の力は、思想や文化にかかわらず、一人残らず全ての人に注がれているもので、人ばかりではなく、全ての生きとし生けるものに、また見えるもの見えないものに関わらず、全てに注がれる 理それを捉えた人たちが 様々な表現を用いているものを分析するのは、おおいなるもの 自体を捉えているとは限らない。どの人たちも、そのおおいなるものについて、表現したのだから。一つのおおいなるものを。それが、ある人物の背景や文化や民族性があって、さまざまな表現と捉え方になったであろうことと、おおいなるものが、宗教によって違い、いくつもあるかのように取り扱うのとは、全く別時限の事。ヒンドゥーのマントラなども、学者が唱えているので、本物の旋律だというたい文句で販売されているCDなどもあるけれど、学者は学者。行者とは違う。旋律が本物であるぞと唱えるマントラと、旋律など本物であるのは当然で、日々、唱えている行者のそれとは「質」が違う。「意味」が違う。知っていることではなく、解っていることは大事だと つくづく思い、日々自分も反省する。マスター・ヨーダは、それが禅をモチーフにしていようが、何だろうがフォースと表現した それは、 おおいなるもの それ。ヨーガのマントラでもあるのが私とは何か 「私は それである」 というもの。 マスター・ヨーダは『怒り、憎しみ、恐れがダークサイドに向わせるのじゃ。ダークサイドに落ちれば、それに食い尽くされる』と教えている。おおいなるもの が作用として顕れた この世では二元がある。それゆえ、光と闇がセットでしか存在できない。闇ばかりはありえないし、光ばかりはありえない。闇しかなければ、何が観えるだろう?何も観えない。光ばかりであっても、何が観えるだろう?何も観えない。ものの形は、闇と光のコラボレーションで影ができて、そのものの形を浮き出させ、そのものを 私たちに はじめて見える。この世で生きるには、闇と影をも見ないことには、捉えられない。でも、ヨーダの教えのように、ダークサイドだけに目を向けてしまうような、食い尽くされるような事はいかん・・・と。私は、このマスター・ヨーダの言葉を時々思い出しては 思う。ハ!今、ダークサイドに向ってた??? なんて
January 6, 2008
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みなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。このブログは、今年から、裏表一体の自分の中の、バランスをとりたいゆえの、場にますますしていこうと思う。人に対してアピールするのは、本来、得意でもなく、その意味の重要性も感じないところのある私は、どうしても、「素」 の自分には、内気であったり、冷めていたり、気性的に、 不活発な部分がある。 そんな私の中の、ある力やある能力が人様やおおいなるものの流れで、外に向けて発する仕事も持ち そこで、内面のある部分でいつも、アンバランスも起きるのは本当のところ。 その部分を、ここで出して、どちらの自分をも肯定して、一つの私として、まるごともっともっとまるごと 私であれるようにしていこうそう去年から少しずつ思い始めていて、今年に明けて、ますます思った。だんだんに自覚が深まってきていたところもある自分の こころの癖の中で微細な部分も 浮き上がってきてくれてそれを観るのは、驚きもあり、やっぱりか!というショックや嬉しさもあり、よくも悪くも意気消沈もしたりしつつ、それを認めて馴染んできたら、また、次のこころの癖の自覚となるのだろう。去年、気付いたのが、人に迷惑をかけたくない という長年の思いの ウソの部分。もちろん、その気持にウソはなく、本気でそうやって生きていていたのだけれど、その中には、そうではない動機も含まれている事に、去年、しっかり気付いた。人に迷惑をかけたくないのではなくて、「私が迷惑だと思われたくなかったんだ!!!」そう自覚したときには、そりゃぁ、驚いた。でも、すごくスッキリした。こころ も 金属などの純化 と同じように当たり前だと思っている こころの様から少しでも不純物に 「気付く」ことがこころの純化。でも、こころは、いくら精製しても、こころ。これも忘れてはならない。私の本質は、 「こころ」ではない。そうしているうちに、 空気ばかり読んでいる自分に気付いてきた。これは、ある意味、自分の才能の部分でもあり、人の こころの様、動きが、幼少の頃から 言葉ではなくキャッチするというのが「ふつう」だったので、世の中の人は、みなそうなんだと思っていた。それは、もともとの私の性質に加えて、幼少の頃の環境がそれを更に育てることとなった。そのお蔭で、私は、サイコセラピストとしては、 分析なのではなく、直覚的なところで、セラピーできる、類をみないセラピーをできる自分がいた。(他にもそれぞれの才能で類をみないセラピストは沢山いらっしゃいます。私だけという意味での類を見ないという意味ではありえません。世の中の誰しもそうだと思う。)だからこそ、表裏一体として、その反面として、私がキャッチする情報が多すぎて、疲れたりする時があるのだった。これは不思議な事に、自分の生徒さんや、セラピーの対象者と対峙している時には起こらない。自分に対しての部分。ヨーガスクールや、セラピーの場合などは、自分の意義や意味と一体化しているので、逆に、元気になったり イキイキしたりする。あくまでも、自分内面のダークな部分なのだ。このダークな部分が、大事。ダークなくして、輝きの聖はない。私は、このダークな部分への 認識と自覚が更に育ってこそ、さらに深いセラピストとなるのだと思う。私自身の精進の扉なのだ。今日、今まで生きてきた道のりで、はじめての感覚になっていた。郵便局のATM。今までは、後ろの人の内心が感じられたりもして、例えば「早よ、せーよ!」と怒りが内心にある人からは、身体にある感覚として伝わってきたりするので、後ろの人が自覚的に怒りを感じていない内から、急がねば とか、 長い間待ってやっと順番がまわってきて、確かに私の作業をする順番の権利があるのに、一つだけ済ましては、譲ったりしたり・・・・・ただ、気を使ってとかなのではなく、やはり、後ろの気によってなのです。直覚的わかると、相手は表現していなくても、相手が自覚していなくても、私には既に 「怒り」として伝わってきてしまうのだから、この能力は、 オフ にする時を作らねばならないと何となく気付きはじめていた。今朝は、後ろの人のお蔭でした。これも縁。多分、私と気質が似ていたからこそだったようだった。だからこそ、私に対して、何も発してこられていなかった。それゆえ、今日はじめて こう思えた。「私の用事が終るまではやらせてもらえばいーんやん」怒られてもええわ。その人が誤解しているだけかもしれないし、誤解の気まで調整せんでええやん。それでいいんや。そう思う事ができたのは、後ろの人のお蔭。その時に初めてわかった。いかに自分が、能力をゆるめず、オフせずに、フル稼働で暮らしていたか・・・こんな事していたら、身体が持たないわ・・・・そら・・・だから、毎日毎日ヘトヘトなんじゃないか。後ろの人は、おじいさんだったようだった。そのおじいさんは、順番を待って、自分の順になったのにその後ろの人に、「通帳を記入するだけだから、いいですか?」と言われて「はい」と快く 抜かさせていた。通帳の記入も、どんなことも、順番を待ってやるんじゃないのか?おばちゃん?!横柄さに驚いたけれど、ハっとした。そのおばちゃんもその場に居合わせた縁。そのおかげで、そのおじいちゃんが、私と同じ気質だとわかったのだから。だからこそ、少し「やらせてもらうわ!」と思えたし、今までそう思えていなかった自分にも気づけた。ブッダの言った縁それは、物理で科学。この三つの因子が 縁 として 関わってこそ 何かが 起こる。これこそが、ブッダの言ったこと。こうして、 開く 時や日は、直覚的に プチ悟りが様々ある。その後、一つ、ちょっちだけ間違ったことをしたことがあった。これも、決して間違いなのではなく、私のする事ではなく、人を助けてやったこと。しかも、充分な事をした。しかし、その後が、ほんの少しだけ、充分に終らなかった。そのほんの少しの充分に足らないこと だけで、私は「間違った」 と反応をしてしまうことにも気付いた。どんだけ、完璧主義なんや! 可笑しくなった。相手は、即座に私をフォローした。それは、相手にとっては無意識のフォローであり、結果は、私と彼女で「充分」ができたが、私には、微妙に自分が不十分で、彼女がそれを指摘した かのような反応をこころが微妙にするのを感じ取った。「それおかしいわ・・・彼女は何の感情も入れていなかったよ、きっと」そう思えた。二人で、充分にできた。 これがチームワークで、一人じゃないって事なのに、孤独を嫌い、ものすごく淋しがりやで、淋しさを嫌う私は、自分から一人じゃない ことを もしかしたら いつも受け入れていなかったのかもしれないぞ?その事に気付く、 相手をしてくれた、縁となってくれた彼女は、実は、おととしに 「お前しばくぞー」的に反応していた不道徳で許せないと思って、激反応したことのある、 彼女だった。反応する相手というのは、縁深い。もし、その大嫌いとか、しばくぞー 的に反応している人に対して、なぜそうなってしまうのかを自分の内面の事としてみつめ、クリアすればするほど、逆に、その相手との縁でこそ、深い悟りは得られる。なぜなら、 反応しているという事は、だからこそ、悟れないからこそ、反応している ポイントそのものだから。ダークな部分は、なくさなくてはいけないのではない。タークな部分を 観て、光をあてないから、いつまでもダークなのだ。ダークな部分がなくなれば、光もなくなる。ダークな部分を知り、恐れず、そして、それをそのままに観られるようになれば、それは既にダークな恐怖ではなくなる。だからこそ、今年は、反応する事には、そのまま、爆発してみよう(飲まれずに)そのまま、文句たれてみよう(飲まれずに)そんな場にしていこう。
January 5, 2008
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アバやん、車 新しいのを乗って帰ってきた。か・軽い・・・サクサクっと動くもんだなぁ。10年たつと、車って、前と同じような価格でも、様々な面が改良されていたり、要らないものは、省かれていたりしているものなんだなぁぁぁぁと思いました。燃費も違うよねぇ、きっと。車も、アバやんの等身大に合った車になったんじゃないかなぁ。しかし、私の車を選ぶ基準ってかなり、変わっているらしい。シートの色ドリンクホルダーこれが重要なポイントでね。はぁぁ??? と言われるのですが。いやいや、重要なんだよ、これが。フォームも大事ですが、まぁ、中からは見えませんしね、昔、車を買う時に、いざって時に、走りますよーって勧められたこともあったが、?????で、その時にアバやんは質問しました。「すみません・・・・・車に乗っていて、いざ! っていうのは、どういう時のことですか?????」 と。営業マン曰く「となりに、全く同じ車が信号で停車していたり、同じくらいのクラスの車が停車した時なんかに、先に出られるかどうか とかね!!」「え?それは、どうして いざ! なんですか???」営業マン 驚いて曰く「やっぱり、悔しいでしょ?」「いいえ・・・・。全く悔しくありません・・・。私にとって、車に乗っていて、いざ は別にありません。アウトバーンのような道路も日本にはありませんし・・・時速300キロで走る事ができる車 に乗ったところで、日本で一番早く走ることのできる道は、せいぜい高速道路の80キロが制限速度なんですよ?逆に、80キロがまぁまぁ、楽に出せれば、それ以上に必要ないですよね?・・・・・」営業マン あっけにとられて曰く「え? でも、先に出られるか出られないかって言えば、出られた方がいいでしょ?」「別にその車より、先に出る意味がわからないんです・・・・・悔しくないし・・・」「じゃー、スポーツタイプのフォームなんかは、やっぱりいいですよね?」「別に嫌いな顔つきでなければ、何でもいいです。なんか、怖い顔つきしている車は嫌ですけど」「こ、こわい顔つき?」「ランプが目みたいで、つりあがったようなフェイスの車の事です。別に威圧感、必要ないので・・・速く走る必要もないので・・・スポーツタイプである事必要ないんです。」「かぜ、風の影響を受けないフォームしてるんですよ!」「すみません・・・私には、そういう考えで車を選ぶ価値感がないので、すみません・・・居住性が良ければいいんです。あとは、安全性は必要です。風の影響を緻密に考えて走るほど、だから・・・速さを調整したり、挑戦する環境にないですから・・・ほんとうにすみませんが、そんな価値感持ってないんです・・・」なんて、やりとりをした。この人に、私のニーズは伝わらないんだろうなと思い、結局、その人から車を買っても全然良かったのに、買うことができなかった。なんでもそうだけれど、自分の価値感で最高のものや ことが、他の人に最高であることもあれば、そうでないこともあって、逆に、相手にとっては迷惑で無駄な事もあったりして、「相手にちょうど」を与えられることは、「相手にちょうど」でないことは、与えない勇気でもあり、難しいけれど、コツがわかれば簡単で、それが、ヨーガのいうところの、ダルマを育てる、ダルマを生きる訓練にもなったりしてねぇ。今の車を買った人は、私のニーズを私よりわかってるのかも みたいな人。技術者だった人なので、ハード面の事も加味して人の立場にもなれる人なんだとおもう。その人の、生活スタイル、大事な事の尊重、状況、経済状況もわかって、どの程度のものを欲しているか、どの程度以上なら要らないと思っているのかなど。良かった、良かった
December 24, 2007
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アバヤん、車買い替える。 気に行ってた今の車、まだまだ乗れるんだけどなぁ。 アバウト10年乗っている。 海外に行ったら信じられないような車も走っているし、インドナイズされているアバヤんの まだ乗れる の基準は、かなりインディアンなのかもしれない。 両親や店の方のすすめもあって。 今日乗り換えに行くー。
December 23, 2007
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プチ・旅。 カニ食べに来た。 ベジタリアンなのにー
December 20, 2007
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アバやん、先日ジェルネイルのセットを購入しました。ネイルサロンに行っていた時、アセトンでおとせないタイプのをしている時には、一ヶ月にすると、最低で7000円で、維持できました。なかなかお得にやれていたと思う。次に、バイオジェルにしました。それは、アバやんがアーユルヴェーダ・セラピーもやっているからでした。セラピーの予約が入ると、爪を短くするから、すぐに落とせないといけなかったからです。が、バイオジェルにすると、どうも、浮きが多くなってくる私でした。そして、一回8400円で、二週間で維持して何とかお得にいこうとしても、結局、オフしてやり直して頂く事があり、16000円はかかるのでした。一時期、これでやってみたい理由があったので、数ヶ月やってみましたが、アバやんは、自分のセラピーは、人にやっていただいて、またそのありがたさや、エネルギーの循環で人様にまた、自分からセラピーをさせていただきましょうって今とっても思っている時期なので、マッソテラピーにも行っているので、これだけで、大変。自分でジェルネイルもできるという情報をだんだん集めていたので、いろんなものを調べていたのですが、質と価格的に、ビギナーにもピッタリのものが見つかったので、早速購入したのでした。一か月分のジェルネイル代で、セットで購入できました。早速やってみた。最初、未効果ジェルをオフしようとしたら、殆どオフされたりした。量がまちがっていそうだ、UVライト照射時間をもう少し延ばしてみようなんて、工夫する事を思いついた。このジェルネイルは、普通のマニキュアをコートすることもできるんです!!!しかも、ジェルの上からも、塗ったりオフしたりできるのに、アセトンでオフできる代物。これ、良かったんじゃないかなぁと思った。昨日、夜中に二回目に挑戦した。もう、全然いけた。サロンに通っていて、人の作業を診るのが大好きなので、じぃーってよく観ていたから良かったのかもしれないわぁ。ラメをサロンのように入れたかったのですが、ラメが普通に売ってなかったのです・・・ネットで注文するには、送料を考えると賢くないし。そんな時には、アバやんみたいにしてみて!昨日みつけたのですが、化粧品のコーナーにラメだけ売っているメーカーがあるんです。それは、爪にもOKなので、ジェルに混ぜて使ってみてほしい。素人の私は、ジェルに混ぜないで上からもやってみたけど、仕上がりが全く違うのですね・・・ジェルとまぜながらやろと、サロンのような仕上がりになっちゃいました。二回目にして、満足度の高いネイルにできたので、これから楽しみながらやってみたいと思っています。ジェルネイルセット
November 7, 2007
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ただいま、アバやん、復活しました。 三ヶ月ほど、忙しかったです。 その間に、自分の公式ブログは立ち上げたので、ここは、こころの声や、そうは言ってもねぇ・・・や、素の部分で、アバやんだって、喜怒哀楽! ってのを書こうと思います。 こころのモヤモヤ、文字化すると整理していけるものです。 だから、アバやんも、モヤモヤしたり、イライラしたり、ムカムカしたり、微笑んだり、喜んだり、泣いたり、共感したり、そんなこんなを。
November 2, 2007
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ヨガ合宿に行ってきまーす
October 20, 2007
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今日から、あたらしいヨーガクラスをスタートする。 がんばろ
October 14, 2007
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今日も出張セラピーに行く。 アーユルヴェーダ・セラピー もっと縁がつながって、私のできる限りの人に楽にってもらえたらなぁ。
September 19, 2007
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明日とあさって、2日間だけ、 バカンスします。 ふぅー
September 4, 2007
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忙しく、書き込みができていない、、、 落ち着いたら、書こうーと思っている。
September 1, 2007
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アバやん、今日もタイ式マッサージに行きます。ショートですが、定期的に行ってみています。4回目です。今日は、最初にやって下さった方、ワット・ポー(タイの寺院)で勉強をもともとされたという方が担当して下さるかなぁアバやんは、先々週、その方が今日はいらっしゃるというのを聞いていたので、先週のうちに、今日の予約を入れていたのでした。やっぱりねぇ、世の中のなんでもそうだと思うんだけど、技術って、その人の、こころも 日ごろの信条も全部がミックスされると つくづく思う。だから、「やり方」に熟知していてもそれだけじゃないと よくわかる。これは、セラピストだけじゃない。電気の技術者だってそう。環境を考えて、使う人の身になってそして、やらせていただきますという気持ち、きっちりしたことをやろうという日ごろの信条己を律する日常それらの現れが、結果として出る。そして、その結果がやっぱり、全く変わる、違うというのもアバやんは、よく目の当たりにしていたのですが、その時にも深く感動しました。世の中、全て同じだ・・・・・・・・・・精神が表に出る・・・・・・・それを読み取れない人もいるかもしれない、でも、人間のセンサーは、それほど鈍くない。わかる ものだと
July 25, 2007
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アバやん、まちがえていました。ビリーズ・ブートキャンプなんだのに、耳から入ったままにビリー・ザ・ブートキャンプだと思っていました進化した「ビリーズ・ブートキャンプ・エリート」というのがあるそうですね。とにもかくにも、今日も、ヨーガ・クラスブートキャンプが流行る理由を踏まえて、みなさんのニーズの本当のこころのニーズを探しながらヨーガをシェアしたいと思っています。ヨーガは、ちゃんとしたやり方で、続けていると、続けている人については、プラスほんの少し意識をちゃんとして体に働きかけるとだけでも、体もメイクできます。本来は、ボディー・メイクはヨーガの目的ではありませんが、あ、体ちょっと、ボヨンとしてる?って時にしっかり意識してやってみると、直後にチェックしてみた時には、よし、引き締まったな整ったな偏りがなくなったなとなります。なんでもいいわけではないんですが・・・一瞬で変化するには、それなりにそれまでに積み重ねが必要なことと、筋肉にただ働きかけるだけでもダメですが・・・昨日、自分の体で、いろいろ実験していたのでした
July 24, 2007
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少し前に、タイ式マッサージに行った話をしていました。やっぱり、その時だけの感覚は強い ということや繊細でない部分についてが・もう一度受けてみようと、実は先週も行ってみました。短い時間しかやらないけれど。最初と二回目も、偶然同じ方が担当して下さいました。タイには二度行った事があって、ワット・ポーでその方はもともと勉強されたという話を聞いているうちに、ブッダのヨーガというのが実はあるのですがそれらがやはり寺院に伝わって、セラピー、治療に用いられつつ伝承されたのだろうかという思いに至り、もう一度行ったのです。何にしても、私は、自分ケアの時間はあまりとれないのと日々が忙しいためにリンパの滞りも自覚がありました。太ってきたというか、もともとめちゃくちゃスリムだった私が普通になって、最近はみんな細い人多いから、そこからすると「ええガタイでんなぁ」って感じになってきたアバやん。それもこれも、体のストレスによるものと思っておりました。タイ式の方も、そのような事をおっしゃいますので、なにか腑に落ちまして。長時間を何回かというより、あなたは短時間でもいいから、10回ほどいらっしゃったらいかがですか?とおっしゃって下さったのです。『えぇ???10回も???』と思ったのですが、高価なエステなら一回分だと思った瞬間にやってみてもいいじゃないか~?と思えたのです。二回目の時に、既に決心していて、今日の予約を入れておきました。一回目と二回目の方は、今日はお休みなので、違い方になりますが、来週は、また同じ方にお願いしてみようと思います。仏教的なものの好きなアバやんは、タイもとっても好きです。タイの懐かしい景色の事を話しながらマッソ・テラピーをして頂いたとき、自分の顔が、笑顔になっていたのに気がつきました。つくづくアバやん、ヨーガや仏教好きなのねぇ・・・・・
July 19, 2007
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昨日のクラスで、言ったわぁビリーがいつもしているらしき、ふともも鍛え系の腰をおとす姿勢これの方向性やこれが耐えられないくらいなら、これがわかるくらいになってこそ、できるのがブートキャンプなのよぉって。やさしくねーそして、両手を前にもってきて、ウェストシェイプするタイプの動きをアドヴァイスしました。この動き一つをとってみようって事で、みんなやってみて、どこにどんな風に働きかけているのか、どの方向性が体にとっていいのかって。そしたら、みんなおっかしな事になっていたのでたとえば、背中の意識たとえば、片方だけでなく両方の腕の意識腰の落とし方足の方向なんて言っていると、「いつもとぜんぜん違う・・・・・やってたの、効いてない・・・・・」と言っている人もいましたし、あのご婦人は・・・・・・わからないご様子でした・・・・・・・・・どちらかと言うと、あーたに申し上げたかったのよーアバやーんでも、ヨガマットも購入したしね、痛めないで、楽しんでねー
July 18, 2007
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アバやん、気づかなかった・・・・・・このブログ、たいして使い方も熟知できないまま、できるところだけを触りつつ公のヨーガサイトや本は沢山あるなか、そんなこんなをやっている私はこうやって生きているそんなこんなを実際にやっている私はこんな風に悩むそんなこんなをやっているからこそ、こんな風に葛藤してはいくそんなこんなをやっている実際は、こんな風にすすむそんなこんなことをやっている私のおすすめそんな事を私の整理と癒しにそんなことが、お一人にでも使ってもらえればそんな事思ってやりはじめたんですが知らない間に一周年を迎えていました。びっくりしました。もう、そんなになっていたんだ。素敵な友達もできて、しあわせ。いろんな人のものの捉え方を知ることができて、勉強になる。お友達もお立ち寄りの方もまた、これからも よろしくおねがいいたします。
July 17, 2007
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ほっ・・・・・ヨガ・マット、届いた、届いた明日のクラスなんだ、あのご婦人・・・これで持っていかなかったら、ヤバイもんね。明日、こうなったらアドヴァイスしよう・・・ブートキャンプ入隊している人・・・この動き、こんな風に誤解していませんか?この動きで、こうするのはご法度だから・・・ここ、気をつけるといいですよって・・・足先もまともに動かないのに、ガチガチで、開脚して普通にも座れないのに、ビリーの動きで、何に重点をおいているのか、何をしてはいけないのか感じるのは無理だもんねぇ?「最近、ヨガはじめてから、どうも、体の歪みが出てきて・・・」なんて言われたらたまらないじゃないか!『あなたが、いきなりブートキャンプに入隊しているからです!!!』とは、アバやんには言えないもん・・・私の弟子っこになってたら言うけどねぇ。
July 16, 2007
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おいおい、これでアバやん、三日坊主には満願したぞ! ここまで来ると、四枚目のDVDは、観たいじゃないか! 今日と明日は忙しいから、やらないかもしれないけれど、 あさってか、しあさってには少なくとも再入隊するだろう。 多分、このビリー・ザ・ブートキャンプも 流行りもので、廃っていくのかもしれない。 でも、別のプログラムを出してきて、当分は続くかもしれない。 やってみていて、やっぱり DVDの中のマッチョな女性方が必死でやっている事が、こんな私には平気でできることがあること、 ここに注目したいと思いました。 ヨガって、ここまでいける自分に知らない間に、なっている事ができるものなんだと。 が、やはり、全くムリムリな事がある。無理な度合いは、超無理クラスです・・・それは、私も不得意な箇所をヨガでもケアしきれていないからだと思います。 逆に、更に全体的にやれば、問題はない!という自信にもなりました。ヨガでも、弱点のところ(こそ、ケアしないといけないのに)は、無意識に避けがちになるのです。 ある生徒さんがいらっしゃるとします。 どうも、ここに意識がいきにくい人だというのがあるとします。 「あなたの先生は誰?」と聞かれる。 「あぁ、そう。先生の弱点と同じ箇所ね」って事が、ぶっちゃけで実際に起こるのです・・・。 私の教室でも、バリバリ偏っているかもしれません・・・ 反省する で なぜ、ここまでビリー・ザ・ブートキャンプが流行ってきたのか です。 ヨーガは6千年 続いている。 流行がどれだけ続くかという尺度ではない・・・ それだけ継承されてきた理由があるという事なのです。 苦しくなく、有効度が高く、全体のバランスでまるごと 体もこころもつくる上げていけるシステムとして 完成させているもの のことをヨーガといい、 ヨーガだけが完成されているというのではなく、 このように人にとって完成されているシステムをヨーガというだけで、 ヨーガの要素はそこここに普遍的にあるものなのです。 ビリーの説明の中にも、素晴らしいからだの意識も、ヨーガのそれが垣間見ることができます。 だから、なぜ、ブートキャンプは爆発的に流行っているのかは 私は「ビリー」なんだと思います。 ビリーがこころを込めて励ましてくる ビリーが、もうダメだ・・・というタイミングで勇気をもたせる声をかけてくるそして、体の意識の仕方を適切に説明している 安全な方法を伝えている (ただし、それはバランスの良い体を既に手に入れていて、体の意識を持てるようになっている人にとって安全) だれでもあのままやってはなりません。 ほんとうに、こころからのアドヴァイスでございます・・・
July 13, 2007
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もともと、ビリー・ザ・ブートキャンプに 執心ではなかったアバヤであった。 効果に興味がないなんて事ではなくて、 ブートキャンプが、普通の人の体には、大変なのが わかっていたからでした。 だから、三日坊主までもやってみる気もなくても 全然いいような。 でも、昨日も入隊して、三日坊主のうちの、二日も参加してしまえた。 だから、あと一日くらいはちゃんとやって 三日坊主には満願しようかと思っています。 でも、そうなると、あとDVDは1枚になるので 一通りはやってみるぞ!ってなるかもしれないなぁ。 絶対毎日でなくてもいいから、 やってみるといいかも。 昨日話していたご婦人からメールが入った。 「友人の分もヨガマット注文しておいてください!」 急いで注文しておかねば。 だって、先々週、既に持っている人のをながめて いらっしゃって、 「これいいわね」的に話していらっしゃるのはわかっていたのですが、 私にちゃんと 「注文します!」 とおっしゃったわけではなかったのに、 なのに 一週間後 「先生、ヨガマットは?今週もらえると思って楽しみにしていたのに!」 と言われたんだもん・・・・・・・ あーた・・・・ 注文をちゃんと 私になさってなかったのよ??? 来週持っていかなかったら、 ちょっと怖いもん・・・・・注文しておかねば
July 12, 2007
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ビリーをご存知でしょうか? みんな、ブート・キャンプって本来何か知っていらっしゃるのでしょうか?それで、やっていらっしゃるんでしょうか? 心配です・・・・・・ 私の友人のだんなさんなら、普段ブート・キャンプな人やけど。 流行っているものは、ヨーガ教師アバヤは、やって体験して、共感して、生徒さんにアドヴァイスしたり、動向を知ったりしようとする。 それで、生徒さんが 「先生、私、この動きしているとき、首が変な音するんですけど・・・」と言ってきて 「なんで、そんな動きするの?」 「ビリー・ザ・ブート・キャンプやってるんです」 「あぁぁぁぁぁぁ、あなたなら、ヨガも長いから 体の方向と使い方わかってきているから、無茶はなし、効果はあげられるでしょうね?」 「そうなんです」 「でも、体の方向と使い方知らない人がやったら、大変なことになると思ったでしょ?」 「そーなんですよ!!!」 という会話を経て、ブートキャンプが私の手元にも昨日とどき、いきなり入隊してみました。 DVDの中のムッキーさんもタジタジな事が、平気でできる自分にびっくりしました。 一方、みんなが平気でやっている事で、私はタジタジ、無理無理な事もいっぱいです。 何か基本的にしっかり体の使い方を身につけた人にはいいです。 ビリーは、体を一方向にだけ方向付けて偏り、凝りをつくらないようなプログラムにしているように思いました。 ビリーがというより、ブートキャンプなのですから、それ自体が研究されていないと、えらいことになるから・・・ が、しかし! かといって、昨日のクラスに、他一名いらっしゃるのです。 少々ご年配のご婦人が・・・ ヨガをはじめて二ヶ月目、 肩が懲りすぎて、おかしくなってやってきたご婦人で、 体の使い方が、変になっていていらっしゃったのに・・・ ブート・キャンプをやってるって!!!??? しかも 「先生!ヨガマット注文してください!」 こころの声(ブートキャンプにも使いたいから) {友人もほしいって言ってます。ヨガもやってないのに」 こころの声(ブートキャンプはやっています) しかも 「七夕の短冊にね、『ビリーについていきます!』って書いたんです!」と昨日おっしゃっていた。 あのぉ・・・・・・ 体の使い方、方向性、緩めるって事身につけないと あなた・・・足腰、取り返しもう付かなくなってしまいますよ・・・・・ ヨガのほぐしもままならない あなたが ブートキャンプやられても・・・ 重心はバラバラになっていて、きっと、いらぬ歪みができていると思うのです・・・ お願いです ビリーの前に まず、私についてきていただけませんか???
July 11, 2007
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アバやん、タイ式マッサージを体験しました。同じ店で、前はオイルマッサージを受けてみました。アバやんは、アーユルヴェーダ・セラピストでもあるので、勉強にって思ってというのは、殆どウソです。自分ケアは、自分ではなかなかできないからです。気持ちよかったけれど、やっぱり、その時だけ感がありました・・・やっぱり、自分ケアを人にして頂くにしても、アーユルヴェーダにした方がいいもんだとも思いました。最近、お気に入りの接骨院に行く時間もとれず、アーユルヴェーダのケアもできず、でも、めちゃくちゃ疲れがたまってきている気がしてきていました。今度はタイ式にしてみようと思って、時間もなかったので20分で試してみました。ヨガをやっているから、呼吸と意識ができたものの、これ、たいへんなんじゃないのかなぁ・・・普通は・・・という感想も持ちました。その時は、ふぅーって思ったものの・・・やはり、長続きはしないような。でもね、セラピストの人が「こんなところにきて、こんな事言われるの嫌かもしれませんけど、体がかなり悲鳴をあげていますよ」と言ってくれました。「いいえ、ありがとうございます。自分で思っているよりも、悲鳴あげていたんですね・・・」ってお話しました。今、仕事の事でも周りの波長が乱れています。私はそういうのを、みーんな身に受けるからなのかもしれませんが。だからと言って・・・・・・・そんな自分も受け容れて、好きになって、もっと大事にしてみようっと。
July 9, 2007
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アーユルヴェーダ・セラピストの関係で、ネイルをするのを断念していたアバやん。バイオジェルをご存知の方は、多いかと思いますが、バイオジェルネイルだと、リムーバーでボロボロ簡単に取れるそうで爪への負担は、かなりないそうで。爪を削ることもないそうで。普通のジェルネイルは、やめるなら、削って削って削りとるわけなのですね。爪がもう・・・・・・申し訳程度に残るような感覚で・・・・・お風呂に入っても、お湯の温度が指先にぐっとくるのよぉ爪ってこんな役目もしているんだなぁと、つくづく思ったものでした。それなので、ジェルネイルはもう無理かなぁと思うので、バイオジェルならと思いつつも、もういいっかなぁと思って数ヶ月以上仕事の件でも、ちょっと落ち着くまでは気分も沈むこともあるかもしれない今日このごろ。バイオジェルなら、いざとなったらすぐに取れるし、やってみるかと思って、久しぶりに店を通って、予約しました。明日は、休みなんですけど、夕方から行ってみようっと
July 3, 2007
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インドから帰国して、インドはなしを沢山アップしていこうと考えていました。帰国した次の日、私は感覚がインドインドで、実はまともにこの日本に適応していなかった・・・その次の日も、全然平気な顔をして仕事をしていたけれど、実は、適応は危うかった・・・その次の日、感覚を取り戻しつつも、危うい中なのに仕事の事で、発表があった。仕事の環境や状況がゴロッと全く変わる。私にはいくつかの選択肢が幸いにもある。でも、急に環境も状況も変わるのには、この時期、キツい。そんなこんなで、日記もかけないままいた。どこかで、慌てていない自分がいる。これって、本当にヒマラヤに行ったからかもしれない・・・ほんと、あれ以来、違う部分があるのだ。でも、どこかで、別の意味でそうでない自分がいる。その理由は、ハッキリわからない。こりゃ、内観していくしかない。インドに行くのか行かないのか、なぜ、行きたくないと反応するのかについて、今年の1月からずーっと内観して、自分を発見して、「よーし!」という感じで、インドもその流れで本当に発見、自覚、変化、全て良かったけれど、帰ってきて、二日で、更なるものをつきつけられるとは、想像もしなかった。落ち着かない。
June 30, 2007
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