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七月の三連休。九州や中国地方で甚大な被害の豪雨が続いています。被害に遭われた方にはお悔やみ申し上げます。 同じころ、関東の横浜や東京では梅雨が明けたのか?(実は明けていたようです・・)と思わせるような空が広がっていた、7月15日。
「東京の庭園めぐり」。ぶらっと、ホントにぶらっと出かけたのは、皇居東御苑です。住所は東京都千代田区千代田1-1です。
ここは、現在、宮内庁が所管する庭園ですが。かって、徳川幕府 江戸城の本丸と二の丸があったところです。
ヨメと、クルマで出かけました。やや心配しましたが、首都高はほぼノープロブレム。浜崎橋を左折、一の橋JCTから霞が関を通り抜け、スッと代官町出口を出ることができました。 予定通り、北の丸公園の皇居北はね橋門に近い駐車場にクルマを入れます。このときは、スッと入ったのですが、御苑を一巡りして戻ると駐車場は満車。入場待ちのクルマが三台ほど並んでいました。
梅雨の晴れ間の炎天下、皇居ランニングコースを走る方々の多いこと。サスガ三連休、なのでしょうかね。
橋を跳ねることで、江戸城への入城を遮断することが出来るという「北はね橋」門から、江戸城の内掘である乾濠を見ています。 ここで、入園証をもらって、中へ入ります。ちなみに入場無料です。
入ると直ぐ、天守台の石垣が目に入ってきます。江戸城天守閣跡ですね。家光の時代に創建された天守台は、かって高さが58mあり、天気がよければ房総半島からも見えたそうです。天守台は、明暦の大火で焼失し、以降再建されなかったのです。 往時の威容を感じさせる石積みです。ちなみに、高さ58mといえば大阪城天守閣とほぼ同じ高さだそうです。 ここ天守台の普請は加賀藩前田家によるものだそうです。
天守台の頂上部、現在はなんもありません。 天守台を下りて、しばらく歩くと、「松の廊下跡」碑があります。廊下に沿った襖に松(松並木だそうです)と千鳥の絵が描かれていたため、この名がついた。元禄14年3月14日、赤穂藩主、浅野匠守が吉良上野介に斬りつけた事件で、あまりにも有名な場所です。 御苑の中心部分は、広大な緑地になっています。ここがかっての本丸跡、ということになります。 この広大な芝生の地に、かって江戸幕府の本丸が築かれていたとは・・・古に思いを馳せる、ひと時であります。 家光が48歳で亡くなると、その子家綱が将軍職に就きます。家綱即位から6年ほど、明暦の大火はその時代に起きます。死者10万人ともいわれる、江戸時代最大の大火です。焼失した江戸城天守を再建すべきか否か。家光の弟、保科正之の再建反対論が議論を押しきったそうですが。 名君と言われる保科正之の威光が残る、皇居東御苑であります。
しまった!暑さと日照りに帰りを急ぎすぎ・・・二の丸庭園へ行くのを忘れました(ザンネン)
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