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主催者発表と警察発表だけを報じるマスコミ「keisatsuhappyoutdyno.201-(9:03).mp3」をダウンロード最近、反原発の大きなデモが2回あった。最初のデモでは、主催者発表15万人、警察発表1万7000人となっていた記憶がある。2回目が主催者17万人、警察5万人だったと思う.少し数字が違っているかも知れないが、おおよそこのぐらいだったし、多くの人が主催者発表と警察発表が大きく異なることを知っている.マスコミによっては、原発事故を軽く見ようというところは警察発表を、原発事故を積極的に報道しようとするところは主催者発表を採用する傾向がある。もちろん、両方ともある程度の根拠があると思うが、これでは報道にならない。報道するからには記者は「自分の目」でみた数字を出さなければならない。そうすると「責任」があるので報道しないのだが、もともと報道とはなにを報道してもその内容には責任がある。戦争の時には「大本営発表」というのがあった。事実と違うからと批判を受けたが、戦争中だから戦っている方にはいろいろな事情がある。でももし「報道の自由」があれば、大本営発表がどうであれ、取材によって正しいと考えられる結果を報道するのが筋だ。戦争中は報道の自由がなかった。でも今はあるのだから、マスコミは「主催者発表」、「警察発表」を止めて、「取材で確認した人数」を明らかにしなければならない。当然のことだ。取材をして当事者の言い分だけを報道しても意味が無い。・・・・・・・・・今から5年ほど前のことだが、その頃、ペットボトルはリサイクルされているのか?が問題になっていた。この問題は、 1)一般市民はペットボトルがリサイクルされていると思いたい、 2)マスコミはペットボトルがリサイクルされているように報道した手前、リサイクルされていないことを報道できない、 3)業者は補助金をしこたまもらっているのでリサイクルするといって引き取るのを止められない、 4)官僚は「焼却してもリサイクル」という法律を作り放り出しているし、自治体は現実には焼却していることがバレると困る、 という状態から生まれていた.あるテレビ局が大学に来られて、私にインタビューした。ペットボトルがリサイクルされているかについてのコメントを求めたのだ。私は自分の考えを述べた後、「これから何を取材されるのですか?」とお聞きすると、「リサイクル派の方に聞きに行く」と言われたので、「むしろ、テレビ局自体でリサイクルされているかどうか、取材をされたらどうでしょうか?」と言った.最近、マスコミの報道も経費節減で現地取材などなかなかできない。かつてはマスコミの記者が足を使って歩き回り、「真実」を求めたものだが、今では誰かに面会して取材するか、それなら良い方で旅費がないからと電話取材も増えてきた.マスコミの記者ばかりではない.私たちの分野、つまり学問の分野でも「人のデータ」を加工するだけの場合が多い.数年前、東京の一流大学の大学院修士論文の審査のご依頼を受けたことがある。もちろん、修士や博士の審査は他大学の先生が入った方が良いので快く引きうけ得た.その後、審査対象の修士論文が届いてビックリしたのは、そこで採用されているデータはすべて「官報、白書、公的報告書」なのだ。確かに公的データを使えば、データの出所について非難を受けにくい.私の著書が批判を受ける一つの原因が「権威のないところのデータを使う」ということによっている。そんなことで学生が大学院を修了できないのも可哀想なので先生としては公的データを使わせたのかも知れない。私は「お引き受けして申し訳ないが、審査もできません」と理由を付してお断りした.哲学などを別にすると学問はデータが勝負である.そのデータが官庁のデータではどうにもならない。官庁のデータは事実より政治的配慮が優先しているから、そこから導き出される結論は間違っている可能性が高い.・・・・・・・・・日本に民主主義が誕生してから歴史も浅いし、もともと血を流して獲得したという経験も少ない。日本国憲法にあるように民主的国家を作るには利権や権力と戦い続けなければならない。人間はまだ野蛮なのだ。(平成24年7月29日) 武田邦彦
2012年07月31日
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人生の節目・衝撃の一言:お母さん、こんな時は政府を信用した方が良いよ「fukusimanookaasantdyno.196-(2:35).mp3」をダウンロード先日、東京で大きな反原発デモがありました。このことをNHKは報道せず、ヨーロッパの報道から「デモは民主主義の一つの大切な手段で、これほど大きなデモを放送しないNHKの放送姿勢を問う」という批判が出ていました。それはともかく、そのデモで歩いていた福島のお母さんが、「原発が爆発したとき、私は逃げようと言ったけれど、息子は「こんな時こそ、政府の言う通りするのが国民の義務だ」といって避難しなかった。でも、本当は避難しなければならないところだったのです」と言っておられました。なんという政府でしょうか? これまで日本政府は国民が信用してもよい存在だった、少なくとも命の関わる危険は知らせてくれた・・・それに答えなければならないという純朴な青年をも裏切ったのです.(平成24年7月26日) 武田邦彦
2012年07月30日
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人生の節目・衝撃の一言:なんで「節電」しなければならないのですか? 「kyoujyufujintdyno.195-(3:36).mp3」をダウンロード先月、アメリカから大学教授夫妻が名古屋に来られたのでご一緒にお食事をしました。その時、私は試しに教授夫人に「節電という言葉を知っていますか?」と聞きました。夫人は「知りません。どういう意味ですか?」とお聞きになったので、電気をこまめに消したり、クーラーの温度を高くしたりすると説明しました。そうしたら、「何のためにそんなことをするのですか? 自分の判断で自分のお金で電気を使っているのですから」と言われたのです。つまり、国民が欲しいだけの電気をなんで電力会社が供給しないのか?という質問です。日本の政府とマスコミが作り出した奇妙なエネルギーと節約の概念をアメリカの教授夫人は理解できません。電気は工業製品であり、それを買うか買わないかは買い手の自由であり、供給できなければ電力会社の責任なのですから.自動車でもテレビでも、欲しいと言っても買うことができないのは崩壊寸前の共産主義国家ぐらいなものです。日本もだめになったもので、とても残念です。(平成24年7月25日) 武田邦彦
2012年07月29日
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原子力規制委員会:就任予定委員の反社会的活動をどう評価するか? 「tdyno.225-(9:29).mp3」をダウンロード(このファイルは記事を音声で解説したものです。クリックするとしばらくして再生します。音が小さいときにはマイクの音量を上げてください。)日本の大人、親として、今後の原子力の安全について真剣に考えなければならない。その一つが秋に発足すると言われている原子力規制委員会の概念と人選である.これについて「まあまあ、なあなあ」ではまた事故が起こり、子供達が被曝する.まず、第一に、原子力規制委員会と言われる組織ができるのは、これまで原子力は「原子力委員会」と「原子力安全委員会」の2つがあって、それぞれ「推進」と「規制」を担当し、その事によって日本の原子力の推進と抑制を守ることが国民の合意だったことを確認しなければならない。しかし、今は事故が起こったあとです。事故が起こったと言うことは「システムは万全だったのか、システムに問題があったのか」というだ。私は「ひ弱で御用学者になった東大教授と、組織的に完璧な防御網を持つ官僚」の組み合わせに原因があり、システムではないと考えている。あるとき、私がさっぱり改善されない原子力の安全について原子力安全委員長に話しに行ったときだ。「武田先生、周りを官僚に取り囲まれていて身動きがとれないのですよ」と言う。原子力関係者で原子力安全委員会を作っていたことも問題ではあるが、ほとんどの判断が官僚によってなされていたことが最大の問題である。さらに「勲章」と「老後」の問題がある。東大教授は順調にいけば退官後、適当なところに再就職し、さらに勲章をもらえる.だから55才ぐらいを過ぎると「元気な東大教授」は絶滅する.あとを考えるからだ.だから官僚に逆らって評判を落とすとそれで自分の後半生は終わりである.残念なことに、わたしは日本の官僚で「原発を安全に動かしたい」ということを第一に考えている人に会ったことはない。「原発は安全の方が良いが、国民はどうせ理解しないから、国民やマスコミが理解する範囲を最優先しなければならない」と確信している.だから「危険だからここを直すべきだ」という意見が出ると、「今更、そんなところを直したら今まで危険だったと言われる」と言うことになり、「非常時の訓練をするべきだ」というと「非常時が起こると勘ぐられる」というアウトローの人がいう類いの反論が来る.つまり、原子力を安全に進めるためには、 1)ひ弱な御用学者を登用しないこと、 2)安全委員を選ぶときのプロセスを透明にすること、 3)官僚支配の構造を打破すること、 が国民の安全を守ることになる。でも、福島原発事故の後になっても、このような議論がほとんどなされないまま、原子力規制委員会というのが新しくできることになっている。もし、新しい組織を作るなら、委員長や委員には「ひ弱な御用学者」ではなく、決定過程は「不透明な登用基準」でなく、さらに官僚が主導権を握らない組織にしなければ組織の名前を変えただけになる.・・・・・・・・・その点で、委員の候補として上がっている中村佳代子氏が福島で講演し「低線量被曝は問題ない」と発言したと報道されていることを国民として検討しなければならない。彼女は日本アイソトープ協会に所属し、「低線量被曝(1年1ミリ)の規制」に深く関係している。アイソトープ協会は放射性物質を取り扱うビジネスをしているところで、規制値が厳しい方が取扱量が増えます.だから、今までも1年1ミリを厳しく守ってきた組織だ.事故が起こらない前には低線量被曝を問題にして日本アイソトープ協会が扱う放射性物質の量を増やして商売をし、事故が起こると「低線量被曝など大丈夫」と豹変したとしたら、「ひ弱」どころか、専門家としての見識が疑われる。さらに問題なのが「遵法精神」である。原子力の規制で重要なのは、 1)推進の立場で物を考えるのではなく、安全を第一とする、 2)規制と規制の精神を守る、 ということである。そして日本の規制の法規には「被曝はできるだけ減らすこと」と明記してある.原子力規制から言うと「低線量被曝」は避けるべきことなのだ。もともと、原子力委員会に加えて原子力安全委員会を作ったのは、人間の脳の欠陥(自分が有利になるものが正しいと錯覚する)を補うためである。だから、原子力安全関係の委員は原子力を推進したら名誉を得たり、お金を得たりするのではなく、物理などを専門としているが、原子力には「やや批判的」な人材を登用しなければならない。原子力を推進する側は理論的合理的に、批判的な人を説得できること、それで始めて原子力の安全が保たれる。その点では、昨日のブログで指摘したように、すでに現在の日本は「困難な問題を正面から議論する勇気と根気」を失っているように見える。「原子力の批判的な学者を使えば、原子力ができなくなる」(安全に自信と説得力がない)ということが原子力安全委員会を有名無実にした一つの原因でもある。どんなに批判的な人でも、オープンで議論したら、理論的、合理的なものを反対するのは難しい。もしそれが学問的に判断できるものであればなおさらである。中村さんが具体的に「違法行為(低線量被曝は気にする必要がない)」、「法規で退避を必要とするところに住んでいても良い」などということを教唆したかどうかは講演の詳細が不明だからわからないが、この際、国かご本人が講演の全記録を示し、「違法行為を教唆したり、法律の趣旨に反したりする意図がない」ことを公にしなければならないだろう。国民は心の底から原子力の実施、福島方面の人の健康を心配しているし、それは事故を起こした日本人、日本の親の責務でもある.(平成24年7月26日) 武田邦彦
2012年07月28日
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日本国土は改造が必要、研究も不足している(環境運動の大転換に期待する) 「tdyno.224-(7:53).mp3」をダウンロード小学生が痛ましい交通事故に巻き込まれる報道が後を絶たない。そのたびに運転手が悪いということを言われるが、むしろもっと積極的に通学路と交通路を徹底的に分ける土木工事が必要だ。ただ、車が悪い、車を追放しろといっても、それは人をバッシングして不便になるだけで、車と小学生を分離して双方とも安全に生活できる方が良いのは決まっている。それには全国できめ細かい道路工事を必要とする。・・・・・・・・・梅雨の終わりの豪雨のたびに多くの犠牲者を出す。責任逃れのために「記録的」、「過去に例がないほど」などと言っても前向きではない。事故が起こるのは「豪雨」自体ではなく、直接的には「防災対策の遅れ」、根本的には「日本社会の弱さ」にある。土砂崩れが起こるところ、洪水が予想されるところはすでにわかっている。そこに資源と土木工事を集中して日本を安全な列島にする必要がある。場所によっては大規模に山を削り、その土で新しい国土を作ることもしなければならない。かつてのように「不要となった汚染された土で海岸を埋める」というのではなく、日本の環境を良くするために積極的に山を削ることを考える必要がある。・・・・・・・・・日本列島ができたとき、ここに日本人が1億人も住むことを予想して「最適な国土」を作ったわけではない。また一般的には山野の面積は国土の40%が上限とされていて、日本は30%ぐらい山を削っても問題は無い。「自然のまま」というのは必ずしも自然を守ることにはならない。人間は自然の一部であり、かつて恐竜のすることが自然の一部だったように、人間のすることも自然である。たとえば珊瑚礁というのはサンゴという動物の死骸だが、地形は大きく変化している。海の色もかつては汚い(人間の感覚で)緑色だったが、生物がはき出す酸素で酸化されて沈殿し、今の青色になった。人間が「自然を破壊する」と言うとき、そのほとんどが「自分が生まれた時を自然とすれば」ということで、それを「自然らしい」、「美しい」と感じる。20億年前に生まれていれば汚い緑色の海を綺麗と思うだろうし、珊瑚礁を見たら廃棄物に見えるだろう。人間の持つ頭脳に知性というものがあったら、感覚だけでは無く、じっくりと考えることも大切だ。・・・・・・・・・ドイツは今から80年前にアウトバーンを敷いた。アメリカは50年前に全国高速道路網を作って無料にした。日本は今でも山陰、和歌山、九州西部、北海道などの高速道路網が貧弱である。新幹線も北陸、羽越、山陰、和歌山、四国、九州西部、北海道などまだ敷設されていない。日本国土は狭いのだから、交通網を発達させて東京や大阪だけが価値のある土地という現状を変えなければならない。今は中途半端なので交通を便利にするとストロー現象(都市に人を吸い取られる)が起こるが、交通網を発達させ、権限を分散すれば国土はさらに有効に使用できる。・・・・・・・・・資源もあり、お金もあり(日本の貿易収支、対外純資産は世界有数)、円高、技術力ありなのですべての条件が整っている。でも、一つ足りないものがある。それは「私たちの国土をよりよくして子供達に引き継ごう」という前向きの気持ちがすっかり萎えてしまったことだ。鎖国政策をとれるならこのままでも良いが、世界との競争があるので、このままの国土では私たちの子供の時代は持たないだろう。日本がこれまで繁栄してきたのは「効率的」だったからで、今後も事故や天災をできるだけ少なくし、移動などの時間を効率的にすることが子供達へのプレゼントの一つになる。それに加えて、明るい社会を作ることは、直接的ではないにしろ、学校教育も良い方向に進むのは言うまでも無い。今、余りに悲観的になった日本は「自然をどの程度、改善できるか?」という議論をすることすら根気や勇気を失っているように見られる。この原因の一つが、政府や自治体の20年続いたご都合主義と、マスコミの誤報によるものだが、そんなものに負けてダメな日本を次世代に引き継ぐようなことがあってはいけないと思う。政府が決めたことに疑問を挟むのを「ださい」と言い出したころからの現象だが。(平成24年7月25日) 武田邦彦
2012年07月27日
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子供を守ることはストレスにならない(政策と報道の大転換に期待する) 「tdyno.223-(8:58).mp3」をダウンロード福島原発事故が起こって以後、政府、福島県、福島医大、マスコミ、識者は統一して「親が子供を守ろうとするとストレスがかかる。情報は隠した方が良い」ということで終始一貫していました。スピーディー、事故直後の風向き、空間線量率、再飛散、食材の汚染、校庭の汚染と運動による被曝、学校行事での被曝、給食からの内部被曝、子供の健康診断の結果など、本来なら子供を守る上でもっとも重要な情報が公開されませんでした。しかし、人間を含めた生物にとって「子供を危険から守る」というのは本能中の本能で、それがストレスになるのではなく、むしろ「子供を守ることができない」という方がストレスになります。どんな動物でも必死で我が子を守ります。事故後1年半も経ったのですから、それがストレスになるというのはきわめて特殊な考えであることに気がついてください。・・・・・・・・・政府と福島県が「親に危険を知らせる」ということを始めるためには、「基準」を決めなければならないでしょう。これまでの法規では「外部被曝と内部被曝を合計して1年1ミリ」ですが、これを守ることが難しい場合には、ICRPのような外国の任意団体に責任をかぶせるのではなく、日本として「何ミリシーベルトまでの被曝」を決めて、「それ以上になる場合は避難」という方針をハッキリさせる。今は、法規で1年1ミリ、山下さんや福島県に派遣された政府関係の専門家が1年100ミリと言われ、あまりに幅が広く、その判断を親に任せているという状態です。政府が一貫して1年100ミリ以下として、責任を持つならそれも一つの判断ですが、食品の基準は内部被曝だけで1年1ミリ、小学校の校庭が1年20ミリ、厚生労働大臣は1年1ミリ、それに2011年10月に改正された放射線障害防止規則では1年1ミリとバラバラです。この状態で「子供を守るのは親の判断」というのは不適切です。避難基準も、法規では1平方メートルあたり4万ベクレルですが、福島の3分の1は法規の基準を超えています。これについても政府は確たる判断基準を示す時期にあります。すでに事故から1年半を経て、汚染状態も明確になっています。また事故以来、たとえば福島市で中学校に通い、校庭でスポーツをしていた生徒がどのぐらいの被曝になったかは「生徒の立場で正確に」計算することができます。汚染は今後30年は続くのですから、親が子供を守る参考にするためにも、 1)政府が基準を示す、 2)すでに基準を超えた人を退避させる、 3)今後、基準を超えそうな人の退避準備をする、 4)汚染地域に住み続ける人の防護方法を提示する、 などがすぐにでも必要と考えられます。このような基準作りや被曝計算に当たって、専門家は職務に忠実に、学問的な目的以外の目的を持たずに誠心誠意、職務に忠実になってください。それこそが「迷信や村八分」などが無く、明るい「科学技術立国」だからです。日本国憲法には「健康で文化的生活の権利」が定められていて、子供の健康を守るのは政府と親の責任でもあります。指導層の方が現実から逃避せずに正面から子供の健康を守ってください。そのために第一歩として、徹底的な情報公開から始め、並行して基準作り、被曝計算、今後の対策を進めるべきと思います。増税議論はそれからで良いと思います。中部電力課長が「福島の事故で死者が出ないから問題が無い」と発言したのは、このような曖昧な状態を続けていることにも原因があります。 (平成24年7月24日) 武田邦彦
2012年07月26日
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「節約」は家庭で、国際社会は「競争」で 「tdyno.216-(9:44).mp3」をダウンロード現代の日本では「節約」はオールマイティーでどんな時でも「万能のお札」のように良いこととされているけれども、「節約」は良いことばかりではなく、「両刃の剣」でもあります。社会や人生には「ジッとしていること」が良いときと、「積極的に攻勢にでないと負けてしまう」ことがあります。生物というのは競争をし、進化を遂げ、一時すら止まっていることはないからです。「生物の業」と言ってもよいので、自然らしい、人間らしいというのはむしろ競争の方がしっくりします。「ジッとしていても良い環境や時代」には「節約」することが良い場合もあり、たとえば日本でも江戸時代のように鎖国をして外国と関係を絶ち(競争せず)、生産力が低い場合がそれに当たります。それでも江戸時代は飢饉、子供の間引き、短命、辛い毎日など決して今、考えるような良い生活では無かったのです。ところで、いつの時代でも家庭は競争もなければ生産もする場ではないので、「家庭では贅沢より、節約したほうが幸福になる可能性が高くなる」ということは言えます。「ホッとできる場所」の家庭は競争とは無縁です。家庭は「愛する家族、長くなじんだ愛用品」に囲まれて穏やかに過ごす空間です。でも、「節約」を社会に持ち込むと、一般的にはその国は滅びてしまいます。「節約」は「活動量を下げる」ことを意味しますから、それだけ競争力が低下するからです。最近では節電がはやり言葉で、「クーラーの設定温度を高めにする」というのが良いことにように言われますが、もしそれで能率が下がる場合には適切なことではありません。また「ムダ」と「節約」は違います。「ムダ」というのは同じ活動量で物やエネルギーを減らせることであり、「節約」は活動量を減らす結果になることが多いからです。ここまで、「節約と人生の幸福、日本の発展」に焦点を当ててきましたが、もう少し深く考えてみましょう。日本国憲法には基本的人権が明記され、日本国民は一人一人がその人の人生観、思想、信条によって自由に生きることができると定められています。私はこの基本的人権の考え方を支持しています。「太く短く生きる」、「少しぐらい苦労しても好きなことをして人生を送りたい」、「自分のお金の範囲で法律に触れなければ贅沢もしたい」というようなことは私にはすべて健全な考え方と感じます。世の中には、真面目一徹で模範的な人もおられますが、少し抜けているけれど人柄が良いとか、変人だけれど何かに夢中という人もいて良いのではないかと思うからです。「いても良い」というよりも、そんなことを考えること自体が傲慢で、いろいろな人の人生を自分の価値判断で「良い悪い」と決めること自体が傲慢なように感じられるからです。今から20年ほど前、主として官僚などが中心となって「日本国民は節約が好きだから、それを狙って金儲けをしよう」という計画が芽生え、「ゴミゼロ」、「CO2削減」、「節電」などと言う世界でも希で、科学的原理に反する運動が展開され、ずいぶん多くの税金を取られました。そして社会に吹き荒れた「節約ブーム」のために、経済成長は低迷し、中小企業は四苦八苦の状態になり、道路の改善が遅くなって小学生が交通事故にあい、山野の対策も遅れて豪雨禍に苦しんでいます。まさに「積極的にでて発展していかなければならない」というところまで制限が行き渡っている状態です。夏のクーラーにしても、「つける方がイヤだ」という方が多いのは当然です。その人もその人なりの「信条」や「体調」があるからです。でも、それはあくまで個人の思想信条の自由であり、他人に自分が良いと思うことを押しつけるような社会はそのうち、自分自身がイヤなことを押しつけられる事にもなります。ちょうど良いタイミングなので、「家庭では節約、社会は積極的に」という方針に切り替えれば、日本人の活力と個人の強さは格別なので、自由に個人がその想像力を発揮すれが明るい日本ができると思います。「節電」、「ゴミ減量」、「CO2削減」などを日本社会全体で強制するようなことは止めて、全体としては日本社会を発展させ、お金の流通を増やして少し生活を楽にし、会社の収益を上げて前向きに赤字国債や年金問題などを解決する方が良いと考えています。 (平成24年7月21日) 武田邦彦
2012年07月25日
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「温暖化」で国策を変える好機1997年の京都議定書以来、日本社会に暗雲をもたらした「温暖化騒動」もその国策を変える好機が訪れている。その理由は以下の通り。1) CO2によって空気の温度があがり、それによって海が暖まり気温が上昇するというシナリオは熱の学問から考えると可能性がきわめて低いこと、 2)海洋国家である日本が温暖化の影響を受けるのは時期的に最後の段階になること(米中の方がはるかに早く影響を受ける)、 3)京都議定書に参加した国で実質的にCO2削減義務を果たしているのは日本だけであること、 4)本当は意味の無い森林吸収分などを含めても、日本は目標を達成できないこと、 5)国連のIPCC(温暖化パネル)のデータの主要部分がウソだったこと(クライメートゲート事件)、 6)もともと国際的には削減義務は日本だけであり、原発事故が起こったことが京都議定書離脱の好機であること、 7)温暖化そのものが、1980年代のアメリカ農業と原発利権からでたものであり環境問題ではないこと、 8)地球は寒冷化に向かうのでCO2の削減は環境破壊になること。日本のエネルギー選択などの国策議論では、「温暖化の問題まで議論すると際限ないから、温暖化はするという前提」となっており、日本が大きく選択を誤る原因となる。また多くの識者、マスコミなどが「温暖化する、温暖化は怖い」と言い過ぎて「振り上げた拳を降ろせない」状態にあるけれど、日本国家の将来のためにメンツなどにこだわらず、間違ったこぶしは降ろさなければならない。もし温暖化そのものを否定するのが難しければ、「世界のどの国もCO2の実質削減をしていないから、日本も旗を降ろす」という曖昧なことでも良いから、早く「科学的事実」に帰る必要がある。過ちは改めるのに躊躇してはいけないし(憚ること無かれ)、日本だけが損害を続ける訳にはいかない。電気料金を半額にし、環境規制を緩め、日本の中小企業が元気になり、日本の若者が夢を持って仕事につくようにするのが大人のもっとも大切な任務である。「ondankatdyno.213-(6:35).mp3」をダウンロード (平成24年7月21日) 武田邦彦
2012年07月23日
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正しい電気供給量と電気料金(2) 適切な電気料金 外国からも電気が輸入され、公正取引委員会が監視し、正当な競争が行われていたら、電気料金は公平な競争のもとで自然に決定されますので「適切な電気料金」などを議論しなくても良いのですが、日本は島国で外国からの電気の輸入はできず、独占的環境で電気が供給されていますので、適切な電気料金を決めなければなりません。これまで政府と電力会社で電気料金を決めてきたのですが、これは「仲間内」の協議のようなもので、政府(官僚や政治家)も電力会社も電気料金が高い方が良いので、少しずつ高くなっていきました。そこで、今回、原発事故をきっかけにして日本の電気料金が奇妙な規則(コストで売値を決める)によって決まっていることも知られるようになりました。自由な社会で「競争がなく、コストがかかったらそれで売れる」というような商品はもともとないのですが、電力はその特殊なケースです。従って「原発を止めると石油を買わなければならないから」というようなことで電気料金を決めると「コストがかかればそれだけ高くなる」という罠にはまってしまいます。これを防ぐためには類似の産業を比較対象とすることで、たとえば鉄鋼業と電力業を比較します。最終製品を見ると鉄鋼業は鉄、電力業は電気ですから全く別ものですが、製造方法はほとんど同じです。鉄鋼業は石炭を買ってきて溶鉱炉で燃やして鉄を作ります。この場合、原料となる鉄鉱石から鉄になる「物質の流れ」は「賃加工」としてみれば考えなくても良いものです。これに対して電力は同じく石炭を買ってきて発電所で燃やして電気を作ります。だから、コスト構成は鉄鋼ときわめて類似しています。日本の鉄鋼は約9000万トン生産し、その約4割を輸出していますが、輸出競争力は充分です。従って、鉄鋼が国際価格で商売をしているので、電力も国際価格で販売できるというのがこの場合の基準になります。従って、日本の家庭用電力料金は国際価格の2倍です。また、原発をやるかどうかは国際価格には関係がありませんし、原発の廃炉、安全性や廃棄物を含めてのコストであることも当然のことです。従って、「適正な電力料金は国際競争力のあるものであり、それは現在の2分の1程度」というところから出発する必要があります。原発の廃止に伴って電力料金が上がるという計算がありますが、内容を見てみると「コスト」からスタートしています。コストからスタートすると、日本の電力会社のように、設備の発注は市場価格の2倍で、燃料の買い付けも市場の2倍でというような放漫経営ですから、高いコストがかかっています。産業界に少しでも身を置いた人ならわかりますが、時として「そんなコストで本当にできるの?!」ということが起こるのですが、なんとか頑張っているうちに数年前には考えられないほど安く製造できるようになるものです。日本の鉄鋼が世界に通用するのは、そのような厳しい競争環境を切り抜けてきたことによります。このように鉄鋼生産などから「基本的に適正な電力料金」をまず決めて、それからスタートしないと電力料金が高く、それは日本の発展に大きな阻害要因になるでしょう。この問題を抜本的に解決するのは「適正な競争環境」であることは、先日アップした「正しい電力供給量」でも同じ事が言えます。「tdyno.191-(7:49).mp3」をダウンロード (平成24年7月20日) 武田邦彦
2012年07月21日
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正しい電気供給量と電気料金(1) 適切な電気量 日本がどの程度の電気を使い、どのぐらいの電気料金であるべきかというのは日本の将来を考える上でとても大切なことです。電気は自動車、テレビ、そして家屋のように「生産するもの」ですから、原則的にはその国が求めているだけ製造会社は供給するのが正しいと言えます。まず、第一に適切な電気の量ですが、 1)ノーマルな経済の原理によって国民が求めるだけ供給する(正常な需要供給)、 2)国策によってやや過剰に供給する、 の2つがあります。まず第一に国民が産業や快適な生活を送る上で、電力の生産を担当している電力会社は、需要を充分に満たす電気を供給するということです。これはきわめてノーマルなことで、自動車が欲しいけれど買えない、テレビが欲しいけれど買えない、トイレットペーパーが必要だが不足しているという状態は、やや供給力が過剰な日本のような生産規模の国家では考えられないことです。むしろ不足する状態になるのは「供給会社の経営責任」でもあります。内需拡大の必要性が強調されたのは今から30年前。政府も経団連も内需拡大の基本方針に意義を唱えたことはありません。そして内需を拡大するためのもっとも基礎的なものは国民の活動量を増やすことであり、それは日本の発展に結びつき、景気を良くし、若者に適切な仕事を与えることになります。でも、電力のようなものは国民の活動を活発にするために政府の政策でやや過剰に供給するということも必要です。つまり日本の発展のためには電力を充分に供給することが大切だからです。このような正常な電気供給量の判断に対して、現在は「電気の消費量を減らそう」、「国民の生活の質を落としても節電」などと言われ、それが識者に支持されているのは驚くべき事です。原発の事故の原因がどこにあろうと、それを含めて製造会社の供給責任ですから、「節電」は日本国のためにならず、景気を悪化させ、日本の将来を暗くし、正常な経済活動を阻害し、電力の経営失敗を国を挙げて許すということになります。それでは具体的にどのぐらいの電力供給が適切かというと、一応、アメリカの供給力が参考になるでしょう。アメリカの電気出力は8億キロワットで、国民一人あたり2.7キロワットです。日本人の人口は1億2400万人ですから、アメリカ並みの電力を供給すると3億3000万キロワットになります。現在の日本の電気出力は1億8000万キロワットですから、まず第一に日本の産業界がしなければならないのが、電気の製造量を1.8倍に上げることです。これを国民側から見ると、「節電」どころかむしろ電気を今の1.8倍使うのが適切ということになリます。さらに原発の稼働、および増設をしないとすると、1億2000万キロワット程度に落ちますから、現在の2.8倍程度の発電をすることになります。この計画を本気になって日本の産業界が始めたら、需要はグンと伸び、景気は回復し、日本人が将来に夢を持つことが出来るようになるでしょう。これまで数限りない利権側からの宣伝(節電)の意識を変えて理性的に考えるのはかなり大変とおもいます。でも、電気やエネルギーの節約はその国の没落につながりますから、私たち大人の責任として原点に戻って冷静沈着によくよく考えてみる必要があります。「denki1tdyno.189-(9:03).mp3」をダウンロード (平成24年7月20日) 武田邦彦
2012年07月20日
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無念の死を遂げた人たち 2011年3月12日に爆発した福島原発。小雪の降る極寒に地震で打撃を受けた福島の人たちに放射性物質が追い打ちをかけた。2011年3月31日午後2時2分に共同通信から配信された情報によると、警察当局は、原発から10キロメートル以内に震災、凍死、あるいは放射線の打撃で亡くなり収容できないご遺体が数100から数1000あると推定していると報じた。その頃、上杉さん達の事実を伝えたいというジャーナリストは必死になって現場に入る許可を政府に求めていた。「少しでも情報があれば、まだ救われる人がいる」と叫んだが、政府は許可を与えなかった。3月27日には福島原発から5キロの大熊町でご遺体から高い放射線を測定した。ご遺体の除染を必要とする基準として警察が定めていた10万cpmの測定器が振り切れて県警がこのご遺体の収容を断念した。寒風吹きすさぶ福島の地に「汚染されているから」という理由で放置されたご遺体。私は日本人として心が痛み、涙をこらえることができない。ああ、すみません。こんな原発をやって・・・この地域のご遺体は、地震によって家屋の下敷きになったり、津波で服が濡れ折からの寒風で体温が下がった人が多かった。でも、放射線が強く救援が届かない。餓死、衰弱死、病死でなくなった方が多いとされている。あのときの寒さは酷かった。寒空の中でこれまで真面目に生きてきた日本人を見殺しにしたのは事故を起こした東電と、救援を拒否した政府だった。その時、東電の勝俣元会長と先日、公聴会で発言した中部電力課長はどこにいて、暖房をつけていたのだろうか? 私は大阪に閉じ込められ寒さに震えていた。大地震の後で家族と離ればなれになり、寒さに震えて死んでいった人たち、原発の事故で救援が来ないなか無念の死を遂げた人たち・・・私は許せない!(平成24年7月18日) 武田邦彦
2012年07月19日
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大事件2 「福島原発事故は事故ではない」の電力と日本社会の力勝負になった 「福島で人は死んでいないじゃないか。これからも死者が出ないことは(私は神様だから)わかっている。保証する.(だから事故とは言えない.事故でないのだから福島原発は安全だった。だから他の原発も福島と同じだから爆発しかしない。そうすると今の福島ぐらいしか汚染しない。人は死なない。だから原発は安全だ。)こんな理屈なら、電力が原発を再開しようとしているのは当然だ.国民は「福島原発は事故を起こした」と思っているのに、電力は「福島原発事故は事故とは言えない」と心の底から考えている.だから再開は当然だ.こうなったら、国民と電力の力比べだ。国民は油断はできない。電力が持っているお金は国民の電気代だが、国民は電力からしか電気を買えない。反抗したら「電気を出しません」というだろう。それに、政治家、官僚、マスコミに膨大なお金を流している。このお金も国民の電気代だが、そうはいっても一度、電力の手に渡ったら勝手放題だ。東京都、大阪市も大株主だが、それほど信頼できない。原発は完全に危険になった。これまでは「安全に万全を期しても事故が起こることがある」ということだったが、今は「福島は事故ではない。死なないのだから騒ぐな」と電力が言うのだから、大飯原発もどこも「危険なまま運転する」だろうし、第一「危険」という線引きが違う。電力が「安全」というのは「爆発しても放射性物質が漏れても安全」ということだから、日本語が違う。法律はすべて無視する完全な反社会団体だ。マスコミがこの大事件をどのように報道するかで、マスコミ自体が反社会団体かどうかもわかる。誠意ある人が集まろう。子供を大切にする人は集まろう! これからは力の時代だ。どうしても私たちはこのすばらしい日本を守って子供に引き継がなければならない。まさか「福島の事故は誰も死んでいないから事故ではない」という日本人がいるとは思わなかった。それは死者がでるかどうかより、誠意がない。反社会的でしかも人間を感じることもできない。仙台、名古屋の両方だから、政府と電力の共同作業だ。反社会的電力をこの日本から排除するために大同団結するには、「反原発」ではなく「反社会的電力」をまず排除するようにして、すべての日本人、子供を大切にする人が団結し、その後に「原発はどうか」という順序にしないと、敵につけいる隙を与えると思います。彼らの攻撃の的は「日本の発展を考えずに原発に反対している特殊な人たち」ということですから、「そうではない。私たちが望んでいるのは誠実な社会であり、反社会的なことを許さない社会、日本人が助け合う社会だ」ということをハッキリさせなければ分裂させられてしまいます。「tdyno.192-(6:19).mp3」をダウンロード (平成24年7月17日) 武田邦彦
2012年07月18日
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大事件1 中部電力課長の発言から一夜 日本のエネルギー政策の公聴会で中部電力課長が「福島では一人の死者も出ない(何を騒いでいるのだ)」と公式に発言し、さらに記者のインタビューに対して「原発を止めたら日本がダメになる」と答えていたのを聞いて、久しぶりに頭に血が上ったのですが、一晩、眠れぬ夜を過ごしてみると、この発言の全貌がわかったような気がします.私が今、到達している結論は「やはり、日本の指導層は民主主義は間違っていると信じている」と言うことです。これまでも著作物、発言などを読んだり聞いたりして、どうも日本の指導層が民主主義を良いものと思っていないような気がしていましたが、この発言はまさにそのような背景を持ったものです。日本の原子力は次のようなステップですすんできました。 1)日本の産業と軍事(核武装)を発展させるためには原子力を進めなければならない、 2)しかし原爆を落とされた日本では原子力を進めるのは国民の抵抗が強い、 3)そこで国民に2つのウソをつく必要がある、 4)一つは原子力を平和利用に限ると約束する、 5)もう一つは原発が安全だと約束する、 6)並行して核武装のために遠心分離器によるウラン濃縮と核廃棄物が2.6倍になる再処理をして原爆用のプルトニウムを得る、 7)法規では国際基準に合わせて「1年1ミリ」と決めておくが、事故が起これば1年100ミリまで大丈夫と言う、 8)現実に福島原発の事故が起こってみると、当初の作戦通り、日本の指導者は「1年1ミリの法規を守るのはけしからん!」と豹変してくれた.この中で「1年1ミリ」は国際基準なので、日本だけが1年100ミリでは食材ばかりではなく、工業製品の輸出もできません.そこは曖昧になっていたものと思います.いわゆるダブルスタンダードで、日本国民と国際的には「1年1ミリ」と言っておいて、心の中は「1年100ミリまで良い」ということです。この場合の「良い」というのは、「健康に問題はない」というのではなく、「原子力のためにある程度の犠牲を出しても良い」という意味です.日本は集団性の強い民族(文化かも知れない)で「全体のためには個人を犠牲にして良い」という傾向があります。先の戦争で日本軍が強く、特攻隊が維持できたのは「全体のために我が身を犠牲にする」ということが国民の合意でもあったのです。「我と我が身を犠牲にして日本のために尽くした」という戦記を読むと、日本人の血が騒ぎ、つい感激してしまうのです。・・・・・・・・・中部電力課長の発言は、言葉を換えれば「福島原発の事故なんて問題ではない.死者は出ないのだから」ということになる。つまり、逃げたり、除染したり、農作物を捨てたりすること自体が無意味で、人も死んでいないし、これからも死なないから、騒ぐなということだ。そして「原発は日本にとって必要だ。国を滅ぼすつもりか」と言っているので、もともと原発で福島ぐらいの事故は事故とは言えない。だから福島規模の事故は「危険」とは言えないというのが電力会社の公式見解だ。たしかに、1年100ミリまで大丈夫といっている人もいるし、1年1ミリの法規がなく、電力会社が今まで国民に説明してきたことも無かったことにすると、理屈は通っている.仙台と名古屋で2回の公聴会があり、2回とも電力がでて所属を名乗り、仙台では「会社の見解」ということで意見陳述を行っている。つまり、次のことは現在の日本の電力会社の「公式見解」であると考えられる.1)福島原発の事故は「事故と呼ぶほどのものではない」、 2)従って、福島原発は「安全な原発」だった、 3)従って、日本の他の原発も「安全」である、 4)福島原発の事故を「事故」と呼ぶ方がおかしい、 5)電力が国家であり法であるので法を無視するのは当然だ。 6)従って原発の再開は当たり前のことである。このことが電力の公式見解であるとすると、これまでの東電、関電の威張った対応や、マスコミのへりくだった電力に対する姿勢を理解する事ができる。でも、このような電力会社は日本の電力会社としては認められない。従って、九電力のうち東北電力、中部電力は直ちに解散して、新しい会社に移行すべきである.このような暴力団的、反社会的団体を残しておくことはできない。他の電力会社は急いで見解を発表して、自ら解散するかどうかを決めるべきである.政府の増税に続く、あまりにも大きな反社会活動である.「tdyno.190-(7:57).mp3」をダウンロード (平成24年7月17日) 武田邦彦
2012年07月18日
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誠意ゼロの電力会社 このところ各地で近未来の日本のエネルギーについて政府の提示した3つの案に対する国民の「意見を聞く会」が開かれている.この種の会はやらせなので、意味がない。今回もどのぐらいの人数からどのような方法で出席者を選び、その中から発言者をどのような基準で選択したのか、民主主義に必要な手続きが一切公表されない。それだけでも無意味だから、マスコミが報道すること自体が問題かも知れない。ところで、ここで注目したいのは原発推進の意見を述べた東北、名古屋の電力会社役員と社員だ。「被曝しても病人は出ない。間違いない」と発言した。この発言は「逮捕されるべき発言」である。つまり「当事者が法律に違反し、違反を教唆する発言」だからである.・・・・・・・・・原発を稼働するにあたり、電力会社は「法規」と「自主規制」いう形をとって国民に被曝の限度の約束をした。それは、 1)1年1ミリ以下にする、 2)それを現実的にするために原発敷地境界では1年50マイクロシーベルトを超えないようにする、 3)自主規制として原発従業員も1年1ミリとする、 ということだった。このことを実施するために、膨大な設備を作り、従業員を5万人も増やし、その経費をすべて電気を使う国民につけた.ところが、事故が起こると「1年1ミリ以上でも絶対に病気にならない」と政府の主催する会で公言した。ということは、詐欺か疾病強要だからどう見ても犯罪である.それも大きな顔をして言っていた.いったい、自分が約束して原発を動かしていたのに、事故が起こったらこんなに簡単に前言を翻す・・・こんな人が原子力をやっていたのかと思うと、一時期、原子力技術に携わっていた私は愕然とする.今は国民に申し訳ないと思っているけれど、私を始め多くの原子力技術者は「安全な原子力だからやる」ということであり、「間違っても1年1ミリ以上の被曝をさせることはない」ということで進めていた.まさか、それが原発をやるためだけのカモフラージュであり、心の中は「もっと被曝しても良い」と思っていたとは!この日本はどうなっているのだ? まさか「ハッキリと約束を破った人は監獄」という法律が必要にも感じられる.そうなると、首相(いったん辞めて総選挙をしてから増税するなら政治的決断になる)、経産大臣(直ちに健康に影響がありません)、文科省大臣(スピーディー隠し)、NHK(安全と報道して記者を福島から総引き上げ)、電力会社幹部(1年1ミリと言ってそれ以上でも安全と言い直す)などが逮捕されるだろう.恐るべき社会だ.これでまともな教育をしろといっても無理である.日本人は約束を守らない人たちの集団だったのか!「tdyno.189-(7:51).mp3」をダウンロード (平成24年7月16日) 武田邦彦
2012年07月17日
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時事寸評 言うことを聞かない子をどうするか? 中学校や高等学校の教育はとても難しいのですが、大学でも時々「講義もできない」という状態になることがあります。ワルの一団が教室にいて、講義を始めてもワイワイガヤガヤ、まったく講義を聴かずに大騒ぎをしていることがあります。小さい頃から「何をしても良い」という「優しい教育」を受けてきたので、自分では歯止めが効かないのです。私が彼らの机の横に行って「聞きたくない学生は出て行ってくれ」と大声で言っても「フン」という顔をして、黙りません。机の上には禁止されている飲み物が置いてあり、椅子に膝を立て、横を向いて6人ぐらいで大声で話すのを止めないのです。「前を向けっ!」、「出て行けっ!」と大声で怒鳴りますが、私は柄は小さいのですが、迫力、根性はある方で学生がどんなに私をにらんでもまったく意に介さずに怒鳴りますが、気の良い先生や女性の方の場合はなかなか難しいとおもいます。教育のご経験のない方では「そんなのは無視していて良いじゃないか」とか「合格させなければ良い」などと言いますが、機械の小さな音を聞かせることもあれば、静かな環境で聞いてもらわなければならない講義もあります。さらには「落第が何%以上になると補助金を切る」という文科省の変な指導もあり、落第もさせられず、暴れる学生を止めることもできず、教師はどうにもならないという状態になるのです。いわゆる「ゆとり」の前は「高校の時に携帯電話を持っていたら取り上げられる」という教育を受けているので、「授業中に携帯を使っては行けない」ぐらいは知っているのですが、ゆとりの世代は「なんで携帯で電話しては行けないの」ということから始めなければならないこともあります。・・・・・・・・・このような状態を打破するのは、第一にムチ、第二に立たせておくというような体罰以外に方法がないのですが、それはできません。すでに「教師のムチ」がなくなってからかなりの年月が経っていますので、「立っていろ!」と怒鳴っても腰を上げませんし、腕をとって背の高い乱暴な男子学生を立たせるのはかなり大変です。日本の知識人、マスコミ、文科省はこのような「困難な教育環境」をどのように解決するのか、まったく知らん顔で、「難しいことは現場に押しつけて、なにか問題が起こると現場の責任にする体制」だけを作るのに熱心です。つまり「教育には興味が無い。子供に愛情がない」という人たちがテレビでワイワイ言い、制度を作っているということです。一言で言えば、文科省がいじめの元を作り、テレビが他人ごとのように報道し、現場はなにもできずに呆然とし、そして中学生が死んでいるということなのです。私が最初のこのシリーズで教育委員会に「ウソをつかない」事を求めたのは、自殺を防ぐことができない中学校の現場の状態を素直に記者会見で言って欲しかったという事だったのです。「tdyno.186-(9:54).mp3」をダウンロード (平成24年7月14日) 武田邦彦
2012年07月16日
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節電利権(1) 電気だけ?不思議な現象 ある人が自動車を買い換えようと思ってトヨタの販売店に行き、「そろそろ古くなったので、新しい車が欲しいのですが」と言うと、セールスマンの反応として論理的には次の二つがあります。1)「最近のクラウンはとても良くなりました。是非、お買い求めください」 2)「トヨタの車は長く乗れますから、もう少し乗られたらいかがでしょうか? 人間にとって我慢も大切です。それにトヨタの生産計画が少し遅れていまして、トヨタとしてはお買い求めいただかない方が良いのです。」この2つのセールスマンの反応を聞いて、2)の方で納得する人はいるでしょうか? 普通の人はセールスマンが「買わない方がよい。生産計画が遅れている」などと言ったら、「なんて自分勝手な会社だ!どんな車に乗りたいかは乗る方が決めるのだ。我慢も大切だと! お節介も甚だしい! こんな会社から二度と買うか!」と腹を立てたり、気持ちが悪い思いをするでしょう。・・・・・・・・・でも、電力会社は2)のようなことを白昼堂々と言っています。それを政府、自治体、マスコミが後押しをしているのですから、実に奇妙です。日本では電力を供給する会社は「サービス業」に分類されています。この分類はおそらく「目に見える物」を供給するのが製造業(第二次産業)で、「目に見えないこと」をサービス業(第三次産業)という感覚があったからでしょう。また、経済学的にはクラークの定義(無形材)などがありますが、やや定義は曖昧です。おそらく、普通の人にとって電気は見えないものと感じるのでしょうが、科学者の私にとっては電子の運動そのものですから、ハッキリとした製造業です。製造工程としても、石炭を溶鉱炉で焚けば鉄ができ、石炭を発電所で焚けば電気ができるのですから、まったく同じです。しかし一般の人は、「鉄と電気」というとかなり違うように感じます。この間隙を突き、マスコミを見方につければ(もう一つ・・・日本なんかどうなっても良い。自分だけ良ければ良いと踏ん切ることができれば)電気というものを特別なものにすることができるのです。ところで、エネルギーというのはこの世のあらゆるところで消費されます。自動車を作るときには、鉄鉱石を地下から掘り出すエネルギー、外国から日本に運ぶエネルギー、溶鉱炉で使う膨大なエネルギー(鉄鋼業はエネルギー多消費型の素材産業と呼ばれます)、圧延のエネルギー、鋳造、鍛造のエネルギー、石油を使ってプラスチックやガラスを作るエネルギーなどエネルギーの塊です。だから、「新車を買う」というのと「電気を使う」というのは「エネルギー消費」という点では、使うお金に比例してほぼ同じ事をするということです。それでもなぜ「自動車を買うのは買う本人の意思」であり、「自動車会社は競争してできるだけ買ってもらうように努力する」ことによって社会が正常になるのに、電気の場合は逆なのでしょうか?それは日本の電力会社が戦後になって地域独占になり「少なく売った方が労力はいらないし、もうけは変わらない」という奇妙な会社になったからです。アメリカがほぼ日本の2倍の国なのに、電力生産量は8億キロワット、それに対して日本は1.8億キロワットと4分の1にも達しません。電気は日本人の活動の源ですから、全体的に見ると、電力関係のわずかな人の利権のために日本全体の活動力が低下しているということがわかります。このような錯覚が生まれるには利権に絡む現代日本の闇があるからですが、でも、こんな大きな間違いをしていては日本がダメになるのは間違いありません。「setsudeniminashitdyno.177-(9:29).mp3」をダウンロード (平成24年7月10日) 武田邦彦
2012年07月15日
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ズバリ!なぜ?!・・・なぜ政府は原発にお金を出すの? 原発が特殊なものだったのはすでに40年ほど前で、今では世界で430基、ごく普通の発電方法になった。それなのに政府は年間5000億円ほど(直接的には4500億円)税金を使っている。財政が赤字の中、なぜ原発に膨大な税金を出し続けているのだろうか?ズバリ、 「核武装のため」 である。つまり日本政府は原爆を持とうとしているのだ。電力会社の社会の反撃は受けるし、事故の危険性はあるし、東電ですらつぶれる危険があるのだから原発などやりたくないのが普通である。でも5000億円をもらい、家庭用電力をアメリカの2倍に保ってくれる政府に貸しを作るためには経営のリスクは負うということだ。消費税増税の隙間を塗って原子力基本法を改定して核兵器を持てるようにしたのも、原発が止まる事を想定したものだ。青森の再処理工場から大量の放射性物質が出ているが、絶対に止めない。再処理工場こそが核武装の施設だからである。でも、日本を愛する人同士なら冷静に議論できるはずだ。愛国者なら闇で核兵器をやる必要はない。すでに堂々と核兵器の必要性の論陣を張っている識者もいるのだから。(平成24年7月13日) 武田邦彦
2012年07月14日
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時事寸評 少年を殺したのは国会か? この題名が過激で品がないことは良く承知していますが、大津の中学生が可哀想で、それを考えるとこの程度のタイトルは許されるのではないかと思って、つけました。少年を死に追いやったのは何だったのでしょうか? その一つに「大津の中学校にみなぎる正義感の不足」だったと思うのです。どこの中学校でもそうですが、「ウソをつかない」、「約束を守る」、「暴力をふるってはいけない」、「不当なことは許されない」などの最低の道徳が存在しないと、個別の行動だけを規制するのは実質的に困難です。そしてこのような「道徳」は大津市、滋賀県、日本に充満していないと、中学校だけに道徳的雰囲気を求めても現実の運営はできません。たとえば、授業に遅れてくる生徒に「遅れてはいけない。何時から始めるかはみんなでの約束だ」と言っても、「だって、首相でも約束を破っているじゃん。」と言われれば終わりだからです。今の日本は「ウソ」、「約束破り」、「いいわけ」、「裏でいじめる」などで充ち満ちています。テレビの取材の応じた女子中学生が「そろそろ本当のことを言った方がいいんじゃない」と中学校の中で言っていましたが、まさに「ウソついても良いのだ。それが大人なのだ」ということを子供も知っているのです。人が成長していくとき、いったんは社会より厳しい道徳のもとで育てる必要があります。大人になれば少しのだましやウソがあるのですが、それはその人の評判や生活などに直結しているので、ある程度のセーブが効くのですが、子供は利害がないので、いくらでもだましたり、ウソをついたりすることになります。中学校で暴力の歯止めがきかないのはこの原理があるからです。社会にでれば暴力事件を起こさない子供が中学校などで暴力をふるうのは、未成熟であるとともに、利害関係がないので本人も限界を決めにくいということだからです。その意味で、子供には大人より強い道徳が必要ですが、国会の偉い人がウソを言い、詐欺をし、謝らず、責任を取らずという現実を毎日、見ていたら先生がいくら注意をしても聞く耳を持たないのです。この教育問題について、第一に「教育者自身がウソをつかないこと」、第二に「教師は聖職であること」を示しましたが、第三に「指導者は立派な人間であること」が求められるのです。原発のウソ、増税の約束違反は日本の教育に大きな影響を与え、日本社会はよほどの覚悟をして出直す必要があるでしょう。参議院本会議の首相のいいわけは目を覆い、耳をふさぐようなものでした。これで、中学校に捜査が入ったり、先生の指導を批判しても意味がないことです。相変わらずテレビ、新聞は見かけのことだけを問題にしていますが、もう少し無くなった中学生を可哀想に思い、自分の立場をすて真摯にこの問題に踏みこんでもらいたいものです。「tdyno.185-(7:14).mp3」をダウンロード(平成24年7月13日) 武田邦彦
2012年07月13日
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時事寸評 三つの聖職と社会の選択 この世には三つの聖職がある。それぞれ「命を奪って良い人」、「体を傷つけて良い人」、そして「魂に手を触れる人」である。それぞれの職業の名前は「裁判官、医師、教師」である。これらの人たちが本来なら人間にできないことをしなければならないのは、社会に犯罪人、病人、子供がいるからに他ならない。しかし、これほどのことをするのだから、それに携わる人に求められる条件が二つある。それは第一条件と第二条件に別れているが、第一条件は「プロの倫理を守ることができる人」で、 1)普遍的法則に従う(職業上の命令者を持つ)、 2)長期間高度な鍛錬をする、 3)不特定多数に忠誠を誓う、 ということでこれはこのブログで再三、解説を加えている「専門家の倫理」である。 今回の事件で不特定多数とは生徒のことであり、文科省でも教育委員会でもない。教師は子供に対して忠誠を誓う。第二条件は、第一条件を満足するための前提であり、 1)世間が三つの聖職を尊敬すること、 2)名誉やお金より職を大切にすること、 3)生活が保障されていること、 だ。厳しい要求はそれに応じた待遇と覚悟がいる。今回の大津の中学校の事件は、日本の教師が聖職でないことによる。これは戦後の日教組の方針、社会の先生の対する態度、先生の待遇(給与ばかりではなく過重労働)、保護者の無理解などが重なって、現在のようになってしまった。「子供のための教育」を期待するなら、まず第一に教師を聖職としなければならない。テレビ・新聞の論調を見ていると、やや枝葉末端にわたり、本質議論を避けているように見える。「tdyno.183-(8:07).mp3」をダウンロード (平成24年7月12日) 武田邦彦
2012年07月12日
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時事寸評 教育者のウソを止めるには小学校のいじめ、自殺問題があとをたちません。教育はそれが行われる社会に強い影響を受けますから、社会が活発なときには教育も活気のあるものになり、社会が沈滞するとさまざまな問題が起きます。とくに現在の日本のように首相をはじめとして、マスコミまで「ウソをつく」、「ウソをつかない人を批判する」というような極端な状態の中で教育だけを正常に行うのは至難の業です。たとえば「約束を守りましょう」と教えようとすると「首相だって約束を守らないじゃないか」と言われますし、「しっかり勉強して偉くなりましょう」と言っても、「偉い人」の具体的な例を挙げることも難しいという状態です。それに「ウソをつかなかったから、事態がこじれたではないか!」マスコミがたたくことも頻繁に行われます。その中でも原発事故からズッと驚くことが多かった日本の教育界で、子供の自殺を巡った学校と教育委員会のウソの連発は目を覆うばかりです。今日(2012年7月11日)の朝のニュースでは大津市教育委員会、大津市長のミスを盛んに報道していましたが、教育委員会が自殺についての「アンケートはやったけれど、記載されていたことは見ていなかった」という発表には「まだウソを言う習慣が抜けていないな」と思った人が多かったでしょう。アンケートの内容の中でも自殺にもっとも関係の深い記述が複数あったのですから、見落とすはずもなくハッキリとしたウソでしょう。もしウソではなかったら、こんな非常識なことがどうして起こったかを説明しないと「ウソ」と断定して良いとおもいます。このブログは「常識で判断できることは、発表などがそれと違っても、その理由を説明しなければ常識で判断したことを正しいとする」という立場をとっています。今日のようにウソを平気で言う「偉い人」がいる場合の国民の自衛手段として認められるという見解です。・・・・・・・・・いじめや不祥事の真なる原因は社会の不正、よどみにあります。明るく前向きで、正直な社会にはいじめなどは発生しにくくなるからです。そしてその中心に「取り繕うウソ」があります。なぜ、教育界はウソをつくのか?それを少し考えてみます。教育現場では常に「正直であれ、約束を守れ」と教えているのですから、その先生方が自らウソをつくことは考えられませんが、それが現実です。私が本当の意味でウソをつかないようになったのは、40才ぐらいです。それまでも「大きなウソ」というのはつきませんでしたが、「こう言っておけば自分に得になる」とか、「ここは何とかギリギリでしのごう」ともがいたものです。当時、「ウソをつく」というより、「本当のことをそのまま言う」ということに余り価値を認めていなかった感じがします。突き詰めて言うと「事実を言うことより、物事がうまくいった方が良い」という感じです。今回の野田政権の増税のように「国民との約束を守る」というより「今、財務省の言うことを聞いておいた方が良い」というような判断と同じようなものでした。このようになるのは、1)誠意ある人生を送ろうと思っていなかった、2)その場が良ければ長期的なことは軽く見ていた、3)本当のことを話したらどうなるか不安だった、の3つの理由があったように思います。・・・・・・・・・ところが、だんだんウソを言わない生活になり、今では何でもそのまま言います。そのために、1)自分のことはそのまま言う、2)社会の事もそのまま伝える、3)自分以外の個人(公的な人は別)のことはできるだけ「その人」とわからないように言う、ということを守っています。とくに、1)相手が回復できないこと(性別、育ち、所属、職業、生活の場所、家族、年齢など)は言わない、2)相手が反撃できなければ言わない、という2つを厳密に守っています。さて、そのような制限の中で「そのまま言う」という生活をしてみると実に快適でした。なにしろ「前はどう言っただろうか?」とか、「どういうのが有利だろうか?」、「これを言ったら酷い目に遭うのではないか?」などはすべて無く、心のままに言うので快適です。そして、そんな生活はさらに私に宝物をくれました。それは「いつも心のままに言っても人に好意を持たれるためには、心を綺麗にしておかなければならない」ということを知ったからです。それからというもの、「自分の考えも正しいかも知れないが、自分と正反対の考えも、同じく正しい」という私の信念や、「自分が考えていることは間違っていることが多い」ということにも気がつきました。このような経験の中で「本当のことをそのまま言ったらどうなるのだろうか?」という恐怖はすっかりなくなり、人から「武田さんは、あまりにそのまま言う」と言われるようになりました。このような生活をしていると、「ありのまま」でも「人の信頼を得る」という生活ができるようになり、その結果、ますます「ウソをつく必要がない」という自分になったのです。・・・・・・・・・今回の自殺の問題で、私が教育委員会にいましたら、アンケートも含めてそのまま発表したでしょう。そして、それによって咎を受けるならそれはそれで、受け入れたと思います.その方が長い人生では自分の命を大切にすることになると、テレビに映っていたご年配の教育委員の先生にお話をしたかったと思いました。「教育関係者、先生方、ウソをつかないでそのまま言ってもそれほど怖いことはありません。自分がしたことは仕方が無いので、それを受け入れる方が悔やみもなくなります。」 政治家は余りに周囲がウソで固まっているので、傷が深いのですが、せめて教育界からウソのない社会を作ってもらいたいものです。ただ、この問題は「学校教育と保護者の関与」という面で、「学校と親が一緒になって教育をする」という視点でも考える必要があるでしょう。「tdyno.183-(10:00).mp3」をダウンロード (平成24年7月11日) 武田邦彦
2012年07月11日
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ズバリ!なぜ?1・・・原発を動かそうとする電力会社 目の前で無残にも5兆円企業が断末魔を迎えている。それは福島原発事故で重傷を負った東京電力である。それにもかかわらず原発を動かすのに執念を燃やす電力会社はなぜ??【答】税金で高収益になるから 電力の総売上は約16兆円。そのうち原発は30%だったから約5兆円。それに対して直接的な毎年の税金が5000億円。だから黙っていても売り上げの10%を税金からもらうからぼろもうけである。つまり本来、原発は電力会社にとってうまみのないものだが、国家に10%を支払ってもらえるので、原発は儲かる。 (このほかに再処理費用、地元費用なども税金持ち。およそ1兆円。原発を止めれば消費税も減る。)なぜ、原発に限って国が5000億円にもの税金をなぜ出すのか、それは次の機会に「ズバリ」で書く予定です。(平成24年7月10日) 武田邦彦
2012年07月10日
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東北大地震が予測できなかった科学的な理由と人災 ここに示したグラフは地震が起こる1週間前から地震が起きた当日にかけての伊豆半島の地震の様子を示したものです。3月5日過ぎから急激にマグニチュード(右目盛り)2程度の地震が頻繁におこるようになります。 このグラフは横軸に2011年の3月5日頃から3月11日までで、縦軸の棒グラフが一つ一つの地震振動、折れ線が「累積地震数=3月5日頃から数えたトータル地震数」です。京都大学の地震研究者のデータをサイエンス誌が掲載していました。3月5日頃から急に地震が増え、とくに大地震が起きる直前には急激に増えて折れ点が見えます。 横軸は時間で折れ線の最後の●のところが大地震です。このグラフで何がわかるのでしょうか?この余震を観測したとき、「大地震の予兆ではないか」と考えた地震学者もいたようですが、それを「学問的に結論づける」ことはできませんでした。つまり、「なぜ、これほどの兆候があっても地震が予知できないのか?」ということが問題なので、それを科学的に解説をします。・・・・・・・・・地震にも数種類ありますが、簡単に言えば「固い岩石が地下の岩盤がズレる」ということです。一つの場所だけでずれれば何にも起こらないのですが、「地球の地下(地殻)」は「固い固体」でできていますから、どこかがズレて形が変われば、そのズレは日本列島全体に及びます。大地震であるほど「大きくズレる」わけですから、震源に近いところは2メートルとか10メートルとかズレ、かなり離れたところ、たとえば日本海岸でも数10センチはズレるところもあります。つまり、地震を予知するということは、「岩石同士がいつズレるか?」を予想することです。上の図で小さな振動が見られるのは大地震の前に小さな岩石のズレが起こっているということです。ところが、この小さなズレが数日後に大きな地震になるかがわからないのはなぜでしょうか?よく道路に面した崖に大きな石が乗っていて、今にも落ちそうなことがよくあります。その崖の岩石が今にも落ちそうだ(近いうちに大地震が来そうだ)、でもそのまま30年は落ちていない(大地震が来ない)というのと同じで、「地殻に大きな歪みがある」というだけでは「明日か100年後か」はわからないのです。ところで上の図を見た学者は、なぜ3月8日頃、せめて警告を発してくれなかったのでしょうか? その理由は、 1)もしかすると大地震の前兆だが、そうでないこともある(学問的な問題)、 2)そうでなかったら批判を受ける(社会的な問題)、 ということなのです。つまり地震学者が予算を取りたいために40年ほど前、「地震の予知ができる」と誤解されるようなことを言ったので、自分で自分の首を絞めて、学問と社会の責任問題が絡んでしまったのです。もともと「東海地震が来る」というのは学問的にウソで、「どこに地震がくるかどうかわからないが、東海地震を研究材料にして、いつの日か地震予知ができるようにしたい」と言うのが正しかったのですが、地震関係の天下り団体を作り、学者がお金をもらえるために、阪神淡路大震災、新潟付近の地震、そして今回の東北大震災の犠牲者を出したのです。地震が起こった1ヶ月後には「東北地方の地震について」の研究会が予定されていたほどです。その1ヶ月前に、これほど明確な兆候があっても、「地震が来そうだ」ということも言えないという状態だったのです。学問的に間違っていること・・・「原発は安全だ」、「被曝しても大丈夫」・・・などと言う学者がいるのですから、仕方がないのですが、「日本の原発は耐震性(震度6以上)も耐津波設計もされていない」、「被曝と健康の関係は学問的には不明で、目安があるだけ」、「地震の起きるメカニズムはわかってきたけれど、予知などはまだまだ」と勇気を持って言う必要があります。国民の方も「地震予知は学問が進まないとわからない」と正しく認識し、目先の「役に立つ研究」より、「基礎研究を充実させることで日本国を立派にする」ぐらいの雰囲気ができないと犠牲者を増やすだけになるでしょう。今度の東北大震災は私は「人災」と思っています。それはあたかも東海地震が予知できるようなことを言い、阪神淡路、新潟、東北の備えをおろそかにし、今でもその反省が見られずに、今でも予知できるようなことを言う人が跡を絶たないので、困ります。東北大震災で犠牲になられた方の無念を思えば、「学者のメンツ」や「役所の責任逃れ」などにならずに、本当に「地震予知はできない」ということを前提に防災対策を講じる必要があるのです。「tdyno.176-(6:56).mp3」をダウンロード (平成24年7月8日) 武田邦彦
2012年07月08日
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時事寸評 なるほど!社説でわかる超現実主義 私の大学教育の基本は次の2つです。 1)試験で監督をしない、 2)講義に遅れたらしばらく立たせておく。試験の監督をしないのは、「試験は単位が取れるかどうかではなく、勉強した自分がどのぐらいの力になったかを知るため」であることを普段から教えますので、当然のことです。普段の講義の時、学生に次の2つのことを教えます。 1)この科目を勉強したくなかったら講義に来なくて良い。講義にでて眠っていては人生のムダだ、 2)お習字を習いに行って課題を出すときにお習字の上手な人の書いたものをコピーしても意味が無い。もう一つは、「約束を守ること」です。講義に遅れた学生は適当な時間、後ろに立たせておき、「人間にとって約束を守ることがもっとも大切だ。大学で難しい物理を学んでも、人との約束を守れないなら物理など勉強する必要がない」と教えます。この場合の約束とは「何時何分から講義が始まる」ということで、先生も学生もこの単純な約束を守ることが大切だからです。どんなに偉そうなことをいっても、どんなに力があっても人との約束を守れないような人が大学を卒業する価値はないと言います。・・・・・・・・・この2つを大学で教えている私にとって、2011年の原発事故が起こった後、1年1ミリという約束を破ったマスコミ報道、2012年の国会で消費税増税が衆議院で可決されたことは驚きでした。「1年1ミリ」は「日本は原発を進めるけれど、国民の被曝はどんな時(事故以外では原則として原発では被曝しない)でも1年1ミリに納める」という約束(法規)があるし、現実にそれができるのに約束を守らなかったということでした。また、2009年の選挙で公約、マニフェストに掲げたことをほとんどやらず、その正反対の政策(増税)を可決したことです。私にとってはこの2つは理解する事はできず、また許すこともできないことです。もしこのようなことを「正当」とすると、学生を教育することができなくなります。まさか、学生に「約束を破っても良い」と教える訳にはいかないからです。そして私はマスコミの偉い人がなぜ約束を破ることに甘いのか、理解ができないでいました。・・・・・・・・・ある新聞の社説を読んでいましたら、私の疑問が解消されました。その社説では「すでに民主党政権ができて3年経ったのに、公約は何一つやっていない。やらないのだから、民主党の公約はないも同然だ。だから、増税は当たり前で、それに反対するなどけしからん」という論旨でした。官僚の抵抗や社会の反対で公約が実施できないなら別ですが、「議員定数80名削減」など第一公約で約束して、国会だけで議決できるものもやらないのですから、「ウソと詐欺」といって良い状態なのですが、この社説によると「ウソと詐欺」が現実なのだから、その現実を踏まえて「ウソと詐欺」を「正しい」としようという訳です。実は、これまでも新聞の社説を読んでいると、「ご都合主義」というか、「超現実主義」というか、人を裏切ろうと、何をしようとその時にもっとも現実的で自分が得をするものなら何でも良いという考え方です。新聞は「新聞などについては社会的意義が大きいので減免措置が必要」と財務省と合意している。まさに「声が大きいものだけが得をする」というこれもご都合主義の主張でした。子供に教育できないようなことが社会の主流の意見になる・・・日本の知性が崩壊していくことを新聞の社説が主導するということをやってはいけないと考えます。 「tdyno.168-(6:41).mp3」をダウンロード(平成24年6月30日) 武田邦彦
2012年07月06日
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人間の進歩と未来(2)・・・未来を止めるものはない 今から30年ほど前、一冊の本が日本の多くの人の思考力を止めました。その本の名前は「成長の限界」で、内容は「経済の発展には限界がある」というもので、作者はメドウスという真面目で人間の理解が不十分な数学者でした。もともと学者でも地質学者や生物学者は人間に対する理解が深いものですが、それはこれまでの地球や生物の歴史に通暁しているからです.それに対して私も含めた物理や数学の人は理論が先行しますから、自分勝手で理屈っぽく、視野が狭いのが特徴です.これはその人の職業がもたらすもので、どちらが悪いというようなことではありません.生物学者はお酒のみで人なつっこく、物理学者は傲慢で付き合いづらい人が多いものです。メドウスは「1970年の世界がなにも変わらなければ」という前提で未来を計算し、「21世紀に人間の発展は止まる」と本に書いたのです.それをメディアが「何も変わらなければ」という前提を言わずに「発展は止まる」とだけをくり返しました。なぜ人間の発展が止まるかというと「資源が枯渇し、環境が破壊されるから」とメディアは言ったのです.このこと自体に矛盾が含まれていましたが、多くの人がそれに気がつきませんでした。ちょうど、現在の日本で「温暖化が怖い。石油がなくなる」と言っているのと同じで、石油が無くなれば温暖化の原因となるCO2を出すことができなくなるので、この2つは同時には実現しません。事実、メドウスもそれは気がついていて、彼の予想では「資源が豊富な方が環境破壊が早く来る」というものでした。資源を失えば活動量が低下しますから、資源が豊富な方が環境技術ができなければ破壊が進むのも当然でもあります。でも、メドウスに間違いがあったわけではなく、「世界は変わっていく」のが事実ですから、メドウスの前提をよく考えなければならないのです。メドウスの結果は「仮に人間がなにも改善できなければ(人間が人間でなければ)、あと100年以内に発展が止まる」ということですから、「発展が止まると成長に限界がある(発展が止まる)」と言うことでもあるのです。・・・・・・・・・今から200年前には電気も蒸気機関車も鉄鋼の大量生産方法もありませんでしたし、100年前には自動車もテレビもコンピュータもなかったのです。時代は「多消費型」だけの方向に進んでいるのではなく、あらゆる方向に進んでいます。そしてこれからも人間の改善はGDPで言えば年間2から3%ずつ、つまり100年間で活動量は7.2倍から19倍(この計算はそれほどの精度がないので約10倍から20倍といって良いでしょう)になるだけ進歩します。改善は前方向に進みますから、エネルギーが豊富なら豊富な方向に、無くなればエネルギーがなくなっても大丈夫な社会を作ります。それほど難しい事ではありません。農業はほとんどが水耕栽培になり力仕事はいらないでしょうし、漁業はサカナを自動的に誘導する方法が開発されるでしょう。楽しみのために旅行に行くことはありますが、ビジネスはすべて電子的に行われ、現在の「出張」がなくなり仕事にはほとんどエネルギーを使わなくなると考えられます。都市の形も大幅に改善され、今でもすでにドーム型都市で冷暖房に使うエネルギーは10分の1が現実になろうとしています。すべての活動に使うエネルギーが10分の1になれば、おおよそ1000年は持つといわれている化石燃料(石油、石炭、天然ガス)は1万年になり、また別の世界になります。・・・・・・・・・もともと、なぜ原始的な単細胞だった緑藻類が人間になったかというと、生物は「改善してやまない性質」を持っているからです.サルが人間になり、ネアンデルタール人が現代人類になり、四大文明が現代文明になりました。すべては「すべての人間が不都合を改善し、すこしでも良い方向に進まなければ気が済まない性質」を持っているからに他なりません。ただ、人間の頭脳は欠陥があります。その欠陥とは「頭にないことを思い浮かべることができない」というものです。電灯が発明される前、人間は夜は暗いと思っていました。電話が発明される前、人間は大声を出さないと情報を遠くに届けることはできないと思っていました。どうしても必要なときにはのろしや早馬を利用し、それはそれで社会を構成していたのです.「成長に限界がある」というのは「自分の頭は、頭に入っていないことは思い浮かべない」と言っているに過ぎないことは、37億年の生物の歴史が如実に示しています.「tdyno.172-(9:10).mp3」をダウンロード (平成24年7月5日) 武田邦彦
2012年07月05日
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福島4号機を考える2 爆発までの時間(2)空だき 今回は福島4号機のプールの冷却ができなくなった時、どのぐらいの時間が経つと水がなくなったり、放射性物質が空気中に出てくるかということを考えてみます。福島4号機のプールには2010年11月頃に「使用済みになった燃料」と「定期検査のために使用中ではあるが臨時に格納されている燃料」の二つがあります。いずれもすでに運転を止めてから1年半ぐらい経っているので、かなり崩壊熱(放射性物質が崩壊するときに出る熱)が減って、止めた直後の100分の1ぐらいになっています。もともと崩壊熱は核爆発の熱の10分の1ぐらいですから、原子炉の出力(100万キロワット)の1000分の1、つまり1000キロワットぐらいになっています)。このような発熱とプールの大きさなどから厳密に計算をするのも良いのですが、このブログに乗せたように発熱グラフや計算はなかなか難しいので、むしろ簡単に考えた方が正確で誰もが自信を持つことができます。燃料プールには下の方に燃料棒が並んでいて、全体が水につかっています。おおよそプールの高さは燃料棒の3倍ぐらいと考えられます。先日(2012年6月30日)に4号機の冷却が止まりましたが、これは循環水が止まって、プールにたまっている水の温度があがりました。その様子から1時間に0.3℃上がっています。これは崩壊熱と水の量、比熱、放熱などから原理的にも計算できますが、実績を使います。仮に4号機の冷却がまったくできなくなり、何らかの事情で人も近づけず、修理もできず、さらには新たな水も注入できなくなったとします。そうすると、1時間に0.3℃上がるので、30℃から100℃まで70÷0.3=233時間、つまり約10日間で沸騰が始まります。放射性物質の崩壊は温度によりませんし、温度が上がると放熱や一部の蒸発がありますから、10日間としてそれほど間違いは無いでしょう。【第一の結論】 4号機のプールが蒸発を始めるまでに10日ぐらいかかります。 ・・・・・・・・・さて、100℃になるといよいよ水の蒸発が始まります。水というのは1グラムの水が1℃あがるのに1カロリーを必要としますが、蒸発の時には1グラムで539カロリーが必要です。つまり、30℃から100℃まで70℃あがるのに1グラムで70カロリーですから、その7.7倍の熱が必要と言うことになります。燃料プールの水面から燃料棒の頭の部分まで水が沸騰するにはプールの水の3分の2が蒸発する必要がありますから、70℃から100℃までの時間10日に(7.7×2÷3)をかけただけの時間がかかります。 10*(7.7*2/3)=51日 【第二の結論】 福島4号機の冷却ができなくなった場合、できなくなった時から51日後に放射性物質が漏れ始める。・・・・・・・・・52日目から水面の上に燃料棒が顔を出すので、若干の放射性物質が漏れ始めますが、まだ水があるのでそれが沸騰している状態で数日は100℃からそれほどは温度が上がりません。そしていよいよ60日目(約2ヶ月後)から燃料棒が水蒸気と反応して温度があがり、セシウムなどの揮発性の放射性物質が飛散することになります。ただ上部がすでに何もないので、水素が出ても爆発はしません。燃料の循環ができなくなって蒸発が始まるまで10日間ありますから、この間に「水を投入する」ということだけは可能になるでしょう。事故後に登場した「鶴首」のような放水装置があればプールに水を注ぐことができます。必要な水の量は多くないので、外部からプールに水を注ぐことができると考えられます。それもできない場合、2ヶ月後から使用済み核燃料がむき出しになるので、少しずつ放射性物質が飛散することになりますが、空気で冷却されますから燃料棒が融けるほど温度が上がらないと考えられます。もともと、使用済み燃料棒は原子炉から取り出してから5年後には水冷から空冷に変わりますが、1年半後(今)と5年後では崩壊熱は現在が1.6メガワット、5年後が0.8メガワットと計算されますから、約2分の1になるに過ぎません。つまり、今でもすでに「空冷でもギリギリ大丈夫」というレベルなのです。【第三の結論】 4号機に近づけなくてもすでにかなり崩壊熱は低いので、大量の放射性物質が飛散することはない。 ・・・・・・・・・検討するとこのようなことになりますが、「4号機の冷却が止まると関東一円に住めなくなる」と危険だと警告されている方の結論と余りに違い、事故が起こっても2ヶ月ぐらいの余裕があり、さらにその被害は2011年3月に比較して小さいということなので、さらに検討を加えたいと思います。「4gouki2tdyno.170-(8:47).mp3」をダウンロード (平成24年7月5日) 武田邦彦
2012年07月05日
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人生の節目・衝撃の一言:えっ!森がCO2を吸収しないってホント?!すでに10年以上前のことですが、千葉の放送大学のホールでフランスと日本の文化の比較についてのシンポジウムが行われ、その場で「日本の環境」について講演をしました。そこで私が「森林はCO2を吸収しない。少なくとも現在、問題になっている地球温暖化とは関係がない」と説明をしましたら、そこに同席しておられた科学技術総合会議議員の東大教授が「えっ!森がCO2を吸収しないって?!」と驚かれました.その東大教授は超大物で法学がご専門でしたが、法学的立場も科学技術の発展に資するので科学技術総合会議の議員になっておられたのです.法学ですから、「森がCO2を吸収するか、それが温暖化に影響を与えるか」ということを考えるのに必要な光合成、腐敗、地中への埋没、地球物理学などの知識は持っておられず、専門の先生にウソを教えられたようです。私の説明にも信じられないという顔をされていましたが、日本の中枢の知性はこんなものか!と私の方もビックリしたものです.「francesympotdyno.171-(3:32).mp3」をダウンロード(平成24年6月30日) 武田邦彦
2012年07月04日
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福島4号機を考える1 爆発までの時間(1)核爆発 4号機の仮設建屋の建設が始まり、放射性粉塵が飛び散っています。また、4号機の冷却装置が1日半、故障してプールの温度が10℃ばかり高くなりました.多くの人が4号機の状態に不安を持っていますが、本来は充分な説明を行うべき政府、自治体、マスコミは「不安を持つ方がおかしい」ということで、冷却が不能になっても通報も避難誘導も、報道もしませんでした。不安を持つのは人間として当然ですし、事故を起こした福島4号機の工事粉塵や冷却不能について、無条件で「大丈夫」ということはないからです。そこで2,3回のつもりで4号機の問題を考えてみたいと思います。今まで多くの人が「4号機が危ない」と警告を出しておられますが、その根拠を科学的に説明したものが見当たらないので、ここでは最初から考えてみます。また、このシリーズでは「2011年3月の爆発より大きな危険を生じるか」ということに焦点を当てています。・・・・・・・・・4号機の核燃料プールの危険性は、 1)臨界に達して核爆発するのではないか? 2)崩壊熱で水が蒸発して冷やせなくなるのではないか? の2つが心配されていると思います。原発の核燃料が炉内で核爆発をして熱を発生し、その熱を水に移して発電に使うのが原発の原理ですが、使用する核燃料は「爆発しにくいウラン(4%ウラン235)」なので、爆発させるには、 1)適切な配置(1.5センチの燃料棒の集合体を作り15センチの空間を空けて詰める)、 2)燃料棒の間に水をはる(核爆発のためには水が必要)、 3)核爆発を止めるホウ素のようなものがない、 という3つの条件が必要です。これに対してプールでは、 1)燃料集合体の間の間隔が30センチ(新)から40センチ(旧)も空いている、 2)水があるので、それは危険側、 3)普通はホウ素が入っている、 なので、現在の状態では核爆発は起こらないということになります。それではプールから水が漏れた場合はどうでしょうか? 空だきになるので温度があがります。その場合は、 1)燃料の間隔は30センチ以上空いている、 2)空だきになり水がなくなるので爆発はしない、 3)ホウ素はある、 ということで爆発しません。次にプールが地震などで壊れてプールの中の燃料がガラガラと床まで落下した場合はどうでしょうか? 1)燃料の間隔は落ちていくときや落ちた床で15センチになることがある、 2)水はない場合とある場合がある、 3)ホウ素はあるけれどどこかに飛んでしまうことがある、ということで、プールが空だきになるより落下した方が核爆発の危険性は高くなります。しかし、このブログに書いたようにたとえ小さな核爆発を起こしても、それは続かないでしょう。プールから燃料が床に落下するということは、落下した燃料はばらばらでバインド(強く締め付ける)もしていません。一方、核爆発すると熱が大量にでますので、燃料棒の間の水が沸騰し、空気が膨張するので、その力で燃料棒が離れて爆発は止まります。広島の原爆ではウラン235が90%以上だったのであのような激しい爆発をしたのですが、ウランの濃度が低ければ東海村の臨界事故のように建物の中にいる人が被曝して死亡するぐらいの事故になるでしょう。地震が起きて福島4号機がゆっくりと破壊し、燃料プールが徐々に破壊され、そこから燃料棒が床に落下し、そこで空間的にちょうど爆発状態になった燃料が瞬間的に臨界になっても原発の外には影響はありません。1日か2日経って、激しい雨が降ったり、水をかけたりして床に落下した燃料が水没するまで2日ぐらいが経ち、そこで臨界になった場合、核爆発が起こる可能性があります。つまり強い地震が起こってから4日ほどの余裕があるということです。この時点では原発の風下10キロぐらいは避難する必要を生じます。さらに、核爆発が起こるとそれまで床に落下していた燃料棒の位置が変わるので、それが再び爆発するような位置に変わるまでにまた数日を要するでしょう。1週間後ぐらいで、1万分の1ぐらいの確率で2回目の核爆発が起こった場合、原発の風下30キロぐらいが危険地帯になると考えられます。・・・・・・・・・まとめると次のようになります。 1)4号機が核爆発する可能性はほとんど無い、 2)水が漏れて空だきになったら核爆発の危険性は下がる(水がないと安全になる)、 3)地震で4号機が倒壊すると1万分の1ぐらいの確率で原発の風下30キロぐらいは危険地帯になる。私は4号機の核爆発は心配していません。それより工事の粉塵の方が危険です。「tdyno.167-(10:00).mp3」をダウンロード (平成24年7月3日) 武田邦彦
2012年07月03日
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時事寸評 国民との約束より仲間内の約束 泥棒やアウトローの集団というのは、社会に対して犯罪をするのに仲間内だけは約束を守ることに厳しいものだ。外から見るととても滑稽で、自分たちがもともと社会の約束(法律など)を守らないのに、仲間内では「あいつは約束を守らないのだから!」などといっている。今の民主党がそうだ。選挙の時に国民との約束した公約を守らないで増税したのに、「党議拘束」を守らないといって増税に反対票を入れた仲間を厳重に処罰するといっている。仲間を処罰する前に自分自身を処罰しなければならない。今朝方、新聞が財務省と増税の密約をして増税キャンペーンをしていることを書いたが、同じように新聞は「国民との約束」より「民主党内の約束」の方が大切という論陣を張っている。これも何らかの密約があるのではないか? 「tdyno.166-(3:02).mp3」をダウンロード(平成24年7月1日) 武田邦彦
2012年07月02日
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緊急情報4 福島4号機冷却できず 100℃を超える日 福島4号機の工事が杜撰で、冷却配管を損傷したと考えられます。このため、6月30日の午前6時から冷却ができなくなり、温度が少しずつ上昇しています。そのうち正式な報道がされると思いますが、私が計算したところ、このまま冷却配管が損傷した場合、4号機のプールが100℃を超えるのは7月5日夕刻と考えられます。私はその後も急激な放射性物質の飛散はないと思いますが、専門家によっては飛散があるとしている人もいますので、一応、温度の状態だけ計算しました。おそらく、このままいって使用済み核燃料プールの温度が100℃を超えて、水が沸騰し始めるのは7月5日の夕刻と考えられます。その後も余裕があると思いますので、福島の人はすぐ逃げる必要はないでしょう。風向きには一応、注意をしておいてください。(平成24年7月1日) 武田邦彦
2012年07月01日
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