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人生の節目・衝撃の一言・・・それじゃ、広報費を増やしましょう 「kouhouhitdyno.225-(4:01).mp3」をダウンロード今から3年ほど前でしょうか、原子力委員会の研究開発部会で原子力予算の分配をしている時に、私は次のように発言しました。「ここにおられる原子力関係の方は原発が安全だと考えておられますが、日本人の多くが原発に不安を持っています。この際、私たちが間違っている可能性があるので、原発の安全研究のお金を増やす方が良いと思います。」これに対して委員長代理の先生が「わかりました。それでは広報費を増やしましょう」と言われたので、私は「いや、原発が安全と言う広報をするのではなく、原発は危険だという前提のもとで安全を見直す研究にお金を投じたいという意味です」と説明しました。科学者は自然に対して謙虚で、研究をする過程でイヤと言うほど自分の考えが未熟であることを知ります。厳しい研究をすればするほど、自分の至らなさを感じるものですから、その点で、この委員長代理(東大教授)は「科学者ではない」と言うこともできるでしょう。また、人の意見が自分と違うとき、人の意見が正しいかも知れないと思うことが民主主義の基本と思うのです、この時の委員長代理の発言はまだ良く覚えている衝撃の一言でした。「これでは日本の原子力もダメだ」と感じたものでした。(平成24年8月28日) 武田邦彦
2012年08月31日
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尖閣、竹島、四島・・・領土と国(1) 台湾 「taiwantdyno.224-(9:16).mp3」をダウンロード尖閣列島、竹島、そして根室四島(北方四島という呼び名はいかにも「日本ではない」という感じがするので、ここでは根室四島と呼ぶ)が注目を集めています。そこで、この問題を整理することにしました。「領土」と言うからには、その前提として「国」がなければならないのは当然です。そして、日本に住んでいると歴史が長いことと、四方が海なので国というのは「大昔からあるもの」と考えがちですが、世界では「国」や「国境」がハッキリしている方が珍しいということをまずは頭に入れなければなりません。その意味で「固有の国土」などというものはほとんど無いのです。たとえば、台湾ですが、明治初期の台湾は「清」という中国の国が軍隊を派遣していましたが、「清の国土」なのか「清の勢力範囲」なのかはハッキリしていませんでした。明治4年に琉球王国のご用船が難破して台湾に漂着した時、乗員69人の内、54名が斬首されるという事件がありました。今の常識では考えられませんが、「今の常識」はまさに「今の常識」であり、これを歴史的なことにそのまま適応するのは不適切です。ともかく、琉球王国も「国かどうかハッキリしない」という時期だったので、琉球政府に代わって日本政府がこの事件について清に賠償を求めます。難破して漂着した人を殺害するのですから、もし「国」であればその国の政府が賠償しなければなりません。ところが清は「台湾の中国人がやったのなら別だが、現地人がやったのだから俺には責任がない」と回答しました。この回答でわかることは台湾は清のものではなく清の一部が台湾に駐留していたということです。私たちは現代人ですから、どうしても「どこの国か?」と聞きたくなりますが、昔(たった150年ほど前)でも、「地域」があっても「国」ではないところは多かったのです。かくして紆余曲折はあったのですが、日本軍が台湾に上陸して報復します。ところが、中国の守備隊は台湾を守るのではなく、台湾の人を殺戮し、台北を放棄して逃げてしまいます。このことも、台湾は「清の領土」ではなく「清の軍隊が駐留していた」と言うことを示します。後に整理しますが、「中国」というのは「地域」の名称であって、「中国」という「国」ができたのは共産党が中国を統一したごく最近の事です。建国は1949年ですからまだ60年ほどしか経っていません。これは政治的な意味合いではなく学問的な解釈で、詳しくは歴史学者宮脇先生とシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」で詳しく解説をしています。結局、台湾は歴史的に「国」であったことはなく、日本と清の間の戦争(日清戦争)のあとの下関条約で「清の統治下」から「日本の統治下」に入り、まもなく1915年に「内地延長主義」、つまりそれまでの「植民地統治」から「日本国の延長」ということにかわり、歴史的にははじめて台湾は「日本国」という国の一部になったのです。私が「日本国は千島列島(占守島)から台湾まで」と言っているのは、政治的とか、良い悪いではなく、単純に歴史的には有史以来、台湾が国になったのは日本国の一部になってからという意味です。たとえば、アメリカ合衆国というのは最初は北アメリカの一部に13州を作って独立したのですが、その後、西に進み、インディアンやメキシコなどと戦って、州を増やして今のアメリカ大陸の「国」ができたのです。カリフォルニアがアメリカ合衆国の一部であるということと同じく、台湾は日本であるということになります。その後、日本が戦争に負けて台湾を放棄し、そのすぐ後(日本が降伏した1945年8月の2ヶ月後)、中華民国という国(中国ではない)が台湾に進駐して「実効支配」している状態です。200年前の状態という意味では台湾は台湾人(中国は台湾を植民地にしていたので、インドとイギリスの関係と同じ)のもの、100年前というと日本国、そして50年前というと誰のものでもないということになります。もし、台湾をもともとの人に返すということなら台湾人(1945年に移ってきた中華民国人ではなく、もともとの台湾人)という事になります。もちろん、領土は政治的、感情的なものですから、このようなことを言うと日本を支持してくれている今の台湾の人からも文句を言われますが、歴史的にはこのような事だったということです。そうなると、台湾と琉球の間で台湾に近い尖閣諸島は誰のものなのでしょうか?少し長くなりましたので、また書きます。(平成24年8月28日) 武田邦彦
2012年08月30日
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対立の構図 対立を煽る人たちと知的犯罪 「tairitsutitekihanzaitdyno.222-(12:16).mp3」をダウンロードさて、理科系の学問は30年以内には事実が判明してしまうので、無理な「学説」というのは通りにくい。だから、やや対立を避けてみんなで力を合わせて研究をしようということになる。それでも、リサイクルや地球温暖化のように単純な自然科学の活動ではなく、自然科学と社会活動が混在すると、途端にもめ事や言い争いが発生する。時には立派な学者を罵倒する素人(その分野の専門知識が無い人という意味)が出てきたり、逆に立派な学者であっても社会的なことに負けて発言する人(最近では御用学者といい、少し前は曲学阿世の徒と言った)が現れたりするから面倒だ。また、文科系の学問は現在でも2000年以上まえのギリシャ文学、哲学などが研究されているように、「なにが真実か」というのがわかりにくいものが多い。最近の学問でも経済学などは常に対立していて、かなり高名な学者でも「懺悔の書」という名前の「自分の学問は間違っていた」という書籍を出版したりする。自分の「学問的結論を懺悔する」というのは実に矛盾した表現だ。というのは、少なくとも自然科学では「学問的結論」というのは、確定された事実あるいは理論から論理的に導き出された結論であるから、一人の人間が心の問題として「懺悔する」という対象ではないからである。それは単に計算を間違ったとか、論理展開でミスをしたという類いのもので、それほど高級なものではあり得ない。つまり自然科学から見ると学問は頭脳活動だから、懺悔というのはあり得ず、もし懺悔ということがあるなら、それは「故意に実験データをねつ造した」という類いのものである。この経済学者の「懺悔」というのは、「自分に学力が無かった」という意味での懺悔であるが、その学力が無かった人が日本の経済学者のトップが就任するような役職に長く就いて政策の指導を行ってきた。ということは経済学者の多くが彼を支持したことを意味している。ここまで整理をすると一つの簡単な結論が得られる。それは「どうも文科系の学問は、学問的結論が得られるための事実と論理の20%ぐらいしか分かっていないときに、100%分かったような答えを出す」ということだ。なぜ、20%しか進んでいないのに100%の答えを出すかというと「社会に求められるから」ということになる。理科系(特に工学系)の感覚で言えば「5回に4回は墜落するヒコーキでも、社会が欲しいと言うから飛ばす」ということであり、「もし墜落したら懺悔する」という感じである。ヒコーキを運航する時に5回に4回は墜落する可能性があることが分かっていて(学問的に言えば全体像の20%しか分かっていないことを提案している学者が分かっていて)、ヒコーキを飛ばし、墜落して人命を失ったら、社会は「懺悔ではすまない」と言うだろう。それでも、経済学に懺悔が許されるのは、もともと文科系の学問自体が「学問ではなかった」のか、「学問を逸脱する人たちが主流を為していた」のかどちらかと考えられる。たとえば、経済活動として大きな負の結果を出したと言われるリーマンショック(サブプライムローンや多重保障などの経済システム)の中心となったのはノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者たちだったのだが、それを考えると経済学とは学問ではないか、知らず知らずのうちに逸脱した学問になってしまったのだろう。・・・・・・・・・ところで、自然科学でも同じようなことが起こったのがタバコ、リサイクル、地球温暖化、そして最近では被曝の問題などである。静かな自然科学の中に突如として「罵倒、バッシング、懺悔」など人間的な要素が持ち込まれた.その様子を見ると、自然科学の専門家以外の人が自然科学者の発言や著作物を罵倒する、新聞がそれに追従する、そのうち、自然科学の専門家の中に「曲学阿世の徒」が現れて事態が混乱するという経過をたどってきた。そのうち、専門以外の人が「事実を隠蔽して対立を煽る」という行動にでる。その背景には、1)思想的、2)金銭的、3)有名になりたい、などがあり、それらは学問的ではないので、到底、従来の学者は太刀打ちできない。たとえば、私自身のことで言えば、地球温暖化について一般的に言われていることと異なることを書いたら、私のウィキベディアが悪意に満ちたものに変わった。ウィキペディアというのは多くの人が「ネットの百科事典」として知られており、それを使って個人を誹謗するという手段に出たのである。この著者はおそらく引用文献、文体から見て東北大学か東大の教師であると推定されるが、私自身は警察ではないので、捜査をすることはできない。実に巧みな方法である。もちろん著者は名前を出さないし、自らウィキペディアを書いたとも公表しない。もちろんやましいからである。ウィキベディアに書き直しを求めたら酷く複雑な手続きを言ってきた。「書き直したいなら、複雑な手続きにそってやれ」と居丈高である。つまり民間の会社が勝手に個人を誹謗する手段を作り、それに苦情を述べる個人に対して「おれの決めたことに従え」というのだから、まったく困ったものである(ぼやきではない)。このような場合、相手は私を誹謗する事だけが目的では無い(私と利害関係はない)。売名などの目的を持っているからなかなか対応が難しく、相手はそれを知って攻撃をしてくる。対立を煽る人というのには共通点があって、まず「人物、人格を攻撃してくる」、そして「事実と違うことを言う」というという二つである。つまり、対立を煽る人というのは、「事実に近づきたい」という私たちの目的とは全く違い、「事実から遠ざかることによって、対立を深めたい」という目的をもっているので、事実の確認や議論はまったく意味をなさないのである.・・・・・・・・・このように社会に「人物、人格を罵倒し、事実を故意に違えて言う」ことによって対立を深め、事態を混乱させたいという行動にでる人たちが居るのは仕方が無いことだろう.まさに「世に盗人の種は尽きまじ」ということだが、もっとも大きな問題は「対立を煽る人」がこの民主主義の社会、学問的な活動が許されている社会の「悪」であるということがまだ確定していないことだ。盗人とは違い、サギ、虚偽、名誉毀損、分かっていないのに分かっていると言う経済学者などは知能的犯罪で、しかもその影響が知的社会では甚大なのにまだ犯罪として認知されなかったり、認知されてもどのような行動が知的犯罪に属するのかの議論が明確では無いことによる。私は、経済学ばかりではなく、医学、環境問題、原発問題などに見られるような知的犯罪について、その定義をハッキリさせ、犯罪として社会的に措置をとることによって、民主主義というものが成長していくと考えている。マスコミの誤報、NHKや朝日新聞の問題も、「知的犯罪」の定義が明確ではないところに根があると考えている。(平成24年8月26日) 武田邦彦
2012年08月29日
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時事寸評 瀬戸内海でサカナが捕れない理由 「sizentokagakutdyno.221-(6:57).mp3」をダウンロード2012年月28日、瀬戸内海で「海が綺麗になり、サカナが捕れなくなった」というニュースが報じられました。ここ20年間の日本の環境対策は、「環境や自然」ということをよく考えない、いわば「非科学的政策」が続いています。それにマスコミに登場する「よい子学者」が日本人の人の良いところに訴えるということが加わっています。つまり簡単に言うと「自然が大切といいながら、自然を食いものにしている」とも言えるのです。そこで簡単ですが、今の日本で「自然と生物」について錯覚していることを取り上げたいと思います。1) サカナが育つには、チッソ、リンなどの海藻類が育つ「栄養」が必要ですし、サカナの代謝に必要な「鉄、亜鉛、重金属など」も必須です。それを「人間の目から見たら毒物だ」ということで排除し、規制を強めてきて、結果的に自然の循環ができずにサカナが育たなくなりました。「汚いもの」を人間の基準で考えることはできません。具体的にこの被害が増えていて、漁師さんは困っています。2) 日本の自然を豊かにするには「外来種」が適当に侵入してくるのが大切です。ましてブラックバスのように今から90年も前に日本に来て「綺麗な湖には棲めないが、汚いところは大好き」というサカナを「汚れた琵琶湖」に放ち、「汚い琵琶湖」をそのままにして「ブラックバスという外来種を排除せよ」といって膨大な税金を使っています。「害になる動物や植物」を排除するのは場合によっては良いのですが、「外来種だから排斥する」というと自然は多様化を失います。3) 「トキ」という鳥は平安時代ぐらいまでは日本で繁殖していたのですが、背丈が80センチもある大型の鳥類は江戸時代にはすでに生息が難しく、明治時代に実質的に絶滅しました。それを人工的に育て、人間が多く大型鳥類が生息できない今の日本の野に放ち「何匹が死んだ」とまるで喜んでいるように見えるのは、ゆがんだ現代の日本社会を象徴しているようです。私たちはトキが絶滅した理由、日本が大型鳥類を共存できるのかなどより深く考える機会でしょう。4) 森林はCO2できていて、樹木の数が変わらないかぎりCO2を吸収も放出もしません。でも小学校の理科にも反して森林がCO2を吸収すると社会が言うのは教育を混乱させます。割り箸の忌避運動や紙のリサイクルも同じで、名前は森林保護運動ですが、実体は森林破壊運動になっています。最近、森林が84%を占める高知県では「森を伐採しましょう」というポスターを貼っています。森は人工林と自然林のバランス(約1対1)で、人工林を伐採していかないとあれます。5) かつて水力発電は自然に良いと言って建設し、日本の自然を破壊しました。電気はエネルギーですし、エネルギーにはエネルギー保存則があるのですから、自然からエネルギーを取れば自然が破壊されるのは当然です。これもまた科学の基本的は法則です。そういう経験をしているのですから、今頃「自然エネルギーは自然に良い」と言うためには、科学的に新しい見解を出す必要があります。このように、「自然に関係する環境対策」だけでも、その非科学性は極端なほど際立っていると言えます。日本は科学技術立国ですし、環境こそ学問的に正しいものを選択すべきです。すぐにでも専門家が訂正し、多くの人が正しい判断をされることを望みます。(平成24年8月26日) 武田邦彦
2012年08月28日
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2年目に入り子供の被爆をどう考えるか? 「2nenmenotyuuitdyno.219-(12:15).mp3」をダウンロード福島事故から2年目に入り、子供の被爆をどのように考えるか、不安に思っている方が多くなりました。私は全体として次のように考えるべきと思います。1) 被曝の限度は事故が起こる前に専門家が充分に考えて「この程度ならまずは安全」とした1年1ミリシーベルトを守ってやることです。子供の健康より長いものに巻かれろという人たちの一部が、まだ別のことを言っていますが、その人達は絶対に子供の将来に責任を持ってくれません。再度、確認しますが日本の法体系はすべて1年1ミリを基礎にしています。公的な文書はすべて1年1ミリです。「子供がガンになっても俺は関係ない」というような人にダマされないように。2) 「非常時だから余計に被曝しても良い」という人もいますが、福島原発が事故を起こしたのは第一に東電、第二に政府、そして第三に今の大人(我々)であり、子供には責任がないのですから、「非常時だから、子供もガンになって良い」ということにごまかされないようにしたいと思います。ICRPが「非常時では1年20ミリ」と言ったのも前提があり、子供がそれに相当する「メリット」の提示を求めています。3) 具体的な項目を頭の中で整理をしておきたいと思います。 (a) 空間線量からの外部被曝は落ち着いては来ましたが、まだ1時間1マイクロ(福島)から0.15マイクロぐらいのレベルにあります。1マイクロというと1年に9ミリ、0.15マイクロというと1.3ミリシーベルトですから、安全ではありません。それに加えて、すでにセシウムなどの放射性物質はすべて地表に落ちており、子供は地表に近いところにいます。政府などの測定はすべて「すこしでも小さく見せたい」ということで高い位置で測定していますので、子供の場合は、1.2倍、砂遊びなどでは1.5倍ぐらいに考えてください。 (愚痴ではないのですが、このようなことを書くとき、「日本の政府に誠意があったら良いのにな」と思います。というのは国立環境研究所など多くの研究機関がありそこが全力を挙げて国民の総被曝量を下げようと努力してくれれば、多くの人の被曝量が減ると思うのです。)(b) 土からの再飛散による呼吸で入るもの 日本の自然放射線はほぼ1時間0.04マイクロですから、仮に外部線量が0.11マイクロであっても、その差の0.07マイクロは土にあるセシウムなどから来るものです。それが再飛散しています。再飛散した量をどのぐらい吸い込むかは個人の生活によってかなり違います。校庭で土ほこりにまみれる生徒さんなどはかなり吸い込む事になりますし、毎日、アスファルト、コンクリート、そしてビルで生活をしている人は少ないということになります。 (福島は1平方メートルあたり50ベクレル、関東東北で10ベクレル程度とすると、最大でその20倍を吸い込むことになります。福島で1000ベクレル、関東東北で200ベクレルです。食品の被曝と同じように考えてください。)(c) 食材からの被曝 ここでもっとも大切なのは、国の食品安全基準が、本来の1キロ40ベクレルではなく、1キロ100ベクレルとなっていることです。よく知られているように、原発からの被曝の限度は「外部+内部」であり、外部が0.6とすると内部は0.4マイクロになります。現在の食品安全の基準が「食品だけで1年1ミリ」と公言されていますから、正確には40ベクレルになります。従って、「これは基準を満たしているから安全」というのはダブルスタンダードですから、かならず「どちらの基準でお話になっていますか?」と聞いてください。 先日、福島中通りのある地域のお米の検査があり、不検出と報道されていましたが、測定方法が杜撰なこと、畑の汚染度とのこれまでの移行率の関係が明示されていないことなど、信頼できるものではありません。日本は科学技術立国ですから、畑の汚染度との関係が従来の科学で説明できるかも大きな問題です。 食品はウランやプルトニウム、ストロンチウムの問題も解決していないので、引き続き、柑橘類、太平洋北のサカナ、椎茸などに充分に注意をしてください。また福島産のお米は測定がいい加減(ベルトコンベアーで測定)なので値は信用できません。 (法律や基準にダブルスタンダードというのは絶対に避けなければならないものですが、それを政府、偉い人、評論家などがおおっぴらにダブルスタンダードを国民に強いているのは実に奇妙で、不誠実です。)(d) 水からの被曝 自家用の地下水を使用していて、福島、関東東北にお住みの人以外はまったく大丈夫です。水道も全国的にOKで、地下水でも中部、関西、北海道、それより遠いところはOKです。ただ、関西などでも一部の疑問があり、注意をする必要はあると思います。(e) 移動などによる被曝 航空機は国内は一回あたり10マイクロ、海外は100マイクロで見当をつけてください。福島を短期間(2,3時間)で通過する場合は3マイクロ程度、1週間逗留して100マイクロ程度です。(f) 子供の被爆の計算 以上の5項目を足し算します。自然被曝1.5ミリ、医療被曝2.2ミリ、核実験被曝0.3ミリの合計4ミリに5項目の被曝を足します。これが5ミリを超えたら要注意です。たとえば、原発からの被曝が2ミリでも、この1年、まったく医療被曝がなければ、1.5+0.3+2=3.8ミリシーベルトで安全です。医療被曝はレントゲン、CTスキャン、歯の治療などです。逆に、たとえば関西にお住みの方は、原発からの被曝がほとんどありませんから、医療被曝は従来通りの必要な治療で被曝する事ができます。また福島、関東東北のお医者さんは可能な限り医療被曝を減らすようにして下さい。夏休みが終わり、親としてはざっと夏休みの被曝を計算して秋からの対策を冷静に、科学的に考えてください。もっとも注意しなければならないのは、哀しいことに今の日本は政府、自治体、大学の先生、評論家などが「子供の被爆より、経済成長」を大切にしていることです。しかし、子供はそれを選択できませんから心を強く持ってください。また、被曝や医療の本当の専門家は「法律の基準」以外のことは言われないし、「基準を超えていますが健康に影響はありません」などと言うはずもありません。「基準を超える」というのは全員が全員、病気になるということではなく、全体として危険ということです。「酔っ払い運転をしてもほろ酔い程度から大丈夫です」と言っているようなもので、ほろ酔いで運転して100人が100人、事故を起こすわけではないのですが、社会でそれは許さないという基準を設けて子供などが交通事故に巻き込まれないようにしているのです。「1年100ミリでも、100人に0.5人しかガンで死なないから大丈夫」と言った反社会的医師がいます。それに基づいて「1年100ミリまで大丈夫」と言っている人がいますが、これは100人に0.5人というのは1億人で50万人です。一方、酔っ払い運転の死者はわずかに1億人で数100人に過ぎません。自分が病気で死ぬのならともかく、東電の事故や酔っ払い運転のように反社会的なことで、死ぬのですから被曝のガン死も酔っ払い運転者にしかれるのも同じことです。いかに責任のある人がいい加減なことを言っているかわかります。売名だけを目的としたこのような反社会的、反法律的な言動で、子供達が余計な被曝をしないように注意しましょう。また周囲にあまり気にしている人がいない場合でもまったく関係がありません。自分の子供は自分しか守れませんから。1年1ミリは「科学的にハッキリしないが、社会の約束として守ろう」ということです。また、今から60年前は結核予防法によって小学生が毎年、胸のレントゲンを撮っていたのです、小児白血病の原因となることがわかり、今ではほとんど集団検診をしていません。私たちには経験があるのです。(平成24年8月26日) 武田邦彦?
2012年08月27日
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穏やかで常識的な政策 外交政策 「odayakagaikohtdyno.217-(8:57).mp3」をダウンロード竹島、尖閣諸島、北方四島、中国の防衛線などの近隣諸国との領土や海の問題がこじれています。外交の基本から言って、「穏やかで常識的」な外交政策とは何でしょうか?外交の第一は「力」です。力には三種類あって、1)防衛、2)経済力(技術)、3)文化 です。強大な防衛力をもって他国を抑えることを本格的にやっているのがアメリカで、だからこそ、アフガニスタン、日本のように本国から遠く離れているのに、力を持っています。日本は自衛隊がかなり強い戦力ですが、軍隊ではないので、それなりに弱いところがあります。戦後70年、日本人が軍事をどのように考えるのか、それが外交問題の第一であることは間違い有りません。軍事力の議論ができない国が外交で失敗するのは仕方が無いことでしょう。第二には「経済力(技術力)」です。かつて日本の技術に頼る必要があった時には中国は日本に余る強くでることができませんでしたが、最近ではGDPが日本を上回り、独自の技術もできてきたので、日本をおおっぴらに非難することが可能になりました。第三には文化です。文化の力は短期間には弱いものですが、国と国の力のように長い間のものでは力を発揮します。フランスがその良い例で、フランスという国は人口6300万人ほどの小さな国で、しかも農業国ですが、フランス大統領はアメリカ大統領をそれほど違わないように振る舞えます。フランスと言えば花のパリ。その歴史と文化は誰もが認めるところです。アジアでも最近の中国はお金だけのように見えますが、かつては漢字文化を持ち、文化の力で周囲の国に光を与えたこともありました。どうも最近の中国は強面で、軍事力とお金を背景に脅してくるような感じもしますが、かつてのように高い文化で影響を与えて欲しいものです。従って、外交の第一の条件、中国という世界の3大国に囲まれた国は、力が大切です。この世界は「人格」や「犠牲」、「恩」などで力を発揮するところまで言っていません。でも、日本はサボってきました。自衛隊の予算は年々、減少していますし、もちろんその状態は中国も韓国もよく知っています。技術は「日本が1番でなくても良い」という有名な発言ですが、日本はアメリカ、ロシア、中国に囲まれていますから、世界一でなければやられてしまいます。「ゆとりの教育」は創造性や考える力を養うという点では間違っている訳ではありませんが、単に「ゆとり」だけを作ってしまえば日本は崩壊してしまいます。技術者が圧迫される社会は日本では危険です。学力、文化ともに日本の力はあまり上がっていません。そこに隙があります。・・・・・・・・まず、外交の基本は「力」ですから、日本は力を持たないと外国と対抗することはできない。外国は隙を狙っているのです。それを警戒しない日本人の方に間違いがあると考えるべきでしょう。・・・・・・・・外交のもう一つが「口先」です。常に日本の正当性と近隣諸国との親善を言い続けるということです。尖閣諸島も竹島も北方四島も歴史的に日本の領土ですから、それを常に国際社会に対して訴え続ける必要があります。いきなり「竹島は日本の領土だ」というのではなく、その理由や歴史的背景をしっかり整理して機会があるごとに言うことです。イギリスが世界を制したのは「どんなことでも相手国にイギリスが正しいと思わせる力」と言われてきました。自分の論理をシッカリしておくこと、これがイギリスという小国が世界を支配した力だったのです。また、近隣諸国に常に親善を呼び掛けることでしょう。中国、韓国内で政府などが「反日言動」をしたら、そのたびに「親善第一」と訴えることです。すでにドイツとイギリス、フランスなどヨーロッパは老獪で自分たちの中で争いをできるだけ表面化しないようにしています。その点では日本を含めて中国も韓国も子供のようなものでしょう。韓国は長く中国の属国でした。ロシアも朝鮮半島を取ろうとしていました。長さだけではないですが、日本の35年をあまりにも強調することは両国にとって良いことではありません。日本には多くの中国人、韓国人がおられますし、日本の発展にも寄与しています。だから、反感を持つのではなく、共存共栄としての日本の主張をくり返すことです。ただ、南京事件のように中国が「しかけてくる」ものに対して朝日新聞などが両国の対立を激化するキャンペーンをすることが大きな問題です。特に日中関係を破壊してきたのは、朝日新聞で、この際、朝日新聞は過去の報道を総括し、反省し、日本の将来のためにその結果を紙面で公表するべき時のように感じます。・・・・・・・・・外交政策は「力」を背景に、「口先」をしっかりして、常に「国際親善」を強調した平和外交を展開することです。軍事力を高めることも平和外交の一つです。外交でも激憤することなく、冷静に、しかも力を背景にして口先で優位に立つことを政策とするべきです。日本のように「男は黙って・・・」というのは外交には通じません。今、領土問題に火がついていますが、それでも「日本は今後も強い国になるぞ」、「日本はあくまで国際親善だ」ということを明確にすれば、紛争も後退していきます。それが歴史の示す外交政策です。(平成24年8月20日) 武田邦彦
2012年08月26日
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科学教室 豪雨被害とかけて外来種排斥ととく、その心は? 「gougairaisyutdyno.218-(6:16).mp3」をダウンロード毎年のように梅雨の終わりには豪雨被害が続き、そのたびごとに「記録的な」とか、今年は「過去に例の無いような」という修飾がつく。日本人は忘れやすいと言われるけれど、「記録的」、「過去に例がないような」と言われる豪雨、たとえば今年の九州の豪雨はちょっと前の諫早、長崎などの雨に比較して、たった「2分の1かそれ以下」である。でも、なぜ、それをNHKは報道せずに、被害に遭った人をテレビに出して「私の人生で初めてですね・・・」と語らせるのだろうか? これには国民が知らない大きな策略がある。毎年、「記録的な」豪雨が降り、被害と犠牲者が出る。そして、国土交通省は「旧に復す」と言って元の危険な地形に戻し、気象庁は「定量的な数値を曖昧な表現にして防災ができなくする」という方向に熱心で、いつまで経ってもコンピュータによる予想を詳しく出して防災と提携しようとしない。かくして毎年、被害がでると「旧に復し」、またしばらく経つと同じ規模の豪雨で工事をして儲け、そしてまた「旧に復す」事を続けている。つまり、旧に復するというのは「また災害に遭う」ということだが、その方が好都合な人が多い。人の命よりお金なのかも知れない。・・・・・・・・・このところ、すこしなりを潜めているが、「外来種の排斥」が盛んだったことがある。日本というのは大陸から少し離れているので、歴史的に見ると、時々外来種が入ってきて日本に定着する。オーストラリアやガラパゴス諸島ほど離れていないので、日本に完璧に独自の生物が住んでいるという訳でもなく、完璧に外来種と交配しているわけでもない。それが日本列島の生物の多様性を産んでいる。食材でも、キャベツ、サツマイモ、唐辛子・・・外来種ばかりだ。また、日本の紅葉が世界でも色鮮やかなのは適当な外来種が入っているからである。外来種というのは排斥できない。もしその種が日本の気候風土に合っていて競争力が強ければ残って、2,300年経つとすっかり「日本の生物」になる。だから生物学的には問題はない。このことは生物学者にも確認してある。ところが、外来種排斥で一儲けしようとする人たちがいる。「日本で競争力のある」外来種に目をつけ、「駆除しなければならない」という世論作りをして、外来種排斥補助金を獲得する。実に巧みで、数年ごとにかなりのお金をせしめて外来種を駆除する。でも100%の駆除は行わない。100%駆除すると一回しかお金をもらえない。だから90%駆除する。そうすると残りの10%がまた数年後に100にふえるので、また駆除するための補助金をもらえるというわけだ。・・・・・・・・・豪雨被害とかけて外来種排斥と解く、その心は「金」。だから、これは科学の問題ではない。科学の問題ではないものを科学教室に持ち込むことが学校ではやっているけれど、やはり科学教室は科学の心で進めたいものだ。(平成24年8月18日) 武田邦彦
2012年08月25日
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時事寸評 イワシにプルトニウムか? シロアリ駆除にも??「tdyno.218-(10:23).mp3」をダウンロード福島県沖のアイナメに規制値の285倍(法律的に合理的な規制から言えば、712倍になる。つまり今の食品安全基準は法律の規定に反して「内部被曝だけで1年1ミリ」になっている。本当に法規を守るなら 、「外部+内部」だから、1年0.4ミリ程度となる)のセシウムが観測されました。この測定が東電の測定であることに多くの人が違和感を感じています。東電も事故発生の原因を作ったのだから、当然、周囲環境のモニタリングは義務ですが、国が国民を守る立場なのだから、国からも同じような測定が必要でしょう。でも、もっと厳しい内容のものがイワシで出ています。千葉県産のイワシでトリウム234とプルトアクチニウム234mという聞き慣れない放射性物質が検出されました。読者の方からの情報で私も知りました。7月30日に鹿島沖から水揚げされたもので、セシウムが1キロ0.3ベクレル程度、そのほかに上記の元素が10から30ベクレル程度、検出されています。1)一体、トリウムとかプルトアクチニウムってなにか? 2) それは何を意味しているか? 3) 現実に危険か? について解説をいたします。ウランなどの重たく不安定な元素は、その元素ができたときから放射線を出し続けて崩壊しています。多くの放射性元素も崩壊するのですが、ウラン、トリウムなどの元素は、「ウランが壊れてできたトリウムがさらに崩壊し、それがラジウムやラドンなどとドンドン崩壊して最後に鉛になるまで14ぐらいの放射線元素を出します。このことを普通「崩壊系列」といって、ウラン(ウラン238)があれば、次から次へと放射性物質ができて、ウランがなくなるまでその系列にある放射性元素はほぼ同じ放射線を出しています。イワシの中で見つかったトリウムやプルトアクチニウムというのは、このウラン系列のもので、つまりイワシの中にはウラン系列の放射性物質がまんべんなくあるか、もしかするとイワシがトリウムやプルトアクチニウムだけを選んで取り込んだか、どちらかです。だから、この系列のものが一つ見つかると、普通は14から15ヶの放射性元素が同時に見つかり、どの元素も同じ放射線を出しますから、一つが30ベクレルなら、キログラム450ベクレルはあると推定されます。ウランの崩壊元素の規制値はほぼ1キログラム1万ベクレルで、通常はその10分の1の1000ベクレルで注意をしますので、まだそこには達していないことになります。でも、ウランは「核分裂でできたもの」ではなく「原料」です。その意味ではウランがあればプルトニウムもある(3号機)ということになりますから、この測定値はかなり危険な事になると言うことです。しばらく注意をします。・・・・・・・・・ところが、ほぼ同時にシロアリ駆除剤として、ウラン系列と同じようなネプツニウム系列の放射性物質が使われていることがわかりました。これも読者の方からのご連絡ですが、読者の方が放射線がないはずのところで線量計で測ったら毎時0.20マイクロシーベルトだったので、ビックリして、その原因を探したらシロアリ駆除剤であることが分かったのです。シロアリ駆除剤にネプツニウム系列の元素が使われていることは知られていますが、それでも法規で決まっている1年1ミリ以下になるように(つまり毎時0.11マイクロシーベルト以下。自然放射線の0.04マイクロを足しても0.15マイクロシーベルトを超えてはいけないので、違法なシロアリ駆除剤ということになります。普段なら放射線の被曝が少ないので、問題にならなかったと思いますが、今は、イワシからも、アイナメからも、シロアリ駆除剤からも、地面からも放射性物質の被曝を受ける(足し算)ですので、政府はもっと本腰になって国民の被曝を止めなければならないでしょう。放射性ヨウ素の問題も謎のままで、次々とこのようなことが起こるのを一刻も早く止める必要があります。このようなことは前向きに進めればすぐ解決します。風評もなくなります。つまり政府が「法規を守る」と宣言し、法規に基づいた具体的な規制を決め、それをシッカリ守る姿勢を示せば、解決することです。また日本には多くの国立研究所がありますから、でてくるデータを次々と解析して説明をすれば良いとおもいます。特に巨大な地球コンピュータなどを「税金」で保有しているのですから、それを有効に使うべきです。また原発の再開に当たっては、2011年の福島の方の苦痛が、次の事故の時に起こらないように至急、検討をしておく必要があります。今でも政府、東電は「福島原発事故は事故ではない。死人がでていないのだから、誰も被害を受けていない。だから原発は再開できる」というスタンスですが、私には国民に責任を持った政治、社会的責任のある企業とは考えられません。(平成24年8月22日) 武田邦彦
2012年08月24日
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穏やかで常識的な政策 エネルギー政策 「odayakaenergytdyno.216-(8:05).mp3」をダウンロードこのところ、日本の政策は振れ幅もおおきく、政策もあまりにも極端になっています。ここではエネルギー政策や環境政策から検討を始めますが、このような「科学系」の内容を含む政策ばかりではなく、「年金」、「減税」、「教育」などのお金や子供の政策もおおきくぶれて、国民が将来に安心感を持てなくなっています。そこで、このシリーズでは「穏やかで常識的な政策」を提案していきたいと思います。第一回は「エネルギー」で、順次、お金、外交などに進みたいと思います。・・・・・・・・・石油、石炭、天然ガス(シェールガスを含む)がいつ無くなるかは難しい問題です。石油会社は40年、国家レベルでは200年、そして資源学では1000年というところでしょうか。なぜ、このような違いが出てくるかというと、石油会社は「資源がないと言わないとガソリン価格が下がる」という事情があり、資源学は「鉱脈から言って、簡単にはなくならない」と考えていて、国家は利害関係があるので、中間的な数字を使っているということです。このような場合、「誰が何を言っているか」ではなく、「誰が何をしているか」から考えた方が正確に判断できます。石油、石炭、天然ガスなどを扱う会社はものすごく規模がおおきく、メジャーとかスーパーメジャーとか言われます。それらの会社は「残りあと40年」と口では言っていますが、心の中でそのように考えている節はありません。というのは、石油などは発見してからそれが出荷されるまで早くても20年ほどはかかります。だから、もし彼らの言うとおりに40年でなくなるとすると、彼らの仕事はおおむねあと20年でなくなってしまいます。比較的、小さな会社でも「残り20年のビジネス」ということになると、「それに変わる仕事を作っておかなければ」と考えます。つまり、「後40年」が本当であって、日本で話題になっている「自然エネルギー」が有望とすると、彼らは常に100年ほどの展望でビジネスをしていますので、自然エネルギーの開発に手を出しているはずですが、本腰は入っていません。つまり、素直に考えれば「資源がなくなるというのは価格のことを考えてのことで、100年以上は持つと内部では結論が出ている」と考えるべきでしょう。日本以外の外国の政府もそのように考えているからこそ、今後30年は化石燃料に依存する計画なのです。また、1970年代の第一次石油ショックで、「あと30年」と言われ大騒ぎをして、大きな損を出した日本ですが、もうすでに一回、ダマされていることを思い出す必要があります。「技術と資源」の話は別の機会にしますが、「日本には資源がない」と言いますが、それは「資源が枯渇しそうな場合に問題」であって、資源が充分にあれば、「資源セキュリティー」の問題は発生しません。今は、資源が比較的豊富にあるので、日本に技術があれば資源は容易に手に入るからです。たとえば、「自動車」という製品も資源の塊ですが、「自動車セキュリティー」という言葉はありません。自動車を生産していない国では「我が国は自動車を生産していないので、もし外国が輸出してくれないと困る」ということになりますが、そんな心配はしていないのです。つまり、資源も自動車も、資源であり、工業製品ですから(資源は今や工業製品)、食料などと違って国際的な商品なのです。ましてシェールガスは全世界に広がっていて少なくとも34カ国以上でとれるといわれています。自動車生産国以上の国の数です。・・・・・・・・・原発がエネルギーから外れた今、日本の基本政策は「当面、100年程度は化石燃料に依存する。技術を高めておく」というのが穏やかで常識的な政策なのです。世界各国が化石燃料に依存しているのに、日本だけが特殊な考えに染まっているのは、それなりの理由があるのですが、そろそろ「国際的感覚」をもって「日本に有利」に政策を切るべきと思います。そうしないと、私たちの世代は良くても、子供の世代はひどく貧乏な国になってしまいます。(平成24年8月20日) 武田邦彦
2012年08月22日
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穏やかで常識的な政策 外交政策 「odayakagaikohtdyno.217-(8:57).mp3」をダウンロード竹島、尖閣諸島、北方四島、中国の防衛線などの近隣諸国との領土や海の問題がこじれています。外交の基本から言って、「穏やかで常識的」な外交政策とは何でしょうか?外交の第一は「力」です。力には三種類あって、1)防衛、2)経済力(技術)、3)文化 です。強大な防衛力をもって他国を抑えることを本格的にやっているのがアメリカで、だからこそ、アフガニスタン、日本のように本国から遠く離れているのに、力を持っています。日本は自衛隊がかなり強い戦力ですが、軍隊ではないので、それなりに弱いところがあります。戦後70年、日本人が軍事をどのように考えるのか、それが外交問題の第一であることは間違い有りません。軍事力の議論ができない国が外交で失敗するのは仕方が無いことでしょう。第二には「経済力(技術力)」です。かつて日本の技術に頼る必要があった時には中国は日本に余る強くでることができませんでしたが、最近ではGDPが日本を上回り、独自の技術もできてきたので、日本をおおっぴらに非難することが可能になりました。第三には文化です。文化の力は短期間には弱いものですが、国と国の力のように長い間のものでは力を発揮します。フランスがその良い例で、フランスという国は人口6300万人ほどの小さな国で、しかも農業国ですが、フランス大統領はアメリカ大統領をそれほど違わないように振る舞えます。フランスと言えば花のパリ。その歴史と文化は誰もが認めるところです。アジアでも最近の中国はお金だけのように見えますが、かつては漢字文化を持ち、文化の力で周囲の国に光を与えたこともありました。どうも最近の中国は強面で、軍事力とお金を背景に脅してくるような感じもしますが、かつてのように高い文化で影響を与えて欲しいものです。従って、外交の第一の条件、中国という世界の3大国に囲まれた国は、力が大切です。この世界は「人格」や「犠牲」、「恩」などで力を発揮するところまで言っていません。でも、日本はサボってきました。自衛隊の予算は年々、減少していますし、もちろんその状態は中国も韓国もよく知っています。技術は「日本が1番でなくても良い」という有名な発言ですが、日本はアメリカ、ロシア、中国に囲まれていますから、世界一でなければやられてしまいます。「ゆとりの教育」は創造性や考える力を養うという点では間違っている訳ではありませんが、単に「ゆとり」だけを作ってしまえば日本は崩壊してしまいます。技術者が圧迫される社会は日本では危険です。学力、文化ともに日本の力はあまり上がっていません。そこに隙があります。・・・・・・・・まず、外交の基本は「力」ですから、日本は力を持たないと外国と対抗することはできない。外国は隙を狙っているのです。それを警戒しない日本人の方に間違いがあると考えるべきでしょう。・・・・・・・・外交のもう一つが「口先」です。常に日本の正当性と近隣諸国との親善を言い続けるということです。尖閣諸島も竹島も北方四島も歴史的に日本の領土ですから、それを常に国際社会に対して訴え続ける必要があります。いきなり「竹島は日本の領土だ」というのではなく、その理由や歴史的背景をしっかり整理して機会があるごとに言うことです。イギリスが世界を制したのは「どんなことでも相手国にイギリスが正しいと思わせる力」と言われてきました。自分の論理をシッカリしておくこと、これがイギリスという小国が世界を支配した力だったのです。また、近隣諸国に常に親善を呼び掛けることでしょう。中国、韓国内で政府などが「反日言動」をしたら、そのたびに「親善第一」と訴えることです。すでにドイツとイギリス、フランスなどヨーロッパは老獪で自分たちの中で争いをできるだけ表面化しないようにしています。その点では日本を含めて中国も韓国も子供のようなものでしょう。韓国は長く中国の属国でした。ロシアも朝鮮半島を取ろうとしていました。長さだけではないですが、日本の35年をあまりにも強調することは両国にとって良いことではありません。日本には多くの中国人、韓国人がおられますし、日本の発展にも寄与しています。だから、反感を持つのではなく、共存共栄としての日本の主張をくり返すことです。ただ、南京事件のように中国が「しかけてくる」ものに対して朝日新聞などが両国の対立を激化するキャンペーンをすることが大きな問題です。特に日中関係を破壊してきたのは、朝日新聞で、この際、朝日新聞は過去の報道を総括し、反省し、日本の将来のためにその結果を紙面で公表するべき時のように感じます。・・・・・・・・・外交政策は「力」を背景に、「口先」をしっかりして、常に「国際親善」を強調した平和外交を展開することです。軍事力を高めることも平和外交の一つです。外交でも激憤することなく、冷静に、しかも力を背景にして口先で優位に立つことを政策とするべきです。日本のように「男は黙って・・・」というのは外交には通じません。今、領土問題に火がついていますが、それでも「日本は今後も強い国になるぞ」、「日本はあくまで国際親善だ」ということを明確にすれば、紛争も後退していきます。それが歴史の示す外交政策です。(平成24年8月20日) 武田邦彦
2012年08月21日
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100年後まで「新エネルギー」は無関係・・・技術の本質とはなにか? 「sinene100nentdyno.217-(7:04).mp3」をダウンロード日本人の多くが「新しいエネルギーが必要」と信じている。実は今から30年前の私も同じで、「石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料」がそのうち無くなると錯覚していたからだ。私がエネルギー分野の研究をするようになって、化石燃料が数100年でなくなることはなく、人間が使うエネルギーというのは1000年と言わず、300年ぐらいでガラッと変わるので、現在の知識で余り考える必要が無いことが分かったのは、30年前だった。どんなに悲観的に見ても(世界の鉱山の常識と各国政府の政策から見ても同じだが)、化石燃料は数100年はある。もちろん、生活の中で普通に使えるような値段で得られるもので、2009年から本格的に掘り出したシェールガス(本当の意味の天然ガス)などは寿命数1000年、値段3分の1と予想されている。値段が上がらず、数100年は持つ化石燃料があるのに、世界で日本だけが省エネ、節電、それに新エネルギーに熱心だ。世界の情報から隔絶された日本を感じる。世界の石油系の企業は「メジャー」、「スーパーメジャー」と呼ばれるぐらいの大きな会社で資本力もある。もし、石油系の燃料が短期になくなるのだったら、これほど悠々としているだろうか?アメリカや中国の政府もそうだ。あれほど大きな国だから、エネルギー政策やもし温暖化などが大変だったら、国はつぶれてしまうだろう.それなのに、形式的には少しやったり発言したりしているが、本格的に代換えエネルギーの政策を進めたり、ましてCO2を減らしたりしていない。これに対して日本の識者は「それはメジャーも、アメリカや中国もバカだから」と言うけれど、本当にそんなに簡単な結論を出して良いのだろうか?40年前は原子力発電は実質的になかった。100年前にやっと石油を使い始めた。石炭を燃料に使ったのは200年前だ。だから、安い化石燃料が200年持てば、エネルギー資源のことは専門家に任せておいて、普通の人は生活をエンジョイすればよい。まして「足りない」と言われる税金を使って新エネルギーとか太陽光発電にお金を投じる必要は無い。技術にはある経験則がある。基礎的な研究を始めて40年経っても実用化(既存の技術を凌駕するような状態)にならないものは有望ではないということだが、太陽光発電は基礎研究は長く、今から40年前にサンシャイン計画という膨大な税金を投入して国家プロジェクトを始めている。だから、今更、太陽光発電がキロワット時で42円もするなら、技術として成功する見込みが少ない。でも技術のことだから思わぬブレークスルー(新たな着想による画期的技術の出現)があるかも知れない。でも、それは国家のお金を投じればできるというのではなく、むしろ、お金を投じると新しい技術は誕生しない。技術の本質、世界の動向、人間の進歩など大きい目で一つ一つのことを判断するのも大切なように思う。(平成24年8月18日) 武田邦彦
2012年08月20日
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人生講座(3) お金の巡り方・損しない方法 「jinsei3tdyno.219-(6:45).mp3」をダウンロードさて、人生講座の第一回、第二回で、貨幣経済の中では「節約」は「消費を促進する」と言うことがわかり、そのお金を狙っている人は「政治家、お役人」などであることも理解できました。お金のことを考える時には、「国家」と「家計」を分けることが大切です。「国家としては・・・すべきだ」ということと、「自分のお金は・・・しなければならない」というのは違うからです。経済学者は国全体のことを考えているので、「国家はこうすべきだ」という話が多いし、それで良いのですが、「では、個人は?」とお聞きすると「まずは国家だ」と言うことになります。でも、国家がまともになるには時間がかかり、そのうちに自分の人生が終わってしまう、少なくとも「人生を楽しむ時期」を逸してしまうので、とりあえず、「現在の社会ではどうするか?」ということと「社会が改善されたらどうするか?」を分けておいた方が良いことになります。家庭のお金を考える時に、まず第一にお金の流れが、当面、 1)現在の社会があと10年は続くこと、 2)民間の活力がないのでお金があまりそれが国債になること、 3)国債を償還(返す)ために国は増税を続けること、 4)増税のもともとの責任は国民にあるけれど、国民がお金を借りたくなるのに時間がかかること、 5)ややデフレ傾向で進むこと(お金を持っている方が得)、 であることを理解しておきます。つまり、日本経済はじり貧になりますが、お金回りがバブルが崩壊してしばらくした状態の2分の1ぐらいになるまで、国民の不満は爆発しませんから次の時代には行かないでしょう。もう一つは「年金と相続税」の関係です。こちらの方は、 1)年金は少ししか払われない、 2)相続税は高くなる、 3)だからよくよく自分の寿命を考えて老後の計画を立てる、 4)その結果、ある程度、質素な生活をしなければならないし、それは結果として消費を促進するので環境的にも良くないけれど、仕方が無い、 5)貯めたお金の半分ぐらいは帰ってくる。後はお役人とかお役人の腰巾着に使われてしまう、 6)もっとも良い方法はお役人の腰巾着になって、多くの人が貯めた預金(国債)、税金(消費税)を食い物にする(道徳的にはダメだが、個人としては成立する)、 7)次に良い方法は「優しいお母さん方式」(自分の身を捨てて近い人に献身する)、 ということになります。・・・・・・・・・政府が本当に国民のことを考えてくれれば良いのですが、そういう時代ではありません。先日、「原発を止めると誰が困るの?」という質問に偉い人が「政府、電力、関係会社」と答えていました。もちろんまともな政府なら「誰が困る」と聞かれたら間髪を入れずに「国民」と答えなければならないわけで、それができないことを前提にしなければなりません。税金は財務省のお役人の出世に、年金は厚労省のお役人の隠れ蓑に、環境関係のことは環境省のだましに使われるだけですが、これも国民との力関係ですから、今のところやむを得ないというところです。救いがあります。それは「まだ、日本は世界一強い」ということです。それは「円の相場」を見ればどんな理屈よりハッキリ分かります。確かに「ドルをもらっただけ円を刷れば円が下がる」と言うのも確かですが、円を刷らないことそのものも含めると、「円が高い間は日本は大丈夫」と言うことでもあります。人間というのは自分の収入が2分の1になるまで暴動を起こさないものです。これは日本ばかりではなく諸外国でもほぼ同じで、我慢できる範囲は我慢してしまうのが人間というものです。だから2020年まではあまり大きな事は起こらないと言うことになります。もともと財産は、現金性、他人性(株、献身)、物質性(ゴールド、土地)の3分割方式が良いのですが、当面は現金性のものをやや多くし、2020年までに徐々に他人性、物質性を増やして次の時代に備えるということでしょう。年金と老後の生活については次回に整理してみたいと思います。(平成24年8月17日) 武田邦彦
2012年08月19日
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対立の構図 対立は恥ずかしいこと(理科系) 「tairitsurikakeitdyno.215-(10:00).mp3」をダウンロード「tairitsunokoriitdyno.215-(0:37).mp3」をダウンロード(音声が10分で自動的に切れました.次から改善します。)人間には「対立」というのがある。自分の意見が正しくて、相手が間違っているという論理をたてるのだが、理科系の私にはなかなか理解ができない。もし自分が「何の意図もなく、先入観も無い」状態で、相手も「ウソをついていない」場合は、「違う意見になる」ということがあり得ないように思うからだ。多くの人は「そんなことはない。事実、この世は意見が違う事ばかりだ」と言われるだろう。でも「理科系」の私には「意見が違う」と言うこと自体がおかしいように思われるのである。第一の問題は、自分が正しくて相手が間違っているのか、自分が間違っていて相手が正しいのかは、自分とその相手がいくら議論しても決まるものではなく、お釈迦様に聞いて見なければならない。「なぜ、ご自分のご意見が正しいと思うのですか?」と聞くと「私がそう思うから」という自信たっぷりの方がおられるが、ある人間が「正しい」と判断したことが「本当に正しい」かどうかは本人には分からないはずだ。「自分の生きているうちはごまかせる」というぐらいはいけるだろう.・・・・・・・・・この「対立の構図」で整理をしてみたいと思っているのは、このことではなく、第二の問題:「意見が対立するというのは、分からないことか、隠していることがあるから」ではないかということだ。自然科学(普通には科学ということが多い)は「自然現象を解明する」ことが主な仕事で、ついでに「それを応用して工学、農学、医学などを発展させる」という仕事もある。自然現象というのは太古の昔からある原理原則で成り立っているので、「人間が分からない」ということがあっても、「意見が存在する」と言うものではない。たとえば、かつて人間は「宇宙の中心は地球だ」と信じていて、科学もそれを支持した。でも、これには前提があり「人間の目で見る限りの空」ということであり、かつ「ある種の星(後に惑星であることが分かるが)が逆行することがあること、太陽は往復運動をするはずなのに毎日東から出てくる・・・などはまだ解けない疑問として残すという仮定に基づけばということである。しかし、望遠鏡が誕生すると「地球は太陽の回りを回っていて、太陽も宇宙の中心ではない」ということがわかる。でもそれも「望遠鏡でみるという前提つき」である。でも今のところ、それが科学なので「地動説」に異議を唱える学者はいない。ガリレオが「地動説」を唱えたとき、有力な科学者がガリレオに反撃を加えたのではなかった。聖書を信じる教会が彼をバッシングした。科学者は事実を明らかにしようとしているので、ガリレオの地動説が事実ならそれは進歩であり、なにもバッシングする対象ではないからである.ダーウィンが「進化論」を唱えたとき、それにバッシングを加えたのはこれも牧師であって科学者ではなかった.もし科学者がダーウィンを批判するなら、ダーウィンのデータの科学的な解釈に誤りがあるか、あるいは自分がダーウィンと同じように世界一周をしてきて、つぶさに生物の生態を観察し、反論をしなければならない。でも、科学者は基本的には「自然を明らかにする」と言うことだから、反論をしても意味が無い。「そんなこともあるのですか!」と感心するのが普通だ.・・・・・・・・・科学の論文というのは、実験データ(理論でも良い)を示し、それを整理し、専門家なら誰でも合意できないと結論にならない。実験や理論で合理的と(誰もが)判断できる段階にないと結論は出せないのだ。それまでは単に「酒場の独り言」にしか過ぎない.私たちは良く仲間や学生と飲んで話をする.その時には「あのデータはこんな風に思うのだけれどどうだろうか?」と話す。そうすると、そこで議論になり、不足が分かり、研鑽を積む.私たちはただ「自然を明らかにする」というのが目的だから、別にいがみ合う必要などない。若い頃から私がやってきた分離工学、資源、材料などの分野で、「科学的論争」などはなかったし、まして「バッシング」などを経験したことなかった。議論して私が不十分だったら、頭をかきかき再登場するだけである。ところが、忘れもしない1998年のある学会で、私と学生が「リサイクルは資源を余計に消費する」という計算結果を発表した.そうしたら、私は会場から「売国奴!」とバッシングを受け、学生は攻撃を受けて真っ青になって帰ってきた.その頃、私はリサイクルでお金をもらっている訳でもなく、先入観もなく、ただ社会がリサイクルを始めようとしていたので、それを分離工学と材料工学の手法を使って解析したに過ぎなかった.正直言って、当初はなにを非難されているのかということ自体が不明だった.そこで、慌てて関係した文献を調べ直してみたら、やはり学問的に計算しているものは「リサイクルは消費を高める」というものがほとんどだった.ただ、当時、「ライフサイクル・アセスメント(LCA)」という新しい学問の手法が登場して、私たちのような伝統的な学問で計算した結果と違っているものもあった。そこで、LCAで計算している人と何回も研究会をしたが、結局、どちらが正しいかはなかなか分からなかった.新しい学問は大切なものだが、まだ未熟なので、これまでの学問と内容を合わせるということができなかった。それでも、お互いにバッシングするとか、そういうことは無かった.ただ、伝統的な学問で計算するとリサイクルは資源を余計に使い、LCAで計算すると有効な場合があるということがわかり、「研究を続けましょう」と言うことになっただけだった.・・・・・・・・・ところが、そのうち、雲行きが怪しくなった.私が書いた最初のリサイクルの本は「フランケンシュタインの息子たち」という題名が、出版時には「リサイクルしてはいけない」となった。私がフランケンシュタインを出したのは、自分が科学の力で作ったものが、自分を襲ってくる(フランケンシュタイン博士が作った怪物が博士を襲う)ということと、現代の環境問題が類似であるという解釈を題名にしたのだった。それからというもの、私も世の中の動きに巻き込まれ、対立の中に入っていく。それから程なくしてある本に「武田邦彦はウソをついているのか」という題名がついたとき、「ああ、科学者でもウソをつくとみんなが思っているのだな」ということを知った.(平成24年8月15日) 武田邦彦
2012年08月18日
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時事寸評 死にたい、燃やしたい、いじめたい、出たくない、そして暴れたい「hikikomoritdyno.217-(7:29).mp3」をダウンロード暗い話を避けていては解決は遠のきます。事実を正面から見て、それを胸に楽しい毎日を何気なく送ることはできます。・・・・・・・・・旧共産圏諸国の自殺率が高いのは良く知られているけれど、その中で日本が突出している。交通事故死が1年5000人に近づこうとしている時に自殺は3万人を遙かに超えている。「死にたい!」と日本人は思っている。未来に夢が持てず、誠実な暮らしができないのだ。先進国の火災件数が減り、火災による死亡率が減少している中で日本だけが増えている。アメリカの火災による死者はかつて8000人、今、4000人。日本はかつて500人、今2200人だ。なぜ増えるかというと、失火ではなく放火が50%に迫っているからだ。「燃やしたい!」と日本人は思っている.やり場のない怒りが人間の原始的な破壊欲求に火をつけている。いじめが増えだしたのはバブル崩壊の少し前だ。先進国が経済発展に伴う社会の歪みが教育に悪い影を落とさないようにと教育改革に乗り出し、力を入れてきた。その結果、明治時代には教育立国と言われた日本の教育費はOECD(先進国)で最下位である。「いじめたい!」と日本の子供は思う。自分がなぜ弱い者をいじめたいのか分からない。でも大人が弱い者いじめをしている。だから、それをまねているに過ぎない。新成人を市町村が祝う成人式はあれる。それを見て大人は「甘やかして教育するからだ」、「式が成人のためではなく形式的だからだ」と言う。「暴れたい!」と新成人が思っているわけではない。本当は大人の仲間入りをするのだから、成人式は静かに豊かに、楽しくやりたい。でも久しぶりに子供の頃の友達に会い、かつての生き生きとしていた自分を思い出すと、これからあの汚い大人の社会に出るのが無性に腹立たしくなるからだ。「出たくない!」と叫ぶこともなく部屋に閉じこもる。そうだとおもう。今の時代に世に出たい方がおかしいかも知れない。純粋な心を持っていたら耐えられないのではないか。その点では「引きこもり」の方が「世に出る」よりまともかも知れない。・・・・・・・・・世の中すべて「お金」の時代で、経済学者によっては「原発で被曝しても良いじゃないか。経済が優先なんだから」と公言している人もいる。まともな精神を持っている人が、絶望したりやけになったりするのも分かる。でも、おかしいのは政治家、偉い人、コメンテーターであって、普通の日本人、とくに学生は古い日本の健全な魂を持っている。日本は日本人でできていて、見込みはある。95%は誠実な日本人だから。今日、お盆でゆっくりし、テレビでオリンピックの総集編を見ていて気分が楽になった時に、読者の方から神の言葉を聞いた。さらに自分という存在を再確認し、楽しい気持ちで今日をおわることができる。おそらく明日も来るかも知れない。(平成24年8月12日) 武田邦彦
2012年08月16日
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時事寸評 アメリカ、新規原発建設の認可を停止 「americawastetdyno.218-(4:07).mp3」をダウンロード大人なら誰でも「得になることだけはもらうが、イヤなことは他人や子供に任せる」ということをすると「人格のない人」と思われるでしょう。現在、東京に住んでいる人(大阪も名古屋も似たようなものですが)は、「原発の電気は欲しい。原発はイヤだ。核廃棄物はもってのほか」という子供のような人たちです。先日、アメリカで「廃棄物をしまうところがない原発は認可しない」という内容の判決がでました。当然と言えば当然で、自分たちが使う原発の電気を作るのに発生する廃棄物を自分たちでかたづけないのですから、それを認可すること自体、おかしいのです。今、日本には130万本の核廃棄物がありますが、大人は「危険だからしまうところが無い。子供に任せる」と言っています。それでもお金が欲しい人たちが「廃棄物など考えたくない」と言っていますが、でもそれは少数の人ですから、多くの日本人が心を合わせて、「子供にツケを回さない」ことを決意したいと思います。「資源が無くなる」と言いますが、それは1000年も先のことです。「温暖化する」というのは本当ではありませんが、もし起こるとしても数100年後です。しかも日本以外でCO2を減らしているのは日本だけです。「未来の子供達のために」と言っている人が、なぜ「核廃棄物は子供に残して良い」などと言うのでしょうか? アメリカで判決があったからというのも情けない話ですが、真正面から事実を見る必要があると思います。(平成24年8月12日) 武田邦彦
2012年08月15日
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時事寸評 蝶の異常、一関のお子さん、千葉のセシウム、それにヨウ素 「chotoitinosekitdyno.220-(7:11).mp3」をダウンロード福島原発の被曝地帯でヤマトシジミ(蝶)を調べた結果が琉球大学の野原さんのご論文で明らかになりました。2011年の5月に事故後に羽化したチョウを採集したところ、親世代より子供の世代で異常がふえていました。また孫の世代まで異常がみつかりました。さらに9月に採集したチョウはいっそう厳しい異常が見られ、また福島の食材を沖縄のヤマトシジミに与えても同じ異常が見いだされました。この論文は”nature”の”scientific report”で見ることができます。放射線で被曝すれば生物の異常が起こるのは良く知られていて、原始的な生物ほど遺伝子の異常の可能性が高いので、この結果が直ちに人間への影響を示すものでもなく、逆に福島に異常な微生物が発生する危険性も示しています。・・・・・・・・・岩手県一関市の子供から尿検査でセシウムがかなり高い値がでました。尿中のセシウムがどの程度であれば、現実に病気を心配しなければならないかがよく分かっていないのが問題です。つまり、2011年の4月、5月ならかなり食材が汚染されていたり、空間線量も高かったのですが、今ではかなり注意が行き渡っているからです。結果を見ると値も高いし、甲状腺に若干に異常があり、親が検査結果をご覧になって「その日は一睡もできなかった」、「守ってあげられなくて申し訳ない」と言われている気持ちもわかります。でも、空間からの放射線も食材からも、親が守ることができることは少なく、国や農業の方が誠心誠意、子供を被曝から守ってあげなければならないのです。国は自ら1年1ミリを決めて守らず、食品安全委員会も農業関係者も子供を守ってくれませんでした。親が可哀想です。東京でも比較的高い測定値もあり、今更ですが、日本の大人が子供を守る決意をさらに強めてもらいたいと思います。・・・・・・・・・ところで福島のセシウムの再飛散は繰り返し被曝するという点で要注意ですが、最近では千葉でも1平方メートル70ベクレルなどの値が7月に観測されています。退避しなければならない数字ではありません。ただ、この問題は国民の健康を守る立場から、マスコミも速報を出すこと、地方自治体も具体的にどこから飛散してきているのか本腰で市民を守ってもらいたいと繰り返し訴えたいと思います。さらに、2011年8月に見られてから、継続的にヨウ素131が検出されています。多くは汚泥からでそのレベルは1キログラムあたり10から100ベクレル程度です。このレベルでは問題はおきませんが、セシウムと同じで、注意を継続する必要はあります。8月にかなり調べましたが、原因が分かりませんでした。おそらく医療用と思いますが、これほど杜撰な管理をしているとも思えず、心当たりのある犯人がいるはずですが、国民の健康を守るべき厚生労働省の管轄からの漏れと思われるのですが、調査はされていないようです。マスコミも厚労省も事実を国民に伝えるのを怖がっていますが、購読料をいただき、税金を払ってもらっているのですから、一宿一飯の恩義があり、法律に「被曝はできるだけ減らすこと」となっているのですから、基準をどうこうするのではなく、是非、国民の健康を守るための資料を出すようにしてください。・・・・・・・・・【私たちの守り方】放射線による障害は「確率的」です。ですから、事故から3年をめどに、大変な事ではありますが「可能な限り被曝を減らす」ということに引き続き努力をしてください。努力は最終的には必ず報われます。危険が来ても事実を正面から見つめ、正しく行動して、安心を得てください。確率的というのは、被曝が2倍になると危険も2倍になり、被曝を2分の1に抑えれば危険も2分の1になるということです。どのような値以下は安全と言うものではなく、一応、3年間を注意するというのが最も正しい方法です。負けてはいけません。(平成24年8月13日) 武田邦彦
2012年08月14日
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人生講座(2)節約したお金を狙う人たち 「tdyno.215-(9:50).mp3」をダウンロード人生講座の第一回に「貨幣経済のもとでは節約することはできない。かえって節約は消費の増大になる」ということを書きました。第2回目は「そんなことはわかっているのに、なぜ政府や偉い人は節約を国民に勧めてきたのか。その目的はなにか?」を考えてみたいと思います。もし世の中が安定していて、年金なども崩壊しなければ、いざというときに少しの貯金は別にして、その年に稼いだお金はおおよそその年に使ってもそれほど不安はありません。というのは、人間は小さい頃から勉強し、がんばり、仕事をしてお金を稼ぎます。そうして少なくても多くても、稼いだお金で楽しい人生を送るのが本筋だからです。もちろん、楽しさはお金の額とは直接的には関係がありませんが、小さい頃にお母さんに「一所懸命、勉強しなさい」と言われるのは、お母さんは子供に、少なくとも人並みに、できれが人より少しは良い生活をさせたいと思うからです。だから、月給が20万円より、30万円の方が良いと素直に考えた方が良いでしょう。買いたい物も買えるようになりますし、たまにはおいしい物も食べられるからです。30万円使って楽しい生活をすれば良いのに「地球環境のために」「節約する」ということは、お母さんがせっかく与えてくれたチャンスをいかさずに、無理矢理、暗い人生を送ることを意味します。もちろん、30万円を節約して20万円で生活しても12月になったら12ヶ月の間、節約して貯めた120万円を下ろしてパッと使うというのならよいのですが、それでは節約には入りません。毎月使わずに一度に使うというのは、個人としてはお金をいつ使うかの問題だけですし、環境としては120万円がダブルで使われる(銀行からお金を借りた他人が120万円、それにさらに自分が120万円使う;前回説明)、余計に環境に悪いのです。・・・・・・・・・それではなぜ、政府は「もったいない」とか「節電・省エネ」とかいうのでしょうか? まず考えられることは、国民が節約するとそのお金が政治家や官僚に入るからかもしれません。つまり、かつて(たとえば、戦後や高度成長時代)は国民が節約したお金は銀行を通じて民間の企業に行き、そこで国民が欲しい製品を作ってくれました。つまり、普通は「節約すると、そのお金で企業が自分の欲しいものを会社が作ってくれた」ということになります。銀行はその仲立ちをして社会に貢献していました。簡単に言うと、ある人が100万円を預けると、企業が100万円を借りて、120万円で売れるものを作り、自分は10万円を稼ぎ、銀行に110万円を返し、銀行は5万円をとって、その人に105万円を返すという具合です。これなら、預金した人は5万円、銀行も5万円、企業も10万円と全員が喜んだ時代でした。ところが今から20年前にバブルが崩壊して、成長が止まりました。経済成長の時代に100万円借りていた企業が(簡単に言うと)居なくなってしまったのです。同時に「環境の時代」になり「もったいない、節約しよう」という人が現れました。かつて100万円を銀行に預けた人は節約して150万円預けるようになったのですが、借りる企業が居ないので銀行にお金が留まるようになります。企業は経済成長が止まるだけでも困るのに、「節約ブーム」で50万円を残すようになった(100万円貯金していた人が150万円貯金するから)ので、それだけ売り上げが減って、お金を借りて増産するどころか、事業を売らなければならないようになります。この150万円が1年もたたずに引き出して使ってくれるとまだ何とかなったのですが、「年金不安」と「環境を悪くするから」ということで預金を下ろして消費することもしなくなったのです。・・・・・・・・・そうすると、銀行にお金があふれたので、まず金利をほとんどゼロにしたのですが、それでも銀行が赤字になります。そこで銀行の首脳部が政府にかけあって「余ったお金で国債を買いますから、国債を出してください」と言います。最初のうちは政府も「赤字国債になるからダメ」などと言っていたのですが、企業が借りなければ政府が借りないとお金のつじつまが合わないので、赤字国債を発行し始めます。これでとりあえず日本のお金のつじつまは合うようになりました。(簡単に言うと)ある人が150万円を銀行に預けると、国が赤字国債を出して銀行がそれを買い、国は1年に5万円の利息を銀行に払います。もちろん、国の仕事は福祉にしても教育にしても(お金を配るだけのことで)赤字ですから利息に払うお金も国債を売って何とかします。つまり「国民が節約し、企業が借りなくなったので、国が国債を出して借りる」ということが20年間にわたって続いてきたのです。国に集まったお金は、1)お役人の給料や国の施設、2)天下り先の給料(天下り先には国債のお金が行く)、3)箱物行政で施設ができる(八ッ場ダムのようなもの。半分がムダで、半分ぐらいは国民のためになる)、4)ムダな補助金を配る(たとえばバイオ燃料開発に6兆円を出し、すべて失敗して失う)などとして消えていきました。・・・・・・・・・そして20年。ついに赤字国債が1000兆円に近づいたので「財政健全化」のために消費税の増税を行います。つまり、国民が節約したお金は国に渡り、政治家やお役人本人や、彼らと親しい人のところにいきましたが、なにしろ効率の悪い仕事に使われるので、半分ぐらいはムダに消えていったのです。節約して150万円預金した人はどうなったでしょうか? 国が150万円を借りて、半分は役人の天下りなどに使い、半分は預金した人も利用した箱物(公民館など)を作り、そこに働く人の給料を払い、冷暖房費で消えていったのです。簡単に言うと、150万円のうち、100万円を捨て、50万円ぐらいを公共サービスとして受け取ったということになります。かくして国民が節約したお金は政府が使ったので、環境という面ではなにも変化はありませんでした。つまりこの場合も「節約」は「環境を改善する」事にはなりません。さらに、国の借金が増えたので、「財政再建」のために消費税を増税することになり、その人は税金で150万円を取られます。国民はますます不安になり、銀行に預けてある150万円は引き出さず、税金は150万円取られるので、使うのを150万円減らさなければなりません。ますます不景気になり、政府に親しい一部の人を別にして、国民総貧乏化が進行中ということになりました。でもお役人は裕福になります。なにしろバブルが崩壊してから20年。国民に節約さえ呼び掛ければ赤字国債を出してお金が入ってきますし、赤字国債が貯まりますから、それを補填するためにさらに消費税を上げればまたお金が入ってくるからです。奇妙なことですが、善意で節約をしてきた人はずいぶん日本国民を苦しめましたとも言えるのです。「環境のために節約を呼び掛ける」というのは「お役人がお金をもらう」ということでもあったようです。(さらに、消費税を増税したお金がどこに行くのか、私たちの人生はどうしたらよいのかなど次回以後に踏みこんで考えてみます。)(平成24年8月11日) 武田邦彦
2012年08月13日
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「エネルギー問題に発言する会」へのご質問 「hatugensurukaitdyno.216-(8:28).mp3」をダウンロード(この記事は「バッシングし合うより話し合い」を目指したものです。私たち技術者の目的は相手を罵倒するのではなく、最終的に人間の知恵の産物を人間の幸福のために使うことですから)「エネルギー問題に発言する会」という会が10年ほど前にできて、原子力関係の技術OBの方が技術の立場から「正確な情報を提供する」(電気新聞)ことを目的に運営されています。この会の発起人は原子力技術のそうそうたるメンバーで、私も個人的に存じ上げている方もおられますし、技術者としても人間としても尊敬できる方が多いのがこの会です。しかし、福島原発以後、私とかなり違う見解を公に出しておられます。おそらく技術者同士ですから、議論すれば誤解は解けると思いますし、私が間違っていることもあると考えられますので、ここにブログ上ですが、ご質問申し上げます。・・・・・・・・・ご質問・・・・・・・・・貴会は、「東電福島原発事故後の福島県の復旧対策は、国際放射線防護委員会(ICRP)による「年間100mSv以下の放射線被ばくでは健康被害の報告は無い」という基本的考えに沿った防護基準を拠り所にして行なわれている。」としておられますが、次のことはご存じと思いますので、上記のご見解との関係をご説明いただくと、多くの方がより原発の安全性について理解が深まると思います.1) 事故が起こらない場合の「公衆の人工的原因による被曝限度で医療を除くもの」は1年1ミリを限度としていること、2) 原発の安全設計に当たっては、福島原発事故の前から安全設計が決まっていて、それに沿って原発が作られていたこと、3) その安全設計の概念はこのページの下に示したように、事故の頻度と被爆の限度の関係で決まっていること(図は国際的に議論されていたもの)、4) 従って概念上は、1万年に一度以下の事故なら1年1ミリを守る、1万年から10万年に一度の事故なら1年10ミリまで、さらに頻度が低い場合は1年100ミリまで限度を上げうる、5) このような事故の頻度と被爆の限界についての概念は原発を有する先進国に共通した概念であり、技術的知見として共有されていた、6) 我が国ではこのような国際的な概念に基づき、「きわめて希な原発事故の場合、1年5ミリまでの被爆を許容する」ということが明文化されていた(下に示した)、7) また、事故時の被爆によって発生するガンの発生率は、事故が起こらない時の0.05%に抑制するとされていて(下に示した)、これは1年1ミリよりかなり厳しい数値である、8) これらの概念、設計基準、運用などの情報は国民にも開示され、その約束のもとで原発を設計、建設、運転を行っていたこと、9) ICRPは権威のある委員会ではあるが任意団体(NPO)であり、従来からICRPの勧告を日本政府が受け入れるかどうかは、日本国内の専門家の検討を経て、しかるべき手続きで採用されたり、されなかったりしてきた、10) これらのことから、今回の事故は原発が計画されてから50年目の事故であり、かつ震度6と15メートルの津波であることから、100年に一度、あるいは1000年に一度程度の事故であるとされる、11) 従って、技術者としては国民との約束と今後の原子力技術のことを考慮すると、1年1ミリの限度をあげるべき理由はない。12) 技術者にとっては社会的約束(法規や基準など)のもとで技術の成果を問うべきと思う。その点で「事故以前には日本には事故が起こったときの基準は存在せず、ICRPの勧告にそのまま従う以外にない」という論理を私はなかなか理解できないでいる。私が関係してきた技術的経験や公的な基準などから以上のように結論できますが、貴会は「ICRPが1年100ミリまで大丈夫」といったので、日本人の被曝限度は100ミリまでOKということで、強い影響力を発揮しているように思います.決して、感情的にならず、相互に理解する道を拓いてください.私も個人で活動していますので、データや考え方が不十分かも知れません。間違いがあれば修正しますが、多くの方が今後の生活も含めて迷っておられますので、前向きのご回答を期待します. (平成24年8月9日(木))武田邦彦
2012年08月10日
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人生講座(1)節約と人生 「jinsei01tdyno.212-(7:20).mp3」をダウンロード世界には約60億人を超える人たちが生活をしています.その一人一人は、それぞれ自分、家族、国家、そして世界を考えながら、それぞれの人の人生観や価値観に従って生きています.たとえばここに「節約が大切」と思っている人がいるとします。その人がなぜ「節約が大切」と思っておられるのかはハッキリしません.普通に考えると「お金を貯めたい」のか、「地球環境を考えてのこと」かどちらかのように思います。でも、この二つは個人の損得と地球環境ですから、全く違うものでかみ合わないはずです。ある人(Aさん)が「お金を貯めたい」と思って「節約」をしたとします。昔なら銀行が発達していなかったので、節約して余ったお金をタンス預金する人も居たと思いますが、今ではほとんどの人が銀行に預けるでしょう。銀行に預けたお金は銀行の金庫に入っている訳ではなく、直ちに貸し出されます。銀行預金の利子がどんなに少ないと言っても、利子がつきます。一方、銀行は町の一等地に店舗を構え、冷暖房や電灯をつけ、世間の平均より高い給料をもらっている銀行員が働いています。かなりの経費がかかるのでいくら利率が低くても、預金されたお金を運用しないとやっていけません。かくして銀行はできるだけ金庫のお金を減らして貸し出ししようとするのは当然です。つまり、節約してお金を余し、それを銀行預金すると、そのお金はすぐ別の人が使います。銀行の本来の働きは社会で余剰となったお金を預かって、それをお金を必要とする人に回すことによりお金の効率的な利用をはかることにあるわけですから、社会の正常な働きです。仮に1年ほど銀行にお金を預けたAさんが、銀行から引き出して自動車を買ったとします。そうするとAさんが節約したと思っているお金は、銀行から借りた人が使い、Aさんが使いますので二度使われます。つまりAさん個人も節約したことにはなりませんし(お金を使う時期がずれただけ)、社会はAさんが節約した分だけ2倍の消費をすることになります。Aさんは日頃から「私は環境が大切と思うから、タクシーを乗らずにバスを利用するのよ」と言っていました。彼女がタクシーに乗ればそれだけお金を使いますから、お金が余らずに預金できなかったでしょう。彼女はいったい、何を考えているのでしょうか?・・・・・・・・・かつて、たとえば江戸時代ですが、貨幣経済が発達していない頃、特殊な場合には本当の意味での「節約」は可能でした。たとえば、薪(たきぎ)が足りないとき、少し寒いのを我慢して囲炉裏にくべるのを少なくするというようなケースです。それでも、もし自分の裏山が充分に大きければ、むしろ積極的に薪として使った方が裏山を守ることもあります。ただ、貨幣経済ではないので、「使わない分だけお金が余る」という事はありません。使わない分だけ「物」が余りますから、それはまた別の機会に使える場合があるということになります。この話は主婦の方はピンと来ないかも知れません。主婦の方は普通、毎日、節約の連続で、少しでもムダ使いを少なくしようと努力されています。でも貨幣経済の元では、「ムダを少なくする」というのは「多のものを買う」ということを意味していますから、家庭としては良いのですが、環境を良くするということにはつながらないのです。「個人が節約すると、消費が増える」という奇妙な現象は「合成の誤謬」と言う難しい言葉を使うことができます。貨幣経済のもとでは、一人の人がやる目的が、全体としては逆の方向になることが多く、それは経済学ではよく見られることでもあります。では、なぜ政府や官僚、そして識者と呼ばれる人が「環境を良くするために節約に心がけましょう」と言うのでしょうか? 私たちの人生には「節約」とか「質素な生活」というのはあり得ないのでしょうか?(平成24年8月6日) 武田邦彦
2012年08月09日
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時事寸評 東電の社内の会議録音などを公開「tdyno.213-(6:00).mp3」をダウンロード東電が事故後の社内の会議の録音、電話記録などの情報を、かなりの制限をして公開しました。期間が短く、時々カット、2次使用はダメなど制約がついていますが、それでも一応の進展です。不完全な情報からでもさまざまな問題点が出るでしょう。問題点が出ることをいやがっている節もありますが、もし原発を続けようとするなら、情報を公開して国民の信頼を回復すること、原因を追及したり事後に起こったことの問題点を研究することなどはどうしても必要で、東電が我が身の保身と原発の再開、もしくは日本を愛しているかなどが試されます。また、このような不完全な公開をした理由として「私物だから」ということですが、東電は独占企業で、原発に多額の補助金を出してもらっていて、電気代も独占ですから、決して「私企業」とは言えないのです。経営は東電がするとしても、日常的な活動は公的な活動ということができます。・・・・・・・・・東電と似ているのがNHKなどの報道機関です.報道機関というのは私企業のようですが、独占的な情報取得手段(多くの記者、カメラマン、記者クラブなどの独占など)をもっていますので、これも半官半民です。つまり多くの外国で現実にそうなっているように、「経営と報道」はべつものです.経営というのは、ある新聞社とかテレビ局が良い報道な楽しみを供給していると判断して、その経営を担当するということですから、経営と報道や編集は独立して運営されるということになります。専門性を尊重する国は、このような経営が広く普及していて、「経営と技術」、「経営と報道」、「経営と医療」、「経営と教育」なども独立しています。事故直後、NHKの記者は「被曝が危険だから」という理由で福島から引き上げ(経営)、福島県民には「被曝は健康に影響がない」と報道(編集)してきました。まさか報道が福島から自主的に引き上げたいというはずもありませんから、経営と報道で激しい戦いがあったはずです。この間、NHKでなにが議論されたのか、報道機関ですから、東電よりさらに踏みこんだ情報公開を求めます。事故の原因追及も大切ですが、今後の事故などを考えると、今回の事故ではマスコミの情報秘匿がもっとも大きいと思います。また30キロ定点観測で1号機、3号機、4号機の爆発映像を取ったのに、その公開を制限した理由と経緯も明らかにするべきです。今回の原発事故では、今に至ってもストロンチウム90の測定値が出なかったり、福島の汚染が報告されなかったり、食材の汚染の公開が遅れたり、まるで発展途上国の情報公開のようでした。日本は立派な国ですから、国民の知る権利をさらに大きく認める事、このことに司法も含めてより厳しく考えるべきだと思います。(平成24年8月6日) 武田邦彦
2012年08月08日
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感動を失った社会 「kandoutdyno.203-(9:23).mp3」をダウンロードオリンピックが開催されて多くの日本人に深い感動を与えています。商業化されたとか、本来のスポーツマンシップを忘れているなどと批判もありますが、やはり頂点を目指して努力してきた人の緊張感、努力に接すると人間は感動するのも事実です。ところが目を日本に転ずると、政府の公約破棄、原発事故と電力会社の横暴、中学校のいじめ自殺と教育委員会の保身などおよそ感動とはほど遠い事ばかりです。今や日本には街角にヒット曲が流れることもなく、展覧会がどこで開かれているのかもよくわからなくなりました。このように、私たちの心を揺さぶることが無くなったには様々な要因があると思いますが、私の専門の近くから見ると、それも当然のような気がします。まず第一に「未来が暗い」ということですが、これは「本当に暗い」のではなく、「一部の人が儲けるために無理矢理作り出した暗さ」です。たとえば、石油石炭天然ガスは1000年は充分あるのに、太陽光発電などの自然エネルギーに補助金を出すために「無い」と言って不安をあおることです。理想に燃えて太陽電池を研究したり、それを自宅につけたりすることは良いことですが、その時に人のお金を当てにし、電気が余ったら電気料金の約2倍で売ろうとするという背信行為が正当化しています。「CO2で温暖化する」というのもウソで森林に補助金を入れたい」、「天下り先を作りたい」というだけのことであることが徐々に明らかになってきています.このような資源や環境の分野での「作り出された暗さ」には、リサイクル、ゴミがあふれる、ダイオキシンは猛毒だ、環境ホルモンでメス化、コンビニエンスストアの夜間営業禁止、レジ袋の追放など枚挙にいとまがありませんし、さらにタバコの追放、メタボ利権、高血圧利権など人の健康を出汁にするものまで出現している有様です。このような現象は環境問題に限られるわけではありません。年金は積み立てておいた記録が5000万人分、無くなってしまったり、現金自身が政治家の圧力で貸し出されて戻ってこなかったりしています。さらに地震と原発事故で疲弊している国民に、増税したり、扶養家族控除を止めたりと追い打ちをかけています。これらは作り出された暗さで、本物の暗さではありません。世界の資源はたっぷりありますし、温暖化はしません。ゴミは焼却すれば町にあふれることはなく、タバコで肺がんになる人の数は少ないのです.むしろ、日本は諸外国に比べて対外資産が極端に多く、技術力も高く、国民の真面目さ、勤勉さが残っていますので、未来は全く心配は無いのです。多くの人が毎日を楽しく過ごせば、景気は良くなり、日本の将来は明るくなるでしょう。第二に「誠実な社会」を作ることです。ギリギリの商売の中で若干のだましが入るのは良いのですが、毎日の生活や目に見える政治の世界でだましが連続すると、人間はすっかり夢や目標を失います。現在の日本では「政府が「悪」であるとき、「正」を何で決めるのか?」という問題に直面しています。そして本来、学問の自由が保障されて学問に忠実であるべき学者が曲学阿世(御用学者)であったり、表現の自由で守られている報道機関が事実を報道するのをためらうようなことが起こっています。選挙の公約の遵守、学問への誠実性、報道の公平性などはいずれも社会の基幹をなすものですから、これらが崩れたら社会が暗くなるのは言うまでもありません。さらに、ある主婦の方から「真実を口にするのが憚られる時代」というメールをいただきました。ヒットラーのドイツ、スターリンのソ連に代表されるように、日本も真実を口にするとバッシングを受ける社会になりました。社会的に将来が不安で、ウソが多く、思ったことを口に出せない社会・・・そこに感動があるはずもありません.どんなに貧乏でも「明日は今日より良くなる」という確信や、「自分の身の回りは愛と信頼に満ちている」という安心感こそが人間を人間らしくし、人間の知性、美的感覚、情緒などが花開くのです。・・・・・・・・・ヨーロッパの中世は精神が抑圧された時代でした。ある若者が高僧に「太陽を観測すると黒い点のようなものが見えます」と言ったところ、高僧は「古典を調べてみる」といって寺院の中に入り、しばらくして出てきて「古典をくまなく調べたが、そのような記述はない。黒い点やらは君の眼のシミだろう」と言った。この話は中世の抑圧されていた時代、新しい事実を見いだしてもそれを認めてくれず、形式論だけで進んでいたことを示しています.このような社会の雰囲気では科学や芸術は進歩せず、だからこそ「ルネッサンスの爆発」があったのです。まず、自由な雰囲気の日本、誠実を大切にしてウソを嫌う日本、他人をバッシングしない日本、優れた子供を素直に褒める日本、自分の国の伝統に誇りを持つ日本、そして日本の国土は日本人が守るという決意を持った日本を作ろうではないかと思います。私個人はどんなことが起ころうと、常に真実を語り、楽しく生活し、誠実に生きようと思っています。それがたとえバッシングの対象になっても全然気にしません.誰かが行動に起こさないと新生日本は誕生しないからです.たった一人の力ですから微々たるものですが、それでも同じ気持ちの人が大勢おられることを励みにやっていきたいと思っています。自殺、放火が世界のトップクラスという今の日本が病んでいるのは言うまでもなりませんが、それは「回避できないこと」ではなく、私たち大人が決意をすれば回復できることだと思っています.(平成24年8月4日) 武田邦彦
2012年08月06日
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技術者魂 「gijyutsurinritdyno.201-(8:16).mp3」をダウンロードあるとき、自動車の大会社の技術担当重役にお会いしました。ちょうど良い機会だったので、私は電気自動車の将来性についてご質問をしたのです。私は質問に対して、将来の市場性(つまり車として有望か、日本で売れるかどうか)などをお答えになるのではないかと思っていたのですが、驚いたことに彼は話を始められてから終わりまで、すべて「いかに安全な車が設計できるか」について微に入り細にいり、私に説明をしてくれました。これこそ「技術者魂」なのです。どんなに素晴らしい車、最高速度が大きい新幹線、電気をもたらす発電方法、そして通信の優れた携帯電話を作っても、それが安全で、快適で、幸福をもたらすものでなければ「技術的作品」とは呼べないものです。福島原発の事故に関して国会の事故調査委員会の結論が公表されたとき、あるテレビ局がコメントを求めたので、私は「一応の評価ができるものだが、技術的踏み込みが不足している」と言いました。たとえば事故原因が「人災」だったとしても、人災をもたらした人間関係、組織を問題にするとしても、技術者だったら、しつこく技術的問題を取り上げるからです。その点で、福島原発事故のあと、まだ原発を推進しようとしている技術者がいるのは実に不思議です。福島の事故が起こるまで、軽水炉で、しかも日本の軽水炉で福島クラスの事故を起こすということは原子力の技術者は考えていませんでした。だから、あの事故は技術者から見ると完全に失敗で、何が間違っていたのかを徹底的に考え、新しい設計をやり直さなければ到底、原発を推進する気にはならないからです。私は、今の技術力では電気は火力発電がもっとも適していると思いますし、石油石炭天然ガスなどは1000年はあるのですから、少し頭を冷やして考える時間は充分あります.また100歩譲ってCO2による温暖化の効果が少しあるとしても、世界でCO2を削減しているのは日本だけですから、原発事故の後、しばらくは火力発電をするのに世界は何も異議を挟まないでしょう.・・・・・・・・・原子力発電技術に少しでも携わった技術者の皆さん、私たち(原子力に関係した技術者)は次のように訴えようではありませんか.政治的なことなどに関心はあっても私たちの本業、技術の魂を守ろうではありませんか.1. 私たちは原子力技術が日本のためになると信じて、技術の開発を行ってきました。決して、私利私欲ではなく、原子力の実用化によって日本が繁栄することが目的でした.2. 私たち(原子力技術者全体:個別の技術者では軽水炉が危険だと言っていた方もおられます)が軽水炉を選択し、それを推し進めてきたのは負のボイド効果など原子炉の中では格別に安全性に優れていたからです.3. 原子炉の固有安全性、多重防御などによって、震度6の地震や15メートル程度の津波で爆発するとは思っていませんでした。事故が起こってから「津波が15メートルだったから」といういいわけをしている人もいますが、私たち技術者は「震度6で津波が15メートルに達したら原発が爆発する」と言わなかったと記憶しています。4. 私たちは個別の技術者がどう言ったかは別にして、技術者全体としては日本社会に「原発は安全です」と言ってきました。原発の安全性は技術者以外にはわかりません。だから今回の事故は私たち技術者の責任です。5. 「震度6、津波15メートル」で爆発したとなると、私たちの安全の考え方に基本的な誤りがあったことを示しています。「固有安全、多重防御」が意味をなさなかったのですから、私たちは「基本的に考え直す」ことを表明する必要があります。6. 当面、私たちの失敗によって国民に迷惑をかけたのですが、節電に協力していただき、できるだけ早く、もっとも技術的に完成している化石燃料の火力発電を早期に稼働できるように努力することが大切です。これがせめてもの国民に対する贖罪の一つです。7. もう一つ、福島を中心として苦しんでいる人に、4500億円の原子力予算、カンパ、労働奉仕、被曝測定・・・なんでも良いですから、ご迷惑をおかけした人の生活の回復に原子力に関係した技術者全員で努力したいと思います。・・・・・・・・・政治が技術に命令する事があります。でも、それによって技術者の魂が奪われるわけではありません。政治が「被曝限度は1年20ミリ」と言っても、私たち技術者がこれまで「被曝限度1年1ミリ」と決めてきたのです。さらに原子炉の設計に当たっては「1万年から10万年に一度の事故に限って臨時に1年5ミリまで認める」という設計基準で審査をしてきました。今回の事故は日本で原子力を始めて40年ほどで起こった事故ですから、その意味では100年に一度。もし地震の規模という点で1000年に一度でも、1年1ミリを超える事はありません。自分たちで決めたことには責任を持ちたいと思います。日本は科学技術立国であり、技術は単に学問的なものだけではなく、今後も社会に貢献する安全な技術を提供していく必要があります。その最も大切なのは技術者の魂、技術者の倫理であることは間違いありません。(平成24年8月4日) 武田邦彦
2012年08月05日
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CO2削減は日本だけ いわゆる温暖化というのは、最初「気候変動」と言われていたが、それは1980年代のアメリカ農業が不調だったので、てこ入れが必要であり、その結果、「工業が出すCO2のために気候が変動して農業が被害を受ける。工業は農業に金を回せ」ということだったからだ。残念ながら今の世界で、「環境を守るために国益を損なう」などという国は日本をおいてほかにない。「japan14warmngtdyno.153-(12:37).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012年08月03日
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熱中症を人質に取る作戦を続けるなら、来年は犯罪に 「dennryokuodoshitdyno.194-(10:00).mp3」をダウンロード福島原発事故が起こった2011年の夏に続いて、今年も夏になると電力会社の経営の失敗(原発問題)の尻ぬぐいを国民に強いている。このブログに書いたように、日本はもともと電気生産量を3億4000万キロワット程度にしなければならないのに、電力会社がサボって1億8000万キロワットしか生産していなかったことに起因している。これから毎年、夏になると電力会社の経営失敗の尻ぬぐいをさせられるのはかなわない。政府は完全に電力側に立っていて国民には電力の召使いの役割を強いている。NHKは電力会社側にたって「なぜ、節電しなければならないのか?」にはいっさい触れず、「節電しない国民は非国民だ」というような勢いで節電を宣伝している.節電して国民の活動量を減らすならまずNHKが「節NHK」、「断NHK」を実施して欲しい。それなら誤報が少なくなるし、受信料が減るので国民は大喜びだ。ところで、原子力を後退させるためには、火力発電所の復旧、増設、自家発電の強化を最優先しなければならない。私は石油、石炭、天然ガスは当面、無くならないとの見解だが、もし500年後になくなるという考えを採用しても、原発が使えなくなった今、それに変わるのは技術が確立している石油石炭天然ガスが妥当であるのは、異論もないだろう。しかし、現実には「電気が足りないから毎年我慢することになる」という脅しのもとで「時間のかかる自然エネルギーに税金を投入するか、原発を再開するか」という「悪い方向」だけを選択させようとしている。それが先日、中部電力課長の驚くべき発言になった「エネルギーの選択肢」の議論である。資源が豊富にあり、世界が例外なく火力発電の増強に進んでいる中、そのデータを報道せずに日本だけを別の方向に進ませようとしている.私も講演していると、多くの国民がこれまでの報道によって「資源はなくなる」と錯覚していることがよくわかる.また、「当面は資源があるのではないか」と考えている人も、「化石燃料では電気代が高くなるから」と心配している。原子力発電の売上高は1年に5兆円、それに税金5000億円を投入していた。これを当面、電力会社は原発の運転を止め、経営失敗の責任をとって新規火力発電については収益を期待しないとする。その他の火力発電での収益は3分の2をしめるから、電力会社の経営責任を「3分の1の収益減少」とすることを意味する.これほど日本を混乱させたのだから納得性があるだろう。原発の廃炉、核廃棄物の処理、格納にこれまで原子力の開発などに使用していた税金5000億円を投じ、青森の再処理工場の運転を停止すれば、原発の停止に関して余分な出費はない.青森の再処理工場は原爆を作るためで、放射性物質で汚染されたものは2.6倍になるのだから、処理をしない方が格納する使用済み核燃料は減少する.仮に国民が核兵器の保持を希望した場合、軍事費で支出するべきであり、電力費を核兵器に流用するのは、どのぐらいの経費が国防にかかっているか、歯止めができるかなどで困難を生じるからだ。原発の処理を現在の税金の範囲でできるので、コスト面での火力発電の増設は「通常の電力会社の増設計画」でできる。つまり電気代のアップはないということだ。・・・・・・・・・すでに2011年4月の東京電力の計画停電の時には約2000万キロワットの電力生産量の隠蔽があった。2012年夏の関西電力の電力生産計画にもインチキが見つかっている.なんとしても原発を動かしたい電力が全力で偽装している.そのために「電気が足りない」と国民を恐喝しているのが現状である.熱中症で倒れた人の補償は電力会社とNHKがしなければならない。というのは、事故直後から火力発電の増設に努力していれば、来年ぐらいから電力不足はなくなるからである.どの製造業も、「供給責任」というものがある。国民が欲しい物は計画的に、事故を起こさないように工場を動かして、供給しなければならない。地域独占の電力会社はさらに競争がないのだから、現在の1億8000万キロワットではなく、3億4000万キロワットまで増設するのが当面の急務だ.日本政府は、お金をもらっているからかどうかは不明だが、本来、国民に向かって「電気は充分に供給できますから、快適な夏を過ごしてください」と呼び掛け、その一方で電力会社には「はやく火力を作れ.供給責任を果たせないなら地方独占権を剥奪する」と言うのが筋だ。政府は国民を向いていない.このままでは国民は「電力会社の故意の怠惰によって、毎年脅迫を受ける」という状態になるので、公正取引委員会は警告を発し、検察は犯罪になるかどうかを検討すべきである.(平成24年7月26日) 武田邦彦
2012年08月02日
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人生の節目・衝撃の一言;私は防護服なのに、彼は普通の格好をしているのです! 「bougofukutdyno.197-(2:30).mp3」をダウンロードある大新聞の記者が私に次のように言いました。「先生、原発事故から数日経ったときに私たちの新聞社の記者は全員が福島から引き上げました。そして1ヶ月ほど経ったときに防護服に身を固め、線量計を持って福島に入ったら、そこに普通の格好をして仕事をしている人がいるじゃないですか」彼は思い詰めたような目をして私を見て話を続けました。「彼に聞くと「いや、安全だって報道していたから、そのままここにいるだけだ」と言いました。私は恥ずかしくて取材ができなかったのです.あんな体験をしたのは初めてです」彼はこの話を言わないで、私の取材ができなかったのだろう.マスコミも苦しんだのかも知れないがそろそろマスコミ自身で総括をするときだ. もちろんNHKは30キロ定点カメラを残したまま総員引き上げた上で、受信料を払っている福島の人に「安全だから、そこに居て良い」と言う趣旨の放送をした。これについても時系列的に詳細な資料を受信料を払っている全国民に出すべきだろう.(平成24年7月26日) 武田邦彦
2012年08月01日
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