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3月6日(水) 9時頃、のんびり泊港へ行き、船の時刻を調べに行く。今日も明日も先島への船はなく、8日しか出る船がないため、南部の戦跡めぐりのため糸満までバスに乗り、糸満から歩いて戦跡を見にかかった。 最初、「白梅の塔」へ行こうとしたがルートがわからず、何度も聞きながら行く。農家の女の子に道を尋ねた時、運よく彼女の運転でヒッチすることができた。畑の合間をぬって車は行き、我々を「白梅の塔」まで乗せてくれた。そこから40分ぐらいのところにこじんまりした「白梅の塔」があった。 次は、「ひめゆりの塔」有名なせいか訪れる人もかなりある。入り口にあるみやげもの屋のおばさんがしつこく買うよう我々に勧めるのには少々閉口する。「ひめゆりの塔」の無料休憩所でコーラを飲み休んで、「魂魄の塔」へ行く道を尋ねていた時、そこに丁度居合わせたセメント会社の重役さんが、車で案内してくれ、サイト地を予定していた「健児の塔」まで我々を連れて行ってくれた。別れぎわに名刺をくれ、一度来るようにと言ってくれた。 「健児の塔」にはおりから青年の船の連中がいた。スマートなスーツに身を固めた彼らを羨望の眼差しで見ながら「健児の塔」を見る。記念写真を撮り海岸に降りてみる。海岸からは摩文仁岳が見える。 この辺一帯は慰霊碑が多く、各県の慰霊碑を一同に集めた公園は、各県の慰霊碑のよさを競っているようである。外国人の連中も多く一体彼らは何を感じているのだろうか。 夜は摩文仁青年団の人たちと酒盛りになる。
2015.04.30
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3月4日(月) 名護から那覇へ行く途中、船で知り合った金武村のMKさんの家にやっかいになる。金武村に着いた時、すぐ鍾乳洞を訪ねる。かなり複雑で秋吉台の鍾乳洞よりは小規模であったが、おもしろかった。 鍾乳洞を見終り、海岸に出て昼飯を食う。3時間余り日光浴をしながら名古屋へハガキを書いている時、頭上をB52が2機、3機と飛び去っていった。これを見た時に沖縄の今を見た。 【父親へのハガキ】 『便りが遅れ申し訳けありません。 27日に那覇に無事着き昨日まで北部を中心にワンデリングをしました。 昨日は北部の与那覇岳に登り、ハブに出会うのではないかとビクビクして歩きましたが、 幸いにも一度もお目にかからずに済みました。 明日からは本島の南部および石垣島に行く予定です。 家族の皆によろしく』 夜、MKさんと金武村の米軍キャンプ付近へでかける。米軍キャンプとそれにともなってできた赤、青、ピンクのけばけばしい横文字がならぶpawn・shop。一歩路地に入り込むとバー、キャバレー、ホテルの安っぽいうわついた建物が建ち並び、街角には2、3人の女が立ち、道を歩いているのはアメリカ人がほとんどであった。この路地を歩いているとはたしてどこの土地を歩いているのかと疑いたくなるほどであった。この不思議な一角を通り過ぎるとまた静かな、夜の沖縄に足を踏み入れていた。 3月5日(火) 金武村のMKさんの家で一泊し、朝7時30分頃起き、朝食をたっぷり食べ、バスに乗り那覇へ向かう。途中、普天間のズケラン米軍キャンプを横目で見ながら、中城城跡まで約2kmの道を歩く。途中、沖縄の古い家の形をそのまま残した家を見た。中城城は石垣だけだったが、かなり大きく、沖縄を一望に見渡せる絶好の場所にあった。 中城から那覇に着き、市内を散策した。国際通りを闊歩した。ミサイルを積んだトラックに出くわした。路地裏の市場を見たりした。夜も再び国際通りを闊歩した。
2015.04.30
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3月3日(日) 午前0時、夕方から降り始めた雨が強くなり、テントに浸水し始める。少しひどすぎたので、体育館へ逃げ出し、体育用マットを広げ、シュラフにもぐりこむ。朝方まで熟睡できずウトウトしただけだった。6時少し過ぎに起き出しテントの中においてあったザックやその他のものを体育館まで運び、飯の支度をする。出発はようやく9時になってからだった。 安波から与那覇岳(503m)をはたして超すことができるだろうかと思う。安田から少し行ったところで那覇から4人でドライブをしている人たちに拾われる。これで距離をかせげると内心ほくほくする。安波まで約25分のドライブ。この距離を稼ぐにはきつかったと思われる。 安波で車を降り、与那覇岳をめざそうと思うが登山口が全くわからず、地元の人に2度、3度尋ねるが言うことがまちまちでどれが真実か皆目見当もつかない。結局13号線に沿って歩き出す。周囲はのっぺりとしたパイン畑が続いており、道幅は広いがところどころに水たまりがあったり凸凹で、決してよいとはいえない。赤土の粘土質が昨夜の雨でさらにひどくなり、ビブラムの底にくっつき歩きにくかった。 はたしてこの道で与那覇岳の登山口まで行くだろうかと半信半疑で歩き続ける。現地の農家の人たちに再び会ったので、与那覇岳の登り口を尋ねると、これから先5000mぐらいだと遠くの山を指し教えてくれる。ともかくこの道をただひたすら歩き続ける。 昼食をとっていると人声がする。道にビブラムの跡があるので、先行している東経大の連中かなと思って急ぐと、先程、安波までヒッチした車が斜面がぬかるみスリップして動かない。測量に来ていた人たちと車を押しているのに出くわす。ザックを放り出し車の後押しを手伝う。 結局、その車はぬかるみを脱し難をまぬがれた。車に乗っていけというので便乗し、右への分かれ道を探しながら車中の人となる。右への分岐でしかもブルドーザの入っている道はなかなか分らず、その車を乗り捨て分岐点を探す。 すでに午後1時近く、焦り出したが、少し引き返したところに分岐点らしきものを見つけることができた。これからハブに脅えながら登らねばならないと思うとうんざりする。傘を手に持ちハブに備えキョロキョロしながら、登り出す。なるべく道の真ん中を歩き、茂みに近づかないようにする。現在位置も確認できないまま、ブルドーザが通ったと思われる道を進む。山々はのっぺりしていてどれが与那覇岳ともわからないまま、勘とコンパスでだた西へ行くルートをとる。 のっぺりした山々を縦横に道が走っているのがわかる。ところどころに米軍の缶詰の空き缶やそれらを入れてあった空き箱がゴロゴロしている。こんな山深いところまで米軍を感じさせるものがあることを知り、少しショックだった。全くどこかも見当もつかないまま、不安とハブの恐怖にどきどきしながら歩いていると、きこりに出会い与那覇岳はこの道でよいかと尋ねるといいと言われた。この時の喜びは何ともいえぬものであった。こんな山奥でビバークでは全くさえないし、ハブにあってもどうしようもなかったのでほっとする。 1時間後に与那覇岳ピーク近くを通り、これから約2時間、豆のできた足をひきづり奥間に着いた時はさすがにほっとした。奥間からバスに乗り名護に戻り「大阪ホテル」に泊まる。久し振りのふとんの暖かさ、なによりも風呂に入れたのがよかった。 奥間で買ったパン(30セント)、コーラ(25セント)、名護までのバス代(56セント)大阪ホテル(1ドル)
2015.04.29
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3月1日(金) 29日午後11時頃から風が強くなり始める。午前1時30分頃、風はますます強くなり雨も降り始める。テントが風をはらみ吹き飛ばされそうになる。シュラフをたたみいつでも逃げ出せるようにする。風雨は弱くなりそうになく、あいかわらず吹き続ける。 TKと互いにポールを持ち、ザックを重石代わりにテントを巻き込み載せるが、暫くするとすぐに飛んでしまう。まだ雨が少ないので幸いだ。気が付くと入り口側の親綱が外れている。外に出て親綱を張り直し、外からポリタン、石でテントが飛ばないようにする。 午前3時頃まで沖縄の米軍の英語放送を聞いているが全くわからない。午前5時頃、雨が激しくなりだしテントの中へも漏れ始めたため、ザックにシュラフなどを詰め込み公衆便所へ逃げ込む。風雨は相変わらず強く、太平洋の白波が激しく辺土岬にぶつかっている。 雨の中を奥部落へむかう。バスが通っていることが分っているのでそれほどの不安はなかったが、睡眠不足と朝食抜きで厳しかった。11時頃、奥に着き公民館へ逃げ込み午後5時頃まで寝る。夜は子供たちと話をする。子供の一人がメモ帳に名前を書いてくれた。 「沖縄県国頭村字奥小学校六年 ○○ ○」 3月2日(土) 昨日、雨の中をびしょ濡れになり奥に着き、衣服を乾かし、公民館の土間に寝たが熟睡できなかった。明け方うとうとしている時、TKに起こされる。6時10分頃だった。起き出してラーメンを四つ煮たが、薬味を入れ過ぎて辛くて食べられない。乾かした衣服のパックに手間取り8時頃、楚州に向かう。途中の伊江部落は戸数わずかに4戸、太平洋に面した風景の非常に美しいところだった。楚州を過ぎ我地までの道のりは厳しかった。道はかなり広いが切り開いた赤土が至るところ露出しており、歩くのに適していない。 12時頃昼食をとる。我地の部落はわき道にあったのか見落としてしまったらしい。左へ折れる道があり、下方に部落が見えたのでこの道を行くことにする。昼食を取っている時、米軍の車が1台通り過ぎて行った。北部に来てまでもアメリカの匂いをかごうとは・・・・・。 政府道13号線はかなり整備されているが通る車はほとんどなく、歩いているのは二人だけだった。少し、寂しさも感ずるほどである。ロードにヒーヒー言いながら、わき道を降りると、伊江の部落にきていた。戸数十数戸、さとうきびを取り入れていたが、かなり貧しそうであった。谷間の本当に静かな部落だった。老婆に安田への道を尋ねる。途中、小学生や中学生に会う。学校は近いかどうか尋ねながら歩く。 車の近づく音がするので立ち止まるとまた米軍の車だった。この道は案外、米軍ぐらいしか通らないのかもしれない。安田小中学校に着き、サイト地と決定。明日、安波から与那覇岳へ登ることにする。校庭にテントを張ってもいいかどうか宿直の先生に尋ねようとするが、まだ来てないらしい。 安田や伊部の子供たちとたわむれる。女の子でも少々手荒いのにはまいる。でも目はパッチリとしてかわいらしい子が多い。
2015.04.29
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2月29日(木) 5時半に起床。7時半頃、本部半島を左廻りに歩き始めた。一面のさとうきび畑を一本のバス道がえんえんと続いている。低い山並みを左手に臨み、右手に見え隠れする海を見ながらの単調なワンデリングだった。学校へ行く途中の多くの中学生に出会った。 道の途中には沖縄独特の家の形をしたお墓が左右の山の斜面に並んでいた。お墓は内地のものに比べると大きくて立派なものばかりであった。渡久地港の手前は道路工事がかなり行われていた。渡久地港につくまでに一回ヒッチをおこなった。 渡久地港を過ぎ本部半島の西側を歩き始めると海の色が真っ青であり、わが生涯においてこれほど美しい海を見たことはなかった。伊江島もすぐ近くに見え今回のパーワンで最も美しい景色であった。道のむこうから我々とよく似た一人がやってくる。なんでも神戸から来てすでに24日目、ヒッチなどをして旅をしているとのこと。 しばらく歩くと農家の人、三人と一緒になる。彼らはさとうきび畑へ行く途中であったのだが、つれづれに色々なことを話しながら舗装された道をトボトボ歩いて行った。彼らと別れる時、さとうきびを切って、ぼくたちにくれた。 循環バス、タクシー、ダンプがどんどん追い抜いて行き、いいかげん二人とも頭にくる。砂浜で一本立てることにした。さっき貰ったさとうきびをかじりながら海に浮かぶ島の美しさにしばし見とれ、30分位ぼんやりしている。ポーズをとりカメラで写し、出発する。 しばらく行くと採石場が見え始める。採石場から流れ出している水のために真っ青な海に一筋、茶色に濁っているのが印象的だった。これからは採石場がいたるところにあり、埃っぽく赤茶けており、それが海の青さと対照的だった。 二人とも歩くのがいいかげん嫌になり、ヒッチをしようと立ち止まり一本立て適当な車が来るのを待ったがなかなかこないし、来ても全く見向きもしてくれないのでしかたなく、歩き始めたが暑さのせいもあって、名護の手前の屋部というところでついにダウン。 丁度来た名護行のバスに乗る。本当は名護で一泊する予定であったが、時間が早かったので辺戸岬までいくことにする。バスの出発は3時過ぎだったので、ユースの予約をし、時間つぶしに沖縄の女の子の品定めを行う。美人が多い。 名護から辺戸までは約2時間余り北部の景観は中部、本部半島のそれとは全く異なったものであり、岩肌が海に突き出ていた。辺戸で午前中、本部半島で会った、神戸の人にまた会う。一瞬信じられなかったが、アメリカ人の車に拾われここまでつれてこれれたとか。辺戸はさすがに沖縄の北部の果てらしく、部落が点在するだけで、全く人里離れたという感がする。 雲が多く今にも降り出しそうな空模様であるが、かすかに与論島を臨みテントを張る。
2015.04.28
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2月27日(火) 7時半頃目が覚めた。起きようか、もう暫く寝ていようかと迷っていたら朝食が運ばれてきた。パンふた切れとゆで卵そしてやかんにいれたコーヒー、あまりに味気なかったのでザックからバターを取り出しMKさん、MOそれにTKと仲良く食べ始める。今度はMOが焼かないパンは食べられないと言い出す。常時、食欲があるのはTKと自分くらいのもの。 朝食後、カメラを持って甲板に上がると東南の海上に辺戸岬がみえはじめる。いよいよ沖縄本島に近づいた。本部半島、伊江島の平な島にポツンと立った妙な山も見え出す。船から島を見ている限り全く平和なのどかな南の島といった感じ。ここにB52やベトナムを攻撃する戦闘機、軍艦が停泊する軍港があるとは全く想像もつかない。島の緑が目に非常にあざやかで、海の色は紺青色、南にきたという感じが強い。船室は暑くてどうしようもなく、甲板のほうがはるかに快適である。 昨日のメッチェンが甲板に座っているので行ってみる。沖縄のこと先生の意義などを話す。昼食になりキジ飯がでる。MKさんは食べなかったのでTKと一人半分を食べる。あと2時間30分で那覇港に着くとのアナウンス。歌謡曲が流れうきうきした気分。甲板から島の建物がはっきり見えだした。 船室に集められ、入国手続きの書類にいろいろ書かされる。タバコ何本、時計いくらなど、その後、身分証明書を持って並ぶ。4時頃やっと上陸。歩いて春海荘に着く。絵葉書を20枚買う。そして寝る。 2月28日(水) 7時に目が覚め、飯だと起こされる。昨晩、船でメッチェンに約束した通り、一緒に名護まで行く。バス代55セント、名護から本部半島のパイナップル畑を見て、ヒッチハイクを2回行い、今帰仁城址に着く。今帰仁城跡への途中、一人のおじさんが熱心に何かを我々に訴えていた。方言のため理解できなかった。沖縄の人が本土の人に訴えたいが、なかなか理解されないもどかしさがその表情にあった。 泊キリスト協会に着く。教会の牧師さんと1時間半位話しをする。風呂へ入れてもらう。
2015.04.27
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2月26日(月) 鹿児島大学の寮で一夜を過ごした。10時間以上眠り睡眠は充分。6時に起き市電の停留所までテクテク歩きだす。出勤のOLや女子学生とすれ違うと奇異な目で見られているような気がする。満員電車に飛び乗り、鹿児島港に向かう。どこもかわらぬラッシュに少々うんざりする。マッチ箱のような電車を降り鹿児島港に向かって歩き9時30分頃着く。 出港の手続きをあれやこれや行い、港の薄暗い倉庫に集められ、荷物の検査やパスポートのチェックでかなりの時間を費やす。ここで三重大学のユースホステルクラブの学生と知合いになる。九州から沖縄さらに四国へ行くとのこと。もう一人は髭の濃い目のパッチリした眉の太い沖縄の一青年。東京の私大を今春卒業し、沖縄で教師になるそうである。我々が乗る沖縄丸は思ったほど大きな船ではなく、古ぼけた骨董船だった。 船底に十把ひとからげで押し込められ寝るためのほんの僅かばかりのスペースが与えられたにすぎなかった。早速、横になって眠りに着くもの、三流週刊誌を読みあさるものさまざまであった。自分はもっぱら三流週刊誌を読むのに一生懸命だった。 二等船室それは全く我々の人間性を無視したものであり、船底にきれいに並べられ一路沖縄に向かった。昼食にはとても人間が食べるとは思われないような食事がだされた。桜島の噴煙を後に2時間ぐらいで鹿児島港を抜け、開聞岳の美しい山姿を北西に望みながら船は進んだ。戦争中、開聞岳を中心に飛行訓練が行われという。 再び船室にもどる。あいかわらず多くの人たちがゴロゴロ横になっているのには少々うんざりする。夕食は混ぜごはんとおすいものがついているだけ、全く腹の足しにはならなかった。三重大のMOやMKさんの果物を食べながら食事の足しにする。MKさんは昼食も夕食も全く食べず、ただ夏みかんなどの果物を食べているだけだった。 夕食後、甲板に1時間位いたが、風が冷たく寒いくらいだった。午前1時半頃やっと船室に戻り毛布にくるまる。
2015.04.26
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”ちょっと一言!!” 敗戦後20年余りたった今、日本は完全に独立したのであろうか?いまだ日本は多くの敗戦処理問題を残している。北方領土及び沖縄の返還はその中でも大きい問題である。ベトナム戦にあけ暮れる今は沖縄返還は佐藤・ジョンソン会談の後、小笠原返還でお茶をにごし、この問題をうやむやにしようとしている。 学生運動ばかりでなく、マスコミでも大きく扱われているこの問題を心に抱き沖縄の現状を自分の眼で見てくることはこれからの行動をするにあたって大きな心理的バックボーンになると信じている。また私個人の為だけでなくクラブにそして身近な人達に沖縄問題を提起できたら、いや提起していくよう努力しやりとげたいと思っている。 (K.T.) 沖縄へ行って絶対自分のものにしなくてはならないものは何か、何のために行くのかという意義、目的はまったく明確ではないし、つけようとも思わない。本当にただなんとなく行くと言った方がいいのかもしれない。なぜなら沖縄へと私を行動へかりたてる要因は単純なものではないからであり、この要因はたえず絡まりあい、影響しあっているからだと思う。 多くの金と20余日を費やしその結果は全く、客観的に意味のないものに終わってしまうかもしれない。しかしこのワンデリングの結果がたとえつまらないものに終わってしまってもそれなりに私に非常に大きな影響を与えるに違いないと思っている。 高いワンデリングからより広いワンデリングへ! (H.I.) 2月24日(土) 午後3時名古屋駅に着く。TKはまだ来てなく、駅の構内をブラブラする。時間が早く差し入れに来た人はまだ誰もいなかったが、4時頃TMが来たのを初めとして、KW,KY、5時を過ぎる頃には15、6人のワンダラーに囲まれていた。照れるやら、驚くやら、差し入れをナップサック二つに、やっと詰め込み、多くのワンダラーに見送られ、急行『霧島』に乗り込む。席はなんとか確保したがこれから22時間余り座っているのかと思うと、少々うんざりする。 夜はもっぱら差し入れの週刊誌を読みあさる。夜行列車は帰省客やら東京からの受験生で一杯だった。体勢が悪くなかなか眠れなかった。前に座ったおばさんと話したりしながらして、予定より約50分ぐらい遅れて西鹿児島駅に着いた。 西鹿児島駅では最初どこに行こうかと迷ったが、結局、鹿児島大学の寮へ行くことにし、80円払い一泊することにした。晩飯を作ろうと思ったとき、寮の食堂のおばさんからおかずをもらい大変恐縮した。頭をペコペコ下げ、コッヘルにもらった。 今日は眠いのでもう寝る。(2月25日 午後7時)
2015.04.24
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大学時代ワンダーフォーゲル部に所属し活動していた。クラブ主催の必須行事には新人歓迎会、錬成合宿、夏合宿、養成合宿、春合宿などがあったが、その合間を縫っての活動が競って行われ、これをパートワンデリングと称した。2年生の春休み、TK君と二人で沖縄をワンデリングした。当時沖縄は日本に返還されておらずパスポートが必要だった。外務大臣発行ではなく内閣総理大臣 佐藤栄作発行のパスポートであった。 1.期 間:1968年2月24日(土)~3月18日(月)2.場 所:沖縄島、石垣島、宮古島、西表島3.費 用:(1)交通費 ・名古屋ー鹿児島 乗車券 2,780円 急行券 500円 ・鹿児島港ー那覇(泊港) 3,600円 ・那覇港ー宮古島 1,008円 ・宮古島ー石垣島 332円 ・石垣島ー那覇(泊港) 1,440円 ・那覇(泊港)-神戸港 3,888円 ・三ノ宮ー名古屋 乗車券 560円 急行券 300円 (2)食費 500円×25日=12,500円 (3)ユースホステル代 600円× 8日= 4,800円 (4)旅館代 1ドル50セント 540円 (5)おみやげ代 ・ホワイトホース 3ドル70セント 1,332円 ・ブローチ 3ドル50セント 1,260円 ・コイン 1ドル50セント 540円 ・コイン・切手 3ドル50セント 1,260円 ・扇子 1ドル 360円 ・煙草(200本)1ドル50セント 540円 ・泡盛 80セント 288円 ・びんがた 1ドル80セント 648円 合計:38,476円5.装備 (1)住 ・テント ・ポンチョ ・ローソク ・ラテ ・シュラフ (2)炊事道具 ・ホエブス ・コッヘル ・ガスポリ ・水ポリ ・ナタ ・ナイフ ・食器 ・金網 (3)衣 ・下着 ・ズボンの替え ・上着の替え (4)食料 ・チーズ 7本 ・バター 3本 ・ハニーチューブ 3本 ・紅茶 ・砂糖 500g ・米 6合 ・パン ・ハヤシ ・ポタージュ ・ハム ・インスタント味噌汁 ・レーズンクラッカー ・モチ 2枚 ・かんづめ 5個 ・練乳 1缶 ・漬物 1瓶 ・粉ジュース 1袋 ・ふりかけ 1パック (5)薬品、衛生器具 ・ビタミン剤(アリナミン) ・胃腸薬(ヒマシ油) ・サルファ剤 ・外傷用薬品(ヨーチン、マーキュロ、オキシフル、止血剤) ・風薬(ルル) ・鎮痛剤(セデス、アスピリン) ・毒虫剤(ムヒ、アンモニア) ・軟膏(ペニシリン) ・消炎剤(ゼノール) ・目薬 ・殺虫剤 ・ハブ対策用血清(アクロマイシン 10錠) ・衛生器具(ハサミ、ピンセット、毛ぬき、ガーゼ、脱脂綿、三角巾) (6)小間物 ・針金 ・靴紐 ・マッチ ・細引 ・軍手 ・タオル ・石鹸 (7)その他 ・ラジオ ・カメラ
2015.04.24
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4月11日(土)11時30分から恒例の原子力品質保証部OB会総会が市内のホテルで行われた。午前中は雨が残る生憎の天気だった。通りの桜は満開の時期は過ぎていたが、散ることなくまだきれいに残っていた。 この会の幹事を担当し、今年で3年が経過した。1月から4回の幹事会を開き準備を行なってきた。幹事は5名のOBと6名の現役幹事から構成されている。OBだけだと職場の情報に疎くなり、新たな会員を確保し、維持していくことが難しくなるため、現役の協力が不可欠になっている。 今年は2006年11月に第1回が開催され10回目の節目の会であった。当初、OB53名、現役17名の計70名が参加予定であったが、1名のOBが会のあることを失念し、69名の参加となった。この参加者数は今までの最高だった。 【OB会総会式次第】 0.写真撮影 1.開会の辞 2.OB会会長挨拶 3.OB会会則・名簿リスト・活動実績・会計報告 4.乾杯 5.発足時の10年前を振り返って 6.原子力事業の近況 7.各会員の紹介と挨拶 ・新入会員、・初参加者、・長寿者 8.懇談 9.現役代表者挨拶 10.工場歌斉唱 11.閉会の辞 乾杯は今回の出席者の最長老84歳のAYさんが行なった。AYさんには40年前、お仲人をしていただきお世話になった。今回は10回目ということで「発足時の10年前を振り返って」と「工場歌斉唱」を新たに式次第に追加した。「発足時の10年前を振り返って」は前会長のNKさんに話していただいた。 2006年の世相は下記参照。 ●安倍政権が発足、憲法改正や教育改革に意欲 ●ホリエモン、村上代表らヒルズ族の逮捕 ●秋篠宮家に男子誕生、皇室として41年ぶり ●マンション耐震偽装で姉歯元建築士ら逮捕 ●日本の65歳以上の人口率が世界最高、15歳以下の人口率が世界最低に ●イラク内線状態、フセイン元大統領に死刑判決 ●北朝鮮が地下核実験、国連が制裁 ●トリノ冬季五輪で荒川静香が唯一の金メダル ●第1回ワールド・ベースボール・クラシック ●流行語;イナバウアー、エロカッコイイ、格差社会、ハンカチ王子、メタボ 14時45分から工場歌を全員で斉唱しお開きとなった。 二次会はスナック『酔夢』で16時まで22名の参加で行われた。現役も4名の参加があった。二次会終了後、集合写真を撮り、解散となった。三次会へ流れて行く人もいたが、桜を見ながら駅まで歩き、バスで帰宅した。
2015.04.13
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4月5日(日)実家で母の三回忌と弟の一周忌の法要を行った。この2年間は仏事が多く大変だったが、来年の弟の三回忌で一段落する。 法事とは今に生きるものが、故人を想い出し供養し、日頃、疎遠になっている親族が故人を介して集まる場なのだろうと思う。
2015.04.09
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