その香港を藤森さんが17年ぶりに訪れた。
昔と変わった場所もあったようだが、思い出の場所が残っているところもあり、楽しそうだった。
中学3年間を過ごした香港日本人学校に、彼が中学3年生のときに書いた作文が残っていた。
タイトルは 「らいねんの夢」 。
その内容は、
『中学3年生の夏は受験勉強で大変だったが、来年の夏は高校生になって女の子と海で遊びたい』
というものであった。
後に「チャラ男」としてブレイクする男の、素質の片鱗が見えた。
藤森さんは、小学校時代は日本の長野県に住んでいたのだが、父の仕事の関係で、家族で香港に住むことになった。
最初は父だけが単身赴任で香港に住んでいて、数年で日本に帰国する予定だった。
しかし帰国の予定が延期になったため、家族を香港に呼ぶことにしたのだという。
だが理由はそれだけではない。
当時、藤森さんの姉が日本でいじめられており、母も疲れ切っていたため、環境を変えたかったという理由もあるようだ。
父のこの決断に親戚などは反対したが、結果的にこの決断は正解だった。
姉も母も元気になり、よく笑うようになった。
こういうことがあったからか、母は藤森さんに「お父さんはすごい人なのよ」とよく言っていたそうだ。
家族間で尊敬できる関係が築けているのは、とても素晴らしいことだと思う。
藤森さんの父は今、インドネシアのジャカルタに単身赴任している。
数年前、オリエンタルラジオ中田さんの結婚式がインドネシアのバリで行われたのだが、そこに藤森さんの父が参加したらしい。 招待されていないのに。
そして、「相方の父です」と言って勝手にあいさつを始め、
「嫁さん、かわうぃ〜ね!」
と言って、一番笑いをとっていたらしい。
お調子者というか何というか。チャラ男の遺伝子は父からの贈り物なのかもしれない。
オリエンタルラジオはデビューして10年になる。
デビュー直後にブレイクして天狗になり、周りの人たちに失礼な態度をとっていた。
現在は当時のことを反省しており、迷惑をかけてしまった人たちに謝罪し、和解するという活動を繰り返しているという。
失った信頼は簡単には戻らないが、何もしなかったら悪くなる一方である。
大切なのは、 誠実な対応を心がける ことだと思う。
誰にでも失敗はある。反省しているのなら、それを誠実な態度で示すことだ。
オリエンタルラジオはブレイク後、かなり深いところまで落ちた。
しかしそこからまた這い上がってきた。
彼らは確実に成長している。
今後ますます活躍すると思う。楽しみだ。
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