アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2017年11月03日

立憲・枝野代表「民進党との連携は難しい」

ホウドウキョク より 

立憲・枝野代表「民進党との連携は難しい」

巨大与党に対峙すべき野党側に「足並みの乱れ」。

数年前のことだが ある県の偏差値トップの高校の先生が 優秀な生徒さんが揃うと 授業はやりやすいでしょう という旨の問いかけに対し 確かにうちの生徒は (授業をしていて)素晴らしいと思うが ある水準以上の生徒がいるということは 実はかなり幅が広い。 つまり水準を少し超えた生徒と はるかに超えた生徒とでは 実はかなりの能力差がある。 2番手3番手の学校は 上位と下位の差は限られているので その方が授業はやりやすい。 という旨の返答をしていたのを 聞いたことがある。 様々な人間が 集まった集団から いろいろなものを 学べるが 目的が絞られているときは より純化した集団の方が 目的を達成する効率は良い。 また 「それ」と「それ以外」 ということを 改めて考えさせらる。 〇〇から△△までと言えば とにかくその中の差があっても ある性格なり性質が集まる。 つまりその中に 質的な共通点はほぼ必ず見つかる。 それに対して 〇〇以上という定義では その集合の中に はっきりした共通点を 見つけることは 困難になる場合は多い。 民進党が 分裂したことは 国民全体にとっても 民進党自身にとっても よかったと思うが 改めて民進党とは 何だったかを考えると 「〇〇の集団」 ではなく 「〇〇以外の集団」 だったのだと思う。 つまり そこに個々の共通点を 見つけることは難しい。 共通してないないことによって 集まった集団だったのだと思う だから 民進党出身者が どこへいっても 民進党で身につけた 流儀のまま行動すれば その中で組織よりも 自分の立場を 確立する方向に動くだろう。 希望の党での 小池批判などは象徴的だ。 小池批判自体が批判されても 民進党の流儀が身についてしまっていると その批判の意味がよく呑み込めない。 そこでくだらない言い訳をして また批判される。 分裂後の民進党が 様々な 「繋がる」 を受け入れることは 普通に常識的に 考えられるより はるかに難しいということだ。 ふと 野党共闘が難しいのは そもそも共闘できない人の集まりが 野党なのではないかという ことさえ考えてしまう。 論理の飛躍のように聞こえるが ここは少し深い。
ファン
検索
<< 2017年11月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: