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2017年11月05日
欽ちゃんと呼ぶべきか、萩本さんと呼ぶべきか、それが問題だ
文春オンライン より基本的に文春は好きだ。 ラディカルな芸風が良い。 (編集方針ではなくてあえて芸風と言おう) 「親しき仲にもスキャンダル」とか。 しかしスキャンダルのその後に こだわり過ぎる時は 思考停止の状態だろうと思っている。 売る柱をスキャンダルに求め過ぎると 多分窒息するから こういう記事は良い。 めちゃイケが終わると聞いても あまりショックはなかった。 驚くほど 普通に聞こえた。 潮時とか フジの劣化とか そういう問題じゃなくて 何か時代が変わったような 種類の環境の変化なのだろう。 かと言って 岡村や矢部が落ち目になるとか そういうこともなく めちゃイケの進化は限界でも 二人の進化はまだ余地がある。 あらかじめ 約束された 暗黙の前提のある笑いは 本物の笑いではない とまで 極端なことを 言わなくとも お茶の間の笑いは ある意味 特殊な笑いだ。 不和の絶えない家庭を別とすれば ほとんどの家庭は 安らぎの場だったり 喜びの場だったり 安心の場だったりするから (そこまで肯定的に見られない方も多いだろうがそれはさておき) お茶の間の笑いが 特殊な笑いであることには 案外気づかないものだ。 密室的な空間の笑いが 一番本音の笑いに近いと言う意味で 本来の王道の笑いかもしれない。 そう考えると タモリもたけしも お茶の間向きの番組でも 密室的な笑いの要素を ちらっと見せることを 忘れていないことに感心する。 だから 水道橋博士の指摘は 確かにそうなのだ。 欽ちゃんの笑いに 引導を渡したのだろう。 タモリはしないが たけしはやる。 しかし この映画の面白さは 欽ちゃんの芸の面白さが 焦点ではなく 欽ちゃんの 生活のひだのような感性に スポット当てること、 それを人間の面白さを キュレーションする 土屋敏男の目線で見ることが 面白いのだろう。 それは確かに期待する。欽ちゃんと呼ぶべきか、萩本さんと呼ぶべきか、それが問題だ
萩本欽一のドキュメンタリー映画 「We Love Television?」 が11月3日より公開された。 これは「電波少年」のTプロデューサーで 知られる土屋敏男が監督したもの。 今週の文春には、 その土屋敏男が 「この人のスケジュール表」欄に 登場し、裏話を語っている。捨てることで新しい表現が生まれた「電波少年」
ドキュメンタリーといえば カメラが人物を追うものだが、 本作は違うようだ。 萩本欽一に自撮り用のカメラを渡し、 自分で自分を撮らせた と記事にはある。 「今まで映画は 監督やカメラマンが駆けつけないと 始まらなかったけど、 この手法なら 本人さえいれば撮れるんです」 さすが土屋敏男。 「電波少年」放送開始当時、 肩に担ぐような大型のカメラで 撮るのが当たり前の時代に、 土屋はハンディカムでの撮影を決める。 「当時は技術の人に 『こんなの放送できるか!』 ってすごい怒られたよ。 画面は暗いしザラザラだしね」 (TVBros.・2012年1/21-2/3号掲載の藤村忠寿・土屋敏男・西田二郎の鼎談より) 放送用機材で撮ることは オンエア・クオリティを守ることだが、 それを捨てることで 新しい表現が生まれもする。 上記の鼎談によると、 「水曜どうでしょう」 も企画時に、 局側から同じことを言われるが、 「あの『電波少年』 も手持ちのデジカメでやってますよ」 と説得して、誕生したのだという。萩本欽一とは何者か
今週の水道橋博士の連載コラム 「週刊藝人春秋Diary」 も萩本欽一である。 題して「欽ちゃんはどこまでやるの!」。 ここで水道橋博士は、 萩本欽一の栄枯盛衰を整理しつつ、 くだんのドキュメンタリーを引き合いに、 萩本欽一とは何者かを問い直す。 萩本欽一は 1週間の視聴率の合計が100%を超えることから、 「視聴率100%男」 の異名を得るほどであったが、 いっぽうで 「『萩本欽一=いい人』 の世評は広がり、 本人はやがて、 そこに搦め取られていった」。 ここで“搦め取られていった”とするのは、 コント55号時代はハチャメチャな 芸風だったからだ。 それがいつしか「いい人」となり、 「微温湯のバラエティ」 をお茶の間に届けるようになる。 それを潰しにかかったのが、 たけしである。 水道橋博士は言う。 「我が師・ビートたけしは、 日本バラエティ史において 萩本欽一的な笑いに 引導を渡した張本人である」 たけし自身、 「いい人」になった萩本欽一は 「俺の性に合わないということがあって。 もし萩本さんの番組が ずっと続くようだったら、 これお笑いの危機だと思ったわけ」 とテレビ番組で述べている。(注)たけしが「欽ちゃん」のことを「萩本さん」と語ったとき
80年代半ばのことだが、 たけしが「欽ちゃん」のことを 「萩本さん」と言っているのを聞いたとき、 筆者はこころが冷える思いをした。 あえて「さん」付けにすることで、 現役の土俵にいない、 過去のひとにしてしまったように 感じ取れたからだ。 「さん」付けでいえば、 「ジャイアント馬場から 『馬場さん』に」という見出しが、 柳澤健『1964年のジャイアント馬場』(双葉社) にある。 ジャイアント馬場は、 現役プロレスラーにして、 動けずとも敬われる対象になっていく。 柳澤健はそんな馬場を「隠居老人」と称し、 こう続ける。 「老人に強さを求めるのはおかしい。 馬場さんは馬場さんでいてくれればそれでいい。 観客はそう考えるようになった」。 もっとも、 たけしはオールナイトニッポンに 「動け馬場」 なるコーナーを設けるのであったが。 「馬場さん」と違って 「萩本さん」は居場所を失う。 これがテレビの世界の厳しさか。 とはいえ、 それほどの世界で頂点を極めた欽ちゃんである。 コラムから一端を記せば 「リハーサルは面白くないまま進める」、 こうした視聴率「30%を取る奥義」を 土屋敏男は映画の中で解き明かすのだという。萩本欽一について、立川談志の場合
なお、コント55号時代は認めるたけしと異なり、立川談志はそれも認めない。水道橋博士はコラムでそんな談志の評、「逆にいやあ、談志なんぞに誉められなかったから萩本欽一の全盛があった」(立川談志『談志百選』講談社)を引く。一級の芸談である。 そういえば先週の文春で、 弟子の立川談春が、 石原慎太郎と親しくしながらも田中角栄には 近づくことのなかった談志の言葉を紹介している。「本当の権力をおちょくるピエロは殺されるぞ」。 これもまた一級の芸談である。 籠池さん逮捕を 目の当たりにした 今ならなおさらのこと……。 (注)戸部田誠『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)より