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2015年10月05日
★「女房は他界したくらいでへこたれない」……告別式での鎧塚氏のあいさつに感動!
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◆【ドドドドドン!MEMO】
◇川島なお美さん葬儀・告別式(2015年10月2日 青山葬儀所)スポニチアネックス 10月3日(土)7時0分配信。
告別式での鎧塚氏のあいさつ文が、僕の心をとらえた。
——「女房は他界したくらいでへこたれない。どこかで話を聞いています。『私は次のステージを考えている。みんなも元気出して』と言っているような気がします。この会場を出たらさあ頑張ろう、と思っていただけたら」(あいさつ抜粋、以上)。
「川島なお美」がどんな女優だったのかもわからないくらいの僕が、こんなことをいうのは少しはずかしいのだが、正直にいうと、「女房は他界したくらいでへこたれない」に心底、感動した。
感動がカラダじゅうを駆け巡った。
あいさつ文から女優・川島なお美がvividに蘇ってきた。
彼女への思い・願いがこもった、すばらしいあいさつだ。(このあいさつ文を忘れてはいけないと思い、スマホ上でコピーし、メールに貼りつけ、DAKA古書店跡にある僕の、このパソコン宛に送信した(^_^)v。)
★夫婦歴(6、7年)が若いから、こういう「あいさつ」ができるのか?
「あいさつ」一読後、僕は、しばらく前に観た映画『今度は愛妻家』(行定勲監督・北見俊介=豊川悦司・北見さくら=薬師丸ひろ子・註?@)を想起した。
北見夫妻の結婚歴が設定上、どのくらになっていたのかはわからないが、亡き妻に対する夫の感覚から、僕は夫婦歴の若さを感じた。
『今度は愛妻家』は、僕の生き方に結構、影響を与えた映画である。
だが、この夫婦歴が若いという印象は、そのことに対する強い感動とともに、若干、違和感を残した。
ただ、このブログ記事の主題は「夫婦歴が若いから、こういうあいさつができた」……では決してない。
「夫婦歴が30年でも40年でも、最後にこういうあいさつができる人生を!」だ。
念のために。
★話は大きく跳ぶが、僕の師・江藤淳(註?A)は妻の死後、「家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を1人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである(『妻と私』から)」と記述している。
そして、自身が自刃する2ヵ月前に高井有一氏に「夜はまだいい。周りが闇に閉ざされているから。昼は光が入って、家の隅々、庭まで見えてしまう。そこに、それまで居た人がいない。この空白感が耐え切れない」と語っている。
江藤淳の自刃を「後追い心中だ」(石原慎太郎)という人もあるが、僕は自刃と妻の死は切り離して考えている。
しかし、「家内は他界したくらいでへこたれない。家の隅々、庭のあちこちから僕を見ていますよ」と、もし言えたのであれば、その後の江藤には、また違った展開があり得たかもしれない。
◇註?@=『今度は愛妻家』
行定勲監督により映画化され、2010年1月16日に公開。
〈キャスト〉
北見俊介 - 豊川悦司
北見さくら - 薬師丸ひろ子
吉沢蘭子 - 水川あさみ
古田誠 - 濱田岳
西田健人 - 城田優
CMに登場する夫 - 津田寛治
CMに登場する妻 - 奥貫薫
井川ゆり - 井川遥
原文太 - 石橋蓮司
(石橋蓮司の演技がすばらかった。)
◇註?A=江藤淳
1932年12月25日〜1999年7月21日。文学評論家、文学博士。東京都出身。慶應義塾大学文学部卒業。
1957年5月、大学同級生だった三浦慶子と結婚。
1998年暮れ、慶子夫人が死去。
1999年7月21日、鎌倉市西御門の自宅で自刃、66歳没。
〈代表作〉
『成熟と喪失』河出書房新社
『落葉の掃き寄せ 一九四六年憲法−その拘束』文藝春秋
『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋
『全文芸時評 (上下)』 新潮社
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