2016年12月01日
★亡魂の弔い方——無縁塚でポケストップをクルクル回したらコロコロとモンスターボールが出てきた
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◆【ドドドドドン!MEMO】 —— ★ポケモンGOを1日目でやめた理由
★7月にポケモンGOが配信され、連日、ニュースで話題に!
——「ゲーム中銃撃され2人死傷・中米」「原発構内への侵入に注意 警戒強化を」「配信開始で関連株売買活発」「立ち入り規制の“熊本城”外すよう市が任天堂に抗議 」「“ポケモノミクス” 経済効果に期待 」「ポケモンGO配信で“歩きスマホ”が急増」「夜の公園で熱中する大勢の人 懸念の声も」「ポケモンGOをしながらクマに遭遇か 北海道」「防衛相と米軍司令官の会談でも話題に」……
——「スゴイなぁ〜」「やるなぁ〜ポケモンGO」と笑ったり感心したりしているうちに、これまで「麻雀ゲーム」にしか興味がなかった僕も、配信から2、3日後、遂にインストール。
ただし、1日目でやめてしまった。
「ヒトカゲ」を捕まえて冒険をスタートしたものの、2匹目、3匹目と捕まえたところで「これはつまらない(‖ ̄■ ̄‖)」と思ってしまった。
以来、ずっとやっていなかった。
インストールしたことはパートナーにも内緒にしていた。
★亡魂の恨み辛みの前でうちひしがれる
★再びポケモンGOをやるようになったのは、あるポケストップとの出会いがきっかけだ。
僕がときどきお参りしている神社に、刑場(首切り場)の露と消えた人々の魂を弔う【塚】がある。
旗竿地の奥まった【塚】周辺には、亡魂の恨み辛み、亡魂の未練、亡魂の悔い、亡魂の無念さがジクジクにじみ出ている。
100年たとうが、200年たとうが、300年たとうが、このジクジクは消えそうにない
「成仏してください」なんて僕にはとてもいえない。
「安らかに」なんて僕にはとてもいえない
お参りのたびに、いつも、ただ、僕はうちひしがれるだけだ。
★亡魂の弔い方
★この【塚】が、なんと、ポケストップに選定されていたのだ。
スマホを手に神社に接近。
クローズアップしてきたポケストップをタップ→【塚】の画像をスワイプ→【塚】がクルクル回転する→と、モンスターボールがコロコロと飛び出でてきた。
なんとも、ことばにできない、不思議な感慨に打たれた。
ずっと以前のことだが、お参りに行ったら先客がいたことがある。
ひとりの女性が塚を抱きしめんばかりにひざまずいている。
胸がいっぱいになった。
熱いものがこみあげた。
ああ、こういう弔い方があるのか……こういう弔い方なら、ただうちひしがれている僕の状態から一歩、亡魂に接近できるかもしれないと思った。
ポケストップのクルクル、コロコロに対する感慨は、このときの気持ちに似ている。
(なお、念のためにいうと、女性は塚を抱きしめていたのではなく、濡れタオルで塚のうしろ側を拭いていたのだ……ということがあとからわかった。)
★亡魂に目盛り2つほど接近
★【塚】から転がり出るモンスターボールに亡魂も目をクリクリさせていることだろう。
【塚】の周辺はポッポの巣だ。
いつもポッポたちが群れている。
亡魂にも見えているにちがいない。
頭突きをかましてきたり、威嚇して迫ってきたりする、ポッポのヘンテコリンなしぐさを、きっとおもしろがって眺めていることだろう。
やるなぁ〜! Pokemon GO - Niantic!
この【塚】をポケストップに選定してくれて、ホンマ、ありがとう!
僕の魂は先客の女性の姿でひと目盛りほど深く【塚】に接近し、【ポケモンGO】でさらにひと目盛り深く接近したといえるのかもしれない。
★先月末、【ポケモンGO】感謝祭イベント終了日、レベル23に到達した。
これで今年は打ち止めだ。
現在、【ポケモンGO】を開くと、僕が存在しているDAKA古書店跡を真ん中にした地図が出てくる。
地図の右下をクリックすると、かくれているポケモン一覧が表示され、そのうちの一匹をクリックすると「探してみましょう」というコメントが出る。
今はこのコメントは出るだけだが、おらそくそのうちに、僕がクリックした一匹がどこにいるか地図上に表示されるようになるのだと思う。
これに期待している。
そうなったらまたやろうと思う。
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2016年12月02日
★無縁塚神社(根城四丁目)でひとりの女性がやっていたこと!?
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★僕がときどきお参りしている神社(根城四丁目・下図参照)に、刑場(首切り場)の露と消えた人々の魂を弔う【塚】がある。
旗竿地の奥まった【塚】周辺には、亡魂の恨み辛み、亡魂の未練、亡魂の悔い、亡魂の無念さがジクジクにじみ出ている。
100年たとうが、200年たとうが、300年たとうが、このジクジクは消えそうにない
「成仏してください」なんて僕にはとてもいえない。
「安らかに」なんて僕にはとてもいえない
お参りのたびに、いつも、ただ、僕はうちひしがれる。(うちひしがれてつらい気持ちになるのがわかっているのに僕の足は自然と塚に向かってしまう。その心の深層に立ち向かってみなければいけないと思うのだが、理屈をこねるだけに終わってしまいそうで、僕はそれを避けている。)
★少し前のことだ。
お参りに行ったらめずらしく先客がいた。
ひとりの女性が塚を抱きしめんばかりにひざまずいている。
胸がいっぱいになった。
熱いものがこみあげた。
ジャマをしてはいけないと思い、女性に気づかれないように黙礼して立ち去ろうとしたときだった。
女性が立ち上がった。
手にタオルをもっている。
彼女は塚を抱きしめていたのではない。
濡れタオルで塚のうしろ側を拭いていたのだ。
ああ、こういう弔い方があるのか……と思った。
亡魂といっしょに菓子を食べるのもいい。
亡魂といっしょにブラックニッカを飲むのもいい。
こうすることによって、ただうちひしがれているだけの今の僕の状態から一歩、亡魂に接近できるかもしれないと思った。
ま、ごくあたりまえのことに気づいただけなのだが、ずいぶん心が安らかになった。
★またある日のこと——
この【塚】が、なんと、ポケモンGOのポケストップに選定されているということに気づいた。
スマホを手に神社に接近すると、ポケストップがクローズアップ→タップ→【塚】の画像をスワイプ→【塚】がクルクル回転→と、モンスターボールがコロコロと飛び出でてきた。
なんとも不思議な感慨に打たれたのだが、この「感慨」にかすかな既視感があった。
すぐにわかった。
あの日、塚にひざまずく女性のうしろ姿を見たときの気持ちに似ていた。
コロコロ飛び出るモンスターボールに亡魂も目をクリクリさせていることだろう。
【塚】周辺はポッポの巣だ。
亡魂にも群れるポッポたちが見えているにちがいない。
頭突きをかましてきたり、威嚇して迫ってきたりする、ポッポのヘンテコリンなしぐさを、きっとおもしろがって眺めていることだろう。
やるなぁ〜! Pokemon GO - Niantic!
この【塚】をポケストップに選定してくれて、ホンマ、ありがとう!
僕の魂は先客の女性の姿でひと目盛りほど深く【亡魂】に接近し、【ポケモンGO】でさらにひと目盛り深く接近できたといえる。
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2016年12月05日
★切腹!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★目覚めの直前(←だったと思うが)切腹の夢をみた。
だれかに命じられたのではない。
「この失敗は、僕が切腹することでケジメをつける」
と、僕自身が言い出したのだ。
介錯役の男性と「僕がこうやって、こうやったところで、よろしく」と打ち合わせを済ませた。
僕の夢の場合、こういうときは、たいてい乱右衛門Т(=永遠の同僚)とか三田村Т(=永遠の教え子&同僚)が介錯役として登場するのだが、今回は知らない男だった。
切腹の時間になった。
しかし、周囲に厳粛さがまったくない。
みんな、僕の切腹などは眼中にないようだ。
ビビッドに、ピチピチと、喜々として、弾けるように、仕事に励んでいる。
こんなところで切腹したら「なんでこんな人騒がせなことをスンネン」「空気を読めよなぁ〜」と、ひんしゅくを買いそうや。
オイオイ、それに介錯人がいないぞ?
どこかに逃げたみたいだ……というところで目がさめた。
★人生に対して希望より絶望の量のほうが多いから、こういう夢をみるのか?
絶望の量のほうが多いのは、ま、そのとおりでまちがいはないのだが、目前に迫りくるナイヤガラ瀑布的アカン状態とはいえ、万にひとつの可能性があると思っているから、こういう夢をみるのか?
後者かな?(^_-)-☆
今、運を天に任せた【月の砂漠とレトルトカレー】作戦に踏み切ったことと関係があるのかな?(^_-)-☆
★ つづきの記事「中学生はかまわれないと弱っていく! でも、かまわれすぎても弱る! おおすめの【かまい方】ABC」は—— 【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ!
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2016年12月07日
★おお!三者面談!(^_-)-☆
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★「三者面談」はむずかしい。
「二者面談」——子どもと教師、あるいは親と教師——とは比較にならない。
親の前の「子ども」と、教師の前の「子ども」が違うからだ。(教師になりたての頃、これにはショックに近い驚きを覚えた。)
親も、子どもの前の「親」と、教師の前の「親」が違う。
ま、これは教師についてもまったく同じことがいえる。
つまり、三者面談というのは6人の人物がテーブルについていることになる。
一度、歯車が狂うと、なかなか取り戻せない(^_-)-☆。
★このことについて、僕の、教師としてではなく、【親】としての体験を粗く、少しだけ述べる。
当日、学校の玄関で息子(以下、愚息、いや、豚児)と待ち合わせ。
2人で廊下を歩いていると(学校だから当然だが)次々に豚児の友人たちとすれ違う。
「ヤッ」とか「オッ」とかやっている。
その「ヤッ」「オッ」が僕の知らない豚児である。
廊下の突きあたりの面談室に入る。
学級担任教師とあいさつ。
豚児もあいさつ。
その「あいさつ」も僕の知らない豚児である。
オイオイ、面談中、僕はどういう僕であればいいのか?
冒頭からかなり動揺した。
ま、きっと、どこの親もこんなものではないか?と推察する。
保護者の中には深い苦しみと動揺と緊張とが内部に噴出し、とんでもない態度に出る人もいる。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
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2016年12月08日
★八戸ぐらし! 10000倍、しれっとやるぜ!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★ずっと前——あまりに「前」すぎて、どのくらい「前」だかわからないくらい「前」の——ブログに次のようなことを書いた。
〈ずっと前のBlogから〉
教師にとって授業の教室は舞台だ。
その舞台の裏に隠れて毎日、せっせと授業(教育行為&教育活動)を記録し、A4判用紙2枚(2000字)にまとめ、発行する。
発行したものを「読む人々」が「観客」だと考えると、僕はいわば劇場の座付作者ということになる。
これまでもポツポツとはやってきた。
でも、ポツポツと……ではダメなのだ。
毎日せっせと発行するのでなくては何も変わらない。
しかし、残念ながら、僕には、毎日せっせと発行しつづける「スタイル」はできていない。
今年度じゅうに完成させたいと思っている。
うれしくても、悲しくても、何があろうとも、決めたらやる。
弱音ははかない。
グチは言わない。
言い訳はしない。
発行しつづけることによって、僕自身の教育の課題を乗りこえていくのだ。(どのくらい「前」かわからないほど「前」の僕の発言からの引用、以上)
しかし、これはむずかしい、僕には。
悩みすぎ——先日もここに書いたように——今夏、精神的「道迷い遭難」あるいは「道迷い」後の「滑落遭難」状態に陥った。
★そこから脱出するヒントになったのが、ある日、朝食を取りながら、観るともなく観ていた、NHK「おはよう日本」の阿部渉アナウンサーの口から出た一言、僕の聞き間違いかもしれないが→【闘牛新聞】!
おお! これだ!と思った。
「おお! これだ!」の中味を粗く(←ホンマに粗いですm(__)m)説明すると次の2点。
(1)取材対象を【闘牛】に限定している。
僕の場合だと【知的で楽しい授業で、子ども全員に学力を保証する、同時に、(その知的で楽しい授業で)いじめも不登校も非行も解決すると言い切れるプロ教師】の世界。
もうひとつ、【学校・家庭・地域が連携して運営する教育コミュニティづくり(=【月の砂漠とレトルトカレー・ネット】の世界。
泣いても笑っても、これしかない。僕には。
ごちゃごちゃ余計なことは考えない。
この世界に限定する。
これ以外にないのだ。
【知的で楽しい授業】新聞!
【月の砂漠とレトルトカレー・ネット】新聞!
(2)もうひとつ。
(これは闘牛の世界をまったく知らない僕のまちがった予想かもしれないが)闘牛の世界に、政治・経済のように、次から次に新しい出来事が起こるわけではない。
毎日、同じことの繰り返しのようにみえる、ゆるやかな時間が流れている。
始まりと終わり、前と後ろ、きちんとした順序だて、筋書があるわけではない。
学校教育とすごく似ている。
家庭・地域の社会教育とすごく似ている。
だから、始まりと終わり、前と後ろなど気にせず、同じようなことを何度でも、しれっとやればいいのだ。
おお! 10000倍、しれっとやるぜ(*^^)v。(「おお! これだ!」の中味の粗い説明、以上)
【10000倍、しれっとやる】作戦は、本日12/8から——ま、4年後の【8/15】まで……といいたいところだが、もう、そんなパワーは僕にはない。
来年の8/15まで、約8か月の短期計画・【月の砂漠とレトルトカレー】作戦だ。
★さて、本日の本題=【音読】で中学校が変わる、中学生が変わる】体験。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
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2016年12月09日
★「いい授業」VS.「ダメな授業」!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★はっりいって、授業には「いい授業」と「ダメな授業」がある。
「いい授業」とは、一言でいうと【知的で楽しい授業】だ。
学級全員が知的に熱中する授業。
学級全員が「できない状態」から「できる状態」に挑戦している授業。
「いい授業」が学校を支えている。
「いい授業」が「ダメな授業」を支えている。
ひとつの例として、僕のことを話そう。
教師1年目の僕の授業(国語)は、とても「いい授業」とはいえなかった。
もっといえば、「いい」「ダメ」の基準にもかからないレベルのものだった。
隣で授業している教育実習生(女性の大学生・4年生)に「もう少し静かにやってもらえませんか!」と叱られたことがある。
でも、驚いたことに学力は高かった。
市内でダントツ、ナンバー1だった。
当時の僕は内心「僕もたいしたもんだ」と思っていた(^_-)-☆。
しかし、それはまったく違った。
他の社会・数学・理科・英語・音楽・美術・技術家庭・保健体育の、それこそ「いい授業」「名人級の授業」が、僕のひどい「国語」を支えていたのだ。
僕が出す宿題も、子どもたちはみんなよくやってきた。
「名人級の授業」は家庭学習まで支えていたのだ。
今、振り返れば、涙が出る。
★僕の経験からいうと、「いい授業」が50%でも学校や学年が荒れるということはない。
50%の「いい授業」が、残りの50%の「ダメな授業」を支えているからだ。
だから、ぼんやりみていると、学校・学年全体としては、安定しているようにみえる。
特に全校朝会や全校集会は、「いい授業」ができる教師の目が光っているから、一糸乱れずビシッとしている。
これにだまされる。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
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2016年12月11日
★厳しく、あるいは温かく、激励的、ある意味、育成的に見つめる人たち!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★先週の日曜参観日に、いつものように、保護者の方々に【授業アンケート】にこたえてもらった。
その概略がまとまった。
授業中の子どもの姿をありのままに観て、その【子どもの育ち】に対する【保護者の方々の実感】データである。
★まず、下記に掲載した【授業アンケート結果】の数値のひとつひとつから、保護者のみなさまの、【月の砂漠とレトルトカレー中】の教師に対する激励的、応援的、ある意味、育成的な【あたたかい視線】を感じる。
これはほんとうにうれしい。
ほんとうにありがたい。
と同時に、保護者の眼の【確かさ】、あるいは【厳しさ】も感じる。
ひとつひとつ数値を冷静にみると、僕らは【アマチュア】ではないが、まだ【プロ】より【アマ】に近い存在というべきかもしれない。
自由記述欄のcommentからもそれを感じる。(ただし、「comment」は、ここではその性質上、割愛せざるをえない。諒とせられよ。)
その上で(commentの内容も含めて)僕の粗い感想をいくつか列挙する。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
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2016年12月13日
★絶対に突きとめてやるぅぅぅ〜! (メ▼_▼)!!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★ネット記事を読んでいるとき、そのサイドバーにおもしろい記事(「悩み相談」)——おもしろいというと悩みの主には失礼か? でも、僕も同病といえるので、ま、許されよm(__)m——を見つけた。
《40歳代女性。閉所恐怖症で悩んでいます。若い頃から狭いところが苦手でしたが、先日、小型飛行機に乗り、窓側の席に座っていると、機内にどんどん人が乗り込んできて満席に。いつになく圧迫感を感じ、パニックになり、離陸前に降りたいと申し出て、飛行機を降りてしまいました。自分の状態はここまでひどいのか……。とてもショックです。(後略)大阪・B子」》
読みながら「ああ、僕の苦しみは、これ(閉所恐怖症)だったのか」と(苦しんでいる大阪・B子さんには悪いが)、長いあいだの疑問や苦しみにきっちりと病名をつけてもらい、なんとなくホッとした。
★僕の場合、地下でパニックになる。
△地下街・地下通路=どうしても通らなければいけないときは、仕方がないので走り抜ける。
×地下鉄=ダメ。
×青函トンネル=これも、もう、絶対にダメ!
地上でも、閉ざされた空間はダメだ。
部屋のドアはできる限り開放。
会議のときなど、気をきかせてドアをしめてくれる人がいるが、心のうちで「しめないでくれぇ〜、開けておいてくれぇ〜」とつぶやいている。
暖房の必要がない季節だと、隣の部屋側だけでなく、廊下側のドアも開けている。
学生食堂などにある、いわゆる「ぼっち席」も僕はダメである。
仕切りのない食堂の、真ん中付近の、四方八方見渡せる、(ということは)四方八方からよく見られる、そういうテーブルがいい。
己の姿を四方八方にさらしつつ、サーモンたたき丼を食べる。
僕のうちで、停滞していた思考回路が、一気に活性化する。
この僕がだれなのか?
どこから来たのか?
どこへ行くのか?
こういうことが徐々に見えてくる。
この感覚がなんともいえない。
図書館の大閲覧室とか、ホテルのラウンジとか……、それからロングシートの普通列車とかも大好きだ。
また、なぜオートバイとバスがOKで、普通乗用車(特に軽自動車)がダメなのか? なぜ自室(6畳)で仕事に集中できないのか?……など、ずっとわからなかったことが、今回「閉所恐怖症」という病名によりよく理解できた。
★しかし、若い頃は穴蔵のような喫茶店が好きだった。
また、どちらかというと、潜水艦のような狭苦しく息苦しい部屋のほうが集中して仕事ができた。
いつから僕は変わったのだろうか?
回答者の精神科医は「なぜ閉所恐怖症が生じるのかをあまり追究しないことも大事です」と原因追究に釘をさしているが、僕は追究するつもりだ。
ある頃から僕は「開かれた孤独」という表現を意識的に用いるようになった。
これがヒントになるかもしれない。
たぶん、この頃から閉所恐怖症がはじまったものと思われるが、この転換点になにがあったのが、すごく興味がある。
絶対に「突きとめてやるぅぅぅ〜! (メ▼_▼)(メ▼_▼)( ̄— ̄;)(▼_▼メ)(▼_▼メ)!!」
★12/9(金)、○○県○○市中学校教頭会(教頭18名・○○市教育委員会指導主事1名)の方々が視察研修のために来校。
「来られ方」には、粗く、2種類ある。(このつづき→【通信・月の砂漠とレトルトカレー】へ)
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2016年12月19日
★ミラクル! ここに至るまでの物語!
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★画像=ダイニングキッチン書架の堀辰雄作品集。
もちいどの商店街のフジケイ堂で『美しい村』『晩夏』『聖家族』『風立ちぬ』『菜穂子』5冊を500円で購入。
安い!
堀辰雄ファンの僕からすれば「堀に申しわけない(‖ ̄■ ̄‖)」。
もちろん、安いのは『花を持てる女』一巻が欠けているせいもあるが、なんと、その欠けている『花を持てる女』を僕が昔から持っていたのだ。
ミラクルである!
ご覧いただいているとおり、『花を持てる女』だけ変色の度合いが異なる。
痛み方も激しい。
きっと、古書店で野積みされていた時間が長いのだろう。
ま、くわえて、ここに至るまでの僕の人生の有為転変の象徴でもある(^_-)-☆
よくよく見ると、『晩夏』の背表紙の色合いも、若干、異なっている。
ひょっとすると、『晩夏』にも何かここに至るまでの物語があるのかもしれない。
堀辰雄集にはこういう有為転変、身過ぎ世過ぎの「物語」がよく似合う。
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2016年12月23日
★僕の3連休
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◆【ドドドドドン!MEMO】 ——★朝食中(昨晩の【ラム肉&野菜炒め】の残り)、ふとデッキをみたら、スモモの木にヒヨドリがいた。
なかなか飛び立つ気配がないので、デジカメを取り出し、パチリ。
3倍ズームだから、ググッと近く。
あせって、スモモの木に焦点が合ってしまった。
3連休は読書。
ま、エネルギーの補給だ(^_-)-☆。
5種類の書物を並行して読む計画——
(1)僕のツブヤキを深化させる書物(ウジウジ小説)。
(2)僕の行動をビビッドにする書物(戦場記者リポート)。
(3)僕の会話を彩る書物(ユーモア小説)。
(4)僕の討論を活性化する書物(対談集)。
(5)僕の「存在のカタチ」を縁取る書物(恩師の遺作)。
焦らないでやっていこう!
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