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2016年07月22日
★昨日は江藤淳の命日。いつもやる僕流の「儀式」を今年はやらなかったm(__)m
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◆【ドドドドドン!MEMO】
1932年(昭和7年)12月25日—1999年(平成11年)7月21日自刃)。
いつも命日には僕流の「儀式」(註1)をやって弔うのだが、今年は何もしなかった。
恩人Y氏をはじめ、江藤と同年代の人々の死に身近に接したことが微妙に影響しているのかもしれない。
ま、これは自分でもよくわかっていない。
何もしないと決めて、DAKA古書店跡の障子を見つめていたら、自刃の数日後、十和田湖一周50?qウォークに参加したことを思い出した。
イヤがる乱右衛門Тをムリムリ誘った。
自刃の夜、鎌倉近辺を襲った激しい夕立、暗渠に流れ込む雨水の轟音、自刃の場になった風呂場等々……これらのイメージを歩いて歩いて歩きぬいて振りはらおうとしたのだ。
途中から空模様が怪しくなった。
最後の15?qは激しい雨に見舞われた。
雨中激闘。
まさしく涙の弔いウォークになった。
ゴールの後、道の駅「奥入瀬ロマンパーク」で一息つき、雨に濡れた身体をかわかした。
僕はピルスナーを注文し、乱右衛門Тはメロンソーダを飲みパスタを食べた。
★思いだしているうちに、ツーンとくるものがあった。
何がこみあげてくるのか?
江藤淳との別れが悲しいのか?
いや、その数ヵ月後の乱右衛門Тとの別れが悲しいのか?
指を折って数えると——両手では足りない、さらに片手を加える、でも足りない——あれから17年。
年月というのはありがたいものである。
「ツーン」の根源が悲哀の感情であったとしてもかなり薄まっている。
江藤淳は死んだが、僕は生きている。
乱右衛門Тも、きっと、どこかで生きているはずだ……。
世の中がまちがっているとか、政治や経済がどうしたということは、あまり考えていない。
世の中はまちがっているかもしれないし、政治や経済もむずかしいにちがいない。
でも、まあ、今、それはいい。
それを言い出せばキリがないから、いったん、脇に置いておくことにしよう。
とうに死んでいたはずの僕が、パートナーと犬一匹と(……といいかけ、その犬も数年前に既に死んでいることを思い出す)……猫の額のような住居ながら、自分の酒を飲み、種子のせりだしたヒマワリのように、最後の光輝に向かって、ブツブツと生きている。
☆註1=僕流の「儀式」その例として。
例・2008=夢に出てきた江藤淳を文字化する(註2)
2009=早朝『西御門雑記』を読む。
2010=江藤淳の肉声を自分のうちに内包しながら男桐下駄、カランコロン、鬼火、狐火、鞍馬天狗歩き、10000歩。
2013=終日、Peteris VasksのEpisodi e Canto perpetuo(「エピソードと終わりなき歌」)を聴き、自刃の時刻(推定)にボリュームをアップし、鎌倉・西御門で江藤が聴いたはずの豪雨の轟きにスピーカーの旋律をぶつける等々。
☆註2=夢に出てきた江藤
寿し由に入り、主人の「いらっしゃい」のかけ声に誘われて目をやると、師の横顔がカウンターにあった。
師のほうも僕に気づいて、
「やあ、小高さん!」
と、メガネが弾けるほど笑っていらっしゃる。
「センセ、お久しぶりですね」
緊張して立ったままの僕の肩を師は、
「まあ、座んなはれ、座んなはれ」
と抱えるようにして隣の席を勧めてくれた。
「センセ、相変わらず大阪弁のマネがお上手ですね」
「いやァ、それを言わんといてんか。わたしのはホンマ、ワンパターンやからね」
師は、いわゆる「けったいな大阪弁」をよく使った。(後略)
★画像=DAKA古書店跡のデッキで日光浴中、パチリ。正面の樹木は李。年に数個しか実がならない。パートナーは毎年、冷凍保存している。受精卵の冷凍保存を連想する。鬱陶しいから切ろうと、パートナーに提案したら反対された。
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