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2017年02月02日
自分との約束事
一日一食を始めて1年と少しが経ちました。
もちろん、毎日必ず一日一食というわけではなく
子供たちと外食する時には、ランチで食べ放題をお腹一杯食べたり
夕方からは軽くお酒とツマミを食べたりもするので
日によっては二食の時もあります。
でも基本的にはお腹が空かないので
食べなくても全然大丈夫なんですけどね。
こんな私も、一食になる前は
「一日一食なんて絶対に無理!」と思っていました。
テレビにもよく出演している南雲先生の著書を読んで
食べ過ぎないことが健康なんだと頭ではよく理解しました、が
だからと言って自分も簡単に実践できるかと言うと、そんなことはありません(汗)
「お腹が空いたら、すぐにでも食べたくなるだろう」とか
「無理して食べない方が、よっぽどストレスになるだろう」とか
最初から絶対に無理だと決めつけていました。
・・・でも
その頃に偶然、朝早くからの仕事を始めたことがきっかけで
朝食をぬくようになります。
頭と体を朝早くから使う仕事だったので
朝食を食べると頭の回転が鈍り、動きも緩慢になります。
なので、朝は食べずに午後まで一気に仕事をしていました。
すると、今度は昼と夕食の間くらいに食事をすることになり・・・
結局、仕事を変えたことで
いともあっさり一日一食が出来るようになりました。
一日一食をしたいと思ってアファメーションしたことはありません(汗)
ですが、一日一食の先にあるかもしれないこと
例えばダイエットとか若返りとか
そういうことは毎日アファメーションしていて
結果的に一日一食が、それらの願望を達成するために
私に必要だった、ということになったんじゃなかと思います。
本当のところは、よく分かりませんが・・・
物事は必要に応じて、目の前に現れます。
私がなりたい姿や欲しいものは
一日一食にしてから随分と手に入りました。
これからは不食に向かうところですが
先ずは「飲酒」をやめることにします。
最近は、自分が決断しないと何も始まらないということを、よく理解したので
叶えたい願望があるのなら、
まずは自分自身がどれだけその願望を叶えたいのか
この強さによって叶うスピードもまるで違うんだと思うんですよね。
私が「いつか叶ったら嬉しい」なんて
呑気に構えていては、一生叶わないでしょう。
先ずは自分が決めてしまう
それがどんなに実現不可能に見えるようなことでも
「絶対に叶える」という決断をすることこそが
未来を自在にコントロールできる唯一のものじゃないかと
改めて感じています。
「できるかどうか」ではなく
「それをできるようになりたい」
そう決める「できるようになる」と終着点を決めたら
物事はそこへ辿り着くためのありとあらゆる手段を発動します。
先ずは「こうなる」と決めて
それを絶対に叶えた姿をイメージしましょう。
「絶対に叶える」と決めた瞬間
目には見えなくても、それはもう目の前にあると言うことを
ぜひ忘れないで下さいね。
もちろん、毎日必ず一日一食というわけではなく
子供たちと外食する時には、ランチで食べ放題をお腹一杯食べたり
夕方からは軽くお酒とツマミを食べたりもするので
日によっては二食の時もあります。
でも基本的にはお腹が空かないので
食べなくても全然大丈夫なんですけどね。
こんな私も、一食になる前は
「一日一食なんて絶対に無理!」と思っていました。
テレビにもよく出演している南雲先生の著書を読んで
食べ過ぎないことが健康なんだと頭ではよく理解しました、が
だからと言って自分も簡単に実践できるかと言うと、そんなことはありません(汗)
「お腹が空いたら、すぐにでも食べたくなるだろう」とか
「無理して食べない方が、よっぽどストレスになるだろう」とか
最初から絶対に無理だと決めつけていました。
・・・でも
その頃に偶然、朝早くからの仕事を始めたことがきっかけで
朝食をぬくようになります。
頭と体を朝早くから使う仕事だったので
朝食を食べると頭の回転が鈍り、動きも緩慢になります。
なので、朝は食べずに午後まで一気に仕事をしていました。
すると、今度は昼と夕食の間くらいに食事をすることになり・・・
結局、仕事を変えたことで
いともあっさり一日一食が出来るようになりました。
一日一食をしたいと思ってアファメーションしたことはありません(汗)
ですが、一日一食の先にあるかもしれないこと
例えばダイエットとか若返りとか
そういうことは毎日アファメーションしていて
結果的に一日一食が、それらの願望を達成するために
私に必要だった、ということになったんじゃなかと思います。
本当のところは、よく分かりませんが・・・
物事は必要に応じて、目の前に現れます。
私がなりたい姿や欲しいものは
一日一食にしてから随分と手に入りました。
これからは不食に向かうところですが
先ずは「飲酒」をやめることにします。
最近は、自分が決断しないと何も始まらないということを、よく理解したので
叶えたい願望があるのなら、
まずは自分自身がどれだけその願望を叶えたいのか
この強さによって叶うスピードもまるで違うんだと思うんですよね。
私が「いつか叶ったら嬉しい」なんて
呑気に構えていては、一生叶わないでしょう。
先ずは自分が決めてしまう
それがどんなに実現不可能に見えるようなことでも
「絶対に叶える」という決断をすることこそが
未来を自在にコントロールできる唯一のものじゃないかと
改めて感じています。
「できるかどうか」ではなく
「それをできるようになりたい」
そう決める「できるようになる」と終着点を決めたら
物事はそこへ辿り着くためのありとあらゆる手段を発動します。
先ずは「こうなる」と決めて
それを絶対に叶えた姿をイメージしましょう。
「絶対に叶える」と決めた瞬間
目には見えなくても、それはもう目の前にあると言うことを
ぜひ忘れないで下さいね。
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2017年02月01日
成長と老化は同じ
成長はどんな生命にとっても欠かせないものです。
では、成長とは一体なんでしょう?
一見、成長することは、とても良いことのようにも感じます。
子供が成長する、大きくなる
親にとっては大変喜ばしいことですよね。
一日も早く成長して
自立していってもらうことが
何より嬉しいんじゃないでしょうか。
でも、成長って本当は
どこに向かっているんでしょうね
成長するにつれて近づいてくるのは
実は「死」という現実です。
成長していく過程とは、生きていれば絶対にいつかは訪れる「死」というものに、もっとも近づく行為なのです。
しかし、成長しない生命なんて
この世には存在しません。
人間に限らず、動物や草花
生命のあるものなら全て、いつかはこの「死」と直面するでしょう。
成長を止めることも容易ではありません。
少しくらいは出来るかも知れませんが
それが「死なない」ことにはならないでしょう。
生命が生きていく中で
成長を一番促進する行動ってなんだか分かりますか?
それは「食事」、栄養を摂取するこでしょう。
栄養を摂取することによって
成長は促されます。私たちは毎日、食事から栄養を摂取していますよね。
しかも、一日に三度も。
古来の人間も、野生の動物も一日に三度も食事をする生物はいませんでした。
ではなぜ、現代人は一日三度の食事をするようになったのか?
これはいくつかの説がありますが
例えばエジソンが発明したトースターを売るために
三食が健康に良いと言い始めたから、とか
日本人も戦前は三食の習慣はなかったようですが
戦争に負けてGHQの政策により三食になった、とか。
背景は様々ですが、現代人の多くが三食という方式を採用しています。
食べれば食べるほど
人は栄養を摂ることになり、成長を促進し、それが原因で老化が進む
これは冷静に考えれば、当たり前の仕組みで
とても理にかなっています。
しかし、一日三食は私たちにとって
空気を吸うかの如く自然の行為となってしまい
見直す必要性すら感じていないのが現状です。
食事=老化
私たちは「死」に近づくために、わざわざ行動しているとも言えますね。
でも、食事が私たちの健康を脅かしているなどと
誰も想像が出来ないのは、仕方のないことかも知れません。
いくらなんでも「全く食べない」なんて
想像すらできないことなんじゃないでしょか。
でも、食べないは極端でも、量や回数を節制することくらいなら、想像に難くないと思います。
食の方法を見直すことで
老化を少しでも防ぐことができる、と言うことを
ぜひとも忘れないで欲しいと思います。
食べることは体にも負担が大きいということは
今では誰でもが知るところとなりました。
単なる「食べたい」と言う欲求に任せて
何でもかんでも食べることが、実は何より体の負担になっているということを
もう一度、よく感じてみて
体にとって良い食事の仕方を
自分なりに見つけてみて下さいね。
食べないことが養生
食べ過ぎないことが養生になるのです。
では、成長とは一体なんでしょう?
一見、成長することは、とても良いことのようにも感じます。
子供が成長する、大きくなる
親にとっては大変喜ばしいことですよね。
一日も早く成長して
自立していってもらうことが
何より嬉しいんじゃないでしょうか。
でも、成長って本当は
どこに向かっているんでしょうね
成長するにつれて近づいてくるのは
実は「死」という現実です。
成長していく過程とは、生きていれば絶対にいつかは訪れる「死」というものに、もっとも近づく行為なのです。
しかし、成長しない生命なんて
この世には存在しません。
人間に限らず、動物や草花
生命のあるものなら全て、いつかはこの「死」と直面するでしょう。
成長を止めることも容易ではありません。
少しくらいは出来るかも知れませんが
それが「死なない」ことにはならないでしょう。
生命が生きていく中で
成長を一番促進する行動ってなんだか分かりますか?
それは「食事」、栄養を摂取するこでしょう。
栄養を摂取することによって
成長は促されます。私たちは毎日、食事から栄養を摂取していますよね。
しかも、一日に三度も。
古来の人間も、野生の動物も一日に三度も食事をする生物はいませんでした。
ではなぜ、現代人は一日三度の食事をするようになったのか?
これはいくつかの説がありますが
例えばエジソンが発明したトースターを売るために
三食が健康に良いと言い始めたから、とか
日本人も戦前は三食の習慣はなかったようですが
戦争に負けてGHQの政策により三食になった、とか。
背景は様々ですが、現代人の多くが三食という方式を採用しています。
食べれば食べるほど
人は栄養を摂ることになり、成長を促進し、それが原因で老化が進む
これは冷静に考えれば、当たり前の仕組みで
とても理にかなっています。
しかし、一日三食は私たちにとって
空気を吸うかの如く自然の行為となってしまい
見直す必要性すら感じていないのが現状です。
食事=老化
私たちは「死」に近づくために、わざわざ行動しているとも言えますね。
でも、食事が私たちの健康を脅かしているなどと
誰も想像が出来ないのは、仕方のないことかも知れません。
いくらなんでも「全く食べない」なんて
想像すらできないことなんじゃないでしょか。
でも、食べないは極端でも、量や回数を節制することくらいなら、想像に難くないと思います。
食の方法を見直すことで
老化を少しでも防ぐことができる、と言うことを
ぜひとも忘れないで欲しいと思います。
食べることは体にも負担が大きいということは
今では誰でもが知るところとなりました。
単なる「食べたい」と言う欲求に任せて
何でもかんでも食べることが、実は何より体の負担になっているということを
もう一度、よく感じてみて
体にとって良い食事の仕方を
自分なりに見つけてみて下さいね。
食べないことが養生
食べ過ぎないことが養生になるのです。
2017年01月22日
それは既に解決しています
何か問題が起きた時、あなたはどうしますか?
直面する問題の大きさにもよりますが
その問題に対しての解決策を探し始めるか、
はたまた動揺して右往左往することもあるかもしれません。
でも、一瞬冷静になって
「その問題は既に解決しています」と呟くことで
その問題が非常にスムーズに解決へと向かうこともあります。
これも脳を勘違いさせる、方法の一つでもありますが
自分のメンタルを安心感で満たすことが
脳波を下げることに繋がり、そこから良い解決策を見出すこともできます。
私はこれで
身の周りにある簡単な問題(と感じられる事柄)から
難題だと感じることまで、非常にスムーズに解決しています。
例えば、風邪をひいてしまった時も
風邪にフォーカスしてから「その問題は既に解決しています」と呟き
風邪をひいていたのは、もう過去の出来事で
今の私は元気になったという姿をイメージします。
すると、頭の中も心も非常に温かくなり
私はすっかりその気になって安心して
風邪のことなどもうどうでも良くなってきます。
さっきまで咳をしていたのが
咳をすることすら忘れていて
あっという間に風邪だった自分は過去の自分となるのです。
不思議ですが
体とは本当に思い込みによって
創られているのだということを実感しますね。
なので病気にフォーカスするのは
実際に患ってからだけにした方がいいですし
万一、患っても「悪くなったらどうしよう」などと思わずに
「もう治った」とか「元気になった」と思うことにしましょう。
この方法は他のどんなことにでも有効です。
ただし、アファメーションと一緒で
やっぱり自分を信じていることが鍵ですよ。
人は、自分の言葉を信じることで
自分の現実を創り続けています。
信じた先にどんな自分がいたら嬉しいのかを想像してみて
思考だけを先にそちらへ飛ばす
未来へ先回りして、自分のイメージを置いてくる
というような感じですね。
布石を打ちましょう。
自分の手を先に延ばすことで
必要な未来は必ず
こちらへ向かってきます。
でもそれを、あなた自身が自分でイメージしない限り
それは実現していきません。
未来に少しだけ先回りして
自分の良いイメージを置いてくる。
自分を信じて、試してみると
楽しい未来を具現化できるかも知れませんよ。
直面する問題の大きさにもよりますが
その問題に対しての解決策を探し始めるか、
はたまた動揺して右往左往することもあるかもしれません。
でも、一瞬冷静になって
「その問題は既に解決しています」と呟くことで
その問題が非常にスムーズに解決へと向かうこともあります。
これも脳を勘違いさせる、方法の一つでもありますが
自分のメンタルを安心感で満たすことが
脳波を下げることに繋がり、そこから良い解決策を見出すこともできます。
私はこれで
身の周りにある簡単な問題(と感じられる事柄)から
難題だと感じることまで、非常にスムーズに解決しています。
例えば、風邪をひいてしまった時も
風邪にフォーカスしてから「その問題は既に解決しています」と呟き
風邪をひいていたのは、もう過去の出来事で
今の私は元気になったという姿をイメージします。
すると、頭の中も心も非常に温かくなり
私はすっかりその気になって安心して
風邪のことなどもうどうでも良くなってきます。
さっきまで咳をしていたのが
咳をすることすら忘れていて
あっという間に風邪だった自分は過去の自分となるのです。
不思議ですが
体とは本当に思い込みによって
創られているのだということを実感しますね。
なので病気にフォーカスするのは
実際に患ってからだけにした方がいいですし
万一、患っても「悪くなったらどうしよう」などと思わずに
「もう治った」とか「元気になった」と思うことにしましょう。
この方法は他のどんなことにでも有効です。
ただし、アファメーションと一緒で
やっぱり自分を信じていることが鍵ですよ。
人は、自分の言葉を信じることで
自分の現実を創り続けています。
信じた先にどんな自分がいたら嬉しいのかを想像してみて
思考だけを先にそちらへ飛ばす
未来へ先回りして、自分のイメージを置いてくる
というような感じですね。
布石を打ちましょう。
自分の手を先に延ばすことで
必要な未来は必ず
こちらへ向かってきます。
でもそれを、あなた自身が自分でイメージしない限り
それは実現していきません。
未来に少しだけ先回りして
自分の良いイメージを置いてくる。
自分を信じて、試してみると
楽しい未来を具現化できるかも知れませんよ。
2017年01月17日
神は人が食べないことをお望みではない
今読んでる本の中にこんな文章があります。
「世の中の他の人々にも、食べずに生きられる方法を教えてあげたらいかがですか」
世界中の何百万という飢えた人々のためにいだいた私の野心的な希望は、即座に否定されてしまった。
「それは出来ません」彼女は首を振った。
「私は先生から、この秘密を漏らすことを固く禁じられております。
創造に関する神様のご計画をむやみに干渉することは、先生のお望みにならないことでございます。
もし私が、食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓たちはさぞ私を恨むことでしょうし、おいしい果物も、地面に落ちてむだに腐るばかりです。
不幸や飢えや、病気は、私たちに人生の意義を探求させるための、カルマのむちではないでしょうか」
「ママ様」私はおもむろに言った。
「ではあなただけが何も食べずに生きてゆけるよう選ばれたのは、何のためでしょうか? 」
「人間が霊であることを証明するためでございます」
彼女の顔は英知で輝いていた。
「人間は、霊的に向上するにつれて、しだいに、食べ物ではなく”永遠の光”によっていきられるようになるということを証明するためでございます」
これはヨガナンダが、ギリバラという56年間、食事をしない女性とした会話だそうです。
私は一日一食を始めて、1年ほどが経ちました。
最近は不食を実践し始めました。
でも、こんな大そうな何かのためにではありませんが(汗)
私が始めた理油は、その方がより
本来の人間に近づけるのではないか?という考察の末に
自分の体で試してみることにしたのです。
一日一食を始めてしばらくは、早く食べたくて仕方ありませんでした。
今日は何を食べようか、そればかり考えていました。
でも、最近はお腹が空いても気持ちがいいですし
食べたいという感情もありませんでした。
お酒を飲みたいという感情には囚われ続けましたが(汗)
でも、それも止めてみることにしましたよ。
止めたら、どんな景色が見えるのかが、飲欲に勝った瞬間です。
ギリバラのような壮大な任務は何もありませんが
私は人間とは本来どんなものなのかを知りたいと思います。
このことを他のブログに書いたら、あちこちから止めに入られました(笑)
そりゃそうですよね(汗)
今の常識では食事をしない人なんて、考えられません。
でも、私の意識と、人の意識の向かう方向が違うのは
ずーっと昔から分かっています。なので、今更戸惑うこともありません。
私は物心ついた頃から、ずっと自分の意識にフォーカスしてきました。
宇宙はどこまで繋がっているのか考えていました。
人が死んだらどうなるのか知りたくて、いろんな本を読みました。
ちょっと普通の子供とは、程遠い思考だったので
友達と遊ぶより一人で考え事をしたり漫画を描いて過ごしました。
今でも、不思議ちゃんとか言われますし
基本1年に数回しか人と会うこともありません。
こんなスペックの私ですが、今は誰よりも精神バランスのとれた
心が安定した状態を保てているからこそ「不食」が実践できるのだと思います。
都会に住んではいますが、仙人のような生活です(汗)
不食の先に、何があるのかはまだ分かりませんが
一先ず自分の考察が確信を得られるくらいまでの結果を
残せたらイイナと思います。
でも、不食だってずっと続けられるかは分かりません。
体重が減り過ぎたら、機が熟していないということですし
食べたい衝動に駆られてストレスになったら、心のバランスが保たれていなということ。
全ては、今の状態を素直に受け入れることが絶対条件なのです。
というわけで
これからのんびりと、不食の旅に出かけてきますね。
これからもご報告を兼ねて、記事を更新していきますので、
お読みいただけたら光栄です。
「世の中の他の人々にも、食べずに生きられる方法を教えてあげたらいかがですか」
世界中の何百万という飢えた人々のためにいだいた私の野心的な希望は、即座に否定されてしまった。
「それは出来ません」彼女は首を振った。
「私は先生から、この秘密を漏らすことを固く禁じられております。
創造に関する神様のご計画をむやみに干渉することは、先生のお望みにならないことでございます。
もし私が、食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓たちはさぞ私を恨むことでしょうし、おいしい果物も、地面に落ちてむだに腐るばかりです。
不幸や飢えや、病気は、私たちに人生の意義を探求させるための、カルマのむちではないでしょうか」
「ママ様」私はおもむろに言った。
「ではあなただけが何も食べずに生きてゆけるよう選ばれたのは、何のためでしょうか? 」
「人間が霊であることを証明するためでございます」
彼女の顔は英知で輝いていた。
「人間は、霊的に向上するにつれて、しだいに、食べ物ではなく”永遠の光”によっていきられるようになるということを証明するためでございます」
これはヨガナンダが、ギリバラという56年間、食事をしない女性とした会話だそうです。
私は一日一食を始めて、1年ほどが経ちました。
最近は不食を実践し始めました。
でも、こんな大そうな何かのためにではありませんが(汗)
私が始めた理油は、その方がより
本来の人間に近づけるのではないか?という考察の末に
自分の体で試してみることにしたのです。
一日一食を始めてしばらくは、早く食べたくて仕方ありませんでした。
今日は何を食べようか、そればかり考えていました。
でも、最近はお腹が空いても気持ちがいいですし
食べたいという感情もありませんでした。
お酒を飲みたいという感情には囚われ続けましたが(汗)
でも、それも止めてみることにしましたよ。
止めたら、どんな景色が見えるのかが、飲欲に勝った瞬間です。
ギリバラのような壮大な任務は何もありませんが
私は人間とは本来どんなものなのかを知りたいと思います。
このことを他のブログに書いたら、あちこちから止めに入られました(笑)
そりゃそうですよね(汗)
今の常識では食事をしない人なんて、考えられません。
でも、私の意識と、人の意識の向かう方向が違うのは
ずーっと昔から分かっています。なので、今更戸惑うこともありません。
私は物心ついた頃から、ずっと自分の意識にフォーカスしてきました。
宇宙はどこまで繋がっているのか考えていました。
人が死んだらどうなるのか知りたくて、いろんな本を読みました。
ちょっと普通の子供とは、程遠い思考だったので
友達と遊ぶより一人で考え事をしたり漫画を描いて過ごしました。
今でも、不思議ちゃんとか言われますし
基本1年に数回しか人と会うこともありません。
こんなスペックの私ですが、今は誰よりも精神バランスのとれた
心が安定した状態を保てているからこそ「不食」が実践できるのだと思います。
都会に住んではいますが、仙人のような生活です(汗)
不食の先に、何があるのかはまだ分かりませんが
一先ず自分の考察が確信を得られるくらいまでの結果を
残せたらイイナと思います。
でも、不食だってずっと続けられるかは分かりません。
体重が減り過ぎたら、機が熟していないということですし
食べたい衝動に駆られてストレスになったら、心のバランスが保たれていなということ。
全ては、今の状態を素直に受け入れることが絶対条件なのです。
というわけで
これからのんびりと、不食の旅に出かけてきますね。
これからもご報告を兼ねて、記事を更新していきますので、
お読みいただけたら光栄です。
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2017年01月12日
アファメーションを徹底すると、脳は徐々に勘違いし始める
毎日しつこいくらいアファメーションしていますか。
それくらいやらないと、「脳へ勘違いさせるだけの効果がない」
と言うよりは、自分の中に疑念があると
それがどうしても頭の片隅に残ってしまい
自分自身が受け入れていない状態になってしまいます。
これでは脳が勘違いするまで
まだまだ相当時間がかかると言うものです。
まずは、自分が確信を得るまで
「私の収入は毎月100万円である」のなら
そうじゃない自分を不自然に感じるくらい
自分の中でも「叶った姿」が当たり前なんだと思えないなら
すぐには具現化して行かないんじゃないでしょうか。
布団に入ったら、目を閉じて
叶ったあとの自分の姿をイメージして
どんな服を着て、どんな人と話をして、どんな生活をして
車、家、会社などイメージできるものは出来る限りイメージするようにしましょう。
自分がイメージできないものには
なることはできません。なので
雑誌やネットから情報を検索して
写真を目につくところに貼ってみたり
実際に行きたい旅行先への行き方など
もう予約できるように今から準備してみるのもいいでしょう。
いずれは行くことになりますしね
願ったことは必ず具現化していきますので。
イメージが難しい時は、やはり先に紙に書きましょう。
紙に書くと頭の中が整理されるので
物事をフラットに考えることができますよ。
それくらいやらないと、「脳へ勘違いさせるだけの効果がない」
と言うよりは、自分の中に疑念があると
それがどうしても頭の片隅に残ってしまい
自分自身が受け入れていない状態になってしまいます。
これでは脳が勘違いするまで
まだまだ相当時間がかかると言うものです。
まずは、自分が確信を得るまで
「私の収入は毎月100万円である」のなら
そうじゃない自分を不自然に感じるくらい
自分の中でも「叶った姿」が当たり前なんだと思えないなら
すぐには具現化して行かないんじゃないでしょうか。
布団に入ったら、目を閉じて
叶ったあとの自分の姿をイメージして
どんな服を着て、どんな人と話をして、どんな生活をして
車、家、会社などイメージできるものは出来る限りイメージするようにしましょう。
自分がイメージできないものには
なることはできません。なので
雑誌やネットから情報を検索して
写真を目につくところに貼ってみたり
実際に行きたい旅行先への行き方など
もう予約できるように今から準備してみるのもいいでしょう。
いずれは行くことになりますしね
願ったことは必ず具現化していきますので。
イメージが難しい時は、やはり先に紙に書きましょう。
紙に書くと頭の中が整理されるので
物事をフラットに考えることができますよ。
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