2015年04月26日
007.カナダレポート(1/3)
カナダレポート 2010年4月27日〜5月7日
Auther:あるへ
【人物紹介】
あるへ:俺。
ゆー:俺の妹。
コウスケ:ゆーのルームメイト。プライバシー保護のため詳細不明。
リュウヘイ:ブリティッシュコロンビア大学(UBC)に在籍する日本人男性。ゆーの友達。
サエコ様:ゆーの友達で美容師。俺はこの人に救われたので様付けする。
マリ:ゆーの友達。おそらくゆーと同年代。普段はいつもマリとおしゃべりしているらしい。
【日記】
*俺の隣には常にゆーがついている。
会話や買い物はゆーがして、俺はその後ろをついていくだけだ。
毎日昼の12時ごろ起きて、ゆーと朝食を採り、出かける。4時すぎに、仕事を終えたコウスケに車で迎えに来てもらい、夕食を食べに、あるいは観光を続けに車を走らせる。帰宅は夜の12時ごろで、疲れきっているので夜更かしはしない。一日のサイクルはこんな感じ。
第一日目(4/27-4/27)------------------------------------------
京王八王子から成田行きリムジンバスに乗るも、そこから五分の次の駅、JR八王子駅北口でバスがエンジンストップを起こした。やむなくタクシーに乗り換え、新宿へ。そこから出るリムジンバスに乗り、ようやく成田へ着く。タクシー代はバス会社が出してくれた。
雨降りの出発、初っ端からトラブル。波乱の予感だが、こういうトラブルが意外と楽しい。
そんなことよりバスの中は周囲終始無言の上、めちゃくちゃトイレに行きたくて正直記憶があまりない。うとうとするか、尿意を我慢するかどちらかだった。
成田に着いて、英語を話す人が増えたけど、まだ日本の色が濃く違和感は感じない。
スーツケースの奥にころんと潜むライターを処分してもらうために、公衆の面前でケースを開けたり、喫煙所で所持しているもう一つのライターを取り出すために鞄を長時間まさぐったりと、なかなかに鬱陶しい旅の始まりである。
今は目に付いた店でコーヒーとチーズケーキを愉しみながら、飛行機に乗り込むまでの時間を潰しているところである。
普段はこんな手荷物を(国内旅行でさえ)持たないから、小物を取り出すのが面倒でしょうがない。本当は俺の荷物なんてこれっぽっちしかないのに。ほとんどゆーへの土産なのに。俺は配達屋か何かだろうか。
周りを見れば日本人ばかりだが、カナダに着いたらどうなんだろう。
そうそう、エンストの時、やっぱ常識に沿って騒ぎ立てる馬鹿はいたな。小うるせえババアが、どうしてくれんのよ、とか騒いでたけど、どうしようもねーじゃんかよな。運転手も大変だな。荷物を預かる添乗員はシャカシャカ動く小柄なじーさんで、吉田という名だった。見た目は違うけど似てた。(俺やゆーがアルバイトした店の板前に同名のじいさんがいた)
飛行機の時間がどうの、迎えのバスとタクシー結果的にどっちが早いとか、乗り合わせた外国人や、日本人のババアにフライトの時間を聞いて味方を増やそうとしたり。ババアとかおっさんとか。
お前らみたいに刻に支配されて生きてやるものかと思ったけど、そういえば俺もさっき12時直前になって乗るバス停を間違えたのかと勘違いして焦ったもんだ。やっぱ変わらんね。俺も馬鹿だった。
チーズケーキはチーズの味ちゃんとした。そこは褒める。でも駄目。スポンジとか不味い。コーヒーは悪くない。少ないけど。早速眠い。
スーツケースのことが気になってユキと親父にメールする。周りを見るとスーツケースを引いて歩く人がかなりいるので、飛行機に乗る時は預けたスーツケースを返してもらって、自分で引いていくのかと思ったが、杞憂だった。
五時くらい。飛行機の離着陸ってのはやっぱ心躍るもんだね。柄にもなくドキドキした。不安はない。乗り心地も、雲が多く多少揺れたが電車に乗っているみたいで変な気はしなかった。電車と違い上下左右に揺れるのが新鮮。逆に揺れている方が落ち着く。
俺の座った席は、縦に三列ある席の右側。三つあるシートの真ん中だった。左右に座った人も日本人。かと思いきや違った。右の男性はおそらく30代前半の中国人。waterをワタと発音するのは中国人に決まっている! 左に座った女性はおそらく10代後半(20代かも。俺より年下に見えた)の韓国人。ハングル文字の本を読んでいた。二人とも正面の小さなディスプレイを操作して映画など見てたが、なんだか面倒くさくて俺は触らなかった。ずっと、ずーっと青白いメニュー画面が表示されてた。
眠くてうつらうつらしてると、機内食を案内された。JAL(日本航空)を選んだので、サービスは評判がよく、キャビンアテンダントも日本人だ。二種類の中から選ぶ。シーフードカレーを頼んだ。もう一つはハヤシライスなのかな。
ルーは少なめだが味は良い。美味かった。日本のカレーの味だ。サラダはドレッシングをかけるのが面倒だったので生で食った。外国人に挟まれて、意地が出たのか、CAとは日本語で会話し、カレーは仕方ないにしてもその他は箸で食べた。食べてやった。ざまあみろ。サラダとか、ポテトサラダとか、焼き菓子とか。
相変わらずの青白いディスプレイと睨めっこしながら食った。操作するの面倒だったから。でもホントは映画見たかった。
しかし、この狭さはなんとかならないものか。狭すぎる。これで八時間はきつい。拷問だ。気が狂いそうだ。ファーストクラス行きたい。足伸ばしたい。そして、おしっこ行きたい。隣の人にexcuse meという勇気がまだ出ない。距離はようやく三分の一を過ぎたところ。上空一万メートルを、時速1000キロで飛んでるのに。
そろそろ尿意が限界に達し、俺はとうとう通路側の韓国人女性に声をかけた。同時に彼女も席を立って行ってしまったので、返しの言葉はかけられなかった。便器に腰掛けて安堵の息を吐(つ)いたが、よく考えればこの時屈伸の一つでもしておけばよかったと後になって思う。
ぼーっと本を読んでいると、突然機内の電気が消えていった。消灯の時間なのだろう。眠れということだ。俺も本を閉じて眠ろうとした。が、伸ばせない足のせいでひざが痛く、腰や尻も痛い。帰りもこの苦痛を味わうのかと思うと、パスポート取得から何から、こんな苦労をしてまで日本を飛び出して、俺はいったい何をしているのだろうという気にもなった。
何度かうたた寝を繰り返して、かといって完全に眠ることも出来ず、ただただ時間を流した。ふと窓の方へ目をやると、なんと空が明るいではないか。消灯からずいぶんと経ったが、夜明けには早すぎる。
東に向かっているからだ、と気付くまでしばし見入った。
やがて腹が減ってきて(カレーは少なかった)、待ちに待った機内食の時間。しかし、それは文字通りの軽食だった。小さな菓子パン、果物少々、ヨーグルト。空っぽの胃袋は満足しない。
後で気付いたが、窓側の男もハングルの本を読んでいた。なんだ、仲間はずれか。
やっぱ離着陸はわくわくすんね!
カナダ、バンクーバー空港に降り立った。現地の時間は朝の10時。俺の一日はまだ終わらない。
ここに来て最初で最後の難関はやはり言葉だった。
俺の前の人がパスポートを見せて、二三会話をして難なく通っていった。税関のババアは俺の番になると、発音だけはいいのに、何を言いたいのかさっぱりわからない俺の返答に辟易したらしく、パスポートを突き出して、通れとサインだけして次に移った。ため息までくれた。英語がなんぼのもんじゃい、俺は日本語で生きていく。
次の関所も厳しかった。パスポートだけ渡したら、イミグレーション(日本語訳不明。入国申請書みたいなもの)を書けと言われて、パスポートを突き返された。この用紙は機内でももらえるらしいが、軽くスルーしてしまっていたので、その場で書くことになる。JALの機内だったら日本語のイミグレーションをもらえたらしい。が、ここはカナダ。表も裏も全て英語だ。なんかむかついたから日本語で記入してやった。
書き終えて、並んでるから空いてるところ、という言い訳で別の関所に並んだ。そこのお姉さんは辛抱強く俺の話を聞いてくれて、去り際にHave a good day.と言ってくれた。彼女にこそ感謝する。っていうか、「だけ」。イミグレーションはもう必要ないと思ってしまってしまった。出口のところで提出を求められた。慌てて出そうとすると後ろからも客が詰まって、「sir、こっちへまわって、ここで書類を取り出しなさい」みたいなことを言われた。
なんか、すまんね。最後まで迷惑かけて。こういう迷惑かけるの好きだから、きっとこれからも治らないと思う。
時間をかけて、ようやく出口に辿り着くと、ゆーとゆーのルームメイトのコウウケが迎えてくれた。コウスケの雰囲気は、大人しく頼りになる感じ。カナダ滞在中はゆーとコウスケのアパートに世話になったが、ゆーは(家族がいるからというのもあるが)結構わがままで、口うるさかったり、かといって意見が通らないとすぐに落ち込んだりぶすくれたりする。ゆーが日本に暮らしている時は、ゆーと似た性質を持つ、すなわち俺とはまったく相容れない類の人間ばかりが友達だったと記憶しているが(もちろん俺の偏見は含まれている)、このカナダでのゆーの友達はその逆で、ゆーの足りないところ、ゆーのそんなわがままなどを容認できるような人間のできた人が友達で、ほっとした。紹介される友達のほとんどが俺よりも年上だったのも起因していると思う。とにかく、コウスケを一目見、少し会話をして、そんな感想を抱いた。
バンクーバーでの第一印象は、日本と比べてあまり違わないのではないか、ということだった。細かい点をあげれば切がないほど相違点はあるが、そうではなくて、肌で感じる雰囲気が、日本の、八王子とよく似ている。湿度や気候、緯度も違うのに、変だよな。コウスケは英語も日本語もこなすバイリンガル。ゆーも簡単な日常会話なら普通にこなせる。ゆえに俺は英語を用いる必要がまったくない。わからないことがあれば、ゆーやコウスケに日本語で聞けば良いし、的確な答えが日本語で返ってくる。そんな豪華なサービスや安心があるものだから、田舎同士の八王子とバンクーバーに、違和を感じなかったのかもしれない。
コウスケは車も運転できるから、色々なところに連れて行ってもらった。
背の低い建物(ビルはあまりない)、小柄な家(税金の関係?)、横に広い道路や土地。日本の高速道路のようにガードレールや料金所もない。だからずっと遠くまで見渡せる。巨大な雲の形がわかる。そのせいで空が低く見えることもある。
看板には広告が少なく、英語と中国語が多い。行きかう人々もその国籍が多い。広いが汚い(Contaminated=有毒な、汚染された)川、砂浜、様々な土産屋。途中ぱらりと雨が降ったが、すぐに止んだ。この辺は傘をさす人は少ないらしい。最後にメトロシティだったか、そんな名前の巨大ショッピングモールに行った。天井が馬鹿みたいに高く、商品も馬鹿みたいに高く積まれている。エチレンなんか関係無しに、野菜が横向きにどっさりもっさり。巨大なショッピングカートを押しながら物色する。ゆーはこれは安いとか、これは高いからあとでどこどこで買うとか言ってた。レジは有人と無人と二種類あった。無人のほうは自分で商品をバーコードに通し、切符を買うみたいにタッチパネルを操作してお金を入れる。
カナダでは全ての屋内は禁煙であり、すべての屋外は喫煙可能である。ただし、店から6〜7メートル離れる必要がある。などなどは後にまとめて記す。
この国に来てまず驚いたのは、太陽だ。緯度が高いので日照時間が長い。今、夜の八時だよ、といわれて空を仰ぎ見れば、さわやかな午後の青空が広がっているではないか。9時ごろになって、ゆっくりと辺りが暗くなっていった。
ようやく、長い一日が終わろうとしている。めっちゃ眠い。
第二日目(4/28)-----------------------------------------------
12時ごろ目覚める。前述の通り、日照時間が長いので、今からでも十分遊びにいける。
ゆーに髪を切られた。もうお嫁にいけない……。
たしかに、最後に髪を切ってからずいぶんと放置して、そろそろ切らなきゃなとは思っていたけどさ。このもみあげだって、一年くらいかけて大事に伸ばしたんだよ。あごの辺りまであったのに。そりゃ伸びすぎだとは思ってたけどさ。
なにも根元からばっさりいくことないじゃないか!
ダラーショップ(100円均一)で買ったとかいうすきバサミと文具屋のはさみで……。
俺が嘆いたらゆーも自信を失ったらしく、二人しておろおろしてた。完全に失敗したらしい。
ゆーが助けを求めに、友達の美容師サエコ様に電話した。金曜日(4/30)に来てくれるらしい。俺はそれまで帽子を被ってごまかすことにした。ちょうど似合いそうなニットの帽子があった。二度とゆーに髪は切らせないと決意する。
煙草を吸いながら外を眺めていたが、バスが意外と高機能なことに気付いた。バスは、日本の電車のように、上に電線が走っていて、電気で走る。電線とバスの連結部はただ引っ掛けているだけのようなので、よく外れてストップするらしい。こういうアイディアは良いのに、詰めの甘いところ、英語圏の人間らしいと思う。そしてバスの前面には自転車をセットするスペースがある。実際に乗客が自分の乗ってきた自転車をセットするところも見た。
後で考えると、このバンクーバーは、交通の主な足がバスと車なのだろう。日本のように電車が網の目のように走っているわけではないので(代わりにバスが網の目)学校に通ったり、ショッピングに出かける時、あるいは公園に羽を伸ばしに行く際にバスを使うのだ。
ほんと、光が強い。室内にいて、窓の外を眺めただけなのに、視線を室内に戻すと目が眩んでいる。サングラスが必要だと思った。
家を出てバスに乗る。チケット制で、乗り込む時にタイムカードみたいに打刻する。その時間から二時間はどの乗り物に乗っても(他のバス、スカイトレイン、シーバス)無料になる。スカイトレインはモノレールのようなもの。道から階段を上って駅に入ればそこがプラットホームになる。改札などはないが、たまに警官が乗ったりするので無賃乗車は横行してない。やろうと思えば簡単に出来るが。シーバスは海上のバス。バンクーバーの地形はざっくり言うと、コの字型をしているため、間の海を往復しているのがシーバスである。他の道といえばライオンズゲートブリッジという、日本のレインボーブリッジのような車道しかないので、陸路で行くと多大な時間と金銭を要する。
このチケットは主にコンビニなどで簡単に買える。一枚2.50ドルの十枚つづり。2500円くらいだな。しかし、コンビニエンスストアというものは厳密には、ここにはない。あるのはshopperとかLondon drugsとか雑貨店という形である。日本でも馴染みのあるものといえば、セブンイレブンくらいだろうか。実際バンクーバーを歩いていて、セブンイレブン以外の日本産コンビニを見ていない。
このセブンイレブンのホットドッグがゆーの一押しらしく、購入してベンチで食べた。バンクーバーの町には、いたるところにベンチが置いてあるので、気軽に休憩できる。
ホットドッグはパンにソーセージを挟んだだけで渡される。それを自分で専用のテーブルまで持って行き、様々な調味料をトッピングする。ケチャップやマスタード、お好みでチーズ(アイスみたいに機械からにゅる〜と出てくる)やチリソースをかける。ゆーがかけた緑色の不気味なソースはピクルスのソースだった。酸っぱくてむせた。
天気もよく、大変に気持ちが良かった。テレビなどでよく見る外国人の風景。犬と散歩したり、ランニングしたり、サイクリングしたり、ベンチで昼寝したり、本を読んだり。この空気に触れていると、日本ではあまり馴染みのないこれらの行動も、自然に出来る気がする。彼らの気持ちがわかったような気がした。その他にもスケートボードやローラブレードで散歩を愉しんでいる人もよく見かけた。
海辺の散策(名前忘れた。たくさんの観光客と現地人が散歩していた。バンクーバーのシンボルがここにあるのだが、ただ石を積み上げて人の形にしただけで意味不明である。この海岸は年に一度盛大な花火を催すようだが、厳しい条例のため未成年は夜間の外出を禁じられている。そのため時間的に30分しか打ち上げることが出来ず、その30分のために多くの人が準備をし、見るために集まるらしい)、seabus(時間によって料金のシステムが変わるらしい。俺達が乗ったのは打刻をしてまだ時間の余っているバスチケットでフリーで通れる時間帯だった。カナダには時間や曜日によって、公共料金や駐車時間がころころ変わる)、土産屋の冷やかし(商店街に入ったのは4時ごろだったので、閉まった店もちらほらあった。この国は閉店の時間が早いのだ! コウスケの仕事も毎日4時に終わる)。
サングラスを買った。日本から着てきたジャンバーは黒い厚手のもの。天気が良くても風が強く、肌寒いので俺には欠かせない。そして黒のニット帽とサングラス。
どこぞの有名人がお忍びで散歩しているか、末期のガン患者のどちらかにしか見えない。
夕飯はジャーマンフード。頼んだAlfredoという料理は鶏肉のから揚げ(ステーキ)にチーズクリームをたっぷりと載せたもの。パンもスープもなく、いきなりこれが出てきてびっくりした。付け合せの赤キャベツのザワークラフト(お酢で煮るのかな? よくわからないけど酸っぱい。存在は知っていたので驚きはしなかった。おいしいよ)、ポテトフライもなかなか美味。この料理は、俺がカナダで食べた料理の中でナンバーワンに入る。びっくりするぐらいうまかった。ただ店員の態度は良くなかったらしく、ゆーはあの店員が気に入らないとぼやいていた。もったいない店だよな。
コウスケに車で迎えに来てもらい、どこか高い丘の上に連れて行かれた。夜も更けたので、夜景を臨めた。コの字の反対側を眺めているので、海と街の境界がはっきりと見て取れる。だけどそれ以上に寒くて、長居はしなかった。
風は冷たい。海辺は特に。
つづく
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