それは、自分自身にも旬がある、ということです。
私はゲームが大好きで、好きで好きでどうしようもなく、毎日どっぷりゲームしないと落ち着かなく、寝てる時とゲームしてる時以外は何でもいいから文字を目で追ってないと気が済まないような変態です(うぅ?)。
ま、ちょっと大袈裟ですが(笑)
で、当然のように生涯死ぬまでゲームしたい、どんどん新しいゲームをプレイしたい、目に焼き付けたい、感動したい、と思ってるわけです。
勿論そのつもりですが、しかし実際のところ、数か月前(一部は数年前だったり……)に積んだゲーム、当時「面白そう」とか「実績のため」とか当然なにか理由があって購入したゲームが、なんだか食指が伸びず放置されっぱなしだったりというのがよくあります。
これってやっぱり、旬な時期を逃してしまった、ということですよね。
あえて言うなら「ゲーム」と「自分」を繋ぐ関係性の中で旬な時期と言えば、ずばりそのゲームを攻略している今が旬なわけです。
積みゲー達も、心機一転攻略を始めればそれがまた新しい旬になるんですが、もともと馴染みが薄く実績も作業で鬼畜な格ゲーとか、このままそっとしまい込んで忘れてしまいたいゲームもあるにはあります。
買った当時、その瞬間は確かに「これをやろう!」と意気込んだはずなのですが。
つまり、意識の問題ですよね。人の意識や感情はころころ変わりますから、その時「応」と思っても、だんだんと「否」に変わっていって、また「応」になるかもしれない、ずっと「否」かもしれない。
旬というにはかなり不安定ですが、そんな感じかなぁ、と感じるのです。
それから更に月日が経って年老いたとして、果たしてゲーム好きはそれでもゲーム好きでいられるでしょうか。
歳を重ねるにつれ、たとえば目が悪くなったり、老眼だったり、耳が遠くなったり、頭がぼんやりして反応が鈍くなったり……、そんな状況で心底ゲームを楽しめるでしょうか。
年齢で一番の問題はギャップです。
ゲーム制作者は入れ替わり、常に若い感性と勢いでゲームを生み出し続けます。感性が定着し、若い世代との「感じ方」のギャップが大きくなれば、その時大人気のシリーズものの最新作で、自分もまた昔好きだったゲームだとしても、果たして本当に楽しめるのかな。
きっと「最近のゲームは派手さばかりで深みがない」とか、特に今と変わらないことを呟いて、「Xbox360やONEの頃が一番輝いてた」とか言い出すんでしょうね(笑)
極論気味になってしまいましたが、だからこそ旬なものは旬なうちに楽しもうということで、これはそういう意味でも「今日できることは今日やれ」という格言に通じるんじゃないかと思います。
やりたくないことを先に延ばすな、という意味ですが、やりたいことは今のうちにやっておけ、という意味にも取れるんじゃないかな。
なんてね。
ゲームが好きで死ぬほどゲームやりたいなら、いつやるの? 今でしょ!
って言いたかっただけです。
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