あくまで地球の中心に向かっている。
自転と公転を続ける星の形を留めておくために。
その表面で生きているものたちは、
好むと好まざるにかかわらず、その影響を受け続けている。
物理的にだけではなく、精神的にも。
重力の中心は(つまり、地球の中心は)、
すべてのものが留まる「べき」場所。
人の身体はそこへ引きつけられ、
人の欲望もそこへ引きつけられる。
そう、重力の中心は「ちょうど良いところ」なのだ。
上だろうが下だろうが、
前だろうが後ろだろうが、
その「中心」よりも良い(理想的な)場所などない。
なぜなら、その場所でのみ重力から解放されるのだから。
空腹な者は、食べることで腹を満たしたいと思う。
貧しい者はもっとお金(あるいは物)が欲しいと思う。
独りぼっちが寂しい者は話し相手が欲しいと思う。
でも、その「ちょうど良い場所」(重力の中心)は決まっていて
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の言葉のとおり、
中心を過ぎてしまうと、また離れていってしまう。
食べ過ぎる者は腹が苦しくなる。
10兆円の財産を持つ者は、高価値なものをようやく手に入れた時の喜びを忘れる。
人間関係に疲れた者は一人になりたいと思う。
「人生、お金じゃない!」と言う者が増えれば、
「人生、お金だよ!」と言う者も増える。
「平和な世界に住みたい!」と言う者が増えれば、
「世界征服を成し遂げたい!」と言う者も増える。
「格差のない世の中になってほしい!」と願う者が増えれば、
「能力の高い者にたくさん与えられるのでなければおかしい!」と感じる者も増える。
「ちょうど良い場所」(重力の中心)は必ずある。
でも、そこに留まることはとても難しい。
振り子が左右に触れるように、人は足りなかったり多すぎたりする。
そして、振り子が止まってしまえば、人はそれ以上生きられない。
では、死んだら重力の中心に行けるのか?
そういう考え方もあるかもしれない。
でも、生きている限り、それはわからない。
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