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posted by fanblog
2017年05月27日
【音楽コレ最強】ゲルギエフ/ロンドン響盤のラヴェル「ボレロ」
ラヴェルの「ボレロ」が人を惹きつけてやまないのはなぜか。
普通、音楽というのは緩急があって、緊張感を楽しむところと解放感に浸るところの連続であることがおおいのだけれど、この曲は最初から最後まで緊張感しかない。パーカッションをやっていた人間として、スネア・ドラムの苦悩が直に伝わってくる曲でもある。
録音数も相当あって、自分がちゃんと聴いたのは、カラヤン/ベルリンフィル盤やムーティ/ウィーンフィル盤、マゼール/N響盤、そしてタイトルのゲルギエフ/ロンドン響盤くらいのものだけれど、このゲルギエフ/ロンドン響盤は、ほかを大きく引き離して圧倒する名演だと思う。この作品の理想形と言っても過言ではない。誉め言葉を並べるよりも、まずは一度見てほしい。
最初から最後までずっと統制がとれていて、誰も自分勝手に乱すことがない。ppppからffffまでバランス良くセンス良く仕上がっている。ゲルギエフのすごさはもちろんだけれど、こういう紳士な演奏はイギリスの交響楽団ならではなのかもしれない(蛇足だけれど、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」のマッケラス/イギリス室内管弦楽団盤も同じような理由で好きだ)。
クラシック好きには収集家が少なくないと思う。自分もそのうちの一人だ(と自負している)。ベートーヴェンの交響曲第九番『合唱付き』ばかりを300パターンくらい集めた人もいるらしいが、比べることで、とっておきの一枚がわかるようになる。同じ演奏なんだけれど、演奏家によってこんなにも印象が変わるのかというのを思い知らされるのは本当に楽しい。
だから、ラヴェルの「ボレロ」を聴く人(曲を知っている人は多いと思うので)は、上に挙げたものでもいいし、そうでなくてもいいので、ぜひ数種類聴いてほしい。有名な指揮者であれば必ずと言っていいほど録音が残っていると思う。なお、ゲルギエフ盤はApple Musicでも映像で見られます(2017年5月現在)。
普通、音楽というのは緩急があって、緊張感を楽しむところと解放感に浸るところの連続であることがおおいのだけれど、この曲は最初から最後まで緊張感しかない。パーカッションをやっていた人間として、スネア・ドラムの苦悩が直に伝わってくる曲でもある。
録音数も相当あって、自分がちゃんと聴いたのは、カラヤン/ベルリンフィル盤やムーティ/ウィーンフィル盤、マゼール/N響盤、そしてタイトルのゲルギエフ/ロンドン響盤くらいのものだけれど、このゲルギエフ/ロンドン響盤は、ほかを大きく引き離して圧倒する名演だと思う。この作品の理想形と言っても過言ではない。誉め言葉を並べるよりも、まずは一度見てほしい。
最初から最後までずっと統制がとれていて、誰も自分勝手に乱すことがない。ppppからffffまでバランス良くセンス良く仕上がっている。ゲルギエフのすごさはもちろんだけれど、こういう紳士な演奏はイギリスの交響楽団ならではなのかもしれない(蛇足だけれど、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」のマッケラス/イギリス室内管弦楽団盤も同じような理由で好きだ)。
クラシック好きには収集家が少なくないと思う。自分もそのうちの一人だ(と自負している)。ベートーヴェンの交響曲第九番『合唱付き』ばかりを300パターンくらい集めた人もいるらしいが、比べることで、とっておきの一枚がわかるようになる。同じ演奏なんだけれど、演奏家によってこんなにも印象が変わるのかというのを思い知らされるのは本当に楽しい。
だから、ラヴェルの「ボレロ」を聴く人(曲を知っている人は多いと思うので)は、上に挙げたものでもいいし、そうでなくてもいいので、ぜひ数種類聴いてほしい。有名な指揮者であれば必ずと言っていいほど録音が残っていると思う。なお、ゲルギエフ盤はApple Musicでも映像で見られます(2017年5月現在)。
2017年05月26日
イヌ派かネコ派かという問題について
飼い主が大好きでたまらないイヌが好きか。
居心地の良い飼い主の近くで好きに過ごすネコが好きか。
性格占いとかでも話題に上ることがある議題であるけれど、
なんとなく世話好きならイヌ派、独り好きならネコ派・・・なイメージがある。
イヌを好きで飼っている人は、実の子を叱るように飼いイヌを叱る。
そして、実の子を愛するように飼いイヌを愛する。
イヌは従順そうに見えて、実はやんちゃで不器用でドジで、親心がくすぐられる。
残念なことに、飼い主より先にいなくなってしまうことが多いので、
そのときを迎えた飼い主の気持ちを思うと心が張り裂けそうになるのだけれど。
イヌの出てくる話は、ほとんどが飼い主目線のストーリーだ。
「フランダースの犬」「名犬ラッシー」。「桃太郎」もそうだ(飼い主とはちょっと違うけど)。
ネコを好きで飼っている人は、強要しない。
ネコは自分の好きなときに好きなところで好きなことをしていたい。
だから、欲しいときに餌をくれる人が好きだし、そばにいると安心する人のところへ帰ってくる。
飼い主は基本ネコには好きにさせていて、たまたま自分のそばで丸くなったときになでる。
お腹がすいたときは「餌くれ」と露骨な目つきをしてくるから、はいはいと餌をあげる。
ネコにいいように使われているけれど、実はそういう距離感が好きだったりする。
ネコの出てくる話は、ネコ目線の気ままな展開になることが多い。
「吾輩は猫である」「ルドルフとイッパアッテナ」。「魔女の宅急便」もそうだ。
どっちが良いとか悪いとかカッコいいとかダサいとかではもちろんない。
まあ、結論イヌもネコも飼うのはそれなりに大変で、だからこそ可愛いわけだ。
そう言えば「となりのトトロ」のネコバスはどうだろう。
トトロが呼んだらやってくるところとかはイヌっぽいんだけど。
あれがネコバスじゃなくてイヌバスだったらまた違った印象なんだろうな。
居心地の良い飼い主の近くで好きに過ごすネコが好きか。
性格占いとかでも話題に上ることがある議題であるけれど、
なんとなく世話好きならイヌ派、独り好きならネコ派・・・なイメージがある。
イヌを好きで飼っている人は、実の子を叱るように飼いイヌを叱る。
そして、実の子を愛するように飼いイヌを愛する。
イヌは従順そうに見えて、実はやんちゃで不器用でドジで、親心がくすぐられる。
残念なことに、飼い主より先にいなくなってしまうことが多いので、
そのときを迎えた飼い主の気持ちを思うと心が張り裂けそうになるのだけれど。
イヌの出てくる話は、ほとんどが飼い主目線のストーリーだ。
「フランダースの犬」「名犬ラッシー」。「桃太郎」もそうだ(飼い主とはちょっと違うけど)。
ネコを好きで飼っている人は、強要しない。
ネコは自分の好きなときに好きなところで好きなことをしていたい。
だから、欲しいときに餌をくれる人が好きだし、そばにいると安心する人のところへ帰ってくる。
飼い主は基本ネコには好きにさせていて、たまたま自分のそばで丸くなったときになでる。
お腹がすいたときは「餌くれ」と露骨な目つきをしてくるから、はいはいと餌をあげる。
ネコにいいように使われているけれど、実はそういう距離感が好きだったりする。
ネコの出てくる話は、ネコ目線の気ままな展開になることが多い。
「吾輩は猫である」「ルドルフとイッパアッテナ」。「魔女の宅急便」もそうだ。
どっちが良いとか悪いとかカッコいいとかダサいとかではもちろんない。
まあ、結論イヌもネコも飼うのはそれなりに大変で、だからこそ可愛いわけだ。
そう言えば「となりのトトロ」のネコバスはどうだろう。
トトロが呼んだらやってくるところとかはイヌっぽいんだけど。
あれがネコバスじゃなくてイヌバスだったらまた違った印象なんだろうな。
2017年05月23日
ポール・モーリア 異国の風景がなぜか日本人に懐かしい
ポール・モーリアをイージー・リスニングと軽く扱うことにはやや抵抗を感じる。いや、もちろん聴きやすい音楽ではあるんだけれど。どうしてこんなに日本人の心を捉えるんだろうか。こうも的確に。
「オリーブの首飾り」「シェルブールの雨傘」「イエスタデイ」「明日に架ける橋」「恋はみずいろ」「エーゲ海の真珠」「イエスタデイ・ワンス・モア」等々。アレンジした作品も含めて、ただ単にメロディから感じるだけのものではない懐かしさ、そして憐れみが胸をくいと締める。ギューッと締めつけるのではないところがポール・モーリアで、感傷に浸る直前のぎりぎりのラインに心を留め、どこにいても心地よい風の音を立ててくれる。オーケストラ・ヴァイオリン、チェンバロ、ドラムスといった、普段すべて一緒に耳にすることがほとんどない楽器同士がきれいに曲に溶け込んでいて、こういうのは他ではちょっと聴けない。
一人きりで聴くのがいい。できるだけ穏やかな休日に。ぼうっとしながらポール・モーリアをかけているだけで、何もない時間は自然と満たされていく。どこで聴いていたとしても、目の前に広がる風景はきっと澄んだ空に包まれ、日の光がまんべんなく降り注ぎ、緑に染まり、海の音が聞こえる。
なお、蛇足だが「恋はみずいろ」はBillboard Hot 100で5週も1位に滞在したことがある(1968年)。
「オリーブの首飾り」「シェルブールの雨傘」「イエスタデイ」「明日に架ける橋」「恋はみずいろ」「エーゲ海の真珠」「イエスタデイ・ワンス・モア」等々。アレンジした作品も含めて、ただ単にメロディから感じるだけのものではない懐かしさ、そして憐れみが胸をくいと締める。ギューッと締めつけるのではないところがポール・モーリアで、感傷に浸る直前のぎりぎりのラインに心を留め、どこにいても心地よい風の音を立ててくれる。オーケストラ・ヴァイオリン、チェンバロ、ドラムスといった、普段すべて一緒に耳にすることがほとんどない楽器同士がきれいに曲に溶け込んでいて、こういうのは他ではちょっと聴けない。
一人きりで聴くのがいい。できるだけ穏やかな休日に。ぼうっとしながらポール・モーリアをかけているだけで、何もない時間は自然と満たされていく。どこで聴いていたとしても、目の前に広がる風景はきっと澄んだ空に包まれ、日の光がまんべんなく降り注ぎ、緑に染まり、海の音が聞こえる。
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感想(7件)
なお、蛇足だが「恋はみずいろ」はBillboard Hot 100で5週も1位に滞在したことがある(1968年)。
2017年05月22日
CDと定額ストリーミングサービスについて
現在、もっぱらApple Musicで音楽を聴いている。それまでは、CDとかYouTubeの音楽をiTunesで取り込んで、iPhoneに同期して聴いていた。もっと前は、CDウォークマンで聴いていた。そして、今ではCDで聴くことはほとんどない。
全体的にJ-POPはまだまだ物足りないレベル(おそらく著作権とかの問題でハードルが高いのかな?)だけど、そもそも今はそこまで熱心に聴くジャンルではないから不便はない。自分の好きな洋楽とクラシックとジャズと石野卓球(テクノと書きたいけどほぼこの人しか聴かない)で言えば、満足のいくラインナップがある。これが月1,000円で聴き放題ならコスパも文句ない。
時代の流れとともに、音楽の聴き方も変わってきているなとつくづく感じる。CDを買っていたころは、買ったばかりのディスクをCDウォークマンに一刻も早くセットして再生していた。CD全盛期のころは、洋楽はほとんど聴かず、J-POPがメインだったけれど、正直一枚3,000円もするものだから、購入のハードルは低くなかった。だから、そのハードルを超えて買ったものは、何回もCDウォークマンやCDデッキにセットされて流された。B'zやL’Arc~en~Ciel、GLAY、Mr. Children、Every Little Thing、小松未歩、そしてもちろん電気グルーヴ。今はApple Musicで洋楽を聴きまくっているけれど、基本はお気に入りのプレイリストだ。旬の音楽をどんどん聴いては気に入ったものを追加している。逆に、アルバムという聴き方をあまりしなくなった。プレイリストに"Album"というフォルダを設けてTaylor SwiftやDrake、Beyonce、The Weeknd、Bruno Marsなどをアルバムごとにプレイリストとして保存しているのだけれど、何回も聴いたのはTaylor Swiftの「1989」くらいで(ちなみにこれはCDも買っている)、ほかはいいところ2回ぐらいだ。正直、ありがたみが薄れていると思う。
もちろん、CDとストリーミング、どっちがいいという話ではない。今は今で気に入った曲は何度も何度も再生しているから、音楽の価値が落ちたという訳でもない。ただ、気軽に手に入れられる情報量が莫大に増えた分、聴き捨てるものも増えただけなのだと思う。
なお、クラシックに関しては、ストリーミングは大きな存在で、かつCDの価値も決して低くはないと思っている。というのも、自分は聴き比べがすごく好きで、例えばシベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」をヤッシャ・ハイフェッツ、ギドン・クレーメル、サラ・チャンなどで聴いているのだけれど、Apple Musicだと、種類は少なくないけれど、足りなかったりする。好きな曲はだいたい十種類以上比べるので、自然とCDの力も借りることになる(あとはYouTubeも)。アイザック・スターンとかイダ・ヘンデルとかのものがそういうので補われるわけだ。
これから音楽の聴き方がまたどう変わっていくのかわからないけれど、CDはたぶんずっと手放さないと思うし、Apple Musicもサービスが終わりとかにならなければ聴き続けるように思う。
全体的にJ-POPはまだまだ物足りないレベル(おそらく著作権とかの問題でハードルが高いのかな?)だけど、そもそも今はそこまで熱心に聴くジャンルではないから不便はない。自分の好きな洋楽とクラシックとジャズと石野卓球(テクノと書きたいけどほぼこの人しか聴かない)で言えば、満足のいくラインナップがある。これが月1,000円で聴き放題ならコスパも文句ない。
時代の流れとともに、音楽の聴き方も変わってきているなとつくづく感じる。CDを買っていたころは、買ったばかりのディスクをCDウォークマンに一刻も早くセットして再生していた。CD全盛期のころは、洋楽はほとんど聴かず、J-POPがメインだったけれど、正直一枚3,000円もするものだから、購入のハードルは低くなかった。だから、そのハードルを超えて買ったものは、何回もCDウォークマンやCDデッキにセットされて流された。B'zやL’Arc~en~Ciel、GLAY、Mr. Children、Every Little Thing、小松未歩、そしてもちろん電気グルーヴ。今はApple Musicで洋楽を聴きまくっているけれど、基本はお気に入りのプレイリストだ。旬の音楽をどんどん聴いては気に入ったものを追加している。逆に、アルバムという聴き方をあまりしなくなった。プレイリストに"Album"というフォルダを設けてTaylor SwiftやDrake、Beyonce、The Weeknd、Bruno Marsなどをアルバムごとにプレイリストとして保存しているのだけれど、何回も聴いたのはTaylor Swiftの「1989」くらいで(ちなみにこれはCDも買っている)、ほかはいいところ2回ぐらいだ。正直、ありがたみが薄れていると思う。
もちろん、CDとストリーミング、どっちがいいという話ではない。今は今で気に入った曲は何度も何度も再生しているから、音楽の価値が落ちたという訳でもない。ただ、気軽に手に入れられる情報量が莫大に増えた分、聴き捨てるものも増えただけなのだと思う。
なお、クラシックに関しては、ストリーミングは大きな存在で、かつCDの価値も決して低くはないと思っている。というのも、自分は聴き比べがすごく好きで、例えばシベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」をヤッシャ・ハイフェッツ、ギドン・クレーメル、サラ・チャンなどで聴いているのだけれど、Apple Musicだと、種類は少なくないけれど、足りなかったりする。好きな曲はだいたい十種類以上比べるので、自然とCDの力も借りることになる(あとはYouTubeも)。アイザック・スターンとかイダ・ヘンデルとかのものがそういうので補われるわけだ。
これから音楽の聴き方がまたどう変わっていくのかわからないけれど、CDはたぶんずっと手放さないと思うし、Apple Musicもサービスが終わりとかにならなければ聴き続けるように思う。