途中で、記事を書かなくなった。
というより「書けなくなった」というのが、本当のところだった。
途中での報道を見るたびに、胸が締め付けられて、苦しい。
結愛ちゃんは、もっと苦しかったであろう。
何ともやりきれない。
結愛ちゃん虐待死、母親に懲役8年判決…保護責任者遺棄致死罪
2019/09/17 15:14 読売オンラインより
東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛ゆあちゃん(当時5歳)が虐待死した事件を巡り、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里被告(27)の裁判員裁判で、東京地裁(守下実裁判長)は17日、懲役8年(求刑・懲役11年)の判決を言い渡した。
起訴状では、優里被告は同年1月下旬頃から、結愛ちゃんに十分な食事を与えず、当時の夫・雄大被告(34)(保護責任者遺棄致死罪などで起訴)が結愛ちゃんの顔を殴るのを知りながら放置。翌2月下旬頃からは結愛ちゃんが極度に衰弱していたのに、虐待の発覚を恐れて医師の診察などを受けさせず、同年3月2日に敗血症で死亡させたとしている。
弁護側は公判で、「優里被告は雄大被告から『心理的ドメスティック・バイオレンス(DV)』を受け、虐待を止められなかった」などと主張し、懲役5年が相当だと訴えていた。
子供を殺しても「懲役8年」である。
心情的には「無期懲役」で、一生、結愛ちゃんに思いを巡らせてほしい。
それでも、結愛ちゃんにとっては、唯一の「母親」である。
ママは大好きであったろうと思う。
子供なりに「ママもかわいそう」と思っていたかもしれない。
幼い子供にとって、「母親」は、絶対的な「自分の味方」であり
自分の世話をしてくれる、愛しい存在である。
その母親が、自分を守ってくれない。
その苦しさ、寂しさは、地獄であろう。
大人でさえ「孤独」は、耐えられないものである。
この記事を書きながらも、耐えられずに「涙」が溢れてきて
キーボードが見えなくなっている。
・・・・・・。
子供には「親」を選ぶことは出来ない。
運悪く、この親の元に生まれてしまったがために、地獄を味わった
幼い子は、どういう思いであちらへと旅立っただろうか?
子供たちに、こんな悲しい思いをさせてはいけない。
親は、どんな事情があるにせよ、子供を不幸にしてはならない。
貧乏であろうと、ぜいたくしなくても、親と仲良く不安のない
毎日が一番の「幸せ」である。
親に甘え、自分のわがままを聞いてもらい、時にはいたずらして
怒られる。
それも「幸せ」の一部であろう。「愛」があれば・・・。
これ以上、記事が書けない。
結愛ちゃんのご冥福を祈るばかりである。
BY いいとこどり
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