今回は、唐代の詩人
李白
にせまりたいと思います!
(画像引用 Wikipedia)
杜甫が社会的・政治批判的な漢詩を作り、
「詩聖」と呼ばれたのに対し
李白は自由奔放な詩風から『詩仙』と称されます。
さて、生涯を順に追っていきましょう。
出自はよくわかっていない
・『旧唐書』によれば山東省の出身
・『新唐書』によれば甘粛省の出身
・現在の通説では、幼少の頃に西域から蜀に移住
・李白の父が「李客」と呼ばれたこと等から、非漢民族の出身説も
・いずれにせよ5歳頃には蜀の地にいたと考えられている
(画像引用 blog.livedoor.jp)
(ちなみに当時の唐はこんな感じ。イケイケです)
子供時代のちょっとした逸話あり
・母親が 太白(金星) の夢を見て懐妊。名前(白)と字(太白)が決まる
・青少年期は読書・剣術にいそしみ、 ヤクザ者とも交際
・益州長史の蘇?に 文才を認められた
・東巖子という隠者と 道士の修行 。鳥も李白を恐れず手から餌をついばむ
(画像引用 www.kenoh.com )
( 詩仙 の片鱗が垣間見えます)
詩人なので当然放浪する
・25歳の頃、蜀を離れ 中国各地を放浪 する
・孟浩然と交遊。 「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」 を詠む
・自由でリズム感に富む 詩風が確立 する
(画像引用 itbbs.pconline.com.cn)
(杜甫といい李白といい、放浪は必修です)
結婚、就職、エリート街道
・32歳の時、 高宗の宰相・許圉師の孫娘と結婚
・翰林供奉(天子側近の顧問役)として 玄宗皇帝に仕える
・以後3年間、 朝廷で詩歌を作り、詔勅の起草を担当
(画像引用 lishi.xilu.com)
(玄宗。唐を絶頂期に導き、安禄山の乱も招く忙しい皇帝)
天才が組織に入るとよくあるパターン
・詩作、公文作成には 抜群の才能を発揮
・しかし 礼法を無視した言動 が目立つようになる
・宮廷人との 摩擦⇒讒言 を受ける
・ 長安を離れる
(画像引用 Wikipedia)
(まあ、宮仕えに向かないタイプ、ってことですね)
偉人との交友
・洛陽で 杜甫と出会い 、交遊が始まる
・遣唐使の 阿倍仲麻呂 とも親交を結ぶ
・廬山(江西省)に隠棲し詩作にふける
(画像引用 Wikipedia)
(杜甫像。巨星二人が同時期に生きたという不思議)
晩年、ろくな目に遭わない
・玄宗の第16子、 永王の幕僚としてスカウト される
・しかし永王は皇帝の命令を無視して軍事行動
・反乱と見なされ、処刑されてしまう
・李白も 数ヶ月の間、獄に繋がれたのち、流罪
・配流の途中、白帝城付近で 罪を許される
・このとき 「早に白帝城を発す」 を詠む
(画像引用 Wikipedia)
(白帝城の門。城自体は現存していません)
そして、最期の時が・・・
・赦免後、 再び各地を放浪 し詩作
・762年(宝応元年)の冬、 宣州で死去(62歳)
・ 死因:酒に酔って水面に映る月を捉えようと
船から落ち、溺死
(出典「新唐書」)
う〜ん。
いかにも作り話っぽいですが・・・。
「詩仙」の最期としては納得でしょうか。
ともかくここは
「 李白 」「 詩仙 」「 溺 死」
をつなげて
「 リハ苦 」「 C1000 で 溺れて !!」
で語呂合わせしておきましょう。
「リハーサルすら、苦しいんだ・・・。」
「元気出して!C1000ビタミン、溺れるように飲んで!!」
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感想(293件)
ちなみに杜甫も訳のわからない死を遂げていますので
「杜甫の死因は〇〇食べ過ぎ?」
https://fanblogs.jp/huun/archive/22/0
もご参照ください。