本日は山崎の戦い(天正10年6月13日=1582年7月2日)から442年後の日。つい1ヵ月前の羽柴秀吉は備中高松城の周りに堤防を造り始めたばかり。13日前は本能寺の変で、この日迄に明智光秀は朝廷工作をして安土城に行って信長の財産を分けてたのに対し、羽柴秀吉は毛利方と講和し大阪近辺の武将を味方につけてこの京都と大阪の境界の山崎まで軍勢を膨らませながら移動して来て天王山山頂を奪取した。
光秀は政治工作に終始してたのに対し、秀吉は軍事工作をしている。軍隊を動かすだけでも食事、移動手段、宿泊施設等の準備もあるし、大阪近辺の武将を味方にするにしても京都の情報を大阪付近で収集する以上に収集して武将たちを説得しないといけない。更に明智軍の動向も探知して軍事的に有利な布陣を敷いた。2週間足らずでコレだけの仕事が出来る組織は他になく羽柴秀吉が天下人になるのも「そうなりますよねえー。」という事だと思う。あと、政治は軍事になびく世の中なので軍事工作を優先した事も正解な気がする。さすが天下人。
2024年07月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12612379
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック