826年前の今日は和暦で建久9年12月27日(ユリウス暦1199年1月25日)で、源頼朝公が相模川橋供養から鎌倉に戻る途中に落馬したと言われる日。この2週間後に没する事となる。それ迄は源平合戦や朝廷工作で着々と武家政権を作り上げて、よくも自分の事しか考えないであろう武者達を操り纏め上げたと思うが、この日を境に鎌倉はドロドロの権力争いに入って行く。何の確証も無いが、頼朝を見ながら朝廷との付き合い方のコツを覚えた北条時政・義時親子が頼朝の身内というアドバンテージを無視して御家人と等距離を取ろうとする頼朝を疎ましく思って葬り去った気がしてならない。「もう頼朝は不要。後は俺たちでやる。」ってか。爺の妄想だが。。