そんなこんなで、カラト越えは、何となく足が遠のいて、ハイカーが来ないようなマウンテンバイク向きのコースをあれこれ物色してたわけで、
嵐山も渡月橋の方から、猿山で有名な岩田山を右に見ながら竹林の急坂をのぼって、尾根にそって苔寺のあたりへ降りていく細いルートがありますけど、
そこも試したけど、ほとんど走れる場所が無く、半分以上はかついで歩く感じやし、京都の山を網羅(もうら)する、北山トレイルというコースの一部にもなってて、基本、自転車お断りなわけで、
まあ嫌われたもんすね、マウンテンバイクも、
で、まあ、苔寺の奥の方へ、林業で使われる味気ないダブルトラックが伸びてるんで、ダメモトで、とりあえず行けるとこまで行ってみようと、
ダブルトラックってなんすか、
タイヤの跡が2本でダブルトラック、その半分以下のサイズがシングルトラック、
で、その味気ない林道の先はどうなってるんすか、
タヌキに化かされたように、同じ景色が延々とくり返される、ぜんぜんオモロ無い登りの砂利(じゃり)道を小一時間ほど修行僧のようにこぎ続けると、ようやく道が途切れて少し明るい広場に出て、そこからまったく砂利の無い赤土の出来たばかりの林道が続いてて、そこから風景は一変して、素晴らしい見晴らしが連続すると、
ダブルトラックのまますか、
そう、しかも視界をさえぎる木々をなぎ払って作られた林道なんで、とにかく見晴らしが良く走りやすい・・・とちゅう崖崩れで道の半分が削れてたりはするけれど、
どこまで続いてたんすか、
じわじわ登って、けっきょく行き止まりの地点は、その真下が、トロッコ保津峡駅というあたり、
じゃあ、そこからトロッコ保津峡駅へ降りると、
いや、一度試したけど、昼なお暗いスギ林で、走れる道も無く、急坂をかついで降りる地獄のようなつらい道やった、
じゃあ来た道を引き返すと、
それもそれで、つまらんし、それとなく行けそうな道を探したら、シングルトラックでええ雰囲気の道があって、なんやかんやで、嵐山まで尾根づたいに続いて、しかも、半分くらいは乗って進めるという、
最高やないすか、ガッツリ山の中を走って、そのまま住んでる嵐山へもどれるとは、
オマケに、平日なら、まったくハイカーとかぶることもないという、特典付き、
じゃあ、そのルートがホームコースというか、ハイカーに気がねせずに走れるマウンテンバイクコースになったと、
最初の味気ない林道は、ひたすらつらいけど、それが終われば、素晴らしい見晴らしと、シングルトラックの醍醐味が、両方味わえるし、なんといっても、山から降りてすぐ帰宅できるという、これ以上無い気楽さなんで、結局ここをいちばん走ることになったんやけど、
何をまちがえたか、そのコースの途中で完全な日没をむかえてしまったと、
秋の日はつるべ落としというけど、それにしても、なんで知り尽くしたルートなのに、とちゅうで真っ暗闇になることを予想できなかったか、
真っ暗闇になってから、ふもとに降りるとまでどれくらいかかったんすか、
渡月橋のにぎわいは聞こえてくるんやけど、まだまだ山の尾根道にいてるわけで、ほとんど何も見えない状態で、手探りで歩くようなペースなんで、
じゃあ、あせらずあわてず、ゆっくり降りてくしか無いと、
ところが、さいわい、目がだんだん慣れてくると、暗いところもだいぶ分かるようになってきて、とくに驚いたんは、月明かりのおかげでこれほど視界が確保されるのかと、
ふだんは味わえない、体験すね、
月明かりをたよりに、武蔵が夜中も山中を歩き続けるシーンが、吉川英治の小説「宮本武蔵」の中にあるけど、やっとその意味が実体験として分かったような、
心霊的な恐怖とかは、
そういうのにびびる余裕も無い状況なんで、とにかくころんでケガせんように、ふもとまで安全に降りることだけに集中してたんで、意外と怖くなかったし、むしろ尾根道から不意に視界が開けて、渡月橋あたりの夜景が見えた時は、とりわけ美しかったなあ、
ちなみに、当時は何歳すか、
40代後半・・・フリーターで、平日は午後三時、土曜は正午に退社してたんで、きっと平日を土曜と勘違いしたんかも、
まあとりあえず、大きなケガも無く、無事に帰宅できたと、
自転車をかついで、進路をふさぐ巨大な岩を半周したり、あちこち、大ケガに結びつくような危険な場所があって、けっこうびびりながらも、雰囲気のある尾根道が楽しかったなあ、
まあ、できるだけ1人で入山しないのがベストですけど、
たしかに、何が起こるか分からんし・・・それに、10年以上もたって、今では山も、だいぶ様変わりしてるわけで、トライされる場合は、くれぐれも、状況判断をしっかりして、撤退の勇気を持参の上、入山していただきたい、