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「毎日更新」読レポ第2124承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑪「自分は被害者」だと思ってしまう心のクセ(被害者ロール系)〇愛着障害もどきは1億人? 最近、愛着障害やアダルトチルドレンに関する関心が高まり、多くの人が「親から愛されていないから幸せになれない」と考えがちです。本当の愛着障害は少数派ですが、「愛着障害もどき」と呼ばれる心の絆を築けない人は多く存在します。彼らは他人との距離感が上手く調整できず、自己診断で愛着障害だと思い込むことがあります。 愛着障害に関する本を読むと、多くの人が自分は愛着障害でないと感じ、その原因を親に求めるようになることがあります。このようなトラウマ理論は一時的には役立ちますが、「自分は愛されていなかった」という考えに固執してしまい、親を恨むことで人生が変わらなくなる危険性があると筆者は述べています。 私は、愛着障害(愛情障害もどき)やアダルトチルドレンに関しては、いつまでも親も子も精神的に自律していない現象ではないかと思う。お互いが一人の人間として、尊重しあうことが大事です。 よくあるのは、親が子ども境界線に土足で入ってしまい、子どもが自分で決めることに親が境界線を越えて入り込むことです。、無意識だろうが、親が子ども支配してアダルトチルドレンになることがあります。それは、過剰な子どもへの愛情です。それにともない、子どもは「愛されたい」という気持ちが強くなります。「愛されたい」という気持ちに依存していくのでしょう。親の過剰な愛情の背景には、「寂しさ」が潜んでいる場合があります。 そのアダルトチルドレンになった子どもは気づくと、場合によっては、親を恨むことに固執してしまうこともあります。 愛着障害(愛情障害もどき)やアダルトチルドレンには、まずは、過去を手放す心の量稽古のトレーニングです。過去を手放すことで、つぎは孤独力を磨くことで自分らしい自分軸の人生になって行きます。
2024.09.30
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「毎日更新」読レポ第2123承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑪「自分は被害者」だと思ってしまう心のクセ(被害者ロール系)〇トラウマやアダルトチルドレンに気づく意味 幼少期のトラウマやアダルトチルドレン(AC)としての気づきは、自己理解を深める重要な意味を持ちます。 親の突然の怒りやネグレクトを経験したことで、自己の苦しみの原因を認識し、それに名前を与えることで心が軽くなることがあります。これらの気づきは、自分の悩みの起源を理解する手助けとなり、心の癒しに繋がるといえます。 私も、上記では無いが、昔から国語や英語などの文章・文字が苦手で誤字脱字や文章がぐちゃぐちゃでした。「自分は、馬鹿なのかと、自分を責めていた」。それが、大人になって若い国語系の教員に出会い、その事を話したら、「あなた、もしかしたら語学系の『学習障害』じゃないかしら」と言われて、インターネットで検索して、簡易テストしたら、やはり語学系学習障害でした。 著者の言っているように「自己の苦しみの原因を認識し、それに名前を与えることで心が軽くなることがあります。」は、私も軽くなりました。自分を責める、否定することが減少していきました。 その減少、軽くなるには、ありのままの自分を受け入れる自己受容感が必要です。 軽くならないで、よけい自分を責めたり、否定したりする人もいます。そのような方は、心の量稽古のトレーニングが必要です。その自分を責めたり、否定を手放すためにも!
2024.09.29
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「毎日更新」読レポ第2122承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑪「自分は被害者」だと思ってしまう心のクセ(被害者ロール系) 「被害者シンドローム」とは、特に20代や30代の人々に見られる現象で、多くの人が自分を「被害者」として捉え、その視点からしか物事を考えられなくなっていることを指します。この傾向は、人生を狭め、質を低下させる原因となっています。 具体的には、「自分が被害者だ」と感じることが癖になり、その結果、事実よりも心のクセとして物事を受け止めてしまうことが問題とされています。 私は、「被害者」として捉えたことは、なかったと思う。ですが、他者が「被害者」として捉えて、自分に対して、「加害者」と捉えて、影で悪口を言っている。事実ではないのに本人は「被害者」と捉えている。その他者は、20代や30代よりも上の身近な人ですが。 著者の言うように、心のクセとして物事を受け止めてしまっているのでしょう。その心のクセは、他者の問題なので、他者の問題は他者の問題などで、背負う必要はありません。その心のクセは、本人が気づかないかぎり、行動を変えないかいぎ、心のクセは治りません。 本人が、心のクセに気づくには、時間がかかります。見守って、自分は他者の心のクセへの執着心を手放すことです。 仏教用語の四無量心の「捨」での相手の人生の浮き沈みを、良い意味での自業自得の視点から、適切な距離から見守ることです。
2024.09.28
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「毎日更新」読レポ第2121承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑩人を愛するのが怖い…という人たち(愛し・愛され苦手系) この文章では、現代の20代・30代が抱える「愛することができない」という悩みについて語られています。人々は愛し合うことを恐れ、傷つくことを避けるために、最初から愛することを諦めがちです。具体的な例として、告白して付き合った相手と幸せな時を過ごしていたが、終わりを想像することで不安になり、自ら別れを告げる人が紹介されています。この現象は「傷つき回避症候群」と呼ばれ、承認欲求が強く、傷つくことや認められないことを極端に怖れてしまう結果だと言われています。 著者は、たとえ傷ついても愛し愛される関係を求める強い心を持つことが重要だと強調しています。愛し合うことができない人生は寂しいのではないでしょうか。承認欲求を低減させることこそが、人と愛し合うための基礎能力であると述べています。 私も傷つくのを恐れています。それは、本来もっている、動物の回避や防衛本能です。この場合は、過剰な「先読み症候群」でもあるように見えます。日本人は、相手への思いやりから先読みしすぎる傾向があります。これは、20代や30代だけではありません。40代も50代も60代もすべての大人にあると思います。 傷つきたくないこともあるし、他者を傷つけたくないとの思いもあり、過剰な先読みをする傾向があります。そのような、過剰な先読みをして悩みを大きくしている人もいます。 未来などは、やってみないとわかりませんから、過剰な先読みを手放すことです。どのみち、最後は一人で天に登るのですから。 過剰な先読みから、卒業するには、普段からどこに心のフォーカスしているかで卒業できます。その一つがある程度の孤独力を磨くことです。強い心を持つことです。 もちろん、人への思いやりも大切です。まずは、自分の心を強く持ち、承認欲求を手放して、自分の心を満たして、自分を大切にすると他者へも自然に大切にできるようになります。自分軸で生きることです。
2024.09.27
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「毎日更新」読レポ第2120承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑨自分にダメ出しをしがちで自己肯定感をもてません(自己否定系)〇「何不自由なく生きているように見えるかもしれない。なのに悲観的にばかり考えてしまう」と悩んでいる人。 「くよくよと悲観的に考えるクセ」は認知行動療法で「自動思考」と呼ばれ、無意識的に考えが湧き出てくることを指します。この考えすぎは「考える病」とも言われ、心の健康に影響を及ぼすことがあります。対処法として、自分の考えに「考え君」という名前を付け、あたかも友達のように接することで、その思考を軽くすることをお勧めします。「考えてはいけない」と考えると逆効果になるため、出てくる考えをただそのままにしておくことが重要です。これにより、考えすぎの悪循環から解放されることが可能になります。 私も、過去に「考える病」でした。他者の問題まで自分で背負い、「どうしたらいいか」と悩んでいたが、他者の問題は他者の問題で、他者が決めること徐々にスモールステップで認識できるようになっていった。 例えば、母が「親族の○○が、あなたのことを□✕✕と言ってるわよ。あなた何とかしなさい」と言われるが、私は「○○さんの問題でしょう、誤解や勘違い、思いこみも、○○さんの問題で私の問題では、ないですよ」、「私の問題では、ありません。○○さんの問題ですから、本人の問題ですから。私が背負う問題ではありません」と考えるようになり、他者の問題を背負うことがなくなりました。 もちろん、自分の悩みはありますが、自分の行動で変えて悩みを解決や低減できる自分になりました。他者の問題は、他者自身が行動しなけければ、問題や悩みは解決や低減はしません。 もちろん、他者が私や他の人に相談などをすることでの頼る行動は問題や悩みの解決や低減につながりますが。 本人の問題や悩みは、本人が行動することです。本人自身が他者に頼るのもOK、助けを求める行動もOKです。
2024.09.26
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「毎日更新」読レポ第2199承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑨自分にダメ出しをしがちで自己肯定感をもてません(自己否定系)〇「いけないこととわかっていても、自分の欲望に勝てずにいる自分」に苦しんでいる人 この文章は、人間が欲望と理性の間で葛藤し、悪循環に陥る様子を描写しています。レポート作成やダイエット中にも関わらず誘惑に負ける自分を責めることで、さらにストレスが増し、自己否定が進むことに触れています。 解決策として提案されているのは、「ただ、そのままにしておく」心の持ち方を習得することです。つまり、欲望に負けた自分やそれを責める自分を受け入れ、無理に戦わずに観察することで、悪循環から抜け出すことができると述べています。 私も、自分の中にいる自分の欲望に誘惑されることがあります。その自分と対話して、ただその誘惑する自分を受容しています。否定しないで、ただ自分の中にある自分の誘惑を受け止めるトレーニングをしています。 誰にでも自分の中に欲望の誘惑はあります。その欲望の誘惑を否定しないで、ただ受け止めることです。そのトレーニングの習慣をすることです。 欲望をどう受け止めるかで、どこに欲望に対してフォーカスするかで自分の成長につながります。自己否定はいりません。自分の心を平静に穏やかにすることです。心を整えることです。 それが、自分の欲望に勝てずに苦しんでいる人が卒業できる、一つです。 まずは、自己否定しないで自分の心を平静に穏やかにすることです。
2024.09.25
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「毎日更新」読レポ第2198承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑨自分にダメ出しをしがちで自己肯定感をもてません(自己否定系) 承認欲求に縛られていると、自分を他人と比べて否定的な評価をしがちです。これにより自分へのハードルが高くなり、日常の小さな幸せを見逃すことになります。 幸せのハードルを下げるためには、日常の中で「小さな幸せ」を見つけることが重要です。 例えば、誰かに微笑まれたり、天気が良かったりすることに目を向けることで、脳内の幸福感が高まり、幸せ度が上がります。幸せになるのが上手な人は、どんな小さな良い点を見つけるのが得意な人です。 私も以前は、自分が他人や世間と比べて否定的な見方をしていました。日本の学校や家庭、職場で他者や世間と比べて否定的な見方の呪文にかけられていたからです。これは、昭和からの無意識な世代間連鎖だと思う。 その呪文を解くには、自分の見方を変えることです。普段と違うところへの見方へのフォーカスチェンジをすることです。 例えば、歩道の隅にある雑草と思っている小さな植物の花にフォーカスしたり、お空をみて空に浮かんでいる雲にフォーカしたり、夕焼けを見たりする量稽古して、小さなことにも幸せと思う量稽古のトレーニングをすることです。 それが、やがて「小さないいところ探しが上手な人」になり、自分の心の中が幸せ感で満たされます。毎日の日々が幸せになっていきます。過剰な承認欲求から卒業していきます。
2024.09.24
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「毎日更新」読レポ第2197承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑧自分に自信が持てません…(自己実現系) この文章は、「自分探し」や「自己実現」のブームが終わった理由と、その後の考え方について述べています。著者は、多くの人が自信を持てず、自分の「らしさ」を求めるあまり悩んでいることを指摘しています。自己実現は結果であり、目指すべき目的ではないと心理学者の一人で、『夜と霧』の著者として有名なビィクトール・フランクルが主張し、内省をやめて無我夢中に取り組むことが重要だと説いています。 著者自身は、「自分らしくある」必要はなく、自分は「容れ物」であり、使命を果たすことが大切だと感じています。自分の役割を果たすことで、自然と「私らしさ」が形成され、幸福も生まれると結論づけています。 私も、以前は子供のころから大人の30代までは自分には自信がなかったです。自分の中に「使命・天命」が降りてきた。自分にふり降りてきた使命・天命(自分の中の衝動)に無我夢中で取り組んでいたら、自分らしいものが出来てきた。自分らしい環境教育アクティビティができるようになった。 その結果、知事からも、環境大臣からも表彰されるほどになった。 ここで著者が言ってるように「自分らしくある」必要はないと私も思います。自分らしいのは「結果」です。まずは、行動することです。いつまでも頭の中でぐるぐると巡らすよりも行動のスモールステップです。
2024.09.23
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「毎日更新」読レポ第2196承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑦親の顔色をついつい見てしまいます…(ご機嫌うかがい系)〇「普通に生きろ」という呪文を親にかけられて… 親が「普通の人生を送れ」と繰り返し求めることは、毒親、つまり過剰な親の愛情の特徴であり、その影響から自分を解放する必要があります。良い親は「自分らしく人生を生きろ」と励ましてくれるべきです。 「普通」という概念は存在せず、他人の期待に縛られず、自分自身の生き方を大切にすることが大切です。 私も過剰な親の愛情が、子どもを縛りつけて、親の価値観を押しつけてくると思う。親の過剰な愛情の背景の一つが、親の無意識な寂しさが潜んでいると思う。親が子どもを手放すことです。もちろん、小さな頃は、親の保護も必要ですが、子どもを支配してはいけません。成長するに従いお互い尊重して行くことです。 親は、自分の自分らしい目標を見つけることで、子どもへの過剰な愛情を手放すことができると思う。 そして、親から解放されて子どもは自分らしい自分軸で生きることができます。 親からの「普通に生きろ」などという呪文から解放されて行きます。
2024.09.22
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「毎日更新」読レポ第2195承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑦親の顔色をついつい見てしまいます…(ご機嫌うかがい系)〇「家族の中で、自分だけが劣っていると感じる」パターン 「優秀かどうか」は他人ではなく、自分自身が決めるべきであるという考え方が述べられています。自分が目指すものに必要な能力を持っていれば、それが優秀さの基準となります。他人と比べることは幼稚で、17歳以上になったら、自分自身の基準を持つべきだと提案しています。物差しを持つことで劣等感を克服できるとも言われています。 私も、優秀とかは、、自分の目指す物を持って、他者と比べないで自分の物差しを持ち、自分は物差しのどこにいるかで、自分を判断して優秀かを決めればいいと思います。 他者とついつい比べるのは、子どものころの学校や親から呪文をかけられているからだと思う。他者と比べることを手放すことです。 それは、自分軸になるトレーニングです。その一つが、孤独力のトレーニングの量稽古です。他者と比べることを手放すことです。
2024.09.21
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「毎日更新」読レポ第2194承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑦親の顔色をついつい見てしまいます…(ご機嫌うかがい系) 親が子どもに対して気持ちによって認めたり認めなかったりすると、子どもは常に親の機嫌をうかがうようになります。このような親は「毒親」と呼ばれ、特に「かくれ毒親」は、表面上は子どもの自由を尊重するような言動をしながら、実際には子どもを心配したり干渉して、自分の意見を押し付けることがあります。 「かくれ毒親」は主に、恋愛や進路について心配を装って口出しし、子どもが自由に選ぶことを妨げます。このような育て方を受けると、子どもは親の期待を重視し、自分の考えが持てなくなり、劣等感を抱くようになります。 この状況に気づいた人には、自分の存在理由を再確認するための言葉が重要です。「私は、親の期待に応えるためにこの世に生まれたわけではない」と繰り返し、自身の人生を受け入れることが大切です。親と自分は別々の存在であり、自分には自分の人生があることを理解することが必要です。 私も日本には、多くの 「かくれ毒親」がいると思う。有名小学校受験や有名中学校受験、有名高校受験など、親の期待に応えて子どもは、子どもらしい時間、自分の時間を削って親の期待に応えようとしています。 一部の親は、子どもが期待に叶わなかったら、子どもを激しく𠮟責する毒親もいます。そのために、子どもの一部は、引きこもりや精神疾患になってしまう人もいます。なかなか、そのような状態になると他人軸で生きているから、抜け出しにくいです。 著者が言っているように、自分に対して「私は、親の期待に応えるためにこの世に生まれたわけではない」 「親は親。私は私」「私には私の人生がある。親には親の人生がある」と声にして行くトレーニングをしてください。量稽古していくうちに、徐々に自分軸になって行きます。これは、自分の言葉で自己暗示します。
2024.09.20
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「毎日更新」読レポ第2193承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑥ほめてくれない、認めてくれない(組織での報われない系) この記事では、集団や組織で「報われない」と感じる人々の悩みについて考察されています。以下のポイントが挙げられています。1.自己評価の重要性: 自分が一所懸命頑張っていると思うなら、他人との比較は不要であり、自分自身を褒めることが大切です。周囲からの評価に依存せず、自分の価値を認識しましょう。2.相性の問題: 上司や先生との相性が合わないことがあり、それは単なる「運」の問題です。自分を責めるのではなく、自分を理解してくれる人がいる環境に移ることが推奨されます。3.環境調整の重要性: 自分を変えようとせず、自分の「居場所」を変えることが必要です。報われる集団や組織に移ることで、自己価値が認められる可能性が高まります。4.他者へのサポート: 助けた相手から「ありがとう」と言われなくても気にしないことが重要です。相手は困難な状況にあるため、感謝の言葉を言う余裕がないことが普通であると理解しましょう。5.思考の歪み: 自分の考え方や捉え方が歪んでいると、悩みや不満が生じるため、認知療法を通じてその歪みを修正することが求められます。全体として、自分自身の価値を認識し、環境を見直すことが重要であると述べられています。 よくあるのは、私も、1の周囲からの評価に依存せず、自分の価値を認識していないで、「報われない」と感じる人々に悩む人が多いと感じます。 学校教育で他者と比較の呪いにかかっているからだと思う。周囲の人と比較されるからているから、習慣化しているからだと思う。 もちろん、2の相性もありますが。 いつまでも、周囲の人と比較していると「ほめてくれない、認めてくれない」病から脱け出せません。周囲の人と比較することを手放すことです。
2024.09.19
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「毎日更新」読レポ第2192承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち⑤いつもひとりぼっちでこどくです…(疎外系) 疎外感を感じることがあるとき、自己責任に思いがちですが、実際には「環境との相性」が大きな要因です。大学の学部によって学生の雰囲気が異なり、個性を尊重する環境もあれば、同調圧力が強い環境もあります。自分が合わない環境にいると、「自分ひとりぼっち」と感じやすくなりますが、無理に周囲に合わせる必要はなく、より合う場所を探すことが大切です。 カウンセラーとして不登校の子どもを支援してきた経験から、精神年齢が周囲と異なる子どもが不登校になりやすいことがわかります。精神年齢が幼い子や大人びた子は、同世代との調和が難しく、居心地の良い環境を見つけることが重要です。自分に合ったレベルの人たちがいる場所に行くことで、安心感を得られるでしょう。 私も若い時は無理に周り合わせていた時期がありましたが、合わせていくと、他人軸で他者の様子を見ながらの時期がありました。でも、今は自分軸で自分らしく生きています。たまに、干渉する人がいますが、そのような人は自然に距離が離れていきます。 お互い合わない人もいます。お互い尊重して、対話を重ねても、合わないなら、距離をおいてOKだと思います。 どちらが、悪いとか、違うとかはありません。 また、著者の言っているように、精神年齢が幼い子のような大人もいます。大人でも様々な受け取り方のレベルの人もいます。合わないなら、距離をおくことを進めます。 だって、自分の人生は自分の物ですからね。自分らしく自分軸で生きることが、豊かな人生になると思います。自分の心を満たしてくれます。 昨日(9月17日)のクローズアップ現代での「ミッドライフクライシス “人生の曲がり角”をどう生きる」の番組をやっていましたが、一つには、自分軸がしっかりもっていれば、越えられます。 そのためにも、私はある程度の孤独力を育てることです。そうすると、自分軸が育っていきます。
2024.09.18
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「毎日更新」読レポ第2191承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち④他人の目が気になって仕方がない(対人不安系) ご自身の不安や人前で話すことへの苦手意識について、非常に共感できる内容ですね。アルバート・エリスの提案するトレーニングは、一種の逆境体験を通じて自意識過剰を和らげる方法です。恥をかくことを恐れずに、周囲の反応に対する恐れを減らすための実践的なアプローチは、多くの人にとって有効だと言えます。具体的には、以下のようなステップで進めてみると良いでしょう。1.小さな挑戦から始める: 自分が恥ずかしいと感じることを少しずつ試してみましょう。例えば、変わった色のソックスを履くことから始めてみるなど、ご自身が周囲の反応を観察します。2.意識を他者に向ける: 自分が気にしていることに集中するのではなく、他の人との関係や会話にフォーカスを移すことで、自身の不安を軽減できます。3.自己受容を促進する: 自分の失敗や恥ずかしい経験を受け入れ、それを笑い飛ばせるようになることが大切です。失敗は誰にでもあることだと理解することが、心の負担を軽くします。4.継続的な実践: 1回の経験では不安がなくなるわけではありません。継続して試みることで、少しずつスモールステップで心の強さが増していきます。トレーニングを通じて自信を高め、対人不安を克服していくことができるでしょう。焦らず、自分のペースで進めてみてください。 私もかっては、高校生時代には、「他人の目が気になって仕方がない(対人不安系)」でした。それは、「いじめられるのでは、危害を加えられるのでは」などと恐れたからでした。 その恐れは、自分が勝手に作りだした、怯えのような気がします。 上記の1~4のトレーニングの量稽古をすれば、徐々に自意識過剰が和らいでくると思う。自意識過剰のフォーカスからスモールステップで手放すことです。
2024.09.17
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「毎日更新」読レポ第2190承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち③「傷つきたくないから同調圧」してしまう…(傷つき回避系) 多くの若者は「ディスられるのが辛い」「傷つきたくない」と感じており、そのために言いたいことを言えず、人との衝突を避ける傾向があります。 このような心理が働くと、表面的な付き合いになり、ストレスがたまることになります。心の中では不安を抱えながらも、周囲に合わせて無理をすることが多く、「嫌われたくない」という思いが根底にあります。 この状態から解放されるためには、「傷ついても嫌われても構わない」という心の余裕が必要です。 私もかっては、「傷つきたくない」「怒られたくない」と、まわりの様子を見ながら、おどおどして、言いたいことが言えない時期がありました。 それがストレスとして、若いサラリーマン時代は、20代から30代は、うつ病と十二指腸潰瘍に悩まされていました。 勤め先と全く関係ない人との出会いで、今では、師匠と思っている人に出会い、私を尊重してくれる人で、今思えば、怯えることもなく心が安定していったとおもう。 だから、今はほぼ「嫌われても構わない」と言う心の余裕があり、ある程度の孤独力が身につき、教育系NPO法人活動の代表を20年もやりつづけています。代表や社長、役員は、 「嫌われても構わない」と言う心の余裕がないとやれません。 私には、沢山の私を尊重してくれる師匠と言える人がいます。また、NPO法人の仲間たちも同じようにお互いに尊重してくれます。言いたいことを言える関係です。否定などは、いりません。 お互いに異なる事でも尊重しあえることが、心を満たして、心が安定してストレスもそんなに抱えることは、無くなっていくと思います。ビーイングになって心を満たして豊かな人生になっていくと思います。
2024.09.16
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「毎日更新」読レポ第2189承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち②どちらが上かが気になって仕方ない…(「マウントとられた」系)〇SNS時代の心のスキーマ SNS時代のスキーマを理解することは、上の世代と若手の双方にとって重要です。世代間のギャップを埋めるためには、若手の用語や心の在り方を理解し、お互いに学ぶことが必要です。「ディスられた」「マウントとられた」といった言葉は、現代の心の在り方を反映しています。また、自分を傷つける役割(ロール)に陥ることが多く、これには「傷つきロール」や「被害者ロール」が含まれます。 こうした現象は、現代人特有のメンタリティを示しています。 確かに私も若手との用語や心の在り方を理解して行くことが必要だと思う。お互いの心の在り方の違いを理解して尊重し合える社会へと進んでいく必要があると思う。 私の子ども時代とは、若手の子ども時代の環境は違い、ネット時代でのSNS時代で育っているので、一部の若手は、過去の経験によって形成される価値観や信念でのスキーマによて、「ディスられた」「マウントとられた」といった言葉となどと受け取り無意識に自分を傷つられたと感じる事に陥ることがあるうようだ。 私の世代では、そのような、「ディスられた」「マウントとられた」といった言葉など知らないし、そのように、自分を傷つけられたと捉えて感じた事の感覚・認識はありません。 SNS時代の特有のものかもしれません。 今年、こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習に受講したが、「ディスられた」「マウントとられた」といった言葉などを無意識に感じて自分を傷つられたと感じる若者がいる事を感じた。 若手とコミュニケーションをする上では、若手との用語や心の在り方を理解して行くことが必要なようです。 幸いにも、私の周りの親しい若手には、、「ディスられた」「マウントとられた」といった言葉で無意識に感じて自分を傷ついたと感じている人はいないように思う。
2024.09.15
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「毎日更新」読レポ第2188承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち②どちらが上かが気になって仕方ない…(「マウントとられた」系)〇プライドの高さは傷つくやすさの裏返し 最近、若手社員がプライドが高いために関わりづらいという相談が増えています。特にベテランや中堅が、20代・30代の若手との関わりに困っている様子が見受けられます。 このプライドの高さは裏を返せば傷つきやすさを示しており、アドバイスを受けることに敏感で「マウントを取られた」と感じやすい傾向があります。 対照的に、50代や60代はこのような認識が少なく、理解が難しい状況です。つまり、世代間で心の基本的なスキーマが異なるため、若手との良好な関係を築くためのアプローチが重要です。 私は、20代・30代の若者のプライドの高さを感じたことはないです。それよりも、40代・50代のなどの中堅どころの一部が、高学歴者の扱いを重視しているように感じます。「自分は、高学歴ではない」と卑下する人もいます。 すでに学歴社会などは、終わっているのにその認識がないように感じます。10年前に習った事は古いです。つねに学びのアップロードが大切です。 幸いにも今は、インターネットを活用すれば、無料の講座もあり、学びの機会は増えています。 私の尊敬している、現役の高校の教員は「学びつづけていない教員からは、学ぶものはない」とおっしゃっています。その教員はつねに学び続けています。 私は、40代・50代などの中堅どころの一部の、高学歴者の重視のプライドを手放すことが必要だと思う。
2024.09.14
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「毎日更新」読レポ第2187承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち②どちらが上かが気になって仕方ない…(「マウントとられた」系) 「マウントとられた」という言葉は、SNSの影響で人間関係を上下関係で捉える習慣を生んでいるという指摘があります。この結果、他者とのコミュニケーションが「主導権」を争うものになり、会話の内容よりも勝ち負けが重視される傾向が強まっています。 最近、心理学を学んでいる30代後半の方が、友人とのお酒を飲んで「どちらが主導権を握るか」という視点でしか捉えられず、それが寂しい人生だと感じました。 こうした考え方では、こじんまりとした人生しか生きられないとも思うと述べています。 最終的には、「マウントをとられても気にしない姿勢」を持つことで、この問題は気にならなくなると提案されています。 私は、これは、政治の与野党での世界でも「どちらが、主導権を握るか」の争いに見える。日本の持続ある未来についての議論がないように見える。まさしく、今与野党で「マウントとりあ」が始まっているように思う。 だから、「マウントとりあ」に若者の一部は、うんざりしているのかもしれない。私も与野党の「マウントとりあ」に、うんざりしている。 これは、SNSが現れる前からあります。「マウントをとられても気にしない姿勢」で与野党も日本の建設的な持続ある未来で議論してほしい。
2024.09.13
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「毎日更新」読レポ第2186承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第3章 承認欲求に振り回さている、こんな人たち①「いいね」がつかなくて不安です…(SNS系) SNSでのコミュニケーションに苦手意識を持つ人に対するアドバイスが述べられています。まず、もしSNSでの「いいね!」が不安の原因なら、できるだけSNSを避けることを勧めています。また、自分がSNSが苦手であることを素直に伝えることが大切だとされています。特にLINEに関しては、意味不明なスタンプを送って誤解を招くことは避けるべきです。 さらに、他人からの評価を求めることは自然ですが、それに依存しすぎると自分を苦しめることになると警告しています。「いいね!」や称賛を求める気持ちは理解されるものの、最終的には自分を大切するために又は自分の大事なことを成し遂げるためには、「まわりからどう思われても、かまわない」という覚悟が必要だと結論づけています。 私も、以前はFacebookをやり始めた頃に、「いいね」を付けてくれた人たちの投稿を全部みて「いいね」をつけていて、何時間も自分の時間を費やたことがあり、クタクタに疲れたことがある。自分の中に「いいね」をつけてくれた人への御礼をしなきゃと思う気持ちがあったからです。 友人から「そんな、御礼で全部見る必要はないよ」「あいては、気軽に「いいね」を付けている人もいるので」「Facebookを開いたときに出会えた人だけ、見ればいいじゃないかね」との言葉から、自分は、2ケ月ほどFacebookをお休みしていました。 きっとFacebook(SNS)に依存していたのかもしれません。ここでの著者の指摘の「いいね!」の不安では、無いが、多くの人とつながていたと言う依存の多少は、承認欲求があったのであろう。でも、少し友人からの言葉から、SNSからとうざける期間を設けて、依存から卒業できたとおもう。誰だって、多少の承認欲求はありますからね。多少の承認欲求はOKだと思います。 過大な承認欲求から卒業するには、「まわりからどう思われても、かまわない」という気持ちの小さな覚悟の勇気が必要だと思う。 この読書レポートも、自分のための学びのインプットアウトプット学習のためが中心です。また、誰かのお役に経てばとも思っています。 「いいね!」がFacebookでは、0や2,3ですがね。そんな「いいね」を気にせずに毎日投稿して2186日で約6年近くなりました。習慣になりました。 「まわりからどう思われても、かまわない」という気持ちの小さな覚悟の勇気があれば、自分らしい”自分軸”で生きることが出来ると思います。自分の人生が豊かな人生になり、自分の存在の「ビーイング」で心を満たしてくれます。 SNSが悪いのでなく、SNSを使う人の気持ち次第です。SNSをどうとらえ、受け止めるかだと思います。上手くSNSを使えば、地域を越えて多様性のある人たちと出会いコミュニケーションが出来て、自分の視野を広げることができます。
2024.09.12
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「毎日更新」読レポ第2185承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑩心理学で世界が変わる〇ビーイングがカッコいい社会」へ この文章では、現代社会における「ビーイング」の重要性と、それによる集合的な変容の必要性が語られています。著者は、現代人が「クレクレ族」となり、他者からの承認や愛を求める姿勢が広がっていることに疑問を呈し、それを捨てて自分の使命に没頭することが「カッコいい」とされる社会の実現を目指しています。 具体的には、個々人が自己変容を遂げ、小さな悟りが連鎖することで、精神性の飛躍的な向上が可能になると述べています。心理学を通じた心の革命が、承認欲求や自尊欲求からの解放を促し、最終的には「ビーイング」に生きる社会へと変わることが求められています。 著者は、日本人の精神性の向上を目指し、力を合わせてこの変革を実現したいと強調しています。 確かにこれからは、私も自分の存在の「ビーイング」の重要性の時代だとおもう。ほとんどの人は、無意識に他人や世間に振り回されている「他人軸」になって、承認欲求や自尊欲求が高まり無自覚に「クレクレ族」の傾向に私もなっているように思う。私もかっては、「クレクレ族」になっていたと思う。 これからは、スモールステップでの山あり谷ありの量稽古で「自分軸」に変化が必要です。有限な人生を自分らしく生きるためにも、自分の存在の「ビーイング」で心を満たす時代にして生きたものです。
2024.09.11
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「毎日更新」読レポ第2184承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑩心理学で世界が変わる この文章では、マズローの理論に基づき、精神性が上位1%の人間(存在欲求で生きる人)になるためには、自尊欲求や承認欲求から解放されることが重要であると述べています。特に、社会の中で悟りを得ることが難しいことを示す例として、ある日本の僧侶がアメリカで不遜な振る舞いをしたことが挙げられています。このような行動は、承認や尊敬を求めるプライドから来るものであり、真の悟りを示していないと批判されました。 現代社会で強い心を持つためには、「どう思われてもかまわない」という姿勢を養い、自分の使命に没頭することが必要です。具体例として、豆腐職人が美味しい豆腐を作ることに専念する姿や、自分の著作やカウンセリングに取り組む姿が挙げられ、これが存在欲求で生きることの具体的な表れであるとされています。最終的に、マズローの「ビーイングの欲求」にシフトすることが、小さな悟りを得るために必要だと結論づけています。 私もマズローの理論に基づき、存在欲求で生きる人になるためには、自尊欲求や承認欲求から解放されるために、量稽古しています。自尊欲求や承認欲求から解放されて自分の存在欲求で生きるために残りの有限な人生を生きてます。 幸いにも、数々の存在欲求で生きる師匠に出会えて、その背中を見ながら自尊欲求や承認欲求から解放され自分らしい人生を歩んでいます。 この本とこの本の著者に出会えたからでもあります。 自尊欲求や承認欲求から解放され「どう思われてもかまわない。私のプライドなんか大事にしてくれなくてもかまわない。認めてもらえなくてもかまわない」自分らしい人生を歩みましょう。 「どう思われてもかまわない。私のプライドなんか大事にしてくれなくてもかまわない。認めてもらえなくてもかまわない」なるためには、一つは私は、「孤独力を磨く」ことも必要だとおもう。 そこには、ウェルビーイングがあります。
2024.09.10
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「毎日更新」読レポ第2183承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑨「クレクレ族」からの脱脚 自己肯定感のブームの中で、深い自己肯定感と浅い自己肯定感の違いが重要です。「自己肯定感がない」と訴える人は、他者からの認められることや愛情を求め、自分を肯定できないと感じています。このような欲求は自然なものですが、行き過ぎたものを「クレクレ族」と捉え、他者に依存する姿勢が日本全体の民度を低下させていると思われています。解決策としては、他者から大切にされることや認められることを求めず、自分自身で心の平安を保つ心構えを持つことを提案します。これにより、より幸せで平安な心の状態を実現できるかもしれません。 私も自己肯定感ブームで様々な自己肯定感の本を読んだり、オンライン講座に受講しましたが、私は、中島輝氏の6つの自己肯定感をベースにしています。1、自尊感情:自分には価値があると思える感覚。2、自己受容感:ありのままの自分を認める感覚。3、自己効力感:自分はできると思える感覚。4、自己信頼感:自分を信じる感覚。5、自分決定感:自分で決定できるという感覚。6、自己有用感:自分が何かの役に立っているという感覚。この6つの自己肯定感にフォーカスチェンジすることで、「クレクレ族」から卒業できると思う。 特に「自尊感情」が大事です。まずは、しっかりした自分の存在には価値があると思える感覚を磨くことです。 中島輝氏は、これを木の根っこに例えています。根っこがしっかりはっていたら、倒れることはありませんから。
2024.09.09
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「毎日更新」読レポ第2182承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑧現代人がとらわれている2つの心の穴〇承認欲求は悪者ですか? 承認欲求は悪者ではなく、自分の人生を豊かにするための手段として重要です。しかし、目的と手段を混同してはいけません。目的は人生を幸せな自分らしく生きることであり、山あり谷ありを楽しむことであり、認められることはそのための手段に過ぎません。認められること自体を目標にすると、手段のために生きる人生になってしまい、時間とエネルギーの無駄になります。認められるための人生はやめるべきです。 私もこの日本では、目的と目標、手段がごちゃ混ぜになっていると思う。 例えば、学校教育などは、これからの日本を幸せな社会を作っていく大人を育てるのが目的であると思うが、学校ごとに目標が掲げられているが、実際は、テストの点数をとるのが目標化している。 テストで他者よりいい点数をとり、いい有名学校に入り、いい大企業に入ることが幸せとまだ、昭和時代が連鎖してると思います。 テスト点数がとれたことを認められたいと肥大化していると思います。他者と比べない、あるスキルの物差しでの自己獲得の物差しが本来はテストなのですがね。 私は社会人になってから、電気技術者に関わる資格をとりましたが、それは、その電気の取り扱いや設備の扱いのレベルが達しているかで、他者とは比べていません。 学校教育もレベルに達しているか、自分のレベルの位置を確かめるためのものだと思います。これからの日本も他者と比べず、レベルの位置を確かることや非認知能力の創造性にシフトして欲しいと思う。
2024.09.08
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「毎日更新」読レポ第2182承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑧現代人がとらわれている2つの心の穴〇「承認の穴」と「自尊の穴」 現代人が精神的に低迷している理由は、承認欲求と自尊欲求という2つの「心の穴」にとらわれているからです。これらの欲求は、他者からの認知や自分のプライドを守りたいという思いから生じます。マズローによれば、これらは欠乏欲求の一部であり、現代人はこれを満たすために必死に生きています。この結果、心の中は常に不安定で、平安を欠いた状態にあります。承認と自尊の穴を埋めるために、現代人は常に何かに追われ、焦燥感を抱えているのです。 確かに私も、かつては、無意識に承認欲求と自尊欲求という2つの「心の穴」にとらわれていた。私が若い頃のサラリーマン時代は、十二指腸潰瘍や腰痛、うつ病に悩まされていました。うつ病は大学病院まで行ったことがあります。 ある日、新聞の小さな記事を見て、野鳥の会準備会の発足を見て、氏名が「羽根」つているので勇気を出して連絡して仕事は関係ない人々と出会いが、今の自分が作り上げたスタートだとおもう。 年齢や職業、学歴に関係なく、対等に個々の人をみんな尊重している世界に出会えたから、承認欲求と自尊欲求という2つの「心の穴」にとらわれから、卒業できたのだと思う。
2024.09.07
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「毎日更新」読レポ第2181承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑦「自分軸」をどう定めたらいいのか〇「他人の目」や「世間の目」より、強い生き方の視点を持て ここでは、他人や世間の目を気にして生きることに疲れた人に対して、特定の宗教を信じる必要はないと述べています。重要なのは、「他人の目」よりも自分自身の信念や価値観を持つことです。 古代の哲学者プラトンが提唱した「イデア」のような、本当に正しい基準を内に抱き、それに基づいて生きることが求められます。これにより、承認欲求から解放され、強い自分を持つことができるとしています。他人の評価を気にせず、「使命・天命」を見出して日々を生きることで、より充実した人生を送ることが可能になると結論づけています。 私も、特定の宗教を信じていませんが、様々な宗教の言葉を自分の信念や価値観の参考にしています。例えば、仏教の親鸞聖人や元禅寺の佛心宗大叢山福厳寺住職などの言葉を聞いて、今の自分の信念の参考にしています。 私の座右の銘は、マザーテレサの名言です。思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。これが、私の信念に結びついて生きてます。特に「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。」を信じています。 著者の言っている私の信念や価値観です。時代とともにアップロードもしていますが。
2024.09.06
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「毎日更新」読レポ第2180承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑦「自分軸」をどう定めたらいいのか〇「自分軸」で生きろ、と言われても… この項では、他人や世間に振り回されずに「自分軸」で生きることは重要ですが、多くの人は自分の本当の欲求を見つけるのに苦労します。これは、長年「他人の目」を気にしてきたため、一般的な価値観に縛られているからです。「他人軸」は他者からの承認を求める生き方であり、「自分軸」は自分自身からの承認に基づく生き方です。しかし、自尊心も他者の評価に影響されやすく、承認欲求を断ち切らない限り、揺らぎやすいものです。 揺らがない「自分軸」を確立するためには、以下の三つが必要です:1、トレーニングを通じて他者の承認欲求を断ち切ること。2、表面的な価値観ではなく、自分の内面的な感覚に従って考える習慣をつけること。3、他人や世間の目に代わる強固な視点を持ち、それを日常生活の拠り所とすること。これらを実践しない限り、単に「本当にしたいこと」を問うだけでは、承認欲求に左右され続ける結果になるでしょう。 私は、トレーニングで他者の承認欲求は、かなり減少したが、仕事や活動などでは、完全に他者からの承認欲求からは、逃れらないが、今は多くの人が他者の承認欲求が肥大化して、一部は生きずらさを感じたり、精神疾患いたることもあると思う。 私も上記の1,2,3の量稽古を続けて、揺れない「自分軸」を目指す人生を送ることが、自分の幸せになると思う。
2024.09.05
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「毎日更新」読レポ第2179承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑥承認欲求とHSPについて〇HSPが影響する「承認欲求の肥大化 この項では、HPS(Highly Sensitive Person)は、環境からの影響を受けやすい気質を示す概念であり、良い環境ではポジティブな影響を受けやすく、悪い環境ではネガティブな影響を受けやすい。HPSの特徴には、深い認知的処理に圧倒されやすさと情緒的・共感的な反応の高まり、気づきやすさがある。心理学者エレイン・アーロンによって提唱されました。この気質自体は「生きづらさ」に直結しないが、人間関係における敏感さが「承認欲求」を刺激し、他者の目を気にする傾向を強めることがある。この「承認欲求の肥大化」が生きづらさの中心であり、これを緩和することで、他者の目を気にする傾向を減少させることができる。 苦しさの主な原因はHPSそのものではなく、肥大化した承認欲求による心の束縛である。承認欲求から脱却することで、多くの悩みや苦しみから解放される可能性がある。 私も工業高校時代(男子高状態)には、人の顔色をみて、今でいう繊細さん君(HPS)傾向でした。それが、社会人になってから、職場環境が良かったのか徐々に繊細さ傾向の悪いところが減少していきました。良い繊細な傾向が、人間関係を良くしてくれました。今は、ポジティブ思考になって来ました。 ここで著者が言っているように、繊細なHPSは気質で問題は環境だと思います。 今の時代、精神疾患が増大している、一部はSNSなどによる「承認欲求の肥大化」が要因な気がします。承認欲求の肥大化で、人の目や世間の目が気になっているから精神疾患が増えているのだと私は思う。
2024.09.04
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「毎日更新」読レポ第2178承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑥承認欲求とHSPについて〇私も、HSPぽいかも この文章では、著者が自身の「HSP((Highly Sensitive Person)繊細さん」とも呼ばれる」的な特徴について述べています。 中学生や高校生の頃から深く考えることが好きで、友人との時間を楽しむ一方で、気疲れしやすく帰宅後に疲労を感じることが多いと感じています。また、他人の言葉に傷つきやすく、些細なことに驚く傾向があり。 カウンセラーとしての共感性も高いと述べています。周囲の匂いや素材に敏感であることも挙げています。 これらの特徴は日本人の約三分の一に見られる可能性があるとし、自身のHSP的な傾向が特に子ども時代に強かったことを認識しています。これらの敏感さが思春期や青年期において他人の目を過剰に意識する要因となっていると考えています。 私も著者と同じく、とくに前も述べたが、高校生時代はHSP(繊細さん)的な傾向だった。 この思春期や青年期は、思い出してみると、著者の言っているように約三分の一に見られると思う。それが、今でも続いている繊細な大人が増えてきたような気がする。 この繊細さん君は、、時には引きこもりや精神疾患を増大しているような気がする。子どもの頃は、私は、人の顔色をみて、時はビクビクしたのが続いていた。 子どもの頃は、親などの大人の保護がないと子どもは生きられないからです。その習慣が大人になっても、繊細さが残ってしまったのだろう。 私も30代終盤で、上司の顔色をみて生きていたようにおもう。同調圧力の社会だから、状態で上司や先輩の顔色をみて、自分の意見を抑えていた。 多くの日本人は、そのような同調圧力を経験をしてると思う。
2024.09.03
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「毎日更新」読レポ第2177承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑥承認欲求とHSPについて ここでは、HSP(Highly Sensitive Person)は「繊細さん」とも呼ばれる、以下の4つの特徴を持つ人々を紹介しています。1、考え方が複雑で深く考える: HSPは一つのことから多くのことを想像し、深く掘り下げて考える能力があります。お世辞や嘲笑を見抜くことができ、行動を起こす前に多くの思考を巡らせるため、時間がかかることがあります。2、刺激に敏感で疲れやすい: 人混みや大きな音に苦手意識があり、友人との楽しい時間の後には気疲れを感じます。また、芸術作品に感動しやすく、些細な言葉に傷つくこともあります。3、人の気持ちに共感しやすい: 他人の感情に敏感で、怒られていると自分のことのように感じたり、悲しい物語に感情移入して泣いたりします。言葉を話せない幼児や動物の気持ちも察することができます。4、感覚が鋭い: 聴覚や視覚が敏感で、周囲の音や光、匂いに対して強く反応します。特に不快な感覚には耐えられないことが多いです。HSPはこれらの特徴から「生きづらさ」を感じることがあり、メンタルクリニックでは「HSP外来」が設けられていることもあります。 私も、HSPの中の「2、刺激に敏感で疲れやすい」の友人との楽しい時間の後には気疲れを感じることがあります。この4つの中で、きっとどれかに、あたる傾向の人がいるとおもう。それを、一括りして「HSP(繊細さん)」と言うのは、いかがなものかと思う。誰しもが、多少は持っていると思う。個性でもあるような気がします。過剰な上記の反応を「HSP」と思う。過剰な反応になって行くのは、承認欲求が肥大化するとなる可能性もあると思う。これだけが、HSPの要因ではないが、そんな「HSP」を理解して、共に生きていきたいものです。
2024.09.02
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「毎日更新」読レポ第2176承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう⑤誰とも触れ合わないか、わざと傷つけ合うか ここでは、承認に縛られている人は、他者との深い関係を避けることで傷つくことを防ごうとします。愛し合わず、期待しないことで、感情的な混乱から自分を遠ざけるのです。 一方で、逆のタイプの人は、わざと他者と傷つけ合うことで、自分を守ろうとします。激しい言葉のやり取りを通じて、軽い傷を受けることで本当の傷を避けるのです。結果として、承認を求める人々は、他者との関わりを避けるか、傷つけ合う関係に陥ることもあるようです。 確かに、私も承認に縛られる人のなかでは、自分を守ろうとして、深い関係になる本音を避ける傾向はあるな。その逆に承認欲求から、自分を守ろうとして、先制攻撃的で傷つける言葉で自分を守ろうとしていると思う。 子犬が大きな犬に吠えるのは、自分を守るためですから。それと同じだと思います。 コロナ過での自粛警察は、承認欲求からの現れかもしれません。 この承認欲求が肥大化している現れです。この承認欲求を手放すことが、本当の自由な心を手に入れられるのではないかと思う。
2024.09.01
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