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「毎日更新」読レポ第2175承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう④承認欲求が強い人が陥る罠—「誰の人生かわからない人生」をフワフワしながら生きている—〇内臓感覚を取り戻す。 ここでは、人は承認欲求から解放されることで、自分の人生を取り戻す「内臓感覚」を取り戻し始めます。この感覚は、具体的な問題がなくても、内側の深い部分で「何かがイケナイ気がする」という違和感を感じることを指します。カール・ロジャーズが言うように、この感覚を通じて、自分が本当に何を思い、何をしたいのかを感じることができます。 多くの人は、自分が何をしたいのかを理解していると思っていますが、実際には自分の人生を見失っていることが多いです。自分の本当の望みを知るためには、内臓感覚と再びつながることが必要です。「自分の人生」を取り戻すためには、主に2つのステップが必要です。まず、承認欲求を捨て、他人の評価を気にしない自分を作ること。次に、内側の深い部分である内臓感覚とつながり直すことを述べています。 私もここを読んで、自分も内臓感覚を取り戻しつつあるなと思ってきました。 それは、他人の評価を気にしない事や他者の目を気にしない自分になってきた。具体的には、昨日も双眼鏡をぶら下げて、住宅街を歩くし、コープもぶら下げて買い物したりしました。公園の池でトンボ採りをして、トンボ標本をつくったり、コケや地衣類を住宅街でしゃがんで見ていたりしています。 この行動は、自分の中の自分と対話によって、湧き上がって行動になってしまったのです。 その湧き上がる行動は、自分は何をしたのか?自分はどんな人になりたいか?と、自分の中の自分に問いかけているからかも知れません。 有限な自分の人生だから、本当の自分の人生を取り戻すには、著者の言うように承認欲求を捨て、他人の評価を気にしない自分を作ることかも知れません。自分軸の自分を作ることだとおもう。でも、他人軸で生きる承認欲求を求め続けても、本人が幸せならOKです。本人しだいですから。
2024.08.31
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「毎日更新」読レポ第2174承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう④承認欲求が強い人が陥る罠—「誰の人生かわからない人生」をフワフワしながら生きている—〇人間は二度生まれる。 ここでは、ルソーの「人間は二度生まれる」という言葉について、著者は二つの誕生を考えています。一つは肉体的な誕生、もう一つは自我の芽生えによる新しい在り方の発見です。これは、他者の承認や自尊心に振り回されず、自分自身を真に生きることができる状態への解放を意味します。著者は、真の自分の人生をスタートさせるために、まず「承認欲求を捨てる」ことが重要だと述べています。 私もかっては、1度目の人生を長く生きていたな。自我が芽生えたのは、サラリーマン時代を卒業してからかな?自営業やNPO法人の代表者になってから、それまでは、会社の言われたことをただ聞いて、行い、他者軸でフワフワと惰性で生きていた。もちろん、サラリーマンでも、「自分がどうしたいか」「自分がどうなりたいか」をしっかり持っていれば、真に生きることができる状態へとなり「承認欲求」などに囚われない人生になるとおもう。 まずは、著者の言うように真の自分の人生をスタートさせるために、まず「承認欲求を捨てる」ことだと思う。 「承認欲求」を捨てるためには、覚悟の勇気と量稽古の積み重ねのトレーニングが必要だとおもう。 私も、サラリーマンを卒業してから20年以上なるが、ようやく真の自分の人生を生きていると感じることができるようになった。 もちろん、他者軸でフワフワと惰性で生きるのもOKです。本人が幸せ感があるならOKです。ただし、他人軸で生きると心の病のリスクが大きくあります。「喪失感」に襲われることもあります。
2024.08.30
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「毎日更新」読レポ第2173承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう④承認欲求が強い人が陥る罠—「誰の人生かわからない人生」をフワフワしながら生きている—〇マズローの欲求階層説。 ここでは、マズローの欲求階層説において、最上位の存在欲求に到達するためには、承認欲求や自尊欲求という「壁」を超える必要があります。 承認欲求や自尊欲求は人を低位の欲求に縛りつけ、高次の精神的な成長や幸福を妨げます。人は承認欲求や自尊欲求から解放されなければ、真の幸せを感じられず、「誰のものかわからない人生」を生きることになります。この状態では自分が生きている実感が得られず、自分の人生を取り戻すことが重要です。日々の成長を実感し、自己超越を目指すことで、高次の次元の喜びを味わえるのです。 人は、自尊欲求、承認欲求の「欠乏欲求」と自己実現欲求、自己超越欲求の「存在欲求」の2種類ですと著者は言っています。 私もかっては、承認欲求、自尊欲求(プライド)の「欠乏欲求」でした。今は、その境目の壁を超えて自己実現欲求にフォーカス(意識)を向けられるようになりました。今は、そこにフォーカスすることで真の幸せを感じています。 どちらを選ぶかは、気がつかないかは、本人しだいです。承認欲求や自尊欲求(プライド)に振り回されていても、本人が幸せと感じるならOKです。でも、私はある時、承認欲求や自尊欲求に振り回されことに気づき、「そんな、人生は嫌だ」と境目の壁を越えて「存在欲求」へとフォーカスすることができました。真の幸福感を感じています。 壁を超えるには、「存在欲求」のある人に出会うことです。「越えたい」と思い続ければ、出会えます。引き寄せてくれます。その人に勇気を持って自己開示してみることです。
2024.08.29
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「毎日更新」読レポ第2173承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう④承認欲求が強い人が陥る罠—「誰の人生かわからない人生」をフワフワしながら生きている— ここでは、「承認欲求から自分を解放せよ」というメッセージで、、自分の人生を取り戻すことの重要性を強調しています。カウンセリングの過程では、他者からの承認を求める気持ちから解放されることが多く、その結果、自分自身を取り戻すプロセスが進むことが示されています。 私も「承認欲求」から、徐々に解放されるうちに、世間や他人の目にビクビクしていた他人軸から卒業して自分軸になって行きました。著者の言う「承認欲求から自分を解放」されたら、自分らしい人生へと変化していきます。 そのためにも自分を否定せずにありのままに受容して”どこにフォーカス(意識)するか”です。そのフォーカスの量稽古が承認欲求から自分を解放してくれます。
2024.08.28
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「毎日更新」読レポ第2172承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう③私と承認欲求とのおつきあい。〇「世間内人生」からの脱却 ここの文章では、「世間様が主人公の人生(世間内人生)」、つまり他者の目や世間の価値観に依存する生き方について述べられています。哲学者のハイデガーは、この傾向を「世間の側から自己を了解する」と呼び、一般的な価値観に合わせることで自分を見失うことの危険性を指摘しています。 約8割の人が「世間内人生」にとらわれている一方で、2割の人はその枠を超えて自由な生き方をしているとし、世間の評価や期待に囚われずに自分の人生を始めることの重要性を説いています。著者は、自分自身を変えるためには厳しい毎日毎日のトレーニングが必要で、早く世間の期待から解放されることが大切だと主張しています。 最終的には、「世間という夢」から目覚め、自分自身を解き放つことを呼びかけています。 私も、かつては「世間内人生」で、他者の目や世間の価値観に依存した生き方だった。子ども時代に、家庭や学校から「世間」と言う評価や期待に洗脳されていたような気がする。その親も教員も「世間」に無意識に囚われていたとおもう。世代間連鎖です。 「世間」とはどんなものなのだろう。一部の人たちの価値観であり、妄想や思い込みからではないだろうな。その「世間」を気にして生きる人生は、私流に言うと”他人軸の人生”である。著者の言うように自分を見失さないためにも、「世間という夢」から目覚め、自分自身を解き放して、自分らしい生き方の”自分軸”で生きて生きたいモノです。まあ、「世間」を気にして生きる人生の”他人軸”で生きるのも、人それぞれですが。 ”自分軸”になるには、著者の言うに厳しいとまでは、言わないが、覚悟を決めて毎日のトレーニングが必要だとおもう。私もこのブログを6年近く毎日投稿するトレーニングをしています。一番重要なのは、覚悟の勇気です。環境学習の活動も20年以上やってきたのは、覚悟の勇気が私にあったのでしょう。当初始めた知り合いたちは、ほとんど消えていった。まあ、それも経験ですからOKです。この経験を活かし他の分野で覚悟の勇気に活かしてもらいたいです。
2024.08.27
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「毎日更新」読レポ第2171承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう③私と承認欲求とのおつきあい。〇自分を変えた1万回イメージトレーニング。 ここの文章では、著者が他人の評価を気にせずに生きるための方法について述べています。毎日自分に「嫌われても大丈夫」と言い聞かせ、他人と目が合ったときに心の中で「嫌ってみろ」とつぶやくことで自己洗脳を試みました。 具体的には、誰かを思い浮かべて「あなたに嫌われても大丈夫」と心の中で繰り返す「1万回イメージトレーニング」を20日間続けることで、大きな変化を遂げたと述べています。 著者は人生を他人の目を気にして生きるか、自分が本当にやりたいことをするかの二択であると感じており、最終的にはこの方法が有効であると信じています。ただし、こうした取り組みは元気な時にしかできず、承認欲求を克服するには時間がかかるとも強調しています。 私も、高校時代は、他人の目を気にして学校生活を過ごしていたが、著者が言うような、「毎日自分に「嫌われても大丈夫」」という呟きを心の中では、していませんでした。 私は、振り返ると様々な師匠と思っている人たちとの出会いだと思います。師匠達は、私のコトを否定せずに尊重を何度も何度もしてくれたおかげだと思います。 言いたいことをしっかり肯定的に受け入れてくれて、安心感のある環境があったからだと思う。何度も何度もです。 私は著者の「他人と目が合ったときに心の中で「嫌ってみろ」とつぶやく」は、お勧めしません。そのように他者に目が合って「嫌ってみろ」とつぶやくと、声にだしていなくても、相手に伝わることがあるからです。コミュニケーションは、言葉の声だけではありません。つぶやくコトで、表情に出てしまうことがあるからです。ノンバーバルコミュニケーションです。 一人の時に毎日自分に「嫌われても大丈夫」と言い聞かせるのは、私としてはokと思います。 人は、言葉で作られているからです。例えば、汚い言葉遣いをしている人を見てください。マザーテレサの名言に「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」あります。 私は、この名言を自分の格言にしています。 著者が毎日自分に「嫌われても大丈夫」と言い聞かせるのは、効果があると思います。これは、別の本の著者の「孤独のちから」に通じると思います。孤独のちからをつくるトレーニングでもあると思います。
2024.08.26
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「毎日更新」読レポ第2170承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう③私と承認欲求とのおつきあい。〇嫌われることに怯え、ビクビクおどおどしていた学生時代。 ここの文章は、内向的で他人の目を気にしすぎる自分を見つめ直した著者の体験について述べています。著者は、子どもの頃から周囲の評価に左右され、自分を表現できずに過ごしてきたことを振り返ります。特に中学時代は成績優秀であったものの、「他人の目に映る自分」に執着し、道化師のような振る舞いに終始していました。 そんな中、太宰治の『人間失格』を読み、「借り物の人生」を送っていることに気づきます。認められたいという欲求からあくまで、「皆から認められたい」と欲求にかられて、エゴイズムで走っていただけでした。それは、人間が生きていく上で自然に身についてしまう社会からの洗脳だった。自己評価を見失い、空っぽな人生を送っていることを悔い、人生を見つめ直そうと決意します。著者は「毎日自分を逆洗脳する」という特訓に取り組むことで、真の自己を探求し、自分を変えようと努力して言ったと述べている。 私も著者と同じよに中学校や高校時代は、自分は内向的な性格で人見知り状態で、「まわりからどう見られるか」「変なふうに思われないか」「大丈夫かな」「仲間はずれにされていないかな?」そんなことばかり考えて、いつもビクビク、おどおどして過ごしていたと振り返ると思う。 私がそのビクビク、おどおどしていたことから、卒業できたのは、社会人になってから、様々な師匠と言える人たちの出会いが、今の自分を作ってくれたのだと思う。 その師匠達は、私を尊重してくれた。特に、○○師匠は「過去を手放す」と良く言っていました。過去は過去で、「今」を見る事の大切さを教えてくれました。「今」を見つめるためには、自分の中の自分と対話することです。「今、どうしたのか?」「今、どうなりたのか?」と自分に問いかけることだと思う。 その量稽古で他人に振り回されない、自分軸で生きていけるようになると思う。スモールステップでの量稽古です。
2024.08.25
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「毎日更新」読レポ第2169承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう②なぜわたしたちは承認欲求が備わっているのか。〇プラスの承認欲求、マイナスの承認欲求。 前向きな承認欲求は健全であり、例えば矢沢永吉が歌うことで観客が一体感を持ち、心が通じ合う姿を挙げています。このような「人から認められたい」という欲求は、一流の人間を目指す原動力になります。 しかし、現在は「排除されることが怖い」などのマイナスの承認欲求が強まり、多くの人が仲間から認められずに恐怖を感じている状況があります。また、「愛することや愛されることが怖い」という症状も多く見られ、傷つくことへの恐れが人々を追い詰めています。 さらに、承認欲求は認められることで増大し、常に「もっと認められたい」という欲望に振り回されることがあります。この状態では、承認欲求の操り人形になってしまう危険性があるため、自身を見つめ直す必要性があると述べています。 私も、「承認欲求」は、多少は、必要だと思います。人には、「承認欲求」が必ずあります。その「承認欲求」をどこに向けるかです。どこにフォーカス(意識)を向けるかによって、自分の成長になったり、自分の悩みを作ってしまったりすると思います。 それは、自分の成長に「承認欲求」を生かすためには、承認されなくても、プラスの前向きフォーカスする習慣の量稽古です。 先日、仕事の相談があって、企画書を幾つも作りましたが、仕事に結びつかなかってですが、「企画書のメニューが増えた」と考えるか、「時間の無駄になった」かによって、プラスになったり、マイナスになったりします。 「承認欲求」をプラスに活かすためには、前向き習慣づくりの量稽古です。幸いにも私が「師匠」と思っている人たちは、前向きな人々で、その背中を無意識に何度も見て、受け取り方が前向きな習慣になっていています。いまも、前向きなる習慣の修行の毎日ですが。 「承認欲求」をプラスに活かすためには、前向きづくりの習慣のスモールステップでの量稽古での習慣です。
2024.08.24
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「毎日更新」読レポ第2169承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう②なぜわたしたちは承認欲求が備わっているのか。 人間には承認欲求があり、これは「社会で生きていくため」に必要です。ルソーは『社会契約論』で、土地の所有から社会契約が始まると述べており、社会生活において他者に認められないと仕事を得られないため、承認は不可欠です。 しかし、この承認欲求が過剰になると、金銭的成功や外見、SNSでのフォロワー数などを追求し、「人から認められないと自分には価値がない」と感じるようになります。このように承認欲求が肥大化すると、生きづらさの原因となると述べています。 私も、ある程度の承認欲求は、必要だと思う。承認されると、やる気スイッチがでることがあります。そのおかげで、無意識な承認欲求で褒められたり、「あなたに、環境学習を依頼した」「あなたに、川下りのマネジメントたのみたい」「あなたに、調査を依頼」したいなどと人に認めらているから、仕事の依頼や相談も来て、指名されると「期待にこたえないと」のやる気スイッチが増々ONになっていき。今の自分を作っています。 著者が言うように、行き過ぎた承認欲求が肥大化しては、生きづらくなる。その肥大化の要因は、自分を過大背伸びしているからだとおもいます。 なにごとも、人と比べるのではなく、自分の今の位置を把握して、スモールステップでの量稽古です。むりやり、過度に背伸びをしないことです。
2024.08.23
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「毎日更新」読レポ第2168承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう①SNS世代に強い承認欲求〇文化や世代、職業との関係。 承認欲求は日本の「空気を読む文化」や「村八分文化」と深く関連しており、周囲に合わせないと落ち着かないプレッシャーが存在します。この傾向は日本だけでなく、韓国や個人主義が強い欧米にも見られます。 特に20代から30代のSNS世代が承認欲求に敏感ですが、40代から60代も影響を受けており、老齢になるとやや減少する傾向があります。 承認や自尊心への欲求は、うまく活用すれば前向きな動機となりますが、現在はその欲求が強すぎて苦しむ人が増えているのが現状です。特に芸能人はこの承認欲求に敏感で、過剰な期待に応えるためのプレッシャーから、ネットでの誹謗中傷など深刻な問題に直面することもあります。どこかで「嫌われてもいい」という強い心構えが必要です。 私も、かっては「村八分文化」から、高校時代は、特に、周囲の学校の先輩や同級生でのカースト制度みたいなのがあり、他のグループから目をつけられないかと、怯えて落ち着かなかった時代もありました。今は、「村八分文化」の怯えからは卒業しました。 今は10代から20代、30代までのSNSをしょっちゅう使う世代は、SNSの登場で強く敏感なっている気がします。30代や40代、50代もいると思います。私の世代の60代にも強く敏感なっている人がいます。 ここで、著者が言うように承認欲求に敏感になり、過剰なプレッシャーに感じ、深刻な問題に直面している人がいます。精神疾患や自傷行為、自殺に至ることもあり、増々承認欲求を求める人が強くなっています。苦しんでいる人が増大しているように感じます。 承認欲求は、誰しもが多少は持っています。その承認をバネにしてうまく活用すれば、自分の成長になりますが、「村八分文化」からの怯えから卒業できない人がいるのでしょう。 私は、卒業できたのは、どこかで「嫌われてもいい」という強い覚悟の勇気ができていたのでしょう。他人の目を気にしない自分軸になる勇気をそだてましょう。 それには、自分がどこにフォーカス(意識)を向けるかです。前向きな「今」にフォーカスする量稽古です。なにごとにも、スモールステップの量稽古です。
2024.08.22
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「毎日更新」読レポ第2167承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう①SNS世代に強い承認欲求〇承認欲求とは何か 承認欲求とは、人から認められたいという欲求であり、周囲の目を気にするあまり自分を縛られてしまうことがあります。この欲求が強すぎると、「どう思われているか」が常に気になり不自由な生活になり、自分の人生を生きるのではなく、他人の期待に応えるための人生になってしまいます。そのため、現代人はこの承認欲求に悩まされており、その生きづらさを解消するために本を書きました。 私も、かつては、人から認められたいという欲求がありました。今でもちょっぴりですが、人から認められたいという気持ちは、残っています。私は人間なら、潜在的に誰しも持っていると思います。完全になくすことは、できないと思います。 著者が指摘しているように、現代人は、この承認欲求に強すぎて悩まされているのです。人の目を常に気にし、承認欲求のために他人の期待に応えるための他人軸の人生になってしまっているとおもう。 そのために他人軸での人生で生きると、一部人は他人に振り回されて自分を失い、しまいには、「私は、何で生きているのか?」「なんで、私は生きないとならないのか」と自分の生きているのがわからなくなってしまう。豊かになっているはずの先進国で心が病んでいる人が多くなっているのは、他人軸で生きているのが強いからだと私は思う。 自分の人生は、自分軸で生きるほうが、自由な人生を送ることができると私は思う。多少は「人から認められたい」という気持ちはあってもOKだとおもう。完璧主義にならないことです。
2024.08.21
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「毎日更新」読レポ第2166承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第2章 承認欲求の正体について、説明しよう①SNS世代に強い承認欲求 著者が「承認欲求」が注目されるようになったのは、インターネットやSNSの普及による影響です。特にSNSの利用頻度が承認欲求の肥大化に寄与しています。コロナ禍のオンライン授業では、学生が悩みを抱える中、700人に著者は、「今悩んでいること」を書いてもらい、返信する形式を取りました。その結果、多くの学生が「承認」に関連する問題で苦しんでいることが明らかになったようです。 私も 特にSNSの出現で、人の中に潜んで居た「誰から、認めてもらいたい」と言う気持ちに多くの人に火がついたとおもう。認めて貰うために、「いいね」やSNS友だちフォロワー、などえを増やしたい気持ちになっている。 エスカレートして、過激や愉快な動画を投稿したり、目にしたときに全体的に良く写っている状態などの見栄えの良いものも「ばえる写真」に囚われて踊らされるようにみえる。 それによって、エスカレートして、自分が他の人と比べて競争に負けている気持ちになり、「承認欲求」を求めて悩むようになったと思う。 悩みの背後には、「認められたい」という承認欲求があるのだと思う。海外も含めて多くの人が「承認欲求」に囚われているのです。 今のスマートフォンカメラも「ばえる写真」のために、様々な機能を付けています。フェイクと言ってもいい、現実とは違う「ばえる写真」に加工されて、自分の「承認欲求」を満たそうとしています。 人の悩みの一つに、「認めてもらいたい」の「承認欲求」が、肥大化しているのだと私も思います。
2024.08.20
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「毎日更新」読レポ第2165承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。④「排除されても気にならない人」には誰でもなれる。〇じつは私も怯えて生きてきました。 この文章では、著者が「弱者」と「強者」の違いについて語っています。著者自身がかつては弱者であり、他人の目を気にしてビクビクおどおどした生活を送っていたが、「自己改造トレーニング」を通じてその状態から脱却し、自由な世界に目覚めた経験を述べています。 著者は、天然の強者は少なく、多くの人は苦しみを乗り越えて強者になった「乗り越えた人」であると主張します。具体的には『鬼滅の刃』の炭治郎を例に挙げ、誰でもそのように成長できる可能性があると伝えています。 人生は「承認欲求から解放された絶対安心の人生」と「承認欲求に縛られたビクビクおどおどした人生」の2種類しかなく、前者を選ぶことが重要だと強調しています。最終的に、読者に「2割の人」になり、真の幸福を手に入れる覚悟をするよう呼びかけています。 私も以前も書いたが、他人の目を気にしてビクビクおどおどした生活を送っていた。著者と同じようにかつては、弱者だった。 「他人やまわりのめなんか気にならない。世間から変な奴だと思われても全然平気だ、他人と自分を比べない」人との出会いが、私を変えた。そのような人の出会いの背中を見て、「私もそのようになりたいと」思い勇気づけられ私は「承認欲求から解放された絶対安心の人生」と変わっていった。 著者の言うように、きっと無意識に「自己改造トレーニング」をしていたのだとおもう。自分の人生は自分の物で、有限です。 私も「ビクビク、おどおどした心の状態」から脱け出てみたら、「えっ、こんな自由な世界があったんだ!」今は、周りから、たまに「自由人だね」と言われます。「自由人だね」と言う人は、「ビクビク、おどおどした心の状態」から脱けだせないだろうな。抜け出すには、まずは覚悟の勇気が必要です。 脱け出すと「こんな自由な世界がある」と感じるだろう。人生は、自分の物で有限なものですから。どちらを、選ぶかは、本人しだいです。
2024.08.19
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「毎日更新」読レポ第2164承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。④「排除されても気にならない人」には誰でもなれる。〇自分を変える覚悟はあるか。 この文章は、「9ステップ式自己改造プログラム」を通じて心のポジションを変えることで、より幸せな人生を送る方法について述べています。現実社会での成功や承認は重要ではなく、自分自身の心の状態や見方が真の幸せに繋がると強調しています。 多くのフォロワーやお金、権威は必要なく、ただ心の位置を変えることで新たな自分を発見できるというメッセージが伝えられています。著者は、読者に「真実の人生の旅」を始めてほしいという願いを表明しています。 私も真の幸せは、フォロワーやお金、権威は必要なく、ただ心の位置だとおもいます。今の心が幸せなら、それでいいのだと思う。人生は、今の心の幸せを求めての旅の毎日です。今を幸せと捉えるかです。
2024.08.19
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「毎日更新」読レポ第2163承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。④「排除されても気にならない人」には誰でもなれる。〇問題は、心のポジション。 ここでの文章では、出世や社会的地位が排除への恐れに無関係であることを強調し、「心のポジション」に焦点を当てています。真の「絶対安心の人生」は、自分の心の中に「絶対幸福の心のポジション」を持つことで得られるものであり、他人の目や比較に依存しない「自己価値」の感覚を持つことが重要です。 このような人は世間から非難されても恐れず、「排除上等」だとの心構えになっています。一方で、世間や他人の評価を重視する「心のポジション」にいると、常に他者の目を気にして生きることになり、他の人生以外が見えない、視野が狭くなる。要するに、心のよりどころを他人でになってしまうのです。 自分のそのまま、あるがままを、そのままでよいとする感覚の「心のポジション」での自分自身に置くことが重要だと言ってます。 私もかっては、世間から非難される恐れに無意識に怯えていました。それが、当たり前という感覚でした。著者の言うようにその時は、他の人生以外が見えない、視野が狭くなっていたのでしょう。サラリーマン時代を卒業して自営業やNPO法人を設立してから、徐々に自分のまま、あるがままを、そのままでよいとする感覚の「心のポジション」になっていきました。 そのきっかけは、様々な師匠と言う出会いです。 師匠たちは、私を尊重してくれる方々でした。取引先の人も、尊重してくれてる方々に恵まれて、他人軸ではなく、自分軸での自分には価値がある感覚になり、「自分の心」を心のよりどころになって行きましたました。自分軸で自分を信じるようになりました。「自分は、どうなりたいか?」「自分はどのようにしたいか」と自分の中の自分と対話することができるようになりました。そのようになるには、量稽古です。私も自分が軸になるために20年たちました。人生は量稽古の人生です。まあ、時には休むことも必要ですがね。
2024.08.17
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「毎日更新」読レポ第2162承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。④「排除されても気にならない人」には誰でもなれる。 ここでは、日本には「村八分」や「世間の目」を気にする文化があり、承認欲求が強い社会が存在します。このような社会の裏面には、いじめという「排除の論理」があります。承認欲求に縛られることは、排除の恐れに怯えて生きることを意味します。誰もが排除されたくはないものの、その恐れの程度には個人差があります。自己を確立している人は、排除されても気にせず、安心感を持っています。彼らは「排除する側がおかしい」と考え、他人からの排除に対して動じません。 確かに、私も日本には「村八分」や「世間の目」を気にする文化があり、「他者と同じではなかれば、排除される」との怯えがある。他者と同じでない、異質に対しては、排除での攻撃をするので、「他者と同じであること」に気をつかい、異なる意見などは言わないようにと怯えている面があるとおもう。私の中にもまだ、あります。場合によっては、言わないことがある。 以前に初めて参加したある地域での集まりでは、異なる意見を言い排除されそうになった事がある。昭和から変わらない、特定の力のある立場に支配されている感じだった。本人も、周りも無意識でしょうがね。 いまだに、日本は、「村八分」や「世間の目」を気にする文化があり、「他者と同じではなかれば、排除される」文化が一部に残っている。そのため、著者が指摘しているように「いじめ」という排除論理が残っているのだろう。これは、子どもだけなく、大人の社会にもある。 そのためにも、著者が言うように 異なる意見や考えを言える、それぞれが自己を確立している社会を目指して行かなければならないと思う。それには、それぞれの個々を尊重して、孤独力も磨くことだと思う。
2024.08.16
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「毎日更新」読レポ第2161承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。③他人が主人公の人生を生きてしまう人たち。〇スクールカーストで学んでしまったこと。 ここでは、社会のマジョリティ(「多数者」・「多数派」)に属することを重視し、安全指向の生き方を選ぶ人々の心理について述べられています。彼らは「大多数と同じ生き方をしている」という安心感を持ちながらも、マジョリティから外れることへの不安を抱えています。この不安は、特に学校時代に「マジョリティから外れると面倒なことになる。下手したら、いじめられる」という刷り込みのスクールカーストからきているようです。その結果、彼らはマジョリティの側に立ち、外れた人々を攻撃する傾向があり、コロナ禍では自粛警察のような行動が見られました。日本社会においては、不寛容さや均一的な基準を他者に求める傾向が強く、狭い「承認の夢」の中で生きているわけのようです。 私もかっては、マジョリティ(「多数者」・「多数派」)に属することを重視し、安全指向の生き方をしていました。今でも多くの人がマジョリティ(「多数者」・「多数派」)に属することを重視し、安全指向で生きている人が多いです。人の顔色みながら、無意識だが、なるべくマジョリティから外れないように、他者と歩調を合わせているように見えます。 私も高校時代は、学級では、数グループのスクールカーストみたいながありました。他のグループの様子を見ながら、また、先輩に目をつけられないように怯えながら高校時代を過ごした。おそらく、同じようにその刷り込みが無意識に多くの人に残っているのでしょう。目立たないように、控えぎみにした結果。成長への意欲はないように見えます。特に男性は。新しいことには、自らは挑戦しないです。無意識にマジョリティから外れることに不安をもっているのでしょう。 その無意識にマジョリティから外れるためには、承認欲求を捨てる勇気が必要です。
2024.08.15
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「毎日更新」読レポ第2160承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。③他人が主人公の人生を生きてしまう人たち。 カウンセリングの経験から、「人生には2種類の人間がいる」と感じることがあります。一方のタイプは、他人や世間の目を気にし、「他人が主人公」の人生を送る人です。自分らしく生きているつもりでも、社会の既存の価値観に縛られ、他人の考えをなぞるような思考にはまっている人のことを指すようです。 私もおおまかに「人生には2種類の人間がいる」と感じます。普段は社会の既存のパターン(モノの見方、感じ方、考え方のパターン)の内部でグルグル生きているだけの思考が停止している人です。 他人の手の平の上でグルグル生きている生きてるような人です。私もかっては、他人の手の平の上でグルグル生きている生きてるような人でした。それは、お金を稼ぐために他人や世間の目を気にし生きていたからだと思います。お金を稼ぐことは、無意識に幸せになると思っていたからだと思う。実は、それは「夢幻」で他人の手の平の上でグルグル生きている生きているのです。「他人が主人公」の人生で生きていると思います。それが、幸せと多くの人が感じているのかもしれません。エンターテインメントの中で生きている人だと思います。
2024.08.14
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「毎日更新」読レポ第2159承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。②あなたの知らない世界がある。〇怯えながら生きて8割の人たち、幸せを手に入れて2割の人たち この文章は、人生における「承認欲求」とその影響について考察しています。全体の80%の人々は、他者や世間の目を気にし、承認を求めながら生きており、常に不安を抱えています。これに対して、残りの20%の人々はその不安定さに気づき、世間の基準や比較から解放されようとします。この人たちは次の3つの気づきを手に入れます。①承認の条件で生きることが愚かだと理解する。②自分と他人を比較することが無意味であると気づく。③周りの目ばかり気にして生きることの愚かさを認識する。 このように、承認の夢から目覚めることで、自分自身の真の人生を歩むことができると述べています。「人生の真実」とは、他者の目を気にせず、自分自身の価値を見出すことにあると主張しています。新たな決意を持って生きることを促しています。 私もかっては、80%の人々に入っていました。常とは、言いませんが他者(特に親や学校教師、上司、取引先)や世間の目を気にし、不安を抱えながら承認を求めていた。私は、サラリーマン時代に鳥類の師匠と出会い、自然教育の師匠に出会い、森のフィル―ドワーク師匠などなどに出会い承認の夢から目覚めていったとおもう。 師匠たちは、承認など求めないし、自分を自由に安心して表現させてくれてくれた。その環境の繰り返しで承認欲求をかなり手放すことができました。もちろん、自分の表現する勇気もあったからです。 承認欲求をかなり手放すには、生きている環境の安心さと、他者を支配しない人との出会いと自分自身の勇気だと思います。
2024.08.13
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「毎日更新」読レポ第2158承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。②あなたの知らない世界がある。〇「承認ワールド」の住人になっていませんか? 承認欲求が強い人は、他者からの評価や認められることに敏感で、失敗や否定に対して容易に敏感になり傷つき、自分を守ろうとします。感謝や評価がないと不満を感じ、自分を他人と比較し、プライドが高くなります。このような状況にいると、常に承認を求める「承認ワールド」に囚われ、内面的な空虚感が生じます。しかし、承認に依存するのをやめることで、より充実した人生や使命を見出すことができます。承認欲求はこの自由への障害となっているようです。 私も無意志に潜んでいた承認欲求が、今がSNSなどでなど顕在化して、ますます承認欲求を欲しがるようになって来ていて、それに囚われて誰からの承認を求めているのかと思います。その承認を求めるあまり、一部のひとは、空虚感や精神疾患に陥ってしまっていると思う。 そのようにならないためにも自分軸で生きること、孤独力を磨くことだと思う。人は、生まれて死ぬまで、一人なのです。自分軸で生きること、孤独力を磨くことだと思う。
2024.08.12
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「毎日更新」読レポ第2158承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。②あなたの知らない世界がある。 ここでは、多くの人は、自分の人生が「普通の人生」であり、他の選択肢があることに気づかずに生きています。他人と自分を比べたり、承認を求めたりすることで、ビクビクしながら社会の目を気にしています。その結果、他者との関係において上下を意識し、常に周囲の評価に怯えた生活を送ることになります。 私もかって、他人と自分を比べたり、承認を求めたりすることで、ビクビクしながら社会の目を気にしていました。今でも、少しはその「他人と比べる」癖が残っていますが、承認を求めてビクビクしたりはしていません。 自分がどうなりたいか!自分はなにをしたいか!などの自分の中から湧いて来る自分と対話しながら、行動できるようになりました。 これから、公園の夜の池へコウモリ調査に行きます。人の目などよりも、しかりコウモリが住宅街に居るかの有無の調査です。 どこに自分のフォーカスをあてるかということです。人の目を気にしているところにフォーカスすれば、人の目を気にするのは当然です。 他者との関係において上下を意識することも減少しています。もちろん、レベルの高い人と上下関係と言い表すしていいきかわかないが、怯えている上下ではなく、自分の今の位置・状態での上下意識はあります。 どこに自分の意識のフォーカスを当てるかで、人生は変わっていきます。
2024.08.11
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「毎日更新」読レポ第2157承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。①夢幻(ゆめまどろし)に踊らされて生きてるか、目覚めて生きてるか〇人間の人生は2種類しかない。 この本では、人生において、「承認」という「夢幻」に操られて生きるのか、それとも「承認という夢幻」から醒めて、たった一度の自分だけの人生を生きたいのかの二択がある。 「承認という夢」にまどろんだまま、空虚な人生を生き、他者や世間に認められているのかどうか、常に気にして、ビクビクしながら不安に脅えて生きているのもけっこう。マウントをとったりとられたりを気にしながら生きていくのもけっこう。それでもいい、という人は、どうぞうまどろんだまま生きて、死んでください。「夢幻」にまどろんだまま、たった一度の人生を終えてください。 いっぽう、「承認という夢幻」から醒めて、9ステップのプログラムに取り組むだけで、本物の自分の人生、真の喜びに満ち溢れた人生を送れるかもしれません。そんな気持ちの人は本書を読んでくださいと言ってます。 私も、「承認という夢幻」から醒めて、たった一度の自分だけの人生を生きることを選択して生きています。他者の目を気にしないで、他者や世間に認められるよりも、自分は持続ある未来のために環境学習や心が弱っている人のための支援のため心理学・脳科学などを学習・実践しています。 他者と比べるコンテストなどは、応募したことなどないです。応募することが、活動の目的になりかねません。まさしく、他者の目での評価です。他者で評価されるよりも、自分の評価は自分で評価すればいいのです。 今の日本は、コンテストでの競争での他者の目での評価の「承認という夢幻」に操られているように思う。コンテスト優勝とか、お金儲けでの「夢幻」をみてまどろんだままのように見えます。決して、お金を否定はしていませんがね。 真の喜びに満ち溢れた人生は、「承認欲求」を手放す生きかただと思います。私も、その「承認欲求」を手放すために、量稽古中です。まだ、ついつい他人と自分を比べたくなる自分の癖がありますが。だいぶ、手放すことができてきました。 私は、手放すには、目的や目標があると手放しやすいです。 真の喜びに満ち溢れた人生は、「承認欲求」を手放すことだと思います。
2024.08.10
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「毎日更新」読レポ第2157承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社第1章 人間には、二種類の人生しかありません。①夢幻(ゆめまどろし)に踊らされて生きてるか、目覚めて生きてるか 承認欲求は心理学の重要な概念であり、SNSの普及とともにその関心が高まっています。「いいね!」やフォロワー数に対する関心が強まり、この承認欲求に囚われて苦しむ人が多くなってきました。SNSの承認の追求は、実際には不確かな「夢幻」に過ぎず、それに囚われると人生は空虚になりがちです。真の満足は、他者の評価から解放され、自分自身の価値観や人生の意味を見つけることにあると提案してます。他者の評価から解放され目覚めることで、真に充実した人生が開けるのですと言ってます。 私も、「いいね!」やフォロワー数に対する関心は、最初はチョッピリあったが、そなことしても真の「いいね」とは限らない、大人つき合いでの「いいね」や、投稿の内容で自分が「いいね」をつける賛成したと思われないように人の目を気にしてつけない人もいます。つまり、他人の目を気にしているのでしょうね。 私は、このブログを長年(5年以上かな?)SNSにリンクさせていますが、「いいね」は実はSNSでは、チョッピリ(1〜2人)時がほとんどですが、そんなに気にしないで5年以上もやっています。自分のための表現の量稽古です。自分には、学習障害的なことがあるので、トレーニングも兼ねています。自分の成長のためにインプット・アウトプットでの学びです。 そのため、前項の「こんなあたたは、自分を苦しめてしまいます」の自分チェックは、該当していないのです。承認欲求は、ほとんどないからです。 昔の若い時は、自分も他人の目を気にしていたと思います。今の承認欲求が少なくなったのは、私なりには、良い意味の「孤独力」を磨いてきたからかもしれません。「自分はどうなりたいか」「自分はどうしたいか」などを自分の中の自分に「問い」かけての量稽古で、ぼんやりしていた目的と目標がみてきて、その目的や目標にフォーカスして、他人の目など自分の人生を歩む視界に入っていないだからだと思います。 もちろん、目的や目標を実現するためには、他者との気遣いのコミュニケーションをしてます。わがままでない自分軸で生きています。 著者の言っている「他者の評価から解放され、自分自身の価値観や人生の意味を見つけること」だと私もおもう。自分の人生を他者がつけるのではなく、評価は自分がつける習慣化の量稽古です。そうすると、他者の目が気にならなくなり、承認欲求も減少していくと思います。自分の人生は自分軸で歩むほうが幸せだと思います。 この本には、自分軸になるヒントがあるかもしれません。
2024.08.09
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「毎日更新」読レポ第2156承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社まずは自分をチェックしてみましょう。 この本では、まず6つの自分をチェック。「こんなあたたは、自分を苦しめてしまいます」①完璧主義。②「他人の目」や場の「空気」ばかりを気にしてキョロキョロしてしまう。③マウントをとったとられた、と他者との優劣が気になる。④自分はHSP(繊細くん)ではないかと思うことがある。⑤人からの「評価」がすごく気になる。低く評価されると、自分は無価値なのではないかと思うことがある。⑥いつも「空気」を和ませようと気を遣う。その反動で、一人になるとどっと疲れが押し寄せる。上記の自分を勇気をもって鍛え上げる「トレーニング」をすると、次のような変化が現れるよです。①「どう思われるか」「空気」を気にして疲れることがなくなる。②他人と自分を比べなくなる。③どっちが上か下かなどを気にしなくなる。④他人が自分をどう思っているか気にしなくなる。⑤人からどう思われてもゆるがない「絶対的な価値」が自分にあると思えるようになる(無条件の「自己肯定」の感覚)⑥心が穏やかになり、のびやかな毎日を送るようになる。⑦自分の「本当の人生」、自分がこの人生で果たすべき「使命」「天命」に向かって突き進むことができるようになる。 私は、チェックリストは、全く該当していません。過去にはあったと思うが。 鍛え上げる「トレーニング」の項目では、チョッピリだが「②他人と自分を比べなくなる。」にはなっていないかも。ときより、自分の中に他者と比べて、相手を羨ましい気持ちが湧いて来る。でも、そんな自分も丸ごと、受け入れています。「そんな自分もあるな!」と自分の感情を否定しないでいます。 ①③④⑤⑥⑦は該当しています。今、自分は自分軸で人生を歩んでいます。このブログも⑦からの「突き進む」で、毎日更新して、5. 9年になります。 始めから、上手く行くわけではなく、5. 9年続ける前は、何度もブログの三日坊主を繰り返していました。まずは、行動です。4歩進んで3歩後退しても、前に進み、成長することです。たまには、休憩もOKだと思います。
2024.08.08
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「毎日更新」読レポ第2155承認欲求捨ててみた~他人を恐れない自由な心を手に入れる自己改造法~著:諸富祥彦発行:㈱青春出版社(はじめに)いつも「人の目」ばかり気にして生きていませんか—あなたと同じだった、私から— この本は、著者が「人からどう思われるか」を気にしすぎて疲れていた経験を元に書かれています。 最近流行の言葉を使うとHSP(ハイリ―・センシティブ・パーソン)、いわゆる「繊細さん」の傾向があった私は、「周囲の目」「人の目」「空気」をひどく気にしていました。 しかし、著者はこの状況を改善するために「自己改造」のプログラムに取り組み、変化を遂げました。著者は心理の専門家として35年間、多くの人々にカウンセリングを行い、苦しんでいる人たちをサポートしてきました。 他人の目を気にしてストレスを感じる人々向けに書いた本です。具体的には承認欲求に振り回され、他人の評価を過剰に気にすることで自分の人生を生きられない人たちに焦点を当てています。承認欲求を手放し、自分自身の人生を取り戻すために紹介されてる。 私も、かつては、人の目を気にして、ビクビクおどおどしていた。具体的には、工業高校生の時などは、先輩や同級生の力のある人の気に触らないかとかと、ビクビクおどおどしていた。そんな、ビクビクおどおど、自分の言いたいことがなかなか、言えず、映画館のチケットを買うのも友人の後に窓口に何も言わずにお金を出してチケットを買うくらい、ビクビクおどおどしていた高校時代をすごした。私の場合は、承認欲求ではなく、恐怖からビクビクおどおどしていました。恐怖に支配されていたのです。幸いにも私は、社会人なってから、職場環境もよかったのか、徐々にビクビクおどおどすることが解消していた。 この本の承認欲求の背後にも「見えない恐ろしさ」があると思う。この見えない恐ろしさは、自分が作った幻想でもあると思います。もちろん、ホントに怖い目にあったことも要因もあるとおもいます。 自分が作った幻想での承認欲求であれば、承認欲求を手放すことだとおもう。徐々にトレーニングを積み重ねて、承認欲求を手放して、他人軸でなく、自分軸での人生になる手助けになる本だと思う。これからが、楽しみです。
2024.08.07
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「毎日更新」読レポ第2154カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWAおわり(2/2) 本書では、「1955年のロジャーズとジェンドリンの交流」を中心に、当時のシカゴ大学カウンセリング・センターの「チーム・ロジャーズ」の活動の中から、人間を内的に自由にし、既存の思考パターンから解放していく、この新しい革命的な方法論が生まれていく様子を描いた。ロジャーズの心理療法の過程理論、それに基づく代表作『オン・ピカミング・ア・パーソン』、ジャンドリンのフォーカシング、これらすべてが、1955年を転換点とする「チーム・ロジャーズ」の仕事の中から生まれたものであると言っていい。 ロジャーズは、ここで発見を手に、その後の生涯を 教師—生徒関係、恋人や夫婦の関係、そして衝突しあう政治家同士、黒人と白人、宗教上の対立を抱える人……ありとあらゆる「関係性の変革」に取り組んだ。それによって、一人一人が自分の持つ潜在的な可能性を発揮し、真に自分らしくあることができるような「関係性の変革」に生涯を捧げた。ロジャーズのアプローチが「静かな革命」と呼ばれる所以である。その革命の方法は、「対立している他者のこころの声に、深く、耳を傾けること」というシンプルなものである。 ロジャーズのは今読んでも決して古くない。カウンセラー、心理療法家、コーチ、キャリア・コンサルタントのみならず、教師、保育士、福祉関係者、医療関係者など、人を援助する立場にある人が何度でも立ち返るべき「原点」がここには示されている。そればかりではない。お互いがより自分らしくあることができるような恋人、夫婦、親子、上司と部下……お互いが、より自分らしくあることを尊重しあえる関係を求めるすべての人が立ちかえるべき「原点」がここに示されている。それは、SNSなどの普及によって他者の承認に敏感になりがちで、自分らしく生きることが困難になったこの時代にあって、ますます大きな意味を持つように思われる。 人生100年時代、と言われる。長くなった人生の中で、若者ばかりではなく、多くの中高年が、「私は、これからどう生きていけばよいのか」「どうすれば、残りの人生を意味あるものとしてまっとうできるのか」わからず、彷徨っている。人生の暗黙の中で迷いの中にある。不確かさの中で、孤独にみずからの人生の道を探している。 ロジャーズのアプローチは、人が自分の内側の最も深いところを探究していく「内的なこころの旅」の「同行者」となることである。 ロジャーズのクライアントは言う。「暗黙に向かって歩いている感じがしています。(中略)でも誰か、同行者がそばにいてくると、一人でいるに比べて、とても楽になるです」(Rogers & Russell,2002) 多くの人が、「内的なこころの旅の同行者」を求めているのではないだろうか。 今こそ、ロジャーズを学ぶ時である。と著者は述べています。 この本の後半は、1955年のロジャーズとジェンドリンの交流を中心に、シカゴ大学カウンセリング・センター「チーム・ロジャーズ」の活動を描いています。 ロジャーズの心理療法の過程理論や代表作『オン・ピカミング・ア・パーソン』、ジャンドリンのフォーカシングは、「チーム・ロジャーズ」の仕事から生まれて、ロジャーズは、教師—生徒関係や恋人、夫婦、政治家間の対立など、さまざまな「関係性の変革」に取り組みました。アプローチは、対立する他者の心の声に深く耳を傾けることであり、これが「静かな革命」と呼ばれる所以です。ロジャーズの考え方は今なお重要であり、人を援助する立場の人々が立ち返るべき「原点」を示しています。 人生100年時代において、多くの人が「これからどう生きていくか」と迷っています。ロジャーズのアプローチは、内面的な探求を支える「同行者」となることを目指しています。 多くの人が「内的なこころの旅の同行者」を求めている今こそ、ロジャーズの教えを学ぶべき時だと私も思う。 SNSが登場してから、潜在意識にあった「承認欲求」が噴き出して、「承認欲求」が手放せなくて、多くの人が「承認欲求」ばかり求めてしまう。「承認欲求」が減少していくと「これからどう生きていくか」と迷ってしまう人が多くなってしまっている。 「承認欲求」を手放せないひとは、「内面的な同行者」の支えから「承認欲求」を手放すことです。自分軸で生きるためにも、ロジャーズの「クライアントの中心療法」が手放すことに役に立つと思う。今の自分をホントの自分軸の人生にするためも、ロジャーズの原点に帰って「自己変容」にチャレンジすることだと思う。
2024.08.06
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「毎日更新」読レポ第2154カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWAおわり(1/2) 学部の卒業論文でロジャーズをテーマにして以来、ロジャース研究に取り組み始めて40年近く経つ。今回改めてロジャーズを読み直して強く印象に残ったのは、ロジャーズが最も大事にしたもの、それは「徹底的な自由」である、ということだ。ロジャーズはどこまでも、自分自身に忠実な人であり、その純粋さ、自由さは、不器用なほど徹底しており、それゆえしばしば誤解を生み、他者と激突も稀ではなかった。どこかつねに、孤独であった。ロジャーズは、決して「受容とか、共感とかの、温かい人」という凡庸なイメージの人物ではないのである。 本書は、1950年代半ば、50代のロジャーズに特に焦点を当てた。代表作『オン・ビカミング・ア・パーソン』の執筆に至るロジャーズは臨床家としても、理論家としても脂ののっていた。その活動の核となったのが、録音されたカウンセリングの面接記録にひたすら耳を傾けることから見出された、「心理療法におけるクライアントの変容プロセス」への驚きであり、それにもとづく「自己生成論、人間変化の理論」である。カウンセラーが何も方向づけていなくても、深い耳を傾けていると、クライアントはおのずと、みずからを変化の渦の中に投げ入れ始める。より自分らしく、より自由に生きるようになり、内側からより豊かに、より美しく、生きていくようになっていったのである。 私たちは、自分の内側の深いところで流れている。なまの「内臓感覚」とつながることで、自分を拘束していた思考のパターンからみずから解き放つことができる。真の自分でものを考え、自分で生きていくことができることができるようになる。ロジャーズの「受容」「共感」「一致」またそれらを体現した「深い、ほんものの傾聴」は、私たちがそのようにして、より自由に、より自分らしく生きることを可能にしてくれるものとして、大きな意味を持つのである。私たちは、自分の内側から理解してくれる他者との関係において―あたかも自分になったかのようにして、自分のことをその内側から理解してくれる他者がいてはじめて―真に内的に自由になれる。内側から深く理科してもらえることではじめて、自身でも、自分の内側の深いところで流れる「内臓感覚」に触れて、既知の思考パターンに拘束されずに、自分でものを考え、生きていくことができるようになるのである。と著者は述べています。 この著者からこの本の書く動機の内容がコンパクトにまとめられているので「おわり」も投稿した。 著者によると、ロジャーズは50代の脂ののったときに、ロジャーズは、「徹底的な自由」を貫いた。時には他者との軋轢も稀ではなかった。どこか孤独であった。 私は、「徹底的な自由」を貫くロジャーズに共感してしまう。私も徹底的サラリーマン時代を卒業して、徹底的に環境学習(自然体験・調査)を20年やってきました。観光の誘惑はあったが、徹底的に環境学習(自然体験・調査)に焦点を当ててきました。仏教用語の「自由」とは、何かに依存せず、寄りかからずに存在しうる、という事から、〈さとり〉の境地を表す言葉にも用いられます。 私も孤独感も何度かあったが、孤独の力を磨いて、まさに徹底的に環境学習(自然体験・調査)に焦点を当て何かに依存せず、寄りかからずに20年以上を貫いてきました。もちろん、周りの友人の支えもありました。感謝しています。でも、時には、外か「そんな、儲かないものさっさと辞めちまえ」の嵐や「どうせ、2〜3年もすれば辞めるだろ」と影の言葉もあったよだが。中学校や高校の外部講師もやり2020年には、工業高卒ながら50代で環境大臣から表彰された。 それを貫いたおかげで、今の日本の社会の問題が見えて、脳科学や心理学への焦点を当てて、ロジャーズの本にも出会いました。そして、ロジャーズ本の著者の諸富祥彦氏にも本の中ですがね、出会えました。 どこに焦点を当てるかで、有限な人生の質がかわり、私は、今幸せです。今、メンタルトレーナーとして、メンタルファシリテーターとして活動しています。自分も俯瞰して見れるようになってきました。俯瞰することで、「自己変容」や「自己受容」ができるようになりました。どこに焦点を当てるかで、有限な人生の質がかわります。
2024.08.05
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「毎日更新」読レポ第2153カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第10章 これだけは読みたい!主要著作●末武康弘『ジェンドリンのプロセスモデルとその臨床的意義に関する研究』((法政大学、2014) 本書との関連で興味深いのは、末武が自分のおこなった「パーソンセンタード/フォーカシング指向セラピーにおいて生起するプロセス」をTAEを用いて質的分析をおこない、ジェンドリンのタームを援用しながら理論化した第Ⅲ部である。 2,016年、ニューヨークで行われた国際学会(WAPCEPC:World Association for Person-Centered Experiential Psychotherapy & Counseling)で筆者は、招待講演の一つをおこなった。その中で、この末武理論を紹介させていただいたが、英語で説明するのが困難で立ち往生した苦しい経験が思い起こされる。 田中論文にしろ、末武論文にしろ、こんな面白くて知的な刺激に満ち溢れた論文を無料で読めるとは、いい時代である。筆者の博士論文は定価2万4000円であった。と著者は述べています。 ロジャーズの弟子のジェンドリンの哲学での、『体験過程と意味の創造』(1962)から『プロセスモデル』(1997)へと、末武康弘氏は、ジェンドリンと手紙を交わしながら、実際に相手の明言されていないが確かに感じていることを言葉を身体の感覚やフェルトセンス(身体感覚から生じる意味を含んだ感覚か)を「人に伝わる自分のことば」へと導いていた。末武康弘氏は、実践を理論化で論文化していった、日本のロジャーズの弟子のジェンドリンの第一人者研究者であるよです。 ロジャーズの骨格である「クライアントと中心療法」の「五感や内臓感覚的」で言葉になりそうで言葉になかなかならないカウンセリングでのクライアントに対して促しの働きかけの自己変容を理論化していったのであろう。ファシリテーターと同じようにクライアントと言葉にしづらかった「五感や内臓感覚的」の感覚を言葉化へと促進して行った実践した姿を論理的にした説明した論文だろう。
2024.08.04
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「毎日更新」読レポ第2152カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第10章 これだけは読みたい!主要著作●田中秀男『フォーカシングの成立と実践の背景に関する研究:その創成期と体験過程論理をめぐって』(関西大学、2018) 初期ジェンドリンとフォーカシングの生成に至る過程について書かれた博士論文である。第2章に記されたロジャーズとジェンドリンの物語は、下手な小説より面白い。本書の8章はこの論文との出会いなくして書かれることはなかっただろう。と著者は述べています。 この第2章は、ロジャーズは、「自分が今の自分のままではいられなくなる不安や恐怖におびえながらも、絶えず変化の渦の中に、あえて自分を投げ入れる。固定概念に縛られず、その時々に自分の内側の深いところで感じたこと、自分自身でいることを徹底的に大切にする。瞬間を生きてる。」て「クライアントの変容過程」をエキサイティングに語っている。 単細胞から始まって複雑な生命機能へ、意識下の認知へ、有機体と外的世界についての意識的な覚醒へ、そして人間を含むこの宇宙の体系は調和に満ち統一されているということへの超越的覚醒へと向かっていく個人の変化であると、実に面白い内容である。 私は、「固定概念に縛られず、その時々に自分の内側の深いところで感じる」ところに共感できる。すべては、自分で無意識を固定概念に縛られて、悩みをこんがらがっているだけです。固定概念を手放すことで、こんがらがっている悩みも、ほどけて行くとおもう。 自分が、どこにフォーカスするかです。
2024.08.03
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「毎日更新」読レポ第2151カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第10章 これだけは読みたい!主要著作●『カール・ロジャーズ 対談集』(Kirschenbaum and Henderson [eds.],Carl Rogers Dialogues)(kirschenbaum & Henderson,1990) カール・ロジャーズがおこなったきた対談やシンポジウム、文章でのやりとりなどをまとめた本である。そのメンバーが実にすごい。『我と汝』で有名な実存思想家マルティン・ブーバー。『実在への勇気』で知られる神学者パウル・ティリッヒ。行動主義心理学者の雄、B・F・スキナー。『暗黙知の次元』で名を馳せた科学者マイケル・ポランニー。『精神の生態学』とダブル・バインド理論で著名なグレゴリー・ベイトソン。ティリッヒと共に20世紀のアメリカを代表する神学者ラインホールド・ニーバー。アメリカの実存主義心理学のリーダー、ロロ・メイ。まさに錚々たる顔ぶれで、興味をそそられるものばかりである。 19962年にミネソタ大学でおこなわれたスキナーとの対談は、1956年の対談の続編。9時間にわたる対談はすべて録音されており、最初それを公刊になっている約束になっていたにもかかわらず、スキナーがその約束を破って公刊を拒否したといわく付きの対談の記録で、この本ではじめて公開されている。前回の対談記録を収めた本は、心理学の世界で最も版を重ねたと言われているから、この対談も大きな資料的価値があることは確かである。 しかし対談集全体を通して見ると、ロジャーズがかなり損な役回りになっていることは歪めない。職業柄か、ロジャーズは対象でも、まず聞き役に回り、その後で何とか相手と理解しえる部分を探している。何とか接点を探そう。そんなロジャーズの姿勢が伝わってくる。それに対して、相手側は往々にして、ロジャーズを一方的に突き放す。「お前みたいな実践家ごとになにがわかるんだ」。超一流の学者たちの、そんなプライドが感じられる。 その最たるものが、ブーバーとの対談(1957年)この対談を楽しみにしていたロジャーズが懸命に「カウンセリングやセラピーの最中に『我と汝の出会い』が可能になる瞬間が可能になる瞬間があるんです」と訴えるのに対して、ブーバーは終始、「カウンセラーとクライアントという役割がある以上、両者は対等ではありえない」と、治療場面の客観的構造を指摘するにとどまる。そんなことは、わざわざブーバーから指摘されなくてもセラピストであるロジャーズはとうにわかっているだろうと気の毒になってしまう。 私はマイケル・ポランニーとの対談部分はすでに訳している。ぜひ、多くの人の力を合わせて本書の刊行にたどり着いたものである。と著者は述べています。 この本は、カール・ロジャーズが行った対談やシンポジウム、文章でのやりとりをまとめた本について述べています。その当時の名高き実存思想家や神学者、行動主義心理学者、科学者、実存主義心理学のリーダーなどの対談の本です。 しかし、ロジャーズは対談全体を通じて聞き役に回り、理解し合える部分を探そうとする姿勢が目立ちます。一方で、他の参加者はしばしばロジャーズを突き放すような態度を示し、特に『我と汝』で有名な実存思想家ブーバーとの対談では、ロジャーズの主張が理解されず、彼の専門性が軽視される場面が見られるそうです。 私は、ロジャーズを神様のように信じていて、信者でありませんので、ロジャーズに対する軽視や対立、別の意見も聴きたいので、この本で別な見方でカウンセリングと何かを見て、視野を広げたいです。
2024.08.02
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「毎日更新」読レポ第2150カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第10章 これだけは読みたい!主要著作●ディヴィッド・コーエン『カール・ロジャーズ 批判的な伝記』(Carl Rogers:A Critical Biogaphy)(Cohen,1997) この本は言わば「ロジャーズによって語られなかった事実」に視点をおいて新たなロジャーズ像を描き出したものである。人間・ロジャーズに焦点を当てて、かなり辛辣な批判を展開した本である。序章でいきなり「無条件に非人格的な無関心」というタイトルで、相手次第では時に冷淡で尊大だったロジャーズの態度を批判したコーエンは、その後次々と「ロジャーズが語ったらなかった事実」を暴露していく。たとえば、「70歳を超えたロジャーズは、肉体的衰え魅力のなくなた病床の妻をおいて若い愛人バニーㇲとの恋に燃え、しかもほかにも複数○○フレンドがいたこと」「長兄レスターからの皮肉めいた手紙に憤激して絶縁し、葬式にすら出なかったこと」「娘ナタリーの離婚した夫の承諾を得ることなく、著書の中で彼が娘への仕打ちを詳細に紹介し、しかもそれに対する度重なる抗議の手紙に返信すら出さなかったこと」「70代の時は毎日一瓶のウォッカを空けるアルコール依存で、父の健康を気づかう子どもたちから忠告にもまったく耳を貸さなかったこと」「長男デイヴィッドの強引な離婚に手を貸して、相手の女性は自殺してしまったこと」等々。これらは米国ワシントンのアメリカ議会図書館(Library of Congress)に収められている実に140箱に及ぶ資料を丹念に調べ上げ、ロジャーズが籍を置いた大学の資料室にも調査に行った成果に基づいている。 そんなコーエンの描くロジャース像を一言で言えば「強烈な影響を及ぼした心理学者でありながら、ひどく人間的で野心家、競争的で不寛容、自分の成功にもわずかな驚きしか感じない」人。仕事の上では野心家で大きな成功を収めながら、私生活においては絶えずさまざまな問題に苦しめられ苛まれている、そんな人物に映ったようである。このロジャーズがの像の真偽は置くとして、著者コーエンはロジャーズの魅力的な側面も決して無視しておらず、その意味でこの本は、ロジャーズの肯定・否定の両面に光えお当てて描かれた「ロジャーズ研究書」と言っていいかもしれない。これまで「カウンセリング界の神様」扱いされていたロジャーズ。ロジャーズの信奉者にとっては、ショックであろが(私がなぜか、ロジャーズを好きになった)、事実誤認の可能性や賛否もも含めて論議するのが「事実は見方である」と語ったロジャーズへの誠意ある態度であろう。と著者は述べています。 この本は、心理学者カール・ロジャーズに関する私生活も含め新たな視点を提供している本です。ロジャーズは、時には恋に溺れたり、○○に溺れたり、アルコール依存的になったりしているようです。兄への絶縁や子供たちの離婚に対しても、見方を変えれば、人間的に????の目もあります。子供の離婚の相手の承諾なく、相手の離婚にいたる仕打ちを著書に詳細に書いて、抗議にはまったく返信せず。また、子どもたちの相手に強引な離婚に手を貸して、相手を自殺に追い込んだとの話も。「カウンセリング界の神様」扱いされていたロジャーズにも、そんな面もあることを紹介している本らしい、でもこの本の著者コーエンもロジャーズの魅力的な側面も決して無視はしていないようです。 この本の著者も「私がなぜか、ロジャーズを好きになったかをこの本で事実誤認の可能性や賛否も含めて論議している. 誠意ある態度だと思って紹介したのだろう。 私も、良い面もあれば悪い面もあります。その両面を見てそれぞれ評価して、学びたいものです。人には、沢山のパーソナリティがあり。必ず、嫉妬や妬みの心だってあります。それを出すか出さないかのちがいです。私は、そんな自分の妬みや嫉妬も自分の中で受容して味わうトレーニングをしています。怒りも同じですが、怒りは、怒るときには、怒ります。怒りは時に他者を変える原動力になるからです。無駄な怒りをしないことです。 誰にも、良い面もあれば悪い面もあります。
2024.08.01
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