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相変わらず日本の政府やマスコミは朝鮮に対して圧力を加えろと合唱している。脅せば屈するというネオコン的な考え方だ。当然、そうした考え方は日本の国民に対しても向けられる。実際、庶民の間でも「勝てば官軍負ければ賊軍」であり、「長い物には巻かれよ」と思っている人は少なくない。こうした考え方をイギリスの新聞に語った人物がいる。石原慎太郎だ。彼が東京都知事だった当時、2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された記事によると、彼は核兵器を保有すべきだと主張し、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、そうなれば世界へ強いメッセージを送ることになるのだと語った。中国、朝鮮、ロシアを敵だと言い切った石原によると、外交の交渉力は核兵器を意味しているらしい。思考力がないので腕力に訴えると言っているようにしか聞こえない。この記事が掲載された3日後、東北地方の沖合で巨大地震が発生、東電の福島第1原発が大事故を起こしている。地震の翌日、3月12日には1号機で爆発、14日には3号機でさらに激しい上空へ向かっての爆発、15日には2号機で「異音」、さらに4号機の建屋で大きな爆発音があったという。アメリカでは1センチメートル程度の燃料棒の破片が見つかったと報道され、その破片についてNRC新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自分自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係差には人脈がある。これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。ところで、日本にも核兵器開発の歴史がある。第2次世界大戦中には理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究と海軍が京都帝大と検討していたF研究が進められていた。陸軍は福島県石川郡でのウラン採掘を決め、海軍は上海の闇市場で130キログラムの2酸化ウランを手に入れて1944年には濃縮実験を始めたという。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけた。この提案を拒否したという西ドイツがイスラエルの核兵器開発には協力していたことが判明している。日本も核武装をあきらめず、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査、技術的には容易に実現できるという結論に達した。原爆の原料として考えられていた高純度のプルトニウムは、日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れると見積もっていた。1977年になると東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るのだが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と主張している。ジミー・カーター政権は日本の核武装に反対していたが、ロナルド・レーガン政権では雰囲気が変わり、日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれている。調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。トレントに限らず、アメリカの情報機関は日本が核兵器を開発してきたと確信している。地震の前年、2010年に菅直人政権は中国との関係を悪化させる工作を始めている。この年の9月に海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まるが、これは「日中漁業協定」を無視する行為であり、中国に対する挑発行為だと言える。海上保安庁は国土交通省の外局で、その当時の国土交通大臣は前原誠司。大臣の意思がなければ不可能な行為だろう。つまり、前原は田中と周による棚上げ合意を壊し、日本と中国との関係悪化を図ったのである。この逮捕で日本と中国との関係は悪化するが、2011年3月11日の巨大地震で日本と中国の対立は緩和されそうになる。そうした雰囲気を消し去って関係悪化の方向へ戻したのが石原親子だ。2011年12月に石原伸晃が「ハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したが、この背後にはネオコンの大物でポール・ウォルフォウィッツの弟子にあたり、ハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーがいたと言われている。そして2012年4月、石原伸晃の父親、石原慎太郎知事(当時)がヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示して中国との関係は決定的に悪くなった。安倍晋三もハドソン研究所と関係が深いが、そのつながりを築いたのもリビー。その安倍は2015年6月1日、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。中国に圧力を加えているつもりなのだろう。安倍なら屈するのかもしれないが、中国は屈しない。
2017.10.31
アウンサン・スーチーが君臨するミャンマーに対する批判が高まってきた。スーチーが実権を握って以来、イスラム教徒のロヒンギャの集落が襲撃されて多くの住民が殺害されているのだが、アメリカやイギリスで育ち、教育を受けたスーチーは米英支配層の影響下にあり、西側の政府や有力メディアは見て見ぬ振りをしてきた。その状況が変化したようである。襲撃グループはウィラトゥなる人物が率いる仏教徒はアウンサン・スーチーを支持している「民主化運動」の活動家たちだということもあってスーチーは虐殺を黙認、西側の反応は鈍かった。アメリカがスーチーの行為に寛容な理由は中国がミャンマーで進めていたプロジェクトにブレーキをかけることにあったのだろう。軍事政権の時代からミャンマーの北部では石油や天然ガスのパイプラインが建設されていた。中国がミャンマーにパイプラインを建設した最大の理由は石油や天然ガスをマラッカ海峡を通らずに運ぶルートが欲しかったからだと見られている。中国は一帯一路、つまり「シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード」を経済発展の基本プランだと考えている。それをアメリカは潰すため、日本を巻き込んで南シナ海の軍事的な緊張を高めてきた。その海域は中国から見て海上ルートの出発点だ。アメリカは中国の自由な航行を認める気がない。マラッカ海峡を回避するために中国がプロジェクトを進めていたミャンマーとの関係をアメリカ政府は改善、2011年には「民主化」を実現する。2011年にはアメリカの国務長官だったヒラリー・クリントンがミャンマーを訪問してスーチーとも会い、2012年以降はそのスーチーが実権を握った。こうした流れの中、パイプラインは予定より遅れたものの稼働したが、北部カチン州のイラワジ川上流に中国と共同で建設されていたミッソン・ダムの工事は2011年9月に中断が発表されたままだ。しかし、その後、ミャンマー政府は中国との関係改善にも乗り出しているようにも見える。ラカイン州など経済的に遅れた地域の開発に中国が協力する姿勢を見せているのだ。ラカイン州はロヒンギャと仏教徒との衝突の舞台。こうした問題を緩和させるためには経済格差を改善する必要があるとミャンマー側も考えているのだろう。一方、当初は仏教徒によるロヒンギャの集落襲撃を黙認してきた西側がここにきてロヒンギャの問題でミャンマーを批判するようになった。さらに、サウジアラビアが資金を出し、アメリカが支援するという形でワッハーブ派の戦闘集団がミャンマーに潜り込んでいるとも伝えられている。その基本的な仕組みはアメリカ政府が1970年代終盤にアフガニスタンで作り上げている。その頃、ジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンを不安定化させてソ連を揺さぶるため、同国へサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を戦闘員として送り込む。サウジアラビアが兵員と資金を提供し、アメリカが戦闘員を軍事訓練して兵器/武器を提供、パキスタンの情報機関ISIが協力するという仕組みだ。1991年にソ連が消滅した後、アメリカがユーゴスラビアで採用した作戦をミャンマーでも実行するのではないかと考えている人もいる。この時にアメリカ政府はアル・カイダ系武装集団をバルカンへ送り込み、セルビア人を殺させている。1992年から95年の間にこうした武装集団が殺したセルビア人は2400名近いという。その結果としてセルビア人とイスラム教徒は武力衝突する。そのイスラム教徒にはアメリカが送り込んだ戦闘員以外の人も含まれていた。この衝突を西側の政府や有力メディアはセルビア人による虐殺だと描き、1999年3月にはNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃した。1992年に「ニューズデー」のロイ・ガットマンは16歳の少女がセルビア兵にレイプされたと報道、反セルビア感情が世界に広がる切っ掛けをつくったが、この話は嘘だということが別のジャーナリスト、マーティン・レットマイヤーによって確認されている。この時に「人権擁護団体」も偽情報を流す上で重要な役割を果たしたが、その背後では広告会社が暗躍していた。西側はコソボをユーゴスラビアから分離独立させたが、アメリカの手駒になっていた勢力は麻薬や臓器の密輸で儲けていたと言われている。また、2006年3月から08年1月までコソボ自治州の首相だったアギム・セクはクロアチア軍の准将だった人物で、1995年に同軍は民族浄化、つまり非クロアチア系住民の虐殺を目的とした嵐作戦を実行している。そのコソボにアメリカは軍事基地を建設した。こうしたことが東南アジアでも行われると懸念する人がいる。ミャンマー政府も懸念しているようで、昨年6月、ミャンマーとロシアの国防相は軍事協力で合意している。アメリカの破壊工作をロシアはここでも阻止しようとしているのだろう。
2017.10.30
アメリカを後ろ盾とするシリアのクルド勢力は「独立」でなく「連邦」を望むと言い始めたようだ。イスラエルの支配下にあるイラクのクルドと合体し、油田地帯を押さえても独立を宣言すれば新たな戦争が始まり、周囲の敵は石油を運び出させないだろう。しかもロシア軍を相手に戦争で勝つことは至難の業だ。現在、シリアではデリゾールの南東地域、ユーフラテス川沿いの油田地帯を制圧するためにクルド軍とシリア政府軍は争っている。言うまでもなくクルドの背後にはアメリカが存在し、やはりアメリカが動かしてきたダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)とは連携している。それに対し、政府軍にはロシアがついている。アメリカ軍とロシア軍との関係が一気に緊迫化したのは9月20日のこと。13日からイドリブの州都に入ってパトロールしていたロシア軍憲兵29名の部隊をアル・カイダ系のアル・ヌスラが戦車なども使って攻撃、包囲したのだが、その作戦はアメリカの情報機関/特殊部隊が指揮していたと言われている。戦闘は数時間続き、その間にロシア軍の特殊部隊スペツナズが救援に駆けつけ、Su-25も空爆、反政府軍の部隊は全滅、その戦闘員約850名が死亡したという。その際にアメリカの特殊部隊を壊滅させ、死亡した隊員をロシアの特殊部隊員が火葬にしたとも伝えられている。ロシア兵を拘束し、プロパガンダや脅しに利用するつもりだったと見られているが、これはアメリカの少なくともCIAや特殊部隊はロシア軍を直接的なターゲットにしたことを意味している。9月21日、シリアの北部でアメリカ主導軍の指揮下にある戦闘集団から再びシリア軍が攻撃されたなら反撃するとロシア軍は発表、22日には地中海からカリバル(巡航ミサイル)で反政府軍を攻撃した。そうした状況の中、アメリカ軍とロシア軍の幹部との間で急遽話し合いが持たれたと伝えられている。アメリカ軍とロシア軍の直接的な交戦に発展する可能性が高まったことをアメリカ軍も懸念したのだろうが、CIAや特殊部隊はそれを望んだのだ。ちなみに、アメリカ中央軍を指揮しているジョセフ・ボーテルは特殊部隊の出身。2016年7月にトルコでクーデター未遂があったが、その際にボーテルはジョン・キャンベルISAF司令官と共に黒幕だと指摘されていた。そして9月24日、デリゾールでロシア軍事顧問団の幹部、バレリー・アサポフ中将が砲撃で死亡した。反政府軍による攻撃だが、それまでとは違って精度が高かったという。つまり正確な情報を事前に得ていた。その情報を提供したのはCIA/米特殊部隊だと見る人もいる。少なくともロシア側は、アメリカ側から機密情報がダーイッシュやアル・カイダ系武装集団へ漏れていると疑っていた。そのデリゾールにあるダーイッシュの拠点を地中海にいるロシア軍の潜水艦は10月5日、カリバル(巡航ミサイル)10機で攻撃して破壊している。本ブログではすでに書いたことだが、ダーイッシュの支配地域にアメリカ軍の特殊部隊が使う装甲車や装備が展開していることを示す衛星写真をロシア国防省は9月24日に発表した。アメリカ軍は戦闘態勢になく、その地域をクルド系のSDF(シリア民主軍)を平和裏に通過していると説明している。ダーイッシュは自分たちが制圧していた石油関連施設へSDFが入ることを許しているとも伝えられている。そうした中、シリア政府軍はイラクとの国境に近い地域へ向かって進軍、イラク軍も連携して動いているという。北からはトルコ軍も入って来た。すでにダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力は壊滅に近い状態。アメリカ軍はそうした勢力の指揮官クラスや金庫番をヘリコプターで救出したきたが、ダーイッシュの幹部がアメリカが新たに編成する「穏健派」は参加しているとも指摘されている。バラク・オバマ政権は特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、トルコ政府によると、アメリカはクルドが支配している地域に10カ所以上の軍事基地を建設済みだが、ラッカを制圧した後、アメリカ軍はSDFを強化するためにそこで戦闘員を養成するための軍事訓練も行っている。イラクからイラン軍は出て行けとアメリカ政府は言っているが、アメリカ軍はイラクやシリアに居座るつもりだ。ところで、過去にアメリカ支配層は似たようなことをしている。第2次世界大戦でアメリカやイギリスの支配層はドイツ軍がソ連に攻め込む様子を眺めていた。ドイツ軍は1941年6月に東へ向かって進撃を開始、7月にドイツ軍はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、その一方でドイツ軍はカスピ海周辺の油田地帯へも軍隊を進める。そして1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏してドイツの敗北は決定的。慌てた米英両国は1943年5月にワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。9月にはイタリア本土を占領、ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのこと。この上陸作戦の相手はソ連だったと言うべきだろう。ドイツ軍がソ連へ攻め込んだバルバロッサ作戦の際、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。ヒトラーは西からドイツが攻められないことを知っていた可能性がある。ちなみに、1941年5月10日、ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスは単身、飛行機でスコットランドへ飛んでいる。
2017.10.29
1992年10月26日に発効したJFK記録法に従い、ドナルド・トランプ大統領はジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する未公表の資料を公開するとしていたが、CIAやFBIなどからの圧力で前言を撤回、一部を公開しないことにしたという。1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺されてから多くの人が調査、朧気ながら真相は明らかになってきたが、新たな資料がさらなる調査の突破口になることを恐れているかもしれない。CIA、FBI、シークレット・サービス、軍などのほか、パーミンデックスは早い段階から注目されていたことは本ブログでも触れた。情報が明らかにされていないという点では、エドワード・スノーデンが持ち出し、ジャーナリストのグレン・グリーンウォルドらへ渡したNSAの機密資料も大半は公開されていない。2013年5月に香港でスノーデンから受け取った資料をグリーンウォルドはオークション・サイトのeBayを創設したピエール・オミダイアなる富豪に渡し、ふたりは同年10月にファースト・ルック・メディアという組織を創設する。その際にオミダイアは2億5000万ドルの投資を約束、そのプロジェクトの一環として2014年2月にインターセプトを創刊したわけだ。この新しいメディアを胡散臭いと感じる人は当初からいた。オミダイアはバラク・オバマと親しく、スノーデンが持ち出した資料をNSAとのビジネスに利用しているとも言われている。2014年2月23日にウクライナではシオニスト/ネオコンとネオ・ナチがクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したが、そのときにUSAIDやNED(つまりCIA)と同じようにオミダイアも資金を提供、クーデターに協力している。インターセプトはスノーデンから渡された資料の大半を公表していないが、10月24日付けの記事で2013年5月に反シリア政府軍がダマスカスを攻撃した際のことについて書き、その攻撃の黒幕はサウジアラビアのサルマン・ビン・スルタン王子だとしている。当時、国家安全保障会議の事務総長補佐だった。事務総長は兄のバンダル・ビン・スルタンだが、この人物はバンダル・ブッシュと言われるほどブッシュ家と親しく、アメリカやイスラエルの情報機関とつながり、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やチェチェンの武装勢力を動かしていた。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがサラフィ主義者やムスリム同胞団を使い、イラン、シリア、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたことをシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いた。その工作を主導した人物として、リチャード・チェイニー副大統領、国家安全保障副補佐官のエリオット・エイブラムズ、バンダル・ビン・スルタンなどの名前が挙げられている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがサラフィ主義者やムスリム同胞団を使う可能性を語る専門家の話も引用している。その専門家とはジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで、CFR(外交問題評議会)のメンバー。また、本ブログでもすでに書いたことだが、アメリカ国務省は10月18日に旅行者向けの警告を発表、その中でダーイッシュやハーヤト・ターリル・アル・シャム(アル・ヌスラ)などのグループが化学兵器を使うことを認めている。インターセプトの記事が2014年に掲載されたなら納得できるが、このタイミングで載せたことに疑問を感じる人は少なくないだろう。最近、サウジアラビアはロシアへ接近している。
2017.10.28
今回の衆議院議員選挙で自民党は「アベノミクスの加速で、景気回復・デフレ脱却を実現します」と宣伝していたが、アベノミクスは日本の国力を脆弱化させるだけだ。経済指標が改善しているように見えても、その実態は悪いまま。GDPや企業収益は庶民の豊かさに関係なく、仕事の中身は改善されていない。「正社員有効求人倍率」や「若者の就職内定率」など簡単に操作できる。どの国でも選挙が近づくと「おいしそうな政策」を政治家は口にするようになり、指標の粉飾を始めるものだ。現在、ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派はロシアや中国を核戦争で脅している。この両国を屈服させなければならない状況に追い込まれているのだ。アメリカ支配層が脅さなければならない理由は、経済の破綻にある。その実態が表面化したのは1971年。当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソンがドルと金の交換を停止すると発表したのだ。その後、アメリカが行ってきたのは経済でなくコロガシである。アメリカはドルが基軸通貨だという利点を生かして生き残ろうとするのだが、そのシステムの中心に位置づけられたのがペトロダラー。サウジアラビアをはじめとする産油国に対して貿易の決済をドルにするように求め、集まったドルでアメリカの財務省証券や高額兵器などを購入させ、だぶついたドルを還流させる仕組みを作ったのだ。その代償としてニクソン政権が提示したのは、アメリカの軍事力で国を保護、支配層の地位と収入を保障するというものだった。日本とアメリカも似たような取り決めをしている可能性がある。1962年から86年までサウジアラビアの石油相を務めたザキ・ヤマニによると、ニクソン・ショックの2年後、「スウェーデンで開かれた秘密会議」でアメリカとイギリスの代表は400パーセントの原油値上げを要求したというが、これもペトロダラーの仕組みを強化することが目的。この秘密会議とは、ビルダーバーグ・グループの会合である。1970年代から金融取引の規制が大幅に緩和され、巨大な投機市場が出現する。経済が行き詰まり、金融/投機のプロだけでなく製造業者や個人も投機での運用を始める。つまり資金を投機市場が呑み込み始めたのだ。現物取引だけでなく、先物、オプション、スワップなど投機色の強い金融派生商品が出現、巨大資本や富豪たちの資産は桁違いに大きく膨らんだように見えるが、こうした資産は幻影にすぎず、投機市場への資金流入が頭打ちになって相場が下がり始めると急速に縮小、アメリカやイギリスを中心とする支配システムは崩壊する。投機市場を縮小させないためには資金を流入させ続ける必要がある。安倍首相が日銀の黒田東彦総裁と組んで「量的・質的金融緩和」、いわゆる「異次元金融緩和」を進めてきた最大の理由はここにあるだろう。これは資金を世界の投機市場へ流し込むだけで、景気を回復させる効果はなく、勿論、庶民への恩恵はない。こうしたバラマキのツケを払わされるのも庶民。「緊縮財政」で庶民は搾り取られる。歴代政府、つまり官僚は不安定で報酬も少ない非正規雇用を増やすなど労働条件を悪化させ、社会保障政策も大きく後退させてきた。損害を小さくするため、カモを見つけてババをつかませる必要があるのだが、その面でも日本は協力しようとしている。ETF(上場投資信託)やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)もそうした目的で利用されるだろう。アメリカは他国を屈服させるために軍事力を使う。軍事力を使った恫喝だ。かつてリチャード・ニクソンは自分たちが望む方向へ世界を導くためにアメリカは何をしでかすかわからない国だと思わせようとし、またイスラエルのモシェ・ダヤン将軍は狂犬のように振る舞わなければならないと語ったが、バラク・オバマ大統領はその戦法を採用したのだ。安倍晋三首相は自分が何を行っているかを理解している。2015年6月1日に赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会でそれを示す発言をした。週刊現代によると、そこで「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と安倍が口にしたというのだ。軍事的な緊張の場面が朝鮮半島へ移動しても同じことだ。前回も書いたように、アメリカが日本に中国との戦争を始める準備をさせ始めたのはソ連が消滅した直後、1992年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成されたときのこと。当初、日本側は国連中心主義で抵抗したが、ネオコンは怒る。1994年には武村正義官房長官が解任され、1995年には「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表された。その後、急ピッチで日本はネオコンの戦争マシーンに組み込まれていく。21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアを再独立させ、国力を回復させることに成功するとロシアや中国の周辺にミサイルを配備、経済戦争を仕掛け、重要な収入源である石油や天然ガスをEUヘ輸送できなくするためにウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行した。原油価格の急落はロシアを締め上げるためにアメリカとサウジアラビアが仕掛けたと言われているのだが、石油価格の下落で窮地に陥ったのはアメリカのシェール・ガス/オイルやサウジアラビア。サウジアラビアは財政赤字になっている。通常兵器の戦闘でアメリカがロシアに勝つことは困難だということをジョージア(グルジア)の南オセチア奇襲やシリアでの戦闘でアメリカも理解しているだろう。核戦争で脅すしかないのだが、それでもロシアや中国は屈服しない。
2017.10.27
今年10月22日が投票日だった衆議院議員選挙で安倍晋三の率いる自民党が465議席のうち284議席(61%)を獲得した。自民党と与党を形成してきた公明党が29議席、自民党の別働隊とも言うべき希望の党が50議席、日本維新の会が11議席で、この4党の合計は374議席(80%)に達する。決して人気があるとは言えない安倍政権で、選挙前には苦戦も噂されているが、結果は違った。この選挙で自民党が使ったキャッチフレーズは「この国を、守り抜く」。ミサイル発射や爆破実験を続ける「北朝鮮の脅威から、国民を守り抜きます」ということらしい。安倍政権はアメリカに従い、朝鮮半島の周辺や南シナ海などで軍事的な示威活動を続けているのだが、それには口をつぐんで「平和に向けた外交努力を続け、断固、国民を守り抜きます」と主張している。本ブログでは繰り返し書いてきたが、1991年12月にソ連が消滅した直後の92年2月、アメリカ国防総省ではDPG草案という形で世界制覇計画を書き上げた。そのときの国防長官がリチャード・チェイニー、作成の中心は国防次官だったポール・ウォルフォウィッツやその教え子であるI・ルイス・リビー国防次官補だ。そこで、この計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれ、その危険性から有力メディアへリークされている。この当時、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを制圧しようと目論んだ。そのため単独行動主義を打ち出している。ソ連という邪魔な存在が消え、ロシアは傀儡のボリス・エリツィンが支配、軍事侵略を自由にできると考えたようだ。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツ次官は1991年、イラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたてから10日ほど後にクラークがペンタゴンを訪れると、かつての同僚からイラクを攻撃すると聞かされる。クラークも同僚の理由はわからなかったという。そして数週間後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺が攻撃予定国のリストを作成したという話を聞く。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。(3月、10月)ウォルフォウィッツ・ドクトリンを受け、1992年にPKO法が公布/施行され、91年には細川護熙政権の諮問会議「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方」、いわゆる樋口レポートを発表するが、その内容にネオコンは怒る。国連を中心としたものだったからだ。1994年には武村正義官房長官が解任されたが、これはアメリカの命令だとされている。日本の国連中心主義を問題にしたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりはカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに接触、「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と主張、1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立、2000年にはネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにした「米国防の再構築」が発表されているが、この年にはナイとリチャード・アーミテージのグループが「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成している。9/11後の2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を、03年にはイラク特別措置法案を国会に提出した。2004年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明している。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄される。2006年になると、アメリカ支配層の機関誌とも言えるフォーリン・アフェアーズ誌にキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」が掲載されているが、そこにはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張されていた。この段階でもネオコンなどアメリカの好戦派は全面核戦争で圧勝できると信じていたのだろう。そして2012年にはアーミテージとナイのコンビが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表した。リーバーとプレスの論文が発表された2年後、2008年にジョージア(グルジア)のミヘイル・サーカシビリ政権は南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕されている。南オセチアでの戦闘でアメリカやイスラエルはロシア軍の強さを認識したはずだ。流れを見ると、この年の7月10日にはアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問、そして8月7日にサーカシビリ大統領は分離独立派に対話を訴え、その8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008)2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。この当時、ジョージア政府はイスラエル色が濃かった。例えば、流暢にヘブライ語を話せる閣僚がふたりいたのだ。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当していた再統一担当大臣のテムル・ヤコバシビリだ。南オセチアで戦争が行われる前年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。工作の手先がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団になることも示されている。アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めるため、朝鮮を利用してきた。中国に対する恫喝だと言える。当然、中国もそれは承知しているはずで、もしアメリカと韓国が朝鮮の体制を転覆させ、朝鮮半島の政治的な様相を変えようと攻撃したなら、中国はそれを阻止するとしている。「この国を、守り抜く」と宣伝しているが、安倍政権は日本をアメリカの核戦争に巻き込みかねない好戦的な政策を推進してきた。その政策を後押ししてきたのがマスコミにほかならない。
2017.10.26
アメリカの支援を受けているクルド系軍事組織のSDF(シリア民主軍)は10月22日、デリゾールの東にあるオマールの油田地帯をほぼ損害なしに制圧したと発表した。この地域はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が支配してきたが、すでにダーイッシュやハーヤト・ターリル・アル・シャム(アル・ヌスラ、AQI)などはSDFと協力関係にあり、戦闘がなくても不思議ではない。何しろ、両者の後ろ盾はともにアメリカだ。ただ、制圧の際に撮影されたとされて流されている映像は古いものだと指摘されている。SDFが無傷で支配できたのは南から迫るシリア政府軍とダーイッシュが戦っている隙を突いたのだとする説明も流れているが、事実かどうかは不明。オマールを制圧したとする情報を流すことでシリア政府軍の進撃にブレーキをかけようとしているとする見方もある。アメリカが手先をジハード勢力からクルドへ切り替えた結果、トルコがアメリカからの離反を加速、イランやロシアとの関係を強めている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とした勢力によるシリア侵略が長引いてトルコ経済が疲弊、2016年6月にはロシアとの関係改善に乗り出し、7月にはシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。トルコで武装蜂起があったのはその直後だ。レジェップ・タイイップ・エルドアン政権はこのクーデター計画の背後にアメリカへ亡命中でCIAの保護下にあるフェトフッラー・ギュレンがいると指摘、アメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官が黒幕だとしていた。当然、計画の拠点はアメリカ大使館だと見ている。2003年にアメリカ主導軍が先制攻撃、破壊と殺戮の場になったイラクでも反米感情は強い。侵略当初、アメリカは親イスラエル体制を樹立させようとしたが、失敗。首相に選ばれたヌーリ・アル・マリキは2014年3月にアメリカの同盟国であるサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると語り、ロシアへ接近する姿勢を見せた。その年の4月に実施された議会選挙でマリキが党首を務める法治国家連合が第1党になるものの、マリキは首相になれなかった。アメリカ政府が介入したと見られている。2014年はダーイッシュが売り出された年でもある。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルを制圧した。その際にトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になったのだが、こうした行動は格好の攻撃目標だったが、アメリカ軍は動いていない。パレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだが、攻撃せずに静観していた。ダーイッシュ的な武装集団の勢力拡大を2012年8月の段階で警告していたマイケル・フリンDIA局長はそのときにバラク・オバマ政権から追い出されている。シリアやイラクにダーイッシュを広めたのはアメリカなのである。その後、ハイデル・アル・アバディ首相もアメリカに背く。2015年9月30日にロシアがシリア政府の要請で空爆を始め、その成果を見た彼はイラクもロシアに空爆を頼みたいという意思を示したのだ。そこでジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長がイラクへ乗り込み、ロシアへ支援要請をするなと恫喝したと見られている。今年9月25日にイラクのクルド勢力は独立を問う住民投票を実施、圧倒的な90%以上が賛成したとされているが、この住民投票を実施したクルドのリーダー、マスード・バルザニは反対派を暗殺してきたと指摘され、問題は多い。その住民投票をアメリカなど西側が認めている理由はバルザニ、その父親であるムスタファ・バルザニと同じようにイスラエルの情報機関モサドとつながっている、あるいはそのオフィサーだと言われている。そこで、クルドの国は第2のイスラエルになると指摘されているのだ。中東に「満州国」が作られるとも言える。アメリカはイラクで活動していた戦闘員の少なからぬ部分をシリアのデリゾール周辺へ移動させたと言われている。そうしたこともあってイラクではダーイッシュの支配地が縮小したと言える。そうした中、アメリカのレックス・ティラーソン国務長官は全ての外国人戦闘員は帰国すべきだと発言した。イランの戦闘員をイラクから追い出せということだろうが、問題になったPMU(人民動員軍)についてイラク人だとアル・アバディ首相はティラーソン長官に反論、イラク憲法は外国の軍事勢力が駐留することを認めていないとも主張した。アメリカ軍の撤退を求めたのだろう。PMUのカイス・アル・ハザリ司令官はアメリカ軍に対し、撤退の準備をすべきだと語った。中東ではシリア、イラン、イラク、ロシアが連携を強め、そこへトルコやカタールも加わった。そして最近ではアメリカのドルを支えてきたサウジアラビアがロシアへ接近している。かつての同盟国、友好的体制を自分たちの都合で切り捨ててきたアメリカに対する不信感がその根底にはあると見られている。それに対し、ロシアは約束を守り、しかも軍事的にアメリカよりも優位にあることを示してきた。しかも、ここにきてイラクのクルド勢力内でもイスラエルの手先であるバルザニを隅へ押しやり、イラク政府と話し合いを始める動きも報告されている。イラクのクルドよりアングロ・シオニストとの関係が希薄なシリアのクルドも今後、アメリカに従い続けるとは言えない。中東でアメリカは厳しい状況に陥っている。現在、ロシアと中国は戦略的な同盟国になっていると言われている。そのうち軍事的に弱いのは中国。ここにきてアメリカは東アジアで戦争を始めるのではないかと懸念する声が強まっている。
2017.10.25
アメリカの支配層がシリア侵略の手先をアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に見切りをつけ、クルド勢力に切り替えていることは本ブログで繰り返し、指摘している。アメリカを後ろ盾とするクルド勢力とロシアを後ろ盾とするシリア政府軍は現在、デリゾールの南東に広がる油田地帯の制圧を目指しているが、クルド勢力とジハード勢力はすでに協力関係にあり、本格的な戦闘は報告されていない。ダーイッシュは制圧していた石油関連施設をクルド勢力に明け渡し、油田制圧はクルドが先行しているようだ。ジハード勢力を切り捨てたからなのか、アメリカ国務省が10月18日に発表した旅行者向けの警告の中で、ダーイッシュやハーヤト・ターリル・アル・シャム(アル・ヌスラ)などのグループが化学兵器を使うことを認めている。勿論、化学兵器をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアをはじめとする勢力が送り込んだ傭兵集団が使っていることは2013年の段階から指摘されてきたが、アメリカの政府や有力メディアは政府軍が使用したと強弁、それを口実にしてアメリカ軍やNATO軍による直接的な軍事介入を目論んできた。傀儡体制の樹立に失敗したなら、イラクやリビアのように国を破壊して「石器時代」のようにしようとしたわけだ。アメリカが化学兵器の使用を口実にした直接的な侵略を口にしたのは2012年8月のこと。バラク・オバマ大統領が直接的な軍事介入の「レッド・ライン」は生物化学兵器の使用だと宣言したのだ。少なからぬ人は、アメリカ政府が生物化学兵器を使うことに決めたのだなと推測した。その3カ月前、5月にはシリア北部ホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝、軍事介入を目論んだのだが、実際はアル・カイダ系武装集団が実行したことがすぐに発覚する。本ブログでは何度も書いてきたが、現地を調査したローマ教皇庁のフランス人司教は反政府軍のサラフィ主義者や外国人傭兵が住民を虐殺したと報告、それは教皇庁の通信社が伝えた。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えている。その司教は、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っていた。シリア政府軍が住民を虐殺しているという作り話を広めるために西側の有力メディアが利用した人物がシリア系イギリス人のダニー・デイエム。シリア政府の弾圧を訴え、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。ところがしばらくするとダニー・デイエムのグループが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上に流出、嘘がばれてしまう。虐殺話が駄目になり、オバマは生物化学兵器話へ切り替えたわけだ。2012年12月になると国務長官だったヒラリー・クリントンがこの宣伝に加わる。自暴自棄になったシリアのバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張したのだ。翌年の1月になると、アメリカ政府はシリアでの化学兵器の使用を許可、その責任をシリア政府へ押しつけてアサド体制を転覆させるというプランが存在するとイギリスのデイリー・メール紙が報道した。そして2013年3月、ダーイッシュがラッカを制圧した頃にアレッポで化学兵器が使われ、西側はシリア政府を非難したが、この化学兵器話に対する疑問はすぐに噴出、5月には国連の調査官だったカーラ・デル・ポンテが化学兵器を使用したのは反政府軍だと語っている。この年には8月にも化学兵器が使用され、アメリカは9月上旬に攻撃すると見られていたが、地中海から発射されたミサイルが海中に墜落、軍事侵攻はなかった。その件も、シリア政府が化学兵器を使用したことを否定する報道、分析が相次いだ。2015年9月30日にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍はアメリカ主導軍とは違い、ダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を本当に攻撃、戦況は一変して政府軍が優位な展開になった。そうした中、今年4月4日の明け方にイドリブでシリア政府軍がサリンを搭載した爆弾を投下したという話を西側は広めようとする。国連のOPCW(化学兵器禁止機関)は攻撃があったとされる時間帯に現地へ航空機は飛来していないと発表しているが、それを無視、アル・カイダ系武装集団の「証言」を全面的に採用しての主張だ。コントラの麻薬取引を明るみに出したことで有名なジャーナリスト、ロバート・パリーによると、4月6日にポンペオCIA長官は分析部門の評価に基づき、致死性の毒ガスが環境中に放出された事件にバシャール・アル・アサド大統領は責任がなさそうだとトランプ大統領に説明していたと彼の情報源は語り、その情報を知った上でトランプ大統領はロシアとの核戦争を招きかねない攻撃を命令したという。6月25日には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもパリーと同じ話を記事にしている。化学兵器の使用にアサド政権は無関係だとするCIAの報告は無視されたということだ。ドナルド・トランプ大統領は4月5日に首席戦略官のステファン・バノンをNSC(国家安全保障会議)から追い出し、4月7日にはホムスにあるアシュ・シャイラト空軍基地をトマホーク巡航ミサイル59発で攻撃している。ミサイルは2隻の駆逐艦、ポーターとロスから発射されたが、ロシア側の主張によると、目標に到達したのは23発だけだという。
2017.10.24
日本がウォール街を拠点にする巨大金融資本の強い影響下に入ったのは関東大震災からである。その間、ウォール街と対立関係にあったニューディール派のフランクリン・ルーズベルト大統領の時代は例外だが、そのときでも駐日大使はウォール街の大物だった。支配者をアングロ・シオニストというとらえ方をするならば、始まりは明治維新だ。ルーズベルトが大統領に就任した直後、1933年から34年にかけてアメリカではJPモルガンをはじめとする金融資本の大物たちがクーデターを企てて失敗したが、ウォール街にとって好都合なことに、ドイツが降伏する直前、1945年4月に急死した。それ以上に大きな変動は1960年代から70年代にかけて引き起こされている。1963年11月22日に平和の戦略を掲げるジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてからデタント派が粛清されたジェラルド・フォード政権までの期間だ。ネオコンが台頭してくるのはフォード政権の時である。そして1980年代から国家改造が本格化している。まず国内を収容所化するCOGプロジェクトが開始され、ソ連が消滅した直後の1992年には世界制覇を目指す戦争を始めると宣言するウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成されている。このCOGプロジェクトとウォルフォウィッツ・ドクトリンが現在、アメリカ支配層の基本戦略になっている。最近になって日本では緊急事態条項が問題になっているが、COGプロジェクトでは1988年に憲法の機能を停止させる条件が核戦争から国家安全保障上の緊急事態へ変更され、2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃で始動している。こうしたアメリカの動きを見ていれば、遅くとも1992年には日本でも収容所化や侵略戦争という計画に日本も組み込まれると考えなければならなかった。実際、警鐘を鳴らす人もいたが、少なかった。勿論、今でも緊急事態条項を多数が問題にしているとは言えないが、それよりも遥かに少なかった。そして、現在の状況を生み出したわけである。
2017.10.23
1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する未公表の資料を10月26日までに公開する方針をドナルド・トランプ大統領は示した。1992年10月26日に発効したJFK記録法は25年のうちに公開することを求めている。暗殺直後に設置されたウォーレン委員会はリー・ハーベイ・オズワルドの単独犯行だとしているが、この結論を信じていない人は少なくない。重要な証拠や証言が改竄、隠蔽、あるいは処分され、非論理的な説明がなされているからだ。そうした批判の声はすぐに広まり、それを押さえ込むために使われ始めた「呪文」が「謀略論」だ。支配層にとって都合の悪い事実、指摘、分析などが出てくるとこの呪文が連発される。しかし、ケネディ大統領の公式見解に対して疑問を表明する人は後を絶たず、1991年に公開されたオリバー・ストーン監督の映画『JFK』は話題になった。この映画がJFK記録法を成立させた大きな理由だ。この映画の主人公はニューオリンズの地方検事だったジム・ギャリソンがモデル。大統領暗殺に絡み、ギャリソンは1969年に実業家のクレイ・ショーを逮捕、起訴するが、その理由はショーが重役を務めていたパーミンデックスという会社にメスを入れたかったからだと見られている。ウォーレン委員会が犯人だとしているオズワルドは厚木基地での任務を終えた後、カリフォルニア州のエル・トロ基地でロシア語の試験を受けて不合格になり、1959年9月に名誉除隊、イギリスを経由してフィンランドのヘルシンキにあるホテルへチェックインしているが、この間、軍用機を使ったと推測する人もいる。民間航空を利用すると、日程的に無理があるからだ。そしてフィンランドからソ連へ入る。オズワルドがヨーロッパへ渡る際のチケットを買った会社がインターナショナル・トレード・マートで、その理事にショーが含まれている。ショーはサントロ・モンディアール・コメルシアールやパーミンデックスの理事でもあった。サントロはイタリアにおける反コミュニスト工作に協力、パーミンデックスはアルジェリアの独立に反対するフランスの軍人グループへ資金を供給していたとイタリアでは報道されている。その軍人グループとは1961年に創設された反ド・ゴール派の秘密組織OAS(秘密軍事機構)。イタリア政府もサントロとパーミンデックスを危険な存在だと認識、1962年に国外へ追放する。両者は本部をヨハネスブルクへ移動させた。(Jim Garrison, “On The Trail Of The Assassins”, Sheridan Square Press, 1988)パーミンデックスがスイスで設立された当時の社長兼会長、ルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの破壊工作機関SOE(特殊作戦執行部)の出身。第2次世界大戦後、SOEは対外情報機関MI6に吸収される。MI6とSOEはアメリカの情報活動や破壊活動の師匠的な存在の機関だ。ブルームスフィールドはカナダでシオニスト運動を指導していたとも言われている。ケネディ大統領の暗殺を調べたウォーレン委員会は委員長がアール・ウォーレン判事、そのほかのメンバーはウォール街の弁護士で大戦後には高等弁務官としてナチスの幹部を保護していたジョン・マックロイ、やはりウォール街の弁護士で大戦中から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレス、FBIと関係の深いジェラルド・フォードも含まれていた。暗殺直後の週末、ダレスはバージニア州にあるCIAの極秘施設、ファームに身を潜めていたという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)オズワルドの単独犯行説を支持していたのはマックロイ、ダレス、フォードの3人で、3人の議員は疑問を持っていた。そのうちのひとり、ヘイル・ボッグス下院議員はCIAと関係が深く、当初は単独犯行説を支持していたのだが、途中で見方を変えている。このボッグス議員はアラスカで飛行中、行方不明になった。この暗殺では多くの証人や関係者が死亡しているが、そのひとりがマリー・ピンチョット・メーヤー。後にCIAの秘密工作に深く関与することになるコード・メーヤーと結婚、離婚した後にケネディ大統領と愛人関係になったことで知られている。妹はニューズウィークの幹部編集者だったアントワネット・ピンチョット・ブラドリーと、大学時代からの親友はアレン・ダレスの側近で破壊活動でも名前が出てくるジェームズ・アングルトンとそれぞれ結婚している。マリーは機密情報を知りうる立場にいたのだが、ウォーレン委員会が報告書を出した3週間後の1964年10月12日に散歩中、射殺された。ハーバード大学で心理学を教えていたティモシー・リアリーによると、「彼らは彼をもはやコントロールできなくなっていた。彼はあまりにも早く変貌を遂げていた。・・・彼らは全てを隠してしまった。」とマリーは語っていたという。(Timothy F. Leary, “Flashbacks,” Tarcher, 1983)つまり、大統領選挙の期間中はタカ派的な発言をしていたケネディが大統領就任後に巨大な金融機関や鉄鋼会社の活動を規制、イスラエルの核兵器開発にも厳しい姿勢で臨み、米ソ開戦の危機を外交的に解決、ソ連との平和共存を訴えるようになったのである。ケネディ大統領の暗殺はシャルル・ド・ゴール暗殺未遂、マーティン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺にもつながっている可能性が高く、事実が明らかになるとひとりの暗殺に関する話では済まなくなるだろう。当然、重要な証拠は廃棄済みで、証人も消えてしまった。マインド・コントロールを目的としたMKウルトラ、キューバへアメリカ軍が直接軍事侵攻、さらにソ連との核戦争を視野に入れていた偽旗作戦のノースウッズ、イスラエル軍がアメリカの情報収集戦リバティを攻撃して多くの死傷者を出した事件などでは証拠が廃棄されている。出てくる資料は廃棄し損なったものだけだ。ケネディ大統領暗殺も似たような状況だろうが、それでも全資料の開示は重要だ。
2017.10.22
投票日が近づいているが、選挙だけで国の行く末を決められるとは言えない。「自由と民主主義の国」だと宣伝されているアメリカでは事実上、選択肢は民主党と共和党という大差のない政党だけ。この2党に属さない大統領が誕生する可能性があったのは2000年の選挙だが、このときは最有力候補と言われていたジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。より露骨な形で排除されそうになったり、排除された大統領も存在する。例えば、ウォール街と対立関係にあったニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の選挙で大統領に選ばれると、33年から34年にかけてウォール街の大物たちはクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、記録に残っている。金融資本、巨大鉄鋼会社、情報機関や軍の好戦派、イスラエルなど少なからぬ敵がいたジョン・F・ケネディは1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。日本の場合、明治維新からイギリスやアメリカの強い影響下にある。アメリカの巨大金融機関JPモルガンが日本に君臨するようになったのは関東大震災から。1932年にはウォール街の影響下にあったハーバート・フーバー大統領がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーを大使として日本へ送り込んできた。このグルーが結婚したアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで九条節子、後の貞明皇后と親しくなったと言われている。グルーは松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)のだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、その翌年6月に離日する直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)言うまでもなく、岸信介の孫が安倍晋三。安倍は「戦前レジーム」を復活させたいようだが、その体制とはウォール街に支配された天皇制官僚国家だ。ニューディール派が実権を握った期間だけ、この構図が崩れた。第2次世界大戦後の日本を形作る司令塔的な役割を果たしたグループが存在する。ジャパン・ロビーだが、その中心にいた人物がジョセフ・グルー。アメリカのハリー・トルーマン政権があわてて作った現行憲法の第1条は天皇制存続の宣言で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。「神聖にして侵すべからざる存在」から「象徴」へタグは取り替えられたものの、その本質に根本的な変化はなかった。日本が降伏した直後はアメリカの影響力が圧倒的に強かったが、時間を経るに従って日本の戦争責任を追及するであろう国の影響が強まってくることが予想された。当然、天皇の戦争責任が問われることになる。その前に「禊ぎ」を済ませる必要がある。日本国憲法にしろ、東京裁判にしろ、「天皇制」の存続が重要な目的だったのだろう。比較的日本に寛容だったと思われるアメリカ軍の内部にも厳しい意見はあった。そのターゲットのひとつが靖国神社。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していた。それをブルーノ・ビッテル(ビッター)の働きかけで阻止したというのだ。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)このビッターはカトリックの聖職者で、ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされている。ジョバンニ・モンティニ(後のローマ教皇パウロ六世)を除くと、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ最も重要な人物。ビッターもCIAにつながっている可能性は高い。1953年秋にリチャード・ニクソン副大統領が来日、バンク・オブ・アメリカ東京支店のA・ムーア副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と伝えられている。この席にビッターもいたという。ドワイト・アイゼンハワー大統領がニクソンを副大統領に選んだ理由は、ニクソンが闇資金を動かしていたからだと言われている。そのビッターはニクソンと会談した2カ月後、霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だったが、ビッターが逮捕されたときに押収された書類はふたりのアメリカ人が警視庁から持ち去り、闇ドルに関する捜査は打ち切りになってしまう。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。日本では天皇制官僚国家という型を壊すことは許されない。「左翼」とか「リベラル」というタグをつけていても、この型から抜け出さなければ許される。
2017.10.21
ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派はシリアで新たな戦争を目論見、東アジアやウクライナをはじめとする旧ソ連圏で軍事的な緊張を高めている。黒幕が同じだということを考えると、シリアの侵略勢力への武器供給に旧ソ連圏の国々が関係し、朝鮮のミサイル開発にウクライナの協力が疑われているのは不思議でない。東アジアでは朝鮮がミサイルの発射実験を実施、核兵器の爆破実験を行っているとも言われている。今年に入って急速に技術水準を上げているように見えるが、イギリスのシンクタンクIISS(戦略国際研究所)は8月14日、朝鮮のミサイルに関するマイケル・エルマンの技術的な分析を発表した。それによると、朝鮮の新しいミサイルが搭載しているエンジンはウクライナから持ち込まれた可能性が高く、ウクライナでの目撃談とも合致しているという。ジャーナリストのロバート・パリーによると、エンジンの出所だと疑われている工場の所在地はイゴール・コロモイスキーという富豪(オリガルヒ)。ウクライナ、キプロス、イスラエルの国籍を持つ人物で、2014年2月のクーデターを成功させたネオ・ナチのスポンサーとしても知られている。2014年7月17日にマレーシア航空17便を撃墜した黒幕だとも噂されている人物だ。1980年代にアメリカやイスラエルはイランへ武器を密輸しているが、その際に朝鮮から相当数のカチューシャ・ロケット弾を仕入れたのはイスラエルで、その後も関係が続いたとしても不思議ではない。このウクライナを含む旧ソ連圏の国々はシリアの侵略勢力へ武器/兵器を供給しているとも報告されている。その輸送にアゼルバイジャンの国営航空会社が携わっていると7月2日に指摘したのはブルガリアのジャーナリスト。公文書に基づき、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどが購入した武器をアゼルバイジャンの国営航空会社がさまざまなルートでアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュやクルドなどへ運んでいるとしている。ドイツの基地も武器密輸に利用されていたとする報道もある。シリアへの侵略戦争やウクライナでのネオナチによるクーデターに関わってきた人物のひとりがアメリカのジョン・マケイン上院議員。今年1月にもマケインはリンゼー・グラハム上院議員らを伴ってバルト諸国、ウクライナ、ジョージアを訪問、ウクライナの兵士に対して「君たちの戦いは我々の戦い」だと鼓舞、2017年は攻撃の年になるとも発言していた。2月にマケインはシリアへ秘密裏に入り、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)やアル・カイダ系武装集団に替わってシリア政府軍と戦うことをアメリカが期待しているクルド勢力の指導者に会っている。ダーイッシュが売り出される前年、2013年5月にもマケインはシリアへ密入国、その戦闘集団を率いる人物と会談していた。
2017.10.20
ロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣がイスラエルの到着した10月16日、イスラエル軍がシリアの首都ダマスカスから東へ50キロメートルほどの地点に設置されていた地対空ミサイルの発射装置を破壊したとイスラエル政府は発表している。偵察のためにレバノン上空を飛行中の航空機に対してシリア軍がミサイルを発射、その報復だとしているが、ロシアの国防相がイスラエルを訪問するタイミングでの攻撃であることから、ロシアに対する威嚇が目的だったと見る人は少なくない。つまり、シリア軍からの攻撃が先だとするイスラエルの主張を信じていない人が少なくないということだ。その後、イスラエルが保有するF-35がコウノトリと衝突して数日間、飛行できないという話が流れたことから、シリア軍が保有する旧型の防空システムS-200で何らかの損傷を受けたのではないかという疑いが出てきた。F-35は2015年1月にカリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦で完敗したと伝えられている。その際にF-16は燃料タンクを装着していたという。この後、F-35のステルス性能を強調する声を聞くようになった。相手に気づかれないで敵に近づいて攻撃するのでドッグファイトは必要ない(つまり専守防衛には適さない)というわけだが、今回の推測が正しいなら、そのステルス性能も怪しいということになる。すでにイスラエルが誇る戦車、メルカバ4はヒズボラが使っている対戦車兵器のRPG-29、AT-14コルネット、メティスMで破壊されていると伝えられている。地上での戦闘でイスラエルは優位と言えなくなっているのだ。このヒズボラ、あるいはイラン軍をシリアから追い出せとイスラエル政府はロシア政府へ要求し続けてきたが、拒否されている。ショイグに対しても同じことを言っているようだが、回答は同じだろう。F-35の性能に問題があるなら、イスラエル政府はアメリカ政府を動かしてアメリカ軍を使うしかない。ここにきてそのアメリカ軍(特殊部隊)はロシア軍を直接、攻撃しはじめて反撃されている。
2017.10.19
アメリカを後ろ盾とするクルド系のSDFがラッカ北部の都市を完全に制圧したと発表、日本のマスコミはその話を垂れ流している。相変わらずの「大本営発表方式」である。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は2013年3月にラッカを制圧、翌年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言してラッカを「首都」に定めた。モスルを制圧し、トヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねた「パレード」を行ったのはその年の6月だ。しつこく指摘するが、このパレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずである。それにもかかわらず攻撃せずに静観していた。アメリカ政府はそうした動きを静観していただけでなく、ダーイッシュ的な武装集団の支配地域が作られるという警告は2012年8月の段階でDIA(国防情報局)から提出されている。当然、その情報をバラク・オバマ大統領も知っていたはずだ。そのときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は2014年8月、ダーイッシュが売り出された直後に解任された。こうした傭兵を使った侵略作戦を推進するため、2015年2月17日には戦争に消極的だったチャック・ヘイゲル国防長官が解任され、同年9月25日にはサラフィ主義者を中心とする武装勢力を危険視していたマーティン・デンプシー統合参謀本部議長が退任している。戦争体制が整備されたわけだが、その直後にロシア軍が介入してネオコンの計画は躓いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力のシリア侵略、バシャール・アル・アサド政権排除、傀儡体制の樹立というプランは風前の灯火である。本ブログでは何度も書いてきたように、最大の原因は2015年9月30日に始まったロシア軍の空爆だ。ロシア軍はシリア政府の要請で軍事介入、アメリカ主導軍とは違い、本当にサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とする戦闘集団、つまりアル・カイダ系武装グループやダーイッシュを攻撃して戦況を一変させてしまった。ジョン・ケリー前国務長官の言葉を借りると、方程式を変えてしまった。サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を使ったシリア侵略に失敗したアメリカは、こうした勢力を自分たちが倒したかのような宣伝を展開している。第2次世界大戦でドイツ軍と戦い、勝ったのは米英だというおとぎ話を広めたのと同じ手口だ。本ブログでは何度も書いてきたが、現在、シリアではデリゾールから東南へ延びる油田地帯の争奪戦になっている。アメリカを後ろ盾とするダーイッシュはアメリカを後ろ盾とするSDFの進軍に協力、石油関連施設への立ち入りを許しているが、シリア政府軍も迫っている。その油田地帯の戦いに参加するため、ラッカから戦闘員が移動していると見られている。
2017.10.18
アメリカ軍と韓国軍は10月16日から20日にかけて朝鮮半島沖の日本海や黄海でMCSOFEX(海上対特殊作戦演習)を実施するという。アメリカ第7艦隊から空母ロナルド・レーガンや駆逐艦などが参加し、朝鮮の近くにはJSTARS(監視および目標攻撃レーダーシステム)機を飛ばすようだ。ソウルにはB-1B戦略爆撃機やF-22戦闘機をアメリカは派遣している。この演習は朝鮮を念頭に置いて実施されるとされているが、本ブログでは何度も書いているように、アメリカが朝鮮を相手にしている可能性はきわめて小さい。これまで朝鮮はアメリカにとって好都合なタイミングで爆破やミサイル発射の実験を行ってきた。偶然なのだろうか?米韓の演習は中国やロシアを威嚇することが目的だと考えるべきだろう。今回、中国では共産党の第十九次全国代表大会が10月18日から1週間の予定で開催される。このタイミングで日本は衆議院議員選挙が実施される。アメリカはシリアでサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とする戦闘集団、つまりアル・カイダ系武装グループやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ってバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指してきたが失敗、手先をクルドへ切り替えている。こうした流れに危機感を強めているのがイスラエル。最近、住民投票を実施したイラクのクルドは1960年代からイスラエルの指揮下にあり、イラン、イラク、シリア、トルコをまたぐクルド国家を建設しようとしている。いわばイスラエルの「満州国」だ。アメリカやイスラエルはクルドを利用して新たな戦争を始めようとしている可能性が高いが、この両国にはかつてのような圧倒的な軍事力はない。シリアでの戦闘でロシア軍の優位が明確になり、イスラエルが誇る戦車メルカバが対戦車兵器で破壊されていると報告されている。ヒズボラに戦争を仕掛けても勝てるとは限らないということだ。つまり、中東での戦争はアメリカやイスラエルの思惑通りには進んでいない。そうした中、アメリカは東アジアでの軍事的な緊張を強めている。最大のターゲットは勿論、中国。この中国はロシアと手を組み、ドル離れを進めてきたが、それだけでなく新たな通貨システムの構築を目指している。リチャード・ニクソン政権の時代には経済が破綻していたアメリカはその後、資金のコロガシで生き延びてきた。その中心的な仕組みがペトロダラーだと言うことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。金融規制の大幅な緩和もドル発行を可能にし、見かけ上の資産を膨らませて見せる仕掛けを作ることが目的だった。「富豪の力」は幻影にすぎないのだが、その幻影にひれ伏している人が少なくない。投機市場が膨張をやめたとき、相場は下方へ向かい、見かけ上の資産は急速に縮小して実態をさらけ出す。巨大な仕手戦の崩壊とも言える。そうした事態になったなら、アメリカは世界の覇者として振る舞うことはできなくなるだろう。彼らにしてみると、ロシアと中国を何としても屈服させなければならない。今回の朝鮮半島周辺での合同軍事演習もそうした対中露戦争の一環だと見るべきだろう。
2017.10.17
アメリカはシリア侵略の手駒をクルドへ切り替え、戦闘の中心はデリゾール。その南東に広がる油田地帯を見据えての動きだ。クルドに制圧されつつあるラッカに残っていたダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の少なからぬ戦闘員はデリゾールへ移動していると見られている。中東での報道によると、戦闘員たちはバスを連ねてラッカを脱出しているが、その車列をアメリカ/クルドは攻撃していない。イラクのモスルを脱出したダーイッシュなどの戦闘員がデリゾールへ向かう際にも同じ現象が起こった。ロシア国防相はアメリカ主導軍がラッカを絨毯爆撃して住民を殺し、インフラを破壊していると非難している。ダーイッシュが売り出されたのは2014年前半のこと。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧している。その際にトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になった。パレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだが、攻撃せずに静観していた。ダーイッシュ的な武装集団の勢力拡大を2012年8月の段階で警告していたマイケル・フリンDIA局長はそのときにバラク・オバマ政権から追い出されている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力がシリアに対する侵略を始めたのは2011年3月。その前月に侵略戦争が始まったリビアでは同年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィは惨殺された。アメリカをはじめとする侵略勢力はシリアのバシャール・アル・アサドが逃げ出すことを期待したようだが、本人だけでなく、イギリス出身の妻アスマもシリアに残り、侵略軍と戦う姿勢を見せた。カダフィ体制が倒された後、侵略勢力は戦闘員と武器/兵器をシリアへ運んでいる。その拠点になったのベンガジのアメリカ領事館だということは本ブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。また、今年7月にはアゼルバイジャン国営のシルク・ウェイ航空が外交貨物を装って武器/兵器を運んでいることが明らかにされた。アメリカのほか、バルカン諸国、イスラエル、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、ドイツ、デンマーク、スウェーデンなどが関係しているという。この工作ではアメリカの特殊部隊が重要な役割を果たしているが、現在、アメリカ中央軍を率いているジョセフ・ボーテル司令官は特殊部隊の出身で、トルコのクーデター未遂では黒幕のひとりだとも言われている。ダーイッシュを作り上げ、支援しているのがアメリカやその同盟国、友好国だということはアメリカの将軍だけでなく、前副大統領や元国務長官も認めている事実。そうした報告の人の中にはローマ教皇庁の司教も含まれている。ローマ教皇庁の通信社アージェンツィア・フィディースは2012年6月、現地を調査したフランス人司教の報告を掲載したが、その中で次のように指摘されている:「全ての人が真実を語ったなら、シリアの平和は維持されただろう。戦闘が始まって1年を経たが、西側メディアの偽報道が押しつける光景は地上の事実からかけ離れている。」日本を含む西側の有力メディアがこうした事実を知らないことはないだろう。
2017.10.16
今から50年前、1967年10月9日にエルネスト・チェ・ゲバラがボリビアで殺された。その当時のボリビアを支配していたレネ・バリエントス・イ・オルトゥニョは1964年11月の軍事クーデターで実権を握った独裁者で、アメリカ大使としてボリビアにいたダグラス・ヘンダーソンからゲバラを処刑するように命令されていたと言われている。その当時、まで存在が認められていなかった電子情報機関のNSAはゲバラの動きを正確に把握していた。ボリビアでゲバラに撃ち込む銃弾の位置も指示していたCIAのフェリックス・ロドリゲスはジョージ・H・W・ブッシュ(エール大学の学生だったときにCIAからリクルートされた可能性が高い)と親しく、ベトナム戦争ではCIAの秘密工作に参加していた。その工作とは麻薬取引や住民皆殺し作戦とも言えるフェニックス・プログラムで、テッド・シャックレー、リチャード・シコード、リチャード・アーミテージなど1980年代に浮上したイラン・コントラ事件(イランへの武器密輸とニカラグアの反革命ゲリラに対する違法支援)で中心的な役割を果たした人物も含まれている。後に統合参謀本部議長や国務長官になったコリン・パウエルはフェニックス・プログラムの内部告発をもみ消す仕事をしていた。シャックレーもブッシュと親しい。ゲバラは1966年11月にボリビアの首都ラパスへ入っているが、その前、1965年の初めからコンゴで活動していた。コンゴは金やコバルトなどを含む鉱物資源に恵まれた国で、ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック系のユニオン・ミリエール(ユミコアへ名称変更)がウラニウム鉱石を採掘している。1940年にドイツはウラニウム鉱石1200トンをユニオン・ミリエールから入手している。フランクリン・ルーズベルト米大統領が急死した1945年4月12日、アメリカ軍はドイツの施設でウラニウム鉱石約1100トンを発見してソ連軍の手が届かない場所へ運び去ったが、それはその一部だ。ルーズベルトはソ連を同盟国と考えていたので、急死しなければマンハッタン計画を推進していたグループにとって面倒なことになっただろう。(Simon Dustan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011)ユニオン・ミリエールで重役を務めたことのあるラウンデル・セシル・パーマーはチャールズ・ハンブロと同じように、イギリスの破壊工作機関SOEの中心的な人物。ハンブロは銀行一族のメンバーで、マンハッタン計画にも関係していた。アメリカの情報活動や破壊活動はSOEやイギリスの対外情報機関MI6を師としている。資源の宝庫、コンゴは1960年2月に独立し、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれる。それを受け、コンゴ駐在アメリカ大使のクレアー・ティムバーレークはクーデターでルムンバを排除するように進言するが、同大使の下には後に国防長官となるフランク・カールッチがいた。ドワイト・アイゼンハワー大統領は同年8月にルムンバ排除の許可を出している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)アメリカ支配層に選ばれたモブツ・セセ・セコが9月にクーデターを成功させ、12月にルムンバは拘束された。1961年1月17日、ジョン・F・ケネディが大統領に就任する3日前にルムンバは刑務所から引き出されてベルギーのチャーター機に乗せられ、ルムンバの敵が支配する地域へ運ばれて死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団によって殴り殺された。1月26日にアレン・ダレスCIA長官はコンゴ情勢について新大統領に説明しているが、ルムンバ殺害について触れていない。(前掲書)そのケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺され、その2年後にゲバラはモブツが支配するコンゴへ入って活動を始めたわけだ。
2017.10.15
トルコがロシアから防空システムS-400を購入する話に問題はないとトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は語ったという。システムの共同生産は次の段階であり、S-500に関する交渉も進めているとしている。2016年7月15日にクーデターを目論み、クルドへの軍事支援を強化しているアメリカとエルドアン政権との関係が修復される可能性は小さいだろう。ロシア国防省は9月24日、アメリカ、クルド、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の連携を示す衛星写真を公表している。ダーイッシュが支配する地域にアメリカの特殊部隊が戦闘態勢をとることなく駐留、クルドの部隊がその中を移動しているとしている。また、ダーイッシュの戦闘員は幹部からクルド部隊を攻撃するなと命令され、自分たちが支配する石油生産施設へクルド部隊が入ることを許しているとする証言がある。これは実際に起こっていることと矛盾しない。本ブログでもすでに書いたことだが、10月4日から7日にかけてサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王がロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談した際、ロシアから防空システムS-400を含む兵器/武器の供給を受けることで合意したようだ。生産を放棄したアメリカは基軸通貨を発行する特権で支配システムを維持しているが、その柱はペトロダラー。サウジアラビアをはじめとする産油国が石油取引の決済をドルに限定して世界がドルを求める環境を作り、産油国に集まったドルはアメリカの財務省証券や高額兵器を購入するという形でアメリカへ還流させて現実世界に流通するドルの量を調整してきた。こうした仕組みに協力する代償として産油国はアメリカから軍事的な保護を受け、支配層はその地位と富を保証されてきた。おそらく、日本でも似たことが行われている。ところが、サウジアラビアがアメリカ離れを起こしているように見える。シリアでの戦乱でロシア軍の強さを知り、世界がアメリカの思い通りに動かなくなっていることを認識した可能性が高い。しかも、ロシアの財政は安定、戦略的同盟国になった中国の経済力はアメリカより強くなっている。このロシアと中国が通貨の分野で連携を強めているが、中国らサウジアラビアに対し、人民元での決済を求めるのではないかと言われている。すでのロシアと中国はドル離れを推進、一種の金本位制へ移行しつつある。こうした動きに各国が同調したならドルは基軸通貨の地位から陥落、アメリカの支配システムは崩壊してしまう。西側ではこうした流れを見据え、巨大資本が支配する体制、つまりファシズムへ移行しようとしてきた。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットはそのためのものだ。そのキーワードはISDS(国家投資家紛争処理)条項。この計画を巨大資本は諦めない。今後、中露を中心とする多極的な世界へ向かう力と巨大資本が支配する世界へ向かう力の綱引きが激化するのではないだろうか?
2017.10.14
2016年7月15日にトルコでは武装蜂起があり、短時間で鎮圧された。レジェップ・タイイップ・エルドアン政権は黒幕をアメリカへ亡命中のフェトフッラー・ギュレンだと主張しているが、この人物はCIAの保護下にあると見られている。つまり、クーデター未遂を仕掛けたのはアメリカ政府だった可能性がある。その流れの中、今年10月5日にトルコのアメリカ領事館で働いているメティン・トプスが逮捕され、別のひとりの逮捕状も出されたと伝えられている。このクーデター計画の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたと見る人は少なくない。ボーテルは特殊部隊の出身で、昨年12月、大統領選で勝利したドナルド・トランプに対してシリアの反政府軍、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援し続けるように求めていた。マイケル・フリン前DIA局長やマーティン・デンプシー前統合参謀本部議長とは逆の考え方だ。トランプ政権でボーテルは残り、フリンは追い出された。デンプシーはバラク・オバマ大統領が議長の再任を拒否している。クーデター未遂の直前、エルドアン大統領はロシアに接近していた。2011年3月にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力がシリアを侵略し始めた時、トルコは侵略の拠点を提供、戦闘員も供給していたとされている。2015年9月30日にシリア政府の要請を受けたロシア政府が軍事介入、侵略勢力の手先になっていたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を敗走させはじめるが、そうした中、同年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜、脱出した乗組員のひとりを地上にいた部隊が殺害した。その殺害を指揮したとされているアレパレセラン・ジェリクは「灰色の狼」という団体に所属している。この団体は1960年代に「民族主義者行動党」の青年組織として創設されたが、トルコにおける「NATOの秘密部隊」の1部門だとも言われている。この撃墜はアメリカの承認、あるいは命令なしに実行できなかったはず。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問した。トルコ軍の幹部と討議したようだ。撃墜事件に関し、2016年6月下旬にエルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に謝罪、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。その一方、ロシア政府はトルコ政府に対し、事前にクーデター計画の存在を知らせたと伝えられている。後にトルコ政府はジェリクを逮捕したという。ここにきてサウジアラビアもロシアへ接近、10月4日から7日にかけてサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王がロシアを訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談、石油価格やシリア情勢のほか、防空システムS-400を含む兵器/武器の供給について話し合ったとされている。トルコも9月12日にS-400の購入で合意していたが、サウジアラビアの話が伝わるのと同じタイミングで共同生産を要求していると報道された。この要求が認められない場合、先の合意を取り消し、別の国から防空システムを購入するとしている。ただ、現状から考えてトルコ政府がアメリカ政府とよりを戻すとは可能性は小さい。フェトフッラー・ギュレンをトルコ側へ引き渡すとなれば話は別だが、そうしたことはないだろう。
2017.10.13
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は10月11日、アメリカ主導軍がシリアのロシア軍に対して血生臭い挑発を実行していると批判した。すでに同国の国防省は9月24日にアメリカ、クルド、ダーイッシュの連携を示す衛星写真を公表、アメリカ軍が制圧している地域からダーイッシュが攻撃したなら、そこをロシアは破壊すると宣言している。またロシア国防省は10月11日、アメリカ主導軍がシリア南部へ侵入して建設したアル・タンフ基地がダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を拠点に使っているとも批判した。アメリカ側はその基地でダーイッシュと戦う戦闘員を訓練しているとしているが、事実上、そうした集団が存在しないことは2012年8月の段階でアメリカ軍のDIA(国防情報局)が報告している事実だ。ロシア軍がアメリカを厳しく批判する切っ掛けになる出来事が9月20日にあった。戦闘漸減ゾーンであるイドリブの州都を13日からパトロールしていたロシア軍憲兵29名の部隊を武装集団が戦車なども使って攻撃、包囲したのだが、その作戦はアメリカの特殊部隊が指揮していたと言われている。ロシア兵を拘束し、プロパガンダや脅しに利用するつもりだったと見られている。戦闘は数時間続き、その間にロシア軍の特殊部隊スペツナズが救援に駆けつけ、Su-25も空爆して攻撃してきた部隊は壊滅、約850名が死亡したという。デリゾールでアメリカ主導軍の指揮下にある戦闘集団から再びシリア軍が攻撃されたなら反撃するとロシア軍は9月21日に発表、アメリカ軍とロシア軍の幹部との間で急遽、話し合いが持たれたと伝えられている。その4日後、ロシア軍事顧問団の幹部、バレリー・アサポフ中将がふたりの大佐と一緒にダーイッシュの砲撃によってデリゾールで殺されたと発表された。このケースでもアメリカ側からダーイッシュへ詳しい情報が流れたと見られ、ロシアのセルゲイ・リャブコフ副外務大臣はアメリカに責任があると語っている。地中海にいるロシア軍の潜水艦は10月5日、カリバル(巡航ミサイル)10機をデリゾールへ向けて発射、ダーイッシュの拠点を破壊した。ここにきてシリアのワリド・アル・ムアレム外相はアメリカ主導軍がシリアのインフラなどダーイッシュ以外の全てを破壊していると非難している。アメリカ軍がシリアのインフラを破壊、市民を殺してきたことは指摘されてきたこと。最近ではアメリカ、ダーイッシュ、クルドが連携している。2011年3月にシリアで戦争が始まった直後から、政府軍と戦っている相手が外国の勢力に雇われた傭兵だということは知られていた。こうした実態をローマ教皇庁の通信社アージェンツィア・フィディースでは2012年6月の時点で、西側メディアの偽報道を非難する報告を掲載している。その冒頭、現地を調査したフランス人主教は次のように語った:「全ての人が真実を語ったなら、シリアの平和は維持されただろう。戦闘が始まって1年を経たが、西側メディアの偽報道が押しつける光景は地上の事実からかけ離れている。」この指摘はシリアにおける戦乱の本質を言い表している。この戦争はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力がサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使った侵略にほかならないのだ。侵略勢力はまずバシャール・アル・アサド大統領を排除して傀儡政権を樹立しようとして失敗、サラフィ主義者を使って国を分断しようとしたが、サラフィ主義者を中心とする武装集団は敗走、今はクルドを使おうとしている。今の流れはアメリカ軍とロシア軍との直接的な軍事衝突へと向かっている。最近の動きはロシアが腹をくくったということだ。脅せば屈するというネオコンやイスラエルの戦法は破綻するだろうが、それが世界の破滅につながるかもしれない。そのアメリカに従属しているのが日本だ。
2017.10.12
現在、アメリカではロシア系のメディア、RTやスプートニクが司法当局から攻撃されている。ロシア政府のプロパガンダ機関だということのようだが、それならアメリカの支配層も恐れはしない。ソ連時代のプラウダやいずベスチアなどを思い起こせばわかるだろう。アメリカの支配層がRTやスプートニクなどを恐れるのはアメリカ国内で有力メディアから排除された少数派(例えば、戦争に反対し、強者総取りの社会システムに反対する人々)に発言のチャンスを与え、報道統制を揺るがしているからだ。アメリカに言論の自由があるという幻想を抱いている日本人は少なくないらしい。自分たちが従属しているアメリカは自由と民主主義の国だと信じたいのだろう。侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきたなどという話をそうした人々は拒絶し、このブログを読むこともないだろう。2008年11月、首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」でトヨタ自動車の奥田碩相談役(当時)は「正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうか」と口にしたという。確かに正直な人のようだ。最近は日本だけでないようだが、記者と呼ばれる人々は取材しなくなっている。政府、大企業、そうした「権威」のお墨付きを得た「専門家」たちが話すことをそのまま垂れ流しだ。中には気骨ある人物もいないではないが、1970年代半ばから急速に減った。トンキン湾事件という嘘で始めたベトナム戦争は泥沼化、1968年1月のテト攻勢で無惨な実態が露見して反戦運動が活発化する。この年の3月にはクワンガイ省ソン・テイン県ソンミ村の住民がウィリアム・カリー中尉の率いる部隊に殺された。ミライ集落とミケ集落を合わせるせると犠牲者の数は504名に達するという。この虐殺を従軍記者たちは知っていたのだが、伝えていない。カリー小隊の行為を止めたヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉の内部告発などで外部へ漏れ、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが1969年11月に書いた記事で知られるようになったのだ。この事件は1967年6月にCIAとMACV(南ベトナム援助軍司令部)が極秘で始めたフェニックス・プログラムの一環。1968年から71年までこの作戦を指揮したウィリアム・コルビーは1973年9月から76年1月までCIA長官を務めたが、そのとき、フランク・チャーチ上院議員が委員長を務める「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」(チャーチ委員会)で証言、「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と語っている。この秘密工作を隠蔽する仕事をしていたひとりがコリン・パウエル。その仕事を評価されたのか、後に統合参謀本部議長、そして国務長官を務めている。1980年代に発覚したイラン・コントラ事件にはフェニックス・プログラムに参加していたCIAオフィサーや軍人が登場している。アメリカにはベトナム戦争で自分の国が負けたという事実を受け入れられない人がいる。負けたのは投入した戦力が足りなかった上、戦争の実態を伝えたジャーナリストのために国内で反戦運動が盛り上がったからだというわけだ。ベトナム戦争でも従軍記者や従軍カメラマンは軍の命令に従って不都合な事実は基本的に伝えていないが、それ以外のルートから情報は漏れ、気骨あるジャーナリストによって報道された。1980年代に入ると気骨あるジャーナリストは有力メディアの世界から姿を消していくが、CIAの報道コントロール計画は第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃から始まっている。いわゆるモッキンバードだ。その中心にはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズというCIAの大物やワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムがいた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)ワシントン・ポスト紙はデタントを推進しようとしたリチャード・ニクソン大統領をウォーターゲート事件で失脚させ、日本では「言論の自由」の象徴として崇めている人もいる。その事件を取材したことで有名になったカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)最近では、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテもメディアとCIAとの関係を告発している。彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。その結果、ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっているとしていた。そして2014年2月、この問題に関する本を出した。アメリカでは今年、英訳本が出たはずだが、流通していない。こうした西側の有力メディアはアメリカ司法省と同じように、必死でロシアを攻撃している。
2017.10.11
サウジアラビアはロシアから防空システムS-400を含む兵器/武器の供給を受けると伝えられている。10月4日から7日にかけてサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王がロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談したが、そのひとつの結果だ。S-400は9月12日にトルコも購入することで合意していたが、サウジアラビアの話が伝わるのと同じタイミングで共同生産を要求していると報道された。この要求が認められない場合、先の合意を取り消し、別の国から防空システムを購入するとしている。トルコ的な駆け引きに出たようだ。2011年春にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中止に始められたシリアやリビアへの体制転覆作戦にトルコも参加、その手駒として動いていたのがサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装集団、つまりアル・カイダ系武装集団(AQI、アル・ヌスラなどさまざまなタグが付けられた)やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。そうした侵略部隊の兵站線はトルコから延びていた。この兵站線は2014年1月にトルコの憲兵、ウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐が摘発したが、翌年の11月28日に逮捕されてしまった。この武器密輸を指揮していたのはレジェップ・タイイップ・エルドアン体制を支えてきた情報機関のMIT。この摘発をトルコのジュムフリイェト紙は2015年5月に報道、同紙の編集者が同年11月26日に逮捕され、ジャン・ドゥンダル編集長とアンカラ支局長のエルデム・ギュルは「国家機密」を漏らしたという理由で懲役5年以上の判決が言い渡された。編集長は現在、ドイツへ亡命中のようだ。シリアを侵略している武装勢力へ兵器/武器などを運び込んでいることを報道したジャーナリストはほかにもいる。そのひとりがイランのプレスTVの記者だったセレナ・シム。トルコからシリアへダーイッシュの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。そのシムは2014年10月19日に「交通事故」で死亡した。その前日、彼女はMITからスパイ扱いされ、脅されていたという。2014年から15年にかけてアメリカのバラク・オバマ政権ではアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを危険だと考える人々は排除された。例えば、マイケル・フリンDIA局長(2014年8月に解任)、チャック・ヘイゲル国防長官(15年2月に解任)、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(15年9月に退役)だ。武装勢力を使った攻撃を強めようとしたのだろうが、そうしたとき、2015年9月30日にロシアはシリア政府の要請を受けて軍事介入、戦況を一変させ、アメリカの傭兵たちは敗走しはじめる。日本では「右」も「左」もアメリカ信奉者が多いが、この過程でロシア軍は兵器がアメリカ軍を上回る能力を持つことを示し、通常兵器での戦闘ならアメリカ軍/NATO軍は粉砕されるだろう。戦闘機や戦車以上にアメリカを震撼させたのは巡航ミサイルの性能だったようだ。また、電子戦の能力も高いようで、トマホーク・ミサイルを墜落させたり、イージス艦の機能を停止させたとも言われている。ここにきてロシアに接近する国が増えている一因はこの辺にあるだろう。アメリカのコロガシ経済や武装勢力の編成と支援で重要な役割を演じてきたサウジアラビアがロシアへ接近している意味は重い。これまでアメリカやイスラエルの傍若無人ぶりに辟易していたが、武力を恐れて沈黙してきた国は少なくないはずで、そうした国々がアメリカ離れを起こしかねない状況だ。アメリカは張り子の虎に過ぎないと考える国が増えたなら、アメリカの支配システムは崩壊する。アメリカやイスラエルとしては、ロシアや中国を何としても潰したいところだろう。
2017.10.10
カタルーニャではスペインから独立すべきかどうかを問う住民投票が実施され、92%が独立に賛成した(投票率43%)という。この投票をスペイン政府は非合法だと宣言、警官隊を投入し、暴力的に投票を妨害した。2014年のウクライナでとは雲泥の差だ。ウクライナの場合、アメリカのネオコンやNATOを後ろ盾とするネオナチがチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ、さらにブルドーザー、ピストルやライフルを持ち出していたが、それでもビクトル・ヤヌコビッチ政権は警官隊に暴力的に対応しないように支持していた。それでも気に入らないバラク・オバマ米大統領は当時のウクライナ政府に対して警官隊を引き揚げさせるように求めている。最終的に反政府派は無差別の狙撃を始めた。このクーデターではイゴール・コロモイスキーという三重国籍(ウクライナ、キプロス、イスラエル)の富豪や世界的な投機家のジョージ・ソロスが資金を提供していたと言われている。このソロスは自身の基金を使い、規模は大きくなかったようだが、2014年からカタルーニャの独立運動も支援していたと伝えられている。言うまでもなく、ソロスが国を乗っ取ろうとする目的は私利私欲。それ以外にはない。9月にはイラクのクルド組織が独立を問う住民投票を実施、やはり圧倒的な多数が賛成したという。この組織は1960年代からイスラエルの指揮下にあり、今回の住民投票の黒幕はネオコンとイスラエルだと見られている。ここにきてクルドが注目されているのは、新たな侵略戦争の主力になりそうだからだ。2011年春からシリアを侵略、バシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力が送り込んだ傭兵、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はシリア政府の要請で介入してきたロシア軍によって壊滅寸前の状態。そこで、トルコの反発を承知でクルドを前面に出してきたわけだ。ここにきてサウジアラビアもこうした武装集団への支援を打ち切る姿勢を見せているようだが、これが事実ならアメリカにとって深刻な事態。1970年代からアメリカの支配システムを支えてきたペトロダラーはサウジアラビアを中心に動いてきたからだ。アメリカや国連がサウジアラビア批判を強めてきたなら、サウジアラビアのアメリカ離れは事実の可能性が高いと判断できる。カタルーニャの独立にアメリカの政府や有力メディアが好意的だとするならば、逆のことが言える。つまり、独立をアメリカ支配層が望んでいるということだ。実際、NATOはカタルーニャの独立に賛成しているようだ。カタルーニャでは1930年代に自治が認められたが、ナチス時代のドイツを後ろ盾とするフランシスコ・フランコが独裁体制を樹立すると自治は認められなくなる。自治が復活するのはフランコが死亡した1975年の後。独立運動が復活するのは2006年からだ。
2017.10.09
サウジアラビアのジッダにある宮殿近くで10月7日に侵入を図った人物と治安部隊との間で銃撃戦があり、侵入犯1名と治安要員2名が死亡したという未確認情報が流れている。8月にはムハンマド・ビン・サルマン皇太子の暗殺未遂事件が伝えられていた。サウジアラビアの不安定化は深刻になっているようだ。ビン・サルマン皇太子はサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王の息子。国王は6月21日に皇太子を甥のムハンマド・ビン・ナーイフからビン・サルマンへ交代させ、ナーイフは自宅で軟禁されたと言われている。その後、イスラエル軍がF16やF15といった戦闘機、電子戦用の航空機など18機をサウジアラビアへ派遣したとイランのメディアは伝えていた。この新皇太子は国防大臣で、軍事部門や情報部門に大きな影響力を持ち、その兄弟も要職についている。今年4月にエネルギー担当大臣へ就任したアブドラジズ・ビン・サルマンや駐米大使になったハリド・ビン・サルマンだ。次のステップとして、ビン・サルマン皇太子が国王に就任するのではないかと見られている。こうした権力の集中は現国王の体制が不安定化していることを示唆していると見る人もいる。昨年12月には数十名の王子や王女が国外へ脱出し、カタールに対する兵糧攻めに反対した人々は逮捕されたという。9月には聖職者や司法関係者も逮捕されたと報道されている。こうした逮捕者の中には、サウジアラビア王室のシリア侵略、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を批判してきた人も含まれている。本ブログでも指摘してきたが、サウジアラビアの総合情報庁長官を務めていたバンダル・ビン・スルタンの後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの主要メンバーだったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を動かしてきたのはビン・サルマン皇太子だと言われている。ムスリム同胞団へも影響力を持っているが、このグループへの影響力はカタールの方が強いとされていた。このビン・サルマン皇太子はネオコンやイスラエルと近い関係にあるとも言われているのだが、サウド国王がロシア訪問中、ウラジミル・プーチン大統領に防空システムS-400を購入したいという意向を伝えたとされている。この取り引きを成立させる条件として、ロシアはサウジアラビアに対し、サラフィ主義者への資金や武器の供給を止めるように求めるだろう。この条件を呑むということはアメリカの好戦派に反旗を翻すことを意味し、アル・カイダ系武装集団なり、ダーイッシュなりの攻撃もありえる。1970年代の終盤、ズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンを侵略する傭兵を育成したが、そのときにサウジアラビア王室は国内の「過激派」を送り出した。その「過激派」は王室に対する破壊活動を開始していたのだ。そうした状況が再び現れる可能性も出てくる。こうしたことを承知の上でサウジアラビア国王がロシアへ接近する理由として想定できるシナリオのひとつは、トルコと同じように、アメリカがサウジアラビアの現体制を倒そうとしたということ。真相は不明だが、中東再編の動きがサウジアラビアを巻き込もうとしている可能性は高い。
2017.10.08
サウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王が10月4日から7日にかけてロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談した。ロシアの防空システムS-400を含む兵器の取り引き、石油価格の安定化、シリア情勢などが話し合われたようだ。2011年からサウジアラビア、イスラエル、アメリカの三国同盟に協力してシリアに対する侵略戦争に参加していたトルコはすでにロシアへ接近、S-400の購入を決めている。2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入してから三国同盟の手駒であるサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は劣勢になり、今では崩壊寸前。そこでアメリカはクルド勢力を侵略の主力に据え、ダーイッシュなどの戦闘員を合流させようとしている。アメリカは今年5月から7月にかけてクルドを前面に出してきた。それに伴って戦闘車両などを含む兵器を大量にクルドへ供給する一方、サラフィ主義者への支援打ち切ると宣言しているが、実際は一体化させようと目論んでいるわけだ。シリアより少し前から侵略されたリビアは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ自身は惨殺されたが、シリアのバシャール・アル・アサド政権を三国同盟が倒すことは困難な状況だ。そうした中、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権はロシアへ接近、2016年6月下旬にエルドアン大統領はプーチン大統領に対してロシア軍機撃墜を謝罪、7月13日にはシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。トルコでクーデター未遂があったのはその直後だ。エルドアン政権はクーデターの首謀者としてアメリカへ亡命中のフェトフッラー・ギュレンの名前を挙げている。この人物はCIAの傀儡だと言われている。つまり、クーデター未遂の黒幕はCIAだったとトルコ政府は見ているわけだ。当時、イスラム世界では武装蜂起の数時間前にロシアの情報機関からトルコ政府へ警告があったという話が流れていた。蜂起が始まってから2時間後にイランもクーデターを批判している。当然、クーデター未遂後にトルコはロシアへさらに接近してNATOを揺るがしている。そしてサウジアラビア。この国はトルコよりアメリカとの関係は深い。アメリカは基軸通貨(ドル)を発行する特権と軍事力による脅しや侵略で生きながらえているが、ドルを基軸通貨の位置に留めてきたのはペトロダラーの仕組み。サウジアラビアをはじめとする産油国に石油の決済をドルに限定させ、産油国に蓄積されたドルでアメリカの財務省証券や高額兵器を買わせるという形で回収してきたのだ。サウジアラビアがアメリカから離れるとアメリカ中心の支配システムは崩壊しかねない。サウジアラビアはイスラエルとも緊密な関係にあり、三国同盟から離脱する可能性は小さいだろうが、現在の動きはアメリカ支配層にとって心地良いものではないはずだ。三国同盟がシリアの体制転覆計画が思うように進まず苛立っていた2013年7月末、サウジアラビアの情報機関、総合情報庁のバンダル・ビン・スルタン長官がロシアを訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談し、チェチェンのグループは自分たちの指揮下にあり、シリアから手を引けば冬季オリンピックの安全を保証できると持ちかけたと伝えられている。つまり、シリアから手を引かないとチェチェンを襲撃させると脅したわけだが、プーチンには通じなかった。その年の10月にバンダルはイスラエルを訪問、その直後からウクライナの首都キエフでは反政府の抗議活動が始まり、翌年2月のクーデターにつながる。このクーデターではイスラエルの影が見えた。しかし、今回のサウジアラビア国王のロシア訪問は友好的なものだったようだ。一時期、イスラエル首相もロシアを頻繁に訪問していたが、思い通りにならなかったと言われている。サウジアラビアの場合、どうなるかが注目されている。すでに原油価格の大幅な下落で財政が苦しくなっていると言われ、アメリカ支配層の心中は穏やかでないだろう。
2017.10.07
アメリカはイスラエルやサウジアラビアと共同で侵略戦争を繰り広げてきた。2011年からはシリアやリビアの体制を転覆させるため、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力を傭兵として使ってきたのだが、その目論見はロシア軍によって阻止された。そこで今年5月から7月にかけての頃に手駒をクルドへ切り替え、戦闘車両などを含む兵器を大量にクルドへ供給する一方、サラフィ主義者への支援打ち切ると宣言したが、アメリカは両勢力を合流させつつある。これまでアメリカ批判を押さえてきたロシア政府だが、今回はそうした動きを批判、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を打倒する上でアメリカは障害になっていると明言した。ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派がロシアを公然と脅すようになったのはバラク・オバマ大統領の最終年、2016年からだ。選挙戦の最中、2016年8月にヒラリー・クリントンと近いことで知られているマイク・モレル元CIA副長官がチャーリー・ローズのインタビューでロシア人やイラン人を殺すと明確に答え、実際、11月から翌年の2月にかけて6名のロシア人外交官が死んだ。その中には射殺されたトルコ駐在大使や心臓発作で死んだ国連大使も含まれている。2016年9月6日にはウラジミル・プーチン大統領の専属運転手が乗った公用車へメルセデスベンツが突入、その運転手は死亡している。ロシアとアメリカが逆だったら、西側の有力メディアは大々的な反ロシア・キャンペーンを展開したことだろう。オバマ大統領は自身の任期が1カ月を切る頃、外交官35名を含むロシア人96名をアメリカから追放した。アメリカとロシアとの関係を改善すると宣言していたドナルド・トランプ次期大統領(当時)に対する置き土産だ。その後も有力メディアや民主党は反トランプのキャンペーンを続けている。そして今年2月13日、大統領に就任した翌月にトランプは好戦派に降伏した。国家安全保障補佐官のマイケル・フリン中将を解任したのだ。フリンは2012年7月から14年8月にかけてDIA(国防情報局)の局長を務めてるが、その間、12年8月にDIAはシリアで政府軍と戦っている戦闘集団の中心はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(DIAはアル・ヌスラと実態は同じだとしている)だと報告書の中で指摘している。つまりオバマ大統領が言うところの「穏健派」は存在しないということだ。また、その報告書では、オバマ政権の政策が継続されると東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告している。その警告は後にダーイッシュという形で現実になった。退役後、この問題をアル・ジャジーラの番組で問われたフリン中将は、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。ダーイッシュが売り出されたのは2014年のこと。1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧している。その際にトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になった。パレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだが、静観していた。こうしたこともあってオバマ政権の中でフリンはダーイッシュ派のグループと対立、2014年8月にDIA局長を辞めさせられ、退役している。ダーイッシュとアメリカとの関係を口にした軍人はほかにもいる。例えば、2014年9月にトーマス・マッキナリー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けをしたと発言、同じ月に統合参謀本部議長だったマーティン・デンプシー大将は上院軍事委員会で、ダーイッシュに資金提供している主要なアラブ同盟国を知っていると証言、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官がアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。また、2014年10月には副大統領だったジョー・バイデンがハーバーバード大学で行った講演の中で、中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると発言している。ヒラリー・クリントンは2014年8月にジョン・ポデスタ宛てに出した電子メールの中で、サウジアラビアやカタールがダーイッシュなどへ資金や物資を供給していると書いている。また、これらでは触れられていないが、イスラエルもダーイッシュを作り上げた国のひとつだ。こうした作戦は遅くとも2007年の段階で知られていた。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがサラフィ主義者やムスリム同胞団を使い、イラン、シリア、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと指摘しているのだ。こうした情報は表に出ている。つまり、アメリカが「テロとの戦い」を行っている、ダーイッシュと戦っているというようなことを言うことはできないのだ。もし、そうした戯言を主張するメディアや政府が存在するならば、単なる嘘つきにすぎない。知らないということはないだろう。ここにきてロシア国防省はアメリカ、クルド、ダーイッシュの連携を示す衛星写真を公表し、アメリカ軍が制圧している地域からダーイッシュが攻撃したなら、そこをロシアは破壊すると宣言している。10月5日には地中海にいるロシア軍の潜水艦がカリバル(巡航ミサイル)10機をデリゾールへ向けて発射、ダーイッシュの拠点を破壊したという。これもアメリカに対するメッセージだろう。
2017.10.06
ラスベガスの銃乱射事件で警察発表を疑う声が相次いでいる。例えば、ホテルの32階にある部屋から銃撃されたことになっているが、10階のあたりに閃光が見えるという指摘。これは窓に何らかの光が反射しているのだと反論する人もいるが、ターゲットになったコンサート会場の出入り口がロックされて脱出できなかったという証言、バンプ・ファイア・ストックなどを装着してフル・オートマティック化したライフルでも、軍隊の経験がない人物が4分間に59名を射殺、500名以上を負傷させるのは無理ではないかと言う人もいる。事件の数日前、容疑者がフィリピンへ10万ドルを送金したのはなぜなのかという疑問も浮上。また、銃撃の45分前に現場でヒスパニック系の女性が「私たちはみんな死ぬ」と叫んでいたことも話題だ。アメリカで国民の銃所有が認められている根拠のひとつは独立宣言にある。人間は生まれながらにして平等であり、神から権利を与えられていると謳っている宣言で、その権利には生命、自由、幸福の追求が含まれるとされている。この宣言は1776年に起草されているが、先住民は人間として扱われず、侵略、破壊、殺戮で皆殺し状態。1864年にはシャイアン族とアラパホー族に対してサンドクリークの虐殺を行い、1890年には騎兵隊がサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を襲撃、150名から300名を虐殺している。北アメリカの先住民は1492年にコロンブス(クリストバル・コロン)がバハマ諸島に到着する前、210万人から1800万人いたと言われている。数値が明確でないのは、ヨーロッパからの移民が自分たちの殺した先住民の数を記録しなかったからだ。天然痘などの病気に原因を求める人もいるが、それも意図的に広められた疑いがある。こうした実態はあるが、独立宣言には生命、自由、幸福の追求を含む権利を守らない政府が登場したなら、その政府を倒し、新しい政府を打ちたてる権利を国民は持つとも主張している。王朝の交代にしろ、革命にしろ、支配者の交代は前支配者の処刑を伴うことが珍しくない。そこで、こうした血生臭いことを避けたいと考えた支配者は自分の地位を脅かしかねない勢力との間で契約を結ぶようになった。つまり憲法。こうした経緯を考えると、革命という裏付けのない憲法は空証文にすぎないとトーマス・ジェファーソンたちが考えても不思議ではない。通常、富と情報は支配者の元へ流れていく。この流れを放置しておけば独裁体制になり、国民の権利を踏みにじることになる。日本を含め、強者総取り、巨大資本が全てを支配するシステムを目指す新自由主義を信奉する国は、そうした状態になっている。そうしたシステムがファシズムだと本ブログでも指摘してきた。アメリカで独立宣言が機能しているならば、革命の時期に入っていると言えるだろう。革命とは単なる集会でもデモ行進でもない。武器を手に立ち上がることを意味している。アメリカで銃の保有が認められてきた一因はここにある。それに対し、支配者は革命を潰す手立てを講じ、治安システムを強化してきた。16世紀に豊臣秀吉は刀狩り令を出し、農民を武装解除した。その政策は今の日本でも続いているが、アメリカでも同じことが行われているように見える。アメリカでは銃の所有と犯罪が結びつけて語られるが、銃の保有が認められていてもアメリカのようになっていない国が少なくない。アメリカの場合、犯罪が増えている理由は別にあるだろう。その理由のひとつと言われているのが恐怖の蔓延だ。支配層の腐敗も無視できない。国内から銃をなくしても、アメリカは遥かに殺傷能力の高い武器/兵器で他国を侵略し、破壊、殺戮、略奪を繰り返すことだろう。
2017.10.05
10月1日にアメリカのラスベガスで銃の乱射事件があり、59名が死亡、500名以上が負傷したと伝えられている。ホテルの32階にある一室から近くの広場に向かって撃ったのだが、銃声からフル・オートマチックのライフルだと早い段階で指摘されていた。1986年から民間人がそうした銃を所有することは厳しく規制され、新品を購入することは困難。そこで古い銃を手に入れるか、改造したり特殊な装置をつける必要がある。今回の場合、そうした装置をつけていたようだ。世界が不安定化している中で引き起こされた事件だけに、何かあるのではないかと勘ぐる人もいる。例えば、スペインではカタロニアの独立、イラク北部ではクルドの独立ををめぐる住民投票がそれぞれ実施され、シリアではアメリカの情報機関がロシア軍を直接攻撃しはじめた。イラクのクルドがイスラエルの指揮下にあることは本ブログで何度か指摘した通りで、これはイスラエルの戦略に基づいている。イスラエルはシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒し、傀儡政権を樹立、さらにイランを制圧、そこからロシアへ攻め込もうという戦略がある。ジョージア(グルジア)の南オセチアへの奇襲攻撃やウクライナのクーデターにイスラエルが深く関与している理由もそこにあるだろう。これはネオコンの世界制覇プラン(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)とリンクしている。アサド体制を倒すため、イスラエル、アメリカ、サウジアラビアを中心とする勢力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵集団を使った。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。こうした武装集団をアメリカ軍が殲滅しようとしていなことはDIA(国防情報局)の報告書やアメリカ軍の将軍たち、あるいは前副大統領も口にしている。アメリカ政府が宣伝している「テロとの戦争」は戯言だ。こうした世界情勢の中、世界各国で不可解な「テロ」が引き起こされてきた。最近の例では、2016年7月14日はフランスの革命記念日(バスチーユの日)にニースで花火を見物していた人々の中へトラックが突入して84名が死亡、22日にはドイツのミュンヘンにあるショッピング・モールで銃撃があり、10名が殺されたとされている。この攻撃でも不可解な点が指摘された。例えば、ニースの現場が血の海になっていないのはなぜか、トラックに血がこびりついていないのはなぜか、190名近い人に衝突しているにもかかわらず、トラックが大きく損傷していないのはなぜか、警官隊が容疑者を生きたまま逮捕しようとしなかったのはなぜか等々。また、フランスのSDAT(対テロ警察)は地元当局に対し、監視カメラを含む映像から事件が写っている部分を消去するように要求、当局がそれを拒否したというのだ。映像が外部へ流れることを恐れたというが、対テロ警察が証拠を隠滅するように求めるとは尋常でない。ドイツの事件も詳細は不明だが、目撃者としてメディアの登場した人物を見て驚いた人がいる。ニースの事件を目撃したとしてメディアに語っていたジャーナリストのリヒャルト・グートヤーがドイツの事件も目撃していたというのだ。この人物が結婚しているエイナット・ウィルフはかつて将校としてイスラエルの電子情報機関8200部隊に所属していたことがあるのだが、この部隊はアメリカのNSAとも連携、両機関は共同でイランの核施設をサイバー攻撃したこともある。民間企業として別働隊が存在、世界のコンピュータ業界に強力なネットワークを張り巡らせているようだ。ウィルフはシモン・ペレス副首相の外交政策顧問やマッキンゼーの戦略顧問だったこともあるという。
2017.10.04
明治以降、日本の「エリート」はイギリスやアメリカの支配層に従属することで国内における地位を維持し、富を蓄積してきた。一種のオリガルヒだ。現在、アメリカで最も力を持っている勢力は1970年代の半ばに台頭したネオコンで、金融資本や戦争ビジネス、国外ではイスラエルと深く結びついている。イギリス、アメリカ、イスラエルには有名な情報機関があり、その内部には破壊工作(テロ)部門が存在している。中でもイギリスのMI6(SIS)、CIA、モサドが有名。イギリスやアメリカの場合、こうした情報機関を創設し、動かしてきたのは金融資本だ。例えば、CIAの前身であるOSSの長官を務めたウィリアム・ドノバン、OSS幹部で大戦後はCIAのドンになったアレン・ダレス、ダレスの側近で破壊工作部門を指揮したフランク・ウィズナーなど幹部にはウォール街の弁護士が少なくない。後にMI6へ吸収されるイギリスの破壊工作機関SOEの中心的な存在だったチャールズ・ハンブロは銀行家の一族。CIA長官になったジョージ・H・W・ブッシュ(エール大学在学中にCIAからリクルートされた可能性が高い)の父親や祖父はウォール街の大物、ダレスの側近でCIA長官になったリチャード・ヘルムズの祖父、ゲーツ・マクガラーは国際決済銀行の頭取を務めていた。1932年のアメリカ大統領選挙でニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが当選すると、JPモルガンをはじめとするウォール街の金融機関がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画したとスメドリー・バトラー少将らが議会で証言している。その当時の日本はJPモルガンの強い影響下にあり、その巨大金融機関と最も近い関係にあったと言われている人物が井上準之助だ。米英の金融機関を中心とする支配システムは戦後も続くが、1970年頃には立ち行かなくなる。そして1971年8月、リチャード・ニクソン大統領は金とドルとの交換を停止すると発表した。この後、アメリカはドルを基軸通貨として維持するためにサウジアラビアなど産油国に話をつけ、石油取引の決済をドルに限らせた。産油国に蓄積したドルを回収するためにアメリカの財務省証券や高額兵器を買わせ、アメリカは産油国の支配層に対し、国の防衛し、支配者の地位や収入を保証した。これがペトロダラーの仕組み。さらに、金融に関する規制を大幅に緩和させて投機市場を育成、ドルを吸収させるシステムも整備した。これにより、現実世界のハイパーインフレを投機市場のバブルへ転換させることに成功、そのバブルを支配層の富に見せかけている。詐欺にような仕組みでアメリカの支配システムは維持されているのだが、ドルが基軸通貨でなくなるとその幻影が消えてしまう。金銀財宝だと思っていたものが単なる枯れ葉に過ぎないということが知られたなら、アメリカの支配システムは崩壊する。ドルからの決別しようとしたイラクのサダム・フセイン体制やリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、フセインやカダフィが殺されたのを偶然だと考えてはならない。そして今、イラクやリビアより厄介な国がドル離れを進めている。その国とは中国やロシアで、両国に追随する動きも見られる。朝鮮半島の軍事的な緊張はアメリカの中国を締め上げるために好都合。アメリカはイスラエルやサウジアラビアを中心とする国々と手を組み、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ってシリアを侵略、体制を転覆させようとしたが、これはロシアに阻止された。そこでクルドを前面に出してきたのが現在の状況だ。ネオコンは自分たちの支配システムを維持するため、ロシアや中国を屈服させようと必死になっている。昨年の大統領選挙でドナルド・トランプはそうした政策に反対していたが、大統領就任から間もない段階でネオコンに屈してしまった。そのネオコンに従属しているのが日本。つまり、日本は中国やロシアとの戦争に協力させられている。シリアではアメリカがロシア軍を直接、攻撃し始めた。安倍晋三政権の衆議院解散はこうしたことが背景にある。
2017.10.03
民主党を破壊する引き金を引いた野田佳彦を幹事長にしたのにつづき、日本と中国との関係を壊す突破口を開いた前原誠司を代表に選んだ時点で民進党の命運は尽きていた。民進党のリベラル派で新党を結成するというが、真の意味でリベラルな人間がいるのだろうか。もしいるなら、こうした無様なことにはなっていなかっただろう。本ブログでは何度も指摘してきたが、日本のファシズム化はアメリカが震源である。1982年にロナルド・レーガン大統領が出したNSDD55によって、核戦争時に地下政府を作る計画(COGプロジェクト)がスタート、88年の大統領令で対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。この変更によって2001年9月11日の世界貿易センターや国防総省本部庁舎への攻撃でCOGが始動したと見られている。愛国者法がすぐに提出されたのは20年近い準備期間があったからだ。同時に地下政府が作られた可能性もある。日本でも盗聴法、特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪の創設、そして緊急事態条項が導入されようとしている。国民を監視、弾圧、戦争へ協力させる体制が整備されつつあると言えるが、その震源地はアメリカにほかならない。アメリカが露骨な侵略戦争を始めたのは1990年代の前半から。1991年12月にソ連というライバルが消滅し、アメリカは唯一の超大国になったと認識したネオコンなど好戦派が本性を現したのである。その世界制覇プランが1992年2月に国防総省のDPG草案という形で書かれた。このプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。このドクトリンに基づき、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれた。その過程で好戦派の計画が頓挫しそうになったことがある。2009年9月に内閣総理大臣となった民主党の鳩山由紀夫は東アジアの平和を訴える人物で、ウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいて動いたいる勢力とは相容れない関係。鳩山は小沢一郎に近かったが、その小沢に対する攻撃は2006年に始まっている。週刊現代の6月3日号に「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事が掲載され、09年11月には「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕されている。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴された。マスコミと検察がタッグを組み、小沢を潰しにかかったと言える。結局、検察が「事実に反する内容の捜査報告書を作成」するなど不適切な取り調べがあったことが判明、この告発は事実上の冤罪だということが明確になったが、小沢のイメージを悪化させることには成功、今でも受けたダメージから回復できていない。鳩山は2010年6月に総理大事の座から降りた。その後任になった菅直人は消費税の増税と法人税の減税という巨大企業を優遇する新自由主義的政策を打ち出して庶民からの支持を失い、首相就任の3カ月後には海上保安庁が尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、日本と中国との友好関係は急ピッチで崩れ始める。その協定を無視した取り締まりの責任者が前原だった。この鳩山/小沢潰しは検察とマスコミによるクーデターだとも言えるだろうが、似たようなことが1970年代にも引き起こされている。1976年2月にアメリカ上院の多国籍企業小委員会でロッキード社による国際的な買収工作が明らかになり、この年の7月に田中角栄が受託収賄などの疑いで逮捕されたのだ。ロッキード事件の発端はジョン・マックロイの調査だとも言われている。ガルフ石油が全世界で行っていた賄賂工作を調査していたのだが、その切っ掛けはアンゴラでの革命だと見られている。革命で西側の巨大資本は利権を失ったが、その時にガルフ石油だけが革命政権と取り引きを継続、それをアメリカの支配層は怒ったと見られている。その延長線上にロッキード事件もあるというわけだ。このマックロイはウォール街の大物で、第2次世界大戦後、世界銀行の総裁を経てドイツの高等弁務官を務め、高等弁務官時代にはナチスの大物を守ったことでも知られている。大戦後に収監されていた元ドイツ国立銀行総裁、ヒャルマール・シャハトを助け出したのもマックロイ。シャハトの義理の息子で元ナチス高官のオットー・スコルツェニーも収監されていたが、シャハトのアドバイスに従ってアメリカと協力関係に入った。スコルツェニーは拘留される前にナチスの仲間をアルゼンチンに逃がす組織、ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立、自由の身になった後の1948年には同じ目的でODESSAを創設している。日本での買収は全日空の旅客機導入に絡んでのことだとされているが、実際は次期対潜哨戒機の選定が目的だと見られてる。そうなると、本筋の政治家は田中以外の人物だということになるが、この人物は児玉誉士夫が1984年1月に急死したことで助かったようだ。1970年代、アメリカではベトナム戦争に反対する声が高まり、72年の大統領選挙では民主党の候補者に戦争反対を主張するジョージ・マクガバンが選ばれている。これは支配層の内部に衝撃を与えた。すぐ、民主党の内部に反マクガバン派が結成されるが、その中心になったのはヘンリー・ジャクソン上院議員。同議員のオフィスには、ポール・ウォルフォウィッツなど後にネオコンと呼ばれる人々が送り込まれ、訓練を受けていた。民主党内部の反乱だけでなく、メディアからも攻撃されたマクガバンは惨敗、大統領選挙で勝ったリチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で失脚、副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領の時(1974年〜77年)にデタント派は粛清されてネオコンが表舞台に出てきた。
2017.10.02
シリア政府の要請に基づき、ロシア空軍がアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に対する攻撃を始めたのは2015年9月30日だった。そうした戦闘集団は2年間を経た今、壊滅寸前になっている。アメリカが勝手にシリアで空爆を始めたのは2014年9月23日だが、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。事前に攻撃情報が伝えられていた可能性が高い。つまり八百長。アメリカが空爆を始める口実に使ったのがダーイッシュだった。ダーイッシュが売り出されたのは2014年。ジョン・ブレナンCIA長官がワシントンDCで「スンニ系アラブ諸国」の情報機関員と秘密裏に会談した1月にダーイッシュはファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧した。その際、トヨタ製小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その様子は写真に撮られて世界へ伝えられた。ダーイッシュのメンバーはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が中心だが、バラク・オバマ政権が支援している相手はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと2012年8月にDIA(国防情報局)に指摘していた。そのときの局長がマイケル・フリン中将。その情報は報告書の形でホワイトハウスへ提出されているが、その中で、オバマ政権のシリア侵略政策を変更しないと東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告している。その警告は2014年に現実となった。こうした事実は本ブログで繰り返し書いてきたが、そのダーイッシュをロシア軍は壊滅させようとしている。アメリカ軍は反シリア政府軍の幹部をヘリコプターなどで救出、どこかへ運び去っていると何度も報道されてきた。そして9月19日、アル・ヌスラ(アル・カイダ系武装勢力)が戦闘漸減地帯をパトロールしていた29名のロシア軍憲兵隊を攻撃した。人質にし、脅しなどに使うつもりだったと見られているが、ロシア軍とシリア軍は航空機や特殊部隊にる攻撃で襲撃側の戦闘員850名を死亡させ、多くの戦闘車両を破壊したという。これはロシア国防省の発表だが、ロシア側は攻撃の背後にアメリカの情報機関が存在していると明言している。24日にロシア国防省はダーイッシュの陣地にアメリカ軍の特殊部隊が使う装甲車や装備が写っている衛星写真を公表、その地域をクルド系のSDF(シリア民主軍)が安全に通過していることも明らかにした。そうした中、ダーイッシュのメンバーだという人物がアメリカ、クルド、ダーイッシュの連携について語っている。リーダーからクルドの部隊を天然ガスの施設へ入れるように命令されたというのだ。勿論、攻撃は禁止された。その人物はアメリカはクルドとダーイッシュとの統合を目論んでいることを知っているとも語っている。勿論、この人物の証言が嘘だということもありえるが、ほかの情報と矛盾しない。ダーイッシュの砲撃でロシア軍事顧問団のバレリー・アサポフ中将とふたりの大佐が砲撃が死亡したのはその24日だ。イスラエルの指揮下にあるイラクのクルドと違い、シリアのクルドは独自の戦略があるとする人もいる。その推測が正しいなら、アメリカはダーイッシュを再編するしかないだろう。データベースである「アル・カイダ」から指揮官クラスのメンバーを選び、新たに戦闘員を集めるということだ。アメリカにしろ、クルドにしろ、ロシアにしろ、シリアにしろ、デリゾールの制圧を重視しているのは、その南東方向、ユーフラテス川沿いに広がる油断地帯を押さえたいからだと見られている。
2017.10.01
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