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「晩年になり書きまとめた更級日記」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。孝標の娘は自分の物語を作りたい、だから作家の道を志し打ち込んだ。それなのに、本来憧れの存在である物語を出世の道具にしてしまった。そういうことに対する痛切な悔いの思いと言うものを抱いた。その事がひいては、自身の物語創作を書かないという選択させる要因となった。更級日記に作家であると言う事を書かなかった孝標の娘には強い後悔があった。失意の中で孤独な日々を送る事にり、我が身を重ねた場所が長野にある。つきもいでて 闇にくれたる おばすてに なにとて今宵 たづね来つらむ月もないような暗い 闇に沈む 姨捨山に捨てられたような私であるなんと言っても 今宵も誰も私を訪ねては来ないと詠んでいる。この姨捨山のふもとを「さらしな」と呼ばれており、そのため孝標の娘が晩年に書いた日記は、いつしか「更級日記」と名付けられた。一人自らの人生と向き合い日記を書き続け、孝標の娘が求めたものは彼女自身の心の癒しであり晩年になり書きまとめた更級日記である。
2019.06.30
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「自分の思い描いた人生とはいかない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。夢見る少女だった孝標の娘が社会的立場のために裕福になりたいと願う気持ちは孝標の娘が大人になったという事なのだろう。更級日記にも、今はひたすら豊かな身となりたいと書き綴っている。自分の将来について夢占いをしてほしいと奈良の長谷寺初瀬をした。御簾が青々として几帳の下から色とりどりの装束がこぼれ出ている。梅や桜が咲き乱れウグイスが鳴いていると、夢が帝の内裏になる証と喜ぶ。順風満帆な人生を歩む孝標の娘だったが、宮仕えを初めて6年後のこと後朱雀天皇が崩御されることとなってしまい後冷泉天皇が即位する。だが皇子がいないため腹違いの弟の尊仁親王が皇太子となり頼通とは関わりのない皇太子となり孝標の娘の夢は消え失せてしまうことになる。翌年、天皇即位に伴う大嘗会があり、更級日記には、鴨川で大嘗会の禊が行われ都中騒いでいたとあるが、孝標の娘は大嘗会を見たくないと京を出る。自分の思い描いた人生とはいかず不可抗力のような力に潰されてしまった。その10年後に夫は病で世を去り子供は独立し、孝標の娘は人生を振り返る。
2019.06.29
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「乳母は優れた才能が求められる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。宮仕えを始めてより一年後、藤原家に仕える男性にみそめられ結婚。翌年34歳で出産した。夫の名は橘俊道で奈良時代からの名家であるが源氏の君のような、ときめきはなかったようである。34歳で出産とは驚く。まもなく孝標の娘の夫は豊かな下野国の国司に抜擢され、大事に育てた姪が関白の元へ宮仕えする事になるが、いずれも孝標の娘の働きに報いたのだろう。この時代の人事は高貴な人たちのさじ加減で決められ孝標の娘も現実的な報酬と言うもの、具体的には一族の出世に期待していくという形に変わった。物語で人生を切り開いていく孝標の娘は、ある野心を抱くようになる。更級日記にも夢は皇太子の乳母になり帝の庇護をたまわりたいと書き綴る。皇太子に父を与える乳母は教育係でもあり優れた才能が求められる。皇太子が成長し天皇となれば乳母は秘書である典侍(ないしのすけ)となり朝廷の人事に影響力を持て、皇太子の乳母になる事は羨ましがられた。頼通は当時皇太子親仁親王の後見をして、頼通の姪との間に皇子が生まれれば孝標の娘が乳母に選ばれる可能性が出て来るが、思うようにはいかなかった。
2019.06.28
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「憧れの仕事に就け人生は大きく変わる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(帰宅途中の小学生に「もも」を持って頂いた)孝標の娘は父が引退したため32歳の独身で家の主となり更には病で母を亡くした姪たちの面倒までみる事となり、二人の姪に物語を聞かせたその噂は宮中にまで届き、宮使いをしないかと誘いがあった。孝標の娘を宮使いに引き入れたのは時の関白藤原頼通で藤原道長の息子だ。藤原親子は政治の実権を握るため盛んに優れた作家を召し抱えていた。一族の娘のもとで物語を書かせるためで、文学好きの天皇が娘の所へ通うようになり皇子が誕生し、その王子が天皇にでもなれば後見人となれる紫式部の源氏物語もこのような思惑で藤原道長が紙を提供し生み出された政治上の主導権を握るという点においても物語の創作というものは源氏物語以降政治上意味を持っていたとされ、頼通は孝標の娘に物語を書かせようとしたのではないだろうか。宮仕えをしてからも孝標の娘は自宅で執筆活動をして書き上げてより出仕するという住み込みで宮仕えする女性たちとは待遇面で違っていた。宮仕えという憧れの仕事に就けた孝標の娘、人生は大きく変わって行く。
2019.06.27
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「少女から大人への心の変化が読み取れる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。千年も昔に女性の気持ちが率直に、そして生き生きと描かれた更級日記。更級日記のような個人的な記録は、まさに孝標の娘が生きた平安中頃に現れた。日本独特の文化を生み出したのは中国からの漢字ではなく平仮名だったのでは。日本語の発音を文字にした平仮名の誕生が日本人の心の機微を記す事が出来た。古今和歌集に、心に思う事や見るもの聞くものについて言えるようになったと。もっぱら女性に広まったこともあり、女性ならではの作品が生まれていった。作品は浮気ばかりする夫への不満や職場の同僚の人物評価や恋の話まで綴られたなかでも更級日記は、少女から大人に至る心の変化が読み取れる唯一の作品。物語への憧れをはじめ、自らの気持ちを、つぶさに記録した菅原孝標の娘。現存する更級日記は鎌倉時代の著名な歌人である藤原定家が書き写したもの。菅原孝標の娘は、夜半の寝覚、御津の浜松、みづからくゆる、あさくら等四つの物語を書いたが、自らの執筆活動については何も記してはいない。孝標の娘は何故輝かしいキャリアを隠したのだろうか。その謎を解く鍵は32歳以降の日記に記述があり、孝標の娘は独身のまま家の主(あるじ)となった。
2019.06.26
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「物語に魅せられ育てられた少女」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。孝標の娘の現実に降りかかる辛い事を物語の中に逃げ込んで忘れる事も出来るし、物語はすごく現実の方にはみ出し力を及ぼす。そして物語を読む事で人を強くし たくましくもすると感じた。更級日記に書いた事は、昼は一日中、源氏物語を読み、夜になっても灯りをともして灯りの近くに行き読んだとあり、やがて薄雲を暗唱。夕日はなやかにさして 山際の梢(こずえ)あらわなるに 雲の薄くわたれるが鈍色なるを 何ごとも御目とどまらぬころなれどいとものあはれに思さる(源氏物語の薄雲より)更級日記には、自然と物語が頭の中に浮かぶので素晴らしい事だと思ったと源氏物語を暗唱できてしまうほどの読み込みぶりに、凄いと書き記している。本を読む事を通して 書を学んだり いわば自分磨きにつながって行った。何よりも源氏物語は孝標の娘の心に、ときめきを与えてくれたのではないか。更級日記には、年頃になれば容姿もとても良くなって髪も長くなるはずそうすれば光源氏が愛した姫君のようにきっとなると綴っている。菅原孝標の娘も物語に魅せられ育てられた少女だったのだろう。
2019.06.25
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「物語には人を元気にする力がある」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。散る花も また来む春は 見もやせむ やがて別れし 人ぞ恋しき散った花は 春が来ればまた 見られるけれど別れた人にはもう会えない こんなに恋しいのにと心の内を詠んだ。悲しくおもい嘆いて 物語を読みたいと言う気持ちがなくなりましたと世を去って行った人を思い悲しみ 物語はいつの日か読まなくなった。孝標の娘が塞ぎ込む日々に、叔母がある物を見つけて来て差し出した。孝標の娘が贈り物の包みを解き箱を開けて見るとそこには源氏物語だった。孝標の娘に叔母は、貴女があんなに読みたがっていた物語よと差し出しこれを読んで元気を出しなさいと源氏物語五十余巻をプレゼントした。孝標の娘は更級日記の中で、部屋の中で横になりながら源氏物語を一の巻から読んだが、自然と気持ちが慰められたと書き綴っている。物語には人を元気にする力があり、時には辛い現実から逃避にもなりそれはとても自然な心持ちで受け入れる事が出来たのであろうと思う。
2019.06.24
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「悲嘆にくれる孝標の娘が詠んだ歌」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。京の都の中で物語の書物を探して見せてとお願いしていたが直ぐに見つかる。父の孝標の赴任先が京の都になり家も三条坊門小路と高倉通りに邸があった。天皇が住む大内裏が近く、位の高い人の屋敷が集まっている所にあった。位の高い屋敷には和歌や音楽など文芸に秀でた女性が多く働いていた。中でも「ものがたりのかみ」と呼ばれた女性たちは正に物語を書くのが仕事。物語りは主や家族や仕える人たちに読まれた後、家の外へと広まって行った。孝標の娘に届いた物語もこのような天皇家の姫君からのお下がりであった。元の物語の持ち主は天皇家の姫君に仕えた女性で、まだ幼い孝標の娘をめずらしがりプレゼントしてくれたようであった。春はあけぼのの清少納言の枕草子もあったが紫式部の源氏物語はなかった。そんな中、義理の母が父孝標と離婚し家を出てしまい悲しい気持ちに。その三カ月後追い打ちをかけるように乳母が流行り病を患い亡くなる。悲嘆にくれる孝標の娘がこのとき詠んだ歌が散る花も また来む春は 見もやせむ やがて別れし 人ぞ恋しき
2019.06.23
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「更級日記は少女の頃からの日記の回顧録」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。研鑽-1では平安時代古文でドン引きされた方もいたのではと思い取りあえず古文のひらがなは削除し極力現代文で書き綴って行きたい。更級日記の作者の父は菅原道真の曾孫の菅原孝標の娘である。名前は分かっておらず菅原孝標の娘として語り継がれ、孝標の娘は小さい頃より源氏物語に憧れ義理の母や姉や乳母から物語を聞いて育つ。退屈な日々の唯一の楽しみは義母や姉たちから光源氏の物語りを聞くこと。紫式部が源氏物語を世に出して10年が過ぎた頃で京の都から遠い上総ではとても手に入らず読んだ事のある大人に内容を聞くしかなかった。義理の母や姉、乳母(めのと)の話を聞くが、それぞれ物語の記憶が曖昧で更級日記の中で、私の望み通りちゃんと覚えて語ってもらう事は出来ないと。夕顔の物語りでも見舞いに行く時だったか、帰りだったかそれぞれ違いまだ十歳ほどの孝標の娘は等身大の薬師如来像を作り願い事をしていた。光の君はあの後どうしたのかしら、知りたくてもどかしいとも書き記している。少しでも早く京の都へ上がらせて下さいと願掛けをし三年後十三歳の年に念願の京の都へ行く事になり、物語をさがして見せてと乳母たちへ告げた。更級日記は孝標の娘が少女の頃から書いた日記の回顧録で53歳で完成する。
2019.06.22
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「門出-原文 次回は簡単な紹介」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。更級日記の作者は菅原道真の曾孫にあたる菅原孝標の次女・孝標の娘。母の異母姉は蜻蛉日記の作者・藤原道綱母。夫の死を悲しんで書いた回想録。作者の孝標の娘が13歳から、52歳頃までの約40年間を回想し綴られている。あづま路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひけることにか(源氏の君の物語を聞くが皆の話はいい加減で想像が膨らむ)世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつつれづれなるひるま、宵居などに、姉、継母やなどやうの人々のその物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くにいとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。(薬師如来に願掛けし13歳で京の都に住むことになり物語に出会う)いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして人まにみそかに入りつつ、京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなるあるかぎり見せたまへと、身を捨てて額をつき祈り申すほどに十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。年ごろ遊び馴れつる所を、荒はにこほち散らして、立ち騒ぎ手、日の入りぎはのいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
2019.06.21
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「次の世代の人々にタスキを渡す」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。蜻蛉日記を書き綴った21年間の最後の日記には道綱の新年を迎える準備に道綱母である作者は多忙を極めていたが静かな夜を迎えると作者の脳裏には過ぎ去った二十一年のことが、鮮明に思い浮かんでは走馬灯のように流れ去っていった。摂政・関白に任ぜられる家柄の摂関家の若い貴公子兼家の求婚にはじまり結婚そして、道綱出産、夫の漁食(次々に女を追い求める)癖に悩んだ青春の日々の事や嘆き、ライバル時姫の子女五人の出産に嫉妬宿願の本邸入りの夢が破れたあとの不安の中年の日々の描写。結婚十七年目元日に兼家邸前素通りや、鳴滝の山寺長期参籠、広幡中川への移居等々思い出しては色々な香りを醸し出し足早に消え去っていった。兼家との関係も書き綴る事もなくなり、次の世代の人々にタスキを渡す今道綱や養女のように新しく迎える年に対する胸のふくらむ思いもなくなった。胸のときめきもなくなったことをしみじみ感慨深く思ったのであろう。外では追儺(ついな)の戸を叩く音が耳にひびき、静かな京のはずれの道綱母の住居の大晦日の夜は次第に更けて行き蜻蛉日記は二度と綴られず道綱母は59歳の長寿を全うし、道綱も大臣を歴任し66歳と長寿の生涯だった。次回より40年の半生を綴った更級(さらしな)日記を研鑽したい。
2019.06.20
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「兼家の和歌を多数収めているので」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。蜻蛉(かげろう)日記は、夫である藤原兼家との結婚生活や兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争や夫兼家に次々とできる妻妾について書き、また滋賀大津の唐崎祓への神社詣の事柄や滋賀大津の石山詣の事柄、奈良の長谷詣などの旅先での出来事を綴り上流貴族との交際の事柄や、母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談について藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。歌人との交流についても書いており、蜻蛉日記の和歌は261首書かれており、「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首にとられており、女流日記の先駆けとされ、源氏物語はじめ多くの文学に影響を与えられ、自らの心の内や経験を客観的に顧みる文学でもある。兼家に対する恨み言を綴ったものや、復讐のための日記とする人もあるが兼家の和歌を多数収めているので、実の所、兼家の協力を得て書いた貴族への宣伝の書ではないかと理解する文学研究学者もいる。
2019.06.19
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「母の思い出にひたっているうちに」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。今年は天候がひどく荒れる事もなく、雪が二度ほど降っただけである。道綱の元日の装束や、馬寮の白馬を天覧の後、群臣に宴を賜わる儀式の節会に着ていく物など整えているうちに、大晦日になってしまった。明日の元日の引出物にする布地を、折ったり巻いたりするのを侍女たちに任せたりして、考えてみると、このように生き長らえて今日まで過ごしてきたのもあきれるばかりである。御霊祭などを見るにつけても、例年のように尽きる事のない母の思い出にひたっているうちに、今年も終わってしまった。ここは京のはずれなので、夜がすっかり更けてから追儺の人たちが門を叩きながら回って来る音が聞こえる。追儺(ついな)とは、大晦日の日に悪鬼を追い払う行事のこと。
2019.06.18
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「深い嘆きで心が落ち着かず休まらない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。八橋よりの返事が届いた。千年ふる 松もこそあれ ほどもなく 越えてはかへる ほどや遠かる千年も経った松だってあります まもなく年が越えて春なったら私も帰りますが それがそんなに遠いことでしょうかと書いてある。どういうこと、変な事を言うと思う。風が吹き荒れている時に道綱が ふくかぜに つけてもものを 思ふかな 大海の波の しづこころなく風が吹くにつけても物思いは絶えません。大海の波が立ち騒ぐように心が落ち着かず心が騒いでと書いて八橋へ送った。返文には、返事を申し上げる筈の人は、今日の事に掛かりっきりでと今までとは違う筆跡で、葉が一枚だけついた枝につけてあった。折り返し、あまりにも辛くて、みじめな思いでと思い文を送る。わがおもふ 人は誰そとは みなせども なげきの枝に やすまらぬかな私の思う人は他ならない貴女ですが 今にも散りそうな一枚の木の葉のようにわたしも深い嘆きで心が落ち着かず休まらないのですと送った。
2019.06.17
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「年まで越して待っている人もいる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(ももは6月15日で満3歳を迎えた)道綱は、わずか一夜ですから、こちらでお過ごしくださいと書いたようだ。かひなくて 年暮れはつる ものならば 春にもあはぬ 身ともこそなれ待つ甲斐もなく 今年も暮れてしまうなら 春にもあわないで 死んでしまうでしょうなどと懇願にも似た文を綴り送る。(チョコ板のもも3才の文字が少し隠れた)だが、今度も返事がないので、どうしたのだろうと思っているうちにあの女性には、色々言い寄る男が大勢いるそうな噂を聞き文を出す。われならぬ 人待つならば まつといはで いたくな越しそ 沖つ白波わたし以外の人を待っているなら 先日の歌のように、待つなどと思わせぶりなことを言って 私を裏切らないでくださいと送る。(テーブルクロスを引っ張るのでケーキが落ちそうに)女性から返事が来た。越しもせず 越さずもあらず 波寄せの 浜はかけつつ 年をこそふれ裏切るも裏切らないもありません わたしは今までずっと どなたにも同じように心を寄せて過ごしてきたのですと書いてあった。(13キロになったももを抱えていただき撮影した)年がおしつまったころ、道綱は八橋へ手紙を出す。 さもこそは 波の心は つらからめ 年さへ越ゆる まつもありけりあなたの心がそんなに冷たいとは 波だけでなく 年まで越して待っている人もいるのですよと女性へ不満の文を送る。
2019.06.16
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「春が来た事を知らせたが返事はなかった」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。道綱は、女性からの返事がないので、次の日あたりに、使いを行かせた。女性から柧棱(そば)の木につけて、見たとだけ書いてよこした。ソバノキの実の小さいことから、実の無けくにかけた枕詞。道綱はすぐに返事を送った。 わがなかは そばみぬるかと 思ふまで みきとばかりも けしきばむかなわたしたちの仲は疎遠になったかと思うほど 見たとだけ書いて冷たくなさるのですねと虚しい胸の内を女性に告げる。やっと女性から返事が来る。天雲の 山のはるけき 松なれば そばめる色は ときはなりけりわたしは雲のかかる遥か彼方の高い山の松ですから 冷たいのは常磐の松のようにいつものことですと送られて来た。年内に節分をするので、方違えはこちらへと道綱は、使いに言わせていとせめて 思ふ心を 年のうちに はるくることも 知らせてしがなあなたを思っている気持ちを年内にわかっていただき わたしにも春が来たことをお知らせしたいのですと送るが返事はなかった。
2019.06.15
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「長い間独り寝をしてきたけれど」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。女が負けたくないと思っているようなので、道綱が手紙を綴る。おおぞらも 雲のかけはし なくはこそ 通ふはかなき なげきをもせめ 大空に雲の架け橋がないのなら 通うことができないで嘆くでしょうが 大空には雲の架け橋があるのですからと書いて送り返事が届く。ふみみれど 雲のかけはし あやふしと 思ひしらずも 頼むなるかな踏んで通おうとなさっても雲の架け橋は危ないもの お手紙を拝見しましたが通う事ができないのを分からないで 期待していらっしゃるようね。女性よりの文に、また、道綱が文を綴り送る。 なほをらむ こころたのもし あしたづの 雲路おりくる つばさやはなき やはりわたしは、このまま待ち続けます 雲路から舞い降りる翼がないわけではありませんからと女性へ送った。今度は、暗くなったからということで、それきりになり十二月になった。また道綱の方から女性に文を綴り送った。かたしきし 年はふれども さごろもの 涙にしむる 時はなかりき衣の片袖を敷いて長い間独り寝をしてきたけれども 今までこれほど夜着が涙で濡れたことはありませんと送るが、外出中で返事はなかった。
2019.06.14
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「踏み始めた足跡をたどるように」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。かへるさの くもではいづこ 八橋の ふみみてけむと 頼むかひなく お返事は八橋の帰りに蜘蛛手の道で迷っているのでしょうか手紙をごらんになっただろうと期待した甲斐もなく。今度は返事が来た。かよふべき 道にもあらぬ 八橋を ふみみてきとも なに頼むらむ通うことなどできない道なのに わたしが手紙を見たからといってなにを期待していらっしゃるのでしょうと、侍女に書かせてあった。 なにかその 通はむ道の かたからむ ふみはじめたる あとを頼めば どうして通えないことがあるでしょうか 踏み始めた足跡をたどるように手紙を通い始めた二人ですから そのうち通えるようになります。そしてまた、道綱へ返事が返って来た。 たづぬとも かひやなからむ 大空の 雲路は通ふ あとはかもあらじお訪ねくださっても甲斐がないでしょう 私の所へは 蜘蛛手ではなく大空の雲路ですから 足跡など残ってないでしょう。道綱が文を送る。
2019.06.13
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「私の一言で打ち解けてほしいと」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。例年よりは、儀式が早くすんで、上達部(かんだちめ)の車や連れ立って歩いてくる者は、檳榔毛(びろうげ)の車を取り巻く人たちを見て、あの人の車だとわかったのだろう、そこに止まって、同じ場所に車の前をそろえて止めた。わたしの大切な子は、急に舞人に召されて出たわりには、供人などもきらびやかに見えた。上達部が、それぞれ道綱に果物をさし出してはなにか言葉をかけたりなさるので、誇らしい気がした。また、古風な私の父も、例によって身分の違いから上達部の傍にいることは許されないので、山吹をかざした陪従(楽人)たちの中に紛れていたのをあの人が特に連れて来させて、車の後方の家から酒などを運び出してあり父が盃をさされたりするのを見ると、一瞬満たされた気がしたことだろう。道綱がいつまでも独身ではと世話をやく人がいて、道綱に親しい女ができた。八橋のあたりに住んでいる女だろうか、はじめにかつらぎや 神代のしるし ふかからば ただ一言に うちもとけなむ葛城山の悪い事も善い事も一言で言い放つ託宣神とされる一言主神の霊験が今もあらたかなものなら その名のとおり 私の一言で打ち解けてほしいと。だが、この時に返事は、なかったようだ。
2019.06.12
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「見たことがある人たちがいる」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。あの人の手紙には、道綱の事が気にかかるが、あなたが寄せつけてくれないだろうから、どうしたらいいのか、とても心配だと書いてある。今さら来てもらってもどうなるものでもないと色々な思いが込み上げて来るので、道綱へすぐに身支度をしてあちらへ行くように言う。 急がせて行かせたが、自然と涙が溢れる。あの人は、道綱に付き添って舞をひととおり練習させて、参内させた。祭の当日、一目だけでもぜひ見たいと思って出かけた所、道の北側に檳榔毛(びろうげ)の車が後ろも前も簾を下ろして止まっていた。檳榔毛は牛車を覆った車。前の方の簾の下から、きれいな掻練(かいねり)に紫の織物の重なった袖がこぼれ出ているようで、女車だと思って見ていると、車の後ろの方の家の門から、六位の太刀をつけた者が、威儀を正して出て来て車の前の方にひざまづいて、何か言っているので、何だろうと見ていた。 目をとめて見ると、その男が出て来た車の傍には、緋色(ひいろ)の袍の五位や黒の袍の四位以上の人たちが、集まって、数えきれないほど立っている。さらによく見ると、見たことがある人たちがいる事に気づいた。袍(ほう)とは、公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣のこと。
2019.06.11
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「宮中に行くわけにもいかないから」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。兼通さまを、こんなにいい加減に思っていたわけではないだろうがひどく投げやりに手紙を綴った。 ささわけば あれこそまさめ 草枯れの 駒なつくべき 森の下かは笹を分けて来られても わたしはますます離れて行くでしょう馬も寄りつかない森の下草のわたしですからと申し上げた。侍女が言うには、この返歌をもう一度というので、大臣さまは半分まで詠まれたそうですが、下の句がまだできないとおっしゃっているそうですと。そう聞いてから随分経つのに、そのままになっており、おかしいと思った。 賀茂の臨時の祭が明後日というのに、道綱が急に舞人に召されてしまった。このことで、あの人から珍しく、支度はどうするなどと手紙が来たので明後日までに揃えられなく、必要なものを伝えるとすべて届けてくれた。試楽の日、あの人からの手紙に、穢(けがれ)に触れて出仕しないで謹慎中なので、宮中に行くわけにもいかないから、そちらへ伺って世話をして送り出そうと思うが、あなたが寄せつけてくれないだろうからどうしたらいいのだろう、とても心配だと書いてある。
2019.06.10
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「考えても考えても不思議でならない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。霜枯れの 草のゆかりぞ あはれなる こまがへりても なつけてしがな 霜枯れのように老いたわたしですが 妹〈弟の妻〉というご縁にある貴女がすさめぬ草と嘆いていらっしゃるのがお気の毒でなりません 私が若返って貴女と親しくなりたいものですと綴られている。こまがへりとは、年老いた者が再び若い様子になる。若返る。おちかえる。また、草木などが再び芽をだすの意にも用いられる。何とも辛いとも綴られて、私があの人に言った虚しいと思っていた歌の七文字「こまがへりても」なので、不思議でならず、これはどういう事と思う。この手紙はあの人(兼家)の兄の藤原兼通さまではと尋ねると太政大臣さまのお手紙で、護衛をしているある人が、お邸に持って来たので、ご不在ですと言ったのですが、確かにお渡し下さいと置いていったと言う。 どうしてあの歌のことをお聞きになったのだろうと、考えても考えても本当に不思議でならない。そうして、まわりの人たちにこの手紙のことを相談していると、昔気質の父が聞きつけて、誠に恐れ多いことだとすぐにお返事を書いて、護衛に渡さなければならないと恐縮して言う。
2019.06.09
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「世を逃れてしまった年寄りの私」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。車の輪が引っかり立ち往生していたのが大和の女だと思い手紙を送った。どうやら道綱の見間違いのようで、手紙の返事が送られて来たがその手紙の端に、平凡な筆跡で、違います、私ではありませんと素っ気ない返事が返って来て、道綱の肩を落とした後ろ姿を見た。こうして十月になり、二十日過ぎの頃に、忌違えで移った家で聞いたのだがあの私が嫌っているあの人が通う女の所では、子どもを産んだそうだと人が言うが、憎らしいと思う反面、気にもかけないでいた。宵の頃、灯りをともして、食事などをしている時に、兄弟にあたる人が近くに寄って来て、懐から、陸奥紙に書いて結び文にした手紙で枯れた薄に挿してあるのを取り出して、変な手紙ね、どなたのと言うとまあご覧なさいと言ので、手紙を開いて、灯りに照らして見てみた。憎らしいあの人の筆跡にとてもよく似ているが、書いてあることは いまさらに いかなる駒か なつくべき すさめぬ草と のがれにし身を今さらだれが寄りつくでしょう 馬でさえ喜んで食べない枯れ草のように世を逃れてしまった年寄りの私なんかにと心細い事が書かれてある。
2019.06.08
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「道綱が病からはじめて外出した」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。天然痘が猛威をふるい色々な人が倒れたと言う話を聞くにつけても治ったあの子は本当に幸運だった。このように道綱は病気は治ったが別に用事もないので、まだ外出もしないで家にいる。二十日過ぎに、とても珍しいあの人から道綱はどうだと手紙が来る。こちらの人は皆治ったのに、道綱はどうして姿を見せないのだろうと心配でならないとあるが、貴女がわたしをひどく憎んでいるようなので遠ざけている訳ではないが、意地を張っているうちに時が過ぎてしまった。忘れたことはないけれどと、心を込めて書いてあるので、不思議に思う。返事は、尋ねて来たあの子の事ばかり書いて、端に、忘れる事はないと書いてあったのは、本当にそうでしょうねと書いて送った。道綱が病からはじめて外出した日に、道で、手紙を送っていた大和の女とばったり出会ったところ、どうしたのか、車の筒が引っかかり困っていた。年月の めぐりくるまの わになりて 思へばかかる をりもありけり 年月が巡っている間に 昨夜 車の輪が引っかかったように時にはこのようにお会いすることもあるのですねと文を送った。
2019.06.07
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「世の中のなにもかもが心細い感じ」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。八月に入ったものの、世間では、天然痘が流行して大騒ぎである。二十日の頃に、この付近にも広がってきた。道綱が例えようもなく酷く患う。 どうしたらいいのだろうと、音信不通になっているあの人に知らせようと思うほど重体なので、わたしはいっそうどうしていいかわからない。 でも、そんなことは言っていられないと思い、あの人に手紙で知らせると返事はひどくそっけないものだった。そして、口頭で、どんな様子だと使いの者に言わせた。それほど親しくない人でさえ見舞いに来てくれているようなのにと思う気持ちも加わって、腹立たしくてならなかった。長官も決まりが悪そうにしながらも、たびたび見舞ってくださる。九月の初め頃に道綱の病気は治った。八月二十日過ぎから降り始めた雨がこの月もやまないで、あたりが暗くなるほど降って、この中川も賀茂川も一本になってしまいそうなので、この家も流されるのかしらとまで思う。世の中のなにもかもが心細い感じである。門の前には早く稲刈りが行われるはずの田圃もまだ刈り取りをしないで雨の晴れ間に、急いで稲を刈って、それで焼米を作るのがやっとだった。天然痘は猛威をふるい一条の太政大臣のご子息が二人共亡くなり本当にお気の毒でならない。
2019.06.06
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「心にもない事とはどういう事でしょう」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わたし自身の物思いは、今はすっかりなくなってしまった。七月の二十日頃になって長官がとても馴れ馴れしくするので、私を頼りにしているのだわと思っているうちに、侍女が言うには、長官さまは人の妻を盗み出して、ある所に隠されていらっしゃいますと言う。ひどくばかげたことだと、世間でもしきりに噂しているようですと。それを聞くと私は、この上なくほっとする話を聞いた。七月が過ぎたらどう言おうかしらと、思っていたからとは思うものの結婚が迫っているのに、わけがわからないと、私は思った。そんな時、また長官から手紙が来たので、開けて見ると、まるで私が尋ねたかのように、心にもないことをお聞かせして、とんでもない事です。八月には結婚できないでしょう。こういう事とは別の関係で道綱さんへ申し上げる事がありましたので、幾ら何でもお見限りにはと書いてある。返事は、心にもない事と、おっしゃっているのは、どういうことでしょう。こういう事とは別の関係でとかおっしゃるのは、私たちの事をお忘れにならなかったのだと思えて、とても安心しましたと書いて送った。
2019.06.05
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「娘はやはりとても幼くて」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。紙の色は、昼でも見えにくいと思っていらっしゃるでしょうかと書いてこちらから使いを出した時に、先方では僧侶たちがたくさん来ていて騒がしそうだったので、使いは手紙をそのまま置いて帰って来た。翌朝、朝早くあちらから、姿の変わった僧形の人たち来ていたうえに日も暮れて、使いもお帰りになってしまいました。 なげきつつ 明かし暮らせば ほととぎす みのうのはなの かげになりつつ 嘆きながら毎日を過ごしていますので ほととぎすの隠れる卯の花陰ではないですが 陰のように痩せてしまいましたどうしたらいいのでしょう。昨夜は謹慎していましたとまで言ってくる。返事は、これは昨日の手紙のお返事なのですね。どうして、そんなに謹慎までと、不思議なほどで かげにしも などかなるらむ うの花の 枝にしのばぬ 心とぞ聞く どうしてそんなに嘆いてお痩せになるのでしょう あなたは卯の花陰ではなく枝の上で鳴く朗らかな性格だと聞いていますのにと書いて、その歌を墨で消し端に、謹慎していらっしゃらないと物足りない気がしますと書いた。そのうちに、左京大夫が亡くなられましたと言ってきたようだが、長官は喪中の間慎み深く、度々山寺に籠っては、手紙を寄こし、六月も終わった。七月になり、八月も近い気がするのに、わたしが世話をしている娘はやはりとても幼くて、どうなることだろうと思うことが多く気が紛れた。
2019.06.04
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「いつも返事が来るのに返事が来ない」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。わざわざ殿にお話しして頂くのは難しいでしょうが、何かの折にはよろしくお取り計らいくださるものと頼りにしていながら、儚い身の程をどうなる事かと心細く思っていますと、改まって、いじらしく書いてある。それに対して返事は、手紙のたびにしなくてもと思って、しなかった。次の日、やはり返事をしないのは気の毒だし、大人げないと思って昨日は、人の物忌があった上、日が暮れたのでお返事しなかったのです。たえずゆく 飛鳥の川の よどみなば 心あるとや 人の思はむ絶えず流れ行く飛鳥川が淀んでしまったら わたしに思うところがあるせいだと あなたは思うだろうか(古今集恋四・読人しらず)いつも返事が来るのに 返事が来ないのは 何か考えがあるのだろうか。何かの時にはなんとかして殿にお伝えしたいと思っていますがそのような機会もない身の上になってと辛そうな端書があった。
2019.06.03
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「特別な用でもないだろうと思って」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。殿からの手紙に書いてあった事を、かすかに見たそぶりも見せないで私が気をもんでいた結婚の期日も近づき、身を慎まなければならないと人も言うので、何かと心細く思われてと言い、時々、何を言っているのか聞きとれない程度に、こっそりと歌か何かを口ずさんでいる。 明朝、役所に行かなければならない用があり、道綱にその件を申し上げに役所に行く前にお伺いしますと言って座を立った。 昨夜、長官に見せた手紙が、枕元にあるのを見ると、 私が破って渡したと思ったところは違っていて、ほかに破れたところがある。 これは、おかしいと思って考えてみると、あの人に返事をした時に いかなる駒かと詠んだ歌を、あれこれ考えながら下書きしたところを破って長官に見せてしまったようで、朝早く、長官から道綱に風邪を引いて、昨日申し上げたようには伺うことができません。ここに長官から、正午前後頃にお越しくださいと手紙がある。例によって特別な用でもないだろうと思って、出かけないでいると私宛に手紙が来た。いつもより急いで手紙をさし上げる予定でしたが、結婚を前に身を慎む事がありましてと昨夜のお手紙はひどく読みにくかったですとあった。
2019.06.02
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「紙の色までが墨色と紛らわしく」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。大殿の暦を切り取り、五月が終わるとすぐ八月になるようにしたいものですと言うので、とてもおもしろくて、そして、七月から九月の秋に帰ってくる雁を鳴かせてねてなどと話を合わせると、とても朗らかに笑う。華やかに長官をもてなしていると、あの人が言ってきたことを思い出して本当にまじめな話、わたしだけで決めるわけにはいかなく、かといって殿に催促するのも、難しい感じがしますと言うと、どういうことでしょうとどうか、その理由だけでも承りたいですと言って、何度も責められる。なるほどと思うほどに納得させよう。言葉では言いにくいからと思ってお目にかけるのも、具合が悪い気がしますが、ただ、このことを殿に催促するのが心苦しいことを分かっていただきたくてと言って見られて具合の悪い部分は破り取って、先日あの人から来た手紙をさし出す。長官は簀子に出て、月の光にあてて、長い間見てから部屋に入って来た。月がおぼろなうえに、紙の色までが墨色と紛らわしく、まったく読めませんなどと言い、また昼お伺いして拝見しますと言ってさし入れたがもう破ってしまいましょうと言うと、しばらく破らないで下さいと言う。
2019.06.01
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