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「おもしろいことや滑稽なことを言う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。他のお供え物、それがないから、おさがりをいただくのですと言う。果物やのし餅などを、何かに入れて与えたところ、やけに馴れ馴れしくなって、いろいろなことを話す。若い女房たちが出て来て、夫はいるの、子供はいるの、どこに住んでいるのと口々に尋ねると、おもしろいことや滑稽なことを言うので、歌は謡うのとか舞などはするのと尋ね終わらないうちに、夜は誰とか寝む、常陸の介と寝む。寝たる肌よしと謡い、そればかりかこの歌の下の句がとても長い。さらに、男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つやと謡う。頭をくるくる振り回すのが、ひどく憎らしいので、笑いながらも腹が立ってもう行って、あっちへ行ってと言うので、かわいそうに。このものたちに何を与えようと言うのを中宮様がお聞きになっていた。ひどいわね、聞いてはいられないことをどうしてさせたの。とても聞いていられなくて、耳をふさいでいたわ。その着物を一枚与えて早く向こうへ行かせなさいとおっしゃるので、これをくださった。着物が汚れているようだ。この白いのに着替えなさいと言って投げ与えるとひれ伏して拝み、肩に着物をかけて拝舞の礼をするではないか。
2019.12.31
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「仏のおさがりだけを食べる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。中宮職の建物の部屋に中宮様がいらっしゃる頃、西の廂の間で途絶える事が無い読経があるので、仏の画像などを掛け僧たちがいるのは、今さら言うまでもない。始まって二日ほど経ち、縁側で卑しい者の声で、あの仏のお供えのお下がりがあるでしょうかと言うと、僧が、何故だ、まだ法事も終わってないのにと言っているようなのを、誰が言っているのだろうと立って出て行って見ると、少し老いた女法師がひどく汚ならしい着物を着て、猿のような格好で言っている。あの人は何を言ってるのと言うと、女法師は気どった声で仏のお弟子ですから、仏のお供えのおさがりを頂きたいと申し上げるのにこのお坊さまたちが、お供えを惜しがってくださらないのですと言う。声は派手で優雅である。こういう者は、しょんぼりしているのが可哀そうな気がするのに、いやに陽気だなと思って、他の物は食べないで、ただ仏のおさがりだけを食べるのか。それは殊勝(しゅしょう)な心がけだなと言うとこちらの様子を見て、どうしてほかの物を食べないことがあるでしょうと。
2019.12.30
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「自分ではとても素晴らしいと思っていた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。悲しそうに見えるもの。鼻水を垂らして、ひっきりなしに鼻をかみながら話す声。眉毛を抜くのは悲しい。平安時代成人女子は眉毛を抜いて眉墨を引くのが習わし。左衛門府の役人の詰め所の左衛門の陣などに行った後で、里に退出してしばらくして、早く参上しなさいと中宮様のお手紙の端に側近の女房が左衛門の陣に行ったあなたの後ろ姿をいつも思い出していらっしゃいます。どうしてあんなに平気で古くさい格好をしていたのでしょう。じぶんではとても素晴らしいと思っていたのかしらなどと書いてある。中宮様のお返事には、お詫びを申し上げて、側近の女房にはどうしてわたしが素晴らしいと思わないことがあるでしょうか。中宮様も、なかなるをとめ(まるで天女のようだ)とご覧になったと思いますがと申し上げさせたら、折り返し、おまえがとてもひいきにしている仲忠の不名誉になることを、どうしてわたしに言うのか。すぐ今夜のうちに、すべてのことを捨てて参上しなさいと中宮様のお言葉。
2019.12.29
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「歌を詠んだらみんな敵だと思う」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。まったく分からないと思うと気にくわないので、なにも言わないで硯箱にある紙の端に歌を詠み書き留めた。かづきする あまのすみかを そことだに ゆめいふなとや めを食はせけむ海にもぐる漁師のように姿を隠しているわたしの住みかを そこだとさえ絶対に言うなと目配せ(布食わせ)したのに、それに気づかないとはと。歌をお詠みになったのか。絶対に見ないよと言って、扇で紙をあおぎ返して逃げて行ってしまった。このように話したり、お互いの世話をしているうちにどうということもなく、少し仲が悪くなっている頃、手紙をよこした。都合の悪いことがあっても、やはりきょうだいと約束したことは忘れないでほかの人からは、きょうだいと見てもらいたいと思うと言っている。則光がいつも、わたしを好きな人は、歌を詠んできたりするのではない。歌を詠んだら、みんな敵だと思うから、もうこれが最後で、別れよう。歌を詠み書いた手紙の返事にくづれよる いもせの山の 中なれば さらに吉野の 川とだに見じ崩れてしまった妹背山の間を流れる川を吉野川として見られないように 壊れてしまった私たちの関係では もう、きょうだいとあなたを見ることはできないと言ってやったが、本当に見ないままになってしまったのだろうか、返事も来なかった。
2019.12.28
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「適当な所をお連れし歩きまわった」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。門をたたく音に、誰がこんなに無遠慮に、家屋から遠くない門を音高く叩いているのだろうと聞いて、尋ねさせたら、滝口の武士だった。左衛門尉からと言って、手紙を持って来た。みんな寝ているので、灯りを取り寄せて見ると、明日、御読経の結願(けちがん)の日で、宰相の中将が物忌みに籠っていらっしゃいます。女きょうだいのいる所を言いなさいと責められるので、どうしようもない。もう隠すことはできない。ここですと教えましょうか。どうします。あなたのおっしゃる通りに言ってきた。返事は書かないで海藻を一寸ぐらい紙に包んで持って行かせた。それから後で則光が来て、あの夜は責められて、適当な所をあちこちお連れして歩きまわった。本気で責められるので、とても辛かった。ところで、わたしの手紙になんにも返事をしないで、思いもしない海藻の切れ端を包んでくださったのか。変な包み物。人の所にあんな物を包んで送ることがあるものか。間違えたのだろうと言う。
2019.12.27
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「もう少しで言ってしまいそうで」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。左中将経房(つねふさ)の君と、済政(なりまさ)の君などだけが知っていらっしゃる。左衛門尉則光(さえもんのじょうのりみつ)が来て話などをしている時に、昨日、宰相の中将(斉信)が参内なさって、妹(清少納言)のいる所を、幾ら何でも知らないはずはないと言う。まったく知らないと申したのに、しつこくお尋ねになるので、無理に白状させようとなさってなどと言って、知っていることを、知らないと言い張るのはとても辛いね。もう少しで言ってしまいそうで、左の中将がまったく無表情で知らない顔で座っていらっしゃった。あの方と目が合ったら笑ってしまいそうで困ってしまい、台盤(食卓)の上に海藻(わかめ、あらめなど)があったのを取って、どんどん食べてごまかしたものだから、食事時でもないのに、変なもの食べてるなと見たことだろう。でも、そのおかげで、どことは言わないですんだ。笑っていたら、ぶちこわしになる。宰相の中将が、本当に知らないようだと思っていたのも、可笑しかったと話すので、絶対に教えないでと言ってより何日かだいぶ日が経った。夜が大分更けてから、門を大げさに叩く音がした。
2019.12.26
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「親しく付き合っていない人でも」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。わたしは、何より先にその事を申し上げようと思って参上しましたのに物語のことに気をとられてと言って、さっきのことをお話しすると誰もが見ていたけれど、そこまで縫ってある糸や、針目までは目がいかなかったわと言って笑う。頭中将が、西の京の趣のある事と言ったら、一緒に見る人がいたらなぁと思ったよ。垣根なども皆古びて、苔が生えていてなどと話すと宰相の君が瓦に松はありつるやと答えたのを、頭中将が大変誉めて、西の方の都門を去れる事いくばくの地ぞと口ずさんだなどと、女房たちがうるさいほど話して聞かせたのは、おもしろかった。里に退出していて、殿上人などが来るのを、妬ましそうに人々は話をこしらえて言っているようである。私がひどく思慮深く引っ込み思案という評判は、おそらくないから、そんなことを言われたって別に憎らしくはない。また、昼も夜も来る人に、どうして、いないと言って恥をかかせて帰せるだろうか。本当に親しく付き合っていない人でもそんなふうにして来るようだ。あんまり煩わしいので今度はどこにいるとは皆には知らせないでいた。
2019.12.25
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「どんなに大騒ぎして誉めるだろう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。外から見る人は、男の素晴らしさに、内側にどんな美しい人がいるのだろうと思うだろう。奥の方からわたしの後ろ姿を見る人は外にそんな素晴らしい男性がいるとは思わないだろうと思う。日が暮れたので、中宮職に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まり帝付きの女房なども傍にいて、物語の良い悪い、気に入らない所などを議論して非難する。宇津保物語の涼(すずし)や仲忠(なかただ)などの事を中宮様までも劣ったり勝ったりしていることをお話しになる。まずこれはどう。早く意見を言って。中宮様は、仲忠の幼児期の生い立ちの賎しさをしきりにおっしゃるわなどと言えば、いや、仲忠は琴なども天人が降りるほど弾いたし、そんなに悪い人ではないわ。涼は仲忠のように帝のお嬢様を貰ったのと言ってみた。仲忠びいきの人たちは勢いづいて、そうよねえなどと言うので、中宮様が物語の人物のことより、昼に斉信(ただのぶ/頭中将)がやって来たのを見たのなら、どんなに大騒ぎして誉めるだろうと思っていたとおっしゃる。そう、本当にいつもよりずっと素晴らしくなどと言う。
2019.12.24
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「可笑しくもあり気の毒でもある」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。色があるかないかもわからない薄い鈍色の表着(うわぎ)や、色合いもはっきりしない唐衣ばかりたくさん重ねて着ているが、全然引き立って見えないし、中宮様もいらっしゃらないので、礼装の喪もつけないで袿姿で座っているのは、せっかくの雰囲気をぶちこわす様で残念である。袿(うちき)姿とは、平安時代の女性の中着で、着物衿、広袖の袷(あわせ)で単(ひとえ)の上に何枚も重ね、一番上を表着(うわぎ)、下を重ね袿と言った。後世5枚と定まり五衣(いつつぎぬ)と称し、十二単の正装に用いられたほか袿と袴(はかま)だけの袿袴(けいこ)という略装も行われた。頭中将は中宮職へ参上するが伝言はあるかと、あなたはいつ参上するとおっしゃり、それにしても昨夜、方違えの場所で夜を明かさないでこんな時刻でも、前から言っておいたから、待っているだろうと思って月がすごく明るい頃に西の京という所から来るなり、局を叩いた。やっと寝ぼけて起きてきた様子や、応対のそっけない事といったらなどと話して、お笑いになり、まったく嫌になってしまったよ。どうしてあんな者をおいているのとおっしゃるので、可笑しくもあり気の毒でもある。しばらくしてから頭中将は出て行かれた。
2019.12.23
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「見所もあるにちがいないだろう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。桜の綾の直衣(のうし)の何とも言えない華やかで、裏の艶などは言いようもないほど清らかで、葡萄染(えびぞめ)のとても濃い指貫には藤の折り枝の模様を豪華に織り散らして、下の衣の紅の色や、砧(きぬた)で打った光沢なども輝くばかりに見える。指貫(さしぬき/はかま)白いのや薄紫色などの下着が下にたくさん重なっている。狭い縁に片足は縁から下におろし、少し簾のところに近く寄って座っていらっしゃるのは実際絵に描いたり、物語で素晴らしいことと言っているのはこういうことだなというふうに見える。梅壺の庭の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散る頃になっているけれどやはり美しく、うらうらと日差しがのどかで、人に見せたい気がする。御簾の内側に、もっと若い女房などで、髪が美しく、こぼれかかっている。物語に言っているような姿で、頭中将に受け答えしているなら、もう少しおもしろく見所もあるにちがいないだろうが、ひどく盛りを過ぎ古びた女で、髪などもじぶんのものではないからだろうか所々がちぢれ乱れて、だいたいが喪服で色が違う時である。
2019.12.22
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「お起きになることはないでしょう」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。局の戸を何度も叩かせることのないよう待っていてとおっしゃったが局で一人なんてどうしていられるの。ここで寝なさいと、御匣殿がお呼びになったので、そちらに行った。御匣殿は藤原道隆四女。ぐっすり寝て起きて、局に下がったら、下仕えの女が、昨夜ひどく誰かが戸を叩いていらっしゃいました。やっと起きたところ、御匣(みくしげ)殿の御前なのか。それなら、こうこうと申し上げてくれとのことでした。お取次ぎしても、まさかお起きになることはないでしょうと言って寝てしまいましたと話す。気がきかないわねえと聞いていると主殿司(とのもつかさ)の男が来て、頭中将殿からのご伝言ですと。今から退出するが、話したいことがあると言うので、どうしても用事で御前に上がっていますと言って男を帰した。局では戸を開けられるかもと胸がどきどきして、面倒なので、梅壺の東面の半蔀(はじとみ)を上げてこちらにと言うと、頭中将は素晴らしい姿で出ていらっしゃった。
2019.12.21
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「改めて胸がつぶれる思いがする」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。司召で少々の役についたって、これに比べれば嬉しくもなんともないよと言うので、なるほど大勢でそんなことをしているとも知らないでうっかり返事をしたら恥をかくところだったと、改めて胸がつぶれる思いがする。この「きょうだい」というあだ名は、帝まですっかりご存じで、殿上でも修理亮という官の名前は言わないで、きょうだいと、あだ名で呼ばれていた。話などをして座っている時に、中宮様が、ちょっととお呼びになったので参上したところ、あの件についておっしゃろうとしたからだ。帝がお笑いになって、わたしに話してお聞かせになり、殿上の男たちはみなあの句を扇に書いて持ってるなどとおっしゃるので、呆れてしまいどんな魔性の者がわたしに憑(つ)いて、あんなことを言わせたのだろうと思った。それから後は、頭中将は袖を几帳のようにして顔を隠すのはやめて機嫌を直されたようだ。翌年の二月二十日過ぎ、中宮様が職の御曹司に出ていかれるお供について行かないで、梅壺に残っていた次の日、頭中将のお便りで、昨日の夜鞍馬寺に参詣したが、今夜方角がふさがっていたので、方違え(かたたがえ)に行く。まだ夜が明けないうちに、帰るだろう。ぜひ話したいことがある。
2019.12.20
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「上の句をつけようとしても」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。昨夜のことを最初から、頭中将がお話しになったのと同じことを言ってともかく、この返事によって、勅勘を被るような、いっさいそんな者がいたとさえ思わないと、頭中将がおっしゃったので、みんなでいろいろ考えて送ったのだが、使いの者が手ぶらで帰って来たのは、かえってよかった。返事を持って来た時は、どうなるだろうと胸がどきっとして、本当に出来の悪い返事なら、私にとっても悪いことかもしれないと思ったのに並一通りどころではなく、大勢の人が誉めて感心して、きょうだい、こっちに来いとかこれを聞けとおっしゃるので、内心はとても嬉しいけれど、そういう和歌の方面には、全くお付き合いできないわたしでと申し上げた。意見を言えとか、聞いて理解しろというのではない。ただ、本人に話してやれというので聞かせるのだとおっしゃったのは、きょうだいとしては少し残念な気がしたけれど、上の句をつけようとしても、いい言葉が見つからない。それにまた、これに返歌がいるのだろうかなどと相談して、返歌をして下手だと言われては、かえって癪(しゃく)だろうというので、夜中まで考え込んでいらっしゃった。これはわたしにもあなたにも、大変な喜びではないか。
2019.12.19
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「早く知らせたいとわくわく」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。雨の中行かせたが、とても早く帰って来て、これをと言ってさし出したがさっきの手紙だから、返事を書いたのだなと言って頭中将が一目見るなりおお、と叫ぶので、妙な、どうしたのだと、みなが寄って見た。たいした奴だな。やはり無視するわけにはいかないと言って、見て大騒ぎしこれの上の句をつけて送ろう。源中将つけろなどと、夜が更けるまでつけるのに悩んで、結局つけることができなかったことは、未来までも、語り草になるななどと皆で言い合った。本当にきまりが悪くなるほど話してくれて、今はあなたのお名前を草の庵にしたよと言って、急いでお立ちになるので、ひどくみっともない名前が末代まで残るなんて情けないわと言っている時に、修理亮則光(すりのすけのりみつ)が大変なお慶びを申し上げようと、御前にいらっしゃると思って来たのですと言う。修理亮則光は橘敏政の長男で、清少納言の夫としても知られている。なにごとですか。司召などがあるとも聞いていないのに、なんの役におなりになったのですかと聞くと、いや、本当にとても嬉しいことが昨夜あったので、早く知らせたいとわくわくしながら、夜を明かしてしまったが、これほど名誉なことはなかったと言う。
2019.12.18
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「平気な顔をしているのもしゃく」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。ここに、草の庵はいるかと、おおげさに言うので、不思議ね。どうして草の庵なんて人間らしくないものがいるのでしょうか。玉の台(たまのうてな/美しくりっぱな御殿)とお探しなら返事もいたしますと言う。ああ、よかった。下局でしたね。御前の方で聞いてみようとしてたのですと言って、昨夜あったことを頭中将の宿直所(とのいどころ)に少し気の利いた者はみな、六位の蔵人まで集まって、いろいろな人の噂を昔今と話題にして話したついでに、頭中将が、やはりあの女とすっかり絶縁してしまってからはいいことがない。もしかして何か言ってくるのではないかと待っていたが、全くなんとも思わず平気な顔をしているのもひどくしゃくだから、今晩このまま無視するのが良いのか悪いのかはっきり決めて終わりにしてしまおうと言って皆で相談して届けた手紙を、今はここでは見ないと言って中に入ってしまった。主殿司(とのもづかさ)の男が言うので、また追い返して、ただもう、手をつかまえて、有無を言わせないで返事をもらってこないなら手紙を取り返せと厳しく言って、あれほど降っている雨の最中に行かせた。
2019.12.17
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「火鉢に消えた炭があるのを使って」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。お返事を早く、早くと言うが、まるで、いせ物語のようねと思って見ると、青い薄様の紙に、とてもきれいに書いていらっしゃる。不安になって胸がどきどきするようなものではなかった。蘭省花時錦帳下(らんせいのはなのときのきんちょうのもと)と書いて下の句はどうだとあるので、どうしたらいいのだろう。蘭省花時錦帳下とは、白楽天(白居易)の廬山草堂雨夜独宿の中の一節で藤原公任の和漢朗詠集にも収録されている有名な詩である。中宮様がいらっしゃるなら、お目にかけるのだが、この下の句を知ったかぶりに、おぼつかない漢字で書くのもあまりにも見苦しい。あれこれ考えるひまもなく、返事を急き立てて困らせるので、ともかくその手紙の余白に、火鉢に消えた炭があるのを使って、草の庵(いおり)を誰かたづねむと書いて渡したが、それっきり返事も来ない。みんな寝て翌朝ずいぶん早く局に下がったところ、源中将(源宣方)の声がする。(ももは避妊手術してより2キロ太った)頭の中将(藤原斉信)は清少納言に、漢詩の下の句を知っているかと彼女の教養を試したと思われ、もちろん清少納言は知っていた。そのままの漢詩で答えては面白くなく、草の庵(いおり)を誰かたづねむと和歌の下の句の形で、ちゃんと七・七になっているのがすごいと思った。
2019.12.16
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「いつの間にいるのが分かったのかしら」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。旁に偏を付けて文字を完成させる遊びに、まあ、うれしい。早くいらっしゃいよなどと、わたしを見つけて言うが中宮様がいらっしゃらないのでは興ざめな気持ちがしてなんのために参上したのだろうと思ってしまう。火鉢のそばに座っていたら、そこにまた、女房たちが大勢座って話などしていると、だれそれが参上していますと、とてもはっきりと言う。変だわ。いつの間にわたしがいるのが分かったのかしらと尋ねさせると、主殿司(とのもりづかさ)の男だった。ただわたしのほうで人伝でなく直接申し上げたいことがと言うので出て行くと、男は、これは頭中将殿がさし上げられたのです。ご返事を早くと言う。ひどく憎んでいらっしゃるのにどんな手紙なのかしらと思うが、今すぐ急いで見るほどでもない。行きなさい。すぐに返事をしますと言って、懐に入れて、それでもやはり女房たちの話したりするのを聞いていると、男はすぐに引き返して来て、返事がないなら、さっきの手紙をもらってこいとおっしゃるのです。
2019.12.15
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「袖で顔を隠して見ようとはしない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。頭中将(藤原斉信/ただのぶ)がいい加減な作り話を聞いて、私のことをひどくけなして、どうして一人前の人間だと思って誉めたのだろうと殿上の間で酷い事をおっしゃっていると人から聞くだけでも恥ずかしい。噂が事実ならともかく、嘘なのだから、自然と誤解を解いて下さるだろうと笑っていたら、黒戸の前などを通る時にも、わたしの声などがする時には頭中将は袖で顔を隠してまったく見ようとはしないで、ひどく憎まれる。私はなんとも言わず、見ないようにして過ごしていたら、二月の末ひどく雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで頭中将も退出できないで宿直になって、やはり寂しくてならない。なにか言ってやろうかとおっしゃっていたわよと、女房たちが話している。そんなことはないでしょうなどと相手にしないで、一日中じぶんの部屋にいて夜に参上したら、中宮様はすでに寝所にお入りになっていた。女房たちは長押の下に灯りを引き寄せて、扁つき(遊戯)をしている。扁つきとは平安貴族が漢字の偏と旁(つくり)を使っての文字遊戯で主に女性や子供が漢字の知識を競うために行った遊びである。
2019.12.14
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「隠れて寝ていたわたしも起きて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。気持ちよさそうなもの。卯杖(うずえ)の法師。神楽の人長(にんじょう/指揮者) 神楽の振り幡(ふりはた)とかいうものを持っている者。卯杖とは新年に用いる邪気を払うための杖。梅,桃,ぼけなどの木でつくられ,いろいろな装飾が施されている。御仏名(みぶつみょう/12月19日から3日間、罪障消滅を祈る仏事)の翌日清涼殿の地獄絵の屏風を上の御局に持って来て帝は中宮様にお見せになる。そら恐ろしく気味が悪いことこの上もない。中宮様は、これを見て、これを見てとおっしゃるけれど全然見ようとしないで、気味が悪いから小部屋に隠れて寝てしまった。雨がひどく降って、退屈だというので、殿上人を上の御局に呼んで管弦の遊びがある。道方(みちかた)の少納言は琵琶で、とても素晴らしい。済政(なりまさ/源済政)が箏の琴、行義(ゆきよし/平行義)が笛経房(つねふさ/源経房)の中将が笙(しょう)の笛など、おもしろい。一回だけ演奏して、琵琶を弾くのをやめたところで、大納言殿(藤原伊周)が琵琶、声やんで、物語せむとする事おそしと吟唱なさった時に、隠れて寝ていたわたしも起きて、やはり屏風絵を見ない仏罰は恐ろしいけれどこういう素晴らしさは、がまんできないと言ってみなから笑われる。
2019.12.13
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「思い通りにならないとため息をつく」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。有明の月の頃、ひどく霧がかかっている庭におりて、わたしたちが歩き回っているのをお聞きになって、中宮様も起きていらっしゃった。御前にいる女房たちは皆端近に出てきて座ったり、庭におりたりして遊ぶうちに、しだいに夜が明けてゆく。左衛門の陣に行ってみようと言って行くと、わたしもわたしもと話を聞いて行くと、殿上人が大勢大声で、なにがし一声秋(いっせいのあき)と詩を吟じてこちらへ来る音がするので、職の御曹司に逃げ帰ってその殿上人たちと話などする。月を見ていらっしゃったのですねなどと感心して歌を詠む殿上人もいる。夜も昼も殿上人が訪れない時がない。上達部まで参内なさる途中特別急ぐことがない方は、必ずこちらへ参上なさる。おもしろくないもの。わざわざ思い立って、宮仕えに出た人が宮仕えを億劫がって、面倒くさく思っているのとか養女で顔の醜いの。婿になるのをためらってた人を、無理に婿しておいて思い通りにならないと、ため息をつくのはおもしろくない。
2019.12.12
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「人を遣って見届けさせたりする」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。中宮様が職(しき)の御曹司(みぞうし)にいらっしゃる頃は木立などがずいぶん古びて、建物の様子も高く人けもなくもの寂しいのになんとなく趣深く思われる。母屋は、鬼がいるというので、南側に間仕切りを設け南の廂の間に中宮様の御几帳を立てて御座所とし又廂(またびさし)(孫廂)の間に女房は伺候(しこう)している。(鈴鹿青少年の森公園の中国無錫の太湖石)近衛の御門(陽明門)から左衛門の陣(建春門)に参上なさる上達部の前駆(ぜんく)たちのかけ声、殿上人のは短いので大前駆(おおさき)小前駆(こさき)と名づけて、聞いては大騒ぎする。何度も重なるので、その声もみんな聞き分け、あの人よ彼よなどと言うと、また他の女房が、違うわよなどと言うので人を遣って見届けさせたりするが、言い当てた者がだから言ったでしょうなどと言うのも、おもしろい。
2019.12.11
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「いつもと違って趣深く聞こえる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。背が高い人や低い人は別にして、普通の背の人は、きっと目が合うだろう。まして、賀茂の臨時の調楽(ちょうがく)の時などは、実におもしろい。主殿寮(とのもりづかさ)の役人が、長い松明を高く灯して、首は襟の中に入れて行くので、松明の先が物につきあたりそうで、おもしろい。楽を奏で、笛を吹き立てるので、格別な気持ちでいると、若君たちが束帯(そくたい)姿で局の前に立ち止まり、女房に話しかけたりするのでお供の随身が、先払いの声をひそかに短く、自分の若君たちのためだけにやっているのも、楽の音にまじって、いつもと違って趣深く聞こえる。やはり戸を開けたまま戻って来るのを待っていると、若君たちの声で、荒田(あらた)に生(お)ふる富草(とみくさ)の花と謡っているのは行きの時より今度は、もう少しおもしろいが、どういう生真面目な人なのだろうと思う。そのまま無愛想に歩いて行ってしまう人もいるので、笑ってしまう。ちょっと待って。どうして、そんなにこの夜(世)を捨ててお急ぎになるのとか言うわよなどと言うと、気分でも悪いのだろうかと、倒れそうになるほどもしかして人が追いかけてつかまえるのではないかと思えるほど慌てて退出する人もいるようである。
2019.12.10
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「きれいな硯を引き寄せて手紙を書き」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。大勢の声で詩を朗詠したり歌などを詠う時には、戸は叩かないけどこちらから先に開けるので、ここへ来ようと思っていなかった人も立ち止まってしまう。大勢すぎて座る場所もなく立ったまま夜を明かすのもやはりおもしろそうである。なのに、几帳の帷子(かたびら)がとても鮮やかで、帷子の裾や褄(つま)が少し重なりあって見えている局の前で、直衣(のうし)の後ろにほころびが大きくあいている若君たちや、六位の蔵人が、青色の袍などを着て得意気に局の遣戸(やりど)のそばに寄りそって立つこともできないでいる。塀の方に背中をくっつけて両袖を合わせて立っているのは、おもしろい。また、指貫(さしぬき)のとても濃いのをはき、直衣の派手なのを着て袖口から何枚もの下着をちらつかせている人が、簾(すだれ)を押して体半分を局に入っているようなのは、外から見ると、とてもおもしろい。だが、その人がきれいな硯を引き寄せて、手紙を書き、あるいは鏡を借りて鬢(髪)を直したりしているのは、すべておもしろい。三尺の几帳が立ててあるが、帽額(もこう/簾の上部)の下はほんの少し隙間があるが外に立っている男と中に座っている女が話をしていて、その顔のところにとてもぴったりなのがおもしろい。背が高い人や低い人はどうだろうか。
2019.12.09
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「童などが来ている時には都合が悪い」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。宮中の局は、細殿がとてもおもしろい。上の方の蔀(しとみ)が上げてあり風がたいそう吹き込んで、夏もとても涼しい。冬は雪、霰(あられ)などが風と一緒に降り込んでくるのも、とてもおもしろい。部屋が狭くて、童などが来ている時には都合が悪いが、屏風の内側に隠しておいておくと、別の場所の局に来たかのように、大声で笑ったりしないので、大変よい。細殿は、昼なども油断しないで気をつけていなければならない。夜はなおさら気を許すことができそうにないのが、とてもおもしろい。一晩中聞こえていた沓(くつ)の音がとまって、ただ指一本で戸を叩くのがあの人だなとすぐにわかるのがおもしろい。ずいぶん長く叩いているのに音もしなかったら、眠ったのかと思うだろうと癪(しゃく)だから、少し体を動かす衣ずれの音で、起きているようだと思ってくれるだろう。冬は女が火鉢にそっと立てる火箸の音も、まわりに気を使ってるなと聞こえるのに、男がどんどん叩くので、女も仕方なく声に出して返事をするのだが、それをわたしは物陰ににじり寄って聞く時もある。
2019.12.08
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「最後まで仲のよい人はめったにいない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、雨が降ってきそうだなどと聞こえよがしに言うのも、ひどく憎らしい。格別身分の高い人のお供などは、そんなことはない。貴族の息子などのお供はだいたいよい。それ以下の身分の場合はみなそんなふうに無礼だ。大勢いる従者の中でも気立てを見極めて連れて歩きたいものだ。めったにないもの。舅(しゅうと)に誉められる婿。また、姑(しゅうとめ)に可愛がられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく癖がない人。容貌、性格、態度も優れていて、長く生きるほど、少しの欠点もない人。同じ所に住んでいる人で、お互いに恥ずかしがって、まったく隙を見せないようにしようと思っていても、最後まで隙を見せないようにするのは難しい。物語や歌集などを書き写す時に元の本に墨をつけないこと。立派な綴じ本などは、非常に気を使って書くけれど、必ず汚ならしくなるようである。男と女の間柄は今さら言わないし、女同士でも深い約束をして親しくしている人で、最後まで仲のよい人はめったにいない。
2019.12.07
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「不満そうに大きな声で言って」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。恋人として来ているのは、言うまでもなく、ただちょっと話したりまた、それほどでもないが、たまたま来たりする人が、簾の内に女房たちが大勢いて話などしているところに入って座り、すぐには帰りそうもないのを、その人の供の男や童子などが、何度も覗いてる。主人の様子を見て、斧の柄も腐ってしまいそうだと、嫌で堪らないようで長々とあくびをして、密かにと思って言ったらしいが、ああ、つらい。まったく苦悩煩悩だよ。もう夜中になっているだろうって言っているのはひどく不愉快だ。こんなことを言う者は、取るに足りない者たちだろう。別になんとも思わないが、この座っている人のほうが、風情があると見たり聞いたりしたことも消えてしまうように思われる。また、それほどはっきりとは言えないで、不満そうに大きな声で言って、ため息をついた。心には 下行く水の わき返り 言はで思ふぞ 言ふにまされる心の中に地下水がわき返っているように 口に出さないけれどあなたを思っています その思いは口に出して言うより優っています。などという気持ちなのだろうと、思うとかわいそうだ。
2019.12.06
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「明けてくるに連れ近くに聞こえる」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。(束の間の夕焼けの光りに照らされた「もも」)比較しようがないもの。夏と冬と。夜と昼と。雨が降る日と日が照る日と。人が笑うのと腹を立てるのと。年取っているのと若いのと。白いのと黒いのと。愛する人と憎む人と。同じ人でありながら愛情のある時と変わってしまった時では、本当に別人ではないかと思われる。火と水と。太っている人と痩せている人。髪が長い人と短い人と。夜に烏(からす)がたくさんとまっていて、夜中頃に寝ぼけて騒ぐ。落ちそうになって慌て、木を伝わって、寝起きの声で鳴いているのは昼間の感じとは違っておもしろい。人目を忍んで逢っている場所では夏がおもしろい。非常に短い夜が明けてしまう。なので、まったく寝ないでいたことになる。前夜からそのままどこも開けっ放しにしてあるので、涼しくあたりを見渡せる。もう少し言いたいことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに座っているすぐ上から烏が高く鳴いて行くのは、見られたような気がしておもしろい。また、冬の夜、とても寒いので、夜具をかぶったまま聞くと鐘の音がまるでなにかの底からしているように聞こえるのは、とてもおもしろい。鶏の声もはじめは羽の中で鳴く声が、口ごもったように鳴くので、とても奥深く遠くに聞こえるが、明けてくるにつれて、近くに聞こえるのもおもしろい。
2019.12.05
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「姿がはっきり見えてはいけない」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。歌集は、万葉集(奈良時代末期に成立した日本に現存する最古の和歌集)古今集(古今和歌集/天皇や上皇の命により編纂された歌集)。歌の題は、都。葛(くず/万葉の昔から秋の七草の一つ)。三稜草(みくり/多年生の抽水植物。地下茎を伸ばして株を増やす)。駒(こま/馬に使われる)。霰(あられ/雪霰や氷霰など)不安なもの。比叡山で十二年の山籠りをしている法師の女親。闇夜なのに知らない所へ行った時に、姿がはっきり見えてはいけないということで、灯りもつけないで、それでも並んで座っているとき。新しい召使いで性格もよくわからないのに、大切な物を持たせて人の所に使いに出したところ、遅く帰って来るときや、口もきけない赤ん坊が、そっくりかえって、人にも抱かれようともしないでただ泣いているときも不安になる。
2019.12.04
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「夕顔は花の形も朝顔に似ていて」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。萩は、とても色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れてなよなよと広がってうつむいているのがいい。牡鹿が好んで寄って来るらしいのも、ほかの花とは違う。八重山吹。夕顔は、花の形も朝顔に似ていて、朝顔、夕顔と続けて言うととても素敵な花の姿なのに、実の形がとても残念だ。どうしてあんなに大きな実がなるように生まれたのだろう。せめて酸漿(ほおずき)くらいの大きさであってほしい。でも、やはり夕顔という名前だけはおもしろい。しもつけの花。葦の花。この草の花の中に薄(すすき)を入れないのは、とても変だと人は言うようだ。秋の野を通じての風情は薄にこそある。穂先が蘇芳色で、とても濃いのが朝露に濡れて靡いているのは、これほどのものがほかにあるだろうか。でも、秋の終わりは、まったく見所がない。いろいろの色に咲き乱れていた花が跡形もなく散ったのに、冬の末まで、頭が真っ白く乱れ広がっているのも知らないで、昔を思い出しているような顔で風になびいて、ゆらゆら揺れているのは人間にとてもよく似ている。このようになぞらえる気持ちがあるから薄(すすき)のことを特にあはれと思うのだろう。
2019.12.03
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「日本のなでしこもとても素晴らしい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。妙法蓮華の例えにして、花は仏に奉り、実は数珠の玉に貫き阿弥陀仏を祈念して極楽往生の縁にするのだから、そして花のない夏の頃に、緑色の池の水に紅く咲いてるのも、実に素晴らしい。漢詩の「翠扇(すいせん)」は蓮葉、「紅衣(こうい)」は蓮花。翠翁紅(すいせんこう)と、扇ではなく翁と書いてあるのは、誤写だろう。唐葵(からあおい/たちあおい)は、日の光が移るに従って花が傾くというのは草木とは言えないような分別がある。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草(露草/つゆくさ)は、色が褪せやすいというのが嫌だ。草の花は、なでしこ。唐なでしこ(石竹)は言うまでもない。日本のなでしこもとても素晴らしい。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。かるかや。菊。つぼすみれ。竜胆(りんどう)は、枝ぶりなども入り組んで煩雑だけれど他の花がみんな霜枯れているのに、際立った色彩で姿を現すのは、おもしろい。また、わざわざ取り上げて、一人前の花として扱うべきでもないけれどかまつかの花は、可愛らしい。「かまつか/鎌柄」という名前は嫌だけれど。「雁の来る花」と漢字では書いている。かにひの花は、色は濃くないけれど藤の花ととてもよく似ていて、春と秋に咲くのがおもしろい。
2019.12.02
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「蓮の葉は他の草よりも素晴らしい」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と清少納言のエッセイ枕草子の研鑽を公開してます。草は、菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵(あおい)は、とてもおもしろい。神代から始まって、あのような髪に挿す物となったのが、とても素晴らしい。葉の形も、たいそうおもしろい。沢瀉(おもだか)は、面高(おもだか)という名前がおもしろい。面高だから、思い上がっているだろうと思うので。三稜草(みくり)。ひるむしろ(浜人参)。苔(こけ)。雪の間の若草。こだに(ツタの一種)。かたばみは、綾織物の紋様になっているのも、ほかの草よりはおもしろい。あやう草は、崖っぷちに生えているというのも危ういという名前の通り頼りない。いつまで草は、これまた儚くかわいそう。崖っぷちよりも、こっちの方が崩れやすいだろう。本格的な漆喰壁などにはとても生えないだろうと思われるのが欠点だ。事なし草は、思うことを成し遂げるだろうと思うのもおもしろい。しのぶ草は、とてもあわれだ。道芝(みちしば)は、とてもおもしろい。茅花(つばな)もおもしろい。蓬(よもぎ)は、たいそうおもしろい。山菅(やますげ)。日陰(ひかげ)。山藍。浜木綿(はまゆう)。葛(くず)。笹。あおつづら。薺(なずな)。苗。浅茅(あさじ)はとてもおもしろい。蓮の葉は、ほかのどんな草よりも優れて素晴らしい。
2019.12.01
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