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国道20号線甲州街道から、景徳院入り口を右折して上日川峠に行く予定でしたが、見過ごしてしまい、勝沼の葡萄郷に入ってしまいました。こちからは交差の出来ない山道を登りますので好きでは無いのですが、仕方が無いと30kmを何とか登り切りました。予定より1時間以上遅れの正午過ぎ到着で、駐車場は50台以上の車で埋め尽くされていましたが、何とか1台分の駐車場所を見つけ、長兵衛ロッジから福ちゃん荘までの舗装道路を20分程歩きました。其処からは大菩薩嶺に行く唐松尾根コースと大菩薩峠に行く林間コースへと分かれますが、歩きやすい林間コースを取ることにしました。ドウダン躑躅等は、早くも紅葉していて秋の気配が漂います。途中昼食休憩を経て、大菩薩峠に着きましたのが午後1時半で、殆どの登山者は降りる時刻の様で、大菩薩嶺に行く人が見当たらなくなりました。峠にある介山荘付近にも秋の気配が見られます。大菩薩湖を眼下に、富士山を望む景観は将に絶景の一言です。賽の河原を経て、雷岩に付きましたのが午後2時40分、秋の日は短いので大菩薩嶺は諦めて、唐松尾根コースで下山しました。唐松林に入るまで、浮石のゴロ岩が多いコースですので、トレッキングポールを使わないと危険に思われて不安、多くの登山者は介山荘からの林間コースを取る訳だと分かります。
2015.10.10
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午前9時に家を出て、モノレールと京王線で高尾山口に着いたのは午前10時過ぎ、ケーブルカーを利用して427mの高尾山中腹駅からトレッキング開始、高尾山山頂599mから小仏城山に行ってみることにしました。このコースは、2000年の春に、家内と共に一丁平から小仏城山までの約2kmにわたり見事な山桜、ソメイヨシノなどの約700本が咲く「高尾山千本桜」に観に行って以来ですから、15年ぶりのこととなります。階段状の木道が整備され、あまりに多すぎる登山者から、山腹を守る工夫がされていました。途中の一丁平で、インスタントラーメンの昼食を取り、丁度正午頃、小仏城山に到着となりました。小仏城山は標高670mですから、599mの高尾山は眼下となります。城山の茶屋で飲み物休憩をし、相模湖に下りますが、このコースは殆どが樹林帯を下りますので、見通しは利きません。下りきって、午後2時、16年前に運行していなかった相模湖行きのバスを利用しようと思いましたが、数分違いで逃してしまいました。仕方なく、15年前同様に、相模川(この付近では桂川と呼ばれます)に掛かる弁天橋を渡ることにしました。以前は揺れを感じる吊橋でしたが、今は通路が舗装されたしっかりとした橋でした。相模湖のダムを渡り、相模湖駅到着が午後3時、久しぶりの長丁場で足に疲労感を覚えましたが、バス便を逃したことで、良いトレッキングとなりました。
2015.10.09
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昨日は晴れで暑くもなく、絶好の散策日和となりましたので、久しぶりに相模原市の城山湖を周回してみることにしました。一周は約4km、100m程度のアップダウンはありますが、1.5時間程度で森林浴も楽しめる気軽な散策コースです。最高点407mのふれあい休憩所から、全景を見渡すことが出来ます。空気が澄んでいて、橋本の町並み、遠くには新宿の高層街も望むことが出来ました。周回路の殆どが相模原市なのですが、標高365mの松見休憩所では町田市と八王子市が交錯し、町田市最高峰の草戸山365mとの表示板があります。此処で1時間を経過し、お昼となりましたので、インスタントラーメンを作って、昼食としました。更に30分程の下り道を経てほぼ一周、ロックフィルの本沢ダムに戻って来ましたが、水位が数mは低くなっていて、異常水位にも見えました。そう言えば昨日は、ポンプ試験の放送が発電所から流されていましたので、意識的に水位を低くする必要があったのかも知れません。混雑で知られる高尾山と違ってすれ違う人も少なく、静かにトレッキングの真似事を楽しめる良いコースでした。
2015.10.01
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東大農学部前から白山通りに入り、北上して散歩して行くと本郷通りと合流するので、本郷通りを駒込駅まで散策することにしました。途中、神社仏閣も多く江戸の風情が残っている地域で興味深かったのですが、想像していたよりも遠距離で、1時間以上掛かってしまい草臥れてしまいましたが、駅到着直前に、六義園の案内板を見つけましたので、立ち寄って一休みすることにしました。シニア入園料150円を支払い中に入りますと、回遊式築山泉水庭園ですので、池の周りをゆっくりと観賞出来ます。自然を生かしたと言うよりも、松等の植栽は枝振りが良い様に刈り込まれて、甚だ風雅を極めた人工の庭園でした。池には中の島もあって、蓬莱島や臥龍石等も設えられ、江戸の大名の趣味が未だに残された名勝であることが彷彿とさせられます。六義園は、五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。明治初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年に特別名勝に指定されている。
2015.09.29
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小野路交差点から万松寺谷戸に入りますと、奥の広がりをもった棚田から山裾、その上に位置する小野路城址辺りは東京都の風致地区に指定されている筈なのですが、東京都と町田市の担当者の相克があって、整備されなくなって久しくなりました。万松寺前の空き地は建設資材の置き場となり、鋼製壁で仕切られていて、風致地区の雰囲気を壊してしまっているのです。其処を通り過ぎて棚田に入りましても、嘗てあった「東京都風致地区」の看板も取り払われてしまって見えません。それでも谷戸の棚田の一部には水田や畑が広がり、何とか典型的な里山の風景を醸しだしていて落ち着いた雰囲気です。山裾にある栗林には、猛禽類の撮影を目論んでいる二人がおりました。聞きますと、「此処はカラスの巣窟谷戸となっているが、時々オオタカ等の猛禽類がいるし、林の中にはフクロウもいる」とのことでした。暫く一緒に観ていましたが、猛禽類ではなく、アオサギが飛来して来ましたが、撮影の対象では無い様でした。風致地区の栗林ですから所有者が特定出来ず公共の植林と思いつつも、もしかしましたら、個人所有の栗林であったかも知れませんので、迷惑を掛けない様に、林の中で落ちて間もない一部の栗イガから、栗を頂戴して帰りました。栗ご飯にするには十分な量でした!
2015.09.16
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35℃を超える猛暑が続き、家の中に待機して適度に水分補給をしているのが無難です。30年を経て、東京の夏もテキサス州ヒューストンと同じ様な亜熱帯気候になってしまいました。ヒューストンでは3月から10月まで、猛暑になりますので皮膚の毛穴が全開となって放出しますので、熱中症は少ないのです。日本から出張の方が来られますと、その方々の毛穴は閉じていますので大変な酷暑になり、熱中症の懸念がありました。私達家族は、4年の滞在を経て10月初旬に帰国しましたので、毛穴全開の状態で秋冬を迎えましたので、その年はよく風邪をひくこととなりましたが、翌年には毛穴が閉じて大丈夫、人間の環境適応性を感じたものです。一昨日の深夜に強い雨が降って昨日は猛暑にならないと言うことで、静岡県富士市まで往復、帰りには4ヶ月振りに富士霊園に寄って墓参して来ることにしました。もうお盆休みの家族連れも多かった様で、高速道路が混み合い、9時半出発にしたのですが、富士市到着は予定より1時間遅れの12時半過ぎとなりました。知り合いの方々に挨拶しつつ「五島うどん」を配り、暇乞いを失礼して、冨士霊園には午後3時半到着となりました。管理事務所で購入した供花と、好きだった珈琲を供え、7月のお盆もしなかったQuatre mois absenceを詫びました。秦野市の実兄宅に寄って雑談、帰宅は午後8時、往復260kmのドライブは久しぶりで疲れましたが、未だ車の運転に支障が無いと思うことにしました。
2015.08.09
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都営の小山田緑地での蛍秘密基地とされるトンボ池に行ってみましたが、宵闇が迫っても蛍が飛び交いません。午後8時まで待てばとも思ったのですが、確証が無いので、周辺道路を迂回して再びアサザ池を訪問することにしました。前回の経験で、10m以上離れた処からの蛍撮影は、コンデジカメで撮ることは至難の業と確認しましたので、3~5m範囲に飛び交う蛍を狙うことにしました。シャッタースピード8秒、絞りF2.0~4.0にて、撮ってみました処、池の上の3匹の蛍、中央は動かず、左右は互いに遠ざかる写真を撮ることが出来ました。林の暗闇中に飛ぶ蛍は飛ぶスピードが遅いのか、短い線分3本となりました。再度、近くに飛んでいた蛍を狙ったのですが、画面からはみ出しそうになったので、カメラを振ってみました処、珍しい画像となりました。2匹の光源軌跡に見えますが、1匹だけだったと思います。何れも、柵の上にカメラを固定しましたので、手振れはありません。道路脇の草叢に蛍が光って点滅していますので、固定せず撮りましたので、手振れでぼんやりしていますが、シャッタースピード8秒でしたので、強い黄緑色光源が写っていました。段々と蛍撮影も慣れて来ましたので、もう1度チャレンジしたい気がして来ました。
2015.06.13
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昨夜は先日事前調査をした都営の小山田緑地での蛍を見に午後8時頃行ってみることにしました。公園の駐車場は閉鎖されていますので、付近の民間駐車場に車を停めさせて貰い、国際カントリーと交錯する散歩道を道為りに進み、アサザ池を通り過ぎて10分程で、田圃に着きました。付近には蛍が飛び交っていて、手をかざして蛍を留めることも出来ましたので、近くにいた子供に手渡してあげました。蛍を撮影するべく、予めシャッタースピード8秒、絞りF4.0にて、数枚撮ってみましたが、殆ど暗闇しか写っていません。蛍の光は微弱で、30秒位開放しませんと撮影は難しい様ですが、何とか光が点として写っていたのが1枚ありました。人間の眼とは優れたもので、ほのかに点滅する蛍の光を集中して堪能出来るのですが、コンパクトデジカメではそうは行かない様です。帰途、アサザ池に寄ってみますと、蛍が点滅していますので、数枚シャッタースピード8秒、絞りF2.0に変えて、数枚撮影してみました処、偶然ピンボケで手振れもありましたが、黄色い光源が写っているものがありました。10年以上前には神奈川県城山町まで出掛けたのですが、今回は車で10分程の近郊で手軽で便利な場所での10年振りの蛍見物でしたが、十分堪能出来ました。
2015.06.11
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全国からホタルのニュースが流されていますし、近郊でも稲城市やよみうりランドでの有料観察会が先週末から開催されている様です。10~12年前には、家内と神奈川県城山町にあるホタルの里に行きましたが、NPO法人の“ホタル研究会・自然の家”が閉鎖されてしまったので、行く気になれません。先日、横浜市の寺家ふるさと村からの蛍情報と写真がメールされて来ましたので、近郊の里山で見られないものかと聞いてみましたら、よく昼食を取りに出掛ける都営の小山田緑地で蛍が見られるとの情報を得ました。公園管理事務所に行って蛍情報を聞きましたら、梅木窪分園のアサザ池付近からその奥にある私有地の田圃にて蛍が飛んでいるとのことでした。飛び地のトンボ池では、未だ調査していないので、状況は判らないとのことでした。早速、日中の事前調査をしてみることにしました。国際カントリーと交錯する散歩道を道為りに進みますと、白やピンク色のホタルブクロも咲いています。アサザ池を過ぎますと国際カントリークラブと私有地の田圃が交錯していますが、蛍が飛んでいたと言うのはこの付近です。奥に見える森の袂には、綺麗な湧き水があって、溜池は驚く程透明、蛍が生息していても不思議はありません。公園の駐車場は午後5時に閉鎖ですし、散歩道は狭くて途中駐車することが出来ませんので、何処か広い道に駐車して、20~30分程歩いて行かなければならない様でした。午後7時半から8時頃でしょうから、フラッシュライトも必要となりましょうか?
2015.06.08
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最初は青梅線の軍畑駅から高水三山のトレッキングと思ったのですが、蒸し暑さと体力の衰えを考えて、もっと楽な森林浴で良いと近郊に変えました。八王子市廿里(トドリ)町にある独立行政法人「森林科学園」のさくら保存林に季節外れではありますが、行ってみることにしました。多摩モノレールで高幡不動経由、京王線で高尾駅まで行きますと、其処からは徒歩5分ほどで着くことが出来ます。桜の季節は入園料400円なのですが、季節外れで300円と安くなっていました。ゲートで聞いてみますと、「本日の入園者は20人足らず」とのことでした。8ヘクタールのさくら保存林には、全国から250種類、1600本が植栽されていますので、桜の季節には1000人を超す訪問者で園内は混雑するのですが、全く人影が見えず、「イノシシ注意」「マムシ注意」の看板が目立つばかりです。黄色い花弁のウコン等、珍しい桜の並木となっている夫婦坂も木陰の新緑一色です。50m程ゆっくり登って行けば、階段状の木製ベンチが並ぶ休憩所となり、其処からは周回道路が続きます。太い林道に加えて、遠見通り、彼岸通り等の尾根道も整備されて近望。遠望を楽しむことが出来ます。まるで、人気の無い深山幽谷の世界となりました。桜の季節には色とりどりの桜を楽しむことが出来たのですが・・1時間余、イノシシにもマムシにも遭遇することなく、森林浴を満喫することが出来ました。季節外れの訪問も良いものです!
2015.05.29
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木曜日は夜来の風雨が止み快晴となりましたので、久し振りに高尾山の新緑を楽しもうと午前10時に家を出ました。駐車場の薬王院祈祷殿には午前11時前に到着、此処は他の駐車場に比べて駐車料金が半額の500円なのです。ケーブルカーを利用し山頂を経由して一丁平から城山まで行くことも考えましたが、山頂の尾根コースは暑そうでもあり、南端の稲荷山コースをゆっくりと登ることにしました。途中の展望所までの標準コース時間は30分程度なのでしょうが、珈琲タイムを2回取って45分掛けて到着です。眼下には祈祷殿の駐車場、その向こうに八王子市街、遠くにはうっすらと新宿高層街を望むことが出来ました。快晴でしたが雨上がりで湿気があり、東京タワーもスカイツリーも確認出来ませんが、兎に角新緑が美しい時期でした。其処から山頂まで急登はなく、林間をだらだらと登って行くだけ、途中の杉林休憩所で珈琲休憩を取ります。高尾山一体は国有林の筈ですが、稲荷山コースでは、間伐も下枝打ちもされていませんので、何とも可哀相な管理状態で、木材林の役割を放棄しているのは残念です。40年前には三鷹に住んでいたこともあり、折に触れて家族で高尾山の各コースを利用して登山したものでした。稲荷山コースでは、杉の苗を植林中で展望見晴らしの良いコースだったのですが、今ではすっかり様変わりです。
2015.05.23
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親友の一人が鬼籍に入って2年半となりましたので、都合の就く二人で墓参することにしました。場所は神戸市郊外の「西神墓園」と言う市立の大きな墓園ですので、新神戸駅でレンタカーをして約1時間で到着することが出来ました。生憎、管理事務所は火曜日の定休日で、「供花と線香を何処で買帰るのか?」と当直の職員に尋ねましたら、「裏に無人販売所を設けてありますので、其処でお求めください」と言うことで、墓園周辺は野原や里山林の続く場所ですので助かりました。墓周りの草取りをして、供花と線香で冥福の続くことを願い、記念にタイマー撮影しましたが、ほぼ立ち位置は大学卒業時と変わっておらず、後ろに立つ友人が墓石になったのです。51年前の若かった風貌は、すっかりと老いぼれた老人の姿ですが、自然の摂理で仕方がありません。午後1時を過ぎ、帰りの予定は新神戸駅で午後6時と考えていましたので、明石海峡大橋を渡って、中心都市の洲本市まで行って其処で遅い昼食を取ることにしました。明石海峡を跨ぐ明石大橋は巨大で、サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジよりもスケールが大きいので、日本の橋梁事業の粋を見る思いがしました。淡路島は佐渡に次ぐ大きな島でしたので、なかなか洲本市には着きませんで、到着は午後3時を過ぎてしまいました。港町の感覚で食堂を探したのですが、大きな都市でもあって見つかりません。仕方なくショッピングモールに入ってインドカレー店で遅い昼食となりました。折角ですから、何処か観光でもしてから帰途に就こうと、見上げますと海岸段丘の上に城が見えます。車で行けますし、駐車場もあると言う事でしたので、急遽訪問してみることにしました。城址の石垣は堅牢で、崩れは殆どありません。大阪城の石は淡路島産との記憶もありますので石工が発達していたのでしょう。秀吉時代には重要拠点とされ、家康時代には放置同然となった洲本城は、歴史を回顧出来ることが魅力の様でした。朝6時半出発、午前0時帰着の日帰り旅でしたが、墓参も観光も出来た充実の一日となりました。
2015.05.21
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大型連休最終日は相模原市城山町川尻地区にある小松ハイキングコースに行ってみることにしました。その終点となる城山湖の駐車場は混雑していると思い、宝泉寺前の石垣前の道路端に車を停め、墓地横の階段を登って行きます。宝泉寺の裏山は小松城址となっていますが、小さな祠と空堀が残っている程度で、往時を偲ぶものはありません。其処から尾根伝いに城山湖湖畔の丘にある金刀比羅宮まで約3kmの道は、所要時間40分の小松ハイキングコースとして知られています。元来このコースは金刀比羅宮への参道だったので、急な上り下りはありません。途中には評議原と言われている休憩所があり、片倉城・津久井城・小松城の武将が、落城の相談した場所とも伝えられています。此処は紅葉の名所ともされているのですが、昨年12月初旬に訪れました時は見頃を過ぎていましたが、見事な新緑の紅葉林に変貌していました。15年程前には松ノ木もあったのですが枯れてしまいました。広葉樹が繁茂して日差しを遮りますと、裸子植物の松は衰退するのは自然の摂理で、仕方がありません。途中、少ないながらもキンラン・ギンランを観賞することが出来ましたが、年々その数を減らしている様で、盗掘も自然破壊の一つと思い、残念な気持ちとなります。
2015.05.08
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都立小山田緑地は、ゴルフ場・私有耕作地に挟まれて、数ヶ所に分散しています。特に「あさざ池」付近は、ゴルフ場・私有耕作地や民家に挟まれていて、将に鰻の寝床状態の細い散歩道となっていますが、心地よい谷戸の散歩道でもあります。散歩道に沿って小さな小川が「あさざ池」に流れ込み、又小川となって谷戸を流れて行くのですが、路肩が崩れて流れを止めるので、鉄板や鉄パイプ等で崩れ防止工事が時々行われるのです。10数年程前に、家内と散歩していた時には、浅い水面によくアブラハヤが泳ぎ回るのが見えて、よくこんな劣悪な環境で生きているものだと感心していたのでした。しかし、前回の補強工事で流れが少し変わりましたら、遂に消えてしまったのは残念なことでした。しかし、前回の補強工事から7~8年は経過していたのでしょうか小川のあちこちに多くのアブラハヤが素早く泳ぎ回る姿を見つけることが出来たのです。コンクリート護岸でなく鉄板と鉄パイプの補強工事が環境を破壊するもので無かった所為でもあったのでしょう、自然の回復力は想像以上のものでした。
2015.04.21
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「滄桑の変」とは世の中の激しい移り変わる様を表した語句で、「滄海(そうかい)変じて桑田(そうでん)となる」と言う中国の故事から来ています。江東区豊洲界隈はその典型で、昔は無機質の工場地帯だったのですが、今では湾岸の住宅地として、又オフィスビルが立ち並ぶビジネス街ともなりました。1年振りに訪れた豊洲地区、ゆりかもめの豊洲駅には新しいビルが建っています。近い将来、築地市場が豊洲埠頭に移転することを見据えてか、未だ々開発は続く様で、行く行くは東京の台所としての機能も追加されますので、どんな姿になるのか見当もつかなくなりました。会社のOB会に出席、満90才を過ぎて出席した先輩達は、矍鑠としていました。先輩に、専門書の所蔵はどうしているのかと尋ねました処、土光敏夫氏が使っていたStodola の「Steam and gas turbines」も含めて残っているとのことでした。アインシュタインも学んだチューリッヒ工科大学(ETH)は、米国を凌いで工学研究をリードしていましたので、私も上記のStodola「Steam and gas turbines」や、Traupel 「Thermische Turbomaschinen」は良き参考書でもあったのでした。実は、我が家でも1年半前には、5つの書棚から英文の百科事典、昭和歴史叢書を含め、文庫本など1500冊以上は廃棄したのですが、未だ理工学の専門書は捨てきれずに所蔵しているのです。もうそろそろ整理しなければならない年齢に達したと思っていたのですが、もう少し所蔵しておこうと思う次第でした。処で、近頃は日経平均株価が上昇基調ですが、基幹産業と思われる鉄鋼、重工等の株価は冴えない状況が続いています。昔、勉学好きの全国の精鋭が文系であれ理系であれ、多数入社していたのが会鉄鋼、重工等の社でしたが、今では人材を確保するのが難しくなっている現状は寂しいもので、重工メーカの集結による復権が求められているのかも知れません。
2015.04.20
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昨日は天気も良く5月の気候となりましたので、相模原市にある城山湖に行ってみました処、山間地と言った土地柄で、平地より遅い桜が満開状態で見頃になっていました。湖畔では枝垂れ桜を含めて、植栽された桜は満開で見応えがありましたが、対岸の山桜が緑に混じってほど良いグラデーションを出していて、遠くに高尾山の山頂を拝めるのも良いものです。14年前の写真ですが、何時も此処で撮る定点カメラポイントともなっていた様です。湖畔周回散策路から、林間の巻き道を行きますと峰の薬師は程なく到着出来ます。途中、気候が初夏の暑さを凌ぐべく、オープンシャツを脱いで、Tシャツとなりましたが気持ちが良いものでした。山道では、スミレが日向でも日陰でも沢山咲いていましたが、殆どがタチツボスミレで、繁殖力はスミレの中でも群を抜いている様です。峰の薬師奥の院に着き、境内の日当たりの良い場所に、漸く紫色の濃い花弁を持ったコスミレを多数見つけることが出来ました。コスミレは日当たりの良い場所にしか繁殖せず、タチツボスミレとの生命力の差を感じてしまいます。
2015.04.07
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26日は月命日、3月26日は45回目の結婚記念日でしたので、仏壇に玉之浦の一輪挿しを供えて、午前10時から冨士霊園に向かうことにしました。相模川の河川敷にある愛川ICから圏央道に入り、海老名ICから東名に乗り換えて、大井松田ICで下り、246号線を使って静岡県小山町から山道を使って冨士霊園には正午前に到着しました。墓所の坂からの富士山は籠坂峠が邪魔して7合目から上しか見えませんが、今年は雪が多く真白、青い空に映えていました。冨士霊園は標高600mの高原に位置していますので、梅が丁度見頃の季節で雑木林は裸木のまま、桜の名所と知られるメイン通路のソメイヨシノ並木は未だ硬い蕾のままでした。
2015.03.27
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昨日は気温が上がりましたので、尾根緑道から内裏池まで散歩しました。内裏池には道路を渡って林間道を行くのですが、分かれ道の其処はベンチや自転車駐輪場もあって一寸した休憩所になっています。昨日は、日差しも強く日陰が心地よく感じられる気候となりました。紅白梅は遠目には満開とも見えましたが、近づいて見ますと地上に沢山花弁を落としていて見頃は過ぎ去りつつありました。桜の蕾は未だ硬いままでしたが、都内より数日桜の開花が遅れる地域ですので、仕方がありません。内裏池まで林間を通って行きますが、その途中に南大沢を一望出来る展望所がありますので、其処で昼食としました。すると、今まで眼前に広がっていた野原は消えて、大きなオフィスビルが建設中で視界が遮られてしまっていました。尾根緑道周辺は、開発が進みつつ緑が消えつつあります。人口が増えることは喜ばしいことなのかも知れませんが、親しんだ緑地が消えていくことは寂しいものです!
2015.03.18
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風は冷たいのですが、日差しは強くなり、春が忍び寄って来ていますので、野津田公園に行ってみました。ススキの丘ではススキが刈り込まれて、春の芽吹きの準備がされていました。木々の芽吹きには早いようですが、ススキの間から蓬の小さな葉が多数顔を出して、春を告げています。此処ではハルリンドウが群生するのですが、未だ早すぎて未だその気配もありません。ふと杉林を見上げますと、日当たりの良い処では、スギ花粉の元となる蕾が真っ赤に多数実っていました。今年は、スギ花粉の当たり年の様に見えましたが、どうなのでしょうか?
2015.03.13
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昨日は天気が良いので、此処周辺で一番開花の遅い、町田市の薬師池公園に行ってみました。未だ全体的には2分咲きと言った処で、漸く古民家前の白梅が4分咲きとなっている程度でした。北東の風が意外に冷たく、池の辺の売店で、温かいきつねうどんでも注文しようと散策して行きまますと、10人を超えるカメラマンが大きなズームレンズを構えているのです。よく見ますと、枝の先にカワセミが来ましたので、私もコンデジの4倍ズームを使って撮影を試みました。池に飛び込んでは、小魚を嘴に咥えては、枝に戻っての食事です。薬師池には、よくカワセミが飛来するとは聞いていましたが、10年以上の訪問で初めてでした。都区内では絶滅危惧種、都下でも準絶滅危惧種に区分けされていると聞いています!
2015.03.01
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昨年10月の命日以来、高原で凍結の恐れもあるかと思い、墓参りは遠慮させて貰っていましたが、昨日は気温が上がるとの予報でしたので、午前10時過ぎから出掛けてみることにしました。圏央道愛川ICから東名を使えば1時間半で到着と予想していたのですが、東名に入る直前から長蛇の列で混雑を極めて、昔の129号線で厚木ICから東名と言うルートと同じく2時間半を要してしまいました。通考料金が日本一高いとされる圏央道ですが、中央高速と東名高速を結ぶ路線として整備完了となったことで、交通量が格段に多くなったのでしょう。天気も良いので、ザックからバーナーとコッヘルを取り出し、墓前でインスタントラーメンを作り、昼食です。高原ですから、ダウンジャケットも羽織って行ったのですが、北風も無く、脱いでも快適でした。帰りには、道の駅で小山産コシヒカリでも届買って秦野の実兄宅にけようかと、道の駅「ふじ小山」に立ち寄りました。246号線沿いにありますので車と店が邪魔になりますが、其処からみる富士は大きく雄大です。左肩に突き出た宝永火山の上に雲が出ていて、その影を山腹に投影しているのも、中々の風景でした。
2015.02.28
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命日が近づいたので、藤沢市営の大庭台墓園へと義長兄の墓参りすることにしました。念の為、事前にGoogle Mapでルート検索しますと相模原経由129号線で厚木を抜けるルートで所要1時間20分余でした。車に乗ってカーナビで検索しますと、推奨ルートは大和から保土ヶ谷バイパスを通って国道1号線を使うルートでしたが、混雑で名にし負う16号環状を通らなければなりませんので、再検索して最短ルートを選択しますと町田街道から246号線を横切る形で藤沢街道を使うルート、これが通常ルートに近いので、その指示に従うことにしました。藤沢街道の大和市区域では片側1車線と狭く、遅々として進まなかったのですが、何とか1時間半で、到着となりました。管理事務所で供花を買い求め、26区画2号の墓所に行って、剪定鋏を使ってイヌツゲを切り揃え、雑草等を抜き取って、香を焚き合掌しました。墓誌を見ますと、「昭和58年2月26日没 行年47才」、もう亡くなって32年も経過して、今年は33回忌となります。義長兄が亡くなった時は、義父母も健在で、その要望もあって五島列島の墓にも分骨されましたので、その菩提寺から33回忌通知が来ているのです。今年の夏には、又新上五島町に1ヶ月滞在する予定ですので、4ヶ月遅れとなりますが、その菩提寺に法要をお願いしようと思っています。
2015.02.25
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昨日は午後3時頃から曇天となり、急に気温が下がり寒風が吹き出しました。多摩丘陵から遠くない厚木市では竜巻が発生した様で、暖かい気団に強い寒気団が入っての天候急変によるものと言われています。それまでは晴天でしたので、暖かさに誘われて町田市の小山台緑地に車を停め、通りの反対側に位置する奈良ばい谷戸に春を探して行ってみました処、日当たりの良い場所に菜の花を見つけることが出来ました。しかし、谷戸の奥、日当たりの悪い場所では気温が上がらず、1週間前の雪が残雪となって解けていません。畑仕事をしている人もいましたが、未だ多摩丘陵地帯では冬の方が優勢の様でした。
2015.02.14
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川崎市麻生区上麻生4丁目にあるウィーン菓子の名店リリエンベルク(Wienner Konditorei Lilienberg)に、ザッハ-トルテ(Zachertorte)を買いに行きました。小田急線の新百合ヶ丘駅からは15分程歩かなければなりませんので、もっぱら車で行く様になりますが、住宅地に位置することもあり駐車場は混雑して車の列が並ぶのが何時ものことになります。昨日は折角の誕生日でしたし、最高気温6℃にも満たない氷雨の日でしたので、客も少ないだろうと思ったのです。案の定予想が当たり直ぐに駐車出来ましたので、階段を登った処にある売り場で、ザッハ-トルテとホイップクリームを買うことにしました。売り場の窓から見えるリリエンベルクの全景、中庭にはロウバイが咲き、土を盛った屋根ではパンジーも咲き出していて、氷雨の中にも春の息吹を感じました。消費増税後なのですが、値段は400円と100円で据え置きとなっていましたのは、良心的過ぎるのでは思わざるを得ませんでした。此処はドイツ菓子の名店で、個人経営の店とは異なり、売り上げも多くなりますので、消費税を納める必要があるからです。
2015.01.16
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12月22日は家内の2年前に亡くなった義次兄の命日でしたので、墓参に行って来ました。場所は横浜市二俣川で、民間の小さな墓園はカーナビでは認識されませんので、目的地を鶴ヶ峰駅前にセットしますと、例年通りの経路、環状16号線から保土ヶ谷バイパスに入り本村IC経由を指示案内となりました。混雑で名にし負う路線ですので、走行距離はそれ程でも無いのですが、1時間強掛かることになりました。花を供えて、線香を焚き、命日の挨拶としました。ふと納骨場所前の墓誌を見ますと、「慧楽」と2文字が刻まれているだけで、浄土真宗正当の法名とは言え、同じ真宗でありながら、義父母の戒名と違った形式ですので、違和感はあります。しかし、法名と言い戒名と言い、家内の眠る冨士霊園では仏教以外の神道式、キリスト教式の墓も多くあって戒名表示などはありませんので、今後の世の中では俗名以外に必要なのか否か疑問にも思われます。
2014.12.23
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昨日は、会社OB二人と昼会食をする為に、寺家ふるさと村に1年半ぶりに行きました。例年、昼食会食は、和風喫茶「青山亭」の点心弁当と言うランチ弁当セット、食後に珈琲、紅茶・菓子付きもありますが、隣に茶室があることから抹茶・和菓子がお勧めでした。しかし、「青山亭」は閉店となった言うことで、近くにある「四季の家」と言う鰻料理の店で会食することにして11時半に集合となりました。11時に着きましたので、歩いて「青山亭」に行ってみましら、入口の門にはロープが張られ、道路脇にある店の看板も黒く塗り潰されていて、里山の中腹にある店は窓が閉められカーテンで隠されていました。寺家ふるさと村は横浜市青葉区にあり、農村の風景を残す谷戸として知られ、雑木林の里山と谷戸田の風景が美しく、季節を問わず多くの人々が訪れる。基本計画が策定されたのは1982年、1984年寺家ふるさと村体験農業振興組合が設立され、1987年「四季の家」が開館、総事業費9億円以上と言う「寺家ふるさと村」は完成。地元主体で始まり、横浜市と神奈川県と国が協力して、推し進めた「ふるさと村」は、例の無い初めての試みであった。住民の高齢化と人口減少が続いている状況は、人口密集地とされる横浜市にも押し寄せて来ていて、「青山亭」に限らず「四季の家」でも客の数は少なくなっている様で、憩いの場所「ふるさと村」の未来も明るく無いのかもかも知れません。
2014.12.18
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昨日は寒さも和らいだので、一本杉公園野球場脇の駐車場に車を停めて、小野路界隈を散歩することにしました。一本杉公園は、万葉の昔、防人が通ったとされる「よこやまの道」と言う尾根道に面していますので、小野路までは下る一方です。小野路との交差点には、前には野菜即売所もあったのですが、今は閉鎖されたままで再開されることは無さそうです。其処を突っ切って、森に入りますと、昔は原木栽培の椎茸用のホダギも並べられていたのですが、今は寂れたままとなりました。急な坂道を登りますと、牛舎のある牧場となって視界が広がり、万松寺谷戸は林の直ぐ下になります。此処は、町田市の「ふるさとめぐり」散策コースとなっている筈ですが、整備に手抜かりがあるらしく、看板も錆びてよく分からなくなっています。道なりに下って行きますと、万松寺谷戸入口にある小野神社に着きます。小さな神社ですが由来は古く、1000年を越す歴史がある様です。天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を祀ったのが始まりとされる。小野路通りの反対側には小島資料館があり、幕末に活躍した新選組の近藤勇や土方歳三が、京都へ行く前に名主・小島鹿之助の元に剣術稽古に訪れました場所の様で、日曜日のみの開館ですので、初めて庭に入ってみました。当時の貴重な資料は館内に展示されているのですが、中に入らず、小野路宿場通りを通って、野菜即売所跡から右折して元のコースに戻り、一本杉公園に帰りました。多摩ニュータウン開発から外れた小野路周辺は、散歩コースを幾らでも見つけることが出来ます。
2014.12.08
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小山田緑地も落葉が散歩道を埋め尽くして、すっかり晩秋となりました。折々に触れ、よく訪れていて、病を得た家内を車椅子に乗せて最後の散歩をしたのは、5年前の9月中旬のことでした。尾根緑道を見ながら、丹沢山塊と富士山の頭を見通せる展望広場は気持ちよく晴れていて気持ちの良い休憩場所です。谷戸を利用して、アスレチック広場、サッカー練習場、ミニ野球場も晩秋の装いを見せてくれていました。
2014.12.03
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相模原市城山町川尻地区に奥に位置する宝泉寺の裏山は小松城址となっていますが、往時を偲ぶものは残っていません。川尻地区のカタクリの里の向こうに相模原市橋本が見えます其処から尾根伝いに城山湖湖畔の丘にある金刀比羅宮まで約3kmの道は小松ハイキングコースとして知られています。元来このコースは金刀比羅宮への参道だったので、急な上り下りはありません。途中には評議原と言われている休憩所があり、片倉城・津久井城・小松城の武将が、落城の相談した場所とも伝えられています。15年程前には松ノ木もあった様な気もしますが、枯れてしまった様で、コナラも数本立ち枯れ状態となっていました。コースの終わり、金刀比羅宮への急な階段下では、見事な紅葉を見ることが出来ました。このコースは、春に秋に家内と共にハイキングしたものでしたが、「イノシシ出没」の注意看板が掲示される様になってからはご無沙汰でしたので、15年ぶりかも知れません。
2014.12.02
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府中郷土の森公園の農産物販売所の食堂で、スープご飯の昼食を取り、天気も良いので田川緑道に散歩に出掛けました。府中卸売りセンターも近く、10分も掛からずに着ける筈と、足を延ばしてみました。団地理事の時には祭り用の景品を買いに来り、その後何回となく家内と来た覚えがあるのですが、もう7年ほどは来ていないのでしょう。此処は本来卸し専門店街だったのですが、住んでいる街中に小売店舗が減ってしまっていますので、売り上げ確保の為一般客にも解放して気軽に売ってくれる様になりましたし、訪問客用に種々の食堂も併設される様になりました。築地より安くて美味しいと評判のある、「のんしゃらん食堂」は昼時を過ぎていましたので、何時もは順番に列に並んでいる状景はありませんでした。個々の店は普段のスーパーよりも、小分けされて買いやすく、店の人もよく説明してくれますので、米粉入りの食パン、煮干ラーメン、マルガリータピザ等を思わず買い込んでしまいました。対面販売とはやはり買い物をしたと言う充実感があります。1966年(昭和41年)、プラネタリウムのトップメーカー五藤光学研究所の齋藤社長が、「アメリカの郊外型大型スーパーを日本にも作りたい」と問屋を集めてスタート。その後、1973年(昭和48年)に地方卸売市場の卸売業者として東京都から許可を受け賑わっていたが、1997年(平成9年)に青果を扱う市場が撤退し、今は一般にも広く門戸を広げた多摩地域の台所として発展を続けています。
2014.11.18
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野津田公園の東南端には、一寸した野原が残されていて、ススキの生い茂る丘ともなっています。東駐車場に車を停め、サッカー練習場から見ますと、箱根仙石原程ではありませんが、見応えのあるススキの丘になっています。一部ススキが刈り込まれていて通路が確保されていますので、ススキの丘を登ってみますと、頂上には半分枯れた桜の木があって、その周辺に小さな広場が設けられていました。11月中旬ともなりますと、ススキは殆どが枯れススキ状態で、小春日和の中、白い穂が日に照らされていて、秋が深まっていることが実感されました。
2014.11.16
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八王子市鑓水に、1972年に市が史跡指定して整備した「絹の道」があります。明治初期に埼玉や群馬等から生糸が八王子に集められ、鑓水を通って横浜へ運ばれたもので、「浜街道」とも呼ばれていたらしいのです。絹の道資料館には駐車スペースに停め散歩し始めますと、直ぐに絹の道入り口です。15分程も歩くと、「絹の道」石標が立つ大塚山公園入り口に着き、此処で終点です。大塚山公園は、嘗て鑓水の豪商たちによって建立された道了堂が建っていた場所を公園として整備したものですが、此処は1963年堂守の老婆殺人事件、1973年の女子大生殺人事件の現場となった経緯から、悲しいことに全国的に知られた心霊スポットになっている様で、現在では建物は無く、礎石だけが寂しく残されているだけです。それでも、秋の日差しを受けた静かな林間ですし、そんな悲しさを忘れる様に、樹間を通して丹沢山塊の向こうに富士山を望むことが出来ます。大塚山公園脇奥から見る景色、真下に八王子バイパス、横浜線片倉駅、遠くに多摩の山々が良く見える素晴らしい眺望を楽しむことが出来ました。
2014.11.14
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城山湖は、津久井湖と連携させて発電する揚水発電の為の人造湖で、ロックフィル形式の本沢ダムで仕切られています。湖畔周辺は約5kmの周回散策路になっていて、1時間ほどで一周出来ますが、湖畔周囲は水源林として自然がそのまま残されていますので、かなり起伏に富んだコースでトレッキングには丁度良い散策路なのです。本沢ダムから見る城山湖全景、快晴で美しいのですが、紅葉が少なく残念です。右の小高い森が町田市最高峰の草戸山365m、正面が周回道路の最高地点の「ふれあい休憩所」420m多分八王子市になるのかも知れません。城山湖は神奈川県相模原市管轄ですが、東から町田市が入って来ていますし、北からは八王子市が複雑に入り組んで来ているのです。草戸山から見える八王子市街、このまま降りて行けば高尾山へも遠くありません。ふれあい休憩所から見える、城山湖全景と相模原市橋本市街、橋本周辺は計画されるリニア新幹線の新駅設置で大きな変貌を遂げるのかも知れません。
2014.11.11
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野猿街道から16号線を横切って「みなみの」を通る午前10時頃は、冠雪で秀麗な富士山がくっきりと見えていて、今日は素晴らしい登山になる予感がしていました。20号線甲州街道から小仏に向かう小径に入り、小仏バス停を通り過ぎて舗装道路を道なりに行きますと、通行止めがあって7~8台駐車出来る場所に車を停めましたのは午前10時40分でした。なだらかな砂利道を進みますとどん詰まりとなり、180°反転して傾斜のきつい登山道になりますので、先日のバテテしまった経験を繰り返さない様にゆっくりと登って行きます。小仏峠迄は30分位であまり休憩を取らずに行ける筈ですが、73才での体力の衰えは否定し難く、途中でお茶休憩と珈琲休憩を入れない訳にはいかず、何とも寂しいものです。小仏峠から景信山までは1時間行程ですので、無理せずに10分毎に休憩を入れて、何とか正午に景信山の茶屋に到着しました。富士山は丹沢山塊を覆う雲に隠れて見えなくなってしまっていたのは残念ですが、南方近くには小仏城山、遠くには丹沢大山が薄く見えていて、山頂の景色を堪能出来ました。茶屋前のベンチでは「ガスコンロ・ストーヴ禁止」の注意書きが貼ってありましたので、少し東に下り、木製足場でインスタントラーメンを作って昼食です。東の空には雲が殆ど無く、新宿副都心も確認出来ましたし、関東平野が一望出来ている感じがしました。下山は近道を辿り駐車場には午後1時半に到着、秋晴れの日に何はともあれ、健康登山が出来ました。
2014.11.04
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自宅を午前9時に出発、圏央道から東名を使い、大井松田ICから78号線に入り、足柄峠の万葉公園に着いたのは10時40分、矢倉岳登山道を行けば所要1時間で山頂に到達する予定でした。万葉公園は標高740m、途中の山伏平640mまで林間の登山道を下り、其処から標高870mの矢倉岳に登り返すのです。丁度、秋花の季節で、リンドウ、トリカブト、アザミ等が可憐に咲いていました。登り返しは記憶に残っているよりも急登で、へばってしまい眩暈もして来ましたので、ペットボトルのお茶、持参したステンレスボトルの珈琲休憩をしつつ、ゆっくり行程に変更し予定より20分遅れの1時間20分で漸く山頂に辿り着きました。山頂の広い草原では、黄色い歓声が響いていました。何と数十人の幼稚園児が父兄同伴で登って来ていたのです。>山頂に響き渡る幼児の歓声は、通常のトレッキングには無い情景で、生命観に溢れていて何とも心地よいものでした。
2014.10.30
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先週末は快晴で日中の気温が上がり、散歩するには絶好の日和となりました。多摩ニュータウン通りを行き、南大沢のスーパーで御握り、チョココロネとペットボトルのお茶で買い、小山内裏公園管理事務所脇の駐車場に車を停め、尾根緑道に登って散歩することにしました。小山内裏公園は都立公園ですので、其処を貫く尾根緑道にも公衆便所や多数のベンチ等が整備されていて、気軽に散歩出来るのです。左の鬱蒼とした緑は、サンクチュアリー(禁猟区)と称する自然保護地区となっていて、立入禁止で動植物が保護されています。散歩道脇のベンチで昼食を取っていますと、赤とんぼが飛んで来て、野薔薇らしき枝の穂先に止まりました。赤とんぼの代表格であるアキアカネも胴がすっかり紅くなり、三木露風が表現した「赤とんぼ」の世界だと思いつつ、秋が深くなったことが実感しました。
2014.10.21
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晴天に誘われて、久しぶりに町田牡丹園に行ってみましたが、花の時期を終えた園内には訪問客がおらず閑散としていました。日陰でゆっくりと昼食を取り、七国山丘陵道を駐車場のある薬師池公園まで帰ろうとしましたら、広いそば畑に出会いました。此処は春には一面の菜の花畑で、収穫された菜種油は七国山ファーマーズマーケットで販売されるのです。秋の収穫がどの様に処理されるのか定かではありませんが、その内そば粉とかそば切りも販売されるのかも知れません。町田市山崎町と野津田町にまたがる七国山の周辺は、東京都により「七国山緑地保全地域」に指定され、またその付近は東京都により鳥獣保護区に指定されている。さらに七国山の周辺と薬師池公園の西の緑地は東京都により「七国山風致地区」に指定されている。七国山は雑木林と畑を中心とした里山だが、主に東側と南側の斜面には頂上近くまで住宅地が広がる。西側の斜面は山の中腹にある山崎公園まで雑木林が続く他、「町田ダリア園」が接する。北側には「七国山緑地」と、シイタケなどを栽培している「こころみ農園」があり、さらに北東側には自由民権の森公園(町田ぼたん園)などの里山が続く。この辺りは、比較的に混雑する薬師池公園や牡丹園とは一線を画して、当て所無い徘徊出来る良い散歩途になっています。
2014.10.05
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一昨日は天気も良く、彼岸での墓参りも高速渋滞があってパスしましたので、東名御殿場IC経由で、冨士霊園に行って来ました。何時もは御殿場で大きな富士を仰ぎ見ることが出来るのですが、薄く霞んだ状態ですし、土煙の中にある感じでした。御嶽山噴火は未だ収まっていませんし、噴火煙は東に棚引いて山梨県に飛来して来ていますので、その影響だと思われました。冨士霊園内の見晴台から見える富士山も、晴天なのですが霞んでよく見えませんでした。「久しぶりだね!」と挨拶し、供花と線香で墓前を整え、天気が良いので近くの木陰で手作りサンドウィッチと珈琲で、昼食としました。彼岸は墓詣での人達も多かったのだろうと思いつつ周りを見渡してみますと、花を供えた墓所は少なく、東名の混雑を嫌って、連休中の墓参りを敬遠した人達が多かった様です。
2014.10.01
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昨日も天気が良いので外で昼食を食べようと、小山田緑地の梅木窪分園の林を抜けて、久し振りに「あさざ池」に行ってみました。雑草が生い茂って、池の大きさが半分程に小さくなり、泥が溜まって見る影もありません。帰り道に、数本の山栗の木に栗がなっていて、実が少しずつ落ちている様でした。大きな丹波栗と違って山栗は実が小さく、拾って帰る人も無い様でしたので、折角の秋の味覚と思い持ち帰りました。数日前には、町田サッカーチームの本拠地となるサッカー場のある野津田公園内の栗林でも、落ちていた栗を拾って来ました。植林された林なので、大きな丹波栗ですが、お昼ごろですと拾われた後なので少ししかありません。昨晩は早速、2種の栗で栗ご飯として賞味させて貰うこととなりました。1週間前には、野津田公園から小野路城址へ散歩がてら、拾った栗は20個を超えましたので、圧力釜で煮ましたら硬い皮と渋皮が簡単に剥けて、茹で栗となりました。茹で栗のレシピをインターネット検索しましたが、あまり魅力的なものが見つからず、甘露煮にして瓶詰めで冷蔵庫に保存して置きました。ジャムでも無いので、何時食べるのかは微妙です。栗拾いも4回となり、散歩方々、十分満喫することとなりました。
2014.09.23
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彼岸の中日も近いので、義長兄の眠る藤沢市の大庭台墓園へ墓参りすることにしました。カーナビの第一次選択は、国道16号線から保土ヶ谷バイパスに入り国道1号線で行くことになっていたのですが、長年通い慣れている町田街道から246号線を経て県道467号線(藤沢街道)で行くことにしました。午前10時20分に出発、墓園到着が12時丁度でしたから、所要時間は1時間40分でした。走行距離は40km未満ですが、混雑で名にし負う町田街道・国道246号線・藤沢街道ですので、時速20kmとのろのろ運転となってしまいました。墓参は半年振りですが、墓園には芝生墓地も多く、各種植栽も豊かで開放的な雰囲気で、散歩にも最適な公園でもあります。義長兄は1983年2月に47才で夭折、もう31年が経過し来年は33回忌となります。近年、義長姉はリュウマチが高じて墓参りが出来なくなりましたので、何か考えなければなりません。
2014.09.20
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万松寺谷戸は里山風の棚田があって、東京都の風致地区に指定されているのですが、町田市と東京都との確執があって、放置されたままの悲しい状態が続いています。それに乗じてか建設業者の資材置き場も設定され、無機質な鋼板の囲いも高く伸びていて何とも興醒めで、里山風情が失われつつあるのです。それでも、資材置き場を過ぎて、棚田の畦道を歩きますと、大きな青大将が寝そべっていますし、沢山のイナゴが飛び交っていて、秋の花も群落となって咲いていました。棚田を過ぎますと、小野路城址への山道になるのですが、其処には20本程の大小織り交ぜた栗林があります。栗林は風致地区内にありますので、管理権は東京都若しくは町田市にあり、落ちた栗は誰でも拾って良いのだろうと思っていましたが、今年はプラスティックテープで囲いがしてあって、所有権を主張している様でした。テープの外側を歩いていましたら、採り残しの栗がイガからこぼれて転がっていましたので、腐らしてしまうより拾ってしまうのが良いだろうと、拾って帰りました。久しぶりに栗ご飯を賞味し、残りは茹で栗にして秋の味覚を楽しむことにしました。
2014.09.16
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近頃TV各局には、コンテンツが不足しているのか、旅番組が多くなりました。先日、何処のTV局は失念しましたが、宮崎県の飫肥(おび)を「九州の小京都」として紹介していましたので、懐かしく見させて頂きました。飫肥を訪れたのは、2007年3月末のことですから、もう7年以上も前のこととなりましたが、美しく閑静な城下町で、町中の掘割には錦鯉も泳いでいることから、散策にも向いていて、多くの観光客を惹きつけている様でした。飫肥城大手門へのアクセス江戸時代には5万1千石・伊東家の城下町だった飫肥は、昔ながらの石垣や土塀のある武家屋敷や藩学校を今も見ることができます。飫肥街道の本町商人通りは、新しい道路の両側には白壁や瓦屋根の家並みが続き、歩いていて気持ちの良い道で、今日の商店街の中にも昔ながらの色彩を残しています。飫肥は、日露戦争集結のポーツマス条約の全権大使である小村寿太郎生の出身地で、生家も残され加えて記念館もあり、街中の堀に泳ぐ鯉の遊泳でも知られています。復元された大手門と城跡の中には「松尾の丸」「豫章館と庭園」「歴史資料館」「小村記念館」といった見所があります。武家屋敷の豫章館縁側にて食の名物は「おび天」で、これは魚の摺り身に豆腐、黒砂糖、味噌などを練って固めた揚げ物ですが、どんな味だったのか記憶に残っていません。
2014.06.03
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会社OB会も色々ありますが、今日は第28回夕風(ゆうかぜ)会と称するOB会に出席致しました。私は会社内の転籍が多く、本当ならば5~6のOB会に出席する必要があるのですが、青春の色濃い入社時の配属先OB会にのみ出席とすることにしています。社歴は36年ですが、入社から15年過ごした部署が、先輩からの薫陶を受けエンジニアとして成長して行った場所ですので、やはり一番思い入れが強いからです元来からの会員資格はあったのですが、転属が多くて忘れ去られてしまっていて、漸く元上司の推薦があって、19回大会からの会員となりましたし、恩返しも込めて幹事役を仰せつかったのは、23回大会からで5年間務め、もう良かろうと今年から後輩に引き継いで貰いました。今日は、一般会員としてゆっくりとするべく、開始時間ぎりぎりに会社レストランに着き、OB会をエンジョイしました。本日の最高齢は90才、若手は現役社員も準会員として出席していますので壮観ですし、28回を数えるOB会は、大きな会社でもそう多くはありません。私の後輩は、私が培った近況連絡集を私以上に上手く編集していましたので、良き後継を得た、「人を見る目は衰えていない」と自己満足することになり、嬉しい限りでした。
2014.05.31
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峰の薬師は、高尾山薬王院、日向薬師等と並んで「武相四大薬師」の一つですが、至って小さな寺院で、大覚山東慶寺となっています。城山湖コミュニティセンター駐車場に車を停め、発電所を経て城山湖周回コースに入り暫く行きますと、野鳥観察休憩所に着きます。そこからは、眼下に揚水発電の為の造成された城山湖を一望出来ます。再び周回コースを歩きますと、峰の薬師への近道がありますので、その林間コースを取ることにしました。周回コースをそのまま三沢峠まで上り詰めてから峰の屋久島で下って行くのが本来なのですが、林間コースは巻き道で高低差が無く、息も切れず楽なのです。峰の薬師奥の院、コンクリートの建物があるだけで、宗教的雰囲気はありません。訪れる人も殆ど無く、境内の桜は終わってしまい、静けさが漂っていました。其処から直ぐに5分程で、薬師堂へ下りることが出来ますが、「武相四大薬師」の一つとは思えない程小さな寺院です。城山ダムで堰き止められた津久井湖は眼下に見え、湖畔に聳える三角形の城山も綺麗に山容を現していました。直下には、湖上の警戒線で囲まれている津久井湖から城山湖への取排水ポストもよく見えました。しかし思ったより警戒線が小さいのです、近くの湖畔には人家が無く大丈夫なのか知れませんが・・
2014.04.17
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今日は会社OB会がありましたので、豊洲に行って来ました。此処は人気の湾岸住宅地と発展して、若い家族連れが闊歩する状況は隔世の感がありました。昔会社敷地でタービン工場のアクセス道路だった処は一般道路となり、種々の八重桜が街路樹として植栽され満開となっていました。会は程々にして抜け出し、有楽町線の月島で降りて、月島1丁目在住の知人宅に寄ってみました。川向こうは、もう月島では無く勝鬨町で、銀座・築地を経て晴海埠頭に至る大通り、2020年のオリンピックではもっと賑やかになることになります。4階から見る隅田川に繋がる運河には、クルーズ船や屋形船が係留され、季節の到来を待ち望んで様に見えました。
2014.04.12
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昨日は、桜も満開を過ぎ大分散り出しましたので、気の向くままに桜狩りをすることにしました。お昼は、唐木田駅前にある喫茶店にランチを食べに行きましたので、近くの南八幡宮と言う小さな神社での桜狩り。境内の砂利広場は、散った花弁で真っ白になっていて、落下の雪の様でした。太平記第二巻「俊基朝臣再び関東下向の事」の段には、次のような名文があります。落花の雪に踏み迷う、片野の春の桜狩り、紅葉の錦着て帰る、嵐の山の秋の暮れ、一夜を明かす程だにも、旅寝となれば物憂きに、恩愛の契り淺からぬ、我が故郷の妻子をば、行方も知らず思いおき、年久しくも住みなれし、九重の帝都をば、今を限りと顧みて、思わぬ旅に出でたまう、心の中ぞ哀れなる。後醍醐天皇の側近、日野俊基は幕府転覆を企てたとして鎌倉に護送され処刑されるのですが、京都から鎌倉への囚われの道中が、上記の道行文なのです。唐木田から南側の尾根幹線を経て、小山田緑地に行ってみますと、桜の木は多くないのですが、調整池の辺の山桜から散った花弁で、水面は真っ白になっていました。桜の季節は終わった様で、園内では数多くのスミレが咲いていましたし、山吹の花も綻んでいて、春本番を迎えていました。
2014.04.11
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彼岸の中日を挟んで3連休でしたので、冨士霊園へ行く東名高速は混雑が激しいと思い敬遠し、昨日は家内の墓参りに行って来ました。圏央道愛川ICから東名御殿場ICを利用すれば1時間半で着く筈でしたが、連休後の月曜日にも拘わらず町田市から相模原市が混みあって、結局2時間掛ってしまいました。御殿場から見る富士山は雄大で何時もながら感動するものがありますが、今年の富士山は残念量が多く、南斜面でも白い部分が多いのです。先月の山梨県から静岡県小山町では、雪で孤立する集落が多い程の積雪量がありましたので、宜なるかなと実感することとなりました。富士山でも記録的な積雪量になったと言われ、3月に入って四合目付近で大規模な雪崩が発生し、有料道路「富士スバルライン」が埋まり、休憩施設などが一部損壊して休業となっている状況の様です。流石に気温が上がって来て、冨士霊園へのアクセス道路には残雪は全く無く、春の気配濃厚でしたが、桜の名所「冨士霊園」の桜の季節は2週間ほど早かった様です。帰りに、道の駅「ふじおやま」の出口から国道246号線越しに見える富士山です。
2014.03.25
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暖かい春に誘われて、町田市の谷戸を散策することにしました。都立小田山緑地の駐車場に車を停めて、奈良ばい谷戸入口の林間コースを辿り、最短ルートで小野路城址まで行きました。小野路城址には小さな祠が祭られているだけで、標識が無ければ小山田城の出城とも思えない小さな広場に過ぎません。一休みして、歴史環境保全地域となっている尾根道を散策しつつ、図師町の神明谷戸に下りました。周辺には数多い谷戸がありますが、神明谷戸は最も谷幅が広く、棚田も耕作が続けられて綺麗に整備されています。丁度芽吹きの季節で、林間道沿いに数人の作業員による草刈が行われていて、散歩道が歩きやすくなっていましたので、里山は人の手が入らないと直ぐ荒れてしまうのがよく分かりました。丘陵地が雨や川によって浸食された谷を谷戸(千葉県では谷津(やつ)、東北以北では谷地(やち))と言います。町田市北部の上小山田町-下小山田町-小野路町-図師町にかけての地域は里山散策の醍醐味を味わえる処です。下小山田町の一部は都立小田山緑地として保全され、散策を楽しむ人も多い。また上小山田町は鶴見川の源流の泉があることでも知られています。奈良ばい谷戸 下小山田町小野路町 町田市の旗振りで再生を図っている万松寺谷戸 小野路町 万松寺の寺領だったと思われる大きな谷戸神明谷戸 図師町 比較的棚田が整備されている五反田谷戸 図師町 谷戸中央に樹齢200年と言われるサクラがある白山谷戸 図師町 耕作放棄地が多い地域の一角は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されて自然環境や歴史的遺構などが保全されている。尾根の間に延びる谷戸田や丘の上に広がる畑地、古道の面影を残す細道など、四季折々に見せる表情に魅力は尽きない。
2014.03.19
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彼岸も近く天気も良いので、義兄の眠る藤沢市の大庭台墓園へ墓参りすることにしました。カーナビの第一次選択は、国道16号線から保土ヶ谷バイパスに入り国道1号線で行くことになっていたのですが、長年通い慣れている町田街道から246号線を経て県道467号線(藤沢海道)で行くことにしました。午前10時半に出掛け墓園到着が12時10分でしたから、所要時間は1時間40分でした。カーナビの第一次選択に依れば、1時間10分となっていましたが、混雑で名にし負う国道16号線・国道1号線ですから、何とも言えません。大庭台墓園は団地街・学園地区の真ん中に設置されていて、自動車でも公共機関を使ってもアクセスが良いのですが、反対も無く、よくも出来たものだと感心させられます。墓参は1年振りですが、墓園には芝生墓地も多く、各種植栽も豊かで開放的な雰囲気で、散歩にも最適な公園でもある様です。
2014.03.18
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TVでも報じられていましたが、東京都三鷹市・武蔵野市にある井の頭公園池の水が抜かれ、底が見えるようになっていましたが、昨日時点では乾いておらず、膝から腰の高さまで未だヘドロの海ともなっていました。全ての水が抜かれていたと思っていたのですが、公園の池は井の頭池と弁天池に分かれていて、弁天池では水が抜かれていません。弁天池の方が春夏に於ける溝の悪臭が酷いのですが、弁財天社奥の土台に影響を与えるのを恐れて水抜き作業はしないとの作業員の説明があり、真偽の程は分かりませんが外来生物の存在は同じだと思っています。中野区の小学校時代には写生大会にも行きましたし、1970年代後半は三鷹市に住んで家族散歩のコースにもなっていましたので、60年以上井の頭公園を見て来ていますが、こんな光景は初めてのことでした。井の頭公園が3年後に開園100周年を迎えることから、「かいぼり」という方法で池をきれいにする為、池の水を抜き、底の泥を天日干しにする作業を数回繰り返し、植物プランクトンの増殖を防ぎ水質改善をする。加えて外来生物駆除の目的もあった。ブラックバスやレンギョなど本来いて欲しくない魚が7割もいて、作業を担当している東京都西部公園緑地事務所では在来魚は水抜きしない隣接の弁天池に放流し、外来種は魚粉に加工して家畜の餌にするという。外来種の魚も多くいたが、呆れたのは捨てられた自転車の多さ。泥に埋まり錆びた自転車を4日間かけて200台も引き上げた。オートバイや原付バイクも4台、建築用資材、プリンターなど不法投棄されたもの、桜見物のあと棄てたと見られるカセットコンロ、ショピングカートまであった。井の頭公園池はもう湧き水は枯れて水源では無いのですが、流す水道水が神田川の源流となっています。この奥が源流で、昔はクチボソが沢山群れていたのですが、今回調査で激減しているのは残念な限りです。ブラックバスに食べられてしまったのかも知れません。
2014.01.29
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