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昨日は快晴、今年初めての墓参に行くことにしました。標高が600mと高い冨士霊園ですので、凍結を恐れて陽が高くなった午前10時に出発、圏央道と東名高速を使って大井松田ICから246号線を使って小山町から山道に入ります。途中、原野の山林だった処に「小山ハイテクパーク」と称する大規模な造成工事が行われていて、フェンスが連なる風景となりました。林が伐採され、フェンス越しに富士山がよく見える様になりました。冨士霊園には丁度正午に到着、管理棟で供花とお線香を買い求めて、墓所に向かいます。林は全て裸木となって明るい雰囲気となっていました。墓前に、コーヒーの入ったボトル、ハムサンドウィッチ、蜜柑、干し柿を並べて、供花を供えて香を焚きました。気温は僅か3℃で、墓所は霜が降りて霜柱がびっしりと映えていましたのは初めてのことかも知れません。墓前で家内に話し掛け、昼食を取ったのですが、陽が在っても痺れる様な寒さでした。食事を終えてから高台まで行き、桜並木と箱根連山を望みますが、桜は裸木、箱根連山は逆光で黒く観えるだけ、やはり此処は春が訪れる絶好の時期の様です。
2018.01.12
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先週の土曜日、1年振りに次男家族が来訪しました。昨年4月から名古屋に転勤になりましたので、会う機会が減ってしまったのです。上の孫娘は小学1年生になり、下の孫娘は4才で幼稚園に通園中、随分成長して来ました。上の孫娘が「1年半ぶりに町田リス園に行きたい」と言うことで、野猿街道にあるモスバーガーで昼食を取り、鎌倉街道に戻って町田リス園に行くことにしました。此処の売りは、台湾リスの放し飼い、モルモットやウサギへの餌遣り、ふれあい広場でのモルモットやウサギの抱きかかえ、等小動物との触れ合いなのです。一皿100円の餌をモルモットにあげるのですが、下の孫娘は手であげた餌を頬張るモルモットに、興奮して足をばたばたさせて小躍りにして喜ぶのです。1年半前は、しり込みしていたのに、何と言う変わり様でしょうか!そう言えば、最初に訪れたのは上の孫娘が4才の時で、最初はおずおずとしていましたが、慣れてからは十分動物と触れ合いを楽しんだ様で、その時は、台湾リスにも、ひまわりの種を一皿100円で何回も、飛び掛って来るリスに餌遣りしたのでした。今回、下の孫娘も4才となり十分楽しめた様でしたが、午後2時となり、「リスは満腹」との看板表示が出されましたので、リス広場には行きませんでした。町田リス園の入口で記念撮影、感情表現の豊かさは4才頃から発揮されるのかと感心させられました。
2018.01.10
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昨日は、快晴で気温も14℃と上がったので、府中郷土の森博物館の駐車場に車を留め、物産館で減塩ラーメンの昼食を取り、其処から多摩川そよかぜの道に入り、関戸橋まで往復することにしました。そよかぜの道は、多摩川左岸の土手をアスファルト舗装して散策路としたもので、自転車道にもなっています。サイクリングを楽しむ人達も多く、高速で疾走して来ますので、衝突事故が起きる懸念もあって注意を要します。其処で、舗装していない処をゆっくりと歩いて行きますが、良く観ますと200m毎に、河口(?)からの距離を示す、道程表石杭が設置されていて、博物館近傍では32.6kmポストでした。34kmまで来ますと、聖蹟桜ヶ丘駅周辺のビル群が見通せますが、遠くの丹沢山塊や富士山は、残念ながら霞んでよく見えません。34.2kmポストで河川敷に下りてみますと、4面の野球場があって、府中の森博物館は遠くて観ることが出来ません。河原に出て、関戸橋を望みますが、今月は雨が降らないので、多摩川は渇水状態で、中洲が多くなっていました。 例年通りなのかと思いつつ、白い石を一つお土産にして、博物館まで戻って行き、往復4kmの散策の楽しみを終わりにすることにしました。
2017.12.24
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地球温暖化にも拘わらず、南太平洋の冷海水域が現れるラニーニャ現象が起きて、今冬は厳しい寒さとなるとの予報が出されました。関東地方も数日前から寒気団が襲来、早朝には氷点下となって冬の寒さが身に凍みる様になりました。寝る時は、羽根布団だけでは寒く感じる様になりましたので、例年は厚めの毛布を上に乗せるのですが、今年は夏に使った綿のブランケットを掛けて凌いでいたのです。しかし、如何にも不十分で、薄手のブランケットを探しに南大沢のイトーヨーカ堂に行くことにしました。店内に入ってみますと、寒さが厳しくなった時節にも拘わらず、冬物一掃のバーゲン一色となっていました。今まで2900円の中国製ポリエステルブランケットが、3割引の2000円(税抜き)となっていましたので、購入することにしました。店員さんは布団の上に掛ける様に言っていましたが、軽くて手触りも良いので羽根布団の下にして、柔らかい肌触りを楽しんで寝ることが出来ました。
2017.12.15
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12月に入ったと言うのに、日中は寒さを感じませんのは、地球温暖化が進行している所為でしょうか?北日本や北海道では、例年以上に相当に吹雪いている様ですが、関東では連日に亘って快晴が続いています。多摩川大丸堰付近では、連日の晴天の所為で川の水位が下がって、堰を伝って中の島にも渡れそうな雰囲気でした。何時も観察しているクルミ林に入ってみますと、葉を落として裸木になっていました。木の周りを散策してみますと、クルミの実が殻となって転がっていますので、拾いますとその内の数個は硬い殻が砕かれています。此処にはリスは見かけませんので、野鼠が生息していて、食い破ったのかも知れません。家に帰って、クルミの殻を綺麗に洗ってみますと、黒い実が取れて、黄土色の殻が出て来て、クルミらしくなりました。手前の数個は姫クルミ、あとは全てオニグルミ、食べられるのでしょうが、硬い殻を割るのは億劫ですので、そのまま眺めるだけにしておきます。
2017.12.07
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昨日は、秋特有の羊雲が出ていて暖かい小春日よりでしたので、久しぶりに神代植物公園に行ってみました。正門前は未だ落葉が終わって無くて、美しい木洩れ日の風景が広がっていました。シニア料金250円を支払い、鉢植えの山茶花のテント展示がありました。もう、冬の花の季節になっているのです。其処で、大温室に入ってみますと、流石に暑く感じ、カカオの実も見えました。中庭に設けられた蘭を観賞し、睡蓮室、チリの乾燥植物室を経て外に出て、バラ園に行ってみました。盛りの季節は終わりましたが、未だ結構の数が咲いていて、此処には訪問客が多く見られました。芝生広場に行ってみますと、芝生は冬枯れとなっていますが、パンパスは白い穂を靡かせて元気に咲き誇っていました。>center>此処には、未だ幼児だった子供を連れて、折にふれて訪れた場所で、もう40年以上となりますが、とても気持ちの良い休憩場所であることは変わりません。小春日和の中、約1時間散策してお暇することにしました。
2017.11.30
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会社で営業担当であった知人が今年3月に心筋梗塞を発症、2週間に入院生活をしていたことは、5月の会食を催した際まで知りませんでしたし、その際も、夕食の会食には加わらずに帰宅しましたので、医師の厳命する食事療法にあったのかも知れません。営業職の上司であった人から、「元部下だった彼が心配なので、それとなく様子を観てくれないか」との要請もあったので、返信メールに知人にも送っておいたのですが、何の音沙汰もありません。入院でもしているのではないかと懸念しつつ、彼の居住する新所沢の高層マンションに車で行ってみることにしました。25~30年前には数度伺ったことがありますので、大丈夫とは思いましたが、念の為その住所をカーナビにセットして出掛けました。途中の府中街道が渋滞していて、予定の1時間半よりも掛かって、漸く2時間で到着しました。30年前には、畑の残る田園地帯に高層マンションが建っている感がありましたが、周囲は建て混んでいて、住宅地の中に高層マンションが聳えている環境となっていました。連絡もせずに出掛けましたので、どうかと思いつつ、自宅電話と携帯に掛けてみたのですが、何れも応答がありません。入院しているのかと懸念しつつ帰途に着きましたが、途中社内に電話が入り、元気な声が聞こえましたので、少し安心することが出来ました。其処で、元上司の方に「彼は大丈夫です」とメールして、彼にはコピーを送信しておきました処、彼から下記の様な返信メールがありました。「ご心配おかけしました。 わざわざお越し頂き恐縮しています。 ガラケーが重いので近場に出る時は 持ちだしません。 28日にトレッドミルという負荷を掛ける検査を受けることになっています。 気圧の影響か時折変な感じになります。 今日はお会い出来ず残念でした 寒さが厳しくなってきました。 ご自愛下さい」未だ予断を許すような状況では無く、しっかりと療養して頂きたいと思うばかりです!
2017.11.24
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今日は、朝には薄日が見えましたが、その後雲が多くなって曇天、木々も葉を落として錦秋から晩秋へと変わりつつあります。つい、先日は都立小山田緑地公園で、錦秋を楽しみましたのに、数日違いの風景の違いは季節の移ろいが速度を増している様に思えます小山緑地の駐車場に近い、調整池近くでは、陽を翳してみるモミジは見事なものでした。其処を進んで、カスケード状になっている上の池と調整池の間に、休憩用のベンチが複数設置されています。此処は、家内が生前の散歩で最後に訪れた処、酸素ボンベを肩に掛け、車椅子を押したのは、8年前ですが。つい最近の様に思えます。見晴らし広場登る途中に、後ろを振り返りますと、野球場、サッカー場、アスレチック広場は見渡せますが、此処も病気になる前には、良く昼食を食べに来ました。見渡し広場から、近くに桜台住宅地、少し遠くに尾根緑道と桜美林教会の塔、遠方には丹沢山塊と霊峰富士が見える筈ですが、先日は雲の中でした。しかし、この景色を観ていますと、独り身で寂しいものがありますが、悠然と情景を愛でつつ、元気で暮らしたいものだと思う様になります。
2017.11.22
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11月も後半となり、冨士霊園もモミジが見頃になったのだろうと、紅葉狩りを兼ねて墓参に行くことにしました。墓所は13号区でモミジはそれ程多くないのですが、それでも周囲の小さなモミジは綺麗に紅葉していました。序に、墓石の化粧直しをするべく、事前にアクリル絵具のチタニウムホワイトと小さな筆を買ってありましたので、それらを持参しました。墓誌の方は垂直面に字が彫られていて、白く塗ってある字は未だ綺麗なのですが、墓石の方は少し傾いていますので、雨滴が刻んだ字に浸み込んで、塗りこんである白ペンキは劣化してヒビが入り、所々苔も生えて汚れてしまっているから、補修しようと思ったのです。細い筆でタッチアップして、汚れた字画も7年半前の姿を取り戻した様でした。墓所下にある、林は夏には鬱蒼として薄暗いのですが、半分以上の葉を落として明るくなり、秋の風情が感じられました。標高600mの冨士霊園は、春は桜の名所、秋はモミジの名所となりますが、華やかな春に較べて訪問客も少なく、秋は森閑とした雰囲気となります。
2017.11.20
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秋は、春と逆に、一雨毎に寒さが募って来るのですが、この処は晴天が続いて暖かな日が続いています。今週末から、雨模様となって寒気が襲来、冬に向かって行くとのことで、秋の風情を求めて散策することにしました。町田市と八王子市の境界に接している、小山内裏公園の大田切池、立ち枯れの木々に秋の日が当たっています。此処は多摩川の支流である大田川の源流となっているのですが、流れ出る川は見えず、暫くは暗渠として流れる様です。公園の日陰では健気に竜胆(リンドウ)が咲いて、秋の風情が感じられます。11月になっても、暖かさがあれば、咲いてくれる様です。近くのお宅の垣根には、美味しそうなアケビが沢山実っていました。皮が弾けて、白い甘味を楽しむには、もう少しの様でした。
2017.11.11
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昨日は、JR南武線の「平間」駅でピックアップして貰い、大田区下丸子のお宅で昼食の御呼ばれをしました。帰りは天気が良いので、歩いてガス橋を渡って駅まで戻ることにしました。大田神奈川線が多摩川を渡り、大田区下丸子へ通じる橋で、橋長388mの鋼橋。 ガス橋の名前の由来は、1929年に川崎側の工場から東京ヘガスを送るガス管専用橋として架けられたことによる。 当初は、14連の鋼トラス橋だったが、1960年に旧橋の橋脚と橋台を使用した鋼床箱桁橋を中央3径間に持つ、 近代的な橋梁に架け替えられた。直径67cmのガス管を左右に1本ずつ橋中に抱きかかえている橋梁の建設は、新しい時代の鋼橋桁橋建設技術の先駆けとなったものとして、高い評価を得ている。ガス橋は多摩川下流にありますので、中流地区で我家から遠くない関戸橋に較べて、橋長も長く、河川敷も広い様でした。河口にも近い様で、川崎市中心街も青空に映えて良く見えました。歩いていて汗ばむ程でしたが、空には秋特有の薄い券雲が棚引いていて、やはり秋の気配が濃厚でした。
2017.11.08
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昨日は親戚の法要があって、戸塚駅近くにある浄土真宗の寺に出掛けました。此処は住職交代もあって、全面的に改築が行われて、寺院の雰囲気よりも山小屋風になって、皆が集って来る文化センター的な活動をしている様でした。本堂内は、阿弥陀如来が鎮座し、両脇には浄土真宗の寺らしく、親鸞と蓮如の絵姿が掛け軸として飾られていましたが、右奥に漆塗りの木像が安置されているのです。法要後、住職に聞いてみますと、聖徳太子木像で、聖徳太子像は通常は金銅なので、木像は全国的にも珍しいものだと言うことした。由来は伺いませんでしたが、仏教を日本の国家宗教に確立させた、厩戸皇子(聖徳太子)を祭っていても不思議は無いと思うことにしました。朝鮮半島の三国時代にあった百済が、ヤマト王朝の欽明天皇に釈迦仏の金銅像や経論などを贈ったというのが日本仏教の始まりで、仏教信仰の是非を巡って、仏教を受け容れるべきとする『崇仏派』の蘇我氏と、仏教を排斥すべきという『排仏派』の物部氏が争い、最終的に蘇我氏(と聖徳太子)が物部氏を滅ぼして、日本に仏教信仰が根づいていく基盤を作った。 厩戸皇子(聖徳太子)は、四天王への帰依・感謝の念を込めて『四天王寺』を建立、蘇我氏も『飛鳥寺(法興寺)』を建立、推古天皇・聖徳太子の下で仏教信仰は強く奨励されることになり『法隆寺』をはじめとする由緒ある寺院が多く建立された。 厩戸皇子(聖徳太子)は『法華経・維摩経・勝鬘経』の三つの経典の解説書である『三経義疏』を書いて仏教に帰依し、仏教に国教的な位置づけが与えられることになった。
2017.11.05
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高幡不動尊で菊祭りが行われていますし、雲一つ無い快晴、祭日でもありましたので、車を使わずに、モノレールで行くことにしました。境内には、多数の出店も並び、菊見物だけでなく、不動尊での祈祷をする方達で、賑わっていました。此処の菊祭りは、近郊では最大の様で、種々の設えた菊の鉢植えが展示されています。単独の大きな管菊が見事に設えて展示されていて、この展示会最大の様です。折角ですから、裏山に設定されている四国88ヶ所巡りを、久しぶりにしてみることにしました。この頃は、右足の膝関節がガタついて来て速くは走れませんので、坂の上り下りはどうなるのか試してみるのも良いと思ったのです。近頃は、高尾山にも行かず、平地をゆっくり歩くだけでしたので、格好な膝試しだったのですが、それ程の膝の痛みもなく、少し自信が戻りました。見晴らし広場があると言うことで、北に見える多摩や秩父の山々が良く観賞出来ました。此処は、巡路の途中では無かった様で、30ヶ所程バイパスしてしまい、以前何回も通った西端の丹沢山塊が望めるコースを辿ることなく、弘法大使を祭る88ヶ所目の太子堂に戻ってしまいました。
2017.11.04
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1990年代の会社時代は夜の会合に使い、2000年代に会社退職後には小中同級の女生徒をお招きしてミニ同窓会を開いていました、五日市街道沿いの四季亭が閉店となりました。玉川上水脇で閑静な住宅地の中にあって、会合をするには格好な雰囲気の良い店だったのですが、会社の接待費が削減される昨今、経営が難しかったのです。そうかと言って、懐石は気軽なランチをするには一寸高価ですから、一般客の取り組みも大変だったので、已む無く閉店せざるを得なかったのでしょう!ミニクラス会は都合3回ほどでしたが、近況状況や昔話をするには、個室ですので周りを気にする必要もありません。最後のミニ同窓会は、2012年のことでしたから、もう5年も前のこととなりましたが、未だ全員60才代最後の歳で、元気だったのが良き思い出となりました。「懐石 四季亭」閉店のお知らせ:永年にわたり多くのお客様にご愛顧いただきまして心より感謝御礼申し上げます。このたび、諸般の事情から2017年5月末日をもちまして、 懐石 四季亭(東京都小平市上水本町)を閉店させていただくこととなりました。 同敷地内「いろりの里」は引き続き営業させていただきますので、今後とも皆様のご利用をなにとぞよろしくお願いいたします。
2017.11.02
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横浜市寺家村の青山亭跡に、新しく食事処が開店したと言うことですので行ってみました。稲田は、すっかり収穫の刈入れが終わって、稲藁を干している時期となっていました。この稲田は、学習田もあって、NPO団体も活動が盛んで、所謂休耕田もなく、日本の里山風景が残されています。青山亭は、地主との折衝が上手く行かず、近くの自宅を改造して、およそ半分の店舗面積で営業を再開していて、何回か会食していました。処が、近々旧青山亭跡に食事処が開店、「ひらさわ」と言う和風懐石店なのです。旧青山亭は使わずに、その奥にあった茶席処を改造して、ランチは11時半から13時半、13時半から15時半と入れ替えで営業していました。平日限定のランチコースは2500円、消費税とサービス料は別で、合計2835円ですので、気軽に毎日ランチを楽しむには、一寸高い価格ですし、普通のランチコースは3800円からですから、尚更の様に思われました。旧青山亭では、点心弁当が抹茶付きで人気でしたし、値段も1500円程度でしたから、これから約2倍の費用を要するのです。それでも、旧青山亭に行ってみたいと思う人達も多い様で、現状は予約殺到で大人気となっている様でした。次回は、青山亭か、稲田を面して向かいにある「四季の里」にて、気軽にランチするのも妥当なランチコースと思われました。
2017.11.01
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今日は台風22号の影響で、東京でも朝方から強い雨が降って来ています。これから一日中風雨に閉じ込められそうな気配となりました。昨日は、曇天から小雨と言うことでしたので、冨士霊園に墓参することにしました。相模原市の愛川ICから圏央道に入り、海老名で東名高速に乗り換え、大井松田ICで下りて、国道246号線で静岡県小山町にある、冨士霊園に向かうルートです。圏央道は用地買収が大変だったのか、休むサービスエリアが殆ど無く、唯一が厚木PAと呼ばれる小さな処で、道路下に設けられた狭くて薄暗い場所で、見えるのはコンクリート道路ばかりで、其処からの眺望を楽しむことも出来ません。それでも、129号線を使って厚木市内を通過して厚木ICから東名高速を使うより、20~30分短縮されることになりましたが、乗り換えがシングルレーンとなりますので、常時渋滞しているは難点の様に思われます。管理事務所で、供花とお線香を買い揃えて、墓前に供えました。何時もは玄武岩の砂利で雑草も生えず綺麗な墓ですが、この処の雨天続きで砂利には沢山の苔が生えてしまっていました。これらは、晩秋から冬の乾燥天気で、黒い玄武岩の砂利に戻るのだろうと、あまり気にしないことにしました。
2017.10.29
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台風21号は、全国各地に大きな被害を齎しましたし、わが町でも避難勧告メールを数回受け取りましたが、近隣地域の被害は軽微だった様です。10月23日未明には雨音や風音が激しかったのですが、夜が明けますと雨は止み、強風も治まって来て、午前10時頃からは、台風一過の青空が出て来ました。久しぶりの晴天、台風が齎した暖かい空気で、暑い位の気温となり、数日前に冷え込んで12月の気温だったのが、嘘の様に思われました。晴天に誘われ、町田牡丹園に行ってみることにしました。牡丹園入口から多摩の山々を望みますと、気持ちの良い秋の景色が広がっていました。園内には、花の季節が終わっていましたし、台風の影響もあって、訪問している方は皆無で、吾妻屋前では柿の実が沢山生っていましたが、採る人も無く少し侘しい感がしました。それでも、園内では殆どの木々の葉は勢いが見られますが、紅葉の季節が迫っている様で、唐楓でしょうか、明るい黄色や橙色で紅葉していました。その後は曇天・雨天が続き、23日は貴重な晴れの合間となりました。
2017.10.25
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此処二日は最高温度が17℃で寒い日が続いていますが、その前は気温が25℃を超えて暑い日が続いていたのです。そんな一日、多摩川の大丸堰近くの河川敷に行ってみました。天気は曇天で靄が掛かり、川岸の向こうにあるごみ焼却場が霞んでいました。通常は、鮎が遡上できる様に設置された魚道が流れの主流となるのですが、雨が続いて上流からの水量が多くて堰全てを乗り越えていました。堰横の河川敷には、数箇所のクルミ林がありますので、土手から降りて様子を観ることにしました。この林の全てがクルミではありませんが、1/3程はオニグルミの樹で占められています。樹下を歩き回って観ますと、沢山のクルミが緑の果肉を付けたまま落ちていました。家に持ち帰りましたが、果肉が干乾びて殻となっても、オニグルミは硬くて、美味しいクルミの実を取り出すのが難しいので、多分そのままにして置く積もりです。
2017.10.14
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久しぶりに、浜見平団地に住んでおられる親戚のお宅を訪問しました。圏央道から新湘南バイパスが接続して、アクセスが非常に便利になりました。従来の129号線で混雑する厚木市街をバイパスしますので、従来の1時間30分からは30分早く行ける様になりました。圏央道の相模原市愛川ICから最寄の茅ヶ崎西ICまでは高速料金910円が必要で、便利になると言うことは経費が嵩むと言うことでもあります。浜見平団地は人気の湘南エリアにあり、少し足を伸ばせば約6kmにおよぶ砂浜と松林が広がる茅ヶ崎海岸。団地内にはスーパー、銀行、診療所をはじめ、各種店舗が揃い、教育施設も徒歩圏内にある良質の生活エリアです。JR東海道本線「茅ヶ崎」駅から「横浜」駅へ30分、都心へも約1時間、都心と海辺を行き来するライフスタイルを志向する方にも恰好の住宅地です。ただ、浜見平団地の再生計画は道半ばの様で、南端地域と北端地域はモルタルコンクリートの建物が残って、未だ住民が多数いるので一寸驚いてしまいますし、再生計画に問題があるのかも知れません。私達が住んでいた三鷹市三鷹台団地は、1960年代前半完成と浜見平と同じ時期建立の団地なのですが、もう古い建屋は全て撤去され、新しい団地群となっているのですから・・兎に角、相模湾から津波が来ても助かる8階建物の5階で、エレベータ完備の素敵な建屋に移り住んでおられますので、安心しました。帰り際には、家内の8回目の命日も近いので、供花をお持ち下さいと言うので、有り難く頂戴することにし、仏壇横の花瓶に飾って置くことにしました。
2017.10.13
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中学校の2年、3年のクラス担任であり、ゴリラの異名を取り、異端の生徒には軍隊式とも思える厳しさを強いた教師でしたが、普通の生徒には普段の態度で接してくれた教師でもありました。武田捷(かつ)教師の墓は、東本願寺ひばりが丘別院にあり、車で1時間程の距離ですので、墓参りに行って来ました。事務所には、供花と共にシキミの枝が売られていましたので、今回はシキミを供えることにしました。墓誌をみますと、命日は昭和62年10月18日、享年68才となっていますので、もう30年も経っているのです。東京大空襲で幼子を残して奥さんに死別され、困った状況を克服しての人生だった様で、そんな人生経験を経て、困った生徒には手を差し伸べる良い教師だったのだと再認識させられます。もう、私も疾くにその歳を超えて生き永らえている状況は、歳をとり過ぎたかなとの思いもあり、複雑な気もして来ました。
2017.10.09
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小中学校の同級女生徒は2年前から、夫婦で三鷹市にある老人介護施設に入居して優雅な生活をしていますが、今春パーキンソン病を発症してしまいました。投薬治療をしているのですが副作用もあって、血圧が以上になって、投薬中止もあってなかなか大変な様です。三鷹市のパンフレットで大沢地区にある水車を見つけて、それを見たいので連れて行ってくれないかとの要望がありましたので、連れて行くことにしました。人見街道を南下して、東八道路を横切った処にありましたが、其処は会社時代に航技研(NAL、現在はJAXA)調布支所によく通った道筋のすぐ近くにありました。水車は2mの観光水車と、三鷹市が保存公開している水車経営農家が隣り合っていました。観光水車の前で、ご夫妻の記念撮影としました。水車経営農家の水車は直径5mで、穀物の脱穀・精製を手広く請け負っていた農家らしく、南方湿地帯原産の米は脱穀しやすく、乾燥地帯原産の大麦・小麦は皮が硬く剥け難いと言うことで、水車周りにはそれぞれ特有の機器類が配置されていますし、その時代の農機具も展示されていて、入園料は100円、ボランティアの解説者が、園内をガイドして新設に説明してくれますので、昔の農作業の歴史を学ぶべく、訪れる価値はありそうでした。野川は国分寺市に発し、最終的には多摩川に入る支流なのですが、緑の河川敷が整備されて各所で公園として住民に親しまれていて、水車経営農家付近でも、ゆっくりと座って自然を楽しむ風景がありました。野川は、洪水対策の為か、1960年代に改修工事が行われて水位が数m下がってしまい、水車を回すには、川からポンプで揚水しなければならない事態とはなっている様です。
2017.10.02
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久しぶりに入場料200円を払って、府中郷土の森博物館に入りました。ハケ上の茶屋で、飛騨高山直送と言う焼き団子を食して、萩のトンネルに向かいます。少し盛りは過ぎている様ですが、未だ十分に観賞に値します。可愛い女の子を連れた若い母親が、花の様子を教えながら潜って来るのも何とも微笑ましいものでした。トンネルから出ますと梅林、彼岸花が一面に咲いていましたが、これらも盛りは過ぎている様でした。この梅林では、少しですが白い彼岸花も散見されるのです。多摩川沿いにあるロウバイの小径にも行ってみましたが、季節でもありませんので訪問客は皆無でした。ロウバイの実が、こげ茶色に生っていましたが、それらがロウバイのものか、満月ロウバイのものかは判別出来ません。それでも、枝の葉の根元には、来春に向けて小さな花芽が沢山出て来ていました。自然の摂理は淀みが無い様です。
2017.09.27
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昨日未明は台風18号の影響で、豪雨と強風に見舞われましたが、直撃では無いので近隣では何の被害もありません。台風一過で、フェーン現象もあったのか、気温が34℃を超えた様で、真夏の澄み切った空となりました。台風が過ぎ去った北の空には積乱雲が見られましたが、残りの空は快晴、空気が澄んでいますので、直射日光の暑さと言ったら溜まらない一日でした。野津田公園の展望広場から競技場を見ますと、典型的な夏の気配でした。其処で木陰を求めて散歩するべく、小野路城址まで森林浴を洒落込むことにしました。木陰を抜けた住宅地域に入りますと、彼岸花が見頃を迎えていました。数年前より数が減った気もしますが、満開の時期には未だ間があったのかも知れません。漸く小野路城址に着き、祠の近くで珈琲付きの昼食タイムです。小野路城は、小山田城の出城なのですが、別に石垣もない山城の様で、直ぐ下には小町井戸が沸いていて、それを貴重な水源を確保している様でした。湿気が高くて汗が退きませんので、藪蚊が多く寄って来て、痒くて溜まりませんので、汗をタオルで拭い、ほうほうの体で逃げ出します。帰り道では、放置されている、栗の木から落ちている栗を拾って帰りました。この道筋には、栗や山栗だけでなく、大きな柿の木も複数あるのですが、蔦草に覆われて日光を奪われて、その樹勢が衰えるばかりで、柿を採るべく管理された昔の姿は見る影もありません。
2017.09.19
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今週末から、台風の影響があるとの予報でしたので、昨日は義兄達のお墓参り、横浜市と藤沢市と言う隣り合う区域でしたので、彼岸を前にして墓参の梯子をすることにしました。最初は、横浜市の二俣川霊園、国道16号線から保土ヶ谷バイパスを経て、鶴ヶ峰駅から横道に入り、二俣川の丘上にあります。此処は、二俣川駅から歩いて行ける場所にありますことから、私立霊園にも拘わらず、殆ど墓所売切れの人気墓園となっている様でした。義兄69才、昨年亡くなりました奥様は行年70才で、仲良く夫唱婦随で永眠されています。次は、藤沢市にある大庭台墓園、30分で到着する積もりでしたが、保土ヶ谷バイパスから横浜新道までは快調に行けたのですが、国道1号線に入った途端に物凄い混雑、流石に混雑で名にし負う1号線の東海道でした。僅か10kmに満たない距離でしたが、何と1時間半を要しました。大庭台墓園は、大庭台団地や藤沢西高校に隣接する市街地にありますが、公園墓地で明るい芝生墓地もあって、陰気な印象も無く、散歩できる緑地として親しまれている様です。義兄の墓は8列17番区画にありますが、私より前に墓参してくれた方がおられて、供花も供えられ、植栽されているイヌツゲも綺麗に剪定されていました。死後34年も経過しましたが、会社の同僚だった方が忘れずに参拝されているのには、頭を垂れるしかありません。
2017.09.16
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2週間続いた雨模様が終わって久しぶりの青空、近頃歩いていませんので、府中郷土の森博物館前にある物産館で昼食を摂って、多摩川河川敷を散策しました。湿気が高く、汗が乾かず不快な天気でしたが、姫胡桃(クルミ)の林に行ってみますと、緑色の実が沢山生っていました。クルミは葡萄と同じ様に、房になって実るのだと言うことを初めて知りました。河川敷はクルミの自生地なのか10本以上はあるのです。30分程散歩するのが精一杯で、汗だくになってしまいましたので、夕飯の買い物をしながら帰宅となりました。夕刻近くになってから、雷鳴が轟き出して、その内の一つが驚く程の雷鳴で、場所は特定出来ませんが近くに落雷したのも確かな様でした。すると、次には豪雨となり1時間程、暗くなる迄降り続きましたが、日照時間が少なく野菜が高騰して来ましたので、もう雨は結構と思うのですが・・・今年は降れば土砂降り、晴れたら砂漠地帯かと思う位に乾燥天気が続きます。やはり、地球温暖化は異常な天候を生み出しているとしか考えられません!
2017.08.19
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今年で、家内のお盆供養も8回目となりました。東京では7月がお盆なのですが、全国的には月遅れの8月が普通です。此処7年程は、7月は五島に滞在して、空き家となっている家内の実家を管理していますので、東京に不在、墓所も静岡県の御殿場にありますので、8月が全国的なお盆だと思う様になりました。家内と共に1998年から10年間、健康維持を目的にして、マイカー日帰り登山を30箇所程して来たのです。2000年からは、登山靴、帽子、ストック等を買い揃えて、低山トレッキングとなりました。これは、2000年5月山梨県の扇山で、休憩している処ですが、未だ50才代ですから、体力もあって、健康不安もありませんでした。其処で、没後の翌月から2年半に亘って、供養登山と称して20箇所ほど再訪してみたのでした。その低山トレッキングをBlogにアップロードしていましたので、次の様に整理してみました。供養登山-低山トレッキングこの時は、未だ60才代、単独行でも不安も無く大丈夫でしたが、後期高齢者となった今では体力低下が著しく、悲しいことに多分駄目の様な気がしています。
2017.08.15
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お盆の連休は、高速道お路が混雑しますので、7日の月曜日に冨士霊園に墓参りすることにしました。生憎の曇天で、霊峰富士山は雲の中で見ることが出来ませんでしたが、高速は空いていて助かりましたし、家内が眠っている区画には、訪れる人も無く、お盆の来訪を待っている様でした。墓前に、色鍋島の小さな花瓶に供花を入れて飾り、スイカの一切れも供えて、香を焚きました。花瓶は納戸の整理の際に、一番小さなものを五島から持ち帰ったのです。生前に使ったこともあるかも知れないと思って、墓前に供え、持ち帰って仏前に置いておこうと思ったのです。伊万里焼、色鍋島の魯山窯は次の様に記述されています。魯山窯は、伝統ある「色鍋島」の窯元です。色鍋島は、江戸時代に肥前鍋島藩主鍋島家が将軍家への献上品等の目的で直営の窯を設けたのが始まりで、厳選した材料を用い有田の名工を集めて作り上げた格調高い色絵磁器。魯山窯は、伝統技法を守るとともに、時代の要請に応える製品作りを続けていて、美しい白地に色鮮やかな花々。精巧に形作られた器に、手描きで丁寧に絵付けし、くっきりとした色彩ながら落ち着きがあるのは、余白の美の為せる技。
2017.08.12
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1月半ぶりの冨士霊園、其処は北に籠坂峠の山、北西に富士の高嶺、南には箱根連山を見渡せる風光明媚な場所なのですが、昨日は空梅雨の中で曇っていましたので、全て雲の中で窺い観ることが出来ませんでした。入口から観る富士霊園、緑が濃くなりましたが松並木の手入れも良いので、気持ち良く墓参が出来ます。残念ながら、山中湖との間にある籠坂峠を抱える裏山は雲の中でした。富士山も雲に隠れて見えません。空梅雨とは言え、梅雨の中ですから仕方がありません。墓の前で、オニギリとペット茶でささやかな昼食を取り、帰途につきます。南方を見ますと、箱根連山も雲の中、何時も尖って目立つ金時山も雲中に隠れていましたが、雨で無かったことを幸いだったと思えば良いのでしょう!
2017.06.23
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昨日は再度、下高井戸シネマに行って、話題のアニメ作品「この世界の片隅に」を観賞して来ました。主役である北條すずの声優は、NHK朝の連続テレビ小説“あまちゃん”でアイドル的存在として人気を集めた能年玲奈が「のん」に改名して臨んでいて、のんびりとした主役の性格を、広島弁をマスターして好出演していました。呉には担当機種の工場があり、工場購買課の要請もあって、広島空港が海岸にありました時には、何回も日帰りで出張しました。呉線の終点「呉」駅のアナウンスは良く覚えていて、映画では頭にアクセントがあるのですが、記憶では日本語には珍しく語尾にアクセントを付けてアナウンスしていましたので、少し違和感がありました。ストーリーは戦争中の日常生活を淡々と描いたものですから、映画化は難しいと思われたのですが、製作者はクラウドファンディングと言う呼びかけで、4千万円の寄付集めに成功して映画化、話題の「君の名は」を押しのけて、最優秀アニメ作品を受賞することになったのは、見事な熱意の賜物と思われます。1944年、絵を描くことが得意な少女浦野すず18才は、広島市から呉の北條周作の元に嫁ぐ。戦時下物資が不足し配給も乏しくなる中に暮らしを守っていく。軍港の呉は1945年3月を境に、頻繁に空襲を受け、同年6月の空襲で投下された時限爆弾により、すずは姪の黒村晴美の命と、自らの右手を失う。同年7月の空襲で、北條家にも焼夷弾が落下した。見舞いに来た妹のすみは、実家に帰る様に誘うが、すずは北條家に残る。8月6日朝には広島市への原子爆弾投下、約20km離れた呉でも閃光と衝撃波が響き、巨大雲を目撃する。翌年、すずは広島市内に入り、祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は亡くなっていて、すみには原爆症の症状が出ていた。すずは「この世界の片隅」で自分を見つけてくれた周作に感謝し、廃墟にいた戦災孤児を連れて呉の北條家に戻るのです。NHK朝の連続テレビ小説“あまちゃん”で主演を務め、アイドル的存在として人気を集めた能年玲奈。昨年7月「能年玲奈」から「のん」に改名、「能年玲奈」は本名にも拘わらず所属事務所の許可なしに使用出来ないとの「警告書」が送られていたとも報じられていますが、真相はどうなのでしょう!
2017.06.14
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先の土曜日に、会社食堂で行われた会社OB会に行って来ました。私が幹事役をしていた2008~2013年では、出席人数が70~80名と多かったのですが、OB会の性格上、年長の方々が体調を崩して外出が出来なくなったり、不幸にも鬼籍に入ってしまって少なくなるのは致し方ありません。今年は51名と少なくなりましたが、92才で最長老の2名も出席して豊洲ビル2Fのグリルで行われました。その一人が、私が1964年入社した時の課長さんなのですから、同慶に耐えません。しかしもう一人の最長老の方が、両杖を使って何とか歩行する状態になっていて、挨拶を交わすだけとなってしまったのは残念でした。一昨年は、Stodolaの「Steam Turbine & Gas Turbine」と言う名工学著書の話もしていたのですから・・昨年までは矍鑠として、何不自由無く歩き、大いに飲み、後輩との会話を楽しんでいたのですから、後期高齢者の1年と言うのは大変な時間経過なのだと実感した次第です。
2017.06.12
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一月ほど前、病院の待合室で見つけた下高井戸シネマのパンフレット、毎日5本を上映する2ヶ月分のスケジュールが載っていました。昨日は都内に出かける用事がありましたので、その帰途に下高井戸駅前にある下高井戸シネマに寄ってみました。下駄履きマンションの2階にある映画館で、結構な混雑をしていました。午後2時35分から上映されましたのは、イギリスの映画「私はダニエルブレイク(I, Daniel Blake)」、これは2016年カンヌ国際映画祭のパルムドール受賞作品です。59才のブレイクは突然に心臓疾患を患い失職してしまうのですが、失業手当の申請も行政の悪意に満ちた対応にままならず、困り果ててしまいます。そんな折、2人の子供を抱えるシングルマザーと出会います。彼女も行政の援助を打ち切られて、ロンドンから郊外に引っ越して来たのですが、彼女も行政援助を得られず困窮していたのです。ブレイクはそんな彼女の家の中の造作や子供の相手をして、彼女を助けますが生活援助にはならず、ブレイクの忠告にも拘わらず彼女は売春に走ります。そんな彼女がブレイクの家具売却で生活費を得るしかない状況を見かねて、行政への失業手当申請への助けを請負い、その目途が付いて安心するのですが、ブレイクは心臓疾患が再発して急死してしまうのです。イギリスではキャメロン政権以来、国家予算削減の為、福祉予算が大幅に削られましたが、その弊害が善意の人々を苦しめている様子が切実に感じられました。日本でも生活保護の切捨て、申請不認可が問題となって、憲法第25条違反との見解がありますが、改善の兆しは見えない様です。
2017.06.11
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2年間穿いていたEdwin503を買い換えることにしました。家にいる時は膝を曲げて生活することが多いので、どうしても1年程で左膝の所が抜けてしまいますので、多摩市永山にある「銀の糸」にて継ぎ接ぎをして貰い、もう1年穿くことにしています。八王子市南大沢にある三井アウトレット「ラフェット多摩」のEdwin・Something専門店に古いジーンズを持ち込んで、同じEdwin503を探して貰い裾合わせもお願いしました。やはりアウトレットでは市販価格より30%位安く、裾合わせ料も含めて6200円弱で済みましたし、20分で裾合わせも完了となりました。ヒューストン時代の昔はLeeジーンズを穿いていましたが、一度Wranglerジーンズに替えてからは、柔らかい穿き心地が気に入って、イトーヨカ堂内の専門店で購入していましたし、Wranglerが破産してからはEdwinを勧められてその助言に従っていたのです。しかし、安いジーンズが台頭して来て、その専門店は店を畳まざるを得なくなったのは8~9年前のことだったでしょうか?アウトレット店舗も、ネットショッピングに押されて大変の様で、「2本購入すると更に10%OFFにしますが・・」と言われましたが、余計な買い物はしたくないと思い、お断りしました。前には春秋に此処を訪れて、季節に合わせてブランド半袖シャツや長袖シャツを購入していたのですが、近頃はシャツ販売のWebサイトでも、売れ残った季節用品を30~40%OFFしてくれますので、裾合わせ等が不要のシャツはわざわざアウトレットに行って物色する必要も無くなったからです。
2017.06.06
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地下鉄後楽園駅は、丸の内線、大江戸線、南北線が交叉していて、とても便利な駅で、駅前には家光の乳母として権勢を誇った春日局を記念した春日公園があります。そして、通路の反対側には、文京区役所の入っている文京シビックセンタービルと言う高いビルがあって見上げる程の高層ビル、文京区は文教地区でもあるので、財政がとても豊かな自治体の様です。其処の25階に、椿山荘が店舗を展開していますので、会社時代の営業OB2人、設計OB2人で会食することになりました。設計OBは、1931年と1942年生まれ、営業は1932年と1948年生まれ、の各2人でしたが、1948年生まれの方が3月に心筋梗塞で入院したこともあって、大事を執って早めに帰宅して貰うことにして、3人の会食となりました。設計OB1931年生まれの方の奥さんは膝関節に加え大腿骨骨折を起こして、数年前から居住区指定の介護施設をたらい回し、現在は家宅を息子さんに譲り、2週間毎の奥さん面会を除いて実質独り住まい、夕食配達を利用しているとのことでした。あれほど頭脳明晰で記憶力抜群だったのですが、世事が煩雑になったのか、部下の名前を思い出すのに苦労する状態でした。しかし、突然記憶スイッチが入りますと、Fort CollinsのWoodwardに行った際、部下の一人が「コロラドの月」を歌ったこと等を思い出すのです。営業OB1932生まれの方は、4人の中では一番元気で、協議離婚と言う難局を乗り越えて、NHKフィルのコンサートA,B,C、歌舞伎、文楽、英語学習と未だに八面六臂の活躍、加えて同居してくれそうな伴侶募集中、人生の楽しさを謳歌していました。
2017.05.31
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5月11日は、快晴で気持ちよくドライブにも快適と思われましたので、相模原市橋本を通って三木(みかげ)から道志道に入って新緑を楽しむことにしました。この道は途中九十九折の山道が続きますのでハンドル裁きも頻繁で、対向車線が無い場所も多く、老齢ドライバーとなっての安全性を確認するには格好のルートと思われたからでした。道の駅「道志」で一休み、昼食用のオニギリや草餅を仕入れて、山伏峠のトンネルを経由して山中湖村に入ります。山中湖は風が強く、水面には白波が立っていましたが、霊峰冨士を観ることが出来ました。標高は1100mある高原ですので、八重桜の季節は未だ終わっていませんでした。カーナビの指示は、東冨士自動車道のトンネルではなく、籠坂峠超えの山道となっていますので、久しぶりにそのルートを取りましたが、車の通行は殆どなく、やがて須走り経由で小山町に着き、冨士霊園に向かいました。冨士霊園は標高600mですから、桜並木は既に葉桜となり、美しい新緑とツツジの季節となっていました。我家の墓は管理事務所から、徒歩で行ける距離にありますので、その便利さが魅力です。坂下には5~6台の駐車場が設けられていますので、其処からは1分に過ぎません。墓所は管理が良いので、雑草を引き抜く作業も不要で、供花を備え、線香を焚いて2ヶ月ぶりの墓参としました。生前も団地住まいが多く、亡くなってからも墓所団地なのですが、潰れることの無い日本最大の墓園ですから許して貰うことにしました。
2017.05.13
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多摩森林科学園は高尾駅から徒歩10分の処の八王子市廿里(とどり)町にあり、昭和天皇の眠る多摩御陵にも隣接し、日本原風景を残す大きな里山に種々の木々が植栽されている場所で、通年入場可能な公園として利用できる処になっています。8ヘクタールの桜保存林には全国から500種の全ての桜が集められ、1400本が植えられていますので、桜の季節には、目当ての桜を求めて相当の混雑となります。しかし、5月になりますと桜の季節が終わり、訪れる人も減って、静寂が蘇って来ていて、桜並木の根元には蕨が群生して伸びていました。桜の季節には、丁度採取の時期だったのでしょうか、散策路の近くでは芽がもぎ取られていました。一部遅咲きの八重桜を除いて、桜は全て葉桜状態でした。桜保存林の天辺付近は、円形で木造ベンチの並ぶ休憩所になっているのですが、すっかり新緑の世界に変貌していました。此処で昼食休憩として、散策を続けますと、やがて樹木園に入って行きます。樹木園は7ヘクタール、国内外の樹木500種、6000本が植栽されている地域です。其処では、途中「マムシ注意!」、「イノシシ注意!」の看板が設置されている、将に自然豊かな散策路となり、時には樹齢数百年とも思われる大木も多数観察することが出来、新緑の森林浴を楽しむことが出来ました。
2017.05.06
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大型連休は混雑を避け、付近の里山を歩くのが良いと思い、昼食用のピーマンの肉詰めを作って新緑の里山を歩くことにしました。小山田緑地の駐車場に車を停めて、尾根道を辿って小野路城址まで登って行きましたが、途中キンランやギンランが昨年と較べて随分減ってしまっていました。昨年は、草むらの中にあった自生のエビネランであるタカネエビネもあったのですが、それも見当たりません。里山ですから、管理する人達もいませんので、盗掘は酷くなっている様です。一人ぐらい良いだろうと気軽に持ち帰るのでしょうが、それが積み重なると絶滅してしまうのです。漸く小野路城址に着き、誰もいない処で、ピーマンの肉詰めと酸味のあるカンパーニュパンで昼食を取りました。城址の法面には、10本程度のキンランがあったのですが、僅か2本に減っていて、これも風前の灯と見えました。小山田緑地への下りは、奈良ばい谷戸の沢道を取ることにしました。すっかり新緑の風景が広がり気持ちは良いのですが、尾根道とは違って日当たりが良すぎて、地生ランは昔から生えてはいないのです。
2017.04.30
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昨日は快晴でしたので、高尾山から小仏城山を経由して、相模湖に下りる計画を立てました。しかし、麓の清滝駅から登りトレッキングは1時間半を要しますので、1時間を短縮させる為、ケーブルカーを利用して472mの山頂駅で下車、実際の山頂は599mですから130m弱を登れば良いのです。新緑で快晴、薬王院にも人が溢れていました。この階段で遠足写真撮影されたのは、1951年のことですから、67年の年月差がありますが整備が良いのか、殆ど差が無い様です。それ処か、其処から山頂までは混雑していましたが、直前の巻き道から、小仏城山に向かいました。山頂からは整備された階段道を100m程下って、670m小仏城山まで登り返すのですが、後期高齢者ともなりますと体力の低下は甚だしく、僅か4kmに過ぎない1時間のトレッキングで漸く城山茶屋に到着しました。以前には相模湖がよく見えていたのですが、木々が育ってしまい、殆ど見えなくなってしまっていました。すっかり疲労してしまい、相模湖までの6kmルートは断念することにして、一番近い下山ルートである小仏峠経由のルートを取ることにしたのですが、途中、ベンチのある展望所が設けられていて、相模湖が眼下に見えました。漸く到着した小仏峠から八王子方面を眺めるのも久しぶり、この下山ルートも人が多く、普段に無い賑わいでした。家内とよく来た頃には、峠には2軒の茶屋があったのですが、今はもうありません。やっと小仏バス停に下りましたが、バス待ちの人達が多くて長蛇の列、乗れないのではと心配していましたら、増発便が出て一安心、5kmの道を歩くことなく、バスで高尾駅まで戻ることが出来ました。
2017.04.24
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1960年代は玉川線と井の頭線の渋谷駅ホームは隣同士だった様に記憶していますが、当時は利用したことがありませんでした。初めて乗ったのは、家内と一緒のことで、10年以上も前のこととなりました。私が学生時代に通っていた「名曲喫茶ライオン」に行ってみたいとの家内の要望で、其処でクラシックを鑑賞して、その帰途に玉川線から世田谷線と名前を変えた電車で三軒茶屋~下高井戸を利用したのでした。昨日は、豊洲に行く用事があって、帰路は通常「名曲喫茶ライオン」に寄るのを慣習としていたのですが、渋谷を通り過ぎて三軒茶屋で乗り換えて利用、もう10年以上も経過していたのです。線路や沿線風景は京王線に似たものがありますが、車両編成が短く、ゆっくりしたスピードで走り、駅も昔風のまま残っていますので、世田谷区民の気軽で身近な足として親しまれている様でした。以前は旧玉川線の一部だった三軒茶屋~下高井戸間が独立して残った系統で、名称も世田谷線となり、車両は低床式の更新車両300系で、連接の2両編成で運行しています。 玉川線支線として開設された下高井戸線は、1925年5月から渋谷 - 下高井戸間で直通運転がなされた。1969年5月、玉川通り(国道246号)上への首都高速3号渋谷線の建設、営団地下鉄銀座線と接続する地下鉄(田園都市線の一部区間)建設の計画等により、下高井戸線である三軒茶屋 - 下高井戸間は東急世田谷線と名を改めて存続しているが、その他の玉川線は全線廃止された。
2017.04.23
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昨日は晴れで気温も高くなり、気持ちが良かろうと「府中郷土の森博物館」の駐車場に車を停め、多摩川大丸堰を歩いてみました。花見を楽しんでいる方々も多かったのですが、風が強く、満開の桜の一部が落花の雪に踏み迷うと言う状態となりました。川岸に出てみますと、釣り人が何か魚を狙って釣り糸を垂れていましたが、気温に較べて水温は低い様でピクリとも動きません。浅瀬では、川鵜が潜って魚を捕らえようとしていて、それを烏が羨ましそうに見ていましたが、未だ鮎の遡上には早すぎて、魚の獲物は確認出来ませんでした。よく見ますと、周辺には、思った以上に沢山の鬼クルミや姫クルミの木々が群生していて、花芽が垂れていました。クルミ(胡桃)の花芽を観るのは初めてですが、枝から下がる様は一寸不思議な感じがしました。
2017.04.15
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1昨日は、気温も上がらず曇天でしたが、カタクリが見頃と言うことでしたので、相模原市緑区川尻にある「城山片栗の里」に行ってみました。途中の町田街道沿いは、桜の花が満開で、ドライブしていて華やいだ春の雰囲気に気分も高められました。城山片栗の里の専用駐車場は、泥濘でいて、あまり混雑していませんでしたが、曇天ですと片栗の花弁が反り返らず、写真撮影には向かないと敬遠していたのかも知れません。入園料500円を支払って、坂道を登って行きますと、ピンクの三つ葉ツツジが満開、その下には多数のカタクリが咲いていましたが、陽が無いのでそれ程元気には見えません。普通のピンクの片栗に加えて、カナダ原産の黄花片栗も咲き出していました。丘の上では、箒桃、桜、辛夷等の花が見頃になっていて、休憩できるベンチも多数設置されていて、座って観賞する方々も多く見られました。城山片栗の里は春爛漫でした!
2017.04.12
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お彼岸の中日に墓参りが出来なかったので、昨日は冨士霊園に行って来ました。本来ならば相模川の橋の手前から圏央道に入って、東名に乗り換えるのですが、海老名ICで「4km渋滞」との表示が出ていましたので、129号線を南下して厚木ICから直接東名に入ることにしました。圏央道が中央高速から東名高速に繋がったことで便利にはなったのですが、海老名ICでの乗り換えラインが1車線しか無く、常時渋滞し混雑しているのも困りものです。新松田ICで東名を下り、246号線を使い、静岡県小山町から山道を使うのが最短で空いていますが、途中「小山ハイテク工業団地」の造成が進みつつあり、随分原生林が伐採されています。丁度正午に墓園に到着、管理事務所で供花と線香を買い求めて。墓所に向かいますが、ふと裏山を観ますと真っ白でした。21日の冷雨は霊園の裏山では雪になっていた様で、昨日も気温は5℃しかなく、冬の戻りの気配でした。墓前で、バーナーに点火し、コッヘルにサッポロ塩ラーメンと下仁田ネギとウィンナーソーセージを入れて、暖かいラーメンを作りました。家内が塩ラーメンに野菜を入れて作るのを教えてくれて、低山トレッキングの山頂にて暖かい食事を楽しんだ習慣を、没後7年半経ちますが保ち続けています。
2017.03.24
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今日は明治安田生命ホールに行く用事がありましたが、用事が終わった後、天気が良く暖かいので、中央公園を散策しつつ、国道20号線甲州街道を京王線沿いに歩いてみることにしました。西口から公園に至る地下道は車道を隔てる明るい壁が設置されていますので、車の騒音も無く、歩く歩道も設置されていますので快適です。一昔前には多くのホームレスが段ボールハウスを形成していたのですが、今は全く見当たりません。地下道を抜け、ハイアットホテルに行ってみました。此処はアメリカ駐在から1983年10月3日に帰国した際、社宅への入居準備をするべく、会社負担で家族4人が3泊したホテルなのです。当時は、ホテルセンチュリーハイアットと言っていましたが、今はハイアット リージェンシー 東京と改名しています。当時はメインロビー天井にはクリスタル製、1基5,000万円(1980年当時の価格)の豪華なシャンデリアがあって目を引きましたが、34年経ってもそのままの豪華さ、余程手入れが良いのでしょう!1980年9月15日に日本初のハイアットホテル「ホテルセンチュリーハイアット」として新宿副都心の小田急センチュリービルに開業した。2001年3月30日には「センチュリーハイアット東京」に名称変更したが、2007年10月1日、「ハイアット リージェンシー 東京」に再変更した。其処から甲州街道に出て、初台駅近くで遊歩道に入り、ひたすら西に向かい、笹塚を目指して歩きます。この遊歩道は元来水道道路ですが、淀橋浄水場が転地してしまって役目を終えたので遊歩道に替えたのです。幡ヶ谷駅に着きましたが、右膝の裏筋に痛みを覚え、笹塚行きは途中棄権を余儀なくされました。老齢による軟骨や筋の劣化と普段の不摂生に依るものですが、何となく年は取りたくないものですが仕方がありません。
2017.03.20
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天気が良くなり気温も15℃を超えましたので、富士山右斜面が望める多摩川の支流である浅川に行って日野橋を左に折れた川岸道のドッグラン駐車場に車を停め、河川敷を散策してみました。春霞で富士山は薄くしか見えませんが、河川敷には種々の春の花が咲き出していて、春の富士を楽しみました。河川敷の突端には、菜の花が群生して咲いていましたが野生の様ですので、菜種を採る品種とは違うのかも知れません。河川敷で、観賞に耐える様な水石を探しましたが、見つからず、縞模様のある小さな石を持ち帰りました。岩石採取とは、根気良く探すことが必要なことだと思いつつ、支流では水流も弱く、格好な水石は流れて来ないだろうと諦めることにしました。
2017.03.18
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2日間の冷たい氷雨から一転、本日は朝から快晴、しかし午後から曇ると言うので、天気の良い内に尾根緑道を散歩することにし、駐車は南多摩斎場横にある八王子市営の南多磨霊園にお邪魔させて頂くことにしました。展望所から観ますと、西方の丹沢山塊は雲の中に霞んでいて、午後からは曇りと言うのが良く分かります。其処から、小山内裏公園端まで約1.5kmを往復することにし、歩き出します。しかし、平地では辛夷も咲き出し、桜の蕾も色づいているのですが、八王子と町田の境に位置する尾根では温度が低く、桜は未だ硬い蕾のままで、未だに梅の季節となっていました。路面を観ましても、オオイヌノフグリの花は咲いていましたが、スミレは一本も見つかりません。土地の高低差とか標高差と言うより、丹沢山塊やら高尾山やらに近づいて、山からの冷気が春を遅らしている様でした。
2017.03.16
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三鷹市新川にある高級養護施設に昨年入居した小中同級女生徒を誘って埼玉県入間市にある公務員用養護施設に入居している小学校3~5年の担任女性教師に会いに行きました。外環状16号線沿いで、入間市の名前の知らない小さなせせらぎの脇に設営されている養護施設を訪れるのは5~6年ぶりです。受付で、面会申込書に記入して尋ねますと、「近くの一室でデイケアサービス中なので、お呼びしますが、何かお菓子などのお土産を持参ですか?」と言うのです。「持参していますが、何故ですか?」と問い返しますと、「アルツハイマー症状が進み、際限なく食べてしまいますので、お持ち帰り下さい」との回答でした。6年前には、スタスタと歩いて来て、教師になった経緯、家庭の状況、気に止まった教え子、等色々話してくれたのですが、90才を超えている現状の姿はすっかり様変わりしていました。カートにすがって玄関ホールにテーブルに会いに来てくれ、足腰の衰えは5~6年の年月の経過を感じざるを得ませんでした。60年以上前の小学校5年生の遠足写真を持っていったのですが、ご自分の姿を認識出来ず、6年前には話していた教え子のことも思い出すことは無かったのです。それでも、記憶のからくりがあるのか、生徒の横に写っている保険担当の女性教師の名前を突然思い出したのは、不思議なことでした。認知症が昂進していて残念なことですが、世の中の柵から離れて、自分だけの世界の中で自由に生活している様子には、人生とはこのようなことなのかと納得することにしました。
2017.03.15
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昨日は春の気配が感じられ、晴天でしたので東名高速道を使って静岡県に行って来ました。先ずは、戦後1948年に再疎開していた富士市、当時は吉原町ではありましたが、其処で2年半を過ごした場所です。名勝の「田子の浦」からは、富士山に雲が掛かって、雄大さを観られなかったのは残念ですが、仕方がありません。もう70年も経過していますので、知人の多くは亡くなってしまい、訪問するお宅は2軒だけとなりましたが、ご挨拶をして退去し、2年半前に逝去した同期生への弔問をするべく、カーナビに住所を入力しますと、高速ではなく国道1号線から246号線に乗り換えて、三島市に行くのが推奨ルートとなりました。246号線から、三島市中心街から富士山麓を登って、郊外とも思われる住宅街に入りますが、目標となる商店やら施設もありませんが、近頃のカーナビは優れたもので、遺族宅前まで誘導してくれました。奥様が出迎えてくれ、客間に通されますと、同期生の遺骨が造花に加え生花も添えられて丁寧に飾られていました。「未だ墓所は無いのですか?」と聞きますと、「主人は海の見える場所が良いのだが、面倒の無いマンション式でも構わないと言われたので、墓石の無いマンション式やら、何処の墓苑が良いのやら、考えている内に2年半が経ってしまいました」とのことでした。発病から半年で鬼籍に入ってしまったことで、その後の2年では心残りが大きいのだと推察できました。私自身も後期高齢者ですが、死に急ぐことも無いが、死に遅れることが無い様にしたいものだと考えつつお暇することにしました。帰りは246号線から御殿場ICに入り、東名道路で帰宅する途中、鮎沢PAから見える午後3時半の箱根山中、春の気配が感じられました。
2017.03.05
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郷土の森博物館では、平日の午後2時からプラネタリウム観賞出来ますので、午後1時半頃に訪れてみました。此処のプラネタリウムは旧式で、生田緑地プラネタリウムと較べますと、解像度は低いのですが、星座解説をするのには十分です。郷土の森から観える冬空の星座を30分で解説されて後、ジオラマを使ったオーロラ観測の旅番組がやはり30分上映されました。至って、子供向きでしたが、親子共々プラネタリウムを楽しめる工夫なのだと納得することにしました。府中郷土の森博物館は梅祭りが始まってから1週間が経過して、園内は何処も紅白の梅が見頃となりました。園内には緋毛氈のベンチやら、多くの仮設テントが設けられて飲食物や土産物店が並び、訪問客が多くなりました。
2017.02.10
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2月4日より、梅祭り開催と言うことで、モノレールと京王線を利用して「百草園」駅に着きました。前に来ましたのは2003年のことでしたから、14年ぶりとなりますが、駅前を通る川崎街道も広くなり、開放的になって印象が違っていましたが、案内板に従って左に折れ、坂道を登って行きます。段々と坂がきつくなり、最後の急登は舗装道路にも拘わらず、道端には手摺が付いていて、坂登りの助けになる程です。漸く到着して、入り口で300円の入園料を払おうとしましたら、「京王パスポートカードをお持ちですか?」と提示しましたら、20%割引の240円となりました。石の階段を上がって、庭園の中心となる松連庵に着きましたが、肝心の寿昌梅と言う銘梅木は殆ど咲いていませんし、他の梅も精々2分咲き、高台で寒さが募るのでしょう!今年の梅祭りのコンサートは売店広場で次の様に行われる様で、2月4日(土)11:30~,14:00~ ・バイオリンとピアノコンサート3月12日(日)11:30~,14:00~ ・和太鼓の演奏となっていて、丁度バイオリンと電子ピアノで親しみやすい、シューベルトの「野バラ」やベートーヴェンの「スプリングソナタ」等が演奏されていました。広場の端には展望所があって、多摩川から府中方面の見事な眺望が望めます。白い塔は、東芝のエレベーター試験塔で、煙突では無いのだそうです。多摩丘陵の一角にたたずむ百草園は、江戸時代の享保年間(1716~1736)、小田原城主大久保候の室、寿昌院殿慈覚元長尼が徳川家康の長男・岡崎三郎信康追悼のために松連寺を再建し、それに伴って造られた庭園。百草園の広さ6万6千m2の庭園には、800本以上の梅の木が植えられていて、梅の名所として有名です。百草園の売店、松連庵は茅葺き屋根の趣のある建物、一服の絵を観るような美しさで、この松連庵の前には樹齢300年を越すと言われる寿昌梅という銘木があります。
2017.02.06
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昨日は、親戚の49日法要がありましたので、場所は戸塚、午前10時からと言うことでしたので、朝8時に家を出ました。土曜日でしたので、自宅近くの宝野公園には勤め人の姿も見えず、丹沢山塊の向こうに富士山の頂上が白く見えていました。6年ぶりに見る戸塚駅近郊は、国道1号の東海道に沿って開発が進み、新しいビル群が建ち並んで、記憶を辿るのが大変で、お寺は駅から徒歩5分程の位置にある筈でしたが、高層マンションの裏になって目立たなくなっていました。住職も代替わりとなり、現住職の意向なのか、本堂は改築されて山小屋風になっていました。木材は全て使うと言うのが設計思想だった様で、床は節の多い間伐材の平板でしたし、柱も細いものも流用、太陽の光を多く取り込む天窓もあって開放的で、片苦しさはありません。控え室も畳は一切なく、床はやはり間伐材の平板、床暖房フローリング、お寺に来たと言う感覚は無いのです。加えて、本堂の正面壁は、よく屋根に使われる萱葺き、屋根とは異なり、雨水が垂れ落ちるので寿命が永く、50年は葺き替え不要とのことでした。寺院のあり方も、開放的な憩いの場所を提供する方向で変化して来ている様です。
2017.01.29
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今年は未だ初詣にも行っていないのですが、北風が吹いて寒い中、快晴が続いている間にと家内の墓参りに行くことにしました。冨士霊園は標高600mの高原にあって、天気が悪いと途中の道路に凍結の懸念があったからです。東名の大井松田ICから国道246号線に下りて、小山町入り口から山道を行きますが、工業団地誘致の為、「ハイテクパーク」と称して山林伐採が大規模に行われていて、裸地に向こうに富士山が広い裾野を従えて聳える様が良く見えました。丹沢山塊にも箱根山にも雲がなく、くっきりと良く見えるのですが、富士山は北西の風の影響で傘雲と言えませんが、雲が纏わり付いていて山頂は見えません。墓所は坂を上がった処にあり、富士山は見えますが、山頂と左斜面は残念ながら雲に隠れていたのは残念でした。墓所の供花とお線香は、冨士霊園の「お仏壇の長谷川」で購入しましたが、正月は清らかな白菊を供花としている様でした。上空は快晴ですので、良く日が当たっていましたが、時々強くて冷たい北西の風が吹いて寒さが堪えました。何時もは、インスタントラーメンを作るのですが、風も強く寒いので、持って行ったカマンベールチーズをクラッカーに挟み、暖かい珈琲と剥いたリンゴで、慎ましやかな昼食を取って、亡くなった家内に新年の挨拶をしました。暫く墓前にいましたら、帽子が飛ばされそうな強風が吹いて来ましたので、「又来るね!」と、お暇することとなりました。
2017.01.05
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