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お彼岸の中日に墓参りが出来なかったので、昨日は冨士霊園に行って来ました。本来ならば相模川の橋の手前から圏央道に入って、東名に乗り換えるのですが、海老名ICで「4km渋滞」との表示が出ていましたので、129号線を南下して厚木ICから直接東名に入ることにしました。圏央道が中央高速から東名高速に繋がったことで便利にはなったのですが、海老名ICでの乗り換えラインが1車線しか無く、常時渋滞し混雑しているのも困りものです。新松田ICで東名を下り、246号線を使い、静岡県小山町から山道を使うのが最短で空いていますが、途中「小山ハイテク工業団地」の造成が進みつつあり、随分原生林が伐採されています。丁度正午に墓園に到着、管理事務所で供花と線香を買い求めて。墓所に向かいますが、ふと裏山を観ますと真っ白でした。21日の冷雨は霊園の裏山では雪になっていた様で、昨日も気温は5℃しかなく、冬の戻りの気配でした。墓前で、バーナーに点火し、コッヘルにサッポロ塩ラーメンと下仁田ネギとウィンナーソーセージを入れて、暖かいラーメンを作りました。家内が塩ラーメンに野菜を入れて作るのを教えてくれて、低山トレッキングの山頂にて暖かい食事を楽しんだ習慣を、没後7年半経ちますが保ち続けています。
2017.03.24
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今日は明治安田生命ホールに行く用事がありましたが、用事が終わった後、天気が良く暖かいので、中央公園を散策しつつ、国道20号線甲州街道を京王線沿いに歩いてみることにしました。西口から公園に至る地下道は車道を隔てる明るい壁が設置されていますので、車の騒音も無く、歩く歩道も設置されていますので快適です。一昔前には多くのホームレスが段ボールハウスを形成していたのですが、今は全く見当たりません。地下道を抜け、ハイアットホテルに行ってみました。此処はアメリカ駐在から1983年10月3日に帰国した際、社宅への入居準備をするべく、会社負担で家族4人が3泊したホテルなのです。当時は、ホテルセンチュリーハイアットと言っていましたが、今はハイアット リージェンシー 東京と改名しています。当時はメインロビー天井にはクリスタル製、1基5,000万円(1980年当時の価格)の豪華なシャンデリアがあって目を引きましたが、34年経ってもそのままの豪華さ、余程手入れが良いのでしょう!1980年9月15日に日本初のハイアットホテル「ホテルセンチュリーハイアット」として新宿副都心の小田急センチュリービルに開業した。2001年3月30日には「センチュリーハイアット東京」に名称変更したが、2007年10月1日、「ハイアット リージェンシー 東京」に再変更した。其処から甲州街道に出て、初台駅近くで遊歩道に入り、ひたすら西に向かい、笹塚を目指して歩きます。この遊歩道は元来水道道路ですが、淀橋浄水場が転地してしまって役目を終えたので遊歩道に替えたのです。幡ヶ谷駅に着きましたが、右膝の裏筋に痛みを覚え、笹塚行きは途中棄権を余儀なくされました。老齢による軟骨や筋の劣化と普段の不摂生に依るものですが、何となく年は取りたくないものですが仕方がありません。
2017.03.20
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天気が良くなり気温も15℃を超えましたので、富士山右斜面が望める多摩川の支流である浅川に行って日野橋を左に折れた川岸道のドッグラン駐車場に車を停め、河川敷を散策してみました。春霞で富士山は薄くしか見えませんが、河川敷には種々の春の花が咲き出していて、春の富士を楽しみました。河川敷の突端には、菜の花が群生して咲いていましたが野生の様ですので、菜種を採る品種とは違うのかも知れません。河川敷で、観賞に耐える様な水石を探しましたが、見つからず、縞模様のある小さな石を持ち帰りました。岩石採取とは、根気良く探すことが必要なことだと思いつつ、支流では水流も弱く、格好な水石は流れて来ないだろうと諦めることにしました。
2017.03.18
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2日間の冷たい氷雨から一転、本日は朝から快晴、しかし午後から曇ると言うので、天気の良い内に尾根緑道を散歩することにし、駐車は南多摩斎場横にある八王子市営の南多磨霊園にお邪魔させて頂くことにしました。展望所から観ますと、西方の丹沢山塊は雲の中に霞んでいて、午後からは曇りと言うのが良く分かります。其処から、小山内裏公園端まで約1.5kmを往復することにし、歩き出します。しかし、平地では辛夷も咲き出し、桜の蕾も色づいているのですが、八王子と町田の境に位置する尾根では温度が低く、桜は未だ硬い蕾のままで、未だに梅の季節となっていました。路面を観ましても、オオイヌノフグリの花は咲いていましたが、スミレは一本も見つかりません。土地の高低差とか標高差と言うより、丹沢山塊やら高尾山やらに近づいて、山からの冷気が春を遅らしている様でした。
2017.03.16
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三鷹市新川にある高級養護施設に昨年入居した小中同級女生徒を誘って埼玉県入間市にある公務員用養護施設に入居している小学校3~5年の担任女性教師に会いに行きました。外環状16号線沿いで、入間市の名前の知らない小さなせせらぎの脇に設営されている養護施設を訪れるのは5~6年ぶりです。受付で、面会申込書に記入して尋ねますと、「近くの一室でデイケアサービス中なので、お呼びしますが、何かお菓子などのお土産を持参ですか?」と言うのです。「持参していますが、何故ですか?」と問い返しますと、「アルツハイマー症状が進み、際限なく食べてしまいますので、お持ち帰り下さい」との回答でした。6年前には、スタスタと歩いて来て、教師になった経緯、家庭の状況、気に止まった教え子、等色々話してくれたのですが、90才を超えている現状の姿はすっかり様変わりしていました。カートにすがって玄関ホールにテーブルに会いに来てくれ、足腰の衰えは5~6年の年月の経過を感じざるを得ませんでした。60年以上前の小学校5年生の遠足写真を持っていったのですが、ご自分の姿を認識出来ず、6年前には話していた教え子のことも思い出すことは無かったのです。それでも、記憶のからくりがあるのか、生徒の横に写っている保険担当の女性教師の名前を突然思い出したのは、不思議なことでした。認知症が昂進していて残念なことですが、世の中の柵から離れて、自分だけの世界の中で自由に生活している様子には、人生とはこのようなことなのかと納得することにしました。
2017.03.15
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昨日は春の気配が感じられ、晴天でしたので東名高速道を使って静岡県に行って来ました。先ずは、戦後1948年に再疎開していた富士市、当時は吉原町ではありましたが、其処で2年半を過ごした場所です。名勝の「田子の浦」からは、富士山に雲が掛かって、雄大さを観られなかったのは残念ですが、仕方がありません。もう70年も経過していますので、知人の多くは亡くなってしまい、訪問するお宅は2軒だけとなりましたが、ご挨拶をして退去し、2年半前に逝去した同期生への弔問をするべく、カーナビに住所を入力しますと、高速ではなく国道1号線から246号線に乗り換えて、三島市に行くのが推奨ルートとなりました。246号線から、三島市中心街から富士山麓を登って、郊外とも思われる住宅街に入りますが、目標となる商店やら施設もありませんが、近頃のカーナビは優れたもので、遺族宅前まで誘導してくれました。奥様が出迎えてくれ、客間に通されますと、同期生の遺骨が造花に加え生花も添えられて丁寧に飾られていました。「未だ墓所は無いのですか?」と聞きますと、「主人は海の見える場所が良いのだが、面倒の無いマンション式でも構わないと言われたので、墓石の無いマンション式やら、何処の墓苑が良いのやら、考えている内に2年半が経ってしまいました」とのことでした。発病から半年で鬼籍に入ってしまったことで、その後の2年では心残りが大きいのだと推察できました。私自身も後期高齢者ですが、死に急ぐことも無いが、死に遅れることが無い様にしたいものだと考えつつお暇することにしました。帰りは246号線から御殿場ICに入り、東名道路で帰宅する途中、鮎沢PAから見える午後3時半の箱根山中、春の気配が感じられました。
2017.03.05
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郷土の森博物館では、平日の午後2時からプラネタリウム観賞出来ますので、午後1時半頃に訪れてみました。此処のプラネタリウムは旧式で、生田緑地プラネタリウムと較べますと、解像度は低いのですが、星座解説をするのには十分です。郷土の森から観える冬空の星座を30分で解説されて後、ジオラマを使ったオーロラ観測の旅番組がやはり30分上映されました。至って、子供向きでしたが、親子共々プラネタリウムを楽しめる工夫なのだと納得することにしました。府中郷土の森博物館は梅祭りが始まってから1週間が経過して、園内は何処も紅白の梅が見頃となりました。園内には緋毛氈のベンチやら、多くの仮設テントが設けられて飲食物や土産物店が並び、訪問客が多くなりました。
2017.02.10
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2月4日より、梅祭り開催と言うことで、モノレールと京王線を利用して「百草園」駅に着きました。前に来ましたのは2003年のことでしたから、14年ぶりとなりますが、駅前を通る川崎街道も広くなり、開放的になって印象が違っていましたが、案内板に従って左に折れ、坂道を登って行きます。段々と坂がきつくなり、最後の急登は舗装道路にも拘わらず、道端には手摺が付いていて、坂登りの助けになる程です。漸く到着して、入り口で300円の入園料を払おうとしましたら、「京王パスポートカードをお持ちですか?」と提示しましたら、20%割引の240円となりました。石の階段を上がって、庭園の中心となる松連庵に着きましたが、肝心の寿昌梅と言う銘梅木は殆ど咲いていませんし、他の梅も精々2分咲き、高台で寒さが募るのでしょう!今年の梅祭りのコンサートは売店広場で次の様に行われる様で、2月4日(土)11:30~,14:00~ ・バイオリンとピアノコンサート3月12日(日)11:30~,14:00~ ・和太鼓の演奏となっていて、丁度バイオリンと電子ピアノで親しみやすい、シューベルトの「野バラ」やベートーヴェンの「スプリングソナタ」等が演奏されていました。広場の端には展望所があって、多摩川から府中方面の見事な眺望が望めます。白い塔は、東芝のエレベーター試験塔で、煙突では無いのだそうです。多摩丘陵の一角にたたずむ百草園は、江戸時代の享保年間(1716~1736)、小田原城主大久保候の室、寿昌院殿慈覚元長尼が徳川家康の長男・岡崎三郎信康追悼のために松連寺を再建し、それに伴って造られた庭園。百草園の広さ6万6千m2の庭園には、800本以上の梅の木が植えられていて、梅の名所として有名です。百草園の売店、松連庵は茅葺き屋根の趣のある建物、一服の絵を観るような美しさで、この松連庵の前には樹齢300年を越すと言われる寿昌梅という銘木があります。
2017.02.06
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昨日は、親戚の49日法要がありましたので、場所は戸塚、午前10時からと言うことでしたので、朝8時に家を出ました。土曜日でしたので、自宅近くの宝野公園には勤め人の姿も見えず、丹沢山塊の向こうに富士山の頂上が白く見えていました。6年ぶりに見る戸塚駅近郊は、国道1号の東海道に沿って開発が進み、新しいビル群が建ち並んで、記憶を辿るのが大変で、お寺は駅から徒歩5分程の位置にある筈でしたが、高層マンションの裏になって目立たなくなっていました。住職も代替わりとなり、現住職の意向なのか、本堂は改築されて山小屋風になっていました。木材は全て使うと言うのが設計思想だった様で、床は節の多い間伐材の平板でしたし、柱も細いものも流用、太陽の光を多く取り込む天窓もあって開放的で、片苦しさはありません。控え室も畳は一切なく、床はやはり間伐材の平板、床暖房フローリング、お寺に来たと言う感覚は無いのです。加えて、本堂の正面壁は、よく屋根に使われる萱葺き、屋根とは異なり、雨水が垂れ落ちるので寿命が永く、50年は葺き替え不要とのことでした。寺院のあり方も、開放的な憩いの場所を提供する方向で変化して来ている様です。
2017.01.29
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今年は未だ初詣にも行っていないのですが、北風が吹いて寒い中、快晴が続いている間にと家内の墓参りに行くことにしました。冨士霊園は標高600mの高原にあって、天気が悪いと途中の道路に凍結の懸念があったからです。東名の大井松田ICから国道246号線に下りて、小山町入り口から山道を行きますが、工業団地誘致の為、「ハイテクパーク」と称して山林伐採が大規模に行われていて、裸地に向こうに富士山が広い裾野を従えて聳える様が良く見えました。丹沢山塊にも箱根山にも雲がなく、くっきりと良く見えるのですが、富士山は北西の風の影響で傘雲と言えませんが、雲が纏わり付いていて山頂は見えません。墓所は坂を上がった処にあり、富士山は見えますが、山頂と左斜面は残念ながら雲に隠れていたのは残念でした。墓所の供花とお線香は、冨士霊園の「お仏壇の長谷川」で購入しましたが、正月は清らかな白菊を供花としている様でした。上空は快晴ですので、良く日が当たっていましたが、時々強くて冷たい北西の風が吹いて寒さが堪えました。何時もは、インスタントラーメンを作るのですが、風も強く寒いので、持って行ったカマンベールチーズをクラッカーに挟み、暖かい珈琲と剥いたリンゴで、慎ましやかな昼食を取って、亡くなった家内に新年の挨拶をしました。暫く墓前にいましたら、帽子が飛ばされそうな強風が吹いて来ましたので、「又来るね!」と、お暇することとなりました。
2017.01.05
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私が住んでいる多摩市の尾根幹線からは前に丹沢山塊が横たわって、富士山は山頂付近しか望めません。少し北に移動して、多摩市でも京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅や、多摩モノレールに乗って「万願寺」駅に行きますと、丹沢山塊が南にずれ込んで呉れて、富士山の裾野を眺めることが出来るのです。車に乗って日野橋を渡り、川沿いの側道から適当な駐車場に車を停め、川岸から富士山を望みましたら、北裾野が綺麗に稜線を見せてくれました。川のせせらぎ(細流の音)を聴きながら、遠くに富士山を望むのは乙なことでした。
2016.12.26
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昨日は孫娘達のお稽古発表会が東京FMホールでありましたので、行って来ました。場所は半蔵門前、国立劇場の隣にありましたが、到着が早すぎたので半蔵門を見に行きました処、警察車両が2台待機して警戒していました。昨日は、天皇誕生日の祝日で、一般参賀で宮城に入ることが出来るのですが、半蔵門は閉鎖状態でした。却って、入れない場所の方が不審者の侵入を予測して警戒しなければならないと言うことなのでしょう!東京FMホールは、天井が高くて3階付近から上は木材板を貼り付けているので良いのですが、1階部分はコンクリート壁で、反響が大きく良いホールとは言えない様でした。孫娘のヴァイオリン演奏は、1年の稽古で上達を見せていて、ボーイングする右手の柔らかな動きには感心させられました。5才から稽古を始めますと、手首の柔らかさが生きて来る様で、「ヴァイオリンは幼児から始めないと駄目!」と一般的に言われていることが分かった気がしました。
2016.12.24
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昨日は、日中気温が15℃を超えたので、散歩に行くことにしました。狙いは寒牡丹、この時期には数本の寒牡丹が設えてあったと記憶していましたので、町田ぼたん園に行ってみました処、案の定、入り口には鉢植えの牡丹がありました。しかし、園内には寒牡丹は設えていませんで、作業員の方々は、木々の寒さ備えの準備で添え木の設置などで忙しく働いているだけで、思惑が外れました。強風が吹いていましたが、木枯らしではなく東風とも思われましたものの、風が巻いていて定かではありません。そこで一番低い場所にある日当りの良い芝生広場のベンチで珈琲昼食としました。動画でも撮ろうかと、周囲を観察しました処、時々強風が吹いて木々の木の葉が引き千切られる様に、最後の落葉が続いていました。Machida Peony Garden in December山茶花以外の花はなく、園内は訪問客が稀で、閑散としていました。
2016.12.10
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昨日は、冷たい木枯らしが吹いていましたが、雲ひとつ無い快晴でもありましたので、冬の陽だまりを見つけに行きました。尾根緑道に続く、都立小山内裏公園の中で一番低い場所にある大田切池、周囲のサンクチュアリの丘と木々に守られて、木枯らしも防げて絶好の陽だまりになっていました。この池には立ち枯れの木々が多数あり、魚の絶好の棲家にもなりそうにも思われるのですが、冷たい季節の所為か、魚や水生生物の姿は見えません。子供達がそれらに興じて遊ばないと言う為の意識的な施策なのかも知れません。大田切池は大田川源流にあたり「大田川が切れるところ」という意味を持っています。枯れた杉木立は、もともと川岸にあったもので、池ができることで枯れ木立となり、印象的な景観を形作っています。大田切池周辺はサンクチュアリ地区に指定され、貴重な動植物の宝庫となっています。近頃は、小さな子供達が池に嵌って溺死する事故がありますので、周囲の擂り鉢状の坂上には厳重な柵と、危険注意の警告板が設置されています。
2016.12.07
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昨日は、少し寒風が吹いていましたが、小春日和と感じましたので、小山田緑地を散歩することにしました。調整池が3段となっている散歩道は、クヌギの葉が落ちて、明るくなっていました。此処は、7年前の9月中旬に家内の人生最後の散歩になった場所なので、思い入れがあるのですが、もうトラウマと言うものはありません。展望広場で、直下に広がる宅地群の向こうに丹沢山塊を眺めつつ、珈琲休憩です。残念ながら、南端の大山は見えますが、最高峰の蛭ヶ岳、その奥に見える筈の富士山は雲海の中です。帰り道、一番下段の調整池の木の梢に、カワセミが留まっていました。此処は、干上がることが多い、下段の池ですので、小魚は住んでいないのですが・・暫く留まっていましたが、餌のいないことを確認したのか、池に飛び込むこともなく、何処かへ飛んで行ってしまいました。
2016.11.30
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昨日は、久しぶりに親戚を訪ねて、茅ヶ崎市浜見平団地に行ってみました。この団地は1963年完成で、5階建ての建物が道路の両脇に建ち並ぶ、大きな団地でしたが、50年を経て、再生計画がほぼ完成した様子でした。北西側の一部には、取り壊しの終わっていない古い建物が見えましたが、其処以外は、8階建ての明るくシリコーン塗装された建物に変貌していました。他の団地再生に例に漏れず、敷地の一部を民間に売却して、5階から8階に変更することで居住者を増やして、10年以上に亘って旧居住者の家賃負担を軽減させつつ、新居住者の負担に合わせて行くと言う再生計画は居住者の合意を得た様でした。只、旧団地には散歩道に沿って、桜やケヤキ等の大木があったのですが、移植せずに伐採されてしまっているのは、一寸残念なことでした。よく行く三鷹市の三鷹台団地は、浜見平よりも1~2年早い団地創生でしたが、大木の移植が多く為されて、森の気配がしつつ、新しい建屋が建ち並ぶ団地となっていて、こちらの方が素晴らしいと思うのです。こちらでは民間への売却が敷地の1/3と大幅で、手元資金が潤沢で、手間と費用の掛かる移植も厭わなかったのでしょう。結局、この違いは再生計画担当者の「古いものを残す」と言う信念と環境への配慮の差かも知れません。
2016.11.21
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昨日は、天候も回復して快晴で、寒さも和らぎましたので、散歩でもしようと、多摩川河川敷に行ってみました。実は、この前認識した胡桃の木肌を覚えて、桜ヶ丘公園に行って探してみたのですが見つからず、再度確認するのが目的でした。「白い木肌に縦皺のある、コナラに似た樹木」と言うこの前の認識が、どうも誤っていた様で、灰色の目立たない樹皮だったのです。河川敷には胡桃の木がかなりあって、オニグルミかヒメグルミかは定かではありませんが、数えただけでも6本以上、日当りの良い場所に自生していたのです。未だ枝には、胡桃の実がなっていましたが、大半は落ちていましたので、折角だから飾っておこうかと思って、拾って来ました。手前の緑色は果肉が付いているクルミ、残りは種だけになって落ちていた胡桃です。河川敷には、積層になった白い石もありましたので、これぞ小さいながら、本当の石英片岩と拾って来て、一緒に撮影しておくことにしました。
2016.11.13
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昨日は、立冬で暦の上では冬到来と言うことらしいのですが、日中は暖かく、秋の風情は未だ楽しめます。相模湖の紅葉が盛りとのTV情報を得て、行ってみようと出掛けましたが、途中の津久井湖城山公園の「花の苑地」駐車場に車を停めて、近くを散策してみました。相模湖よりも標高が低いので、紅葉は盛りでは無いのですが、季節は迫って来ている様でした。苑地を散策していましたら、無料の「城山湖散策絵図」パンフレットが手に入り、標高375mの山頂部城跡までは、それ程時間を要しないと思いましたので、それではと登り始めました。取ったルートは男坂とされる急峻なルートで、岩場やクサリ場があって、一向に山頂に到達できずに閉口しましたが、急がずに途中何回も腰を下ろして珈琲休憩をしつつ歩を進め、漸く飯縄神社と言う処に到着しました。此処からの山頂部城跡へは比較的に楽なルートになり、1時間以上掛けて、漸く到着しましたが、石碑があるだけの広場でしたので、一段下がった眺望の利く処から、橋本方面を見てみました。低いながらも、森林浴が楽しめる良いトレッキングルートでしたが、女坂コースもあり、下山に際しては、そちらのルートでは体力的に楽で、30分で下山することが出来ました。神奈川県立津久井湖城山公園は、城山ダムの両岸と、戦国時代の山城、津久井城跡を利用した公園です。山頂部では「本城曲輪」「米曲輪」「米蔵」「土蔵」などといった伝承地名をもつそれぞれの地点があり、本城曲輪には遺構がなく、記念碑が建てられている。
2016.11.08
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この処、日中は晴れて穏やかな天候が続いていますが、未だ11月上旬ですから小春日和と言うには一寸早すぎる様です。昨日は、バラフェスタが終わり、正門近くに菊花展のテントが設営されているだろうと思いつつ、改装が5月に完了した大温室を訪れることにしました。中は自然光の取り入れが多くなったのか、明るくなり、中庭が無くなって以前は出口付近にあったベゴニヤ、ランの展示室を移設、出口付近には世界自然遺産となった「小笠原植物室」とサボテンを展示する「乾燥地植物室」が設けられていました。目当ての黄色い椿「金花茶」は、未だ蕾が固くて開花には程遠い様でした。バラ園から見る大温室は、以前と印象は変わらない感じです。バラフェスタが終わっていますが、未だ沢山のバラが咲いていて、一番好きなブルー・バイユー(Blue Bayou)は藤色の花を咲かせていました。バラの季節を終えて、仮テントでは切花や鉢植えが値段を下げて売られていましたので、小さな黄色バラの鉢植えを300円で購入しました。40年も前に家族連れで楽しんだ大芝生広場に行ってみましたが、中央付近にあるパンパスの植え込みはその時と変わらずに、刈り込まれることなく残っていました。それどころか、植え込みの大きさは5~10倍ほど大きくなっている印象、パンパスは外来のススキに似た雑草で、生命力が旺盛なのでしょう!
2016.11.06
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高幡不動尊は真言宗の古刹で、関東三大不動尊の一つとされています。境内にある裏山は多摩丘陵の西端となっていて、真言宗の祖である弘法大師を敬服して、その四国八十八ヶ所巡りを短時間で実感出来る様に、山道に石造りの地蔵仏像が87体設置されています。巡り道入り口には「熊本地震募金箱」がありましたので、復興の祈りを込めて小額を入れてミニ巡礼が始まります。短い処では数メートル、長い処でも30メートルの間隔で、札所が山道に沿って配置されていますので、約1時間で巡ることが出来ます。一番札所は徳島県の霊山寺の筈ですが、各札所には寺の所在が記載されていますが、畏れ多いのでしょうか寺の名前は書かれていません。徳島県が24ケ所、高知県が17ヶ所、愛媛県が24ケ所、香川県が23ヶ所となっていて、途中最西端の尾根道からは、住宅地の向こうに奥多摩の山々を望むことが出来ます。昨日は絶好の快晴で、寒くも暑くも無く、山道散歩も気持ちの良いものでした。最後の88番札所だけは、境内中央にある堂前に設置されていて、お礼の寄進をすることになっていました。総延長距離は、多分2kmにも満たず、1時間程の散歩が終了となりました。
2016.11.05
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先日、持ち帰った石英片岩と思われる岩石は、乾いて来ると半透明とも思われた箇所が不透明となって、一寸も石英片岩らしくなくなりました。多摩川の上流には小河内ダムで堰き止められた無奥多摩湖があって、その下流の御岳渓谷でも変成岩箇所は無いと思っていますので、違うかも知れません。私は、岩石集めは趣味ではありませんが、白い石、緑の石や赤い石には興味があって、手ごろな大きさの石が見つかると、持ち帰って暫く室内で観賞し、その後は庭に放置して置く習慣があります。其処で、石英片岩らしき岩石を見つけた多摩川の大丸堰に再度行って、河川敷で緑色や赤色の石を探って、歩き回ってみました。残念ながら、緑色は見つかりませんでしたが、赤い石は結構な数見つかりましたので、その一つを持ち帰って、洗ってみました。一寸赤黒いのですが、紅簾片岩とも見えますが、荒川の長瀞の秩父赤壁で知られる種類で、多摩川上流には無い筈ですので、これも違う可能性は捨て切れません。念のため、二つ並べて写真と撮っておくことにしました。やはり、石英片岩でも、紅簾片岩でも無いかも知れません!
2016.10.29
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昨日は快晴、一昨日とは異なり夏日となりましたので、多摩川大丸堰付近の河川敷を散歩してみました。冬の準備をしているのか、草刈機の音がして、何処其処、草が綺麗に刈り取られていて、気持ちの良い河川敷になっていました。歩いていますと、雑草が無くなったのを待ち兼ねていたのかは分かりませんが、小さな木の実を拾っている人に会いましたので、聞いてみますとクルミを拾っているとのことでした。「オニグルミとヒメグルミがあるのだが、ヒメグルミのみを拾っている」と言うので、何故と聞きますと「オニグルミは皮が硬く、又実を上手く採れないので・・」と言うのです。其処で、オニグルミとヒメグルミの違いを教えて頂き、拾う手伝いをしつつ、オニグルミを数個持ち帰ることにしました。右の1個がヒメグルミで、残りは全てオニグルミですが、随分大きさが異なります。近くの府中郷土の森博物館内の雑木林に胡桃の木があると言うのは、係員に聞いていましたが、知見が無く、胡桃の木を特定出来なかったのです。この辺りには、胡桃の木が自生しているのかも知れませんが、河川敷に生えているのを初めて知りました。それを知る人に出会えるのは幸運なことで、今後はクルミの木を特定することが出来そうです。
2016.10.27
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昨日午前中は、真綿雲やら巻雲が薄く青空に広がり、秋の気配が感じられ何処かトレッキングに出掛けることにしました。一番手近なのは、揚水発電の貯水池として知られる城山湖、その湖周1周コースは2時間で踏破出来ますので、珈琲と果物を持ち、途中のガソリンスタンドでホットドッグを買ってリュックに詰めて行きました。天気が良く、外歩きには快適な気温でしたので、駐車場は満杯状態でしたが何とか空き場所を見つけ、リュックを背負い、ストックを持って周回コースを歩き出します。本沢ダムは、ダムとは言え、放水機能が無い土手ですので、岩石を積み上げたロックフィルダムとなっています。土手の雑草が刈り取られて、その下の運動場からは野球をしている人達の歓声も聞かれ、将に秋を堪能している様でした。久しぶりのトレッキング、体力低下を実感しつつ、途中2回の珈琲休憩を入れて漸く、松見休憩所の到着、其処は相模原市ではなく、町田市の最高峰である標高364m草戸山の山頂になっていますが、眺望は殆ど利きません。昼食休憩後、残りは半周ですが、上り下りの激しいコースですので、低下した体力に自信を持てず、元来たコースを戻ることにしました。老齢となると、あまり無理をしないことも大事なこと、次回に1周コースを踏破すればよいと考えたのです。
2016.10.24
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町田市の谷戸にある万松寺は開山600年を超える古刹で、「臨済宗建長寺派 小野山 萬松寺」となるらしい。境内の本堂前には一際目立つ大きなカヤ(榧)の木が聳えています。カヤ(榧) は将棋盤用の最高級木材として知られていますが、高さに較べて横枝数が多く無い割合珍しい樹木だと見上げてしまいます。張っている横枝が疎らで、それが良いのか毎年スズメバチが巣を作るので注意しなければなりませんが、もうスズメバチは巣立ちしたのか見当たりませんのは幸いでした。掃き清められた砂利庭には、沢山の実が拾う人も無く、散らばって落ちていました。カヤの実から絞られる油は食用、灯火用に使われる他、将棋盤の製作過程で塗り込まれ、将棋盤のメンテナンス用品としても使用されるとのことでした。カヤ(榧) は、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹で、日本の東北地方から屋久島にかけての地域、朝鮮半島に分布する。雌雄異株で、幹は直立し樹高は20m、周囲は3mほどに、樹冠は幅の広い円錐形になる。成長は極めて遅いが寿命は長い。耐陰性が強く樹林内部であまり日の当たらないところでも育つことができる。花期は4−5月頃。雄花は長さ1cmほどの楕円形で、前年に出た葉の付け根につく。雌花は新枝の基部の葉の付け根に2個つくが結実するのは通常そのうち1個のみである。種子は緑色の厚い仮種皮に包まれている。花の咲いた翌年の秋に紫褐色に熟する。日本最大のカヤは、福島県桑折町にある万正寺の大カヤ(樹高16.5m、幹周8.7m、推定樹齢900年、福島県の天然記念物)である。
2016.10.17
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昨日は久しぶりに快晴で気温も上がりましたので、川沿いを散歩してみようと、「府中郷土の森博物館」に車を留め、「府中の森公園」から多摩川の大丸用水堰に行ってみました。多摩川は渇水で、水面が下がって、魚道も干上がってしまい行き場を失ったのか、小さな幼魚が浅い処を沢山泳いでいました。堰を歩いていますと、水面下に白い岩石を発見、どうも石英片岩と見えましたので、持ち帰ることにしました。荒川水系には長瀞と言う変成岩の名所があって、緑泥片岩や石英片岩等が多く見つかり、それらが層状に重なった岩石となるのですが、多摩川水系では上流にも変成岩の名所は無いと思いますので、違うのかも知れません。トレッキングでは記念として石を持ち帰ることもありましたが、河川敷を歩いて水石を探すのも一興か思いつつ、久しぶりに石を持ち帰りました。石英片岩は、プレートの沈み込みにより、海洋底に堆積したチャートが地下深くに運びこまれた時、高い圧力と温度で石英を主成分とする岩石として再構築され、一定方向に割れる性質を持ったものです。 石英片岩と言うので石英ばかりかと思いきや、へき開のある鉱物が混ざっていることが多く、緑簾石や紅簾石等の変成岩等で、比較的綺麗な層を見せてくれます。
2016.10.16
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先日、横浜の寺家村近くに住む知人を誘って、その広い谷戸を散策しようと出掛けました。その知人は、私の家内が亡くなる前ですから7年以上前に、胃癌の切除手術を受けたのですが、時々調子を崩して散歩に出掛けられなくなったと言うので、強引と思ったのですが誘ったのです。寺家村の入り口近くにある「四季の里」は、火曜日での定期的なお休みで、残念ながら昼食を取ることは出来ませんでしたので、コンビ二のオニギリで済ませる他ありません。その前の田圃は、丁度稲刈りの時期に来ている様でした。しかし、稲穂は垂れても、昆虫が一匹も見えないのです。谷戸の奥は、もう稲刈りが済んで、束ねて塔状にして立てたり、干し竿に吊るし掛けたりしていました。しかし、ウンカは兎も角、トンボもイナゴもいないのです。寺家村には、学習田と称する小学生用だったり、NPO法人用だったり、と殆ど放棄されること無く、耕かされているのですが、収量増産を旨として農薬が噴霧されているのかも知れません。学習田こそ、自然のままに、収穫量を目指さずに、トンボも飛び回り、イナゴも多数跳ねているのを体験させるべきだと思うのです。このままでは、日本の里山は、自然から逸脱してしまう危機的状況なのではと心配するばかりです。
2016.10.07
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2009年10月末に亡くなって7年経ちますと、悲しさはありませんが、人生を共にしたパートナーでしたので、供養を忘れてはいけないと思うばかりです。庭からピンクのバラを切り取って、萩焼の花瓶に挿して、仏壇横に飾りました。バラは、随分昔に家内が植えたもので、2本の椿の樹間で日当りが良くないのですが3m迄高さを伸ばして毎年咲いてくれますし、花瓶は家内の実家から家内が持ち帰ったもので、親しんだ物で供養になると思ったのです。今朝は9時半に家を出て、厚木ICから新松田ICまで東名を使って、冨士霊園まで行って来ました。冨士霊園は片道2時間を要する遠い処にありますが、至って管理の行き届いた墓園で、入口のアクセスは広くて手入れの行き届いた松並木が迎えてくれます。墓所には玄武岩の砂利を敷き詰めてありますので、雑草は1本も無く、面倒な草取り等は必要ありません。墓の形式も種々あって、我が家と隣り合わせになっている墓には家名よりも、人生への想いを重く観て「晴好雨奇」と刻んであります。「人生は晴れも好いのだが、雨の時期も奇特なものだ」と達観したのでしょうか、その他の墓を見ますと色々あって、「愛」や「絆」等を刻み込んだ墓碑が多数見られます。家の伝統が希薄となり、未来へ向けて永年管理されることが無くなって来ますと、自分の想いを刻んで、暫く持ち堪えれば、その後の処置については「与り知らぬ」と言うことで納得しているのかも知れません。
2016.10.06
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先週の土曜日、小山田緑地の管理事務所に行って、蛍の様子を聞きましたら、今年は例年より早く舞い出しているとのことでした。あさざ池を中心にして、各所で数は多くないのですが、飛んでいるらしいのです。昼間、あさざ池を訪れて見ましたが、蛍を見つけることは出来ません。例年、公園では無い私有地の田圃の上から隣接する茂みにかけて、多数の蛍が観られるのですが、今年は田圃の田起し作業の途中であって、未だ水張りがされておらず、蛍はいないとのことでした。正面奥の林に、湧き出す泉があって、田の側溝を流れてあさざ池に達するので、その清流がカワニナを生み、蛍を育てているのです。人の手の入らない、蛍の環境が何時まで続いていけるのか心配しています。側溝からあさざ池に至る小川の土手が崩れているので、補強工事がされつつあり、自然そのままの環境では無くなりつつあるからです。以前には、アブラハヤが多数泳いでいたのですが、補強工事で見られなくなってしまいました。自然環境とは至って脆弱なものの様です。
2016.06.01
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三鷹台団地に、1973年2月から7年間住んだこともあって、家族4人でよく玉川上水を散歩がてら、井の頭自然文化園に行きました。其処には、小さな遊園地、小さな動物園、蝶の舞う大温室、北村声望の長崎平和記念像の原型展示建屋、等があって小さな子供連れ家族には格好の遊び場でありました。動物園の中で、一番の注目は象のはな子さん、この写真は多分1976年頃で、未だ々元気だったと思います。今回のはな子さん、69歳での大往生、よく楽しませて頂きましたとお礼を言いつつお別れをさせて頂きます。象のはな子は1947年にタイで生まれ、名前は「カチャー」、2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年9月4日に恩賜上野動物園に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」の名を継いで「はな子」と名付けられた。上野動物園には、「はな子」到着後の1949年9月25日にインドから贈られた「インディラ」も到着し、年末までに100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた。翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていて、「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された。「はな子」は1980年代に歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていない。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだ餌が与えられていた。近年、飼育員が鼻で転倒させられ、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に、飼育方法が、直接飼育から、柵越しに世話をする準間接飼育に改められた。2016年5月26日に死亡。
2016.05.27
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通常は時間短縮の為、東名高速を通って冨士霊園に向かうのですが、新緑の季節で山道をゆっくり行くことにしました。相模原市の橋本市内を通って、三ヶ木(みかげ)を経由して、道志道に入ります。このルートは家内と山中湖の富士の絶景を観に行くのによく通ったもので、久しぶりでした。処々、山道で道幅が狭くなって、運転が慎重となりましたが、60才代は別に気にも留めなかったのですが、70才代ともなりますと咄嗟の瞬発力に衰えを感じざるを得ず、情けないのですが、事故を起こす懸念が増しているのですから仕方がありません。道志道は渓谷が深く、対岸へは吊橋が掛かっている処があり、そこで暫し休憩することにしました。其処は渡り終えると、大室山への登山ルートでもあるのですが、誰一人に出会うこともありませんのは、人気が無いルートなのかも知れません。吊橋の中央から眺めますと、山深く、新緑の美しさは格別です。警告の深さも相当なもので、綺麗な清流が数十m下に見えますので、吊橋が揺れることもあり、高所恐怖症の人にはお勧め出来ません。道の駅「道志」を経て、県境の山伏トンネルを潜りますと、山梨県山中湖村、春霞にも拘わらず、相変わらずの絶景を楽しむことが出来ました。山中湖ICから東富士自動車道に入り、籠坂トンネルを抜けると「須走」で、街中から再び山道を経て冨士霊園に辿り着きました。山道で道草も食いましたが、通常より30分余計に掛かっただけでしたし、新緑のドライブを心行くまで楽しむことが出来ました。
2016.04.27
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機関とは古くは原動機と言われたエンジンのことで、蒸気タービンやガスタービンを設計製造したグループのOB会に行って来ました。陸側工場敷地にはオフィスビル群が建ち並び、海側工場敷地には高層マンション群や遊興施設や結婚式場も出来て居住地区に変貌し、若い家族連れが歩き回っていて、昔の4K職場の面影はありません。蒸気タービン試験場は、今や芝浦工業大のキャンパスに変わっていますが、出入り自由になっていますので、昔懐かしく行ってみました。左右に走る通りは、昔はタービン通りと呼ばれ、工場内の通行路でしたし、本社ビルは研究所棟があった場所で、1階部分は店舗空間、OB会は2階の食堂で行われました。メンバーの高齢化もあり、1昨年に3名、昨年に4名亡くなり、今年の出席人数は32名に減ってしまいました。最高齢は91才、最若年が60才代後半なのですから、メンバー減少は仕方が無いのですが、青春を投じた仲間と歓談出来るのは感慨深いことだと思いつつ、メンバーに入っていない人達にも加入を呼び掛けてみることにしました。
2016.04.18
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春になりますと水辺が心地良く感じられる様になります。日曜日に多摩川に行ってみましたら、多くの団体や家族連れが川原でテントを張ったり、バーベキューをして楽しんでいました。川の流れをよく観ますと、通常腰の高さ迄ある1mあるべき水深が無くなって、魚道も干上がっていて、子供達の格好の遊び場となり、行き場を無くした水溜りで魚などを捕まえていました。これでは鮎の遡上も出来なくなって、大いに生息環境も変わってしまいそうです。魚道に併設されているコンクリート突起群、これは多分海老などの甲殻類や鰻など跳ね上がれない魚の川上がりを助ける装置などでしょうが、水量が少なくなって流れずに全く機能していません。今冬は、雪も少なく降雨量も少なかったので、このような事態になったのでしょう。渇水の報道は、今のところありませんが、日本も世界の例に漏れず、今夏の水不足が思い遣られます。
2016.04.12
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NHKBSにて関口知宏のチェコ10日間鉄道旅を拝見しましたが、温泉地のカルロビバリを起点としてチェコを1周する旅で現地の人との触れ合いもあって面白い番組でした。カルロビバリでは、人々が飲泉カップで温泉水を飲みながら散策する様子が放映されていて、11年前に大分県の長湯温泉に行ったことを思い出しました。其処で、飲泉カップを2個買って、炭酸温泉水を飲んだことがあったのです。私が藍の染付けカップ、家内が色絵付けカップを買ったのですが、私用のカップは行方不明となっていて、家内のカップしか見つけられません。日本一の炭酸泉が湧くと言われている長湯温泉、湯布院温泉から山間を抜けて約40分で行ける大分県直入郡直入町大字長湯にあります。重炭酸塩イオンとミネラルが豊富な長湯の湯は、慢性胃腸病や貧血等に飲泉効果があるそうで、町内5個所に飲泉所を設け大々的にその宣伝をしています。左に見える円柱のある踊り場には飲泉口があり、右にあるアーチの上からは温泉が常時流されています。踊り場の天蓋には「1990Kolonado(1990年建設飲泉所)」と書かれていて、大分県の一村一品運動でドイツ温泉各地との提携を模索した様で、レンガ壁にはチェコのカルロビバリ(ドイツ名ではカールスバード“皇帝の温泉”、ベートーベンが療養したことでも知られています)、ドイツのバーデンバーデン等各温泉地から寄せられた挨拶状がエッチング銅板パネルとして貼り付けられていました。町ではドイツ風飲泉カップも各種売られています。小さなカップは1500円、中カップで1800円、こちらは後で洒落た一輪挿になるかも知れません。これを手に持ち右上の吸い口から温泉を飲みながら散策すれば、まるでドイツ温泉街の雰囲気となるのですが其処までする温泉客はいない様でした。平成10年には町営の御前湯がドイツ風木造建造物にリニューアルして設備整備も充実して来ていますし、飲泉治療に拘らない日本のカルロビバリとして、土産物屋等を少なくして、発展すれば良い保養地になるだろうと思われる良い温泉郷でした。
2016.03.20
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昨日は薬師池公園のかいぼり作業最終日と思い、薬師池公園に行ってみましたが、記憶違いで10日後の3月18日の様でした。それでも最終段階の様で、池周辺だけでなく、蓮田、菖蒲田、古民家、散歩道の舗装、等公園全体が整備されつつありました。蓮田は大賀ハスの蓮根が掘り起こされて養生をされていますし、周辺に植栽されている熱海寒桜が6~7本、見頃を迎えていました。池周辺は未だ工事による通行禁止の標識とオレンジ色の工事柵が多く、散歩には不都合でしたが、池には水が戻っていました。未だ、鯉やら亀等の生物が戻っていない所為なのでしょうか、水は半透明で、底に設置されている浄化循環用のパイプが見える程綺麗になっていました。古民家の萱葺き屋根も整備されていて工事は終了となっていましたし、6ヶ月間に亘った公園リノベーション作業も最終段階、近々気持ち状態の散策を満喫出来そうです。
2016.03.09
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朝晩は冷え込みますが、昼間は暖かくなり、梅の季節は終わろうとしていますし、今週末が「梅祭り」の終了日と言うことで、久しぶりに府中郷土の森博物館に行ってみました。遅咲きの「思いのまま」と言う種、紅白梅が一本の木に一緒に咲くので知られていますが、ほぼ満開になっていました。南側の多摩川に沿った散歩道でも、全ての梅が開いていて、爛漫の様子です。右側は丘になっていて頂上には吾妻屋がありますので、西方に富士山が見えることを期待して登ってみましたが、樹木が邪魔して見えません。其処で、多摩川の沿道にあるフェンスから西を望みましたら、土手の向こうに富士山が見えました。気候も暖かくなりましたので、土手に沿って、のんびりと測量している様子もあり、いよいよ春到来となりつつあります。
2016.03.03
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2015年9月3日から2016年3月18日まで、池の生物の排出物や底にたまった堆積物により悪化した薬師池公園の池の水質を改善するべく、「かいぼり」が行われています。工事説明板によりますと、従来の砂や砂利を利用した伝統的な水の浄化装置が年月を経て機能しなく、炭素繊維の浄化装置に換装するとのことでした。掻い掘り(かいぼり)は、池や沼の水をくみ出して泥をさらい、魚などの生物を獲り、天日に干すことで、栄養塩類を含んだ泥や水を排出し、また池の底を空気にさらして微生物による分解を促進することで、水質を浄化する効果がある。池の周りにオレンジ色のフェンスが敷かれ水辺の風景がありません。この時期は、水辺の宝石と言われる「カワセミ(翡翠)」が飛来して、小魚を取る様子が観られるのですが、今年は残念ながら望むべくもありません。それでも、ようやく来月には、綺麗な水辺が再現されると言うことなので楽しみです。薬師池は谷戸の寒い地帯に位置していますので、梅林は漸く見頃となり、見物客も多くなりました。梅は古民家によくマッチしています。
2016.02.22
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丁度見頃なのか、平日にも拘わらず、通常の駐車場は満杯とのことで、酒匂川河川敷に誘導されました。其処からは丘の上にある河津桜林がピンク色に見えましたが、河川敷からは30分歩くのか、臨時バスを利用するのか、どちらかとのことでした。住宅地から246号線橋脚の下を通って、丘の上まで登って行きましたら、息が切れ眩暈がするほどで、一寸座って疲労回復をしなければなりませんでした。僅か100m程の高低差なのに、体力の衰えは隠すべくもなく、老人になると言うことは情けないなと実感した次第です。伊豆半島の河津町よりも湘南の松田町の方が、気候が温暖なのでしょうか、河津桜は見頃を迎えていました。酒匂川の向こうに見える富士山と相俟って、美しい景観を楽しむことが出来ました。
2016.02.20
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今日は北区西ヶ原にある介護施設に2年余入居している先輩を訪問し、帰りにその近くにある旧古河庭園に立ち寄ってみました。入園料は65才以上ですと半額の70円と真に手頃でした。本館とその近傍のフランス庭園はイギリスのコンドル氏の設計、低地に位置する心字池を含む日本庭園は京都の庭師である小川治兵衛の設計施工である様で、和洋折衷ですが、丘上が西洋式、丘下が和風となっているので違和感はありません。池の周りを散策しますと、数m高さの巨大な石灯籠が多く配置されて目に付きました。石造りの本館に負けるものかと言う日本人庭師の気概が感じられる思いがしました。
2016.02.13
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寒さが遠退き天気が良く、33年目の命日も近くなりましたので、義兄の墓参りの為、藤沢市大庭台墓園に行くことにしました。距離はそれ程遠くないのですが、町田市から246号線に入り、それから県道467号線を使うことで、何処も休日の混雑状況は避けられず、片道2時間を要しました。大庭台墓園は住宅地の中にあり隣は藤沢西高校ですが、墓園内は芝生墓地も多く、植栽に沿って散歩出来る様に休憩所も設けられていますので、陰気な感じはありません。此処は通常の縦の墓石が並んでいる区画、それでも日が燦燦と降り注いで、明るい雰囲気となっています。剪定鋏を持って行き、墓石前の2本のイヌツゲを丸く剪定し、供花と線香を焚いて無沙汰を詫びました。隣の墓所は、30年以上経ちますのに未だ墓石が見えません。余ほど若い時に購入したのか、又は健康寿命に恵まれているのか、等と考えつつ、義兄の墓前で昼食を取り、珈琲を楽しんで、日光浴をしつつ暫し時間を過ごして、墓園を後にしました。帰りも467号線大和付近の混雑は解けず、往復4時間を要しました。カーナビ推奨の16号線から1号線経由が正解だったのでしょうか?
2016.02.11
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暖かさに誘われ、多摩丘陵の谷戸を散策することにしました。町田市にある都立小山田緑地の東側駐車場に車を停め、通りを横切って奈良ばい谷戸をゆっくり上って行きました。途中に設けられている炭焼き小屋には、老年男子が多数屯して作業していました。よく観ますと丈を揃えて孟宗竹を束ねた炭焼き素材が沢山置いてあって、木では無く竹炭を作っている様です。竹林は雑木林に比べて成長が早く、管理しませんと雑木林は竹林に変貌してしまいますので、良い管理方法だと思って眺めていました。道沿いには、菜の花畑があって、早咲き種なのでしょうか、春の到来を告げていました。少し泥濘んだ山道を行きますと、小山田城の副城である小野路城址へは20分ほどで到着、珈琲とお弁当で昼食、訪れる人は皆無で一寸寂しい感じもしましたが、往復5000歩程で1時間余、久しぶりに良い散歩となりました。
2016.02.09
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会社時代に仲良くして貰っていた知人から電話があり、「文京区小石川に住んでいる知人友人から招待を受けたので一緒に行きませんか?」と言う誘いがありましたので、同道することにしました。知人とは4年前ほどに会っていますが、その上司であった知人友人とは多分10年ぶりの再会でした。曰く、「町ですれ違っても分からない老人になったね!」と言われましたが、お互いにそうなのかも知れません。事情があって80才間近で離婚訴訟を起こされ今は独り住まいとのこと、人生とは分からないもので、しかし親の遺産もあって暮らし向きが悠々自適の様子だったのが、せめてもの救いと思えました。2時間ほどお邪魔してお暇しようとしましたら、「最寄り駅の「後楽園」近くの文京区役所ビルに椿山荘が入っているので会食しよう!」と言うことになりました。展望室と同じ25階南側に位置するレストランで、眼下に後楽園ドーム、ビル群から突き出ている東京タワー、遠くに丹沢山塊も望むことが出来ました。3時間ほど会話し、会社時代の話にも花が咲き、午後9時にお別れすることになりました。次回の再会は何時になるか分かりませんが、ご自宅にお邪魔するのではなく、スカイレストラン椿山荘にて集まるのが良いと思いつつ、お暇となりました。文京シビックセンターは、地上28階・地下4階、高さ142mで、東京23区の区役所の中では最も高い建物で、高速シースルーエレベーター10基があるのが最大の特徴。-文京区役所本庁舎-文京区保健所-文京シビックホール-シビックチケット-区議会議場 24-25階中央部に位置-展望室 25階北側に議場を半周囲むように設置され、新宿方向に高層ビル群と並ぶ富士山や浅草方向に東京スカイツリーを望むことが出来、関東の富士見百景に選出されている。
2016.01.28
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海王星よりも20倍離れた楕円軌道を周回する惑星が存在する証拠が見つかったと言うことが報じられています。従来最縁部に位置している海王星の165年公転周期より掛け離れた1万年以上の公転周期とのことで、それでも太陽系の惑星に入るのだと言うのですから驚きです。実際の観測には1~2年は掛かると言うことですから、観測結果を期待しましょう!米カリフォルニア工科大チームは海王星の外側に新たな惑星が存在する可能性があると発表した。実際に観測によって見つかると、準惑星に「格下げ」となった冥王星に代わり太陽系の第9惑星になると期待される。 その惑星は地球の10倍程度の質量があり、太陽から約45億km離れた海王星よりも20倍離れた軌道を回っている。太陽の周りを1周するのに1万~2万年かかるという。木星や土星などと同じガス惑星とみられる。 チームは、太陽系外縁部の「カイパーベルト」と呼ばれる領域の周辺にある6個の天体に注目、太陽の周りを回るスピードや、軌道の傾きなどから計算すると、これらの天体が、大きな質量を持つ未知の天体の影響を受けていることが分かり、新たな惑星が存在すると理論的に示した。そんなニュースに接して、暫くぶりにプラネタリウムが観たくなり、府中の森博物館のプラネタリウムに行ってみました。此処は入場料も400円と安く、投影機が最新型ではありませんが、星空解説は浪漫に溢れて、俗事を超越出来るのが魅力となっています。今日は寒さも少し緩み、梅林の八重野梅も見頃となっていました。
2016.01.22
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今朝は冷えて車は真っ白に霜が降りていましたので、ヘラで窓にあった硬い霜こそぎ落として、午前8時40分に家を出て府中の運転免許試験場に向かいました。8時半に免許試験場が開きますので一寸遅いかと思ったのですが、9時10分到着しましたら、1ヶ所の駐車場は満車でしたが、もう1ヶ所の駐車場には運よく空きがありました。昨年10月に高齢者講習を受けていますので、所定の更新料2500円を納付して、免許更新申請書に記入し、視力検査を受けますとそれで完了、新たな講習を受けることなく午前9時半に終わりました。免許交付が午前11時と言うことでしたので、試験場北側にあります都立武蔵野公園を散策してみましたが、思ったより大きな公園で樹木類も大きく、桜並木や雑木林もあって、国木田独歩宜しく武蔵野の面影が偲ばれました。午前11時に有効期間3年の高齢者免許を取得しました。帰るべく駐車場に行ってみますと駐車待ちの車列が長蛇の列となっていましたが、寒さにめげず、やはり午前9時に行ったのは正解の様でした。昨年10月の講習診断では「70才では判断力、運転操作は普通、30~59才と比べますとやや劣る」となっていますので、安全運転に気をつけなければなりません。車がなくなりますと不便になることは避けられませんが、次は77才ですから認知症検査もありますし、どうなるのか成り行き任せで様子を見ようかと思っています。
2016.01.14
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数日前、天気も良かったので、中学時代の恩師墓に行ってみることにしました。カーナビに目的地をセットしますと、カーナビよりも分かりやすいルートがあるのにと思いつつ、要は小金井街道を北上して新青梅街道に入り、細い側道を経て、本願寺ひばりが丘墓地に行くように指示されましたので、その通りにした処、予定所要時間は1時間強、武蔵小金井駅付近は混雑していましたが、ほぼ予定通りに到着しました。アクセスする北側側道が細くて車のすれ違いが難しかったのですが、道路拡張工事が進められていて、近々もっとアクセスが容易にはなる様でした。中核となる東本願寺管轄墓地でも未だ募集中、その他60余のお寺の墓所では殆ど更地が多く、新設墓園の様に見えなくありません。恩師の墓に、本願寺管理事務所で購入したシキミ(樒)を供え、線香を炊いて、生前の無沙汰を侘びました。没年は1987年、行年68才となっていましたので、私は疾うにその年齢は過ぎています。墓誌には女性で没年1945年3月、行年26才となっているのを見つけました。恩師と同年齢ですから、東京第空襲で最愛最初の奥様を亡くされたのかも知れません。本願寺ひばりが丘墓地は西東京市にあり、西部池袋線「ひばりヶ丘駅」と西部新宿線「田無駅」とのほぼ中間、ひばりが丘団地の西側に位置する。東本願寺が中核となり、その他60に余るお寺の墓所が集まり、ひばりが丘墓地という大規模な寺院墓地団地を構成しています。墓所群の中心に東本願寺のひばりが丘別院の本堂があり、全体の約1/4と面積的には一番広い様です。「ひばりヶ丘」駅から「田無」駅行バスで7分、「田無」駅から「ひばりヶ丘」駅行バスで15分、共に「ひばりが丘団地西口」下車1分となる。 南側を所沢街道、新青梅街道が通っているし、周辺環境は落ち着いた住宅地で、東はひばりが丘団地、南側には東大農学部の附属農場が広がり、のどかな雰囲気に包まれています。
2015.12.11
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昨日夕方の雨模様から、今日午前中は一転して晴れとなったので、近くの小山田緑地に行ってみました。クヌギ林では、葉が半分程落ちて近辺を埋め尽くし、道の所在も判然としません。夏場は、クヌギの幹から甘い蜜が出て来ますので、それを目掛けて昆虫達が襲来、スズメバチも多くて危険なのですが、すっかり寒くなった今の時期は全く見えません。家内と此処に来たのは、2009年9月中旬の暖かい夕刻闘病半年となり、私に車椅子を押されての訪問だったそれから2週間経って、食事・排泄が出来なくなってしまい意識不明に陥り入院、こん睡が続き1ヶ月後帰らぬ人となった落ち葉が散歩を埋める様を見ると、最後の散歩を思い起こす6年が経過していますが、「人はいさ 心は知らず クヌギ葉は 常変わりなく 落ちて秋行く」の心境は、例年通り変わりません。
2015.11.19
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相模原市緑区城山町には、尾根伝いに城山湖湖畔の丘にある金刀比羅宮まで約3kmの手軽なハイキングコースがあって、小松ハイキングコースとして知られています。通常は、宝泉寺裏山にある小松城址から城山湖湖畔まで散策するのですが、昨日は揚水発電所横にある駐車場に車を停め、逆コースで行ってみることにしました。金刀比羅宮付近は、紅葉類が多く紅葉しますと美しいのですが、11月中旬では未だ早かった様です。しかし、見上げますと日当たりの良い一部は紅葉していました。途中には評議原と言われている休憩所があり、片倉城・津久井城・小松城の武将が、落城の相談した場所とも伝えられています。15年程前には松ノ木もあった様な気もしますが、枯れてしまった様で、コナラも数本立ち枯れ状態となっていました。元来このコースは金刀比羅宮への参道だったので急な上り下りは無く、小松城址までは下る一方です。川尻地区に奥に位置する宝泉寺の裏山は小松城址となっていますが、祠が祭られているだけで、往時を偲ぶものは残っていません。このコースは春に秋に家内と共にハイキングしたもので、途中にあった作業小屋も消え、「イノシシ出没」の注意看板が掲示されていましたが無くなってしまいました。月日に拠る変化は絶えずして止まることはありません。
2015.11.17
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昨日は天気も良いので、多摩モノレールと京王線を乗り継ぎ、「もみじ祭り」の高尾山に行って見ることにしました。自宅から出発が10時を過ぎていたこともあって、「高尾山口」駅に着いたのは11時となっていましたが、手軽な山歩きの場所ですので、相当の混雑でした。時刻も遅いのでケーブルカーに乗って行こうとしましたが、長蛇の列で2回待ちとなりました。それでも通常15分間隔で運行するスケジュールが混雑解消の為、7分間隔となっていましたのでそれ程の遅れはありませんでした。山頂駅から本当の山頂に向かって歩き出しますが、紅葉は始まったばかりの様でした。山頂までは薬王院を経由して約40分、平日にも拘わらず、幼稚園、小学校、女子高校の生徒達が、多数下山して来ました。山頂に着きますと、混雑は凄まじく腰を落ち着けるスペースは全て占領されていました。仕方なく、山頂を回る3号路まで降りて、漸くLPGバーナーとコッヘルでインスタントラーメンを作って昼食となりました。下りは、沢コースの琵琶滝を通る6号路を通ろうとしたのですが、混雑の時期は上り専用に変更する様で、下り道は閉鎖と表示されていました。稲荷山コースを下って展望所で珈琲休憩、付近の樹木が生長して眺望が狭くなっていましたが、仕方が無いことなのでしょう。此処からの下りコースは、岩石だらけの急坂ですので、膝を痛めないようにゆっくりと歩いたのですが、下りる衝撃で膝が痛くなって来て困りました。高齢となって膝の軟骨が疲弊して減っていますので、トレッキングには衝撃防止のトレッキングポールと膝当てパッドは欠かせないことを実感することとなりました。
2015.11.07
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町田リス園は薬師池公園に隣接している有料の公園、大人400円、3才以上の子200円、シルバー高齢者300円となっています。大人しい動物と触れ合うことが出来ますので、子供達には人気がある様で、結構何時も混雑しています。魅力は大きなネズミであるハムスターに有料100円の野菜餌を手で与えられること、ふれあい広場と称してウサギを10分間抱っこ出来ること等ですが、最大の売りは四方と屋根をネットで仕切った空間で台湾リスの放し飼い、ここでも有料100円のひまわり種を手袋で与えられることになっています。4ヶ月前の来園時は、午前中でしたので台湾リスも空腹だった様で、餌目掛けて飛び掛って来るので驚きましたが、今回はリス園に入ったのが正午を過ぎていましたので、放し飼いの台湾リスは満腹状態で、餌に群がってくる様子はありません。5才と2才の孫娘、ウサギの一種であるモルモットを抱かせて貰い、大人しくしているモルモットに満足している様子でした。 2ヶ月前には、2才の孫娘は私を見て硬直していましたが、今回は言語不明瞭ですが話しかけて来る様になりました。子供の成長とは速いものです!
2015.11.03
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昨日は冨士霊園の礼拝堂を借りて、家内の7回忌法要を行いました。霊園手配の和尚には納骨法要の時にも来て頂いた記憶はありますが、依頼されたので執り行うと言う、極めて事務的な態度で、般若心経と法要の為の経文を読んでお仕舞い、僅か15分で終了です。菩提寺でも無いので当然なのでしょうが、しかし一寸寂しい気もしないではありません。生前、「晴れ女」でもありましたので、7回忌でも面目躍如、午前中の曇り空が一気に快晴となり、10月下旬とは言え暑い気候となりました。家内が亡くなったのは66才ですから、亡き家内の齢を数えてみますと、未だ72才で元気でいてもおかしくは無い年齢ではあります。家に帰ってテーブルに立て掛けてある26才の肖像、これは私が結婚3ヶ月前に描いた油彩、2年前に五島の家内の実家の中2階から見つけ出したものです。一寸目付きが鋭く、実際より鼻が長くモジリアニー風ではありますが、雰囲気はある様に思われ、話しかけてみました。元より返事はありませんが、7回忌を契機に、もっとしっかり生きなさいと言われている様な感覚に陥りました。
2015.10.19
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雑木林の中腹にありました和風喫茶「青山亭」が再開したとのことでしたので、会食することにしました。雑木林の地主が売却の予定がありますのか、元の「青山亭」建屋はそのまま締め切って残されていて、上り口にはロープが張られていて雑草が生い茂っています。その下の散歩道から、寺家ふるさと村を見ますと、丁度稲刈りが終わる頃で、体験田圃に来たのか、小学生達の声も聞こえます。此処の谷戸は、休耕田も無くよく整備されていて、蛍が住む清流があって水車小屋があり、森あり池ありで、気持ちの良い散策が出来ます。新しい青山亭は、古い青山亭から歩いて5分、寺家ふるさと村入り口のバス道路に面している自宅を増築して、再開しましたので、スペースが半分程しかありません。聞いてみますと、風致地区で建ぺい率制限があって、横浜市から新築建屋は許可されず、増築許可の上限だとのことでした。従来通りのお弁当がありましたが、「点心弁当」と言うメニューではありませんでしたし、食後の抹茶サービスもやっていない様で、一寸残念なことでした。駐車場は庭に3台分設けてありましたが、バス通りから坂をバックで上るので運転が難しく、車は古い青山亭下の散歩道に停めて、歩いて行きました。其処はバス通りでも無いので、通行の邪魔にはならないのです。
2015.10.11
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