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私が住んでいる多摩市の尾根幹線からは前に丹沢山塊が横たわって、富士山は山頂付近しか望めません。少し北に移動して、多摩市でも京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅や、多摩モノレールに乗って「万願寺」駅に行きますと、丹沢山塊が南にずれ込んで呉れて、富士山の裾野を眺めることが出来るのです。車に乗って日野橋を渡り、川沿いの側道から適当な駐車場に車を停め、川岸から富士山を望みましたら、北裾野が綺麗に稜線を見せてくれました。川のせせらぎ(細流の音)を聴きながら、遠くに富士山を望むのは乙なことでした。
2016.12.26
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昨日は孫娘達のお稽古発表会が東京FMホールでありましたので、行って来ました。場所は半蔵門前、国立劇場の隣にありましたが、到着が早すぎたので半蔵門を見に行きました処、警察車両が2台待機して警戒していました。昨日は、天皇誕生日の祝日で、一般参賀で宮城に入ることが出来るのですが、半蔵門は閉鎖状態でした。却って、入れない場所の方が不審者の侵入を予測して警戒しなければならないと言うことなのでしょう!東京FMホールは、天井が高くて3階付近から上は木材板を貼り付けているので良いのですが、1階部分はコンクリート壁で、反響が大きく良いホールとは言えない様でした。孫娘のヴァイオリン演奏は、1年の稽古で上達を見せていて、ボーイングする右手の柔らかな動きには感心させられました。5才から稽古を始めますと、手首の柔らかさが生きて来る様で、「ヴァイオリンは幼児から始めないと駄目!」と一般的に言われていることが分かった気がしました。
2016.12.24
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昨日は、日中気温が15℃を超えたので、散歩に行くことにしました。狙いは寒牡丹、この時期には数本の寒牡丹が設えてあったと記憶していましたので、町田ぼたん園に行ってみました処、案の定、入り口には鉢植えの牡丹がありました。しかし、園内には寒牡丹は設えていませんで、作業員の方々は、木々の寒さ備えの準備で添え木の設置などで忙しく働いているだけで、思惑が外れました。強風が吹いていましたが、木枯らしではなく東風とも思われましたものの、風が巻いていて定かではありません。そこで一番低い場所にある日当りの良い芝生広場のベンチで珈琲昼食としました。動画でも撮ろうかと、周囲を観察しました処、時々強風が吹いて木々の木の葉が引き千切られる様に、最後の落葉が続いていました。Machida Peony Garden in December山茶花以外の花はなく、園内は訪問客が稀で、閑散としていました。
2016.12.10
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昨日は、冷たい木枯らしが吹いていましたが、雲ひとつ無い快晴でもありましたので、冬の陽だまりを見つけに行きました。尾根緑道に続く、都立小山内裏公園の中で一番低い場所にある大田切池、周囲のサンクチュアリの丘と木々に守られて、木枯らしも防げて絶好の陽だまりになっていました。この池には立ち枯れの木々が多数あり、魚の絶好の棲家にもなりそうにも思われるのですが、冷たい季節の所為か、魚や水生生物の姿は見えません。子供達がそれらに興じて遊ばないと言う為の意識的な施策なのかも知れません。大田切池は大田川源流にあたり「大田川が切れるところ」という意味を持っています。枯れた杉木立は、もともと川岸にあったもので、池ができることで枯れ木立となり、印象的な景観を形作っています。大田切池周辺はサンクチュアリ地区に指定され、貴重な動植物の宝庫となっています。近頃は、小さな子供達が池に嵌って溺死する事故がありますので、周囲の擂り鉢状の坂上には厳重な柵と、危険注意の警告板が設置されています。
2016.12.07
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昨日は、少し寒風が吹いていましたが、小春日和と感じましたので、小山田緑地を散歩することにしました。調整池が3段となっている散歩道は、クヌギの葉が落ちて、明るくなっていました。此処は、7年前の9月中旬に家内の人生最後の散歩になった場所なので、思い入れがあるのですが、もうトラウマと言うものはありません。展望広場で、直下に広がる宅地群の向こうに丹沢山塊を眺めつつ、珈琲休憩です。残念ながら、南端の大山は見えますが、最高峰の蛭ヶ岳、その奥に見える筈の富士山は雲海の中です。帰り道、一番下段の調整池の木の梢に、カワセミが留まっていました。此処は、干上がることが多い、下段の池ですので、小魚は住んでいないのですが・・暫く留まっていましたが、餌のいないことを確認したのか、池に飛び込むこともなく、何処かへ飛んで行ってしまいました。
2016.11.30
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昨日は、久しぶりに親戚を訪ねて、茅ヶ崎市浜見平団地に行ってみました。この団地は1963年完成で、5階建ての建物が道路の両脇に建ち並ぶ、大きな団地でしたが、50年を経て、再生計画がほぼ完成した様子でした。北西側の一部には、取り壊しの終わっていない古い建物が見えましたが、其処以外は、8階建ての明るくシリコーン塗装された建物に変貌していました。他の団地再生に例に漏れず、敷地の一部を民間に売却して、5階から8階に変更することで居住者を増やして、10年以上に亘って旧居住者の家賃負担を軽減させつつ、新居住者の負担に合わせて行くと言う再生計画は居住者の合意を得た様でした。只、旧団地には散歩道に沿って、桜やケヤキ等の大木があったのですが、移植せずに伐採されてしまっているのは、一寸残念なことでした。よく行く三鷹市の三鷹台団地は、浜見平よりも1~2年早い団地創生でしたが、大木の移植が多く為されて、森の気配がしつつ、新しい建屋が建ち並ぶ団地となっていて、こちらの方が素晴らしいと思うのです。こちらでは民間への売却が敷地の1/3と大幅で、手元資金が潤沢で、手間と費用の掛かる移植も厭わなかったのでしょう。結局、この違いは再生計画担当者の「古いものを残す」と言う信念と環境への配慮の差かも知れません。
2016.11.21
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昨日は、天候も回復して快晴で、寒さも和らぎましたので、散歩でもしようと、多摩川河川敷に行ってみました。実は、この前認識した胡桃の木肌を覚えて、桜ヶ丘公園に行って探してみたのですが見つからず、再度確認するのが目的でした。「白い木肌に縦皺のある、コナラに似た樹木」と言うこの前の認識が、どうも誤っていた様で、灰色の目立たない樹皮だったのです。河川敷には胡桃の木がかなりあって、オニグルミかヒメグルミかは定かではありませんが、数えただけでも6本以上、日当りの良い場所に自生していたのです。未だ枝には、胡桃の実がなっていましたが、大半は落ちていましたので、折角だから飾っておこうかと思って、拾って来ました。手前の緑色は果肉が付いているクルミ、残りは種だけになって落ちていた胡桃です。河川敷には、積層になった白い石もありましたので、これぞ小さいながら、本当の石英片岩と拾って来て、一緒に撮影しておくことにしました。
2016.11.13
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昨日は、立冬で暦の上では冬到来と言うことらしいのですが、日中は暖かく、秋の風情は未だ楽しめます。相模湖の紅葉が盛りとのTV情報を得て、行ってみようと出掛けましたが、途中の津久井湖城山公園の「花の苑地」駐車場に車を停めて、近くを散策してみました。相模湖よりも標高が低いので、紅葉は盛りでは無いのですが、季節は迫って来ている様でした。苑地を散策していましたら、無料の「城山湖散策絵図」パンフレットが手に入り、標高375mの山頂部城跡までは、それ程時間を要しないと思いましたので、それではと登り始めました。取ったルートは男坂とされる急峻なルートで、岩場やクサリ場があって、一向に山頂に到達できずに閉口しましたが、急がずに途中何回も腰を下ろして珈琲休憩をしつつ歩を進め、漸く飯縄神社と言う処に到着しました。此処からの山頂部城跡へは比較的に楽なルートになり、1時間以上掛けて、漸く到着しましたが、石碑があるだけの広場でしたので、一段下がった眺望の利く処から、橋本方面を見てみました。低いながらも、森林浴が楽しめる良いトレッキングルートでしたが、女坂コースもあり、下山に際しては、そちらのルートでは体力的に楽で、30分で下山することが出来ました。神奈川県立津久井湖城山公園は、城山ダムの両岸と、戦国時代の山城、津久井城跡を利用した公園です。山頂部では「本城曲輪」「米曲輪」「米蔵」「土蔵」などといった伝承地名をもつそれぞれの地点があり、本城曲輪には遺構がなく、記念碑が建てられている。
2016.11.08
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この処、日中は晴れて穏やかな天候が続いていますが、未だ11月上旬ですから小春日和と言うには一寸早すぎる様です。昨日は、バラフェスタが終わり、正門近くに菊花展のテントが設営されているだろうと思いつつ、改装が5月に完了した大温室を訪れることにしました。中は自然光の取り入れが多くなったのか、明るくなり、中庭が無くなって以前は出口付近にあったベゴニヤ、ランの展示室を移設、出口付近には世界自然遺産となった「小笠原植物室」とサボテンを展示する「乾燥地植物室」が設けられていました。目当ての黄色い椿「金花茶」は、未だ蕾が固くて開花には程遠い様でした。バラ園から見る大温室は、以前と印象は変わらない感じです。バラフェスタが終わっていますが、未だ沢山のバラが咲いていて、一番好きなブルー・バイユー(Blue Bayou)は藤色の花を咲かせていました。バラの季節を終えて、仮テントでは切花や鉢植えが値段を下げて売られていましたので、小さな黄色バラの鉢植えを300円で購入しました。40年も前に家族連れで楽しんだ大芝生広場に行ってみましたが、中央付近にあるパンパスの植え込みはその時と変わらずに、刈り込まれることなく残っていました。それどころか、植え込みの大きさは5~10倍ほど大きくなっている印象、パンパスは外来のススキに似た雑草で、生命力が旺盛なのでしょう!
2016.11.06
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高幡不動尊は真言宗の古刹で、関東三大不動尊の一つとされています。境内にある裏山は多摩丘陵の西端となっていて、真言宗の祖である弘法大師を敬服して、その四国八十八ヶ所巡りを短時間で実感出来る様に、山道に石造りの地蔵仏像が87体設置されています。巡り道入り口には「熊本地震募金箱」がありましたので、復興の祈りを込めて小額を入れてミニ巡礼が始まります。短い処では数メートル、長い処でも30メートルの間隔で、札所が山道に沿って配置されていますので、約1時間で巡ることが出来ます。一番札所は徳島県の霊山寺の筈ですが、各札所には寺の所在が記載されていますが、畏れ多いのでしょうか寺の名前は書かれていません。徳島県が24ケ所、高知県が17ヶ所、愛媛県が24ケ所、香川県が23ヶ所となっていて、途中最西端の尾根道からは、住宅地の向こうに奥多摩の山々を望むことが出来ます。昨日は絶好の快晴で、寒くも暑くも無く、山道散歩も気持ちの良いものでした。最後の88番札所だけは、境内中央にある堂前に設置されていて、お礼の寄進をすることになっていました。総延長距離は、多分2kmにも満たず、1時間程の散歩が終了となりました。
2016.11.05
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先日、持ち帰った石英片岩と思われる岩石は、乾いて来ると半透明とも思われた箇所が不透明となって、一寸も石英片岩らしくなくなりました。多摩川の上流には小河内ダムで堰き止められた無奥多摩湖があって、その下流の御岳渓谷でも変成岩箇所は無いと思っていますので、違うかも知れません。私は、岩石集めは趣味ではありませんが、白い石、緑の石や赤い石には興味があって、手ごろな大きさの石が見つかると、持ち帰って暫く室内で観賞し、その後は庭に放置して置く習慣があります。其処で、石英片岩らしき岩石を見つけた多摩川の大丸堰に再度行って、河川敷で緑色や赤色の石を探って、歩き回ってみました。残念ながら、緑色は見つかりませんでしたが、赤い石は結構な数見つかりましたので、その一つを持ち帰って、洗ってみました。一寸赤黒いのですが、紅簾片岩とも見えますが、荒川の長瀞の秩父赤壁で知られる種類で、多摩川上流には無い筈ですので、これも違う可能性は捨て切れません。念のため、二つ並べて写真と撮っておくことにしました。やはり、石英片岩でも、紅簾片岩でも無いかも知れません!
2016.10.29
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昨日は快晴、一昨日とは異なり夏日となりましたので、多摩川大丸堰付近の河川敷を散歩してみました。冬の準備をしているのか、草刈機の音がして、何処其処、草が綺麗に刈り取られていて、気持ちの良い河川敷になっていました。歩いていますと、雑草が無くなったのを待ち兼ねていたのかは分かりませんが、小さな木の実を拾っている人に会いましたので、聞いてみますとクルミを拾っているとのことでした。「オニグルミとヒメグルミがあるのだが、ヒメグルミのみを拾っている」と言うので、何故と聞きますと「オニグルミは皮が硬く、又実を上手く採れないので・・」と言うのです。其処で、オニグルミとヒメグルミの違いを教えて頂き、拾う手伝いをしつつ、オニグルミを数個持ち帰ることにしました。右の1個がヒメグルミで、残りは全てオニグルミですが、随分大きさが異なります。近くの府中郷土の森博物館内の雑木林に胡桃の木があると言うのは、係員に聞いていましたが、知見が無く、胡桃の木を特定出来なかったのです。この辺りには、胡桃の木が自生しているのかも知れませんが、河川敷に生えているのを初めて知りました。それを知る人に出会えるのは幸運なことで、今後はクルミの木を特定することが出来そうです。
2016.10.27
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昨日午前中は、真綿雲やら巻雲が薄く青空に広がり、秋の気配が感じられ何処かトレッキングに出掛けることにしました。一番手近なのは、揚水発電の貯水池として知られる城山湖、その湖周1周コースは2時間で踏破出来ますので、珈琲と果物を持ち、途中のガソリンスタンドでホットドッグを買ってリュックに詰めて行きました。天気が良く、外歩きには快適な気温でしたので、駐車場は満杯状態でしたが何とか空き場所を見つけ、リュックを背負い、ストックを持って周回コースを歩き出します。本沢ダムは、ダムとは言え、放水機能が無い土手ですので、岩石を積み上げたロックフィルダムとなっています。土手の雑草が刈り取られて、その下の運動場からは野球をしている人達の歓声も聞かれ、将に秋を堪能している様でした。久しぶりのトレッキング、体力低下を実感しつつ、途中2回の珈琲休憩を入れて漸く、松見休憩所の到着、其処は相模原市ではなく、町田市の最高峰である標高364m草戸山の山頂になっていますが、眺望は殆ど利きません。昼食休憩後、残りは半周ですが、上り下りの激しいコースですので、低下した体力に自信を持てず、元来たコースを戻ることにしました。老齢となると、あまり無理をしないことも大事なこと、次回に1周コースを踏破すればよいと考えたのです。
2016.10.24
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町田市の谷戸にある万松寺は開山600年を超える古刹で、「臨済宗建長寺派 小野山 萬松寺」となるらしい。境内の本堂前には一際目立つ大きなカヤ(榧)の木が聳えています。カヤ(榧) は将棋盤用の最高級木材として知られていますが、高さに較べて横枝数が多く無い割合珍しい樹木だと見上げてしまいます。張っている横枝が疎らで、それが良いのか毎年スズメバチが巣を作るので注意しなければなりませんが、もうスズメバチは巣立ちしたのか見当たりませんのは幸いでした。掃き清められた砂利庭には、沢山の実が拾う人も無く、散らばって落ちていました。カヤの実から絞られる油は食用、灯火用に使われる他、将棋盤の製作過程で塗り込まれ、将棋盤のメンテナンス用品としても使用されるとのことでした。カヤ(榧) は、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹で、日本の東北地方から屋久島にかけての地域、朝鮮半島に分布する。雌雄異株で、幹は直立し樹高は20m、周囲は3mほどに、樹冠は幅の広い円錐形になる。成長は極めて遅いが寿命は長い。耐陰性が強く樹林内部であまり日の当たらないところでも育つことができる。花期は4−5月頃。雄花は長さ1cmほどの楕円形で、前年に出た葉の付け根につく。雌花は新枝の基部の葉の付け根に2個つくが結実するのは通常そのうち1個のみである。種子は緑色の厚い仮種皮に包まれている。花の咲いた翌年の秋に紫褐色に熟する。日本最大のカヤは、福島県桑折町にある万正寺の大カヤ(樹高16.5m、幹周8.7m、推定樹齢900年、福島県の天然記念物)である。
2016.10.17
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昨日は久しぶりに快晴で気温も上がりましたので、川沿いを散歩してみようと、「府中郷土の森博物館」に車を留め、「府中の森公園」から多摩川の大丸用水堰に行ってみました。多摩川は渇水で、水面が下がって、魚道も干上がってしまい行き場を失ったのか、小さな幼魚が浅い処を沢山泳いでいました。堰を歩いていますと、水面下に白い岩石を発見、どうも石英片岩と見えましたので、持ち帰ることにしました。荒川水系には長瀞と言う変成岩の名所があって、緑泥片岩や石英片岩等が多く見つかり、それらが層状に重なった岩石となるのですが、多摩川水系では上流にも変成岩の名所は無いと思いますので、違うのかも知れません。トレッキングでは記念として石を持ち帰ることもありましたが、河川敷を歩いて水石を探すのも一興か思いつつ、久しぶりに石を持ち帰りました。石英片岩は、プレートの沈み込みにより、海洋底に堆積したチャートが地下深くに運びこまれた時、高い圧力と温度で石英を主成分とする岩石として再構築され、一定方向に割れる性質を持ったものです。 石英片岩と言うので石英ばかりかと思いきや、へき開のある鉱物が混ざっていることが多く、緑簾石や紅簾石等の変成岩等で、比較的綺麗な層を見せてくれます。
2016.10.16
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先日、横浜の寺家村近くに住む知人を誘って、その広い谷戸を散策しようと出掛けました。その知人は、私の家内が亡くなる前ですから7年以上前に、胃癌の切除手術を受けたのですが、時々調子を崩して散歩に出掛けられなくなったと言うので、強引と思ったのですが誘ったのです。寺家村の入り口近くにある「四季の里」は、火曜日での定期的なお休みで、残念ながら昼食を取ることは出来ませんでしたので、コンビ二のオニギリで済ませる他ありません。その前の田圃は、丁度稲刈りの時期に来ている様でした。しかし、稲穂は垂れても、昆虫が一匹も見えないのです。谷戸の奥は、もう稲刈りが済んで、束ねて塔状にして立てたり、干し竿に吊るし掛けたりしていました。しかし、ウンカは兎も角、トンボもイナゴもいないのです。寺家村には、学習田と称する小学生用だったり、NPO法人用だったり、と殆ど放棄されること無く、耕かされているのですが、収量増産を旨として農薬が噴霧されているのかも知れません。学習田こそ、自然のままに、収穫量を目指さずに、トンボも飛び回り、イナゴも多数跳ねているのを体験させるべきだと思うのです。このままでは、日本の里山は、自然から逸脱してしまう危機的状況なのではと心配するばかりです。
2016.10.07
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2009年10月末に亡くなって7年経ちますと、悲しさはありませんが、人生を共にしたパートナーでしたので、供養を忘れてはいけないと思うばかりです。庭からピンクのバラを切り取って、萩焼の花瓶に挿して、仏壇横に飾りました。バラは、随分昔に家内が植えたもので、2本の椿の樹間で日当りが良くないのですが3m迄高さを伸ばして毎年咲いてくれますし、花瓶は家内の実家から家内が持ち帰ったもので、親しんだ物で供養になると思ったのです。今朝は9時半に家を出て、厚木ICから新松田ICまで東名を使って、冨士霊園まで行って来ました。冨士霊園は片道2時間を要する遠い処にありますが、至って管理の行き届いた墓園で、入口のアクセスは広くて手入れの行き届いた松並木が迎えてくれます。墓所には玄武岩の砂利を敷き詰めてありますので、雑草は1本も無く、面倒な草取り等は必要ありません。墓の形式も種々あって、我が家と隣り合わせになっている墓には家名よりも、人生への想いを重く観て「晴好雨奇」と刻んであります。「人生は晴れも好いのだが、雨の時期も奇特なものだ」と達観したのでしょうか、その他の墓を見ますと色々あって、「愛」や「絆」等を刻み込んだ墓碑が多数見られます。家の伝統が希薄となり、未来へ向けて永年管理されることが無くなって来ますと、自分の想いを刻んで、暫く持ち堪えれば、その後の処置については「与り知らぬ」と言うことで納得しているのかも知れません。
2016.10.06
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先週の土曜日、小山田緑地の管理事務所に行って、蛍の様子を聞きましたら、今年は例年より早く舞い出しているとのことでした。あさざ池を中心にして、各所で数は多くないのですが、飛んでいるらしいのです。昼間、あさざ池を訪れて見ましたが、蛍を見つけることは出来ません。例年、公園では無い私有地の田圃の上から隣接する茂みにかけて、多数の蛍が観られるのですが、今年は田圃の田起し作業の途中であって、未だ水張りがされておらず、蛍はいないとのことでした。正面奥の林に、湧き出す泉があって、田の側溝を流れてあさざ池に達するので、その清流がカワニナを生み、蛍を育てているのです。人の手の入らない、蛍の環境が何時まで続いていけるのか心配しています。側溝からあさざ池に至る小川の土手が崩れているので、補強工事がされつつあり、自然そのままの環境では無くなりつつあるからです。以前には、アブラハヤが多数泳いでいたのですが、補強工事で見られなくなってしまいました。自然環境とは至って脆弱なものの様です。
2016.06.01
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三鷹台団地に、1973年2月から7年間住んだこともあって、家族4人でよく玉川上水を散歩がてら、井の頭自然文化園に行きました。其処には、小さな遊園地、小さな動物園、蝶の舞う大温室、北村声望の長崎平和記念像の原型展示建屋、等があって小さな子供連れ家族には格好の遊び場でありました。動物園の中で、一番の注目は象のはな子さん、この写真は多分1976年頃で、未だ々元気だったと思います。今回のはな子さん、69歳での大往生、よく楽しませて頂きましたとお礼を言いつつお別れをさせて頂きます。象のはな子は1947年にタイで生まれ、名前は「カチャー」、2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年9月4日に恩賜上野動物園に到着した。当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」の名を継いで「はな子」と名付けられた。上野動物園には、「はな子」到着後の1949年9月25日にインドから贈られた「インディラ」も到着し、年末までに100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた。翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていて、「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された。「はな子」は1980年代に歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていない。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだ餌が与えられていた。近年、飼育員が鼻で転倒させられ、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に、飼育方法が、直接飼育から、柵越しに世話をする準間接飼育に改められた。2016年5月26日に死亡。
2016.05.27
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通常は時間短縮の為、東名高速を通って冨士霊園に向かうのですが、新緑の季節で山道をゆっくり行くことにしました。相模原市の橋本市内を通って、三ヶ木(みかげ)を経由して、道志道に入ります。このルートは家内と山中湖の富士の絶景を観に行くのによく通ったもので、久しぶりでした。処々、山道で道幅が狭くなって、運転が慎重となりましたが、60才代は別に気にも留めなかったのですが、70才代ともなりますと咄嗟の瞬発力に衰えを感じざるを得ず、情けないのですが、事故を起こす懸念が増しているのですから仕方がありません。道志道は渓谷が深く、対岸へは吊橋が掛かっている処があり、そこで暫し休憩することにしました。其処は渡り終えると、大室山への登山ルートでもあるのですが、誰一人に出会うこともありませんのは、人気が無いルートなのかも知れません。吊橋の中央から眺めますと、山深く、新緑の美しさは格別です。警告の深さも相当なもので、綺麗な清流が数十m下に見えますので、吊橋が揺れることもあり、高所恐怖症の人にはお勧め出来ません。道の駅「道志」を経て、県境の山伏トンネルを潜りますと、山梨県山中湖村、春霞にも拘わらず、相変わらずの絶景を楽しむことが出来ました。山中湖ICから東富士自動車道に入り、籠坂トンネルを抜けると「須走」で、街中から再び山道を経て冨士霊園に辿り着きました。山道で道草も食いましたが、通常より30分余計に掛かっただけでしたし、新緑のドライブを心行くまで楽しむことが出来ました。
2016.04.27
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機関とは古くは原動機と言われたエンジンのことで、蒸気タービンやガスタービンを設計製造したグループのOB会に行って来ました。陸側工場敷地にはオフィスビル群が建ち並び、海側工場敷地には高層マンション群や遊興施設や結婚式場も出来て居住地区に変貌し、若い家族連れが歩き回っていて、昔の4K職場の面影はありません。蒸気タービン試験場は、今や芝浦工業大のキャンパスに変わっていますが、出入り自由になっていますので、昔懐かしく行ってみました。左右に走る通りは、昔はタービン通りと呼ばれ、工場内の通行路でしたし、本社ビルは研究所棟があった場所で、1階部分は店舗空間、OB会は2階の食堂で行われました。メンバーの高齢化もあり、1昨年に3名、昨年に4名亡くなり、今年の出席人数は32名に減ってしまいました。最高齢は91才、最若年が60才代後半なのですから、メンバー減少は仕方が無いのですが、青春を投じた仲間と歓談出来るのは感慨深いことだと思いつつ、メンバーに入っていない人達にも加入を呼び掛けてみることにしました。
2016.04.18
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春になりますと水辺が心地良く感じられる様になります。日曜日に多摩川に行ってみましたら、多くの団体や家族連れが川原でテントを張ったり、バーベキューをして楽しんでいました。川の流れをよく観ますと、通常腰の高さ迄ある1mあるべき水深が無くなって、魚道も干上がっていて、子供達の格好の遊び場となり、行き場を無くした水溜りで魚などを捕まえていました。これでは鮎の遡上も出来なくなって、大いに生息環境も変わってしまいそうです。魚道に併設されているコンクリート突起群、これは多分海老などの甲殻類や鰻など跳ね上がれない魚の川上がりを助ける装置などでしょうが、水量が少なくなって流れずに全く機能していません。今冬は、雪も少なく降雨量も少なかったので、このような事態になったのでしょう。渇水の報道は、今のところありませんが、日本も世界の例に漏れず、今夏の水不足が思い遣られます。
2016.04.12
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NHKBSにて関口知宏のチェコ10日間鉄道旅を拝見しましたが、温泉地のカルロビバリを起点としてチェコを1周する旅で現地の人との触れ合いもあって面白い番組でした。カルロビバリでは、人々が飲泉カップで温泉水を飲みながら散策する様子が放映されていて、11年前に大分県の長湯温泉に行ったことを思い出しました。其処で、飲泉カップを2個買って、炭酸温泉水を飲んだことがあったのです。私が藍の染付けカップ、家内が色絵付けカップを買ったのですが、私用のカップは行方不明となっていて、家内のカップしか見つけられません。日本一の炭酸泉が湧くと言われている長湯温泉、湯布院温泉から山間を抜けて約40分で行ける大分県直入郡直入町大字長湯にあります。重炭酸塩イオンとミネラルが豊富な長湯の湯は、慢性胃腸病や貧血等に飲泉効果があるそうで、町内5個所に飲泉所を設け大々的にその宣伝をしています。左に見える円柱のある踊り場には飲泉口があり、右にあるアーチの上からは温泉が常時流されています。踊り場の天蓋には「1990Kolonado(1990年建設飲泉所)」と書かれていて、大分県の一村一品運動でドイツ温泉各地との提携を模索した様で、レンガ壁にはチェコのカルロビバリ(ドイツ名ではカールスバード“皇帝の温泉”、ベートーベンが療養したことでも知られています)、ドイツのバーデンバーデン等各温泉地から寄せられた挨拶状がエッチング銅板パネルとして貼り付けられていました。町ではドイツ風飲泉カップも各種売られています。小さなカップは1500円、中カップで1800円、こちらは後で洒落た一輪挿になるかも知れません。これを手に持ち右上の吸い口から温泉を飲みながら散策すれば、まるでドイツ温泉街の雰囲気となるのですが其処までする温泉客はいない様でした。平成10年には町営の御前湯がドイツ風木造建造物にリニューアルして設備整備も充実して来ていますし、飲泉治療に拘らない日本のカルロビバリとして、土産物屋等を少なくして、発展すれば良い保養地になるだろうと思われる良い温泉郷でした。
2016.03.20
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昨日は薬師池公園のかいぼり作業最終日と思い、薬師池公園に行ってみましたが、記憶違いで10日後の3月18日の様でした。それでも最終段階の様で、池周辺だけでなく、蓮田、菖蒲田、古民家、散歩道の舗装、等公園全体が整備されつつありました。蓮田は大賀ハスの蓮根が掘り起こされて養生をされていますし、周辺に植栽されている熱海寒桜が6~7本、見頃を迎えていました。池周辺は未だ工事による通行禁止の標識とオレンジ色の工事柵が多く、散歩には不都合でしたが、池には水が戻っていました。未だ、鯉やら亀等の生物が戻っていない所為なのでしょうか、水は半透明で、底に設置されている浄化循環用のパイプが見える程綺麗になっていました。古民家の萱葺き屋根も整備されていて工事は終了となっていましたし、6ヶ月間に亘った公園リノベーション作業も最終段階、近々気持ち状態の散策を満喫出来そうです。
2016.03.09
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朝晩は冷え込みますが、昼間は暖かくなり、梅の季節は終わろうとしていますし、今週末が「梅祭り」の終了日と言うことで、久しぶりに府中郷土の森博物館に行ってみました。遅咲きの「思いのまま」と言う種、紅白梅が一本の木に一緒に咲くので知られていますが、ほぼ満開になっていました。南側の多摩川に沿った散歩道でも、全ての梅が開いていて、爛漫の様子です。右側は丘になっていて頂上には吾妻屋がありますので、西方に富士山が見えることを期待して登ってみましたが、樹木が邪魔して見えません。其処で、多摩川の沿道にあるフェンスから西を望みましたら、土手の向こうに富士山が見えました。気候も暖かくなりましたので、土手に沿って、のんびりと測量している様子もあり、いよいよ春到来となりつつあります。
2016.03.03
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2015年9月3日から2016年3月18日まで、池の生物の排出物や底にたまった堆積物により悪化した薬師池公園の池の水質を改善するべく、「かいぼり」が行われています。工事説明板によりますと、従来の砂や砂利を利用した伝統的な水の浄化装置が年月を経て機能しなく、炭素繊維の浄化装置に換装するとのことでした。掻い掘り(かいぼり)は、池や沼の水をくみ出して泥をさらい、魚などの生物を獲り、天日に干すことで、栄養塩類を含んだ泥や水を排出し、また池の底を空気にさらして微生物による分解を促進することで、水質を浄化する効果がある。池の周りにオレンジ色のフェンスが敷かれ水辺の風景がありません。この時期は、水辺の宝石と言われる「カワセミ(翡翠)」が飛来して、小魚を取る様子が観られるのですが、今年は残念ながら望むべくもありません。それでも、ようやく来月には、綺麗な水辺が再現されると言うことなので楽しみです。薬師池は谷戸の寒い地帯に位置していますので、梅林は漸く見頃となり、見物客も多くなりました。梅は古民家によくマッチしています。
2016.02.22
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丁度見頃なのか、平日にも拘わらず、通常の駐車場は満杯とのことで、酒匂川河川敷に誘導されました。其処からは丘の上にある河津桜林がピンク色に見えましたが、河川敷からは30分歩くのか、臨時バスを利用するのか、どちらかとのことでした。住宅地から246号線橋脚の下を通って、丘の上まで登って行きましたら、息が切れ眩暈がするほどで、一寸座って疲労回復をしなければなりませんでした。僅か100m程の高低差なのに、体力の衰えは隠すべくもなく、老人になると言うことは情けないなと実感した次第です。伊豆半島の河津町よりも湘南の松田町の方が、気候が温暖なのでしょうか、河津桜は見頃を迎えていました。酒匂川の向こうに見える富士山と相俟って、美しい景観を楽しむことが出来ました。
2016.02.20
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今日は北区西ヶ原にある介護施設に2年余入居している先輩を訪問し、帰りにその近くにある旧古河庭園に立ち寄ってみました。入園料は65才以上ですと半額の70円と真に手頃でした。本館とその近傍のフランス庭園はイギリスのコンドル氏の設計、低地に位置する心字池を含む日本庭園は京都の庭師である小川治兵衛の設計施工である様で、和洋折衷ですが、丘上が西洋式、丘下が和風となっているので違和感はありません。池の周りを散策しますと、数m高さの巨大な石灯籠が多く配置されて目に付きました。石造りの本館に負けるものかと言う日本人庭師の気概が感じられる思いがしました。
2016.02.13
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寒さが遠退き天気が良く、33年目の命日も近くなりましたので、義兄の墓参りの為、藤沢市大庭台墓園に行くことにしました。距離はそれ程遠くないのですが、町田市から246号線に入り、それから県道467号線を使うことで、何処も休日の混雑状況は避けられず、片道2時間を要しました。大庭台墓園は住宅地の中にあり隣は藤沢西高校ですが、墓園内は芝生墓地も多く、植栽に沿って散歩出来る様に休憩所も設けられていますので、陰気な感じはありません。此処は通常の縦の墓石が並んでいる区画、それでも日が燦燦と降り注いで、明るい雰囲気となっています。剪定鋏を持って行き、墓石前の2本のイヌツゲを丸く剪定し、供花と線香を焚いて無沙汰を詫びました。隣の墓所は、30年以上経ちますのに未だ墓石が見えません。余ほど若い時に購入したのか、又は健康寿命に恵まれているのか、等と考えつつ、義兄の墓前で昼食を取り、珈琲を楽しんで、日光浴をしつつ暫し時間を過ごして、墓園を後にしました。帰りも467号線大和付近の混雑は解けず、往復4時間を要しました。カーナビ推奨の16号線から1号線経由が正解だったのでしょうか?
2016.02.11
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暖かさに誘われ、多摩丘陵の谷戸を散策することにしました。町田市にある都立小山田緑地の東側駐車場に車を停め、通りを横切って奈良ばい谷戸をゆっくり上って行きました。途中に設けられている炭焼き小屋には、老年男子が多数屯して作業していました。よく観ますと丈を揃えて孟宗竹を束ねた炭焼き素材が沢山置いてあって、木では無く竹炭を作っている様です。竹林は雑木林に比べて成長が早く、管理しませんと雑木林は竹林に変貌してしまいますので、良い管理方法だと思って眺めていました。道沿いには、菜の花畑があって、早咲き種なのでしょうか、春の到来を告げていました。少し泥濘んだ山道を行きますと、小山田城の副城である小野路城址へは20分ほどで到着、珈琲とお弁当で昼食、訪れる人は皆無で一寸寂しい感じもしましたが、往復5000歩程で1時間余、久しぶりに良い散歩となりました。
2016.02.09
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会社時代に仲良くして貰っていた知人から電話があり、「文京区小石川に住んでいる知人友人から招待を受けたので一緒に行きませんか?」と言う誘いがありましたので、同道することにしました。知人とは4年前ほどに会っていますが、その上司であった知人友人とは多分10年ぶりの再会でした。曰く、「町ですれ違っても分からない老人になったね!」と言われましたが、お互いにそうなのかも知れません。事情があって80才間近で離婚訴訟を起こされ今は独り住まいとのこと、人生とは分からないもので、しかし親の遺産もあって暮らし向きが悠々自適の様子だったのが、せめてもの救いと思えました。2時間ほどお邪魔してお暇しようとしましたら、「最寄り駅の「後楽園」近くの文京区役所ビルに椿山荘が入っているので会食しよう!」と言うことになりました。展望室と同じ25階南側に位置するレストランで、眼下に後楽園ドーム、ビル群から突き出ている東京タワー、遠くに丹沢山塊も望むことが出来ました。3時間ほど会話し、会社時代の話にも花が咲き、午後9時にお別れすることになりました。次回の再会は何時になるか分かりませんが、ご自宅にお邪魔するのではなく、スカイレストラン椿山荘にて集まるのが良いと思いつつ、お暇となりました。文京シビックセンターは、地上28階・地下4階、高さ142mで、東京23区の区役所の中では最も高い建物で、高速シースルーエレベーター10基があるのが最大の特徴。-文京区役所本庁舎-文京区保健所-文京シビックホール-シビックチケット-区議会議場 24-25階中央部に位置-展望室 25階北側に議場を半周囲むように設置され、新宿方向に高層ビル群と並ぶ富士山や浅草方向に東京スカイツリーを望むことが出来、関東の富士見百景に選出されている。
2016.01.28
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海王星よりも20倍離れた楕円軌道を周回する惑星が存在する証拠が見つかったと言うことが報じられています。従来最縁部に位置している海王星の165年公転周期より掛け離れた1万年以上の公転周期とのことで、それでも太陽系の惑星に入るのだと言うのですから驚きです。実際の観測には1~2年は掛かると言うことですから、観測結果を期待しましょう!米カリフォルニア工科大チームは海王星の外側に新たな惑星が存在する可能性があると発表した。実際に観測によって見つかると、準惑星に「格下げ」となった冥王星に代わり太陽系の第9惑星になると期待される。 その惑星は地球の10倍程度の質量があり、太陽から約45億km離れた海王星よりも20倍離れた軌道を回っている。太陽の周りを1周するのに1万~2万年かかるという。木星や土星などと同じガス惑星とみられる。 チームは、太陽系外縁部の「カイパーベルト」と呼ばれる領域の周辺にある6個の天体に注目、太陽の周りを回るスピードや、軌道の傾きなどから計算すると、これらの天体が、大きな質量を持つ未知の天体の影響を受けていることが分かり、新たな惑星が存在すると理論的に示した。そんなニュースに接して、暫くぶりにプラネタリウムが観たくなり、府中の森博物館のプラネタリウムに行ってみました。此処は入場料も400円と安く、投影機が最新型ではありませんが、星空解説は浪漫に溢れて、俗事を超越出来るのが魅力となっています。今日は寒さも少し緩み、梅林の八重野梅も見頃となっていました。
2016.01.22
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今朝は冷えて車は真っ白に霜が降りていましたので、ヘラで窓にあった硬い霜こそぎ落として、午前8時40分に家を出て府中の運転免許試験場に向かいました。8時半に免許試験場が開きますので一寸遅いかと思ったのですが、9時10分到着しましたら、1ヶ所の駐車場は満車でしたが、もう1ヶ所の駐車場には運よく空きがありました。昨年10月に高齢者講習を受けていますので、所定の更新料2500円を納付して、免許更新申請書に記入し、視力検査を受けますとそれで完了、新たな講習を受けることなく午前9時半に終わりました。免許交付が午前11時と言うことでしたので、試験場北側にあります都立武蔵野公園を散策してみましたが、思ったより大きな公園で樹木類も大きく、桜並木や雑木林もあって、国木田独歩宜しく武蔵野の面影が偲ばれました。午前11時に有効期間3年の高齢者免許を取得しました。帰るべく駐車場に行ってみますと駐車待ちの車列が長蛇の列となっていましたが、寒さにめげず、やはり午前9時に行ったのは正解の様でした。昨年10月の講習診断では「70才では判断力、運転操作は普通、30~59才と比べますとやや劣る」となっていますので、安全運転に気をつけなければなりません。車がなくなりますと不便になることは避けられませんが、次は77才ですから認知症検査もありますし、どうなるのか成り行き任せで様子を見ようかと思っています。
2016.01.14
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数日前、天気も良かったので、中学時代の恩師墓に行ってみることにしました。カーナビに目的地をセットしますと、カーナビよりも分かりやすいルートがあるのにと思いつつ、要は小金井街道を北上して新青梅街道に入り、細い側道を経て、本願寺ひばりが丘墓地に行くように指示されましたので、その通りにした処、予定所要時間は1時間強、武蔵小金井駅付近は混雑していましたが、ほぼ予定通りに到着しました。アクセスする北側側道が細くて車のすれ違いが難しかったのですが、道路拡張工事が進められていて、近々もっとアクセスが容易にはなる様でした。中核となる東本願寺管轄墓地でも未だ募集中、その他60余のお寺の墓所では殆ど更地が多く、新設墓園の様に見えなくありません。恩師の墓に、本願寺管理事務所で購入したシキミ(樒)を供え、線香を炊いて、生前の無沙汰を侘びました。没年は1987年、行年68才となっていましたので、私は疾うにその年齢は過ぎています。墓誌には女性で没年1945年3月、行年26才となっているのを見つけました。恩師と同年齢ですから、東京第空襲で最愛最初の奥様を亡くされたのかも知れません。本願寺ひばりが丘墓地は西東京市にあり、西部池袋線「ひばりヶ丘駅」と西部新宿線「田無駅」とのほぼ中間、ひばりが丘団地の西側に位置する。東本願寺が中核となり、その他60に余るお寺の墓所が集まり、ひばりが丘墓地という大規模な寺院墓地団地を構成しています。墓所群の中心に東本願寺のひばりが丘別院の本堂があり、全体の約1/4と面積的には一番広い様です。「ひばりヶ丘」駅から「田無」駅行バスで7分、「田無」駅から「ひばりヶ丘」駅行バスで15分、共に「ひばりが丘団地西口」下車1分となる。 南側を所沢街道、新青梅街道が通っているし、周辺環境は落ち着いた住宅地で、東はひばりが丘団地、南側には東大農学部の附属農場が広がり、のどかな雰囲気に包まれています。
2015.12.11
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昨日夕方の雨模様から、今日午前中は一転して晴れとなったので、近くの小山田緑地に行ってみました。クヌギ林では、葉が半分程落ちて近辺を埋め尽くし、道の所在も判然としません。夏場は、クヌギの幹から甘い蜜が出て来ますので、それを目掛けて昆虫達が襲来、スズメバチも多くて危険なのですが、すっかり寒くなった今の時期は全く見えません。家内と此処に来たのは、2009年9月中旬の暖かい夕刻闘病半年となり、私に車椅子を押されての訪問だったそれから2週間経って、食事・排泄が出来なくなってしまい意識不明に陥り入院、こん睡が続き1ヶ月後帰らぬ人となった落ち葉が散歩を埋める様を見ると、最後の散歩を思い起こす6年が経過していますが、「人はいさ 心は知らず クヌギ葉は 常変わりなく 落ちて秋行く」の心境は、例年通り変わりません。
2015.11.19
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相模原市緑区城山町には、尾根伝いに城山湖湖畔の丘にある金刀比羅宮まで約3kmの手軽なハイキングコースがあって、小松ハイキングコースとして知られています。通常は、宝泉寺裏山にある小松城址から城山湖湖畔まで散策するのですが、昨日は揚水発電所横にある駐車場に車を停め、逆コースで行ってみることにしました。金刀比羅宮付近は、紅葉類が多く紅葉しますと美しいのですが、11月中旬では未だ早かった様です。しかし、見上げますと日当たりの良い一部は紅葉していました。途中には評議原と言われている休憩所があり、片倉城・津久井城・小松城の武将が、落城の相談した場所とも伝えられています。15年程前には松ノ木もあった様な気もしますが、枯れてしまった様で、コナラも数本立ち枯れ状態となっていました。元来このコースは金刀比羅宮への参道だったので急な上り下りは無く、小松城址までは下る一方です。川尻地区に奥に位置する宝泉寺の裏山は小松城址となっていますが、祠が祭られているだけで、往時を偲ぶものは残っていません。このコースは春に秋に家内と共にハイキングしたもので、途中にあった作業小屋も消え、「イノシシ出没」の注意看板が掲示されていましたが無くなってしまいました。月日に拠る変化は絶えずして止まることはありません。
2015.11.17
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昨日は天気も良いので、多摩モノレールと京王線を乗り継ぎ、「もみじ祭り」の高尾山に行って見ることにしました。自宅から出発が10時を過ぎていたこともあって、「高尾山口」駅に着いたのは11時となっていましたが、手軽な山歩きの場所ですので、相当の混雑でした。時刻も遅いのでケーブルカーに乗って行こうとしましたが、長蛇の列で2回待ちとなりました。それでも通常15分間隔で運行するスケジュールが混雑解消の為、7分間隔となっていましたのでそれ程の遅れはありませんでした。山頂駅から本当の山頂に向かって歩き出しますが、紅葉は始まったばかりの様でした。山頂までは薬王院を経由して約40分、平日にも拘わらず、幼稚園、小学校、女子高校の生徒達が、多数下山して来ました。山頂に着きますと、混雑は凄まじく腰を落ち着けるスペースは全て占領されていました。仕方なく、山頂を回る3号路まで降りて、漸くLPGバーナーとコッヘルでインスタントラーメンを作って昼食となりました。下りは、沢コースの琵琶滝を通る6号路を通ろうとしたのですが、混雑の時期は上り専用に変更する様で、下り道は閉鎖と表示されていました。稲荷山コースを下って展望所で珈琲休憩、付近の樹木が生長して眺望が狭くなっていましたが、仕方が無いことなのでしょう。此処からの下りコースは、岩石だらけの急坂ですので、膝を痛めないようにゆっくりと歩いたのですが、下りる衝撃で膝が痛くなって来て困りました。高齢となって膝の軟骨が疲弊して減っていますので、トレッキングには衝撃防止のトレッキングポールと膝当てパッドは欠かせないことを実感することとなりました。
2015.11.07
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町田リス園は薬師池公園に隣接している有料の公園、大人400円、3才以上の子200円、シルバー高齢者300円となっています。大人しい動物と触れ合うことが出来ますので、子供達には人気がある様で、結構何時も混雑しています。魅力は大きなネズミであるハムスターに有料100円の野菜餌を手で与えられること、ふれあい広場と称してウサギを10分間抱っこ出来ること等ですが、最大の売りは四方と屋根をネットで仕切った空間で台湾リスの放し飼い、ここでも有料100円のひまわり種を手袋で与えられることになっています。4ヶ月前の来園時は、午前中でしたので台湾リスも空腹だった様で、餌目掛けて飛び掛って来るので驚きましたが、今回はリス園に入ったのが正午を過ぎていましたので、放し飼いの台湾リスは満腹状態で、餌に群がってくる様子はありません。5才と2才の孫娘、ウサギの一種であるモルモットを抱かせて貰い、大人しくしているモルモットに満足している様子でした。 2ヶ月前には、2才の孫娘は私を見て硬直していましたが、今回は言語不明瞭ですが話しかけて来る様になりました。子供の成長とは速いものです!
2015.11.03
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昨日は冨士霊園の礼拝堂を借りて、家内の7回忌法要を行いました。霊園手配の和尚には納骨法要の時にも来て頂いた記憶はありますが、依頼されたので執り行うと言う、極めて事務的な態度で、般若心経と法要の為の経文を読んでお仕舞い、僅か15分で終了です。菩提寺でも無いので当然なのでしょうが、しかし一寸寂しい気もしないではありません。生前、「晴れ女」でもありましたので、7回忌でも面目躍如、午前中の曇り空が一気に快晴となり、10月下旬とは言え暑い気候となりました。家内が亡くなったのは66才ですから、亡き家内の齢を数えてみますと、未だ72才で元気でいてもおかしくは無い年齢ではあります。家に帰ってテーブルに立て掛けてある26才の肖像、これは私が結婚3ヶ月前に描いた油彩、2年前に五島の家内の実家の中2階から見つけ出したものです。一寸目付きが鋭く、実際より鼻が長くモジリアニー風ではありますが、雰囲気はある様に思われ、話しかけてみました。元より返事はありませんが、7回忌を契機に、もっとしっかり生きなさいと言われている様な感覚に陥りました。
2015.10.19
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雑木林の中腹にありました和風喫茶「青山亭」が再開したとのことでしたので、会食することにしました。雑木林の地主が売却の予定がありますのか、元の「青山亭」建屋はそのまま締め切って残されていて、上り口にはロープが張られていて雑草が生い茂っています。その下の散歩道から、寺家ふるさと村を見ますと、丁度稲刈りが終わる頃で、体験田圃に来たのか、小学生達の声も聞こえます。此処の谷戸は、休耕田も無くよく整備されていて、蛍が住む清流があって水車小屋があり、森あり池ありで、気持ちの良い散策が出来ます。新しい青山亭は、古い青山亭から歩いて5分、寺家ふるさと村入り口のバス道路に面している自宅を増築して、再開しましたので、スペースが半分程しかありません。聞いてみますと、風致地区で建ぺい率制限があって、横浜市から新築建屋は許可されず、増築許可の上限だとのことでした。従来通りのお弁当がありましたが、「点心弁当」と言うメニューではありませんでしたし、食後の抹茶サービスもやっていない様で、一寸残念なことでした。駐車場は庭に3台分設けてありましたが、バス通りから坂をバックで上るので運転が難しく、車は古い青山亭下の散歩道に停めて、歩いて行きました。其処はバス通りでも無いので、通行の邪魔にはならないのです。
2015.10.11
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国道20号線甲州街道から、景徳院入り口を右折して上日川峠に行く予定でしたが、見過ごしてしまい、勝沼の葡萄郷に入ってしまいました。こちからは交差の出来ない山道を登りますので好きでは無いのですが、仕方が無いと30kmを何とか登り切りました。予定より1時間以上遅れの正午過ぎ到着で、駐車場は50台以上の車で埋め尽くされていましたが、何とか1台分の駐車場所を見つけ、長兵衛ロッジから福ちゃん荘までの舗装道路を20分程歩きました。其処からは大菩薩嶺に行く唐松尾根コースと大菩薩峠に行く林間コースへと分かれますが、歩きやすい林間コースを取ることにしました。ドウダン躑躅等は、早くも紅葉していて秋の気配が漂います。途中昼食休憩を経て、大菩薩峠に着きましたのが午後1時半で、殆どの登山者は降りる時刻の様で、大菩薩嶺に行く人が見当たらなくなりました。峠にある介山荘付近にも秋の気配が見られます。大菩薩湖を眼下に、富士山を望む景観は将に絶景の一言です。賽の河原を経て、雷岩に付きましたのが午後2時40分、秋の日は短いので大菩薩嶺は諦めて、唐松尾根コースで下山しました。唐松林に入るまで、浮石のゴロ岩が多いコースですので、トレッキングポールを使わないと危険に思われて不安、多くの登山者は介山荘からの林間コースを取る訳だと分かります。
2015.10.10
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午前9時に家を出て、モノレールと京王線で高尾山口に着いたのは午前10時過ぎ、ケーブルカーを利用して427mの高尾山中腹駅からトレッキング開始、高尾山山頂599mから小仏城山に行ってみることにしました。このコースは、2000年の春に、家内と共に一丁平から小仏城山までの約2kmにわたり見事な山桜、ソメイヨシノなどの約700本が咲く「高尾山千本桜」に観に行って以来ですから、15年ぶりのこととなります。階段状の木道が整備され、あまりに多すぎる登山者から、山腹を守る工夫がされていました。途中の一丁平で、インスタントラーメンの昼食を取り、丁度正午頃、小仏城山に到着となりました。小仏城山は標高670mですから、599mの高尾山は眼下となります。城山の茶屋で飲み物休憩をし、相模湖に下りますが、このコースは殆どが樹林帯を下りますので、見通しは利きません。下りきって、午後2時、16年前に運行していなかった相模湖行きのバスを利用しようと思いましたが、数分違いで逃してしまいました。仕方なく、15年前同様に、相模川(この付近では桂川と呼ばれます)に掛かる弁天橋を渡ることにしました。以前は揺れを感じる吊橋でしたが、今は通路が舗装されたしっかりとした橋でした。相模湖のダムを渡り、相模湖駅到着が午後3時、久しぶりの長丁場で足に疲労感を覚えましたが、バス便を逃したことで、良いトレッキングとなりました。
2015.10.09
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昨日は晴れで暑くもなく、絶好の散策日和となりましたので、久しぶりに相模原市の城山湖を周回してみることにしました。一周は約4km、100m程度のアップダウンはありますが、1.5時間程度で森林浴も楽しめる気軽な散策コースです。最高点407mのふれあい休憩所から、全景を見渡すことが出来ます。空気が澄んでいて、橋本の町並み、遠くには新宿の高層街も望むことが出来ました。周回路の殆どが相模原市なのですが、標高365mの松見休憩所では町田市と八王子市が交錯し、町田市最高峰の草戸山365mとの表示板があります。此処で1時間を経過し、お昼となりましたので、インスタントラーメンを作って、昼食としました。更に30分程の下り道を経てほぼ一周、ロックフィルの本沢ダムに戻って来ましたが、水位が数mは低くなっていて、異常水位にも見えました。そう言えば昨日は、ポンプ試験の放送が発電所から流されていましたので、意識的に水位を低くする必要があったのかも知れません。混雑で知られる高尾山と違ってすれ違う人も少なく、静かにトレッキングの真似事を楽しめる良いコースでした。
2015.10.01
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東大農学部前から白山通りに入り、北上して散歩して行くと本郷通りと合流するので、本郷通りを駒込駅まで散策することにしました。途中、神社仏閣も多く江戸の風情が残っている地域で興味深かったのですが、想像していたよりも遠距離で、1時間以上掛かってしまい草臥れてしまいましたが、駅到着直前に、六義園の案内板を見つけましたので、立ち寄って一休みすることにしました。シニア入園料150円を支払い中に入りますと、回遊式築山泉水庭園ですので、池の周りをゆっくりと観賞出来ます。自然を生かしたと言うよりも、松等の植栽は枝振りが良い様に刈り込まれて、甚だ風雅を極めた人工の庭園でした。池には中の島もあって、蓬莱島や臥龍石等も設えられ、江戸の大名の趣味が未だに残された名勝であることが彷彿とさせられます。六義園は、五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園である。1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。明治初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった(有料)。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、1953年に特別名勝に指定されている。
2015.09.29
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小野路交差点から万松寺谷戸に入りますと、奥の広がりをもった棚田から山裾、その上に位置する小野路城址辺りは東京都の風致地区に指定されている筈なのですが、東京都と町田市の担当者の相克があって、整備されなくなって久しくなりました。万松寺前の空き地は建設資材の置き場となり、鋼製壁で仕切られていて、風致地区の雰囲気を壊してしまっているのです。其処を通り過ぎて棚田に入りましても、嘗てあった「東京都風致地区」の看板も取り払われてしまって見えません。それでも谷戸の棚田の一部には水田や畑が広がり、何とか典型的な里山の風景を醸しだしていて落ち着いた雰囲気です。山裾にある栗林には、猛禽類の撮影を目論んでいる二人がおりました。聞きますと、「此処はカラスの巣窟谷戸となっているが、時々オオタカ等の猛禽類がいるし、林の中にはフクロウもいる」とのことでした。暫く一緒に観ていましたが、猛禽類ではなく、アオサギが飛来して来ましたが、撮影の対象では無い様でした。風致地区の栗林ですから所有者が特定出来ず公共の植林と思いつつも、もしかしましたら、個人所有の栗林であったかも知れませんので、迷惑を掛けない様に、林の中で落ちて間もない一部の栗イガから、栗を頂戴して帰りました。栗ご飯にするには十分な量でした!
2015.09.16
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35℃を超える猛暑が続き、家の中に待機して適度に水分補給をしているのが無難です。30年を経て、東京の夏もテキサス州ヒューストンと同じ様な亜熱帯気候になってしまいました。ヒューストンでは3月から10月まで、猛暑になりますので皮膚の毛穴が全開となって放出しますので、熱中症は少ないのです。日本から出張の方が来られますと、その方々の毛穴は閉じていますので大変な酷暑になり、熱中症の懸念がありました。私達家族は、4年の滞在を経て10月初旬に帰国しましたので、毛穴全開の状態で秋冬を迎えましたので、その年はよく風邪をひくこととなりましたが、翌年には毛穴が閉じて大丈夫、人間の環境適応性を感じたものです。一昨日の深夜に強い雨が降って昨日は猛暑にならないと言うことで、静岡県富士市まで往復、帰りには4ヶ月振りに富士霊園に寄って墓参して来ることにしました。もうお盆休みの家族連れも多かった様で、高速道路が混み合い、9時半出発にしたのですが、富士市到着は予定より1時間遅れの12時半過ぎとなりました。知り合いの方々に挨拶しつつ「五島うどん」を配り、暇乞いを失礼して、冨士霊園には午後3時半到着となりました。管理事務所で購入した供花と、好きだった珈琲を供え、7月のお盆もしなかったQuatre mois absenceを詫びました。秦野市の実兄宅に寄って雑談、帰宅は午後8時、往復260kmのドライブは久しぶりで疲れましたが、未だ車の運転に支障が無いと思うことにしました。
2015.08.09
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都営の小山田緑地での蛍秘密基地とされるトンボ池に行ってみましたが、宵闇が迫っても蛍が飛び交いません。午後8時まで待てばとも思ったのですが、確証が無いので、周辺道路を迂回して再びアサザ池を訪問することにしました。前回の経験で、10m以上離れた処からの蛍撮影は、コンデジカメで撮ることは至難の業と確認しましたので、3~5m範囲に飛び交う蛍を狙うことにしました。シャッタースピード8秒、絞りF2.0~4.0にて、撮ってみました処、池の上の3匹の蛍、中央は動かず、左右は互いに遠ざかる写真を撮ることが出来ました。林の暗闇中に飛ぶ蛍は飛ぶスピードが遅いのか、短い線分3本となりました。再度、近くに飛んでいた蛍を狙ったのですが、画面からはみ出しそうになったので、カメラを振ってみました処、珍しい画像となりました。2匹の光源軌跡に見えますが、1匹だけだったと思います。何れも、柵の上にカメラを固定しましたので、手振れはありません。道路脇の草叢に蛍が光って点滅していますので、固定せず撮りましたので、手振れでぼんやりしていますが、シャッタースピード8秒でしたので、強い黄緑色光源が写っていました。段々と蛍撮影も慣れて来ましたので、もう1度チャレンジしたい気がして来ました。
2015.06.13
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昨夜は先日事前調査をした都営の小山田緑地での蛍を見に午後8時頃行ってみることにしました。公園の駐車場は閉鎖されていますので、付近の民間駐車場に車を停めさせて貰い、国際カントリーと交錯する散歩道を道為りに進み、アサザ池を通り過ぎて10分程で、田圃に着きました。付近には蛍が飛び交っていて、手をかざして蛍を留めることも出来ましたので、近くにいた子供に手渡してあげました。蛍を撮影するべく、予めシャッタースピード8秒、絞りF4.0にて、数枚撮ってみましたが、殆ど暗闇しか写っていません。蛍の光は微弱で、30秒位開放しませんと撮影は難しい様ですが、何とか光が点として写っていたのが1枚ありました。人間の眼とは優れたもので、ほのかに点滅する蛍の光を集中して堪能出来るのですが、コンパクトデジカメではそうは行かない様です。帰途、アサザ池に寄ってみますと、蛍が点滅していますので、数枚シャッタースピード8秒、絞りF2.0に変えて、数枚撮影してみました処、偶然ピンボケで手振れもありましたが、黄色い光源が写っているものがありました。10年以上前には神奈川県城山町まで出掛けたのですが、今回は車で10分程の近郊で手軽で便利な場所での10年振りの蛍見物でしたが、十分堪能出来ました。
2015.06.11
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全国からホタルのニュースが流されていますし、近郊でも稲城市やよみうりランドでの有料観察会が先週末から開催されている様です。10~12年前には、家内と神奈川県城山町にあるホタルの里に行きましたが、NPO法人の“ホタル研究会・自然の家”が閉鎖されてしまったので、行く気になれません。先日、横浜市の寺家ふるさと村からの蛍情報と写真がメールされて来ましたので、近郊の里山で見られないものかと聞いてみましたら、よく昼食を取りに出掛ける都営の小山田緑地で蛍が見られるとの情報を得ました。公園管理事務所に行って蛍情報を聞きましたら、梅木窪分園のアサザ池付近からその奥にある私有地の田圃にて蛍が飛んでいるとのことでした。飛び地のトンボ池では、未だ調査していないので、状況は判らないとのことでした。早速、日中の事前調査をしてみることにしました。国際カントリーと交錯する散歩道を道為りに進みますと、白やピンク色のホタルブクロも咲いています。アサザ池を過ぎますと国際カントリークラブと私有地の田圃が交錯していますが、蛍が飛んでいたと言うのはこの付近です。奥に見える森の袂には、綺麗な湧き水があって、溜池は驚く程透明、蛍が生息していても不思議はありません。公園の駐車場は午後5時に閉鎖ですし、散歩道は狭くて途中駐車することが出来ませんので、何処か広い道に駐車して、20~30分程歩いて行かなければならない様でした。午後7時半から8時頃でしょうから、フラッシュライトも必要となりましょうか?
2015.06.08
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最初は青梅線の軍畑駅から高水三山のトレッキングと思ったのですが、蒸し暑さと体力の衰えを考えて、もっと楽な森林浴で良いと近郊に変えました。八王子市廿里(トドリ)町にある独立行政法人「森林科学園」のさくら保存林に季節外れではありますが、行ってみることにしました。多摩モノレールで高幡不動経由、京王線で高尾駅まで行きますと、其処からは徒歩5分ほどで着くことが出来ます。桜の季節は入園料400円なのですが、季節外れで300円と安くなっていました。ゲートで聞いてみますと、「本日の入園者は20人足らず」とのことでした。8ヘクタールのさくら保存林には、全国から250種類、1600本が植栽されていますので、桜の季節には1000人を超す訪問者で園内は混雑するのですが、全く人影が見えず、「イノシシ注意」「マムシ注意」の看板が目立つばかりです。黄色い花弁のウコン等、珍しい桜の並木となっている夫婦坂も木陰の新緑一色です。50m程ゆっくり登って行けば、階段状の木製ベンチが並ぶ休憩所となり、其処からは周回道路が続きます。太い林道に加えて、遠見通り、彼岸通り等の尾根道も整備されて近望。遠望を楽しむことが出来ます。まるで、人気の無い深山幽谷の世界となりました。桜の季節には色とりどりの桜を楽しむことが出来たのですが・・1時間余、イノシシにもマムシにも遭遇することなく、森林浴を満喫することが出来ました。季節外れの訪問も良いものです!
2015.05.29
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